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Keep Yourself Alive!

新型コロナの脅威が迫ってきました。
東京では「感染爆発」の重大局面にいるという注意喚起です。
東京オリンピックが延期になった途端、感染者数が急に増え始めるというのは、今まではオリンピック開催のために数字を低くしていたんじゃないの?と考えるのが自然ですが。
海外渡航もレベル2の「不要不急の渡航は止めてください」ですが、まだレベル3の「渡航中止勧告」や、レベル4の「退避勧告」ではないので、特別な注意を払えば渡航できる段階です。
でもなるべく渡航はやめましょう!
欧米の状況を見ると、新型コロナを軽く考えることはできません。
自分の身を守ることも大事ですが、他人に感染させないことも大切です。
東京が封鎖されれば、日本中が甚大な被害に見舞われることになるでしょう。
緊急事態宣言が出されれば、私たちも大変な不自由を強いられることになります。
どうかここで踏みとどまれるように、一人一人の努力で切り抜けましょう!
とくに若い人たちは油断しないで、命を大切にしてくださいね! Keep Yourself Alive!!

それではここで、心が和む写真をお送りします。
街角のクイーン
これはとても懐かしい感じがする一枚。
70年代ですね〜
こんな若者がいる街角ってすごい。

次は究極の一枚。
究極の一枚
時空を超えたブライアンとフレディ。
この場面で、フレディの歌に合わせてブライアンはギターを弾いています。
まさに時空を超えた共演!
この後、ブライアンは涙を拭うんだよね。
(念のために説明しますと、これは2020年のブライアンと、1986年のフレディの映像です)

ブライアンとロジャーは、いまロンドンで自宅待機させられているけれど、
こんな時だからこそ、何かできることはないかと、ブライアンは自宅で「マイクロコンサート」を、
ロジャーはインスタで「ドラム教室」を展開しています。二人とも偉いなあ。
本当に「手を取り合って」がんばろう!

次は、すてきな一枚。
すてきな一枚
まだ70年代、ガーデンロッジを手に入れた頃かな。
フレディ、私たちを見守ってくださいね。



「ボヘミアンラプソディ」に隠された真実に驚愕!

「ボヘミアンラプソディ」は、今までとくに好きではなく、「ママ〜人を殺しちゃったよ〜」という曲が、どうしてすごく人気があるのかわかりませんでした。
氷川きよしの日本語版では、言葉の意味がダイレクトに伝わって来るので、英語圏の人にはこのように聞こえているんだなということがわかり、感心しましたが、やはり言葉の内容は辛く悲しく、悲劇的な歌ですよね。

ところが最近、「ボヘミアンラプソディ」を解析した素晴らしいYouTubeを見つけました。
ボヘミアンラプソディ オペラパートはどのように作られたのか?」という動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=4uTu0m71eb4

制作者の「風野ひとし」氏によると、彼は「ボヘミアンラプソディ」は、カミユの「異邦人」を元にしているという説を採っています。
フレディは若い頃、カミユを愛読していました。
「異邦人」といえば、「今日、ママンが死んだ」という書き出しで始まる、不条理文学の代表です。
私も若い頃に読みました。
主人公のムルソーは、友人のトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまいます。
ムルソーは逮捕され、裁判にかけられて殺人の動機を問われると、「太陽が眩しかったから」と答えます。
死刑を宣告されたムルソーは、執行の時に人々から罵声を浴びせられることを最後の希望とします。

「ボヘミアンラプソディ」は、異性愛者としての自分を葬り、同性愛者として生きる決意を表明した歌だという説が一般的なようですが、フレディがそのように認めたわけではなく、私もカミユの「異邦人」を元にしている説の方がしっくり来ます。
なぜならフレディは17才でロンドンに来てから、強烈に自分を「異邦人」として感じていただろうし、そのことで悩み苦しんでいたため、カミユを愛読していたと考えられるからです。
「異邦人」は英語で strangerで、「知らない人」「よそ者」という意味もあります。

カミユはアルジェリア生まれのフランス人で、貧しい家庭に育ちました。
フレディにとって、共にアフリカの植民地生まれということも共感ポイントだったのではないでしょうか。
カミユ(1913〜1960)は、1957年にノーベル文学賞を受賞しましたが、46才で交通事故により、この世を去っており、彼の死にはKGBによる他殺説もあります。(ソビエト全体主義を非難したため)
カミユ
アルベール・カミユ

カミユの言う不条理とは、明晰な理性で世界に対峙する時に現れる不合理性のことであり、そのような不条理を見つめ続ける態度が「反抗」と呼ばれます。
そして人間性を脅かすものに対する反抗の態度が、人々の間で連帯を生むとされます。
カミユの作品「ペスト」において、疫病に襲われた人々の様子が描かれ、「反抗」の態度によって連帯を生み出すことが示唆されているようなので、今まさに疫病に脅かされている私たちが読むべき本なのだと思います。

カミュの文学は、病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、全体主義など、人間を襲う不条理な暴力との戦いをテーマにしました。
不条理との戦いにおいて、カミユはキリスト教も左翼思想も拒否し、超越的価値に依存することなく、あくまでも人間的地平にとどまって生の意味を探し求めました。
彼は「父」としての「神」を拒否しました。
フレディも16才で「ザンジバル革命」という不条理な暴力を経験し、人間の生きる意味を探し求めるうちに、カミユに共鳴したものと思います。

「ボヘミアンラプソディ オペラパートはいかに作られたのか」の制作者、風野ひとし氏は、この曲はカミユと同様にフレディも無神論者として生きることの決意の表明だと考えていますが、フレディが無神論者であったかどうかは定かではありません。

さて、前置きが長くなってしまいました。
その「オペラパートはいかに作られたのか」についてですが、これが実に良く解明されていて、本当に目からウロコでした!
風野ひとし氏の30分の動画を食い入るように見つめ、2回も見てしまいました。

これはまず、風野氏が2018年11月に、クイーンのレアな音源を入手されたことから始まります。
それから半年に渡り、風野氏はこの音源を徹底的に研究され、それを編集してYouTubeにアップされたのです。
詳しくはその動画をご覧いただきたいのですが、その内容をご紹介します。

クイーンのレアな音源とは、何十年も前から「24トラック・マスター・テープ音源」と称して、一部のファンの間で流布していたものが、近年実際に「24トラック・マスター・テープ音源」の実物が発見されたそうです。
ところが風野氏が入手したテープは18トラックしかなく、不思議に思った氏がテープの解析を行なったところ、実は18トラックの方が本物で、24トラックは別物であったというミステリーに発展します。
24トラックシート
これがフレディ手書きの24トラックシート
近年発見された「24トラック・マスター・テープ」の箱の中に入ってたレアなもの。
24トラックのそれぞれに、ボーカル、ピアノ、ギターなどの何が録音されているか、全て書き込まれています。
また上段のフレディによる落書きも楽しいですね。

風野氏が入手した18トラック・テープの解析により、「ボヘミアン・ラプソディ」の制作方法が明らかになりました。
私はこの動画を見ていて、実は私も20代の頃、音楽スタジオで仕事をしていたことがあるので、フレディの制作方法が手に取るようにわかりました!
私も当時のスタジオのことが思い出され、楽しいけれど苦しいスタジオ現場の様子をまざまざと追体験するハメになったのです。

スタジオでの音楽制作には、時間の観念がありません。
夕方にスタジオ入りしてから、夜中も通して仕事を行ない、明け方になると睡魔との戦いに敗れて、スタジオのソファに倒れて仮眠するような毎日でした。
朝になって帰宅し、昼間は別の仕事に出かけて、夕方になるとまたスタジオへ、という過酷な日々ですから、スタジオのエンジニアたちも「これほどキツイ仕事が他にあるものか」と言っていました。
若かったからできたことで、私もそう長くは続けられませんでした。
坂本龍一も、毎日徹夜の録音により 「45才ぐらいで体がボロボロになった」と言っていましたね。

それで、フレディの録音方法なのですが、当時はアナログテープで多重録音ができるようになった時代でした。
18トラックの機材ならば、18種類の音源を1トラックずつ録音していき、重ねて再生することができます。
これにより、フレディは一人で合唱ができるようになりました。
このようにして「ボヘミアンラプソディ」の冒頭の合唱は、フレディの声だけで作られたのです。
フレディ録音

当時の録音技法として、「ピンポン録音」というのがあります。
これは私たちも良くやっていたのですが、18トラックのうち、フレディが13トラックぐらいに自分の声を録音していますので、残りのトラックが少なくなってしまいます。ところがクイーンはギターやベース、ドラムも多くのトラックを使って録音しています。
トラックが足りなくなると、たとえば4つのトラックを一つにまとめて、別のトラックに入れます。
また別の4つのトラックをまとめて、他のトラックに入れます。
このような作業を「ピンポン録音」と言い、これを繰り返していくと、最終的にボーカルを2つのトラックに纏めることができます。

こう言うと簡単なようですが、実はフレデイは13のトラックにソロを収録して、それらをミックスした音を土台として、さらに新しい音声を次々と重ねていって、多人数で歌ったかのような大合唱を作り上げていたのです!
これをアナログテープの時代にやっていたわけですから、テープをツギハギするために、カットされたテープがスダレのようにスタジオに張り巡らされていたようです。まさに気が遠くなるような作業ですね。

フレディのソロと、フレディ・ロジャー・ブライアンの3人による合唱が、多くのトラックから2本のトラックに纏められ、最終的に24トラック・マスター・テープに纏められたとされています。
よくYouTubeでは、4人がマイクの前で歌っている動画などがありますが、実際のスタジオはそのような、のどかなものではなく、一人ずつブースの中で際限なく繰り返しをさせられる無間地獄のようにものであったと思われます。
撮影用のビデオは、それなりに編集されて作られたものなので、あまり現実とは思わないほうがいいですね。
フレディ スタジオ きれい
このスタジオ写真は撮影用なので、きれいな服に着替えています。
実際は普通のTシャツで、汗臭くて、頭もモジャモジャで、無精髭も生えていたかもしれません。

それでやっと、オペラパートの作り方なのですが、これを解明された風野さんはすごいです!
私は今まで、なぜこれがオペラなのかわかりませんでした。
でも風野氏のおかげで、やっとその意味がわかったのです! (ポラプが発表されてから44年も経っている)

風野氏によると、オペラパートにおいて、音声の録音には3種類の手法が採られています。
フレディのソロと、「ピンポン録音」と、普通の多重録音です。
そして、この3種類にそれぞれの声の役割が与えられているのです。

A フレディのソロ・・・とにかく前に進もうとする青年 (行こうとしている所は断頭台)
B ピンポン録音・・・絶対に行かせてはならないとする人
C 多重録音・・・彼をこのまま行かせようとする人

この三者が組み合わさって、青年を行かせるのか行かせないのか、劇的なドラマが構成されていきます。
フレディは、細かく煩雑な録音作業を長時間に渡って続けたのですが、その録音方法は決して気まぐれなものではなく、実は綿密に考え抜かれたものだったのです!
私も今まで、このようにボラプを聞いたことはなかったので、本当に驚きました。

このフレディのアイディアは、実際にオペラからきているとされます。(風野説)
オペラには独唱(アリア)と、重唱(デュエット)と、合唱があります。
ここからフレディはボラプのオペラパートを考え出したのではないかとする説には、私も頷くことができます。
やはりオペラパートは、オペラから来ていたのでした。

歌詞の内容について、フレディは特に意味はないとし、「人間関係についてだよ」としか言っていません。
ブライアンやロジャーも意味はわからないと言っていますが、クイーンのメンバーの関係は配偶者よりも近いものであり、兄弟みたいなものだとブライアンも言っています。
フレディが無意味なものを作るはずはありませんし、ブライアンやロジャーも意味を知っていたことでしょう。
宗教的な配慮から、意味を公言することはできなかったのではないかというのが風野説です。
ブライアンは「フレディは予測不能な人だった。でも兄弟みたいなものだから、予測はできた」と意味不明なことを言っていますが、何かを隠しているのでは?という疑念も湧きます。

録音の手順としては、最初にフレディのピアノが全編に渡って録音され、それがガイドとなって、その上に様々なパートが重ねられていったであろうとのことで、これも納得できます。
ピアノの次にペース、そしてドラムが録音されていきます。
ただ、フレディの信じ難いところは、楽譜を書いていないという点です。
誰か作曲家がボラプを楽譜に書いて、それをミュージシャンが演奏するのならば、これは簡単に録音が終わります。
ところがフレディが書いていたのは沢山のメモ用紙のようなもので、これを組み合わせて曲を作り上げるとなると、それこそ気が遠くなるような作業となります。
フレディはもともとデザインの勉強をしていたので、おそらく音楽をデザイン的に捉えて、組み立てていたのではないかと思われます。

スタジオの作業では、実際に録音機材を扱うのはオペレーター(エンジニア)です。
他のYouTube動画でも、フレディがコンソール(ミキサー卓)の前に座って、フレディが制作しているかのようなビデオもありますが、これも外部向けの画像に過ぎず、実際にはエンジニアのお世話になっていたことは間違いありません。
たとえば「ピンポン録音」についても、このような録音方法があることをフレディに教えたのはエンジニアでしょうし、そのミックス作業もエンジニアの手によるものです。
スタジオの音楽制作とは、はじめの音入れ作業よりも、その後のミックスダウンの方が、はるかに時間がかかり、僅かなノイズも逃さないように綿密に行われるので、音入れが終わったミュージシャンは、その後ひたすら聴く作業となり、待ち時間が長くなり、忍耐しているうちに寝落ちする、ということになるのです。
コンソールの前のフレディ
コンソールの前のフレディ
隣にエンジニアがいる筈です。

スタジオでの音楽制作は、ミュージシャンとエンジニアの共同制作です。
エンジニアの技術と才能により、同じ音源でも仕上がりは大きく異なってきます。
ボラプはフレディの作詞・作曲となっていますが、クイーンのメンバーをはじめ、多くのエンジニアが関わり、共同制作されているわけですから、もっとエンジニアの名前をクレジットしたりして、尊重してあげてもいいのではないかと思います。

さらに、「ボへミアンラプソディ」の歌詞の内容についてですが、
風野氏は、これはカミユの「異邦人」を題材としたものであり、ある死刑囚の物語で、最後は断頭台へ登っていくのだと考えています。
オペラパートで、死刑台へ向かおうとする青年を止めようとする人と、行かせようとする人がいましたが、イスラムの神が強く彼を行かせようとします。
これはフレディの先祖がイスラム教に圧迫されて、ペルシャからインドへ逃れたことを指しているのでしょうか。
フレディの魂は700年ぐらいにわたり、ボヘミアンになっているのかも。

オペラパートが終わり、ロックパートになると、これは主人公が独房から出て処刑台へ向かう時だという解釈です。(風野氏)
いわゆるグリーンマイルの歩行ですね。
「お前は行くべきではない」と手を差し伸べたかに見えた声が、突然「さあ、前に行こう」と豹変し、青年はハッと我に返ります。
とたんに広場の方から、青年を待ちわびる群衆の怒号がきこえてきて、現実世界へ引き戻されます。
終わり近くに、ギターの3連音符が上っていくところがありますが、あれが断頭台への階段で、その後に処刑と、死による解放が起こります。なるほど、斬新な解釈ですね。

それにしても、「ボヘミアン・ラプソディ」という限りなく悲痛な歌が、これほどまでに多くの人間の賛同を得るということは、世の中の人たちもどんなにか悲痛を抱えているかということの証しでもあります。
映画以降のフレディ人気は、現在のヨーロッパの移民たちにとって、フレディは「移民の星」であるから、とする説もあります。

「異邦人」のムルソーは、「太陽が眩しかったから」殺人を犯し、その罪を甘んじて受け入れて、死に向かいます。
これはフレディが病を得てから、自分がしたことは自分の責任だとして、病気を受け入れていた態度に通じるものがあります。
つまり若き日のフレディがムルソーに重ね合わせた自分が、やがて現実のこととしてフレディ自身の身に顕現してくるという不可思議な運命の巡り合わせに、私たちは身を震わせるしかないのです。フレディへ、合掌。


これは「ワンビジョン」のスタジオ録音風景ですが、やはりどうもプロモーション用のような気がします。
https://www.youtube.com/watch?v=XssPitrqOXM&list=RDXssPitrqOXM&index=1





初来日の「緑のチケット」

イタリアの状況が心配です。Forza! イタリア、がんばって!
フランスも外出禁止になってしまいました。ドイツも国境閉鎖。
ポーランドにいた友人が、国境閉鎖の直前に、日本への最終便で帰国できました。
私の専門は西洋文化なので、ヨーロッパの状況が気がかりです。
私たちも他人事ではありませんが。

とうとう「クイーン展」にも行かれず残念でしたが、この展示会はモントルーのクイーン・エクスペリエンスとの共同企画のようなので、去年モントルーで見たものが多いだろうと諦めています。
「クイーン展」の様子をネットで検索してみて、目に止まったのが、この日本公演のチケット!

日本公演のチケット

一番上にある緑のチケットが、忘れもしない初来日のものです。
クイーンのエンブレムが入った大きな緑色のチケットで、私も長い間大切に持っていたのですが、いつしか見失ってしまいました。
昔のチケットは、公演ごとに特色を持つデザイン性のあるチケットで、チケットを見るだけでも楽しかったものです。
今のチケットはどれも同じで、個性がないですよね。
それにしても、「全日本公演のチケット」というのはすごい!

緑のチケットは、これと良く似ています。
というか、これが緑のチケットを元にしているのですね。

40周年チケット

あ〜緑のチケットが見たいなあ。
どなたかお持ちの方はいませんか? 画像だけでもあれば嬉しいです。
今までに数限りなく沢山のコンサートに行きましたが、このチケットには忘れられない愛着がありますね。

あの頃、ラジオの深夜放送で聞こえてきた「キラークイーン」のフレディの声が、今でも耳に残っています。



「ハイドパーク 76年」と 「ヒューストン 77年」のDVD

東京は桜が開花しましたが、新型コロナは音楽界に甚大な影響を及ぼしています。
3月中は殆どのコンサートは中止または延期となり、公共ホールは閉鎖状態で、舞台関係の仕事(音響、照明、舞台設営など)は途絶えてしまいました。
演奏家、ミュージシャンにとっても、コンサートが消滅し、ツアーもままならない状態で、困惑が広がっています。
音楽事務所もチケットの払い戻しや、契約の違約金支払いなどで苦境に立たされています。
このような事態が早く終息に向かうよう、心から願ってやみません。

思えば1月26日のQALは、辛うじて開催可能だったわけですね。
あれ以来、旅行や外食に行けず、コンサートや美術館にも行けず、その分浮いた時間で、家の内外の掃除をしたり、庭のバラに肥料をやったり、猫と遊んだり、免疫を落とさないために食事をしっかり作って食べたり、という生活で、なんだかとてもヘルシーになっています。もしかして、これは理想的な生活なのかも?
私たちが普段いかに恵まれた生活を送っているかという、生活の見直しにもなりますね。

コンサートに行かれないので、クイーンのDVDを見たりしています。
74年のレインボーと、75年のハマースミスは持っていたので、
次に81年のモントリオールと、82年のオンファィアー、85年のウェンブリーを見ました。
そして次第にレアな世界へ入って行き、76年のハイドパークに手を出しました。

ハイドパーク

これは元の録画が古いので、画像は荒く、音声も歪む時があります。
でもフレディの姿ははっきりと捉えられており、問題はありません。
クイーンが10万人以上のオーディエンスの前で演奏したのは、おそらくこれが初めてだったのでしょう。
ブライアンも、あの時は緊張したと言っています。
初めの方でコーラスが合っていなかったりすることもありますが、それも愛嬌です。
フレディ30才ですから、他のメンバーは皆20台!

とくにフレディの白いレオタードと化粧の妖艶な姿が見られます。
この白いレオタードは、フレディの衣裳の中で最も危険と言われたもので、(脱げそうになるので)一見の価値があります。
白いレオタード

この姿で「You Take My Breath Away」を歌うのですが、この時が初ライブとなり、ソロなので緊張していますが、その深い表現力は圧巻です。これはポピュラー音楽史上に残る名演だと思います。
そのような表現を可能にしたのは、フレディの実体験から来ているためなのですが、この時フレディは既にデビッド・ミンスと別離しており、その悲恋を歌ったものなのですね。
かわいそうにねえ。(すでに親心のような心境)
「Love of My Life」と「You Take My Breath Away」は、デビッド・ミンスに捧げた作品だと言われています。

フレディは、その人生で数多くのラバーズを持ちましたが、最も愛していたのは誰か?
私は、このデビッド・ミンスではないかと思うのです。
デビッド・ミンスはエレクトラレコードの経営陣の一人で、メアリーと一緒に暮らしていた75年から付き合い始め、一時は同棲もしていました。

デビット・ミンスと、なかよしの頃
デビッド・ミンスとフレディ

Love of My Life」の歌詞に、次のようなところがあります。

When I grow older
(いつか年をとったら)
I will be there at your side to remind you
(君のそばにゆくから思い出しておくれ)
How I still love you I still love you
(いつまでもどんなに君を愛しているか)

年をとったら、また側にいるとは、なんという執念だろうと思いますが、実際にはフレディは年をとることはなかったことを思うと、悲しみを誘います。

You Take My Breath Away」はもっとすごい。
だからいかないで
ひとりぼっちにして行かないで
時々たまらなく孤独を感じる
どこに行っても見つけるよ
君の後ろを片時も離れない
この世界の果てでも
不眠不休で君を探すよ (キリオさん訳)

彼がどこに行っても探し出し、彼の後ろに背後霊にようにくっついて、眠らないで休まずに地の果てまで探すとは、ものすごい執念ですね!
ends of the earth は「地の果て」でしょうけれど、「地球が終わるまで」だったらすごいですね。
ここまで言わせるデビッド・ミンスも大したものですが、やはり初めての同性愛の相手だったからでしょうか。
そして「Love of My Life」は、最後のライブまで歌っていたわけですから、その度に彼を思い出していたのではないでしょうか?
フレディには多くのラバーズがいましたが、本当はとても純情で一途だったのではないかという話です。

次に77年のヒューストンのライブを見ました。
ヒューストン

これは音声は良いのですが、画像が鮮明ではありません。
なぜかステージが暗いのです。
クイーン専用の照明機材ではなく、現場の照明を使っているので、ライトの数が少なく、スポットも客席側からは当たらないので、撮影状態が良くありません。
ステージにおいて、いかに照明が大切かということの逆説的証明になっています。照明の証明ね。
とくにフレディがピアノの前に座っている時は、暗くて顔がぼやけて亡霊のようになっています。
全体的に、はっきり見えずにフラストレーションがたまってしまうので、あまりお勧めできませんが、「幽霊でもいいからフレディに会いたい!」という人には、お勧めいたします。

このDVDを買ったのは、白黒ダイヤ柄のフレディが見たかったからなので、ダイヤ柄が見たい人にはおすすめです。
ダイヤ柄の時代には日本公演はなかったことですし、ダイヤ柄の動くフレディを見ると感動です!
道化師を演じるフレディが全開ですから!
白黒ダイヤの道化師









ガンダーラ仏像に似ているフレディ

ネットで、ガンダーラの仏像がフレディに似ていると言う人がいました。
なるほど。
ガンダーラ仏像

ガンダーラ!
とても気になります。

ガンダーラは、現在のアフガニスタン東部から、パキスタン北西部にかけて、紀元前6世紀から存在した古代王国。
アフガニスタンとパキスタンの国境は、欧亜列強によって人工的に引かれたものであり、ガンダーラ一帯はペシャワール渓谷として知られています。
ペルシャと中央アジアの重要な交通路にあったため、国際的な商業都市として栄えました。

ガンダーラは、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシャの領土となったり、
紀元前4世紀にはインドのマウリヤ朝によって支配されました。
つまり、フレディのルーツであるペルシャとインドの両方に跨る地域であるということになります。

紀元前185年ごろ、ガンダーラはイラン系のバクトリアに征服されますが、
ゾロアスターはバクトリア人だったという伝説があり、アケメネス朝時代にはバクトリアの首都バクトラ(現アフガニスタン)がゾロアスター教の中心地の一つだったことが明らかになっています。
フレディ・バルサラ家の宗教のルーツは、ガンダーラにあったということになります!

紀元前90年、パルティアがイラン東部を支配下に置きます。
パルティアのアルケサス朝の王たちはゾロアスター教徒であり、ガンダーラのギリシャ人たちを一掃します。
ここからガンダーラ美術が始まり、ギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様式を取り入れた仏教美術が生み出されました。
インドで生まれた仏教は、当初は偶像崇拝を否定していましたが、ガンダーラでギリシャ文明と出会い、はじめて仏像が生まれました。
1世紀〜3世紀、イラン系のクシャナ王朝で、ガンダーラは黄金期を迎え、多くの仏塔や仏寺が建立されました。
パルティア美術はササーン朝ペルシャによって破壊されましたが、ドゥラ・エウロポスの壁画やミトラ教の神殿に残されています。
(筆者は、ドゥラ・エウロポスの壁画を実見しています)

日本にも伝えられた仏像の中に毘沙門天がありますが、鳳凰がついた冠をかぶった像があり、その起源はギリシャ神話のヘルメス(マーキュリー)であるという説があります。
フレディは、マーキュリーという名前をギリシャ神話からとったのでしょうけれど、マーキュリー像はガンダーラにも存在していたのです!

ガンダーラは、ペルシャに隣接する地域で、かつてはペルシャ帝国の一部だったこともあり、宗教のルーツとしても有力な地域ですから、フレディとはとても縁が深い場所だと思われます。
ガンダーラのフレディ

現在のアフガニスタンという国名は、ペルシャ語で「パシュトゥーン人の国」という意味です。
パシュトゥーン人の住む地域が、欧亜列強によってパキスタンとアフガニスタンに分断されたのです。
パシュトゥーン人はイラン系民族で、紀元前2世紀に北方からイラン高原に侵入しました。
イランのサハヴィー朝(イスラム教)や、インドのムガール帝国の支配を受けました。
18世紀にサハヴィー朝に対して反乱を起こし、後にカンダハールでアフガニスタン国家の起源となるドゥッラニー朝を建国します。

アフガニスタンの「カンダハール」という地名は、ガンダーラに由来するといわれます。
タリバン政権崩壊後に指導者となったカルザイ大統領もパシュトゥーン人です。

パシュトゥーン人のザヒル・シャー前アフガニスタン国王が、フレディに似ていると思うのですが。
ザヒル・シャー

これはフレディがガンダーラのパシュトゥーン人の血を引いているのではないかという仮説です。
ガンダーラならばインドに近いので、フレディの先祖がインドへ逃れた経路が容易になります。
が、まったく検証の術はありません。

ガンダーラは、ペシャワル渓谷のことですが、
ペシャワルといえば、昨年ペシャワル地域で医療と灌漑を行なっていて、銃撃により殺害された中村哲医師のことが、すぐに思い浮かびます。
中村医師の日本での支援団体の名称は「ペシャワル会」で、私も支援会員になっています。
中村医師は1946年9月15日生まれで、フレディとは10日違うだけです。

ガンダーラ〜ペシャワル〜ペルシャ〜インド〜バクトリア〜パルティア〜ゾロアスター〜フレディ〜中村医師
ガンダーラの仏像を見て、これらが一瞬でつながり、私はわけもなくハラハラと落涙しました。
人間の歴史や関係というのは奇蹟のように連鎖しているのですね。

私たちが新型コロナの脅威に晒されている今、少しはフレディの気持ちがわかるかもしれません。
治療法のない、未知のウィルスに脅かされているのですから。
でも、ペシャワルの砂漠に水路を開いて、60万人もの命を救った中村医師のことを思うと、私たちも負けずにがんばらなくては、と思うのです!









プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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