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フレディが愛好したアスプレイの香り

さいたまスーパーアリーナの、クイーンのコンサートへ行った時、その前にクイーン展へ行こうと目論み、日本橋の高島屋へ立ち寄りました。
ところがその時、入場待ちは長蛇の列となり、待ち時間は3時間とのことだったので、あっさりとクイーン展は諦め、「東京がだめなら横浜があるさ」「横浜もだめなら名古屋もあるし」と自分を慰めたのでした。
しかし私は簡単に高島屋を去ることはなかった。
8階のクイーン展を諦めると、早速2階の「アスプレイ」へ移動。
「アスプレイ」とは、フレディが「カルティエとアスプレイが好き」と言っていた、あのアスプレイなのである!
しかも、クイーン展と違って、誰もお客さんがいない!
アスプレイは、ロンドンが本店の、英国王室御用達のブランドで、日本では日本橋高島屋と大阪の2店舗しかないのだが、それは製造の数が少ないので、店舗が増やせないからだという。
アイテムはハンドバッグやアクセサリーの他、シャンプーやソープなどがあり、リッツ・カールトンのアメニティーはアスプレイのシャンプーセットになっている。
私はオーデコロンをチョイス。甘いけれどスッキリした香りで、寝具にかけるのもおすすめです。
この香りはシャンプーやソープも共通のもので、フレディが愛好したもの。
ネットで買うこともできます。
アスプレイのオーデコロン

さいたまスーパーアリーナから帰ってくると、なぜか無性にフレディの声が聴きたくなり、ネットで適当に選んだライブを見てしまったことを告白します。
1985年の日本公演を記録したNHKのヤングミュージックショーでした。
ヤングミュージックショーといえば、この番組を制作したプロデューサーの波多野氏を、昔知っていました。
波多野氏は日本にロックを広めた伝道師です。
私も渋谷のNHKで仕事をすることがあったので面識があり、カルチャークラブのコンサート等に招待していただきました。
ただ波多野氏は、クイーンはあまり好きではありませんでした。
彼の実弟は、渋谷のライブハウス「ラ・ママ」を経営しています。

さいたまスーパーアリーナの翌日、スマホで録ったプライアンのギターソロを聴いていたところ、意外と音質が良くて驚きましたが、うちの猫が寄ってきて、PCにスリスリしていました。
なんと、猫も喜ぶブライアン博士のギター!!
ふつう猫は、ロックは嫌いなので、驚異的な現象です!
猫もよろこぶ
こんな感じで、ご満悦。
じつは私もフレディと同じ、大の猫好きなのです!

クイーン公演2020/1/26  さいたまスーパーアリーナ

1月26日に、さいたまスーパーアリーナのクイーン公演に行ってきました!
やはり感想を書かねばなるまいと思います。

クイーンの公演は、45年前に武道館へ行って以来、じつに45年ぶりとなります。
あの頃、ロックミュージシャンは30才を過ぎたら生きていないと思われており、自分も40才まで生きるなんて信じられないことだったので、この45年という歳月の後に、今だに生きながらえている自分が、今だに活躍中のブライアンとロジャーを目にすることができて、本当に感無量でした。
70代のロックミュージシャンを見たのは初めてでしたし、その健在ぶりには驚かされ、嬉しく思います。
この公演を見て、一番印象に残ったのは、ブライアンの強靭さです。
来日して以来、東京のあちこちのお店に出没しているし、さいたまスーパーアリーナ公演を2日続きでこなし、その合間にはしょっちゅうツイッターに投稿しているって、これはいったいどういうパワーなのか、まさに「生ける奇蹟」です!
ブライアンは最近ビーガンを始めたそうなので、体調の変化もあるでしょうに、あいかわらずのご活躍に脱帽です。どうぞお体を大切に!
私も1年間ぐらいビーガンをやっていたことがありますが、はじめは解毒が進み、皮膚が黄色くなりました。体重が減り、体力も落ちてしまうので、1年ぐらいでリタイア。ビーガンは栄養素が足りなくなるので、サプリメントも必要です。

ブライアンは本当に全てを持っている人で、顔良し、頭よし、性格良し、経済力あり、名声あり、家族の愛情ありで、その上勲章をもらい、今度はコインも発行されるという、これ以上何を望んだら良いかわからないぐらいなので、毎年クリスマス頃になると、ちょっと鬱になってしまうのでしょうか。
あまりにも完璧で、世界のトップを独走してしまうと、それはそれでまた大変なのかもしれません。
ブライアンが持っていない、ただひとつのものとは、「永遠の命」です。
地球上に生息して、酸素を吸っている以上、活性酸素による老化は避けられず、こればかりはどうしようもありません。
しかし、このようなただひとつの弱点にツッコミを入れるのは、私の悪い癖かもしれません。ごめんなさいブライアン。
比類なき超人プライアンの姿を拝むことができて、本当に有難く感謝の念でいっぱいです。
ロジャーも元気で、歌声もきかせてくれて、本当に幸せでした。

今回の「ラプソディー・ツアー」について。
ラプソディ」というのは、「ボヘミアン・ラプソディ」から採ったものでしょうが、
「ラプソディ」とはもともと音楽用語で、民族音楽の延長にある、自由な形式の曲を指します。
日本語では「狂詩曲」と訳されますが、べつに狂っているわけではなく、「狂」とは面白おかしいとか、絵空事という意味です。
語源はギリシャ語から来ており、「歌をつなぎあわせること」という言葉が由来になっています。
それでラプソディは色々な曲調をメドレーのようにつなぎ合わせて作られます。
つまり、フレディの作曲法「つぎはぎ方式」は、ラプソディそのものだったというわけです!
「ボヘミアン・ラプソディ」や「マーチオブ・ブラッククイーン」など、初期の代表作は、みなラプソディ形式ということができます。
ですから今回のクイーンツアーは、フレディの初心に立ち返った、フレディらしさ溢れる「狂詩曲」の世界となりました。
コンサート全体が、次々とスタイルの違う曲をつなぎ合わせているため、総合的にまとめて長大なラプソディであると考えることもできます。
実に良く考えられていると思います。

まず、会場に入ると、ステージ上に巨大な黄金のティアラが据えられています。
クイーンのエンブレムと、楽器などを象ったティアラは楽しげで、いかにもラプソディの始まりを暗示しています。
ティアラは王侯貴族の装飾品ですから、女王の冠であり、クイーンの絶大なる成功を物語っているようです
QALのティアラ

QALが登場すると、ティアラは上方へ引き上げられ、舞台上はオペラ劇場のセットになります。
これは「ボヘミアン・ラプソディ」にオペラパートが含まれているとされるところから、デザインされたのでしょう。
(しかし私は「ボヘミアン・ラプソディ」のオペラパートは、どこがオペラなのかわかりません。ハテな?)
オペラを観に行く時と同じように、オペラグラスを持って行ったのですが、スクリーンにQALが大きく映し出されるので、あまり必要はありませんでした。しかし時々スクリーンがない時に、オペラグラスを使いました。
驚いたのはスマホでの写真撮影、ビデオ撮影OKで、しかもYouTubeに上げても良いとのこと。クイーンは太っ腹ですね!
でも本来は、自分たちの演奏をなるべく沢山の人に見たり、聴いたりしてもらった方がいいわけですから、著作権フリーにした方が絶対に得策なのです。
スマホのビデオも、なかなか良く撮影できるので、これも驚きです。
45年前の公演時とは隔世の感があります。
昔はペンライトを振ったり、100円ライターに火をつけて応援していたなんてことは、今の人たちはみんな知らないでしょうね!

コンサートの演出は、レーザー光線やミラーボールなどの照明は昔と変わりがないのですが、やはりCGが発達しましたね!
CGは面白いのですが、どうしてまだフレディのホログラムが登場しないのか?
昨年末の紅白歌合戦で、美空ひばりのCGが新曲を歌っていたので、そこのところだけ見ましたが、早くフレディの3次元ホログラムが見たいものです。

はじめの方で、CGでギリシャの神殿の柱が崩れてきて、コンサート終盤になって、また修復されます。
これは古い神話が破壊されて、自分たちの時代になったという意味で、そこでロックショーが繰り広げられるという意味でしょう。
終わりの方で(「ショーマストゴーオン」の時)神殿の柱がまた立ち上がるのは、元通りの時代に戻ったのではなく、新しい神話が始まるという意味に捉えたいと私は思ったのだけれど、実際はどうなのでしょう?
でもあの「ショーマストゴーオン」には感動しました。

オペラは19世紀までのハイカルチャーの時代の産物なので、それが終わり、現代のハイテク・モダン・ロックの時代になると、ステージの背景が変わります。
QALハイテク・モダン
ハイテク・モダンといっても、やはり20世紀だなあという感じ。クイーンは20世紀のバンドだったからね。
それにしても洗練されたステージ演出です!
全体的に鮮やかなロック・ショーになっており、ロック本来の毒気はない。
もともとロックはカウンターカルチャーであり、ワイルドでクレイジーで危険なものだったのだけれど、クイーンのステージは親子連れで楽しめる「安心・安全なロック」になってしまった。ブライアン博士の「正しいロック講座」みたいな。
それが悪いわけではなく、それがクイーンの功績なのですね。

QALレーザー光線
スモークに美しいレーザー光線が投影されます。
「Who wants to Live Forever」が壮大に盛り上がります。
はじめてロックショーに来た若い人は、本当に幻惑されると思います。

ブライアンのギターソロ
そしてついにブライアンのギターソロへ。
この写真の左端にブライアンがいます。
以前はブライアンのソロは、ちょっと退屈な時間だったけれど(ごめんねブライアン!)、今は本当にコンサートのハイライトだと感じました。やはり今のクイーンを引っ張っているのはブライアンなのだ。
博士が宇宙空間でギターの即興を弾く演出は新しいものだし、演奏はすばらしく、音は美しかった!
さすが「ギターの神様」!
ブライアンはギターの神になったのだ。
それを目撃することができて幸せでした。
本人もツイッターで「完璧な演奏だった」と言っています。
即興の最後にインクルーディングされたのは、ドボルザークの「新世界より」。
このように引用を行なうのも「ラプソディ」の常套手段なので、違和感はありません。
この「新世界」というのは、ドボルザークが仕事で訪れたアメリカのことで、アメリカから故郷のチェコへ向かって奏でている音楽なのですが、ブライアンは宇宙から地球へ向かってギターの歌を送っているのだろうか?
ブライアンにとっての「新世界」とは、彼が理想とするところの「世界が一つになったところ」なのだろうか?
世界が一つになって平和になり、争いが無くなり、皆が平等になれば、こんなにすばらしいことはないけれど、一つにするためには邪魔者を排除したり、お互いを監視しあったり、規制の厳しい窮屈な社会になるのはご免です。
ブライアンはきっと美しい理想を抱いているでしょうけれど、現実には難しい問題も山積ですね。

ドボルザークの「新世界より」のメロディーは、インディアン神話の英雄ハイアワサを扱った物語の「森の葬式」からインスピレーションを得て作曲されたものです。
英雄の物語といえば、やはりフレディを偲んでいるのかなというのは考えすぎでしょうか?
宇宙空間でギターを弾くブライアンは、死後の世界にいるフレディに音を届けているのかもしれません。

そしてドボルザークは、チェコの「ボヘミア楽派」に属していたという事実もあります。
ボヘミア地方とは、およそチェコの西半分の地域ですから、チェコはボヘミアンの発祥の地ともいえそうです。
ブライアンは「新世界より」を周到な考えのもとに選んだことは間違いありません。
やはり博士ですからね。

ギターソロの後に、神殿の柱が再生されるので、ブライアンはギターによって世界を更新したと考えられます。
新しい世界を生み出したのです。
それってやはり神様ですね!
すごいなあ。

新しい世界で、ブライアンがあのロボットのような奇妙な衣装になっています。
あれはスペースマン、あるいは新人類を表しているのですね。

QALラスト
しかし最後に、冒頭のオペラ劇場のセットも再生されるので、すべては劇場の中で起こっていたことがわかります。
ブライアンが宇宙に行ったり、神殿が再建されたりすることも、全ては架空の物語であり、絵空事であったとする、それこそが「ラプソディ」なのです!
まさに「ボヘミアン・ラプソディ」のラスト、「どうでもいいんだ、どうせ風は吹くんだ・・・」が思い起こされます。(私だけかもしれませんが)

というわけで、全体の構成が非常に良く組み立てられています。
まるでクイーンの音楽によるロック・オペラのようですが、でもあくまでも主体は音楽です。
他にも暗示的な部分はあります。
最後に出てくる、人間を脅かすロボットとは何か?
進みすぎるテクノロジーへの警鐘でしょうか?
「世界に捧ぐ」のジャケットに使用されたロボットは、SF好きのロジャーが気に入った作品が取り上げられたそうですが、今にして思えば、フレディだけが流血しているのが不吉な予兆だったのかもしれません。

まあ私は考えすぎなので、とにかく楽しいコンサートであることは間違いありませんので、これから名古屋・大阪の方はぜひご堪能下さい。ネタバレになってしまい申し訳ありません。

最後にアダム・ランバートについて。
彼もすばらしいシンガーですが、フレディとは全くタイプが違います。
フレディはあまりビブラートをかけない歌い方で、言葉のひとつひとつを大切に表現する特別な才能を持っていました。
クイーンを主導するエンジンだったフレディと、後継者を自認するアダムとでは、情熱の度合いも違うでしょう。
実際にライブでフレディを見た私たちにとっては、やはりクイーンはフレディ以外には考えられない。
QALでまたブライアンとロジャーに会えて嬉しかったけれど、嬉しさ反面、そこにいたはずのフレディの不在が際立つのです。
ああフレディがいないなんて!
誰もフレディの代わりをすることはできない。
公演中、フレディが2回、スクリーンに投影されました。
その時の観客の、悲鳴のような叫び声。
私も涙が滲みました。
クイーンの歌を歌ったことはないのですが、私も時々一緒に歌いました。
ほとんど全曲知っているのですから恐ろしい。

とはいえ、フレディが亡き今、アダムが引き継いで歌ってくれるのは嬉しいことです。
歌は人から人へ、時代から時代へ、歌い継がれていきます。
フレディは自分がシューベルトのような才能はないと思っていたかもしれない。
けれども、彼の歌がこれからも人の唇に歌い継がれていくことを、私も願ってやみません。
フレディ、ブライアン、ロジャー、アダム、ありがとう!
そしてバックバンドの皆さん、ローディー、スタッフの皆さん、お疲れさまでした!






フレディは「道化」で「英雄」のトリックスターだ!!

「フレディは道化師である」という結論を書きましたが、実はその上にもう一段奥の結論があります。
それは「フレディはトリックスターである」という最終結論です!

トリックスター とは、神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者のこと。
善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である。(Wikipediaより)

トリックスターは文化人類学や神話学で扱われる類型で、ユングも元型論に加えました。
トリックスターは光と闇の二面性を持ち、境界を突破して、これまで安定していた世界を破壊します。
そして神のように振る舞うこともあれば、突然に失墜することもあります。

日本のスサノオノミコトや孫悟空、またギリシャ神話のヘルメス(マーキュリー)もトリックスターと考えられています。
フレディはマーキュリーを名乗って以来、トリックスターとなることが運命付けられていたのかもしれません。
ヘルメス トリックスター

トリックスターは価値の転倒を行ない、天と地を結ぶ。
道化役を担い、王にもなるが没落する。
古い世界を破壊して波乱を起こすが、文化の発展を促す「文化英雄」とされることが多い。

フレディもお坊ちゃん育ちなのに、やたらとバッドガイになりたがり、しょっちゅうファックとかビッチと言っている。
フレディを「高貴で気高いあばずれ」と形容した人がいます。あばずれはビッチですね。

トリックスターは創造し、破壊する。贈与するが自分も受け取る。人を騙すが、自分も騙される存在。
彼は何も欲しない。彼は押さえつけられない衝動からのように、常にやむなく振舞っている。
彼は善も悪も何も知らないが、両方に対して責任がある。
道徳的、あるいは社会的な価値は持たず、情欲と貪欲に左右されているが、その行動を通じて、すべての価値が生まれてくる。
 
とてもよくフレディに似ているような気がする。

トリックスターは、「狡猾」「粗暴」「悪知恵」「愚かさ」などの特性を備え、決して道徳的に褒められる存在ではありません。
でも、その「道化性」ゆえに、境界を越えて幅広く行動するという特性をもち「英雄的偉業」を成し遂げることがあるのです。
やはり道化師なのですね。

ユングの『トリックスター』より
「彼は救世主の先駆者であり、救世主のように神であり、人間であり、動物である。彼は人間以下でも以上でもあり半神半獣的存在であり、彼の主な驚くべき特徴は、無意識である。そのため、彼は彼の(明らかに人間の)仲間から見棄てられるが、それは仲間の意識水準からの落ち込みを示唆しているのであろう。」

ユングによれば、トリックスターとは「救世主の先駆者」であり、「愚か者」と「道化」としての側面もありながら、「英雄性」 も併せ持っています。
トリックスターの大きな特徴は、ひとつのキャラクターの中に「道化性」と「英雄性」という相反する要素をもった両義性にあると言えます。
フレディにとても良く当てはまりますね。
フレディ トリックスター

「愚か者」といえば思い出すのは、タロットカードのゼロ番「愚者」のカード。
「愚者」The Foolは、道化師の衣装を身につけ、棒を持って旅をしている。
頭には王冠を被っているので、かつては高貴な存在で権力があり、天上との交信の能力を持っていたことを表している。
つまり「愚者」は愚かであると同時に優れており、何も持っていないが全てを知っている人物。
かつては全てを持っていたが、今は全てを放棄して自由になった人。
これはトリックスターの「価値の転倒」と似ています。

「愚か者」は、この世の価値が転倒していることを示唆しています。
これはプラトンの「洞窟の比喩」にも語られています。
洞窟に住む縛られた人々が見ているのは、実体の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。
同じように、私たちが現実に見ているのものは、イデアの「影」に過ぎないと、ブラトンは言っています。
私たちが考える世の中の成功や富や名声は、実体の「影」に過ぎないものであり、本当の「実体」は私たちの背後にあります。
それを私たちに気づかせるために、道化師やトリックスターたちは暗躍しているのです!

トリックスターとは、神話の世界や、文化人類学の研究対象の中にいるのではなく、現実の人間として存在するということをフレディは教えてくれました。
私たちは20世紀のトリックスターを実際に目撃したのです!

トリックスターを目撃
見たにゃ。


8月から4ヶ月にわたって書いてきましたが、一応の結論に達したので、ここで一区切りにしたいと思います。
また何かあれば書きます。
1月26日のクイーンのコンサートには行きます。
44年ぶりにブライアンとロジャーに会えるなんて!

それでは皆さま良いお年を!



エンターテイメントと3S政策について

フレディはエンターテイナーである。
エンターテイメントとは娯楽のことであり、スポーツやコンサート、舞台演劇などを指します。
スポーツが娯楽に入っているというのも驚きですが、エンターテイメントの範囲は広く、歌やダンスからマジック、お笑い、映画、アニメ、テレビのバラエティ番組、音楽番組、TVドラマ、演劇、サーカス、ゲーム、遊園地、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット、プラモデル、小説、漫画、ギャンブルなど、実に様々なジャンルに渡って、私たちの生活に浸透しています。

ところで「3S政策」のことはご存じでしょうか?
3S政策とは、「Screen(スクリーン=映画鑑賞)、Sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、Sex(セックス=性産業)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民化政策である」とされています。(Wikipedeaより)
これはアメリカの日本占領中に行われた政策とされていますが、見たところ、戦後もずっと続いていると思われます。
他には韓国で行われたとされますが、欧米の若者たちも全く同じ3Sに侵されているように見えます。

この政策により、日本では性風俗が開放され、映画やエンターテインメントが興隆し、プロ野球が国民的娯楽となりました。
3Sに目を向けさせることにより、民衆が感じている社会生活上の様々な不安や、政治への関心を逸らさせて、大衆を自由に思うがままに操作し得るとされます。簡単に言えば「ガス抜き」政策のこと。
これにより日本は「一億総白痴化した」と言われます。

3Sのうち、スクリーン(映画)により、悪者が退治され、正義が勝つシーンを見せられれば、世の中への不満が解消される疑似体験となって、社会悪に対する不満が薄れ、社会に隷属させることができると考えられました。
スクリーンには映画の他、テレビやビデオも含まれ、今ではUtubeも大活躍です。
テレビの音楽番組やMTVをはじめとするミュージックビデオも、もちろん若者を洗脳する装置として機能します。
洗脳の目的とは、政治や経済から民衆の目を逸らさせることです。

3Sのスクリーン鑑賞、スポーツ観戦、セックス産業と、エンターテイメントは殆ど重なっており、同じものだと言えます。
エンターテイメントには映画、音楽、スポーツ、性産業も含まれています。

フレディは音楽産業のエンターテイナーです。
彼は決して政治的な発言をすることはなく、「政治のことは専門家に任せておけばいいよ」と言っていました。
この発言は、多くの若者に影響を与えることでしょう。
日本でも、選挙には行かない、選挙に行っても仕方がないと言う若者はよく見かけます。
フレディは音楽産業のスターとして、図らずも3S政策の先導者としての役割をも担ってしまったのです。
これはフレディが意図したものとは思えず、結果的にそうなってしまったのかもしれません。
フレディ、エンターテイナー

フレディは音楽を愛し、ただひたすらに音楽をやりたかった。
そして音楽に政治は持ち込まず、切り離していました。
一方、フレディがミュージシャンとして活躍するための場所を提供する側があり、レコード会社やマネージメントを行なう音楽産業サイドでは、フレディに対してどのような要求または誘導を行ったのかはわかりません。
フレディは自分の恋愛体験を歌にして歌いたかった。
それは3S政策側としては願ってもないことで、3Sとしては、民衆の男性にはセックスを与え、女性には恋愛の夢を与えることで、人間が考える頭を奪うことが目的だったからです。
フレディは飛んで火に入る夏の虫だったのかもしれません。
フレディ自体、音楽産業の中でドラッグやセックスが自由になり、3Sに洗脳された被害者であり、同時に3Sのスターとなって人々に影響を与える存在になったのかもしれません。

そのように考えると恐ろしいことですが、これは何も隠された秘密ではなく、普通にWikipediaに載っていますので、誰の目にも明らかなものであり、周囲の状況を見渡してみれば、いかに3Sが浸透しているかを確認することができます。
ちなみにインターネットやUtubeも愚民化の道具なので、どうぞ気をつけてください。

そうした事実があるにしても、音楽は音楽!
誰かの思惑には関係なく音楽のスピリットは存在し、私たちは貴い音楽を宝物として持っています。
誰にも侵されることのない神聖なる音楽空間を胸に、私たちは生きていこう!


フレディは道化師を演じ続けた

そろそろフレディ・マーキュリーの正体について書きたいと思う。
結論から言って、フレディは「道化師」である
フレディは初期の頃から一貫して、道化師の衣装を着用していた。
最も早い時期と思われるものがこれ。
フレディ道化師1

道化師の歴史は、5世紀のエジプトまで遡ることができる。
ローマ帝国でも、富裕者は道化を雇い、祝宴の席で余興をやらせていた。
イギリスやフランスでも、王家や貴族は道化師を抱えていた。
道化師は、特権階級を楽しませるエンターテイナーであり、また愚か者のふりをすることで、王の欠点を笑い者にするようなことまでも、自由にものを言うことができた。
王は絶対であり、影の部分があってはならないので、道化師は王の影の部分を引き受けるスケープゴートであったとされる。

道化師は王様よりも強いので、悪魔や神様と取引した人と言われ、死神や怪物の姿で描かれることがある。
王より強い道化師は最強であり、ゲームを逆転させる切り札、つまりジョーカーであり、死をも恐れない愚か者として王を批判した。
本来は周囲を楽しませる存在である道化に対し、恐怖の対象としての道化もあり、そのような道化師を殺人ピエロ(キラークラウン)と呼ぶ。このあたり、キラークイーンの参考となったのではないか?

ピカソが描いた道化師。
明らかにフレディのモデルになっている。
ピカソの道化師

フレディのダイヤ柄

道化師には、身体障害者(小人など)や精神薄弱者が道化として雇われる場合と、障害が無い人間のケースがある。
中世以前のヨーロッパでは、障害児は純粋で「無意識の知恵」を持っているとされ、大事に扱われていた。
フレディは障害はない人間だが、白人の中で異人種であったことや、性的指向のことなど、どこか自分をアウトサイダーと感じていたのだろうか?
道化師は人を楽しませる存在だが、人から笑い者になる存在でもある。
フレディも自分を笑い者にすることを厭わない性質があったと思われるが、どこか自虐的である。

フレディが道化師の衣装を着るようになったのは、ニジンスキーの影響によると思われる。(バレエの項参照)
ニジンスキーは自らを「神の道化として踊る」と語ったが、次第に精神を病んでしまった。
「神の道化」とは、神を楽しませるという意味で、まさか神を告発するようなことはないだろう。
フレディは聴衆を楽しませるために自らを道化として表現したものであり、イギリスの統治者や時の政権を批判するようなことはなかった。
道化師になれば、世間の常識に捉われず、社会のタブーをも破って発言することができる。
フレディが言いたかったことは、社会的な慣習(人種差別など)や宗教的伝統、そして男女間の一夫一婦制などに対して異議を唱えることだったのではないか?

黒白ダイヤ

この後、フレディ作の1984年の「It`s A Hard Life」(永遠の誓い)では、イントロがレオンカヴァッロのオペラ「道化師」のアリア、「Vesti La Giubba」をベースとしている。
やはり「道化師」にこだわりが見られる。

そして1987年の「グレートプリテンダー
これぞフレディという曲の歌詞に、道化師が登場する。
klown(道化師)とkrown(王冠)の韻を踏んでいる。

「いいよ、成りすましで結構じゃないか
道化師のように、明るく笑おう
本音がどうであろうと、僕は見た目通り
泣きそうな心を無理に装って
王冠を乗せたかのように、華やかに」

そして最後の頃のPVに再び道化師の姿で現れる。
1991年の「狂気への序曲」。
これが道化師なのか実は定かではないが、道化師であるとする解説もある。
すでに病状が進んでいたが、フレディの動きはコミカルで良く研究されており、喜劇王のチャップリンを思い起こさせる。
チャップリンはアメリカから追放された時、「私は道化師であり続ける」と言った。
チャップリンの記念館は、フレディが愛したモントルーの近くにある。
それにしてもお美しい。このビデオの笑顔は最高だ。
狂気への序曲

「狂気への序曲」が収録されているのは、フレディ存命の最後のアルバム「イニュエンドウ」だが、
そのアルバムジャケットには、19世紀フランスの風刺画家グランヴィルの「Jaggler of Universe」が使われている。
ジャグラーとは大道芸人であり、ペテン師とも言われるが、宮廷道化師も含まれている。
やはり最後まで徹底的に道化師にこだわっていたのだ!
イニュエンドウ

フレディは初期から最後まで、道化師を演じていた
それがわかって、やっと私は「メイド・イン・ヘブン」の歌詞を理解することができるようになった。
「メイド・イン・ヘブン」(天の配剤)では、フレディが自分の役割を演じていると言っている。
そしてそれは誰の目にも明らかなんだと言う。
1985年発表の作品なので、まだ病気はわからなかった頃。
フレディの役割とは「道化を演じること」だったのだ!
フレディは初期からダイヤ柄の道化師の衣装を着ていたのだから、誰の目にも明らかだったのだ。

「自分の役割を演じ、目的を探し求めてる
みじめさだって受け入れて、魂の糧にしよう
僕の運命、神の望み、すべての事柄には意味がある
僕の運命、神の望み
誰もが皆、僕にそう言うんだ、ほらごらん
本当に正しいよ、簡単な事なんだよ
誰もが、誰もが、誰もが教えてくれる
単純なこと、そして正しいこと
星に記されていたんだよ」 ←これは占星術のこと。

フレディは20年弱の活動期間中、一貫して道化師を演じていた。
それは大衆を楽しませるためでもあったが、世の中の常識や規範を、それでいいのか? あなたはそのままでいいのか?と問いかけ続けていたと言える。
道化師は人の短所や欠点を突いてくる。
その不快な問いかけに対して、私たちはどのように立ち向かうのか?
フレディが仕掛けたゲームは続く。
これこそが皆が参加する「Show must go on」ゲームなのだ。






プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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