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「神の道化」ニジンスキーはフレディの理想の人・その2

フレディは1979年に、英国ロイヤルバレエ団の誘いを受け、短期間でバレエの特訓をし、ついにバレエ団の舞台に立ちました。
バレエ好きのフレディにとって、これはどんなにか嬉しかったことでしょう!
踊りながら「ボヘミアン・ラプソディ」を歌うのですが、なんと逆さ吊りにされたまま歌うシーンもありました。
まあヨガもやっているから、逆立ちには慣れているのかな。
これは私が最も好きなフレディの写真のうちの一枚。
フレディがすごく幸せそうだから。
フレディのバレエ


ニジンスキーの他に、もう一人の重要なバレエダンサーがいます。
ルドルフ・ヌレエフ(1938〜1993)。
ヌレエフという名前は、アラビア語の「ヌーリー(光の)」をロシア風に変えたもので、親族は中央アジア系のタタール人だという。
2019年にヌレエフの映画「ホワイトクロウ」が公開されましたが、まだで見ていないので、ぜひ見たいと思っています。
ヌレエフ

シベリア鉄道の中で生まれたヌレエフは、17才でロシアの名門校ワガノワ・バレエ学院に入り、ソリストとしてマリインスキー・バレエに入団。ニジンスキーの再来と言われました。
1961年にイギリスへ亡命し、ロイヤルバレエ団でマーゴ・フォンテインとペアを組み、伝説のパートナーシップと言われました。
ヌレエフ2
バレエでは半裸は当たり前。
フレディだけではないですよ。

フレディがロンドンへやって来た1964年頃には、ヌレエフはウィーンへ拠点を移してしまうのですが、同時代を生きていたヌレエフは、フレディの憧れの的だったと思います。
ネットでは、フレディとヌレエフの交際が噂されたり、一緒に踊ったことがあると書かれているものもありますが、裏付けは取れていません。
二人の交際については否定的な意見が多いようですが、全く可能性がないわけではなく、もし二人が絶対に隠していたのならば、その事実が明らかになることはないでしょう。

フレディが亡くなって2年後、1993年にヌレエフもまたエイズで亡くなりました。54才でした。
ニジンスキー、ヌレエフ、フレディ・・・有り余る才能のある人は、あまりにも神に愛されているのでしょうか?


1984年になって、クイーンの「自由への旅立ち(I Want to Break Free)」のPVの中で、フレディはニジンスキーの「牧神の午後」の衣装をまといます。
牧神の午後

このモーモータイツもお気に入りだったのですね。堂々たるものです。
モーモータイツ

1985年の「Living on My Own」のPVでも、ニジンスキーの白黒ダイヤ柄タイツを着用しています。
フレディにとってニジンスキーは、人生の道標だったのではないでしょうか?

フレディはクラシック音楽やオペラやバレエも好きでした。
そんなロックミュージシャンていますか?
私もフレディと一緒にオペラやバレエを観に行きたかったな。
でもフレディは男娼を連れてきて、にやりと笑うかもね。
やれやれ。
背広のフレディ
それが何か?

ちなみに、フレディのお辞儀はレヴェランスと言い、シェイクスピアなどヨーロッパの古典演劇で、劇中の人物が挨拶したり、演劇が終わった時に役者が観客に挨拶をする時のものだそうです。
バレエではないようですが、バレエをやっている人から見ると、フレディの手の動きは、確かにバレエを練習した人の動きになっているそうです。

2020年3月に、パリ・オペラ座バレエ団が来るので、チケットを買いました。
4月のベジャールのチケットも、抽選申し込みをしています。
5月の「バレエ・フォー・ライフ」も楽しみですね。

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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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