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フレディが最後に買ったティソの絵

1991年、フレディは最後の絵を買いました。
1836年生まれのフランスの画家、ジェームズ・ティソの絵です。
ティソは普仏戦争を経てパリ・コミューンに参加した後、ロンドンへ渡り、多くの作品を制作しました。
10年後にパリへ戻り、風俗画が成功し、流行画家となります。
しかし死後は次第に忘れられた存在となり、また近年になって評価が高まっています。

ティソの絵を見て、私は驚きました。
今までにこのブログで取り上げたテーマが多いのです。
たとえば「公園のファウストとマルガレーテ」
ファウストは悪魔と契約して若さを手に入れ、マルガレーテと関係を結びますが、やがて悲劇となり・・・マルガレーテは天国へ。
「永遠にして女性的なるものが、われらを引く上げてくれる」という言葉で幕を閉じます。
フレディは「伝説になる!」と決意し、最後に「マザーラブ」へ辿り着きました。
ファウストとマルガレーテ

放蕩息子の帰還
人生の真の目的を忘れ、放蕩の限りを尽くした息子を温かく迎える父親。
人間の魂の遍歴を表しています。
フレディも放蕩をしたけれど、最後はガーデンロッジで満足な暮らしをしました。
ティソ放蕩息子の帰還

「花瓶を持つ日本の女性」
日本の陶磁器については昨日書いたばかりでした。
ティソは日本の美術品を最も早く収集し始めた西洋人でもあります。
日本の美術を西洋へ紹介した人です。
1868年のパリ万博で、日本代表として来ていた徳川明武公(徳川慶喜の弟)の肖像画を描いています。
フレディもティソの絵から、日本の美術に興味を持ったのかもしれません。
フレディは伊万里焼きのコレクターになりました。
花瓶を持つ日本の女性

そして注目なのは、この「浴室のラ・ジャポネーズ
このモデルは体格が良く、明らかに日本人ではありません。
何か日本に対する誤解があるように思いますが、これが西洋から見た(想像した)日本なのでしょう。
ジャポニスムについては、以前にこのブログでも取り上げました。
浴室のラ・ジャポネーズ
この絵がフレディのステージ衣装に影響を与えていないでしょうか?
1975年の日本ツアーで買ってきた着物で、その年のクリスマスにハマースミスで行なったコンサートのアンコール中、ストリップを演じたあの着物です。
フレディの着物
これは花嫁衣装でしょう。
日本人が見ると、とんでもない映像ですが。
これがこうなって。
フレディのストリップ
あれ? ハマースミスでは、着物の下は白いシャツだったかな?
それじゃこれはどこ?

とにかくティソは、ジャポニスムについてフレディに強い影響を与えたと考えられます。
そしてフレディが最後に買った絵が、このティソでした。
よほど好きだったのでしょう。
ジム・ハットンの本によると、クリスティーズで見つけたティソの絵は、ティソの愛人キャスリーン・ニュートンの肖像画で、ボンネットをかぶり、左手を頬に当てているという。
実物は確認できませんでしたが、このような絵でしょうか。
ティソのボンネット
フレディはキャスリーンの絵に16万ポンドを出したそうです。
16万ポンドは今のレートで2250万円!
1991年春のポンドは240円ぐらいだっので、何と3800万円!
それほど気に入ったのですね。
でもジム・ハットンは、その絵は不幸の絵だったと言っています。
なぜなら絵の中のキャスリーンは不治の病にかかっていて、この絵が完成した後まもなく亡くなったからです。
これが「肘掛け椅子のキャスリーン・ニュートン」
肘掛け椅子のキャスリーン・ニュートン

フレディはおそらく若い頃からティソの絵を見て、ジャポニスムの影響を受け、ステージ衣装にも着物を取り入れていました。
そして最後に買ったのもティソの絵。
女性の肖像画でした。
フレディはその女性から何を感じたのでしょうか?
最後の録音「マザーラブ」を歌った頃です。
ゲーテの「永遠にして女性的なるものが、われらを引き上げてくれる」ことを思ったのでしょうか。






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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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