無償の愛について。
フレディは愛を求め、愛を歌いましたが、人間の感情的な愛は有限のものです。
それに対して、限りのない愛、見返りを求めない愛は「無償の愛」。
母親が子供に注ぐ愛は、無償の愛だと言われます。
条件付きの愛ではないので、ありのままで100パーセント受け入れられる愛のこと。
無償の愛は、いくら分け与えても全く減らない愛でもあります。
フレディはきっとそのような愛を求めていたのでしょう。
ママを吊し上げたり(タイ・ユアマザー・ダウン)、殺人を告白したり(ボヘミアン・ラプソディー)しながら、最後に行き着いたのは「マザー・ラブ」母なる愛でした。
歌詞の中にあるママは、現実の母親に重ねた大いなる「母なるもの」でしょうし、太古の女神だったのかもしれません。
「母の中に帰りたい」というのは、生まれる前の世界、静かなやすらぎの世界に戻りたいという願望でしょう。
母とは、大地母神やグレートマザー、またはガイア(地球)のことかもしれません。
フレディの一生の中には、周囲に興味深い人物が多々見受けられます。
ジム・ハットンもその一人で、数奇な運命を辿った人物ではあります。
ジム・ハットンがフレディと共に過ごした6年ぐらいのうち、4年半は闘病生活だったわけですから、病気の憂いのない時期は思いのほか短かかったことになります。
とくに最後の頃は看病に明け暮れる毎日で、最愛の人が病気に蝕まれていく様を見続けなくてはならない、まことに辛い日々でした。
ジム・ハットンとフレディの関係は平穏なものではなく、常に他の恋人の影もちらつくし、影どころではなくフレディが恋人を家に連れてくるし、痴話喧嘩はするわ、フレディに「出て行け!」と言われたこともあるし、裏切り者の嫌疑をかけられたこともある。
それでも別れなかったのは、ひとえにジムの人徳のなせるわざ。
私だったら、とっくに別れてます、ハイ。(情けない・・・)
フレディはジムに喧嘩をふっかけて、愛情を試していたのですね。
フレディはジムと「戦っていた」と言っていましたが、恋人と戦わないでね!

そしてジムという人間が、とりわけ光り輝いて感じられるのは、フレディが病気を告白した時。
フレディが「きみは自由に出て行っていいんだよ、ドアは開いているから」と言うと、ジムは「出ていくなんてことはない。ずっときみの側にいるよ」と言います。
これってすごくないですか!?
当時、エイズは治療法がなく、死に至る病として恐れられていました。
もし自分の恋人や配偶者がそのような病になったら、あなたならどうしますか?
当時は病院でも、医療関係者が感染を恐れて、治療から逃げることもあった時代です。
自分にも感染の恐れがあり、死ぬかもしれないというのに、ジムはフレディの側にいることを選んだのです。
これこそが自分よりも相手の幸せを願う「無償の愛」なのです!
ジムは「無償の愛」を実践したことで、精神的に大きく成長したことでしょう。
ジムは案の定、病気に感染していましたが、そのことを1年ぐらいフレディには隠していました。
それはもし事実を伝えれば、フレディが感染させたことで自分を責めるだろうから、彼を苦しめたくなかったため。
そこまで気配りができるというのは、相当に人間が出来ていると思うし、本当にフレディを愛していたのでしょう。
ガーデンロッジでは、まさに愛と死のメロディーが奏でられていたのです。

フレディの死により、ジムは悲哀のどん底に突き落とされ、孤独の淵をさまよいました。
この時もジムの寂寥を癒してくれたのは、2匹の猫だったといいます。
そして数年後、とてつもない僥倖がジムのもとに訪れます。
エイズの治療薬が開発されたのです。
フレディの死を看取ったジムは、自分も同じように衰えて死ぬことを覚悟していたはずですが、ここで予想だにしなかった逆転ホームランが起こり、文字通り起死回生を果たしました。
きっとジムはこの幸運を神に感謝し、フレディには救いの手が届かなかったことを無念に思ったことでしょう。
それから10年以上を生き延びたジムは、故郷のアイルランドへ戻り、フレディの思い出とともに穏やかな人生を送ったようです。
人生において、これほどの幸福と衝撃と悲哀と安堵と諦念を感じた人というのも珍しいのではないでしょうか。
話は変わって、スペインの作曲家で、グラナドスという人がいます。
彼は愛妻家で、1916年のアメリカ演奏旅行にも妻を帯同していました。
演奏旅行は成功し、船で帰路に着いたのですが、ロンドン経由で英仏海峡を航行中に、ドイツ潜水艦による魚雷攻撃を受け、夫妻はその犠牲になってしまいました。
この時、グラナドスは救命ボートに救い上げられるところだったのに、波間に溺れる妻を見て、助けるために海に飛び込み、そのまま二人はもつれ合うように暗い海の中へ消えていったという。
グラナドスは48才でした。

自分の身の安全を顧みず、妻を助けるために海に飛び込み、命を落としたグラナドス。
結果的には妻を助けることはできませんでしたが、これも「無償の愛」だと思います。
もしあなたの恋人や配偶者が海で溺れていたら、あなたは海に飛び込みますか?
または子供やペットだったら飛び込みますか?
「無償の愛」とは、仏教では「慈悲の心」と言われます。
慈とはいつくしみ、悲とは同情、あわれみです。
要するに、人にはなるべく優しくしましょう! ということですね。
「無償の愛」とは、宇宙にあふれる生命エネルギーのことでもあります。
このエネルギーに触れると、活力と幸福感が得られ、周りの人たちにも放射することができるようになります。
私たちは本来は孤独ではないし、満たされた存在です。
ただそれを思い出しさえすればいいのですけどね。
フレディは愛を求め、愛を歌いましたが、人間の感情的な愛は有限のものです。
それに対して、限りのない愛、見返りを求めない愛は「無償の愛」。
母親が子供に注ぐ愛は、無償の愛だと言われます。
条件付きの愛ではないので、ありのままで100パーセント受け入れられる愛のこと。
無償の愛は、いくら分け与えても全く減らない愛でもあります。
フレディはきっとそのような愛を求めていたのでしょう。
ママを吊し上げたり(タイ・ユアマザー・ダウン)、殺人を告白したり(ボヘミアン・ラプソディー)しながら、最後に行き着いたのは「マザー・ラブ」母なる愛でした。
歌詞の中にあるママは、現実の母親に重ねた大いなる「母なるもの」でしょうし、太古の女神だったのかもしれません。
「母の中に帰りたい」というのは、生まれる前の世界、静かなやすらぎの世界に戻りたいという願望でしょう。
母とは、大地母神やグレートマザー、またはガイア(地球)のことかもしれません。
フレディの一生の中には、周囲に興味深い人物が多々見受けられます。
ジム・ハットンもその一人で、数奇な運命を辿った人物ではあります。
ジム・ハットンがフレディと共に過ごした6年ぐらいのうち、4年半は闘病生活だったわけですから、病気の憂いのない時期は思いのほか短かかったことになります。
とくに最後の頃は看病に明け暮れる毎日で、最愛の人が病気に蝕まれていく様を見続けなくてはならない、まことに辛い日々でした。
ジム・ハットンとフレディの関係は平穏なものではなく、常に他の恋人の影もちらつくし、影どころではなくフレディが恋人を家に連れてくるし、痴話喧嘩はするわ、フレディに「出て行け!」と言われたこともあるし、裏切り者の嫌疑をかけられたこともある。
それでも別れなかったのは、ひとえにジムの人徳のなせるわざ。
私だったら、とっくに別れてます、ハイ。(情けない・・・)
フレディはジムに喧嘩をふっかけて、愛情を試していたのですね。
フレディはジムと「戦っていた」と言っていましたが、恋人と戦わないでね!

そしてジムという人間が、とりわけ光り輝いて感じられるのは、フレディが病気を告白した時。
フレディが「きみは自由に出て行っていいんだよ、ドアは開いているから」と言うと、ジムは「出ていくなんてことはない。ずっときみの側にいるよ」と言います。
これってすごくないですか!?
当時、エイズは治療法がなく、死に至る病として恐れられていました。
もし自分の恋人や配偶者がそのような病になったら、あなたならどうしますか?
当時は病院でも、医療関係者が感染を恐れて、治療から逃げることもあった時代です。
自分にも感染の恐れがあり、死ぬかもしれないというのに、ジムはフレディの側にいることを選んだのです。
これこそが自分よりも相手の幸せを願う「無償の愛」なのです!
ジムは「無償の愛」を実践したことで、精神的に大きく成長したことでしょう。
ジムは案の定、病気に感染していましたが、そのことを1年ぐらいフレディには隠していました。
それはもし事実を伝えれば、フレディが感染させたことで自分を責めるだろうから、彼を苦しめたくなかったため。
そこまで気配りができるというのは、相当に人間が出来ていると思うし、本当にフレディを愛していたのでしょう。
ガーデンロッジでは、まさに愛と死のメロディーが奏でられていたのです。

フレディの死により、ジムは悲哀のどん底に突き落とされ、孤独の淵をさまよいました。
この時もジムの寂寥を癒してくれたのは、2匹の猫だったといいます。
そして数年後、とてつもない僥倖がジムのもとに訪れます。
エイズの治療薬が開発されたのです。
フレディの死を看取ったジムは、自分も同じように衰えて死ぬことを覚悟していたはずですが、ここで予想だにしなかった逆転ホームランが起こり、文字通り起死回生を果たしました。
きっとジムはこの幸運を神に感謝し、フレディには救いの手が届かなかったことを無念に思ったことでしょう。
それから10年以上を生き延びたジムは、故郷のアイルランドへ戻り、フレディの思い出とともに穏やかな人生を送ったようです。
人生において、これほどの幸福と衝撃と悲哀と安堵と諦念を感じた人というのも珍しいのではないでしょうか。
話は変わって、スペインの作曲家で、グラナドスという人がいます。
彼は愛妻家で、1916年のアメリカ演奏旅行にも妻を帯同していました。
演奏旅行は成功し、船で帰路に着いたのですが、ロンドン経由で英仏海峡を航行中に、ドイツ潜水艦による魚雷攻撃を受け、夫妻はその犠牲になってしまいました。
この時、グラナドスは救命ボートに救い上げられるところだったのに、波間に溺れる妻を見て、助けるために海に飛び込み、そのまま二人はもつれ合うように暗い海の中へ消えていったという。
グラナドスは48才でした。

自分の身の安全を顧みず、妻を助けるために海に飛び込み、命を落としたグラナドス。
結果的には妻を助けることはできませんでしたが、これも「無償の愛」だと思います。
もしあなたの恋人や配偶者が海で溺れていたら、あなたは海に飛び込みますか?
または子供やペットだったら飛び込みますか?
「無償の愛」とは、仏教では「慈悲の心」と言われます。
慈とはいつくしみ、悲とは同情、あわれみです。
要するに、人にはなるべく優しくしましょう! ということですね。
「無償の愛」とは、宇宙にあふれる生命エネルギーのことでもあります。
このエネルギーに触れると、活力と幸福感が得られ、周りの人たちにも放射することができるようになります。
私たちは本来は孤独ではないし、満たされた存在です。
ただそれを思い出しさえすればいいのですけどね。
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