フレディはリベラルな生き方を貫いた人ですが、リベラルについて考えてみます。
「リベラル」とは自由な社会を目指す運動のことで、リベラリズムは「自由主義」、リバティは政治的な自由を意味します。
自由主義は18世紀の啓蒙思想から始まり、18世紀半ばにはイギリスで産業革命が起こります。
産業革命は、科学技術の革命であり、知識革命でもありました。
産業革命後の18世紀半ばから20世紀初頭までが「前期近代」で、科学技術による豊かさの追求が行われました。
ヨーロッパ列強は植民地を次々と広げ、富を蓄積していきました。
日本も帝国主義となり、朝鮮半島と台湾を植民地化します。
2度の世界大変を経て、米ソは大量の核兵器を保有したことで、もはや大国間の戦争は不可能になりました。
そこで国家の存在意義は、領土の拡張から経済成長へと移行し、国民の豊かさがもたらされるようになりました。
これが「後期近代」であり、「福祉国家の誕生」です。
第二次世界大戦後の豊かさを背景に、人々の価値観は大きく変わりました。
それが「私の人生は私が自由に選択する」です。
中世や近世はもちろん、日本では戦前まで「人生を選択する」などということは不可能でした。
長男は家業を継ぎ、次男は家を出て働き、女の子は親が決めた相手と結婚するに決まっていたのです。
ところが1960年代になると、自分で職業を選び、好きな相手と結婚し、自由に生きることができるようになったのです。
これは人類史上かつてなかった巨大な変化なのです!
社会が自由化されていくと、1960年代末のアメリカで、ベトナム反戦運動、公民権運動、そしてフラワームーブメントが起こりました。
フラワームーブメントとは、セックス・ドラッグ・ロックンロールのヒッピーカルチャーのことを指します。
若者は旧来の常識的な生き方を嫌い、自由で革新的な文化を作り出しました。
リベラリズムとは、もともと宗教や権威からの自由を求める思想だったので、60年代アメリカのカウンターカルチャーは、それを更に推し進めたものと考えられます。
女性の権利も躍進し、それまでは男性の「所有物」だった女性に、選挙権と財産権が認められ、ついにフェミニズム運動となって広がりました。

現代の社会は、リベラル化が進んでいます。
リベラルな社会は、人種や民族、国籍、性別、宗教、年齢、障害の有無などによる差別を認めません。
それらは本人の意思や努力では変えられないものだからです。
だからリベラルは、人種差別(アパルトヘイト)を許されない悪とし、ゲイ解放運動に賛同します。
すべての人が「自己実現」の権利を持つと考えるからです。
リベラルはLGBTや同性婚を支持します。
それは「異性を愛するのも同性を愛するのも個人の自由で、誰と結婚しようとあなたの勝手」と考えるからです。
1960年代のアメリカでは、誰にでも平等に自己実現の権利があり、それと同時に自己責任があるという考え方が広まりました。
それが「自己啓発」として発展し、「自分探し」をする人々が増えました。
そしてついに「人に迷惑をかけなければ何をやってもいい」という人々が現われましたが、果たしてそうでしょうか?
自由平等な社会で、国籍や国境を越え、宗教や性別も越えて、好きなようにフリーセックスに興じた人たちがエイズの洗礼を受けたのは何故なのでしょうか?
アメリカでは1981年に保守派のレーガンが大統領になると、「リベラルは敗北した」と言われました。
しかしリベラルは敗北せず、ニューエイジ思想に漬かったヒッピーだったジョブスが、シリコンバレーのヒーローとなりました。
今のシリコンバレーは1960年代のヒッピーカルチャーを引き継いでおり、ヒッピー的なライフスタイルを取り入れた若い富裕層が「ブルジョア・ボヘミアン」と呼ばれています。
彼らはカジュアルな服装で、フリーエージェントとして好きな仕事をし、自然を愛し、テクノロジーによる「より良い未来」を信じています。
(橘玲氏の資料による)
こうした時代の流れの中で、フレディの生き方と功績を見直してみましょう。
フレディの生き方は、徹底したリベラルです。
人種や民族、国籍、宗教、性別、年齢を超える生き方をし、ゲイ解放のアイコンとなりました。
古い宗教に捉われず、革新的な音楽で世界中の人々を魅了し、ロックスターとなりました。
ロックは反権力、反戦平和を求める音楽で、リベラルの象徴とも言える若者文化の最先端でした。
フレディも「自分の人生は自分で決める」と言っていますが、これこそがリベラルの真髄です。
リベラルな社会では、豊かさにより自由を得た人々が自己実現を目指します。
フレディは最大限に「自己実現」を果たした人となりました。
フレディは私たちに、自分が何を成すべきかという問いかけを投げてきます。
リベラルを追求したフレディは、リベラルに敗れたけれど、そのことによってきっと私たちに何かを教えようとしているのでしょう。

現代の社会は、「知識社会化」「リベラル化」「グローバル化」が進んでいます。
テクノロジーの発達によって、豊かな「知識社会」になると、優秀な頭脳を持つ人に有利な世の中になり、知識による格差が生まれるようになりましたが、
一人一人の自由な意思によって自己実現を目指すようになり、社会はますます「リベラル化」が加速します。
進化したテクノロジーにより、国境を越えた人・モノ・カネの移動が可能になり、世界が「グローバル化」しています。
クイーンは1970年代から、すでにグローバルな活動をしていましたが、インターネットの登場により、近年ではますますグローバルな販売網が発展しています。
もうすぐCDを買う人はいなくなるかもしれないので、最後のCD大売り出しをやっているかのようです。
(すでにミュージシャンがCDを製作して販売する方法は無くなりつつあります)
現在は、最先端のテクノロジーを開発する少数の知識層(シリコンバレーの起業家など)に、莫大な富が集中していますが、
これから2045年ぐらいにシンギュラリティに到達すると予測されています。
シンギュラリティとは、簡単に言えば人工知能が人間の知能を超える特異点のこと。
これは第4次産業革命ともいわれて注目を集めています。
これから単純な作業や労働は、機械にとって代わられていきますが、人工知能は人間を凌駕してしまうのでしょうか?
かつては力の強いものが勝利し、沢山の獲物を取れる人が尊敬される時代がありました。
それからは財力や知力がものを言う時代になり、現在は学校で頭に知識を詰め込み、高い学力を身につけたものが有利な就職先を獲得できて、安定した収入を得られる世の中になっています。
ところがこれからは知識を記憶することは機械の方が得意なので、人間が知識を蓄積する必要はなくなり、このままの学校教育では大学を出ても就職先が見つからないことになってしまいます。
それで現在、世界中の教育者たちは、子供達に何を、どのように教えたら良いのか困惑し、苦悩しているのです。
楽観的な見方もあります。
齊藤元章氏によると、単純な労働は機械に任せれば、自由になった時間で人間は創造活動に邁進することが可能になり、その結果、各個人の創作はネット上に集合地として蓄積され、現在の芸術を越えた、はるかに独創的なものや、新しい価値観が創り出される可能性があるとしています。
2045年問題の彼方、人類はどうなっているのか、私はもう生きていないだろうけれど、私も未来のことを考えています。
今の人間の知性が最高の価値を持たなくなった世界。
それは左脳だけの知性だけではなく、右脳も活性化した知性であり、感性と創造性が豊かに発揮されながら、人間は新しい知性へと発展していくのではないでしょうか。
新しい知性とは、かつて失われた知性を取り戻すことなのかもしれません。
「リベラル」とは自由な社会を目指す運動のことで、リベラリズムは「自由主義」、リバティは政治的な自由を意味します。
自由主義は18世紀の啓蒙思想から始まり、18世紀半ばにはイギリスで産業革命が起こります。
産業革命は、科学技術の革命であり、知識革命でもありました。
産業革命後の18世紀半ばから20世紀初頭までが「前期近代」で、科学技術による豊かさの追求が行われました。
ヨーロッパ列強は植民地を次々と広げ、富を蓄積していきました。
日本も帝国主義となり、朝鮮半島と台湾を植民地化します。
2度の世界大変を経て、米ソは大量の核兵器を保有したことで、もはや大国間の戦争は不可能になりました。
そこで国家の存在意義は、領土の拡張から経済成長へと移行し、国民の豊かさがもたらされるようになりました。
これが「後期近代」であり、「福祉国家の誕生」です。
第二次世界大戦後の豊かさを背景に、人々の価値観は大きく変わりました。
それが「私の人生は私が自由に選択する」です。
中世や近世はもちろん、日本では戦前まで「人生を選択する」などということは不可能でした。
長男は家業を継ぎ、次男は家を出て働き、女の子は親が決めた相手と結婚するに決まっていたのです。
ところが1960年代になると、自分で職業を選び、好きな相手と結婚し、自由に生きることができるようになったのです。
これは人類史上かつてなかった巨大な変化なのです!
社会が自由化されていくと、1960年代末のアメリカで、ベトナム反戦運動、公民権運動、そしてフラワームーブメントが起こりました。
フラワームーブメントとは、セックス・ドラッグ・ロックンロールのヒッピーカルチャーのことを指します。
若者は旧来の常識的な生き方を嫌い、自由で革新的な文化を作り出しました。
リベラリズムとは、もともと宗教や権威からの自由を求める思想だったので、60年代アメリカのカウンターカルチャーは、それを更に推し進めたものと考えられます。
女性の権利も躍進し、それまでは男性の「所有物」だった女性に、選挙権と財産権が認められ、ついにフェミニズム運動となって広がりました。

現代の社会は、リベラル化が進んでいます。
リベラルな社会は、人種や民族、国籍、性別、宗教、年齢、障害の有無などによる差別を認めません。
それらは本人の意思や努力では変えられないものだからです。
だからリベラルは、人種差別(アパルトヘイト)を許されない悪とし、ゲイ解放運動に賛同します。
すべての人が「自己実現」の権利を持つと考えるからです。
リベラルはLGBTや同性婚を支持します。
それは「異性を愛するのも同性を愛するのも個人の自由で、誰と結婚しようとあなたの勝手」と考えるからです。
1960年代のアメリカでは、誰にでも平等に自己実現の権利があり、それと同時に自己責任があるという考え方が広まりました。
それが「自己啓発」として発展し、「自分探し」をする人々が増えました。
そしてついに「人に迷惑をかけなければ何をやってもいい」という人々が現われましたが、果たしてそうでしょうか?
自由平等な社会で、国籍や国境を越え、宗教や性別も越えて、好きなようにフリーセックスに興じた人たちがエイズの洗礼を受けたのは何故なのでしょうか?
アメリカでは1981年に保守派のレーガンが大統領になると、「リベラルは敗北した」と言われました。
しかしリベラルは敗北せず、ニューエイジ思想に漬かったヒッピーだったジョブスが、シリコンバレーのヒーローとなりました。
今のシリコンバレーは1960年代のヒッピーカルチャーを引き継いでおり、ヒッピー的なライフスタイルを取り入れた若い富裕層が「ブルジョア・ボヘミアン」と呼ばれています。
彼らはカジュアルな服装で、フリーエージェントとして好きな仕事をし、自然を愛し、テクノロジーによる「より良い未来」を信じています。
(橘玲氏の資料による)
こうした時代の流れの中で、フレディの生き方と功績を見直してみましょう。
フレディの生き方は、徹底したリベラルです。
人種や民族、国籍、宗教、性別、年齢を超える生き方をし、ゲイ解放のアイコンとなりました。
古い宗教に捉われず、革新的な音楽で世界中の人々を魅了し、ロックスターとなりました。
ロックは反権力、反戦平和を求める音楽で、リベラルの象徴とも言える若者文化の最先端でした。
フレディも「自分の人生は自分で決める」と言っていますが、これこそがリベラルの真髄です。
リベラルな社会では、豊かさにより自由を得た人々が自己実現を目指します。
フレディは最大限に「自己実現」を果たした人となりました。
フレディは私たちに、自分が何を成すべきかという問いかけを投げてきます。
リベラルを追求したフレディは、リベラルに敗れたけれど、そのことによってきっと私たちに何かを教えようとしているのでしょう。

現代の社会は、「知識社会化」「リベラル化」「グローバル化」が進んでいます。
テクノロジーの発達によって、豊かな「知識社会」になると、優秀な頭脳を持つ人に有利な世の中になり、知識による格差が生まれるようになりましたが、
一人一人の自由な意思によって自己実現を目指すようになり、社会はますます「リベラル化」が加速します。
進化したテクノロジーにより、国境を越えた人・モノ・カネの移動が可能になり、世界が「グローバル化」しています。
クイーンは1970年代から、すでにグローバルな活動をしていましたが、インターネットの登場により、近年ではますますグローバルな販売網が発展しています。
もうすぐCDを買う人はいなくなるかもしれないので、最後のCD大売り出しをやっているかのようです。
(すでにミュージシャンがCDを製作して販売する方法は無くなりつつあります)
現在は、最先端のテクノロジーを開発する少数の知識層(シリコンバレーの起業家など)に、莫大な富が集中していますが、
これから2045年ぐらいにシンギュラリティに到達すると予測されています。
シンギュラリティとは、簡単に言えば人工知能が人間の知能を超える特異点のこと。
これは第4次産業革命ともいわれて注目を集めています。
これから単純な作業や労働は、機械にとって代わられていきますが、人工知能は人間を凌駕してしまうのでしょうか?
かつては力の強いものが勝利し、沢山の獲物を取れる人が尊敬される時代がありました。
それからは財力や知力がものを言う時代になり、現在は学校で頭に知識を詰め込み、高い学力を身につけたものが有利な就職先を獲得できて、安定した収入を得られる世の中になっています。
ところがこれからは知識を記憶することは機械の方が得意なので、人間が知識を蓄積する必要はなくなり、このままの学校教育では大学を出ても就職先が見つからないことになってしまいます。
それで現在、世界中の教育者たちは、子供達に何を、どのように教えたら良いのか困惑し、苦悩しているのです。
楽観的な見方もあります。
齊藤元章氏によると、単純な労働は機械に任せれば、自由になった時間で人間は創造活動に邁進することが可能になり、その結果、各個人の創作はネット上に集合地として蓄積され、現在の芸術を越えた、はるかに独創的なものや、新しい価値観が創り出される可能性があるとしています。
2045年問題の彼方、人類はどうなっているのか、私はもう生きていないだろうけれど、私も未来のことを考えています。
今の人間の知性が最高の価値を持たなくなった世界。
それは左脳だけの知性だけではなく、右脳も活性化した知性であり、感性と創造性が豊かに発揮されながら、人間は新しい知性へと発展していくのではないでしょうか。
新しい知性とは、かつて失われた知性を取り戻すことなのかもしれません。
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