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エイズ=生物兵器説

エイズについて。

エイズの起源はどこにあるのであろうか?
エドワード・フーバーによると、エイズの起源についての調査を10年間にわたって行なった結果、1950年代にアフリカで行なわれた経口ポリオワクチンが原因であるという結論に至ったと述べています。

また、ロバート・ストレッカー博士は、アメリカで1970年代末と1980年代初期に行なわれた、B型肝炎ワクチンの試験接種で感染が始まったと言っています。

一般には、アフリカのミドリザルが、他の猿を食べた時に「サル免疫不全ウィルス」に感染し、そのサルを食べた人間にも感染したとされていますが、人間がサルを食べたのでしょうか?
ウィルス学者のノーバート・ラポザは「中央アフリカのザイールで働いていたハイチ人が、1977年までに国へ戻った。ハイチでゲイの国際会議が開かれた時、そこでセックスや麻薬によってウィルスが広がり、ニューヨークやカリフォリニアに持ち込まれた」としていますが、ゲイである皮膚科医のアラン・キャントウェル・Jrは、ハイチでゲイの国際会議が開かれたことはない、と断言しています。

1988年に、日本の分子生物学者が、ミドリザルとエイズウィルスの間には、遺伝子工学上の関連性はないという結論に達しました。
エイズの原因はミドリザルだと公式に発表されると、私たちはそれを鵜呑みにして信じてしまいますが、果たしてそうなのでしょうか?
だいたいミドリザルって何? 緑色なの?
写真を見てみたら、普通の茶色いサルでした。
エイズの起源はわかっていない、ということですね。

アメリカでは1979年にエイズの最初の事例があり、1984年にエイズウィルスが発見されました。
医師たちは未知の恐ろしい病気に立ち向かい、エイズ患者はゲイに多く、ゲイの半分はB型肝炎のウィルスに感染していることを突き止めました。
B型肝炎は性感染症であり、疫学上、一般大衆にとっても危険であったので、B型肝炎撲滅のためにワクチンが開発されました。
1978年11月からB型肝炎ワクチンの試験が始まり、まず1000人以上のゲイが接種を受けました。
すると、1979年1月から紫色の皮膚障害が現れ始め、それから30ヶ月の間に、免疫不全とカポジ肉腫が広がっていったのです。
(1978年11月以前にボランティアで接種を受けた人もいました)

血液サンプルの調査によると、1978年以前には、アメリカにエイズは存在しませんでした。
1978年の試験接種以後に、エイズウィルスが入ってきたのです。
「ドント・ストップ・ミー・ナウ」 1978年
「愛という名の欲望」  1979年
「獄へ道連れ」   1980年
危ない時期ですね。
フレディは1980年代の初めに、ニューヨークに住んでいました。
この時期に感染したのだろうと言われています。
ニューヨークのゲイ・コミュニティーにいれば、B型肝炎についても情報が入っていたことでしょう。
用心深いフレディのことですから、自らワクチン接種に出向いた可能性もあるのではないでしょうか?

1983年には、エイズ患者の93パーセントが、B型肝炎の血液検査で陽性でした。
医師たちは、B型肝炎ワクチンの中にエイズウィルスが混入しているのではないかと恐れました。
ワクチンの接種を受けた212人のうち、1981年には20パーセント以上が、1982年には30パーセントが、そして1984年までには40パーセントもの人たちがHIV陽性になっていました。

エイズがハイチからアメリカに入ったのではなく、ミドリザルが起源ではないとすれば、一体どこからウィルスは来たのでしょうか?
医師のアラン・キャントウェル・Jrは、B型肝炎ワクチンがエイズの原因だと考え、このワクチンを作ったのは国立保健研究所とメルク社であり、この両者は軍隊の生物兵器研究施設と結びつくとしています。
つまりエイズウィルスは、生物兵器であったとする驚くべき説を述べています。
彼は著書の中で、エイズ蔓延の背景には、動物実験や遺伝子工学、生物兵器研究所といった巨大なテクノロジーの利害が関わっていたという疑惑を明らかにしたのです。
エイズの始まりには、根強いゲイ差別と人種差別が潜んでいました。
(アラン・キャントウェル・Jr『エイズの陰謀』)
これまでにエイズで命を落とした人は3600万人のぼります。

ただ、このエイズウィルス生物兵器説で疑問に思うのは、その潜伏期間の短さです。
1979年11月に接種して、1980年はじめから症状が現れるのでは早すぎます。
実際には1979年11月の半年ぐらい前からボランティアで接種した人がいたとのことで、
エイズの潜伏期間は6ヶ月〜15年ぐらいとされるので、あり得ない話ではないのですが。

現在ではエイズの進行を抑える薬が開発されていますが、フレディの頃にはまだ特効薬はなく、AZTという薬剤のみが使われていました。AZTは病気を治癒させるものではなく、延命効果があるとされていましたが、副作用も強いものがありました。
エイズではないのに誤ってAZTを処方された人の報告によると、頭痛、高血圧、絶え間ない脚の痛み(抹消神経障害)に悩まされたということです。
これはフレディをも苦しめた副作用ですから、本当にあと5年フレディが生きていてくれれば、と思わずにはいられません!

1980年代〜1990年代にかけて、エイズで死亡した人たちには、歌手・俳優・映画監督・フィギュアスケート選手・バレエダンサー・ピアニスト・画家・作家・哲学者など、芸術家やアーティストが多くありました。
俳優のロック・ハドソンは、自らの病を初めてカミングアウトした人として有名です。
バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフは、フレディと恋人関係にあったとする説もあり、そうではないという説もあります。一緒に踊ったという記述もありましたが、裏は取れていません。フレディから見ると偉大な憧れのダンサーだったと思います。
アイザック・アシモフ(SF作家)やデレク・ジャーマン(映画監督)、ミシェル・フーコー(哲学者)、キース・ヘリング(画家)など、驚くべき人物たちが並びます。
本当に惜しい人たちが亡くなってしまいました。

性感染症で亡くなった人たちというと、エイズの前には梅毒が流行していました。
シューベルトはわずか31才で死亡。
シューマンは梅毒で神経が侵され、精神病院で亡くなりました。
ゴッホとロートレックは、梅毒による神経症状がひどかったと伝えられます。
ニーチェは脳梅毒が悪化した10年間に精神が亢進し、多くの著作を残しました。
画家のマネは16才の時にブラジルで感染した梅毒が進行し、壊疽になった左足を切断しましたが、予後が悪く、ほどなく亡くなりました。

人間の歴史とは一体何なのか考えさせられてしまいます。
亡くなった方達に感謝と祈りを捧げたいと思います。







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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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