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ピーター・ヒンス『クイーンの真実』

クイーンの真実
ピーター・ヒンスの『クイーンの真実』を読みました。
ラッティことピーター・ヒンスは、長い間クイーンのローディーをつとめた人物です。
とくにフレディとジョンのアシスタントを担当し、フレディがピアノから歌へ移動する時にマイクを渡す人といえば、すぐに彼だとわかりますよね。
ローディは楽器の手入れ、運搬、設置から雑用まで何でもこなしますが、ヒンスはチーフとしてクイーンから信頼されていました。
1973年から1986年までローディでしたから、クイーンの活動の殆どを共に過ごしたことになります。
しかもステージ上の爆音の至近距離にいたのですから、聴力は大丈夫かなと心配になります。
1973年頃に20才だったので、1953年頃の生まれで、フレデイより7才下になりますね。

ヒンスは労働者階級の生まれですが、ロックとアメリカに憧れてローディーの世界に飛び込みます。
ローディーは激しい肉体労働で、重い機材を手で運んだり、トラックに詰め込んだり、空港の税関を通すために長時間待たされたりして、寝不足の過酷な仕事が続きます。
私も他のチームで、トラックの詰め込み作業を見たことがありますが、機材が動かないように、パズルのように隙間を埋めていく技には、本当に感嘆しました!
雇い主のクイーンは飛行機のファーストクラスで移動し、ホテルはスイートルームですが、ローディーはツアーバスの3段ベッドで身を縮めて寝なければなりません。きつい仕事で疲れた体に、汗で汚れた服と、外国での胃腸の不調など、目を覆いたくなるような惨状もあったのですね。
とくに南米で銃声が飛び交ったり、見知らぬ男たちに囲まれて最早これが最後かと思ったり、飛行機が嵐に遭い、大変な乱高下を繰り返したりと、文字通り命がけのツアー行脚だったのでした!

バンドのツアーは珍道中に決まってはいますが、これほど派手にどエライことになっていたとは!
ローディーたちは苦労の連続でしたが、賃金は安く、あまりクイーンから感謝されることもなかったそうです。
クイーンのおかげで世界中を旅行して歩き、酒やドラッグ、そして女の子にもそうとうモテたヒンスですが、次第に彼の心はクイーンから離れ、写真家への道を歩み始めます。
クイーンのステージの裏には、ローディーの作業や照明、音響、会場スタッフ、そしてマネージャーやレコード会社など、じつに様々な人たちが関わっていたのですね!
「フレディ・マーキュリー」という虚像は、みんなで寄ってたかって作り上げたものでもあるわけです。
そしてあまりに肥大した「フレディ・マーキュリー」像に、当のフレディも次第に疲弊していったのかもしれません。

ヒンスは長期にわたってフレディのごく近くにいて、信頼関係があったのですが、あまりフレディの言葉は記録されていないので、会話は少なかったのかもしれません。
フレディはステージ以外では寡黙な方でしたし、一人になることは殆どなく、常に誰かと一緒にいたわけですし。
フレディがロンドンからミュンヘンに来る時、フレディは一人で来られないので、ヒンスがお供をしたこともあったそうです。
ということは、ヒンスはフレディと二人で過ごしたこともあったわけですから、会話もあったはず。それなのにフレディの言葉は何も記されていないので、ヒンスはフレディへの忠誠心から、故意に隠していることがあるのかもしれませんね。

クイーンの側にいたヒンスの記録は、ステージや撮影の裏話がこぼれ出て面白いところがあります。
たとえば、「We will Rock You」のPV撮影は、ロジャーの家の庭で行なわれたものですが、当時はまだ契約したばかりで、家が引き渡されていなかったので、トイレを使わせてもらえなかったとか。 冬で寒かったので、フレディが手袋を所望したが、探してもなかったので、ヒンスが自分のローディー用の手袋を渡したところ、フレディは喜んで着用したので、PVの中でフレディが使用している手袋はヒンスのもの。
また、「You are my Best Friend」のPVでは、フレディがマイクに捕まってだらけた様子なので、酔っ払っているのかと思っていたのですが、あれは実はとても暑い日で、さらにロウソクを沢山つけたので更に暑くなり、クイーンはみんな倒れそうになっていたとのこと。フレディは倒れそうなのでマイクに捕まり、必死に歌っていたのですね! なんて健気なのでしょう。
他にも、ステージに投げ込まれた生卵でブライアンが滑って転んだとか、面白い話が沢山載っています。

ヒンスは「ラッティ」と呼ばれていましたが、ラッティとは「ねずみ」のこと。「ねずみちゃん」ですね。
ヒンスは若くて痩せていて、こまねずみのように良く働いたので、こう呼ばれたのでしょう。
でもちょっと見下した言い方ですよね、ねずみちゃんとは。
ヒンスは会計士や弁護士など中流の人は、自分より上の人だと思っていたそうです。
実際にはクイーンの会計士がお金をごまかしたので、上ではないことがわかったそうですが。
イギリスは階級社会なので、ヒンスが自分は下だと思うなんて、悲しくなってしまいます。
強欲で悪徳な中流人よりも、ヒンスはよほど立派な人間ですよ!
クイーンを離れてから、ヒンスは写真家として自立したので、もともとアートの才能があったのでしょう。
最近ではYouTubeで現在の彼の姿を見ることができます。
クイーンの周辺の、色々な人の生き方を知ることができて面白いですね。
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非公開コメント

No title

この本はネットでの評価が割れていたので買うのを躊躇していましたが、ペリさんの記事を読んで興味がわいて購入しました。
本当に買って良かった❗️❗️私個人の感想ですが、ジムハットンさんの本よりずーっと面白いです。今半分ほど読んだ所ですが、読み進めるのが もったいないくらいです。ブライアンの公私にわたる天然ぶりには必ず笑えます。また、長年一緒に仕事をしてきた間柄だからこそ時にはフレディにも辛辣な事を言うこともあったり、フレディとクイーンの公の部分を支えて来た苦労と喜びと誇りが、ユーモアのある巧みな文章からストレートに伝わって来ます。
残りも楽しんで読みます❗️

Re: No title

aki様
「クイーンの真実」をお読みになったのですね。
世の中にローディという存在を知らせるためにも良い本ですね。
ローディのおかげでバンドは成り立っているのですから、もっと評価されてほしい人たちです。
ヒンスさんは本当に記憶力も良いし、文章も上手ですね。ゴーストライターの手も入っているでしょうけれど。
ヒンスさんは長年クイーンの公的な仕事に関わっていたのに対し、ハットンさんは7年間の私生活物語ですから、だいぶ内容が違いますね。
ヒンスさんはフレディの身近にいたのに、とても会話が少ないことが気になりました。
フレディにとっては、ヒンスは単なるローディに過ぎなかったのでしょうか? マイクを渡してあげたのにねえ。あのタイミングは難しいですよね!
最近のYoutubeでヒンスさんの姿を見ることができて、お元気に色々な仕事をがんばっているので嬉しく思います。
本当に各人それぞれの人生ですね〜

No title

ようやく読了しました。前半はゲラゲラ声を出して笑うほど楽しく読んでいましたが、終盤はラッティさんの置かれた苛酷な状況や徐々にこの仕事から気持ちが離れて行く様子に胸が塞がれるような気持ちになりました。本当にあの素晴らしいライブを支える裏方さん達はもっと報われていいと思うし、感謝されるべきですよね?それでも、ラッティさんの文章からはフレディへの最大限の尊敬と愛情、自分の仕事への誇りが伝わってきます。また、ジョンとはプライベートの時間を一緒に過ごすこともあるほど打ち解けた関係で、自分の悩みとジョンの悩みを重ねていられる所もあったように思われます。恐らくこれ以上頑張れない位に頑張って燃え尽きてしまったのではないでしょうか?体力的にも30台後半になればキツくなってきますしね。
今日(昨日になっちゃった)は35年前にライブエイドか行われた日です。ラッティさんがライブエイドについては、クイーンが最高のパフォーマンスをしたことを喜び、自分の人生の中で最も記憶に残る日の内の一つだと言っていますが、ジョンだって素晴らしいヒット曲を何曲も書いているのにジョンの曲が一曲も入っていなかった事をとても残念というか、寂しい気持ちを持っていた事から、本当に優しいバランス感覚の優れた人なのだなと感じました。
その後クイーンを離れてカメラマンの道を進まれ、結婚もして今でもお元気にされていること、ペリさんと同じく嬉しく思います。そして今、姿を見せてくれないジョンとも連絡を取り合って、当時の事を楽しく語り合ったりしていたらいいな、と思います。

Re: No title

aki様
すばらしい書評をどうもありがとうございます。
本当にaki様の視点は的確で、簡潔な文章の中に大事な要素が包まれていると思います。
若い頃のヒンスさんは痩せていて、いかにもロック兄ちゃんでしたが、今は立派な写真家・実業家になられて本当に良かったですね。
ヒンスさんの中では、たとえクイーンを離れても、ジョンやフレディの思い出が、ずっと鮮やかに生き続けていて、ヒンスさんの人生の指針になったのではないでしょうか。
その意味では、クイーンの近くにいたヒンスさんは羨ましいですね!
クイーンの数多くのローディの中でも、ヒンスさんは繊細な感受性を持ち、文章力もあったので、このような記録を世に残してくれて有難いことですね。
私たちもそれぞれの能力を活かして、感動を伝え合っていきたいものです。
今は「距離を取り合いながら」ですけれど!
プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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