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真珠のうた

「放蕩息子の帰還」の原型は、グノーシスの「真珠のうた」に求められます。
「真珠のうた」は、原始キリスト教とインドの関わりを示す「トマス行伝」に収められており、「トマス行伝」は紀元前250年頃の作とされていますが、「真珠のうた」の歴史は更に遡るものと考えられます。

「真珠の歌」では、ある王子が光の国から地上の人間世界へ下り、人間の中にある光を持ち帰ろうとしますが、楽しい人間界で暮らすうちにその使命を忘れ、眠り込んでしまいます。
そこへ父王から手紙が届き、王子は目覚めて竜から真珠を奪い、故郷の光の国へ帰ります。
王子は父の家で天の衣服をまとい、人間の原型を回復し、取り戻した真珠によって真の自己となります。

この物語は、元は天にいた光の存在である人間が、人間界に降りて暮らすうちに、本来の自己を見失っているけれども、やがては自分の中の光に気づいて、天へ戻っていく過程を描いています。
宇宙の究極的存在と、人間の本来的自己は本質において一つであるという認識を伝えています。
「放蕩息子」が父親のもとを離れて放蕩三昧をして、後に父親の元へ戻る話と全く同じ筋になっています。
それをダンテが「神曲」で精密に描き出し、ゲーテのファウストに影響を与えていったのですね。
つまり「真珠の歌」→「放蕩息子の帰還」→ダンテの「神曲」→ゲーテの「ファウスト」ですね。

また、ダンテの「神曲」に影響を与えたものとして、中世ペルシャのササン朝のゾロアスター教の異界巡りの書「アルダー・ヴィラーフの書」(9世紀)があります。

真珠の歌」の概要を記します。

 わたしは東方の国の王子であった。父母は、わたしの輝く衣服を脱がせ、魂に契約の言葉を書き込み、わたしが、エジプトへ降り、荒々しい蛇の住む大海の中にある真珠を持ち帰るなら、光の衣服と上衣を着て王国の世継ぎとなると告げた。わたしはエジプトへ降り、蛇の側に宿った。わたしはエジプトの衣をまとい食物を食べたので、自分が王子であることも真珠のことも忘れて深い眠りに落ちた。東方の父と諸王は、鷲の姿で手紙を運ばせた。それは言葉となってわたしを目覚めさせ、わたしの魂が求めていたことと一致した。わたしは、東方の父王と母の女王の名を唱えて、真珠を奪い、穢れた衣服を脱いで故郷の光である東方へ帰った。父の家に残した衣服はわたしと同じになり、自分の全体を見出して、わたしは一つになった。わたしは王者の上着をまとい父の輝きを拝した。

少し説明を加えます。
・「蛇」または「竜」とは、悪の原理であり、この原初の竜は、欲情によって天使をも堕落させました。
・「大海」とは、死すべき人間たちが沈み込んだ闇のこと。
・「エジプト」とは、無知と物質の「この世」を表します。
・「エジプトの衣」とは、肉体のこと。
・「手紙」は、この世に送られた主の心であり、下界に眠る人間の魂に向かって呼びかける声を意味します。
・「天の衣服」とは、「認識(グノーシス)の衣服」であり、これによって人間は原型的なイデアを回復します。
・「真珠」とは、すべての人間に内在する魂、つまり「真の自己」のこと。


私は20年ぐらい前に、ある市の助成を受けて、「真珠の歌」を舞台化しました。
音楽、演劇、インド舞踊、現代舞踊、映像を組み合わせたステージで、王子が竜と戦うシーンでは、キング・クリムゾンの「RED」を使いました。竜は舞踏家が演じた素晴らしいものでした。
王子が光の国に帰還するところでは、バーバーの「弦楽のためのアダージオ」を使いました。
私は演出は専門外なので大変でしたが、とても思い出深い作品になっています。
他の舞台では、アフリカンダンスを使ったり、私もエジプトの預言者になったりしました。笑

フレディは光の国からやって来て、音楽で人々を感動させ、励ましましたが、放蕩息子も演じました。自分の生の限界を知った時に、真珠を見つけることができたでしょうか。今はまた光の国への道を歩んでいるでしょうか。
フレディは光の国から来た王子だと思いますが、私たちもみんな同じなんですよね。
チェッックのフレディ






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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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