
フレディは敬虔なゾロアスター教徒だったという説があります。
https://www.aboutfreddiemercury.com/farrokh-bulsara-der-zoroastrier/
ここに書かれていました。元はドイツ語のようです。
一般にはフレディのイメージとは、エキセントリックなトラブルメーカーで、執念深くヒステリックなドラッグ野郎で、金遣いが荒かったとされていますが、それは間違いだ! というのです。
実はフレディは敬虔なゾロアスター教徒の生活を送っていました。
第一、フレディは毎年アルバムを制作してはツアーに出ていたのですから、毎晩遊びまわるような時間は全くなかったのです。
Album Tour, Album Tour, Album Tour!! ですよね。
フレディの生活とは、
・第1に、スタジオでの曲作りや打ち合わせで忙しい。
・毎日のヨガと食事療法を行なう。
・毎晩のリラクゼーション・プログラム(ヨガ)
・しばしばクラシック音楽を聴く
・ペルシャ古典文学を読む。→これは歌作りのインスピレーションになった。
・ゾロアスター教の礼拝を行なう。
定番の祈りと、聖典「アヴェスター」の精読。これは誰もいない場所で行なった。
とてもロックミュージシャンの生活とは思えないような、かなりストイックな行者のような生活ですね。
これを生涯続けていたのかはわかりませんし、ツアーの間はこれほどはできなかったでしょう。
ジム・ハットンによると、フレディは熱心なゾロアスター教徒ではなかったといわれますが、礼拝と祈りは誰もいない所で行なうので、ジムは知らなかったのでしょう。ジムの知らないフレディの姿です。
ジムは、フレディがベッドの横で何かを唱えているのを聞いたが、内容はわからなかったと書いていますが、やはりゾロアスター教の祈りだったのですね。
フレディの葬儀も、フレディの遺志により、ゾロアスター教式で行なわれました。
マスコミによると、フレディは派手に遊びまわって毎晩違う男と寝たと書き立てられましたが、それはマスコミにタレ込んだポール・プレンターの嫉妬心から出た妄想かもしれません。ポールは情報を提供して500万円ぐらい貰いましたし、マスコミ側はとにかく売れる情報が欲しいわけですからね。
フレディの死後、ロジャーはそのような噂をきっぱりと否定し、フレディはそんな人ではない、そんなことを言うやつらとは断固として戦う、自分は立ち上がる! とテレビで宣言した姿には、私も涙を誘われました。
フレディは恋多き人でしたが、本当に好きな人と付き合っていたのかもしれません。
盟友のロジャーなら、本当のことを知っていたはずです。
マスコミによって広められたフレディの姿に、私たちも毒されているのかもしれません。
フレディの真の姿は、もっと真面目で純粋な努力家だったのではないでしょうか?
私たちはフレディの名誉回復をしなくてはならないのかもしれませんね。

そうでしょう〜
フレディはパーティが好きで、派手好きだったとされていますが、それはみんなを楽しませるために行なったことで、自分は楽しそうにしているみんなを見ているのが好きだったそうです。ゾロアスター教では、他人に善い行ないをすべしとしているので、フレディはその通りにしていたのです。
よく沢山の買い物をして浪費したようですが、それもみんなに贈り物をするためで、人を喜ばせるためでした。
ロンドンのフレディのヴィラとは、ガーデンロッジのことでしょうか。
1902年のナショナル・ジオグラフィックによると、その家にはゾロアスターの古い絵と、多くの光の源(?)があり、ゾロアスターのライフスタイルの影響があるそうです。
フレディの音楽にも、ゾロアスターの影響が現われています。
セカンドアルバムのホワイトサイド、ブラックサイドや、ホワイトクイーンとブラッククイーン、また白黒の衣裳や、フレディの黒いネイルとブライアンの白いネイルなどは、ゾロアスター教の二元論を表しています。
さらに、「I was born to love you」には、白い服や緑の色使い、鏡を使うこと、ボウルの火、結婚のダンス、初めての公的なキスなど、ゾロアスター教の結婚のシンボルが多用されているそうです。
フレディはゾロアスター教徒のパールシーでした。
毎日ヨガを行ない、求道者的な面がありました。
よく音楽や文学、美術に親しみ、美と芸術を愛したボヘミアンでした。
彼は「フレディ・マーキュリーとは外側の仮面であり、本当の自分との間には壁を作っているので、誰も自分の中には入れないし、本当の自分を知ることはできない」と言っています。
人々はマスコミの垂れ流すように、面白おかしくフレディを語ってしまいますが、
本当のフレディとは、美と芸術を愛するパールシーなのではないでしょうか?
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