フレディの一族はゾロアスター教徒のパールシーで、先祖はペルシャの出身です。
もとはペルシャに住んでいたのですが、700年頃にイスラム教の迫害に会い、インドへ逃れてきました。
パールシーは代々父親がゾロアスター教徒でなくてはならず、他民族との混血を避けてきたので、現在のアラブとの混血が進んだイランよりも、ペルシャの純粋な血筋が保たれているといわれます。つまり純粋なアーリア人の血統なのです。
確かにテレビで、サッカーのイラン代表の面々を見ると、フレディの顔立ちとは違います。
私たちはフレディのおかげで、純粋なペルシャ人(アーリア人)のお顔を拝見することができたのです。
私は20年ぐらい前にイランへ行ったことがあるのですが、
今までに訪ねたことのある国の中で、イランは最も印象的だった国です。大好きな国です!
フレディの出身については、1975年の初来日の頃には、ただイギリス人とされていたので、
イギリス人にしては色が黒いなとか、イギリスにも移民が多くて混血したのかなと思った程度でした。
それが本当はアフリカ生まれのインド育ちで、ゾロアスター教のパールシーであることを知ったのは、いつだっただろうか?
フレディが亡くなってからだと思うし、はっきりと認識したのは最近のことかもしれない。
アフリカとインドもすごいけれど、とくにペルシャというのが私には激しく惹きつけられる要因だったのです!
「アフリカ生まれで、インド育ちのペルシャ人!!」これはまさに完璧に理想的な人物であり、忘れられなくなりました。
なぜそんなにペルシャが好きなのか?
ペルシャは、世界最古といわれるメソポタミア文明の影響を受け、紀元前2000年ごろからアーリア人が文化の基礎を築きました。
長い歴史の中で、多くの民族による様々な王朝が興亡を繰り返してきたのですが、
紀元前6世紀にはダレイオス1世によってアケメネス朝が成立し、ゾロアスター教の教義が整えられます。
3世紀から7世紀のササン朝に至るまで、ゾロアスター教はペルシャの国教となり、思想的柱になりました。
ペルシャで最も面白いのはこの時期で、その後7世紀からはイスラム勢力の統治下に入ってしまいます。
ペルセポリスは紀元前500年頃に、ダレイオス1世が建設したアケメネス朝の都。
本当に2500年の悠久の時を感じさせられます。

ペルセポリスの庭ではライオンが飼われていました。
紀元前331年、アレクサンダー大王によって焼かれ、破壊されて廃墟となりました。

時代は下り、イスファハンは16世紀から18世紀にかけて栄えた、サファヴィー朝の古都です。
「世界の半分」といわれた華麗なペルシャ建築には驚嘆します。

ペルシャ式庭園には、中央に池が作られ、周囲に植物が繁茂しています。
これは天国の様子を地上に投影したもので、まさに地上の楽園なのです。
こうした庭園にはとても惹きつけられますし、地下に作られた池も神秘的です。
雨が少なく、乾燥しているので、水を大切にしています。生命の源だからですね。
フレディは自宅に日本庭園を作りましたが、ペルシャ式庭園も良かったのにねえ。

イランに行って面白かったのは、ペルシャの古い建築が日本に伝わり、天井の作り方などがそっくりだったこと。
日本では飛鳥時代、奈良時代からペルシャとの交流があり、正倉院にペルシャのガラス器などが収められていますね。
そして西洋にもペルシャ建築が伝播して、ドイツの中世のお城の天井がそっくりだったのを見た時(ヴァルトブルク城)、
ペルシャ文化の偉大さに感動したのです。
古代ペルシャからの偉大な文化を背負ったフレディを見た時、まるでペルシャの王子が蘇ったかのように感じたのは、
単なる私の妄想なのでしょうか ?
クイーンの音楽がイランでも販売されたことはありますが、フレディはイランへ行ったことはないようですね。
フレディがイランへ行ったらどうだったでしょう?
「ペルシャのフレディ」なんて素敵だなあ!
なんと「プリンス・オブ・ペルシャ」という映画がありました。
このプリンスは武闘派なので、ちょっとイメージとは違うけど。

ちなみに私のハンドルネーム「楽園のペリ」のペリとは、ペルシャの妖精の名前です。
フランスの画家モローが描いたペリの絵が好きで、自宅に飾っています。

もとはペルシャに住んでいたのですが、700年頃にイスラム教の迫害に会い、インドへ逃れてきました。
パールシーは代々父親がゾロアスター教徒でなくてはならず、他民族との混血を避けてきたので、現在のアラブとの混血が進んだイランよりも、ペルシャの純粋な血筋が保たれているといわれます。つまり純粋なアーリア人の血統なのです。
確かにテレビで、サッカーのイラン代表の面々を見ると、フレディの顔立ちとは違います。
私たちはフレディのおかげで、純粋なペルシャ人(アーリア人)のお顔を拝見することができたのです。
私は20年ぐらい前にイランへ行ったことがあるのですが、
今までに訪ねたことのある国の中で、イランは最も印象的だった国です。大好きな国です!
フレディの出身については、1975年の初来日の頃には、ただイギリス人とされていたので、
イギリス人にしては色が黒いなとか、イギリスにも移民が多くて混血したのかなと思った程度でした。
それが本当はアフリカ生まれのインド育ちで、ゾロアスター教のパールシーであることを知ったのは、いつだっただろうか?
フレディが亡くなってからだと思うし、はっきりと認識したのは最近のことかもしれない。
アフリカとインドもすごいけれど、とくにペルシャというのが私には激しく惹きつけられる要因だったのです!
「アフリカ生まれで、インド育ちのペルシャ人!!」これはまさに完璧に理想的な人物であり、忘れられなくなりました。
なぜそんなにペルシャが好きなのか?
ペルシャは、世界最古といわれるメソポタミア文明の影響を受け、紀元前2000年ごろからアーリア人が文化の基礎を築きました。
長い歴史の中で、多くの民族による様々な王朝が興亡を繰り返してきたのですが、
紀元前6世紀にはダレイオス1世によってアケメネス朝が成立し、ゾロアスター教の教義が整えられます。
3世紀から7世紀のササン朝に至るまで、ゾロアスター教はペルシャの国教となり、思想的柱になりました。
ペルシャで最も面白いのはこの時期で、その後7世紀からはイスラム勢力の統治下に入ってしまいます。
ペルセポリスは紀元前500年頃に、ダレイオス1世が建設したアケメネス朝の都。
本当に2500年の悠久の時を感じさせられます。

ペルセポリスの庭ではライオンが飼われていました。
紀元前331年、アレクサンダー大王によって焼かれ、破壊されて廃墟となりました。

時代は下り、イスファハンは16世紀から18世紀にかけて栄えた、サファヴィー朝の古都です。
「世界の半分」といわれた華麗なペルシャ建築には驚嘆します。

ペルシャ式庭園には、中央に池が作られ、周囲に植物が繁茂しています。
これは天国の様子を地上に投影したもので、まさに地上の楽園なのです。
こうした庭園にはとても惹きつけられますし、地下に作られた池も神秘的です。
雨が少なく、乾燥しているので、水を大切にしています。生命の源だからですね。
フレディは自宅に日本庭園を作りましたが、ペルシャ式庭園も良かったのにねえ。

イランに行って面白かったのは、ペルシャの古い建築が日本に伝わり、天井の作り方などがそっくりだったこと。
日本では飛鳥時代、奈良時代からペルシャとの交流があり、正倉院にペルシャのガラス器などが収められていますね。
そして西洋にもペルシャ建築が伝播して、ドイツの中世のお城の天井がそっくりだったのを見た時(ヴァルトブルク城)、
ペルシャ文化の偉大さに感動したのです。
古代ペルシャからの偉大な文化を背負ったフレディを見た時、まるでペルシャの王子が蘇ったかのように感じたのは、
単なる私の妄想なのでしょうか ?
クイーンの音楽がイランでも販売されたことはありますが、フレディはイランへ行ったことはないようですね。
フレディがイランへ行ったらどうだったでしょう?
「ペルシャのフレディ」なんて素敵だなあ!
なんと「プリンス・オブ・ペルシャ」という映画がありました。
このプリンスは武闘派なので、ちょっとイメージとは違うけど。

ちなみに私のハンドルネーム「楽園のペリ」のペリとは、ペルシャの妖精の名前です。
フランスの画家モローが描いたペリの絵が好きで、自宅に飾っています。

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