アフリカの次は、フレディが育ったインドですが、これまたすごいぞインド!!
私が初めて訪れた外国はアフリカのケニアとタンザニアだったが、インドもまた魅了された国である。
残念なことにフレディはあまりインドについて触れられたくなかったそうだが、それはロンドンで差別される恐れがあったからだろうか。
インドは素晴らしい国である!!
なぜなら、世界四大文明の一つ、インダス文明の故郷であり、インド哲学を育くみ、ヨガが生まれ、仏教が発祥したところだから。
他にも数学や天文学が発達しており、アユルヴェーダという医学や、ジョーティシュという占星学、インド舞踊にインド古典音楽など、枚挙にいとまがないほど素晴らしい文化の揺籃の地であり、人類の叡智の宝庫なのです!!
なぜそれをフレディが隠したがったのか、私は理解に苦しむのです。
フレディはアフリカの大自然の中で強い生命力と、ロックのルーツであるアフリカのリズムを身の内に取り込み、
次にインドの崇高な文明の中で育ったことで、スーパースターへの礎を築いたのです!
更にはペルシャのルーツを持つことが決定打となっているのですが、それはまた後に解析します。
フレディは本当に「アフリカ・インド・ペルシャ」という、地上最強にして最高のハイブリッドなのです!!
インドについて書く前に、確認しておきたいのですが、
ネットではよくフレディは「ペルシャ系インド人」と書かれていますが、 はぁ? インド人? フレディが?
冗談はやめてください。フレディはインド人ではありません。ペルシャ人です!
こうしたあたり、私は若い方たちにお願いしたいのですが、ネットに書かれていることを安易に信じないでください。
誰かが書いていることをそのままコピペしても、それが正しいかどうかはわかりません。
どうかネットに頼らずに、自分で資料を確認してください。
私もなるべく正しいことを書くように努力しています。
それでも記憶違いなどがあるかもしれませんから、もし間違いがあれば指摘してください。
ムンバイのタジマハール・ホテルはパールシーのタタが経営。
2008年にテロが起こってしまった。

今日はインドについて書こうと思ったので、フレディのルーツであるペルシャについてはまた後日にします。
私は30年ぐらい前にヨガ (正しくはハタ・ヨガ)を習い、今でも時々自分で行っていますので、インドには親しみを持っています。
ヨガのインストラクターにならないかと誘われたこともあったのですが、そちらの方向には行きませんでした。
ヨガの理論では、人間の身体にはプラーナという生命力が宿っており、プラーナはナーディという細い管を通って身中に運ばれ、
身体中央のスシュムナーという太い管に沿って、7つのチャクラが置かれています。
チャクラについては、きいたことのある人も多いと思います。
インド哲学とは、古代インドに始まり、とくにバラモン教の聖典ヴェーダに記されたウパニシャドを受け継ぐ6つの学派があります。
ウパニシャドとは、サンスクリット語で「奥義」や「秘伝」を意味する一連の書物のことです。
ウパニシャドの根本は、「梵我一如」の思想であり、これは自分の内奥にある「アートマン」とつながることにより、宇宙の最高原理である「ブラフマン」と合一することができるという考えです。
これは世界のほとんどの宗教や思想と同じもので、人間が求めるものはこれに尽きるといっても過言ではありません。
問題はそこに至るまでの方法ですから、それについての議論が長年にわたって続けられているのが宗教思想界でしょう。
または、宗教を政治利用とする人たちは、「梵我一如」を民衆に知られないように隠している一派もあります。
仏教もインド発祥ですから、日本人には馴染み深いもの。
お寺に行ったことがない人はいないでしょう。
自分の家のお墓が、お寺にある人もいるでしょう。
8月のお盆も、日本の祖霊信仰と仏教が融合したものといわれています。
お盆のボンとは、サンスクリット語のウラムバナから来ているそうですが、イランのアヴェスタ語で「魂」を意味する「ウルバン」が元になっているという説もあります。イラン=ベルシャまで繋がっているのですね。
インドの思想はアメリカのニューエイジ運動に影響を与え、
ビートルズも1968年にインドを訪れて、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーから瞑想の指導を受けました。
これは大きなニュースとなり、他のミュージシャンや女優もインドへやって来ます。
1964年にロンドンへ渡ったフレディは、彼らのインド行きをどう思ったことでしょうね?
美しいタージマハール

フレディは8才からパンチガニのセント・ペータース・ボーイズスクールで過ごしますが、これは思いっきりキリスト教の名前ですね。カトリックです。
学校の中ではイギリス式の教育を受けたことでしょう。
フレディはあまり英語の訛りもないようなので、先生はイギリス人だったのでしょうか。
でも8才で一人で親元を離れるというのは、どんなに淋しかったことでしょう!
小学校3年生ですから、まだ小さな子供です。
当時はザンジバルからムンバイまで、船で10日間もかかったそうですから、ものすごい距離です。
ムンバイという呼称についてですが、1995年まではボンベイでした。
そして2016年にボンベイに戻すと発表されたので、今はボンベイなのでしょうか?
とにかくフレディがいた頃はボンベイでしたし、私たちもボンベイの方がピンと来ますね。
パンチガニは高原にあったため、インドでも涼しい気候です。
ザンジバルの海辺の常夏の気候から、涼しい高原に移ったフレディは、きっと寒さと寂しさで随分泣いたことでしょう。かわいそうに。
パンチガニはプネーの側なので、やはりパールシーが多い土地として、ご両親も安心だったのでしょう。
一人で家族から離れたフレディは、ラジオから流れる音楽にどんなに慰められたことでしょう。
そして12才でバンド「ヘクティクス」を結成します。
hecticとは、「大騒ぎ」という意味で、興奮や熱狂を表します。
小学生の頃からバカ騒ぎが好きだったんですねえ。でもこれは寂しさの裏返しではないのでしょうか?
私の周りでも、とても明るくて賑やかな人は、子供の頃にとても苦労したことがある人だったりします。
私も人生の逆境にあった時、もう笑うしかない! というところまで追い詰められたことがあり、それ以来性格が前より明るくなったような気がするのですが。
パンチガニの後は、ボンベイのセント・メリーズ・スクールという高校に進学します。
ボンベイは仕事で行ったことがありますが、12月でも30度ぐらいあり暑かった。海辺なので湿度も高い。
朝5時ぐらいからイスラム教のコーランが鳴り響くので、朝の安眠はできない町なのです。
気候は雨季と乾季があり、サバナ気候といわれ、アフリカ大陸東岸の草原地帯と似ているそうなので、フレディは生まれ故郷に戻ったような気分だったのではないだろうか。お祖母さんと叔母さんと一緒に住んでいたそうです。
ボンベイは人口1800万人の大都市で、日本でいえば大阪のような華やかな商都です。
この街で暮らす高校生ならば、きっと街の映画館や喫茶店など、色々と遊びに行ったことでしょう。
「Jazz」に入っている「ムスタファ」という歌は、このボンベイで聞いていたコーランの記憶なのではないでしょうか?
この歌詞は英語、アラビア語、ペルシャ語、グジャラート語、スワヒリ語、または造語が使われているそうで、
なかなか解読は難しいようです。
フレディの遍歴が詰まっています。
フレデイこそが「ボヘミアン」なのですね。
インドで特筆すべきは、ボンベイ版ハリウッド映画、「ボリウッド」です。
インドの煌びやかな色彩に満ちたコミカルな映画で、美男美女の俳優たちが歌ったり踊ったりで、とても楽しい娯楽に仕上げられています。
フレディは必ずこれを見たことがあるはずです。
フレディはミュージカルが好きでしたが、ボリウッド歌手のラタ・マンゲシュカから影響を受けたそうです。。
フレディはインドではプレスリー、クリフ・リチャード、リトル・リチャードが好きだったので、あまりボリウッドの影響は受けていないとされていますが、全くなかったわけではないでしょう。
もしもの話はしても仕方がありませんが、ザンジバルから避難した時に、もしロンドンではなくボンベイに行ったとしたら、フレディはボリウッドのスターになっていたかもしれない等と想像すると思わずニヤニヤしてしまうのです。いや絶対ウケますよ、これ。
そしてボリウッドからハリウッドへ行き、ハリウッドのスターとして、私たちはフレディを知ることになったかもしれない。
なんて想像すると楽しいですよね。フレディもハリウッドは好きだったし。
ボリウッド映画

インドについて、また長くなるといけませんね。
でもね、インドについて書くとなると、すぐには終わらないですよ。
本当はもっと短くしたいと思っているんです。だんだん短くしますので、ちょっと我慢してください。
私がインドに行って感じたことを書きます。
私はインドへ仕事で3週間行き、ニューデリーとボンベイ、バンガロールを訪れました。
バンガロールは南インドですが、高原なので涼しいIT産業の町です。
とにかく人口が多いので、交通量も多く、交通のマナーも無茶苦茶なので、道を渡るのも一苦労です。
日本人の留学生で交通事故に遭い、植物状態になってしまった人もいました。
貧富の差が激しくて物乞いの人たちがいることはご存じだと思いますが、お金持ちはこれまたすごいお金持ちなのです!
とくにすごいのがマハラジャといわれる領主で、1947年の独立後もマハラジャの称号は存続していたので、フレディがいた頃には実際のマハラジャが存在したのですね。
1971年にマハラジャや貴族に対する年金が廃止され、マハラジャの称号も禁止されましたが、現在でも豪華な城に暮らすマハラジャの子孫がいるそうです。
フレディは豪華なものが好きですが、このようなマハラジャの存在を知っていたからこそ、そのような暮らしに憧れたのではないでしょうか?

そしてインドでは、日本と違って価値が多様です。価値の転倒も起こり得ます。
たとえば、インドで安いサファイヤを買った人が、日本に持ち帰ったら500万円で売れたという話を聞きました。
もし貧しいインドの人だったら、500万円は大変な金額です。一夜にして大金持ちにもなり得るのです。
また、今日の新聞に載っていたのですが、インドで70才の女性が出産したそうです。
もちろん帝王切開なのですが、提供者の卵子と、旦那さんの精子を使って妊娠したそうです。
インドでの最高齢出産者は72才だそうです。
日本ではちょっと考えられない話ですよね。
インドでは、というかアジアでは、買い物もお店の人と交渉して安くしてもらい、値段を決めるので、
日本のように初めから決まっているということはありません。
「価値が決まっていない、価値は自分で決める、価値が飛躍するかもしれない」、という考え方をフレディはインドで身につけたのではないでしょうか。
フレディはインドのことを語りませんでしたが、
インド料理は好きだし、カレーを食べている写真もあったし、バナナも好きだし、やはりインドが好きだったのではないでしょうか。
アールズコートのフレディ邸の近くにインド料理店があったので、フレディも通ったのかもしれません。
インドはバナナの生産量が世界一です。
インドは素晴らしい国です!
インドに行ってみませんか?
インドは、まさにミラクルな国です! (ミラクルは奇跡、驚異)
それを言うなら、ペルシャはマジックの国だね!
私が初めて訪れた外国はアフリカのケニアとタンザニアだったが、インドもまた魅了された国である。
残念なことにフレディはあまりインドについて触れられたくなかったそうだが、それはロンドンで差別される恐れがあったからだろうか。
インドは素晴らしい国である!!
なぜなら、世界四大文明の一つ、インダス文明の故郷であり、インド哲学を育くみ、ヨガが生まれ、仏教が発祥したところだから。
他にも数学や天文学が発達しており、アユルヴェーダという医学や、ジョーティシュという占星学、インド舞踊にインド古典音楽など、枚挙にいとまがないほど素晴らしい文化の揺籃の地であり、人類の叡智の宝庫なのです!!
なぜそれをフレディが隠したがったのか、私は理解に苦しむのです。
フレディはアフリカの大自然の中で強い生命力と、ロックのルーツであるアフリカのリズムを身の内に取り込み、
次にインドの崇高な文明の中で育ったことで、スーパースターへの礎を築いたのです!
更にはペルシャのルーツを持つことが決定打となっているのですが、それはまた後に解析します。
フレディは本当に「アフリカ・インド・ペルシャ」という、地上最強にして最高のハイブリッドなのです!!
インドについて書く前に、確認しておきたいのですが、
ネットではよくフレディは「ペルシャ系インド人」と書かれていますが、 はぁ? インド人? フレディが?
冗談はやめてください。フレディはインド人ではありません。ペルシャ人です!
こうしたあたり、私は若い方たちにお願いしたいのですが、ネットに書かれていることを安易に信じないでください。
誰かが書いていることをそのままコピペしても、それが正しいかどうかはわかりません。
どうかネットに頼らずに、自分で資料を確認してください。
私もなるべく正しいことを書くように努力しています。
それでも記憶違いなどがあるかもしれませんから、もし間違いがあれば指摘してください。
ムンバイのタジマハール・ホテルはパールシーのタタが経営。
2008年にテロが起こってしまった。

今日はインドについて書こうと思ったので、フレディのルーツであるペルシャについてはまた後日にします。
私は30年ぐらい前にヨガ (正しくはハタ・ヨガ)を習い、今でも時々自分で行っていますので、インドには親しみを持っています。
ヨガのインストラクターにならないかと誘われたこともあったのですが、そちらの方向には行きませんでした。
ヨガの理論では、人間の身体にはプラーナという生命力が宿っており、プラーナはナーディという細い管を通って身中に運ばれ、
身体中央のスシュムナーという太い管に沿って、7つのチャクラが置かれています。
チャクラについては、きいたことのある人も多いと思います。
インド哲学とは、古代インドに始まり、とくにバラモン教の聖典ヴェーダに記されたウパニシャドを受け継ぐ6つの学派があります。
ウパニシャドとは、サンスクリット語で「奥義」や「秘伝」を意味する一連の書物のことです。
ウパニシャドの根本は、「梵我一如」の思想であり、これは自分の内奥にある「アートマン」とつながることにより、宇宙の最高原理である「ブラフマン」と合一することができるという考えです。
これは世界のほとんどの宗教や思想と同じもので、人間が求めるものはこれに尽きるといっても過言ではありません。
問題はそこに至るまでの方法ですから、それについての議論が長年にわたって続けられているのが宗教思想界でしょう。
または、宗教を政治利用とする人たちは、「梵我一如」を民衆に知られないように隠している一派もあります。
仏教もインド発祥ですから、日本人には馴染み深いもの。
お寺に行ったことがない人はいないでしょう。
自分の家のお墓が、お寺にある人もいるでしょう。
8月のお盆も、日本の祖霊信仰と仏教が融合したものといわれています。
お盆のボンとは、サンスクリット語のウラムバナから来ているそうですが、イランのアヴェスタ語で「魂」を意味する「ウルバン」が元になっているという説もあります。イラン=ベルシャまで繋がっているのですね。
インドの思想はアメリカのニューエイジ運動に影響を与え、
ビートルズも1968年にインドを訪れて、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーから瞑想の指導を受けました。
これは大きなニュースとなり、他のミュージシャンや女優もインドへやって来ます。
1964年にロンドンへ渡ったフレディは、彼らのインド行きをどう思ったことでしょうね?
美しいタージマハール

フレディは8才からパンチガニのセント・ペータース・ボーイズスクールで過ごしますが、これは思いっきりキリスト教の名前ですね。カトリックです。
学校の中ではイギリス式の教育を受けたことでしょう。
フレディはあまり英語の訛りもないようなので、先生はイギリス人だったのでしょうか。
でも8才で一人で親元を離れるというのは、どんなに淋しかったことでしょう!
小学校3年生ですから、まだ小さな子供です。
当時はザンジバルからムンバイまで、船で10日間もかかったそうですから、ものすごい距離です。
ムンバイという呼称についてですが、1995年まではボンベイでした。
そして2016年にボンベイに戻すと発表されたので、今はボンベイなのでしょうか?
とにかくフレディがいた頃はボンベイでしたし、私たちもボンベイの方がピンと来ますね。
パンチガニは高原にあったため、インドでも涼しい気候です。
ザンジバルの海辺の常夏の気候から、涼しい高原に移ったフレディは、きっと寒さと寂しさで随分泣いたことでしょう。かわいそうに。
パンチガニはプネーの側なので、やはりパールシーが多い土地として、ご両親も安心だったのでしょう。
一人で家族から離れたフレディは、ラジオから流れる音楽にどんなに慰められたことでしょう。
そして12才でバンド「ヘクティクス」を結成します。
hecticとは、「大騒ぎ」という意味で、興奮や熱狂を表します。
小学生の頃からバカ騒ぎが好きだったんですねえ。でもこれは寂しさの裏返しではないのでしょうか?
私の周りでも、とても明るくて賑やかな人は、子供の頃にとても苦労したことがある人だったりします。
私も人生の逆境にあった時、もう笑うしかない! というところまで追い詰められたことがあり、それ以来性格が前より明るくなったような気がするのですが。
パンチガニの後は、ボンベイのセント・メリーズ・スクールという高校に進学します。
ボンベイは仕事で行ったことがありますが、12月でも30度ぐらいあり暑かった。海辺なので湿度も高い。
朝5時ぐらいからイスラム教のコーランが鳴り響くので、朝の安眠はできない町なのです。
気候は雨季と乾季があり、サバナ気候といわれ、アフリカ大陸東岸の草原地帯と似ているそうなので、フレディは生まれ故郷に戻ったような気分だったのではないだろうか。お祖母さんと叔母さんと一緒に住んでいたそうです。
ボンベイは人口1800万人の大都市で、日本でいえば大阪のような華やかな商都です。
この街で暮らす高校生ならば、きっと街の映画館や喫茶店など、色々と遊びに行ったことでしょう。
「Jazz」に入っている「ムスタファ」という歌は、このボンベイで聞いていたコーランの記憶なのではないでしょうか?
この歌詞は英語、アラビア語、ペルシャ語、グジャラート語、スワヒリ語、または造語が使われているそうで、
なかなか解読は難しいようです。
フレディの遍歴が詰まっています。
フレデイこそが「ボヘミアン」なのですね。
インドで特筆すべきは、ボンベイ版ハリウッド映画、「ボリウッド」です。
インドの煌びやかな色彩に満ちたコミカルな映画で、美男美女の俳優たちが歌ったり踊ったりで、とても楽しい娯楽に仕上げられています。
フレディは必ずこれを見たことがあるはずです。
フレディはミュージカルが好きでしたが、ボリウッド歌手のラタ・マンゲシュカから影響を受けたそうです。。
フレディはインドではプレスリー、クリフ・リチャード、リトル・リチャードが好きだったので、あまりボリウッドの影響は受けていないとされていますが、全くなかったわけではないでしょう。
もしもの話はしても仕方がありませんが、ザンジバルから避難した時に、もしロンドンではなくボンベイに行ったとしたら、フレディはボリウッドのスターになっていたかもしれない等と想像すると思わずニヤニヤしてしまうのです。いや絶対ウケますよ、これ。
そしてボリウッドからハリウッドへ行き、ハリウッドのスターとして、私たちはフレディを知ることになったかもしれない。
なんて想像すると楽しいですよね。フレディもハリウッドは好きだったし。
ボリウッド映画

インドについて、また長くなるといけませんね。
でもね、インドについて書くとなると、すぐには終わらないですよ。
本当はもっと短くしたいと思っているんです。だんだん短くしますので、ちょっと我慢してください。
私がインドに行って感じたことを書きます。
私はインドへ仕事で3週間行き、ニューデリーとボンベイ、バンガロールを訪れました。
バンガロールは南インドですが、高原なので涼しいIT産業の町です。
とにかく人口が多いので、交通量も多く、交通のマナーも無茶苦茶なので、道を渡るのも一苦労です。
日本人の留学生で交通事故に遭い、植物状態になってしまった人もいました。
貧富の差が激しくて物乞いの人たちがいることはご存じだと思いますが、お金持ちはこれまたすごいお金持ちなのです!
とくにすごいのがマハラジャといわれる領主で、1947年の独立後もマハラジャの称号は存続していたので、フレディがいた頃には実際のマハラジャが存在したのですね。
1971年にマハラジャや貴族に対する年金が廃止され、マハラジャの称号も禁止されましたが、現在でも豪華な城に暮らすマハラジャの子孫がいるそうです。
フレディは豪華なものが好きですが、このようなマハラジャの存在を知っていたからこそ、そのような暮らしに憧れたのではないでしょうか?

そしてインドでは、日本と違って価値が多様です。価値の転倒も起こり得ます。
たとえば、インドで安いサファイヤを買った人が、日本に持ち帰ったら500万円で売れたという話を聞きました。
もし貧しいインドの人だったら、500万円は大変な金額です。一夜にして大金持ちにもなり得るのです。
また、今日の新聞に載っていたのですが、インドで70才の女性が出産したそうです。
もちろん帝王切開なのですが、提供者の卵子と、旦那さんの精子を使って妊娠したそうです。
インドでの最高齢出産者は72才だそうです。
日本ではちょっと考えられない話ですよね。
インドでは、というかアジアでは、買い物もお店の人と交渉して安くしてもらい、値段を決めるので、
日本のように初めから決まっているということはありません。
「価値が決まっていない、価値は自分で決める、価値が飛躍するかもしれない」、という考え方をフレディはインドで身につけたのではないでしょうか。
フレディはインドのことを語りませんでしたが、
インド料理は好きだし、カレーを食べている写真もあったし、バナナも好きだし、やはりインドが好きだったのではないでしょうか。
アールズコートのフレディ邸の近くにインド料理店があったので、フレディも通ったのかもしれません。
インドはバナナの生産量が世界一です。
インドは素晴らしい国です!
インドに行ってみませんか?
インドは、まさにミラクルな国です! (ミラクルは奇跡、驚異)
それを言うなら、ペルシャはマジックの国だね!
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