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南アフリカ公演とライブエイド

フレディがロンドンへ移住した後に、アフリカと関係したことは2回あります。
ひとつは1984年のクイーンの南アフリカ公演で、もうひとつは1985年のライブエイドですね。

南アフリカ公演で、フレディはザンジバル脱出以来、はじめてアフリカの地に足を踏み入れることになります。
その時の感慨はいかばかりだったかと想像されます。
ところが南アフリカはアパルトヘイト(人種隔離政策)をとっていたために、イギリスのミュージシャン組合は公演を禁止していました。
イギリスのミュージシャン組合というのは、知り合いの日本人ミュージシャンにきいたところ、とても結束力と影響力が強くて、日本人がイギリスで演奏するのは難しいそうなのです。
そのようなユニオン(組合)に反対してまで、クイーンは南アフリカからの招聘に応じて、公演することを決意しました。
クイーンはアパルトヘイトには反対だったにも関わらず、敢えて南アフリカ公演を行なったことで「金儲けだ」と非難され、組合には違約金を払わされ、ついに国連のブラックリストに載せられてしまいました。
そして世間からは批判され、反アパルトヘイト団体はデモ行進し、レコードセールスは低下してしまいます。
日本では常にクイーンを暖かく迎えていましたから、クイーンがこのような苦労をしていたとは知られざる事実だったのですね。
でも非難した人たちは考えてみてほしい、フレディは白人ではないし、アフリカ生まれだし、多民族の中で暮らしていて、イギリスでは移民として逆に差別を受ける立場だったことを。
フレディにはザンジバルで黒人の子守がいて、黒人とは仲良くしていたので、あまり深く考えなかったのかもしれないが、やはり黒人を使用人として差別していたとは思わなかったのでしょうか。
フレディは「自分たちがある国で演奏したことは、その国の政策に賛同するという意味ではない」と弁明したそうですが、白人と黒人を分ける政策の国で、白人だけのリゾート地で演奏したのですから、いくら弁明しても無駄というもの。
フレディたちは余りにも無邪気に、南アフリカの招聘に応じてしまったようです。
フレディの無邪気さは、恋愛関係においても慎重さを欠き、結果的に命取りになってしまったわけですから。
南アフリカ公演の頃



南アフリカ公演の後は、クイーンの解散説まで噂されるようになりますが、それを吹き飛ばしたのが翌年のライブエイドです。
ライブエイドは、エチオピアの飢餓救済のため、ロンドンのウェンブリー・スタジアムと、フィラデルフィアのジョン・F・ケネディ・スタジアムの2カ所で行なわれ、そのテレビ中継を合わせると、世界で19億人が視聴したとされています。
ライブエイド

クイーンは入念にリハーサルを行った後、最高のライブ演奏を行ない、38才のフレディの雄姿を今でもネットで見ることができます。
前年に行った南アフリカ公演のため、人気が下降していたクイーンにとって、ライブエイドは最大の復活の場となりました。
このステージに対しては、世間からも歓びをもって迎えられ、ボラプ映画のお父さんも良いことをしたと褒めてくれましたが、・・・ちょっと待ってください。
アフリカの飢餓は何故起こるのでしょうか?
それは、元々の発端はヨーロッパの植民地政策にあります。
19世紀の後半から、アフリカはイギリスやフランスの植民地となりますが、第二次世界大戦後の1960年頃から、アフリカ諸国は次々と独立を果たしました。ザンジバル革命もその一つですね。
ところが独立後の国境を適当に決めてしまったために、今でも民族・宗教・文化の違いによって紛争が絶えない地域が沢山あるのです。
飢餓が起こる原因の一つは、紛争です。
紛争は、一部の人が富を独占することによって起こります。
武器商人たちは、紛争を起こしたくて仕方がないので、不満分子や政府に武器を売りつけます。
武器が手に入ると紛争が起き、食料が作れなくなり、飢餓が発生します。
 つまり、イギリスは植民地政策を行なっていたために、アフリカの飢餓の原因を作っていたのです。
それなのに、飢餓の救済をするためにチャリティーコンサートを行なうというのは、何か自作自演のような違和感がありませんか?
もちろんライブエイドを企画したボブ・ゲルドフや、フレディたちの世代には直接の責任はありませんが、このような自作自演劇をマッチポンプというのですね。

もう一つの飢餓の原因は、換金作物の栽培です。
換金作物とは、米、とうもろこし、大豆、砂糖、コーヒー、カカオ等で、国際機関や他国のアグリビジネス企業が融資し、
農薬肥料を売りつけます。これらの作物を作って儲ける人たちが、持続不可能な農業を行ない、環境を破壊します。
日本でもこうした作物を輸入していますので、私たちも無関係ではありません。

さらに近くの農地を買いあさり、森林を切り開き、大規模な農業が行われて、その作物を買い取る他国のものだけが富を独占します。
やがて小規模な農家はいなくなり、低賃金で働かされる農民が増えていき、多くの人が食料を自給できず、飢餓が起こります。
その後で、遺伝子組み換え作物を栽培する大国が、富み栄えていくのです。

ですから、アフリカの飢餓救済のためには、本当は一度だけのチャリティーではなく、
アフリカの人々が自分たちで食べていかれるように農業や教育の支援していくことが大切なのです。
もちろん何もしないよりはチャリティーでも行なった方が良いのですが、
いくら食べ物などを送っても、一度だけでは、それがなくなればまた食べられなくなってしまいます。
私たちに一体何ができるのか、考えなくてはなりませんね。

「Is this the World we created?」(悲しき世界)は、フレディがミュンヘンでアフリカ貧困のニュースを見て作り、
1984年の「ワークス」に収録されたものです。

俺たちが食べさせるべき
あらゆる空腹な口を見よ
俺たちが生み出した
全ての苦痛を見よ
あちこちに散らばっている孤独な顔
必要なものを探し続けている

フレディもアフリカの飢餓には心を痛めていたことがわかりますが、
何といっても南アフリカのサンシティー問題の後だったので、周囲からは白々しいと思われたようです。
現在アフリカの人口は12億人、これからも益々の増加が予想されていますから、本当に難しい問題ですね。

というわけで、私はフレディのことを書こうと思っていたというのに、
書いているうちに、人種差別やアフリカの飢餓のこと、紛争のことなど、どんどん話が広がっていってしまうのです。
フレディは本当に生涯に多くの問題に関わった人であり、色々と勉強させていただいております。
地球上を駆け巡ったスケールの大きな人だから、仕方ないなあ。
フレディのおかげで、沢山のことを知ることができます。
何かフレディは人間として、地球の重要な結節点に関わっている気がします。
それがトリガーとなって、私たちを気付かせ、目覚めさせてくれるのです。
フレディ本人は余り何も気にしていなかったかもしれませんけど。(笑)




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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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