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ザンジバル革命とフレディ

今日はフレディの73回目の誕生日だった。
お誕生日おめでとう、フレディ!!
奇しくもフレディが生まれたザンジバルについて書いている。
私は子供の頃からアフリカが大好きで、アフリカの大自然に憧れていました。
とくに動物が好きだったので、子供の頃は動物学者になりたいと思っていたのです。
そのため、20代で初めて外国に出た時、その行き先はアフリカのケニアとタンザニアでした。
アセンボリ国立公園でサファリを体験し、6000メートル近いキリマンジャロの秀麗な姿を目撃したことは、今でもはっきりと瞼に焼き付いています。
タンザニアのキリマンジャロからザンジバルまでは、400kmぐらい、飛行機で1時間の距離だったのですね。

子供の頃から憧れて、初めての海外旅行だったアフリカ、
インドには仕事で3週間ほど滞在し、インドの政府機関からも接待していただきました。
今までに20数カ国を訪れましたが、最も印象が強かったのはイラン(ペルシャ)です。
そしてヨーロッパは、子供の頃からヨーロッパ文化の勉強をしているので、故郷のように感じます。
つまり何故かフレディの生育歴と、私が強い印象を感じる場所が共通しているので、特別にシンパシーを感じてしまうのですよ。
フレディがツアーで回ったところと、私が訪問した国もかなり似ていて、私もブダペスト、ニューヨーク、パリ、ウィーン、ミュンヘンなどに行ったことがあります。どうしてこんなに似ているのか不思議。

ザンジバルは青く透明な海と、白いサンゴ礁に囲まれた島で、ストーンタウンは2000年に世界遺産に登録されています。
常夏の島、美しい楽園ではありますが、歴史的には幾多の苦難をかいくぐって来ており、
大航海時代にはポルトガル領となり、その後オマーンの支配を経て、イギリス領となります。
その間、ザンジバルはアフリカ全土から集められた奴隷と象牙、金などを輸出する港町として栄えました。
ザンジバルの海岸

しかし1950年代から、次第にイギリス統治に反発して、独立を求める動きが始まります。
50年代といえば、フレディがインドの全寮制ボーイズスクールに入っていた頃ですから、フレディの両親は子供をインドへ行かせた方が安全だという考えもあったのでしょうか?
そして1961年からは流血騒ぎが起こるようになり、遂に1963年12月にアラブ人サイード家をスルタンとしたザンジバル王国として、イギリスから独立を宣言しました。フレディがインドから帰ってきて一年も経たないうちです。
しかし原住民の黒人たちは、依然としてアラブ人の支配を受けることに不満を抱いていました。
独立から一ヶ月後の1964年1月、26才の黒人青年オケロが武装して暴動を起こします。
すぐにスルタンは国外へ逃亡して、イギリスへ逃れました。
この時に、怒り狂った黒人たちがアラブ人やインド系の住民を襲撃し、3日間で12000人もの人たちが虐殺されました。

これが「ザンジバル革命」です。
複雑でわかりにくいので、私も勉強しました。
このザンジバル革命とフレディについて、誰も言及している人はいませんが、私はここに注目します。
フレディが17才の時に、革命が勃発し、35万人の島民のうち12000 (または15000人という説もある)が殺され、2万人が逮捕されました。このすさまじい暴力の嵐を、フレディは身の回りに実感したし、海岸に並べられた夥しい数の死体も目撃したかもしれません。
そのショックと恐怖はどれほどのことだったことでしょう!? 殺される人々の悲鳴も聞こえたかもしれせん。
しかも、黒人たちから向けられた憎悪は、黒人を支配するものたちへ向けられたのですから、フレディ一家も大変な危険に晒されます。フレディ自身も死の恐怖を感じたことでしょう。
この激しい恐怖を17歳で体験したこと、これはフレディの人格形成に決定的な影響を与えたと思います。
17才というのは、人生の中でも最もセンシティブで傷つきやすい年齢です。危険な年齢と言うこともできます。

たとえば、音楽の好みで言うと、17才頃に好きだった音楽は、その人は一生忘れないと言われます。
17才でビートルズが好きだった人は、一生ビートルズが好きですし、17才でクイーンが好きだった人は、一生クイーンが好きなのです。(えっ、それっと、もしかして私のこと?)
では17才で地獄の阿鼻叫喚を体験したフレディは・・・???
やはり一生その傷を背負っていたのではないでしょうか?
フレディは常に楽しいことを求め、最後まで人生を楽しもうとしていました。
それは彼の中に「楽しくない何か」があったからではないか?
普通の人は、フレディほどは楽しいことを追求しなくても、そこそこ幸せに暮らしているわけですから、彼にはどうしても振り払わなければならない「楽しくないこと」が付きまとっていたのかもしれません。
私はそれを「ザンジバル革命」に見るのです。

ザンジバル革命によって、命の危険を感じたフレディですが、それだけではなく、革命の意味を考えたことでしょう。
自分たちが正しいと思って行ってきた「イギリス統治」を憎んでいる人々がいたこと。
自分たちは黒人を支配し、搾取する側であったこと。
それはまだ未成年であったフレディの責任ではないけれど、彼も罪責感を感じたであろうか?
当時、奴隷制度は既に廃止されていたけれど、奴隷制度の痕跡が残るザンジバルで、何か思うところがあっただろうか?
おそらく、この世の不公平、理不尽さ、そして己の無力さについて、深く感じるところがあったのではないだろうか?
そしてフレディは、深い傷を負ったまま、イギリスへと旅立つのである。

フレディは、イギリス以前の話をしなかったと言われるが、それは余りに深く傷ついていたので、とても話が出来なかったのではないでろうか? (インドではそのようなことはないが)
日本と、台湾や朝鮮の関係に置き換えてみるとわかりやすいが、
日本が台湾を統治していた時代、日本と台湾はわりと友好的だったので、台湾で暮らしていた時の話をする日本人も存在する。
私が知っている人で、日本の台湾総督府の関係者だった人は、良い暮らしだった当時を懐かしみ、一生お姫様気分が抜けなかった。
(やっぱりフレディも王子様なのかな?)
それに対して、朝鮮に駐留していた人は、あまり当時のことは話したがらない。反日感情を意識しているのだろうか。
フレディもザンジバルを訪れることは、二度となかった。

フレディ一家がイギリスへ渡った時、家の財産を持ち出すことはできただろうか ?
ザンジバルでは多くのアラブ人が財産を没収されたという。
私の友人の祖父は、戦争中に満州で病院の医師をしていたが、医師は日本の上層部にいたので、戦況の情報が入りやすく、敗戦が近くなってくると早めに満州を引き上げ、財産を持ち帰ることができたという。
フレディ家もザンジバルの上層部にいたが、戦争とは違って革命の場合は、突発的に暴動が起こり、事態の予測は難しかったかもしれない。イギリスのフェルサムの様子からすると、あまり財産は持ち出せなかったのかもしれない。

このようなフレディが語らなかったことを、暴露するようなことは、あまり快く思わない人もいるかもしれない。
でも私はフレディを貶めるようなつもりは全くなくて、逆に人生の大変な苦労をしたフレディだからこそ、それを乗り越える努力を続け、あのような素晴らしい歌が歌えるようになったということを賞賛したいのだ。
インド洋を航海し、7つの海を渡り、ロンドンに降臨した不世出のボーカリスト!
革命という極限の体験と、命がけの逃避行を経験し、難民となり、移民となっても、自分のやりたい道を貫き通したロックンロール魂に乾杯しよう!!

ちなみに、イギリスの植民地からロンドンへ移住した人は、外国から来たわけではないので、移民ではないのでは?と考える人もいると思いますが、ロンドン在住の人にきいてみたところ、やはりそれは移民と見なされるそうです。
パリでも、アルジェリアから来た人は移民とされましたよね。(サッカーのジダンは「北アフリカの移民の星」として活躍しましたが)

ザンジバル革命後、革命政府は企業を国有化するなど、社会主義政策をとっていきました。
そのため、東ドイツなどの社会主義諸国が、ザンジバル革命政権を支持しました。
しかしアメリカは、ザンジバル島に人工衛星追跡基地を建設しようとしていたので、ザンジバルが「インド洋のキューバ」になることを恐れていました。
さらにザンジバル革命は、アフリカ諸国に影響を与え、革命直後にタンガニーカ、ウガンダ、ケニアでも武装勢力が反乱を起こし、周囲に衝撃が広がります。
革命から3ヶ月後の4月に、タンガニーカとザンジバルの合併が発表され、現在のタンザニア連合共和國が生まれました。
この合併について、後に「米国国務省が仕掛けた」ことが明らかになったとは驚きました!
これは当時のアメリカの外交文書に書かれていたそうなのですが、
世界というものは、こんなに遠くのアフリカの小さな島にまで、社会主義勢力やアメリカの力が及んでいて、一国のあり方を左右しているものなのですね。
そのような国の軋轢の中で命を落とす人もいれば、フレディのように押し出されていく人もいる。
そしてフレディは飛んだのだ。蝶のように。

ザンジバルの鮮やかな色彩は、フレディの衣裳にも影響を与えている。
ザンジバルの色彩



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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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