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ザンジバルのフレディ

さて、ロンドンとモントルーの旅行記も終わりましたので、いよいよフレディ研究の本題に入っていきたいと思います。
フレディ・マーキュリーという不思議な人物を理解していきたいと思います。
そこでまず生まれ育ちについて。
フレディがアフリカのザンジバルで生まれて、インドで育ったことは周知のことなので、経緯は割愛します。
私が注目したのは、フレディが「アフリカ」と「インド」と「ヨーロッパ」のゴールデントライアングルの文化を、三段跳びで身につけたということ。この3つの文化の融合の成果が、フレディという人物を生み出したという事実です。
しかも、もともとのルーツは「ペルシャのゾロアスター」なのですから、もはや完璧と言うしかありません。
私は本当にフレディは不世出の天才ボーカリストだと思っていますが、それはこの生育歴から編み出されたものなので、もう今後2度と同じような人物は現れないと断言できるのです。なぜなら現在ではアフリカやインドにイギリスの植民地はなくなり、同じような生育ルートを辿ることは不可能になったためです。
 
フレディは17才でロンドンへ渡りますから、45年の生涯のうち、3分の1は非ヨーロッパで過ごしたことになります。
人生の3分の1といえば長い時間ですし、とくに子供から高校生にかけての、周囲からの影響を受けやすく、本人の感受性も鋭い年代をアジア・アフリカで過ごしたわけですから、そこからの影響は多大だったことがわかります。

アフリカのザンジバルについて。
なぜそんなにアフリカがすばらしいのか?
それは、アフリカのリズムがロックのルーツだからです!!
1940年代のアメリカで、アフリカ系アメリカ人の音楽がリズムアンドブルース呼ばれました。
ロックンロールは白人のカントリーと黒人のブルースの融合から、1954年頃に生まれたとされていますが、リズムアンドブルースの影響も大きかったのです。その後、リズム・アンド・ブルースは、60年代にはソウルミュージックとも呼ばれるようになりました。
フレディは幼少期にアフリカで、まさにロックの本家本物のリズムを体感していたのです!
フレディのリズム感の良さは、生まれた時からの環境によるものだったのです!

ザンジバルはアフリカの東海岸沖、現在のタンザニア領にあります。
フレディが住んでいたストーンタウンは、19世紀にアラブ人が作った町で、豊かな自然に恵まれ、奴隷の売買の拠点としても栄えていました。
フレディの本名、ファルーク・バルサラの家は海岸のすぐ近くにあり、潮騒の音が聞こえていたと思われます。
波の音もフレディのリズム感というか、うねるようなグルーヴ感を養ったことでしょう。
ストーンタウンは島の西側にあり、アフリカ本土を向いているので、波は小さく穏やかです。
幼いフレディは朝な夕なに海を眺め、浜辺で遊んでいたことでしょうから、広い海は少年に大志を抱かせるに充分なバックグラウンドになったはずです。
真っ赤な夕日が水平線に沈んでいく姿を眺めながら、その荘厳さに心を打たれたことも数え切れず、その海の向こうの世界に憧れを抱いたかもしれません。

ザンジバルはスワヒリ語なので、フレディもスワヒリ語はいくらか知っていたはず。
たとえば「ジャンボ!」(こんにちは)とか。バルサラ家の使用人は現地人だったので、フレディもスワヒリ語で使用人とやりとりしていたことでしょう。子供は言葉を覚えるのが早いですからね。
ちなみに、バルサラ家には使用人がいたので、裕福な家であり、フレディはおぼっちゃんだったと言われていますが、
当時のイギリス統治下のアフリカにおいては、現地人は最下層の階級とされ、たいへんに安い賃金で働かされていたので、
使用人を何人も雇うのは容易いことでした。
日本でも戦前までは貧富の差が激しく、ちょっとした普通の家でも使用人がいたのです。
私の母の家にも、姉やと婆やがいたそうです。それはそんなに珍しいことではありませんでした。
ですからフレディの家に使用人がいたことは大層なことではないけれど、やはりイギリス政府の役人であるバルサラ家は、ザンジバルでは上層階級であることは間違いなく、フレディもお坊ちゃんだったと考えられます。

ザンジバルには「ターアラブ音楽」という、ザンジバルで生まれた歌謡曲がありました。
アフリカだけではなく、アラブやインド、さらには中南米やヨーロッパのリズムに溢れ、ザンジバルの多種多様な人種・民族の楽器が混じり合い、それぞれの多彩な文化がアラベスクのように織り込まれているという。
フレディが小さな頃に聴いていたターアラブ音楽というものを、聴いてみたいものだと思う。

ザンジバルは多民族、多文化の島であり、お互いに尊重し合っていて、人々は優しい。
気候は熱帯で、一年中夏服で過ごせるし、果物や魚介類が豊富で食べ物に困らない、まさに楽園のような島で育ったということは、
フレディの性格にも決定的な影響を与えていると思う。
とくに、ちょうど今日のBSで、岩合光昭の「猫あるき」という番組のザンジバル編を再放送していたのだが、島には猫が沢山いて、島の人たちが猫を可愛がっている。猫も人を恐れない。
この島で育ったことが、フレディが猫好きになったことの原因だと、はっきりわかった。
以前にもこの番組をYouTubeで見たのだが、何とも島の様子が寒村のように寂しく写っている。
でも実際にはストーンタウンは賑やかな町で、今やアフリカで最高のリゾート地なのだという。
こ〜んなに美しい島なのだ! 機会があれば、ぜひ行ってみたい。
ザンジバル

それから、ザンジバルではバナナが豊富。
またインドはバナナの生産量が世界一なのだ。
だからフレディはバナナが好きなのは間違いない。
フレディはきっと寒いロンドンでバナナを食べながら、南の国を思い出していたのだろう。
「アフリカ」と「インド」と「ヨーロッパ」を股にかけた、スケールの大きなフレディは本当にカッコイイと思う。
ちなみに、スイスのモントルーで食べたバナナは、中米のコスタリカ産だった。おいしかった。
日本のバナナは大抵フィリピンか台湾産だから、世界にはもっと色々なバナナがあるんだね。
これは晩年になって、だんだんバナナの木になってきたフレディ。
バナナのフレディ






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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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