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三島由紀夫とフレディの奇妙な関係

いま「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」という映画が公開されています。
映画館に行くことは自粛すべきでしょうけれど、私は「N95マスク」という秘密兵器を持っているので、こっそりと映画館へ潜入してしまったのでした。N95とは、高性能の医療用マスクです。私はこれを福島の原発事故後に、放射能防御用として入手したのですが、幸いなことに使用したことはなく、まさか疫病のために使うことになるとは思いもよりませんでした。

三島由紀夫は何度もノーベル賞候補になったことがあり、世界的に有名な文豪です。
三島が自決する1年半前に、東大全共闘が企画した討論会の模様が記録されており、当時三島が何を語り、それを東大生がどう受け止めたのか、或いは反論したのかという実況が纏められています。
三島は学習院から東大へ進んだので、先輩と後輩の間柄であったわけです。
三島家は三代にわたり東大の法学部出身で、祖父は内務省の官僚、父は農林省の役人というエリート一家でした。

三島由紀夫は1970年11月25日に、市ヶ谷の陸上自衛隊で、自衛隊員らに決起を促したが何ら手応えがなく、その場で割腹自殺を遂げました。その日の夕刊に、三島の首の写真が載ったことは、当時中学生だった私も記憶しています。
三島は戦後の日本が物質主義になり、日本人が金の亡者になって、日本古来の精神性が薄れていくことを危惧し、何とか日本社会に喝を入れ、日本人を覚醒させたいと願っていた故の覚悟の自決でした。
三島由紀夫
三島由紀夫

これはこれで考えさせられる事件ですが、私がふと気になったのは、11月25日という日付です。
これは言うまでもなくフレディの命日11月24日の翌日。
しかし考えてみると、11月24日というのはイギリス時間ですから、日本とは時差があります。
フレディが亡くなった時間は、午後7時12分前で、ジム・ハットンはこの時間から自分の腕時計を動かさなくなったと証言しています。
ということは、フレディの命日は日本時間の11月25日ということになります!

三島由紀夫とフレディは、同じ45才の11月25日に亡くなったのです!
これは一体どういうことなのでしょう?
45才で亡くなった人は沢山いますし、11月25日に亡くなった人も沢山います。
でも45才の11月25日に亡くなったという人は、とても少なく、どのくらいの確率になるのでしょうか?

三島由紀夫とフレディの共通点は、他にもあります。
2人共バイセクシュアルだったこと、ボディビルで筋肉を鍛えていたこと、猫好きだったことなど。
そしてフレディは16才でザンジバル革命という不合理な暴力を経験しましたが、三島も16才の時に太平洋戦争が始まっています。
三島は生来虚弱な体質で、いよいよ出征の時になって気管支炎で高熱があったため入隊にはなりませんでした。
多くの友人が戦死した中、生き残った自分を責めた三島は、戦後25年間は余生であったと言っています。
戦後25年間に多くの作品を残し、文壇、映画界、演劇などで活躍しましたが、なぜか幻想の世界のようで虚しかったらしい。
一方フレディは1970年から25年間クイーンという虚構の中で活躍しました。

三島由紀夫とフレディの共通点は、何を意味するのでしょうか?
1925年生まれの三島と、1946年生まれのフレディに接点はありませんでした。
三島が自決した1970年は、クイーンデビューの年です。
三島は海外でも有名な作家ですから、当然翻訳もあり、三島切腹のニュースは世界を駆け巡ったことでしょう。
何しろ現代の「ハラキリ」ですから、世界が仰天したことは間違いありません。
1975年の初来日の前から日本が好きだったというフレディですから、当然興味を持ったことでしょう。
1970年8月に、ニューヨークタイムズが三島由紀夫の大特集を組み、武士道など日本の伝統を復活させた人として紹介しました。
時代の最先端に敏感だったフレディが目にした可能性もあります。
とにかく、三島の死を衝撃を持って受け止めたフレディの深層意識に、三島の型共鳴が起こったとは考えられないでしょうか?
フレディが三島のようになりたいと思ったわけではないでしょうけれど、余りにも深く心に刺さることがあると、無意識のうちにそれを再現してしまうということは考えられます。
フレディご乱心

三島はなぜ、45才で自決したのでしょうか?
大石内蔵助は45才で切腹、
大塩平八郎は45才で自決しています。
また45才は、昭和天皇が現人神から人間宣言をした年齢であり、三島は同じ年齢で人間となった天皇の身代わりになって死ぬことで「神」を復活させようとしたのではないかとする説があります。
11月25日は三島が尊敬していた吉田松陰が刑死した日でもあります。

三島がボディビルを行なった理由とは。
三島は生来虚弱で、身長も163センチだったため、身体に対するコンプレックスがあり、その反動としてボディビルを行なっていました。
たちまち筋肉隆々の身体を手に入れることができたのですが、それは「死んだ時に貧相な体だったら恥ずかしいから」だと言っています。筋肉を鍛えるのは死への準備でした。
フレディが筋肉を鍛えたのは、ハードゲイ社会からの影響だと思われますが、ハードゲイは1970年代後半からの流行だったので、三島との接点はありません。
でもカミユを愛読するなど、文学好きだったフレディが三島を知って、三島がバイセクシュアルのボディビルダーだと知ったなら、その影響を受けた可能性はあります。
フレディは五輪書を読むなど、相当な日本文化通でした。衆道(男色)について論じた「葉隠」も当然読んだでしょう。
そして現代の武士道を世界に示した三島に魅かれたのかもしれません。

三島由紀夫は真性の同性愛ではなく、ゲイバーに通っていたことはあったけれど、それは取材のためだったとも言われます。
三島は結婚して、2人の子供を持ちました。
初期の作品「仮面の告白」や「禁色」は同性愛を扱っており、近親相姦やSMなど、あらゆる愛情形態に興味を持っていました。
三島家の書生だった福島二郎は、三島と同性愛関係だったことを自伝的な小説に書きましたが、これは三島の死後に書かれたものであり、実際にはどこまでが事実だったのかは測りかねます。
ただ、三島のお気に入りだった美輪明宏については、相当のご執心だったようで、2人の関係は周囲でも公然の恋人だったようです。
美輪明宏は「恋愛関係ではなかった」と言っています。
美和明弘
美輪明宏

美輪明宏は三島由紀夫と親しかった人物で、フレディとも交友がありました。
つまりここにフレディと三島をつなぐ接点があるのです。
美輪明宏は10代の頃、大変な美少年で、ゲイバーで働いているところへ、三島が通ってきていました。それ以来、10年以上の交友関係がありました。
三輪の歌をきいた三島は「君は大物になる」と言って、三輪のレコードデビューの後押しをしました。
フレディは三輪から、三島の話をきいて感銘を受けたのかもしれません。

実際にフレディは、日本滞在でのボディガードを務めた伊丹氏に、お礼として日本刀を贈ったことがあります。
日本刀はベネディクトの日本文化論のタイトルにもなった「菊と刀」のように、日本精神の象徴であり、武士道の魂です。
お礼に日本刀を贈るということは、フレディ本人も所持していたということでしょう。
もちろん三島も持っていた日本刀です。
(それにしても日本刀は100万円単位の値段ですから、お礼に贈るというのはすごい!)

三輪は霊感があるので、三島には軍人の霊が憑依していると言いました。
それは磯部浅一という軍人で、二・二六事件で決起した将校らと行動を共にし、後に軍法会議で死刑判決を受けて刑死した人の霊だというのです。それをきいた三島も肯定していました。
霊の憑依ということがあるかどうかわかりませんが、これも「型共鳴」と考えれば、軍人の精神に三島が共鳴を起こしたとすることもできます。
三島は磯部浅一の「獄中日記」を高く評価していました。

また三島は、江藤小三郎という陸上自衛艦の影響を受けたとされています。
三島が自決する前年、江藤は混沌とした日本社会を救うため「覚醒書」を残して、国会議事堂前で焼身自殺を遂げた人物です。
このように三島も磯部浅一や江藤小三郎の影響を受け、フレディも三島の影響を受けたのかもしれず、そしてそれをつなぐ三輪明宏のような人物がいたり、人々が共鳴しあって歴史や文化が作り上げられていく有り様が、「いと をかしく」思われるのです。
それにしても、いくらフレディが三島の影響を受けたとしても、病死だったフレディが45才の11月25日に命日を合わせられるわけはないので、本当に不思議なことだと思われます。

三島は戦争中の死に美学を見出し、戦後の虚構を作り出してきました。
そして自決は現実と虚構の重なるところで、生涯と作品を一致させたとする説があります。
三島の死は「文学的な政治の」の極致であり、人生そのものを作品とした壮大なトリックであったのです!

そう、そこでやっと私はフレディと三島由紀夫の共通点がわかったのです!
この2人は、やはりトリックスターなのです!
フレディがトリックスターだというのは、私の持論です。
トリックスターとは、神話や伝承の中で、神や自然界の秩序を破り、いたずら好きだが、文化を発展させる者のこと。
善と悪、破壊と生産、賢者と愚者などの二面性を持っています。

三島はエリートの家に生れながら自由に生き、人に軽蔑されることを目指していました。
三島が作品の中で描き、自らも没入した自虐趣味と性的倒錯と死。
それが忌まわしいものだからこそ崇高なのだということを、彼は体現し続けました。
三島は社会に毒を投げ込み、今だに私たちを翻弄し続けているのです。
背徳者として後ろ指を指されることを演じ続けた三島由紀夫こそ、20世紀のトリックスターなのです!


長くなってすみません。
私が「三島由紀夫vs東大全共闘」を見たのは、実は東大生の中に知り合いがいたからなのです。
当時、東大で随一の論客と言われた芥正彦がその人です。
映画の中で、学生だった芥正彦が赤ちゃんを抱いて、三島由紀夫と渡り合っていました。
二人とも異常に頭が良いので、その論戦は一般人には理解しがたい観念的なものでした。
二人は会話をしているのですが、お互いに目を合わせません。
そして三島が日本を超えることがないとわかると、芥は「退屈だから帰る」と言って、本当に帰ってしまいます。
これは三島に対して、あまりにも失礼な行為ではありませんか。自分たちが三島を招聘したのですから。

この論戦から10年以上経って、私は芥正彦の劇団の仕事を手伝ったことがありました。
迎賓館の近くにあった劇団の裏手にはグランドピアノの残骸があり、それは別れた奥さんのものだったということでした。
芥は芸名で、Actorから来ているという。30代の彼は長髪で、意気軒昂な座長でした。
映画の芥氏は73才になっていましたが、話し方は全く変わっておらず、「今も自分の言葉を喋っているから」学生運動に「敗北はしていない」とのことです。ロックンローラーみたいですね。
73才といえば、芥氏は1946年生まれ、フレディと同じです。フレディも生きていればこんな感じなのかなあと。
そして芥氏が離婚後に交際していた女優の中島葵さんは、1991年に45才で亡くなっているのです。これもフレディと同じ。
どうしてフレディと同じ人が色々といるのか、めまいがしそうです・・・

最後に、医療用N95マスクを付けてみて、これがいかに苦しいものであるかがわかりました。
細かい粒子を遮断する性能があるので、息苦しいのです。
そして皮膚に密着させる必要があるため、ゴムの紐がきつくて頭が痛くなるのです。
いま病院で新型コロナの対応に当たっている医療関係者の皆さんが一日中これをつけているなんて、本当に辛いことだと思います!
息苦しいうえに、未知の病原体を相手にしているのですから、身体的にも精神的にもダメージを受けてしまうのでは?!
いま病院で診療に当たって下さっている方たちに感謝し、尊敬します。
本当にありがとうございます!!










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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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