ヨーロッパの色彩感覚について、驚くべきことがわかりました!
日本に比べて、ヨーロッパの色彩は「渋い」とか「シック」な感じがしませんか?
(「シック」とは、上品で洗練されているという意味)
日本の繁華街は様々な色が氾濫していて、いかにもアジアですが、ヨーロッパに行くと街並みの色が統一されていて、落ち着いた雰囲気を湛えています。
それはヨーロッパの色彩感覚が優れているからではなくて、実は「色に禁欲的」であるからだったのです!
ヨーロッパ中世において、多彩な色使いは、芸人や楽師や道化など、社会から疎外された人々の衣服の定番でした。
気晴らしや娯楽を提供する彼らは、社会の序列から排除された人々であり、彼らの派手な色使いは危険視されました。
道化服の典型は、赤と黄と緑をボーター柄やダイヤ柄に並べたもので、楽器を演奏する楽師も同様でした。
さらに中世では、多色の縞柄が娼婦のしるしとして使われており、カラフルな縞柄は売春と結びつけられる色の観念となりました。
赤や黄色、緑、青などの華やかな色は、道化師や娼婦のような被差別者の色であったのです!
フレディは典型的な道化の衣裳を着ていましたが、ヨーロッパにおいて、これは非常に目立つ色彩であり、突飛で下品な扮装であることが歴然としていたわけです。
クイーンのメンバーで、他にこのような衣裳を着ている人はいません。
フレディが初めてタイツ姿で現れた時、ロジャーは「勇気があるなあ」と思ったそうですね。
ロンドンに移住して民族的な差別を受けたフレディの、これは無言の抗議であり、挑戦であったのでしょう。

これはダイヤ柄ではなかったけれど、似たようなものでしょう。
ヨーロッパ人は少ない色数で色を統一しようとします。
ところが日本は色に寛容な文化であり、季節の色を楽しむ文化です。
日本人は自然の色を着るという発想を持っていますが、キリスト教文化圏では自然は神の創造物であり、自然の色も神の創造物なので、自然の色を身につけることは神への冒涜になってしまいます。
ヨーロッパで自然の色を愛好するのは、キリスト教ではないケルト民族だそうです。
日本人は木々の緑を愛好し、秋の紅葉を楽しみますが、キリスト教圏では色を塗り替えることは悪魔の仕業であり、いずれ色が変わる緑は欺瞞の色とされました。
日本人には想像がつかない感覚ですね。
そういえばヨーロッパには赤いモミジはありませんね。
自然の色を愛し、自然に同化して暮らす日本人とは違い、色を警戒してきたヨーロッパ人は、今なお色に厳しく向き合っているのです。
ヨーロッパ人にとっては、色は堕落への恐怖を呼び起こすものであり、古代ギリシャ以来、哲学者や芸術家や美術史家たちが「色は文化の堕落である」という偏見を抱き続けているというのです。
色は「世俗的で罪深いもの」であり、「快楽への欲望」を表しているとして戒められてきました。
19世紀イギリスのバチェラーによると、「色は危険なもの」であり、
「女性、東洋人、原始人、子ども、賎民、異常者、病人」など社会的弱者に結びつけて貶められました。
美術において、デッサンは男性的で精神的なものだが、色彩は女性的でプリミティブなものであり、野蛮人、黒人、アラビア人、インド人に好まれるとされました。
19世紀の男たちにとって、色は未開発・非文明のしるしであり、色は感情的な女にふさわしいと主張されたのです。
20世紀になっても、色は東洋と結びつき、たとえばディアギレフのバレエ団の色彩豊かな衣裳は、アラビアやエジプト、インド、ロシアなどの異国情緒をもたらし、鮮やかな色は東洋や官能と結びつけられる女性のものでした。
このようなヨーロッパにおいて、赤や黄色の派手な衣裳を身につけたフレディの登場は、世の品行方正な紳士淑女や、禁欲的な人たちから見れば、とんでもない悪魔、男娼、ペテン師、破壊者に見えたのではないでしょうか?

イギリスの音楽評論家たちは、フレディに対して終生辛辣だったそうですが、それはフレディが英国人の軽蔑するインド・アフリカからの移民であり、ヨーロッパとは違う色彩感覚を持っていたことも原因の一つなのではないでしょうか?
フレディは赤や黄色の洋服が好きでしたし、派手な柄のシャツも着ています。
今までは私も何気なく見ていましたが、これをヨーロッパ人の目に置き換えてみると、とんでもないことなんですよね。
赤や黄色や派手な色柄シャツは、ヨーロッパ人が着るものではなく、東洋の未開な部族や、頭が悪い女や、身分の低い芸人などが着るものなのですから、フレディはそれをわかって敢えて着ていたのでしょうか? それとも知らずに着ていたのでしょうか?
(そういえばフレディは東洋出身のガーリーな芸人なのだから、これはものすごい反撃ですよね!)
それを考えてみると、ここにフレディの深い孤独が浮かび上がってくるのです。
ザンジバル革命で故郷を追われ、ロンドンへやって来たフレディは、そこで移民として差別を受け、自分のアイデンティティを考えさせられることになります。
やがて白人のガールフレンドも出来、白人メンバーとバンドを組み、白人社会に溶け込んだかに見えましたが、彼は決して白人の中に埋没することはありませんでした。
白人のように地味な色合いの服を着て、目立たないようにすることなどなかったのです。
(地味なフレディって、フレディじゃないですよね)
やはり彼は東洋人の色彩感覚を持ち、それを敢えて主張したために、白人社会の中で孤立することになってしまいました。
家族のようなバンドメンバーがいるのだから、孤独ではなかったのでは? と思っていましたが、英国生まれの白人の中で、自分一人だけが故郷を持たない東洋人であることが、どんなに淋しいものであるか、やっとわかるようになってきました。

初期の頃、フレディは白黒を好んでいました。
白黒はもちろん二元性を表していますが、ヨーロッパにおいて黒は人間の罪の色であり、メランコリーを意味しました。
16世紀のヨーロッパで黒い服が定着しましたが、これは12世紀ドイツの聖ヒルデガルドがメランコリーを原罪と結びつけたことに端を発するとされます。
プロテスタントが黒い服を好んだのは、原罪によって堕落した人間が、メランコリーの黒を衣服とするべきとされたからでした。
メランコリーは精神的な病でしたが、創造的な制作を促すこともあります。
プロテスタントは赤や黄色、オレンジ、緑などを嫌います。
とくに赤は権力の色であり、ローマ・カトリックの色なので排除されました。赤は贅沢と罪と狂気のしるしとされます。
プロテスタントでは、謙虚で敬虔なモノトーンが好まれ、暗色系の衣服が多く、ステンドグラスもありません。
そもそも衣服とは、アダムとイブが犯した罪を想起させるので、罪と恥のしるしなのです。
繰り返しますが、ヨーロッパ人は、色を堕落と見る感性を持っています。
イギリスのイングランド国教会は、カトリックではないのでプロテスタントになります。
プロテスタントであると断定できないのは、ドイツのように宗教改革によって改定されたものではなく、ヘンリー八世が次々と妃を取り替えるために離婚したかったので、カトリックを離脱したに過ぎないためです。
ヘンリー八世については昔、リック・ウェイクマンの「ヘンリー八世と6人の妻」を聴いて勉強しました。
これね。

イギリスで産業革命が起こり、近代産業社会が始まると、黒を好ましいとするプロテスタントの色彩論を引き継ぎました。
近代ヨーロッパで資本主義を発展させる原動力のひとつが、プロテスタントのカルヴァン主義でした。
黒が資本主義の色になったのです。
当時、生産されるようになった車や万年筆、タイプライターなど、すべてが黒でした。
そしてピアノも!
ピアノはなぜ黒いのかの答えがここにあります。
ピアノが量産されるようになる前は、茶色い木材の色でしたが、工場で作られるようになって、黒く塗られるようになったのです。
19世紀のロンドンで、ダンディズムが生まれ、黒と白のコントラストこそダンディの着こなしとされました。
このあたりは20世紀にも残っていたかもしれません。
19世紀において、男性は黒服であり、女性は色彩をまとうようになりました。
女性は男性の持ち物なので、夫の財力を表す装いをしなければなりませんでした。
文明が発展すると男は黒になり、女は色を着るようになると考えられました。
女性は感情的でブリミティブであり、原初的な一部族のような存在とされたのです。
黒は近代社会の表象であり、文明の証であり、矜持のしるしでした。宗教的謙譲と人間的誇りを表します。
20世紀のル・コルビジェも、色は「素朴な民族、農夫、野蛮人」にふさわしいとして、白い建造物を作り続けました。
上野の西洋美術館を設計した人が、そんなことを考えていたなんて!
黒はプロテスタントの罪の意識から、近代社会の文明の色として受け継がれ、労働者の服の色にもなり、20世紀には「最もエレガンスを表現できると同時に、最も過激になりうる色でもある」としてファッション界を席巻しました。
黒はそもそもメランコリーの色であり、死の色でした。そのため修道服となり、喪服となり、道徳的な服になります。
近代社会ではヨーロッパ文明の知の色となり、男たちが着る服の色となり、20世紀にはエレガンスを示す色となりました。
「最も過激になるうる色」なので、ハードロックやパンクには黒が圧倒的に多い。

そして白は純粋や無垢、純潔、清浄というイメージから広く愛好され、かつては喪服も白でした。
白は原初性や自然と結びつくため、古代趣味や田園趣味の表現に用いられ、時代の流行に取り入れられて来ました。
黒と白の意味は、時代と場所によって様々ですが、私は両者とも「全てを含む色」「全てが充満する色」と感じます。
人によっては「全てを拒絶する色」とも感じられるかもしれません。
そして黒と白は道化の色でもあります。
とにかく、ヨーロッパ人は色に対してストイックな感覚を持っていること。
それはプロテスタントの罪の意識に由来し、近代資本主義の男性優位社会に受け継がれてきたものであることがわかると、また少しヨーロッパが理解できたような気がします。
それにしてもフレディはプロテスタント系のイギリスで窮屈だったでしょうね〜。
だからニューヨークや東京へ来て、羽をのばしていたのでしょう。
そもそもイギリスでロックが飛躍的に発展したのは、社会の締め付けが厳しいので、その反動だという話を現地できいたことがあります。
そして他の民族と混交することで、文化は発展していきます。
世界は今鎖国状態ですが、また自由な交流が行われるようになる日を楽しみにしています。
参考書籍
『黒の服飾史』 河出書房新社 / 徳井淑子著
日本に比べて、ヨーロッパの色彩は「渋い」とか「シック」な感じがしませんか?
(「シック」とは、上品で洗練されているという意味)
日本の繁華街は様々な色が氾濫していて、いかにもアジアですが、ヨーロッパに行くと街並みの色が統一されていて、落ち着いた雰囲気を湛えています。
それはヨーロッパの色彩感覚が優れているからではなくて、実は「色に禁欲的」であるからだったのです!
ヨーロッパ中世において、多彩な色使いは、芸人や楽師や道化など、社会から疎外された人々の衣服の定番でした。
気晴らしや娯楽を提供する彼らは、社会の序列から排除された人々であり、彼らの派手な色使いは危険視されました。
道化服の典型は、赤と黄と緑をボーター柄やダイヤ柄に並べたもので、楽器を演奏する楽師も同様でした。
さらに中世では、多色の縞柄が娼婦のしるしとして使われており、カラフルな縞柄は売春と結びつけられる色の観念となりました。
赤や黄色、緑、青などの華やかな色は、道化師や娼婦のような被差別者の色であったのです!
フレディは典型的な道化の衣裳を着ていましたが、ヨーロッパにおいて、これは非常に目立つ色彩であり、突飛で下品な扮装であることが歴然としていたわけです。
クイーンのメンバーで、他にこのような衣裳を着ている人はいません。
フレディが初めてタイツ姿で現れた時、ロジャーは「勇気があるなあ」と思ったそうですね。
ロンドンに移住して民族的な差別を受けたフレディの、これは無言の抗議であり、挑戦であったのでしょう。

これはダイヤ柄ではなかったけれど、似たようなものでしょう。
ヨーロッパ人は少ない色数で色を統一しようとします。
ところが日本は色に寛容な文化であり、季節の色を楽しむ文化です。
日本人は自然の色を着るという発想を持っていますが、キリスト教文化圏では自然は神の創造物であり、自然の色も神の創造物なので、自然の色を身につけることは神への冒涜になってしまいます。
ヨーロッパで自然の色を愛好するのは、キリスト教ではないケルト民族だそうです。
日本人は木々の緑を愛好し、秋の紅葉を楽しみますが、キリスト教圏では色を塗り替えることは悪魔の仕業であり、いずれ色が変わる緑は欺瞞の色とされました。
日本人には想像がつかない感覚ですね。
そういえばヨーロッパには赤いモミジはありませんね。
自然の色を愛し、自然に同化して暮らす日本人とは違い、色を警戒してきたヨーロッパ人は、今なお色に厳しく向き合っているのです。
ヨーロッパ人にとっては、色は堕落への恐怖を呼び起こすものであり、古代ギリシャ以来、哲学者や芸術家や美術史家たちが「色は文化の堕落である」という偏見を抱き続けているというのです。
色は「世俗的で罪深いもの」であり、「快楽への欲望」を表しているとして戒められてきました。
19世紀イギリスのバチェラーによると、「色は危険なもの」であり、
「女性、東洋人、原始人、子ども、賎民、異常者、病人」など社会的弱者に結びつけて貶められました。
美術において、デッサンは男性的で精神的なものだが、色彩は女性的でプリミティブなものであり、野蛮人、黒人、アラビア人、インド人に好まれるとされました。
19世紀の男たちにとって、色は未開発・非文明のしるしであり、色は感情的な女にふさわしいと主張されたのです。
20世紀になっても、色は東洋と結びつき、たとえばディアギレフのバレエ団の色彩豊かな衣裳は、アラビアやエジプト、インド、ロシアなどの異国情緒をもたらし、鮮やかな色は東洋や官能と結びつけられる女性のものでした。
このようなヨーロッパにおいて、赤や黄色の派手な衣裳を身につけたフレディの登場は、世の品行方正な紳士淑女や、禁欲的な人たちから見れば、とんでもない悪魔、男娼、ペテン師、破壊者に見えたのではないでしょうか?

イギリスの音楽評論家たちは、フレディに対して終生辛辣だったそうですが、それはフレディが英国人の軽蔑するインド・アフリカからの移民であり、ヨーロッパとは違う色彩感覚を持っていたことも原因の一つなのではないでしょうか?
フレディは赤や黄色の洋服が好きでしたし、派手な柄のシャツも着ています。
今までは私も何気なく見ていましたが、これをヨーロッパ人の目に置き換えてみると、とんでもないことなんですよね。
赤や黄色や派手な色柄シャツは、ヨーロッパ人が着るものではなく、東洋の未開な部族や、頭が悪い女や、身分の低い芸人などが着るものなのですから、フレディはそれをわかって敢えて着ていたのでしょうか? それとも知らずに着ていたのでしょうか?
(そういえばフレディは東洋出身のガーリーな芸人なのだから、これはものすごい反撃ですよね!)
それを考えてみると、ここにフレディの深い孤独が浮かび上がってくるのです。
ザンジバル革命で故郷を追われ、ロンドンへやって来たフレディは、そこで移民として差別を受け、自分のアイデンティティを考えさせられることになります。
やがて白人のガールフレンドも出来、白人メンバーとバンドを組み、白人社会に溶け込んだかに見えましたが、彼は決して白人の中に埋没することはありませんでした。
白人のように地味な色合いの服を着て、目立たないようにすることなどなかったのです。
(地味なフレディって、フレディじゃないですよね)
やはり彼は東洋人の色彩感覚を持ち、それを敢えて主張したために、白人社会の中で孤立することになってしまいました。
家族のようなバンドメンバーがいるのだから、孤独ではなかったのでは? と思っていましたが、英国生まれの白人の中で、自分一人だけが故郷を持たない東洋人であることが、どんなに淋しいものであるか、やっとわかるようになってきました。

初期の頃、フレディは白黒を好んでいました。
白黒はもちろん二元性を表していますが、ヨーロッパにおいて黒は人間の罪の色であり、メランコリーを意味しました。
16世紀のヨーロッパで黒い服が定着しましたが、これは12世紀ドイツの聖ヒルデガルドがメランコリーを原罪と結びつけたことに端を発するとされます。
プロテスタントが黒い服を好んだのは、原罪によって堕落した人間が、メランコリーの黒を衣服とするべきとされたからでした。
メランコリーは精神的な病でしたが、創造的な制作を促すこともあります。
プロテスタントは赤や黄色、オレンジ、緑などを嫌います。
とくに赤は権力の色であり、ローマ・カトリックの色なので排除されました。赤は贅沢と罪と狂気のしるしとされます。
プロテスタントでは、謙虚で敬虔なモノトーンが好まれ、暗色系の衣服が多く、ステンドグラスもありません。
そもそも衣服とは、アダムとイブが犯した罪を想起させるので、罪と恥のしるしなのです。
繰り返しますが、ヨーロッパ人は、色を堕落と見る感性を持っています。
イギリスのイングランド国教会は、カトリックではないのでプロテスタントになります。
プロテスタントであると断定できないのは、ドイツのように宗教改革によって改定されたものではなく、ヘンリー八世が次々と妃を取り替えるために離婚したかったので、カトリックを離脱したに過ぎないためです。
ヘンリー八世については昔、リック・ウェイクマンの「ヘンリー八世と6人の妻」を聴いて勉強しました。
これね。

イギリスで産業革命が起こり、近代産業社会が始まると、黒を好ましいとするプロテスタントの色彩論を引き継ぎました。
近代ヨーロッパで資本主義を発展させる原動力のひとつが、プロテスタントのカルヴァン主義でした。
黒が資本主義の色になったのです。
当時、生産されるようになった車や万年筆、タイプライターなど、すべてが黒でした。
そしてピアノも!
ピアノはなぜ黒いのかの答えがここにあります。
ピアノが量産されるようになる前は、茶色い木材の色でしたが、工場で作られるようになって、黒く塗られるようになったのです。
19世紀のロンドンで、ダンディズムが生まれ、黒と白のコントラストこそダンディの着こなしとされました。
このあたりは20世紀にも残っていたかもしれません。
19世紀において、男性は黒服であり、女性は色彩をまとうようになりました。
女性は男性の持ち物なので、夫の財力を表す装いをしなければなりませんでした。
文明が発展すると男は黒になり、女は色を着るようになると考えられました。
女性は感情的でブリミティブであり、原初的な一部族のような存在とされたのです。
黒は近代社会の表象であり、文明の証であり、矜持のしるしでした。宗教的謙譲と人間的誇りを表します。
20世紀のル・コルビジェも、色は「素朴な民族、農夫、野蛮人」にふさわしいとして、白い建造物を作り続けました。
上野の西洋美術館を設計した人が、そんなことを考えていたなんて!
黒はプロテスタントの罪の意識から、近代社会の文明の色として受け継がれ、労働者の服の色にもなり、20世紀には「最もエレガンスを表現できると同時に、最も過激になりうる色でもある」としてファッション界を席巻しました。
黒はそもそもメランコリーの色であり、死の色でした。そのため修道服となり、喪服となり、道徳的な服になります。
近代社会ではヨーロッパ文明の知の色となり、男たちが着る服の色となり、20世紀にはエレガンスを示す色となりました。
「最も過激になるうる色」なので、ハードロックやパンクには黒が圧倒的に多い。

そして白は純粋や無垢、純潔、清浄というイメージから広く愛好され、かつては喪服も白でした。
白は原初性や自然と結びつくため、古代趣味や田園趣味の表現に用いられ、時代の流行に取り入れられて来ました。
黒と白の意味は、時代と場所によって様々ですが、私は両者とも「全てを含む色」「全てが充満する色」と感じます。
人によっては「全てを拒絶する色」とも感じられるかもしれません。
そして黒と白は道化の色でもあります。
とにかく、ヨーロッパ人は色に対してストイックな感覚を持っていること。
それはプロテスタントの罪の意識に由来し、近代資本主義の男性優位社会に受け継がれてきたものであることがわかると、また少しヨーロッパが理解できたような気がします。
それにしてもフレディはプロテスタント系のイギリスで窮屈だったでしょうね〜。
だからニューヨークや東京へ来て、羽をのばしていたのでしょう。
そもそもイギリスでロックが飛躍的に発展したのは、社会の締め付けが厳しいので、その反動だという話を現地できいたことがあります。
そして他の民族と混交することで、文化は発展していきます。
世界は今鎖国状態ですが、また自由な交流が行われるようになる日を楽しみにしています。
参考書籍
『黒の服飾史』 河出書房新社 / 徳井淑子著
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