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クイーン公演2020/1/26  さいたまスーパーアリーナ

1月26日に、さいたまスーパーアリーナのクイーン公演に行ってきました!
やはり感想を書かねばなるまいと思います。

クイーンの公演は、45年前に武道館へ行って以来、じつに45年ぶりとなります。
あの頃、ロックミュージシャンは30才を過ぎたら生きていないと思われており、自分も40才まで生きるなんて信じられないことだったので、この45年という歳月の後に、今だに生きながらえている自分が、今だに活躍中のブライアンとロジャーを目にすることができて、本当に感無量でした。
70代のロックミュージシャンを見たのは初めてでしたし、その健在ぶりには驚かされ、嬉しく思います。
この公演を見て、一番印象に残ったのは、ブライアンの強靭さです。
来日して以来、東京のあちこちのお店に出没しているし、さいたまスーパーアリーナ公演を2日続きでこなし、その合間にはしょっちゅうツイッターに投稿しているって、これはいったいどういうパワーなのか、まさに「生ける奇蹟」です!
ブライアンは最近ビーガンを始めたそうなので、体調の変化もあるでしょうに、あいかわらずのご活躍に脱帽です。どうぞお体を大切に!
私も1年間ぐらいビーガンをやっていたことがありますが、はじめは解毒が進み、皮膚が黄色くなりました。体重が減り、体力も落ちてしまうので、1年ぐらいでリタイア。ビーガンは栄養素が足りなくなるので、サプリメントも必要です。

ブライアンは本当に全てを持っている人で、顔良し、頭よし、性格良し、経済力あり、名声あり、家族の愛情ありで、その上勲章をもらい、今度はコインも発行されるという、これ以上何を望んだら良いかわからないぐらいなので、毎年クリスマス頃になると、ちょっと鬱になってしまうのでしょうか。
あまりにも完璧で、世界のトップを独走してしまうと、それはそれでまた大変なのかもしれません。
ブライアンが持っていない、ただひとつのものとは、「永遠の命」です。
地球上に生息して、酸素を吸っている以上、活性酸素による老化は避けられず、こればかりはどうしようもありません。
しかし、このようなただひとつの弱点にツッコミを入れるのは、私の悪い癖かもしれません。ごめんなさいブライアン。
比類なき超人プライアンの姿を拝むことができて、本当に有難く感謝の念でいっぱいです。
ロジャーも元気で、歌声もきかせてくれて、本当に幸せでした。

今回の「ラプソディー・ツアー」について。
ラプソディ」というのは、「ボヘミアン・ラプソディ」から採ったものでしょうが、
「ラプソディ」とはもともと音楽用語で、民族音楽の延長にある、自由な形式の曲を指します。
日本語では「狂詩曲」と訳されますが、べつに狂っているわけではなく、「狂」とは面白おかしいとか、絵空事という意味です。
語源はギリシャ語から来ており、「歌をつなぎあわせること」という言葉が由来になっています。
それでラプソディは色々な曲調をメドレーのようにつなぎ合わせて作られます。
つまり、フレディの作曲法「つぎはぎ方式」は、ラプソディそのものだったというわけです!
「ボヘミアン・ラプソディ」や「マーチオブ・ブラッククイーン」など、初期の代表作は、みなラプソディ形式ということができます。
ですから今回のクイーンツアーは、フレディの初心に立ち返った、フレディらしさ溢れる「狂詩曲」の世界となりました。
コンサート全体が、次々とスタイルの違う曲をつなぎ合わせているため、総合的にまとめて長大なラプソディであると考えることもできます。
実に良く考えられていると思います。

まず、会場に入ると、ステージ上に巨大な黄金のティアラが据えられています。
クイーンのエンブレムと、楽器などを象ったティアラは楽しげで、いかにもラプソディの始まりを暗示しています。
ティアラは王侯貴族の装飾品ですから、女王の冠であり、クイーンの絶大なる成功を物語っているようです
QALのティアラ

QALが登場すると、ティアラは上方へ引き上げられ、舞台上はオペラ劇場のセットになります。
これは「ボヘミアン・ラプソディ」にオペラパートが含まれているとされるところから、デザインされたのでしょう。
(しかし私は「ボヘミアン・ラプソディ」のオペラパートは、どこがオペラなのかわかりません。ハテな?)
オペラを観に行く時と同じように、オペラグラスを持って行ったのですが、スクリーンにQALが大きく映し出されるので、あまり必要はありませんでした。しかし時々スクリーンがない時に、オペラグラスを使いました。
驚いたのはスマホでの写真撮影、ビデオ撮影OKで、しかもYouTubeに上げても良いとのこと。クイーンは太っ腹ですね!
でも本来は、自分たちの演奏をなるべく沢山の人に見たり、聴いたりしてもらった方がいいわけですから、著作権フリーにした方が絶対に得策なのです。
スマホのビデオも、なかなか良く撮影できるので、これも驚きです。
45年前の公演時とは隔世の感があります。
昔はペンライトを振ったり、100円ライターに火をつけて応援していたなんてことは、今の人たちはみんな知らないでしょうね!

コンサートの演出は、レーザー光線やミラーボールなどの照明は昔と変わりがないのですが、やはりCGが発達しましたね!
CGは面白いのですが、どうしてまだフレディのホログラムが登場しないのか?
昨年末の紅白歌合戦で、美空ひばりのCGが新曲を歌っていたので、そこのところだけ見ましたが、早くフレディの3次元ホログラムが見たいものです。

はじめの方で、CGでギリシャの神殿の柱が崩れてきて、コンサート終盤になって、また修復されます。
これは古い神話が破壊されて、自分たちの時代になったという意味で、そこでロックショーが繰り広げられるという意味でしょう。
終わりの方で(「ショーマストゴーオン」の時)神殿の柱がまた立ち上がるのは、元通りの時代に戻ったのではなく、新しい神話が始まるという意味に捉えたいと私は思ったのだけれど、実際はどうなのでしょう?
でもあの「ショーマストゴーオン」には感動しました。

オペラは19世紀までのハイカルチャーの時代の産物なので、それが終わり、現代のハイテク・モダン・ロックの時代になると、ステージの背景が変わります。
QALハイテク・モダン
ハイテク・モダンといっても、やはり20世紀だなあという感じ。クイーンは20世紀のバンドだったからね。
それにしても洗練されたステージ演出です!
全体的に鮮やかなロック・ショーになっており、ロック本来の毒気はない。
もともとロックはカウンターカルチャーであり、ワイルドでクレイジーで危険なものだったのだけれど、クイーンのステージは親子連れで楽しめる「安心・安全なロック」になってしまった。ブライアン博士の「正しいロック講座」みたいな。
それが悪いわけではなく、それがクイーンの功績なのですね。

QALレーザー光線
スモークに美しいレーザー光線が投影されます。
「Who wants to Live Forever」が壮大に盛り上がります。
はじめてロックショーに来た若い人は、本当に幻惑されると思います。

ブライアンのギターソロ
そしてついにブライアンのギターソロへ。
この写真の左端にブライアンがいます。
以前はブライアンのソロは、ちょっと退屈な時間だったけれど(ごめんねブライアン!)、今は本当にコンサートのハイライトだと感じました。やはり今のクイーンを引っ張っているのはブライアンなのだ。
博士が宇宙空間でギターの即興を弾く演出は新しいものだし、演奏はすばらしく、音は美しかった!
さすが「ギターの神様」!
ブライアンはギターの神になったのだ。
それを目撃することができて幸せでした。
本人もツイッターで「完璧な演奏だった」と言っています。
即興の最後にインクルーディングされたのは、ドボルザークの「新世界より」。
このように引用を行なうのも「ラプソディ」の常套手段なので、違和感はありません。
この「新世界」というのは、ドボルザークが仕事で訪れたアメリカのことで、アメリカから故郷のチェコへ向かって奏でている音楽なのですが、ブライアンは宇宙から地球へ向かってギターの歌を送っているのだろうか?
ブライアンにとっての「新世界」とは、彼が理想とするところの「世界が一つになったところ」なのだろうか?
世界が一つになって平和になり、争いが無くなり、皆が平等になれば、こんなにすばらしいことはないけれど、一つにするためには邪魔者を排除したり、お互いを監視しあったり、規制の厳しい窮屈な社会になるのはご免です。
ブライアンはきっと美しい理想を抱いているでしょうけれど、現実には難しい問題も山積ですね。

ドボルザークの「新世界より」のメロディーは、インディアン神話の英雄ハイアワサを扱った物語の「森の葬式」からインスピレーションを得て作曲されたものです。
英雄の物語といえば、やはりフレディを偲んでいるのかなというのは考えすぎでしょうか?
宇宙空間でギターを弾くブライアンは、死後の世界にいるフレディに音を届けているのかもしれません。

そしてドボルザークは、チェコの「ボヘミア楽派」に属していたという事実もあります。
ボヘミア地方とは、およそチェコの西半分の地域ですから、チェコはボヘミアンの発祥の地ともいえそうです。
ブライアンは「新世界より」を周到な考えのもとに選んだことは間違いありません。
やはり博士ですからね。

ギターソロの後に、神殿の柱が再生されるので、ブライアンはギターによって世界を更新したと考えられます。
新しい世界を生み出したのです。
それってやはり神様ですね!
すごいなあ。

新しい世界で、ブライアンがあのロボットのような奇妙な衣装になっています。
あれはスペースマン、あるいは新人類を表しているのですね。

QALラスト
しかし最後に、冒頭のオペラ劇場のセットも再生されるので、すべては劇場の中で起こっていたことがわかります。
ブライアンが宇宙に行ったり、神殿が再建されたりすることも、全ては架空の物語であり、絵空事であったとする、それこそが「ラプソディ」なのです!
まさに「ボヘミアン・ラプソディ」のラスト、「どうでもいいんだ、どうせ風は吹くんだ・・・」が思い起こされます。(私だけかもしれませんが)

というわけで、全体の構成が非常に良く組み立てられています。
まるでクイーンの音楽によるロック・オペラのようですが、でもあくまでも主体は音楽です。
他にも暗示的な部分はあります。
最後に出てくる、人間を脅かすロボットとは何か?
進みすぎるテクノロジーへの警鐘でしょうか?
「世界に捧ぐ」のジャケットに使用されたロボットは、SF好きのロジャーが気に入った作品が取り上げられたそうですが、今にして思えば、フレディだけが流血しているのが不吉な予兆だったのかもしれません。

まあ私は考えすぎなので、とにかく楽しいコンサートであることは間違いありませんので、これから名古屋・大阪の方はぜひご堪能下さい。ネタバレになってしまい申し訳ありません。

最後にアダム・ランバートについて。
彼もすばらしいシンガーですが、フレディとは全くタイプが違います。
フレディはあまりビブラートをかけない歌い方で、言葉のひとつひとつを大切に表現する特別な才能を持っていました。
クイーンを主導するエンジンだったフレディと、後継者を自認するアダムとでは、情熱の度合いも違うでしょう。
実際にライブでフレディを見た私たちにとっては、やはりクイーンはフレディ以外には考えられない。
QALでまたブライアンとロジャーに会えて嬉しかったけれど、嬉しさ反面、そこにいたはずのフレディの不在が際立つのです。
ああフレディがいないなんて!
誰もフレディの代わりをすることはできない。
公演中、フレディが2回、スクリーンに投影されました。
その時の観客の、悲鳴のような叫び声。
私も涙が滲みました。
クイーンの歌を歌ったことはないのですが、私も時々一緒に歌いました。
ほとんど全曲知っているのですから恐ろしい。

とはいえ、フレディが亡き今、アダムが引き継いで歌ってくれるのは嬉しいことです。
歌は人から人へ、時代から時代へ、歌い継がれていきます。
フレディは自分がシューベルトのような才能はないと思っていたかもしれない。
けれども、彼の歌がこれからも人の唇に歌い継がれていくことを、私も願ってやみません。
フレディ、ブライアン、ロジャー、アダム、ありがとう!
そしてバックバンドの皆さん、ローディー、スタッフの皆さん、お疲れさまでした!






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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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