武田仁という仏画家がいます。
どのような仏画なのか見てみました。

このように細い線でシンプルに描く方なので、いわゆる仏画のイメージとは違いますが、とてもきれいな線で、やわらかい印象です。
仏像たちがやさしく「大丈夫だよ」と言っているような気がします。
この仏画家が、フレディの絵を描いているのです!
武田氏はグラフィック・デザイナー出身なので、フレディと通じるものがあるのでは?
武田氏のサイトから引用します。
「何度目かの来日公演の際、日本のお土産にとプロモーターからプレゼントされた武田仁の画集と版画に感動したフレディは「タケダに会いたい」と切望した。1986年、ジャパンツアーで来日したフレディは武田との対面を果たし、その席で「いつか自分のポートレートを描いてくれないか」と依頼した。武田は快諾し、完成次第手渡す約束をする。
しかし、ほどなくフレディは病没してしまった。受け取り手がいなくなった絵をどうするべきか、クイーンのマネージャー、ジム・ビーチ氏と相談した結果、フレディの母へ贈ることとなった。作品はかなりの大きさが有った為、破損しないように輸送するには相応の費用がかかった。だが、レコード会社を通じて募金を呼びかけたところ、またたく間に費用が集まり、作品は無事、フレディの母のもとへと届けられた。贈った絵(如来になったフレディ)はドミニオン・シアターのフレディ・マーキュリー展示室とお母さんの自宅に飾られている。」
「如来になったフレディ」は、この絵ではないかと思います。

「如来になったフレディ」の絵では、如来と共にフレディが描かれています。
如来には薬師如来、阿弥陀如来、大日如来などがありますが、この絵は阿弥陀如来であると思われます。
阿弥陀如来と大日如来は、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーを起源とするという説があります。
阿弥陀仏の救済的性格は、ゾロアスター教の影響と言われます。
大乗仏教そのものがゾロアスター教の影響を受けており、阿弥陀如来に関する経典は北西インドで成立したものです。
ゾロアスター教研究の岡田明憲氏は、「浄土」という概念もゾロアスター教から来ており、そこにゾロアスター教の終末における世界の浄化の影響があるとしています。
そんなことを知ったら、フレディもさぞ驚いたことでしょうね。
つまり上の絵は、フレディとアフラ・マズダーが一緒にいる絵とも言えるのですから。
これは阿修羅か、千手観音か?

武田仁の経歴では、1981年に銀座の画廊「月光荘」で個展を開き、オーナーの中村曜子は恩人であるとしています。
中村曜子は、ピアニストの中村紘子の母親で、大変な経営手腕があり、政財界に広く人脈を持っていました。
しかし、1985年にレオナルド・ダ・ヴィンチの贋作を21億5000万円で売り込もうとした「月光荘事件」を起こし、国際的なスキャンダルとなりました。
その贋作をイタリアから無断で持ち出したことが、イタリアの文化財保護法に抵触するとして、ミラノ検察庁が捜査を行ない、1988年にミラノ検察庁に起訴されました。
1989年には、ゴルフ場会社の役員から預かったルノワールの『花束』を1億4500万円で売却し、その代金を横領した容疑で東京地検に書類送検されました。
中村曜子は1992年に亡くなりましたが、武田仁が墓参りに行ったところ、その墓は木柱一本だったそうです。
武田仁は、1981年、1983年、1985年にも月光荘で個展を開いています。
1985年は「月光荘事件」が起きた年ですから、何とも微妙です。
武田氏は月光荘の後、ベルギーのブリュッセルやニューヨークでも個展を開いており、欧米では知る人ぞ知るという仏画家になりました。
日本人が見ると不思議な絵ですが、外国人には人気があるようです。
フレディの絵をプリントしたTシャツもあります。

どのような仏画なのか見てみました。

このように細い線でシンプルに描く方なので、いわゆる仏画のイメージとは違いますが、とてもきれいな線で、やわらかい印象です。
仏像たちがやさしく「大丈夫だよ」と言っているような気がします。
この仏画家が、フレディの絵を描いているのです!
武田氏はグラフィック・デザイナー出身なので、フレディと通じるものがあるのでは?
武田氏のサイトから引用します。
「何度目かの来日公演の際、日本のお土産にとプロモーターからプレゼントされた武田仁の画集と版画に感動したフレディは「タケダに会いたい」と切望した。1986年、ジャパンツアーで来日したフレディは武田との対面を果たし、その席で「いつか自分のポートレートを描いてくれないか」と依頼した。武田は快諾し、完成次第手渡す約束をする。
しかし、ほどなくフレディは病没してしまった。受け取り手がいなくなった絵をどうするべきか、クイーンのマネージャー、ジム・ビーチ氏と相談した結果、フレディの母へ贈ることとなった。作品はかなりの大きさが有った為、破損しないように輸送するには相応の費用がかかった。だが、レコード会社を通じて募金を呼びかけたところ、またたく間に費用が集まり、作品は無事、フレディの母のもとへと届けられた。贈った絵(如来になったフレディ)はドミニオン・シアターのフレディ・マーキュリー展示室とお母さんの自宅に飾られている。」
「如来になったフレディ」は、この絵ではないかと思います。

「如来になったフレディ」の絵では、如来と共にフレディが描かれています。
如来には薬師如来、阿弥陀如来、大日如来などがありますが、この絵は阿弥陀如来であると思われます。
阿弥陀如来と大日如来は、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーを起源とするという説があります。
阿弥陀仏の救済的性格は、ゾロアスター教の影響と言われます。
大乗仏教そのものがゾロアスター教の影響を受けており、阿弥陀如来に関する経典は北西インドで成立したものです。
ゾロアスター教研究の岡田明憲氏は、「浄土」という概念もゾロアスター教から来ており、そこにゾロアスター教の終末における世界の浄化の影響があるとしています。
そんなことを知ったら、フレディもさぞ驚いたことでしょうね。
つまり上の絵は、フレディとアフラ・マズダーが一緒にいる絵とも言えるのですから。
これは阿修羅か、千手観音か?

武田仁の経歴では、1981年に銀座の画廊「月光荘」で個展を開き、オーナーの中村曜子は恩人であるとしています。
中村曜子は、ピアニストの中村紘子の母親で、大変な経営手腕があり、政財界に広く人脈を持っていました。
しかし、1985年にレオナルド・ダ・ヴィンチの贋作を21億5000万円で売り込もうとした「月光荘事件」を起こし、国際的なスキャンダルとなりました。
その贋作をイタリアから無断で持ち出したことが、イタリアの文化財保護法に抵触するとして、ミラノ検察庁が捜査を行ない、1988年にミラノ検察庁に起訴されました。
1989年には、ゴルフ場会社の役員から預かったルノワールの『花束』を1億4500万円で売却し、その代金を横領した容疑で東京地検に書類送検されました。
中村曜子は1992年に亡くなりましたが、武田仁が墓参りに行ったところ、その墓は木柱一本だったそうです。
武田仁は、1981年、1983年、1985年にも月光荘で個展を開いています。
1985年は「月光荘事件」が起きた年ですから、何とも微妙です。
武田氏は月光荘の後、ベルギーのブリュッセルやニューヨークでも個展を開いており、欧米では知る人ぞ知るという仏画家になりました。
日本人が見ると不思議な絵ですが、外国人には人気があるようです。
フレディの絵をプリントしたTシャツもあります。

スポンサーサイト