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アイルランドに平和を!

フレディの最後の恋人だったジム・ハットンは、アイルランドの出身です。
ライブエイドの立役者だったボブ・ゲルドフもアイルランド人で、フレディのマネージャーで恋人だったポール・プレンターは北アイルランド出身です。
アイルランドは長らくイギリスの支配下にあり、イギリスから過酷な扱いを受けてきたので、今でもアイルランド人はイギリスを良く思っていないようです。
今でもアイルランドの人に対して、イギリスと比較するようなことや、北アイルランド問題を話題にすることは避けた方が良いそうです。
ジム・ハットンはロンドンに来て、フレディと同棲するようになりましたが、イギリスに対しては複雑な思いがあったのではないでしょうか。
そんなアイルランドについて、ちょっとおさらいしてみます。
ジムとフレディ

⭐︎アイルランドといえばケルト文化!
紀元前265年ごろより、ヨーロッパからケルト人の渡来が始まりました。
ケルト人は高い文化を持っていましたが、集権的な政治形態ではなく、富の蓄財もしなかったため、次第にキリスト教に追いやられてしまいます。
しかしケルトの伝統はヨーロッパで長く息づき、ブリティッシュロックにも影響を与えました。
キングクリムゾンの「リザード」のジャケットにはケルト文様の凝ったデザインが一面に描かれており、「ディシプリン」のジャケットには、ケルトの結び目細工をもとにしたデザインが使われています。
ケルト系のミュージシャンでは、エンヤが有名です。
現在のアイルランドには「アイリッシュ・パンク」や「ケルトロック」もあるそうです。

映画「タイタニック」でも見られたアイリッシュダンスは、ケルト音楽と共に踊ります。(リバーダンスともいう)
リバーダンスは上半身を動かさずに下半身でリズムを刻むダンスですが、これは16世紀にイギリスからゲール語を禁止され、踊ることも禁止されたため、外から窓を通して見られた時に、上半身が動かないように、下半身だけで踊るようになったため。アイルランドの言葉と踊りを禁止するとは、イギリスもひどいことをするものですね。
アイリッシュダンスの伝統は、キリスト教以前からあったものです。
フレディの先祖も、ペルシャからインドへやってきた時、インドではゾロアスター教の布教とペルシャ語の使用を禁じられました。
二人とも同じような経験をした先祖を持っているので、共鳴するところがあったのか。

⭐︎アイルランドの歴史
8世紀末頃からノルマン人(ヴァイキング)の侵入が始まり、
1171年、アイルランドの豪族たちがイングランドのヘンリー2世の支配下に置かれます。
1541年、イングランドのヘンリー8世がアイルランド王を名乗り、本格的な支配が始まる。

1649年、クロムウェルがアイルランド占領のために侵攻し、大量の土地が没収され、多くの市民、老若男女が殺害されました。
一般市民の犠牲者は、病気や飢饉によるものを含めて20万人にのぼる。
生き残った政治犯は、1万2千人が西インド諸島を中心に奴隷として売られました。
クロムウェルの侵略は残忍極まりないものだったので、今でもアイルランドで最も嫌われているイギリス人になっています。
クロムウェルによりアイルランドは事実上の植民地となり、これ以後正式な移民が始まりました。

1801年、グレートブリテン王国とアイルランド王国が合併する。実質的にはイギリスによるアイルランド併合。

1840年代後半、ジャガイモの不作が数年続き、大飢饉が発生する。
この飢饉により、800万だった人口が2割も減り、生き残った人もアメリカへ移住するものが続出し、1911年には人口440万人にまで減少してしまい、現在に至るまでその人口は回復していません。
この時、イギリスは飢餓のアイルランドを助けるどころか、イギリスへの小麦の供出を強制し続けたので餓死者は100万人となり、アイルランド人のイギリスへの恨みは強く募ることとなった。
アイルランドではジャガイモが常食で、当時の小麦は高価なものであり、貧しい農民の口に入るようなものではなかった。

ジム・ハットンもジャガイモが好きなので、フレディがジムの誕生日に、10種類以上のジャガイモ料理を用意したという暖かいエピソードがあります。
フレディはイギリス植民地の支配層出身で、ジムはイギリスの支配を受けた国の出身。
お互いに生粋のイギリス人ではなかったので、ロンドンで生きるうえでは通じるものがあったのかもしれないが、世界はなんて複雑なのだろう。
やはり何かこの二人は偶然出会ったのではないような気がする。
ジムとフレディ2

1919年-1921年、アイルランド独立戦争
1922年、アイルランド自由国が成立、イギリスの自治領となる。ただし北部アルスターの6州は、北アイルランドとしてイギリスに留まる。これがアイルランド内戦へと発展する。

歴史的にイギリス(イングランド)への植民地支配の恨みが強く、今でも一部の住民の間では反英感情が強いとされます。
アイルランドは、イギリスから受けた虐殺や抑圧の歴史を持っていますが、イギリスに対して謝罪や賠償を求めることはなく、他国で告げ口外交をすることもなく、かといってイギリスとの友好を打ち出すわけでもありません。
ただイギリスと対等の関係であることを望んでいます。

アイルランドは、2011年の東日本大震災の時、自国が経済危機にあったにも関わらず、日本赤十字社に対して100万ユーロを寄付してくれました。
アイルランドの人は素朴で暖かく、鷹揚な人柄のようです。「何とかなるさ」と思っている。
イギリスは残酷で、アイルランド人を沢山殺しました。イギリス好きの人にとっては残念な歴史ですね。

⭐︎IRAについて
IRAとは、アイルランド共和軍のことであり、アイルランド独立戦争(対英テロ闘争)を行なってきたアイルランドの武装組織です。
IRAの目的は、アイルランド自由国成立後は、北部6州と南部26州(共和国)とを統一すること、つまり北アイルランドをイギリスから分離させて全アイルランドを統一することにあります。
IRA設立の背景には、17世紀にオリバー・クロムウェルが行なったアイルランド侵攻において、プロテスタントによるカトリック弾圧から続いてきた「アイルランド人に対する抑圧」があります。

1970年から1990年代にかけての「北アイルランド闘争」時代には、北アイルランドだけではなくイギリス本土でも爆弾テロが行われました。この頃のテロの記憶は私たちにも生々しく、映画にもなっています。
1994年にIRAは停戦を宣言。
1998年にベルファスト合意が成立、アイルランドは国民投票で、北アイルランドの領有権主張を放棄しました。
2000年、IRAは武装解除を表明。
2005年、IRAが武装闘争の終結を宣言しました。

しかし、ベルファスト合意に反対して散発的な行動を起こしているグループもあり、
2020年のブレグジットによって、アイルランドと北アイルランドの国境管理が再開されれば、過激なグループの闘争が再燃するのではないかという懸念もあるという。
ブレグジットとは、2019年12月12日にイギリスで行なわれた総選挙により決定した、イギリスがEUから離脱することを指す。
EUからの離脱について、ブライアン・メイは「世界が融合ではなく、分断に向かうのは悲しいことだ」と述べています。


⭐︎アイルランドの文学について
まずケルト神話として残る神話・英雄伝説を扱う口承文学が栄えました。
その後のアイルランドの文学にはアイルランド語で書かれたものと、英語で書かれたアングロ・アイリッシュ文学があります。
イギリスの植民地時代、連合王国時代にはアイルランド出身の小説家によって、多くの優れた小説が英語で書かれました。
この中には、『ガリヴァー旅行記』のジョナサン・スウィフト、『ドリアン・グレイの肖像』、『サロメ』のオスカー・ワイルドなどがいます。
ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』などの著作で、20世紀の欧米文学に大きな影響を与えました。
アイルランド出身のノーベル文学賞の受賞者として、W・B・イェーツ(1923年)、ジョージ・バーナード・ショー(1925年)、サミュエル・ベケット(1969年)、詩人のシェイマス・ヒーニー(1995年)がいます。
アイルランドには多くの優れた文学者がおり、世界に影響を与えています。

ケルトからの伝統を受け継ぎ、奥深い文化を生み出してきたアイルランド。
最近ではアイリッシュハープを弾く人も増えています。
アイルランドに行ってみたいなあ。



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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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