カウンターカルチャーの象徴だったロックは、若者たちの反抗の音楽でしたが、1970年代後半になると、音楽業界のメインストリームとして商業的に成功することが期待されるようになりました。
ちょうどクイーンが成功を収めたのが、この1970年代後半です。
レコード会社の意向や、大衆の好みに合わせて、わかりやすいポップなメロディーと、歌い上げるボーカル、洗練されたインストゥルメンタルのアレンジ、厚みのあるコーラスなどを持つバンドがもてはやされる時代です。
ロック評論の渋谷陽一は、1970年代後半、ラジオ番組でこのような音楽を「産業ロック」と呼んで批判しました。
槍玉に挙がったのは、ジャーニー、フォリナー、スティクス、REOスピードワゴン、カンサス、ボストン、TOTOたちで、いずれも聴きやすいポップなロックです。
「産業ロック」というのは日本だけで通用する言葉ですが、この頃アメリカでは「コーポレイト・ロック(企業のロック)」という言葉が使われていました。80年代になると、バンドはさらに巨大化し「ダイナソーロック(恐竜ロック)」と呼ばれるようになりました。
もともとアメリカのポピュラー音楽の売り方として、まず市場調査をして大衆の好みを分析し、それに合わせた音楽を制作して販売するという方法があります。
1970年代後半のロックにおいて、同じ手法が使われたということができます。
つまり「産業ロック」とは、「売るために作られた音楽」のことです。
それらには反逆性もなく、不良性も新奇性もなく、万人に受け入れられやすい音楽です。
渋谷陽一は、「ひとつひとつのアヴァンギャルドな試みが積み重なって音楽は進んでいく。そんな努力がない限り、音楽は動脈硬化するだけであり、産業ロックとはその動脈硬化なのである」「ロックのこれまでの試行錯誤の歴史を全て御破算にしてしまうような不安を感じる」とまで言っています。
渋谷陽一の後続の音楽評論家たちは、エイジア、チープ・トリック、ラヴァーボーイ、ハート、サバイバー、ナイト・レンジャー、キッス、エアロスミスらも産業ロックであるとしました。
さらに現在はレッド・ツェッペリン、クイーン、ロッド・スチュワート、ビリー・ジョエル、ヴァン・ヘイレンなども批判されるに至っています。
やはりクイーンは産業ロックであると私も思います。
しかも産業ロックの王様です!
デビュー初期の頃はそうではなく、彼らは純粋に音楽を追求するミュージシャンでした。
しかし3枚目の「シアーハートアタック」から風向きが変わってきて、より聴きやすい音楽へ変わっていきます。
そして「ボヘミアンラプソディ」のヒット以後、決定的に産業ロックの権化となっていくのです。

産業ロックの定番は「スタジアムロック」です。
スタジアムロックとは、何万人という観客を動員する大会場での派手なライブを行なう商業主義的なロックのこと。
クイーンが得意としたステージです。
スタジアムロックで人気のあったミュージシャンと、産業ロックは重なっています。
気になるのはクイーンの産業ロック王者時代と、フレディのハードゲイ時代が重なっていること。
この巨大な群衆からのエネルギーを受け止めるためには、それ相当の思い切った社会からの逸脱や、実際に筋肉を鍛えることも必要だったのではないか?
フレディは病気がわかってからは、ツアーをやめて、乱痴気騒ぎもやめています。

産業ロックが悪いとは言えませんが、ロック本来のカウンターカルチャーとしての役割は終わり、安心安全なお茶の間ロックになってしまったと言えるでしょう。
私はクイーンが生粋のミュージシャンであった2枚目までと、フレディが発病後に自分の使命に目覚めた後期の作品が好きです。
フレディは商業主義のロックも楽しんでプレイしていましたが、それは当時の若者として、自分たちがどこまで成功を追い求められるのか挑戦したいという気持ちもあったでしょう。
しかし商業主義に乗れずに悲劇を迎えた人もいました。
ニルヴァーナのカート・コバーンは、1991年のデビューアルバムで成功を収めましたが、もともとアンダーグラウンド志向だったため、自らの成功を喜んで受け入れることができず、うつ病やドラッグ依存となり、ついに1994年、ショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺してしまいました。

享年27才。「27クラブ」だ! このカーディガンは最近オークションに出され、
約3600万円で落札された。
遺書には「フレディ・マーキュリーのようにはなれない」とあった。
彼の死には他殺説もある。
フレディはアーティストとしての自分と、売れ続ける「フレディ・マーキュリー」との間に葛藤はなかったのだろうか?
彼は一人の人間として、巨大な恐竜「フレディ・マーキュリー」を乗りこなすことに苦心していた。
「朝目覚めた時に、自分がフレディ・マーキュリーじゃなかったらなあと思うことがある」と言っています。
やはり彼は「フレディ・マーキュリー」という仮面を被るグレート・プリテンダーだったのでは?

産業ロックや商業音楽の影で、多くの人がアルコールや薬物の過剰摂取、精神異常、自殺などに追い込まれていきました。
フレディと付き合いのあったバーバラは、「フレディのドラッグや乱痴気騒ぎは自殺行為だった」と言っています。
フレディの病気の原因は、単なる自己責任ではないところがあると、私は言いたい。
ミュージシャンはもともと繊細で過敏な性質なところへ、連日徹夜のレコーディングと、ツアーという過重な労働を強いられ、その見返りに多額のカネを与えられ、ドラッグとセックスで操られる。それに加えて常にマスコミの批判に晒され、バッシングされ、彼らは次第に壊れていく。
誰がフレディを殺したのか?
音楽産業の犠牲になったのか、
そもそもロックの反抗精神を抜き取るように音楽業界への働きかけがあったのか?
エイズが人工的に作られた生物兵器だという説の真偽は? (LGBTのカテゴリー参照)
・・・世界の闇は深い。
ちょうどクイーンが成功を収めたのが、この1970年代後半です。
レコード会社の意向や、大衆の好みに合わせて、わかりやすいポップなメロディーと、歌い上げるボーカル、洗練されたインストゥルメンタルのアレンジ、厚みのあるコーラスなどを持つバンドがもてはやされる時代です。
ロック評論の渋谷陽一は、1970年代後半、ラジオ番組でこのような音楽を「産業ロック」と呼んで批判しました。
槍玉に挙がったのは、ジャーニー、フォリナー、スティクス、REOスピードワゴン、カンサス、ボストン、TOTOたちで、いずれも聴きやすいポップなロックです。
「産業ロック」というのは日本だけで通用する言葉ですが、この頃アメリカでは「コーポレイト・ロック(企業のロック)」という言葉が使われていました。80年代になると、バンドはさらに巨大化し「ダイナソーロック(恐竜ロック)」と呼ばれるようになりました。
もともとアメリカのポピュラー音楽の売り方として、まず市場調査をして大衆の好みを分析し、それに合わせた音楽を制作して販売するという方法があります。
1970年代後半のロックにおいて、同じ手法が使われたということができます。
つまり「産業ロック」とは、「売るために作られた音楽」のことです。
それらには反逆性もなく、不良性も新奇性もなく、万人に受け入れられやすい音楽です。
渋谷陽一は、「ひとつひとつのアヴァンギャルドな試みが積み重なって音楽は進んでいく。そんな努力がない限り、音楽は動脈硬化するだけであり、産業ロックとはその動脈硬化なのである」「ロックのこれまでの試行錯誤の歴史を全て御破算にしてしまうような不安を感じる」とまで言っています。
渋谷陽一の後続の音楽評論家たちは、エイジア、チープ・トリック、ラヴァーボーイ、ハート、サバイバー、ナイト・レンジャー、キッス、エアロスミスらも産業ロックであるとしました。
さらに現在はレッド・ツェッペリン、クイーン、ロッド・スチュワート、ビリー・ジョエル、ヴァン・ヘイレンなども批判されるに至っています。
やはりクイーンは産業ロックであると私も思います。
しかも産業ロックの王様です!
デビュー初期の頃はそうではなく、彼らは純粋に音楽を追求するミュージシャンでした。
しかし3枚目の「シアーハートアタック」から風向きが変わってきて、より聴きやすい音楽へ変わっていきます。
そして「ボヘミアンラプソディ」のヒット以後、決定的に産業ロックの権化となっていくのです。

産業ロックの定番は「スタジアムロック」です。
スタジアムロックとは、何万人という観客を動員する大会場での派手なライブを行なう商業主義的なロックのこと。
クイーンが得意としたステージです。
スタジアムロックで人気のあったミュージシャンと、産業ロックは重なっています。
気になるのはクイーンの産業ロック王者時代と、フレディのハードゲイ時代が重なっていること。
この巨大な群衆からのエネルギーを受け止めるためには、それ相当の思い切った社会からの逸脱や、実際に筋肉を鍛えることも必要だったのではないか?
フレディは病気がわかってからは、ツアーをやめて、乱痴気騒ぎもやめています。

産業ロックが悪いとは言えませんが、ロック本来のカウンターカルチャーとしての役割は終わり、安心安全なお茶の間ロックになってしまったと言えるでしょう。
私はクイーンが生粋のミュージシャンであった2枚目までと、フレディが発病後に自分の使命に目覚めた後期の作品が好きです。
フレディは商業主義のロックも楽しんでプレイしていましたが、それは当時の若者として、自分たちがどこまで成功を追い求められるのか挑戦したいという気持ちもあったでしょう。
しかし商業主義に乗れずに悲劇を迎えた人もいました。
ニルヴァーナのカート・コバーンは、1991年のデビューアルバムで成功を収めましたが、もともとアンダーグラウンド志向だったため、自らの成功を喜んで受け入れることができず、うつ病やドラッグ依存となり、ついに1994年、ショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺してしまいました。

享年27才。「27クラブ」だ! このカーディガンは最近オークションに出され、
約3600万円で落札された。
遺書には「フレディ・マーキュリーのようにはなれない」とあった。
彼の死には他殺説もある。
フレディはアーティストとしての自分と、売れ続ける「フレディ・マーキュリー」との間に葛藤はなかったのだろうか?
彼は一人の人間として、巨大な恐竜「フレディ・マーキュリー」を乗りこなすことに苦心していた。
「朝目覚めた時に、自分がフレディ・マーキュリーじゃなかったらなあと思うことがある」と言っています。
やはり彼は「フレディ・マーキュリー」という仮面を被るグレート・プリテンダーだったのでは?

産業ロックや商業音楽の影で、多くの人がアルコールや薬物の過剰摂取、精神異常、自殺などに追い込まれていきました。
フレディと付き合いのあったバーバラは、「フレディのドラッグや乱痴気騒ぎは自殺行為だった」と言っています。
フレディの病気の原因は、単なる自己責任ではないところがあると、私は言いたい。
ミュージシャンはもともと繊細で過敏な性質なところへ、連日徹夜のレコーディングと、ツアーという過重な労働を強いられ、その見返りに多額のカネを与えられ、ドラッグとセックスで操られる。それに加えて常にマスコミの批判に晒され、バッシングされ、彼らは次第に壊れていく。
誰がフレディを殺したのか?
音楽産業の犠牲になったのか、
そもそもロックの反抗精神を抜き取るように音楽業界への働きかけがあったのか?
エイズが人工的に作られた生物兵器だという説の真偽は? (LGBTのカテゴリー参照)
・・・世界の闇は深い。
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