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フレディの「ハードゲイ」時代について

ハードゲイについて。書くのはむずかしい。
よくわからないから。
それでもちょっと書いてみる。

男性同性愛については、まったく問題ないと思うし、ぜんぜん気にならない。
古代ギリシャでは、市民の義務として行なわれていたわけだし、世界史の至る所で、日本でも歴史上連綿と行われてきた当たり前の行為である。
同性同士で愛し合うのは、それはそれでオメデタイことだし、末長く幸せになってほしい。
けれど、ハードゲイというのはちょっと違うようだ。

ハードゲイは和製英語なので、世界では通じない言葉だ。
海外では「レザー サブカルチャー」と呼ばれている文化様式のこと。
もとは1970年代後半から、ニューヨークで起こったゲイのムーブメントで、
筋肉を鍛えた肉体を誇り、SMなど過激な表現を行ない、旧来の硬派な男性性の言動をとる人たちがいた。
とくに黒い革に、銀色の鎖や鋲を付けた服装を好んだ。

フレディはアメリカで、この「レザー サブカルチャー」の洗礼をもろに受け、感化されたわけですね。
クイーンのメンバーが西海岸を好んだのに対し、フレディだけがニューヨークに住まいを持っていた。
レザーフレディ

アメリカでは、黒い革の服だけでなく、ブルージーンズに白いTシャツやタンクトップといった、黒・白・青の三色が好まれた。
それに軍隊仕様の個人認識票やブーツ、鍵や錠前型のアクセサリー、モヒカンやスキンヘッドの髪型、タトゥーなどのファッションが世界の若者へ広がっていった。
つまり、フレディのライブエイドの服装も、じつはハードゲイだったのである!
私はあのジーンズとタンクトップは、アフリカ飢餓のチャリティーなので、なるべく質素な衣装にしたのかと思っていたのだが、そんなものではなかったのだ!
フレディは自分のゲイという趣味嗜好、そして生き方を、芸風にまで浸透させていた。(これってシャレ?)
ライブエイドのゲイ

ハードゲイは、第二次世界大戦後のアメリカで、社会に迎合しない反抗的な男性性のあり方に共感する同性愛者たちが、ファッションや行動様式を通じて、同性愛者のアイデンティティーとして確立したもの。
これが『Leather subculture(レザー・サブカルチャー)』と呼ばれている。
フレディも同じ戦後生まれの世代で、社会から差別を受けた経験があり、社会に対する反発意識で共感したのだろう。
レザーのステージ
でもフレディの場合、黒いレザーの上下で決めていても、足元にはバレエシューズを履いていたりして、ハイカルチャーとの混交があって面白い。やはりハードゲイには成りきれなかったのだろうか?

日本にはハードゲイは根付いていない。
もともと日本には男性同性愛を禁忌とするところはなかったので、反抗する必要もなかったのかもしれない。
フレディは、ゾロアスター教で同性愛が禁じられているため、ずいぶん苦しんだようだが、ゾロアスター教の聖典アヴェスターは開祖ゾロアスターが書いたものではなく、アケメネス朝期に大部分が失われ、ササン朝期に復元されたものなので、後世のかなりの加筆訂正があると思われる。根本的な教義以外のところは、あまり気にしなくていいのだ。

アメリカのハードゲイは、あまりに過激になってしまい、問題もあった。
SMについては、私も詳らかではないが、フレディが1982年頃に付き合っていたビル・リードはフレディに暴力をふるい、フレディに外傷を負わせた。これはあまりに過激な行為だったのではないか?
そして男性同性愛は、両者の男性ホルモン(テストステロン)が高く、あまりに積極的になるので、交渉相手の人数が増えて行く。アメリカのアンケートで、これまでに付き合った人数が1000人以上いるというが27パーセントもいた。
これはどうみても「Too Much Love」では?
古代ギリシャの少年を教育する同性愛からは、ずいぶんかけ離れていると思うので、賛同できない。

ハードゲイの人たちは群れているので、きっと心が寂しい人たち
映画「ボヘミアンラプソディ」で、フレディがミュンヘンで飲み過ぎて倒れているところへメアリーが来て、それからポール・プレンターがどやどやと若者たちを連れて来るシーンがあった。あの皮ジャンの若者たちがハードゲイの連中だ。
ポール・プレンターも北アイルランドでマイノリティーのカトリックであり、カトリックで禁じられたゲイであったことから、ハードゲイにのめり込むことになったのではないか。

フレディも17才まで過ごしたアフリカとインドを捨て、ロンドンで「故郷喪失者」となり、世界を旅して仕事をするボヘミアンとなったため、心の中には常に寂しさと虚しさがあり、どこかに帰属したいという気持ちが強かったのだろう。
そこで出会ったハードゲイの世界に、たちまち魅了されてしまったと考えられる。
故郷喪失者にとって、最後のよりどころとなるのは自分の身体だ。
身体を鍛えて頑丈にしようとするのも当然だろう。
信じられるものは身体感覚だけという極端な捉え方もあり得る。

また、自分が生育した家庭が機能不全の場合、どこか他に父親や母親を求めてさまよい、新興宗教などに入ってしまうことがある。
心が寂しいと、誤って宗教団体を家族と同様に感じてしまうのだ。
フレディもハードゲイの仲間たちと一緒にいると、家族と同じような安心が得られたのかもしれない。
(フレディの家族は敬虔なゾロアスター教徒なので、同性愛は認められない)

1970年代のゲイ解放運動が生んだ産物として、おびただしい数のゲイ専用サウナ(バスハウス)やクラブがあった。
当時流行していた主張に、古い性行動の限界を突破することは、ひとつの政治的行為であり、抑圧された社会的規範から自由になったという証明なのだというものがある。
こうした主張に便乗した商売が隆盛し、性を商品化した結果、不特定多数と活発に交際していた彼らの間では、性感染症が激増していった。そこに登場したのがエイズである。
自由を謳歌していたフレディも、これには太刀打ちができなかった。

男性同性愛というと、普通はオネエとかオカマを想像してしまうと思うが、それとは違うハードゲイという世界があるのだ。
体を鍛えたマッチョでヒゲを蓄えた男同士の恋愛というか関係は、想像するのも難しいというか、想像不能である。
(ヒゲも強い男性性の象徴)
フレディはもともと線が細くて、女らしい仕草もあったので、ますます不可解である。
人間て複雑ですね。
フレディは太陽がノーアスペクトなので、付き合う相手によって生き方や外見も変わっていく。(占星術解読の項目を参照して下さい)
ハードゲイに憧れて、自分も逞しくなろうとしたが、やはり成りきれなかったフレディは、「グレート プリテンダー」でヒゲを剃り落した。
それからオペラ歌手と共演し、若い頃から好きだったハイカルチャーの世界との融合をはかる。
私にはその方が本来のフレディと思える。
自身の病気を知り、人生の限界を知った時、本来の自分のあり方に目覚めたのだ。

フレディの太陽ノーアスペクトは、父親との関係が薄いことも表しており、父親のような強い男性に憧れたという面がある。
父親のような男性に頼りたかったフレディは、男性の恋人にもたれかかっている幸せそうな写真がある。
太陽ノーアスペクトの男性は、自分がどのような男性になれば良いかわからないという面もある。
フレディが男性同性愛者として、どのように生きるのかアイデンティティーを確立するまでは大変だっただろう。

グレートブリテンダーの歌詞では、
「今にも消えそうな心に、宝飾の王冠を乗せて
煌びやかに見せよう
君がまだ、僕のそばにいると、自分に思い込ませて」
と言っているので、ハードゲイの世界では本当に愛する人を見つけられなかったのだろう。

そして出会ったジム・ハットンは、やたらと色々な人と付き合うようなハードゲイではなかった。
やはりフレディにはハードゲイは似合わない、と私は思うよ。

ちなみに、ハードゲイのコスチュームやアクセサリーは、ヘヴィメタルやパンクのファッションにも似ている。
しかしヘヴィメタやパンクのファッションは、アメリカよりもヨーロッパの軍服などに近いものが多く、ヨーロッパ伝統の馬具や拷問道具などから来ているため、「レザー サブカルチャー」ではないとされる。

フレディのレザージャケットは、ハードゲイの黒から、他の色が配色されるようになり、
フレディの皮ジャン

さらにバックルジャケットへと進化してゆく。
バックルジャケット

フレディはレザージャケットの下には、タイツのような伸縮性のある薄手のボトムスを着用していた。(モントルーの旧マウンテンスタジオで確認した)
これはバレエ愛好の時代を思わせるものであり、全くハードゲイではないので、やはりフレディは真のハードゲイではなく、様々な文化様式の混合だと思われる。
ロックとポップと「レザー サブカルチャー」とハイカルチャーのハイブリッドなのかもね。

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プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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