ミュシャの「モエ エ シャンドン」
ミュシャの「Qスタイル」
ミュシャはチェコ出身で、パリで活躍したグラフィックデザイナー、イラストレーター、画家ですが(1860〜1939)、ミュシャの作品には「Qスタイル」というものが多く使われています。
これは画面の中心にいる人物の背後に円形が描かれ、その下部が人物の衣装によって流れることにより、「Q」の形状を表すために名付けられたものです。
つまりこのようになります。

この「Qスタイル」を見て、すぐに思い浮かぶのは、クイーンのロゴです。

QueenのQが「Qスタイル」になっています。
(ミュシャのQスタイルも、下部が右へ流れるものが多い)
ミュシャはアールヌーボー(19世紀末〜20世紀はじめ)の代表ですが、1963年にロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館において、英国ではじめての本格的な回顧展が開かれたことにより、ロンドンでミュシャのリバイバルブームが起こっていました。
これに即座に反応したのが、ロンドンやサンフランシスコの若者文化(音楽・ファッション・ビジュアルアーツ)の人たちです。
当時、ベトナム戦争や核戦争の危機が高まる中、ロンドンやアメリカ西海岸では既存の体制に反抗するカウンターカルチャーが起こっていましたが、ミュシャが描く流麗で耽美的な花やファンタジーの世界は、平和を求める若者たちの感性と共通するものがありました。
カウンターカルチャーは、ベルエポック(パリが繁栄した時代)の中に、自分たちと共通するものを見出したのです。
1964年にロンドンへやって来たフレディは、そのような時代の空気をいち早く敏感に感じとり、吸収していったことでしょう。
当時美大でファッションやグラフィックデザインを学んでいたフレディが、ミュシャの存在を知らないはずはありません。
69年頃に新しいバンド名を考えていた時、彼の脳裏にミュシャの「Qスタイル」が思い浮かばなかったでしょうか?
そしてクイーンのロゴに、「Qスタイル」の名残が感じられないでしょうか?
フレディ初期の、ファンタジー世界への傾倒も、平和を求める時代の影響があったのかもしれません。

1960年代後半以後、ミュシャの描く女性像や装飾、曲線表現にインスパイアされた、サイケデリック・ロックのポスターやレコード・ジャケットが続々と登場します。
ジミ・ヘンドリックスやローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどのジャケットやポスターにアールヌーボー=ミュシャの影響が強く認められます。
こんなイエスの見慣れたジャケットにもミュシャの影響があったんですねえ。

そして1964年、ロンドンにオープンしたブティック「BIBA」は、当時の最先端のファッションリーダーとしてモダン・テイストから始まり、ロンドンのサイケデリア・ファッションを先導し、1920年代のノスタルジック・テイストへ行き着きました。
BIBAの看板は、明らかにアールヌーボーのデザインです。
BIBAはマリー・クワントよりも懐古的と言われ、フレディの懐古趣味とも符合しています。
最近のファッション界でボヘミアン調、ヴィクトリア調などが流行していますが、そうしたスタイルの源泉がBIBAなのです!
60年代に蘇ったミュシャ様式は、アメリカのコミックスや、日本の少女漫画にも影響を及ぼしました。
水野英子、山岸凉子、松苗あけみ、天野喜孝などにその流麗な描写が受け継がれています。
ミュシャの影響は今日まで続いているのですから、恐るべしミュシャ!!ですね。
これなどはまさに「Qスタイル」(山岸凉子「日出ずる処の天子」)

これは画面の中心にいる人物の背後に円形が描かれ、その下部が人物の衣装によって流れることにより、「Q」の形状を表すために名付けられたものです。
つまりこのようになります。

この「Qスタイル」を見て、すぐに思い浮かぶのは、クイーンのロゴです。

QueenのQが「Qスタイル」になっています。
(ミュシャのQスタイルも、下部が右へ流れるものが多い)
ミュシャはアールヌーボー(19世紀末〜20世紀はじめ)の代表ですが、1963年にロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館において、英国ではじめての本格的な回顧展が開かれたことにより、ロンドンでミュシャのリバイバルブームが起こっていました。
これに即座に反応したのが、ロンドンやサンフランシスコの若者文化(音楽・ファッション・ビジュアルアーツ)の人たちです。
当時、ベトナム戦争や核戦争の危機が高まる中、ロンドンやアメリカ西海岸では既存の体制に反抗するカウンターカルチャーが起こっていましたが、ミュシャが描く流麗で耽美的な花やファンタジーの世界は、平和を求める若者たちの感性と共通するものがありました。
カウンターカルチャーは、ベルエポック(パリが繁栄した時代)の中に、自分たちと共通するものを見出したのです。
1964年にロンドンへやって来たフレディは、そのような時代の空気をいち早く敏感に感じとり、吸収していったことでしょう。
当時美大でファッションやグラフィックデザインを学んでいたフレディが、ミュシャの存在を知らないはずはありません。
69年頃に新しいバンド名を考えていた時、彼の脳裏にミュシャの「Qスタイル」が思い浮かばなかったでしょうか?
そしてクイーンのロゴに、「Qスタイル」の名残が感じられないでしょうか?
フレディ初期の、ファンタジー世界への傾倒も、平和を求める時代の影響があったのかもしれません。

1960年代後半以後、ミュシャの描く女性像や装飾、曲線表現にインスパイアされた、サイケデリック・ロックのポスターやレコード・ジャケットが続々と登場します。
ジミ・ヘンドリックスやローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどのジャケットやポスターにアールヌーボー=ミュシャの影響が強く認められます。
こんなイエスの見慣れたジャケットにもミュシャの影響があったんですねえ。

そして1964年、ロンドンにオープンしたブティック「BIBA」は、当時の最先端のファッションリーダーとしてモダン・テイストから始まり、ロンドンのサイケデリア・ファッションを先導し、1920年代のノスタルジック・テイストへ行き着きました。
BIBAの看板は、明らかにアールヌーボーのデザインです。
BIBAはマリー・クワントよりも懐古的と言われ、フレディの懐古趣味とも符合しています。
最近のファッション界でボヘミアン調、ヴィクトリア調などが流行していますが、そうしたスタイルの源泉がBIBAなのです!
60年代に蘇ったミュシャ様式は、アメリカのコミックスや、日本の少女漫画にも影響を及ぼしました。
水野英子、山岸凉子、松苗あけみ、天野喜孝などにその流麗な描写が受け継がれています。
ミュシャの影響は今日まで続いているのですから、恐るべしミュシャ!!ですね。
これなどはまさに「Qスタイル」(山岸凉子「日出ずる処の天子」)
