Jackie誌のクイーン特集 1976年によると、
フレディは作曲のインスピレーションを得るために、よくテイトギャラリーにリチャード・ダッドの絵を見に行っていたという。
リチャード・ダッドは、19世紀のイギリスの画家で、妖精やシェイクスピアの世界を描いたことで有名です。
20才でロイヤル・アカデミー美術学校に入り、「眠るティターニア」と「パック」が評価されました。
「眠るティターニア」 ルーブル美術館

「パック」

しかし24才で中東を旅行していた時に、「自分はオシリスの使者だ」と言い始め、悪いものがついている人間を殺さなければならないという妄想に取り付かれて凶暴になってゆき、ついに「父親の中にいる悪魔を殺す」ために、父親をナイフで殺害してしまいました。
そのため精神病院に収容され、じつに40年以上にわたって最後まで病院で過ごすことになりました。
「お伽の木こりの入神の一撃」The Fairy-Feller’s Master Stroke

フレディはこの絵をもとに「フェアリ・フェラーの神技」を作曲しました。
この画面を埋め尽くす緻密な画法は、明らかに強迫的であり、画家の心理をあらわしています。
54センチ×40センチの小さな画面の中に、虫眼鏡を使って書き込まれています。
「妖精の木こりが放つ神技の一撃」という意味です。
妖精の木こりがヘーゼルの実を斧で割ろうとしており、魔女の女王ティターニアと妖精王オべロンもいます。
一説によると、この絵の人物たちの時間は凍りついたように止まっていますが、木こりがヘーゼルの実を割った時に再び時間が動き出し、自由の身になると考えられています。
リチャード・ダッドは、この絵について細かい説明文を残していました。
フレディが書いた歌詞は、かなりの部分がダッドの文章からそのまま引用されています。
今ではダッドの説明文をネットで探すことができますが(英語で)、1970年代にこれを探し出したフレディの情報収集力はすごいものだったと思います。
しかしこの絵を音楽化するというのもすごい試みで、しかもよくぞこれほどの音楽化が成功したものという、お気に入りの一曲です!
リチャード・ダッドは精神病院に収容されましたが、病院の中で絵を描くことができたので、生活の心配をすることなく画業に打ち込むことができました。
フレディはダッドやニジンスキーのように、人生の大半を精神病院で過ごした天才に惹かれるところがありましたが、フレディが狂気に陥ることはなくて良かったですね。まあ精神の均衡を保つために、倒れるまで買い物をしたり、同性愛に耽ったりしていたのでしょう。
「この黄色い砂浜に来て」

シェイクスピアの「テンペスト」に着想を得て描かれたもの。
たしかに幻想的で神秘的な魅惑があります。
フレディもフェアリーフェローだったのかもしれません。
テイトギャラリーにある「彷徨える音楽家」

フレディは間違いなくこの絵を見ていました。
7月1日からEUは日本からの渡航も許可するようですが、テイトギャラリーに行かれる人は、ぜひダッドを見てみてください。
あっ、イギリスはEUではなかったか。
フレディは作曲のインスピレーションを得るために、よくテイトギャラリーにリチャード・ダッドの絵を見に行っていたという。
リチャード・ダッドは、19世紀のイギリスの画家で、妖精やシェイクスピアの世界を描いたことで有名です。
20才でロイヤル・アカデミー美術学校に入り、「眠るティターニア」と「パック」が評価されました。
「眠るティターニア」 ルーブル美術館

「パック」

しかし24才で中東を旅行していた時に、「自分はオシリスの使者だ」と言い始め、悪いものがついている人間を殺さなければならないという妄想に取り付かれて凶暴になってゆき、ついに「父親の中にいる悪魔を殺す」ために、父親をナイフで殺害してしまいました。
そのため精神病院に収容され、じつに40年以上にわたって最後まで病院で過ごすことになりました。
「お伽の木こりの入神の一撃」The Fairy-Feller’s Master Stroke

フレディはこの絵をもとに「フェアリ・フェラーの神技」を作曲しました。
この画面を埋め尽くす緻密な画法は、明らかに強迫的であり、画家の心理をあらわしています。
54センチ×40センチの小さな画面の中に、虫眼鏡を使って書き込まれています。
「妖精の木こりが放つ神技の一撃」という意味です。
妖精の木こりがヘーゼルの実を斧で割ろうとしており、魔女の女王ティターニアと妖精王オべロンもいます。
一説によると、この絵の人物たちの時間は凍りついたように止まっていますが、木こりがヘーゼルの実を割った時に再び時間が動き出し、自由の身になると考えられています。
リチャード・ダッドは、この絵について細かい説明文を残していました。
フレディが書いた歌詞は、かなりの部分がダッドの文章からそのまま引用されています。
今ではダッドの説明文をネットで探すことができますが(英語で)、1970年代にこれを探し出したフレディの情報収集力はすごいものだったと思います。
しかしこの絵を音楽化するというのもすごい試みで、しかもよくぞこれほどの音楽化が成功したものという、お気に入りの一曲です!
リチャード・ダッドは精神病院に収容されましたが、病院の中で絵を描くことができたので、生活の心配をすることなく画業に打ち込むことができました。
フレディはダッドやニジンスキーのように、人生の大半を精神病院で過ごした天才に惹かれるところがありましたが、フレディが狂気に陥ることはなくて良かったですね。まあ精神の均衡を保つために、倒れるまで買い物をしたり、同性愛に耽ったりしていたのでしょう。
「この黄色い砂浜に来て」

シェイクスピアの「テンペスト」に着想を得て描かれたもの。
たしかに幻想的で神秘的な魅惑があります。
フレディもフェアリーフェローだったのかもしれません。
テイトギャラリーにある「彷徨える音楽家」

フレディは間違いなくこの絵を見ていました。
7月1日からEUは日本からの渡航も許可するようですが、テイトギャラリーに行かれる人は、ぜひダッドを見てみてください。
あっ、イギリスはEUではなかったか。
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