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生物はウィルスが進化させた? / 新型コロナについての見解

日本も緊急事態宣言が発令され、5月6日まで外出自粛と、一部の施設に休業要請が出ています。
私もほとんどの仕事をオンラインに移行し、何とか危機を回避している状態です。
今日は少し、新型コロナについて書いてみたいと思います。

まず「新型コロナ」という呼称についてですが、もともとコロナウィルスは風邪の原因ですし、常に新型コロナウィルスは出現していて、SARSやMARSも新型コロナウィルスなので、紛らわしいので今回のウィルスは「COVID-19」と呼ぶことにします。

▼COVID-19はどこから来たのか?
いくつかの説がありますが、大別すると次の2つになります。
・自然発生説・・・コウモリ由来のウィルスが武漢の海鮮市場から人間に感染した
・人工的に造られたものとする説・・・中国科学院の武漢ウィルス研究所で造られたものが外部に漏洩した

これはどちらが正しいか断定することはできません。
私たちは断定できる根拠を持っていないからです。海鮮市場を調査することもできないし、ましてや武漢ウィルス研究所は謎に包まれています。
武漢ウィルス研究所は、ウィルスの漏洩を強く否定していますが、私たちはそれを信じるしかないのでしょうか?
信じるか信じないかは宗教の世界ですから、まったく科学的ではありませんね。私たちはそのような不合理な世界に生きています。
中国は、COVID-19はアメリカが造ったと言っています。また、イランと敵対する、ある国が造ったことを示唆する人もいます。
このようにCOVID-19の発生源は、全く不明なままなのです。

ただし、COVID-19はコウモリ由来のウィルスであり、武漢ウィルス研究所ではコウモリのウィルスを研究していました。
ウィルス研究所と海鮮市場は近くにあり、この両者が無関係であるというのは無理というものではないでしょうか。

◎COVID-19が自然発生であるとした場合
コウモリ由来のウィルスですから、これは人間と動物の関係に問題があります。
近代以後、人間は経済発展のために自然を破壊し、動物たちを迫害してきました。
住むところを追われた動物たちは人間の住居に近づき、それが結果的に病原菌をもたらすことにもなりました。でもそれは動物が悪いわけではありません。
私たちは動物界や自然界との関係性を見つめ直す時期に来ていることには間違いがありません。
てなことはブライアン・メイも言っており、それゆえに彼はベジタリアンになったわけですよね。
そうなんだよ!
そうなんだよ!

◎COVID-19が人工的に造られたものであるとした場合
この人工説は、ノーベル賞学者のリュック・モンタニエ氏が言っているのもので、COVID-19はサーズウィルスにエイズウィルスを加えたものであるとしています。
モンタニエ氏によると、武漢の研究所では、おそらくコウモリを使って、エイズの治療薬を開発していたのだが、何らかの原因で漏れてしまったのだろうとしています。
え?エイズウィルス? とここで、にわかにフレディに近くなってくるわけですね。
呼んだ?
なんか、呼んだ?

モンタニエ氏は、多くのエイズ患者に対応し、エイズの研究と治療に生涯を捧げた人物です。
彼の説には反対者もいるのですが、ことエイズに関しては、氏の研究は信頼できるのではないかと思います。
実際に、COVID-19の患者に、エイズの治療薬を投与して奏功しているわけですし、似たところがあるのではないでしょうか。
エイズウィルスは人間の免疫を攻撃し、発症から10年ぐらいを経て、最後は肺炎で亡くなることが多い(フレディ〜〜泪)が、COVID-19は劇的に進行が早い肺炎です。最後は重症呼吸器不全で亡くなります。COVID-19も人間の免疫を攻撃するという報告があります。

もしCOVID-19が人工のものだとすると、一体何のためにつくられたのでしょうか?
エイズの治療薬開発のためとする説の他、中国政府の権威を強くするためとも言われています。
COVID-19が広がる前、香港では激しいデモが頻発していました。でも今では全くデモは行われていません。人が集まることはできないからです。幸い、今のところ香港の感染者数は少ない状態です。
実は2019年の6月に武漢でも数千人のデモが行われていたのですが、今では跡形もありません。
それが感染症と関係があるのかはわかりません。今後も解明されることはないと思います。
つまりCOVID-19は生物兵器だとする説がありますが、これの真偽が明らかになることはないでしょう。
そういえばエイズウィルスも生物兵器だとする説がありましたし、スペイン風邪も、サーズも、鳥インフルエンザも、全て生物兵器説が存在します。そしてこれらは陰謀論だと言われます。でも陰謀論の中には一抹の真理が含まれているともされています。
とにかく全ては藪の中です。

結局、COVID-19がどこから来たのかは、わからないのです!

▼ウィルスとは何か
にわか勉強をしました。
現在の生物学では、「ウィルスは生物ではない」とされています。
生物とは細胞からできている、と今の学者が決めているからなのです。生物は細胞からできていて、代謝を行ない、自分と同じものを複製するものと定義づけられています。
ウィルスは自己複製ができないので生物ではなく、物質であるということになります。

ところが2000年代になって、今まで知られていたウィルスよりも遥かに大きいサイズの「巨大ウィルス」が次々と発見されるようになりました。巨大といっても、光学顕微鏡で見ることができて、小型の細菌と同じぐらいの大きさであり、今までは細菌と間違えられていたというのです。
さらに、巨大ウィルスの中には、今までのウィルスは持っていないとされていた「翻訳システム」の一部を持っているものがおり、より生物に近いものであることが確認されています。
(翻訳システムとは、RNAの情報に基づき、たんぱく質を合成する反応のこと。このあたり、生物学を学んだロジャー・テイラーならよく知っているでしょう!)
ロジャー
え、呼んだ?

現在、ウィルス学において、生物と無生物の間の境界が崩れつつあるのです!
これは生物の進化において、ウィルスが生物に進化しつつあるのではないかと、素人の私は考えています。
そう、いまCOVID-19は大進化を遂げるべく邁進中なのです!

もともとウィルスは世界中に膨大にいて、その数は地球上の全生物の全細胞の数よりも多いとされています。
私たちはウィルスの海の中を泳いでいるのです。
ウィルスはインフルエンザやノロウィルスのように、人間に病気をもたらすものとされがちですが、実はウィルスとは、地球生態系になくてはならない存在です。病原性を持たないウィルスの方が圧倒的に沢山いるのです。
巨大ウィルスは真核生物(人間を含む)に何度も感染を繰り返してきており、お互いに遺伝子をやりとりしてきた、つまりお互いに進化し合ってきたことがわかっています。
病気を起こさないウィルスは、細胞の中に遺伝子を撒き散らし、莫大な数に増えて、量産工場にしています。
ウィルスは自分だけでは増えることができず、生物にとりついて、そこで自己増殖していきます。
しかし生物は奪われるだけではなく、ウィルスから恩恵を受けてきたのです。
たとえば哺乳類の胎盤ができたのは、ウィルスのおかげだったことがわかっています。
2003年にヒトゲノムが解読された時、なんとヒトゲノムの半分以上がウイルス由来ではないかと考えられる塩基配列であることが判明しました。私たち胎盤を持つ哺乳動物は、あるレトロウィルスが生殖細胞に感染した哺乳類の子孫なのです!

生物の進化に、ウィルスが関与していることは間違いないとされています。
ウィルスによって人間は進化させられているのかもしれません。
巨大ウィルスの祖先は、人間も含めた全ての生物の共通祖先である可能性があります。
生物はウィルスが効率よく増えるための土台であるかのように見えますが、「生物はウィルスから進化した」とも考えられます。

(参考書籍『生物はウィルスが進化させた』ブルーバックス
 『ヒトがいまあるのはウィルスのおかげ』武村政春著)

今、地球上に大きく広がったウィルスは、大きく進化を遂げようとしているのかもしれません。
それは私たち人間も大きく変化を起こしているということの証明でもあり、今まさに地球は大変動の真っ只中にあるということができます。
ウィルスが生命進化の立役者であることがわかると、今の世界への見方が変わってきますね。

▼これからのCOVID-19
テレビでは毎日新型コロナの報道をしています。
感染者の人数など、異常なほど詳しく報じています。
どうしてこれほどコロナを煽るのでしょうか?
テレビは人々の「恐れ」を煽っています。
日本では現在、感染者が12000人ぐらい、死亡者が300人ぐらいです。

ところがインフルエンザでは、日本では毎年800万人から1000万人が感染し、3000人ぐらいが亡くなっています。
この感染者数は病院へ行った人の人数なので、実際はもっと多い。
COVID-19の感染者は、日本で1日500人ぐらいで、毎日報道しており、緊急事態宣言が出され、外出自粛や休業要請もありますが、インフルエンザは1日の感染者が57000人以上にならないと注意喚起は行なわないそうです。休業もありません。
なぜインフルエンザのことはあまりニュースにならないのでしょう?
致死率の違いはありますが、インフルエンザの0.2パーセントに対して、COVID-19は2パーセントぐらいなので10倍といわれます。(WHOによる) もちろん各国間のばらつきがあり、イタリアやスペインでは死亡率が高くなっています。
やはり日本のメディアは異様にCOVID-19による恐れを拡散しており、私たちはそれに煽られてはいけないと思います。

COVID-19は人間の細胞内で自動的に増殖しているだけで、本来は宿主を殺してしまっては、自分たちも生き延びられないので、人間を殺そうとしているわけではありません。
人間が滅亡するわけでもありません。
ウィルスが人間を攻撃しているのではありませんが、人間にとって、やはり今回の疫病拡大には考えさせられるところがあります。
・産業革命以来、経済成長を追求するあまり、自然を破壊し、環境を悪化させてきたこと。
もうその限界に来たことを思い知らされているのではないか。
・私たちがあまりにも贅沢な生活を享受しすぎたのではないか。
快適な生活を求めるあまり、石油資源や電気を使いすぎているのではないか。
・肉食のために家畜を量産し、過酷な環境で飼育したあげくに屠殺し、
薬品や化粧品開発のために動物実験を行ない、多くの動物の命を苦しみの中で奪っている。

などなど、考え出すとキリがありません。
そしてCOVID-19以後、私たちはもう元の世界に戻ることはできません
私たちは今、不自由な生活を強いられ、様々な楽しみを奪われていますが、そうすると却って、本当に大切なものは何だったのかが見えてきます。
私たちがこの疫病を乗り越えた後、本質的な変化が加速されるのです。
今までの人間が破壊してきたものがはっきりと認識され、これからの地球に大切な価値観が共有されていきます。
古い体制では乗り越えられなかったことがわかり、新しい社会や制度を作り直す人たちが現れます。
いまの苦境を乗り越えるために新しいアイディアや価値観を出し合っている人たちが、これからの時代を牽引していくことでしょう。
私はこれからの新しい時代に期待しています!

最近のニュースで最も感動した言葉は、ドイツの文化相によるもの。
アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」として、ドイツはアーティストに大規模支援を行なっています。
心よりの拍手を送ります!


◎おまけですが、ウィルスの形
ウィルスって、美しい正二十面体のものや、
正二十面体

こんな変な形のものもいるんです。
変なウィルス

ウィルスって不思議ですね。







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三島由紀夫とフレディの奇妙な関係

いま「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」という映画が公開されています。
映画館に行くことは自粛すべきでしょうけれど、私は「N95マスク」という秘密兵器を持っているので、こっそりと映画館へ潜入してしまったのでした。N95とは、高性能の医療用マスクです。私はこれを福島の原発事故後に、放射能防御用として入手したのですが、幸いなことに使用したことはなく、まさか疫病のために使うことになるとは思いもよりませんでした。

三島由紀夫は何度もノーベル賞候補になったことがあり、世界的に有名な文豪です。
三島が自決する1年半前に、東大全共闘が企画した討論会の模様が記録されており、当時三島が何を語り、それを東大生がどう受け止めたのか、或いは反論したのかという実況が纏められています。
三島は学習院から東大へ進んだので、先輩と後輩の間柄であったわけです。
三島家は三代にわたり東大の法学部出身で、祖父は内務省の官僚、父は農林省の役人というエリート一家でした。

三島由紀夫は1970年11月25日に、市ヶ谷の陸上自衛隊で、自衛隊員らに決起を促したが何ら手応えがなく、その場で割腹自殺を遂げました。その日の夕刊に、三島の首の写真が載ったことは、当時中学生だった私も記憶しています。
三島は戦後の日本が物質主義になり、日本人が金の亡者になって、日本古来の精神性が薄れていくことを危惧し、何とか日本社会に喝を入れ、日本人を覚醒させたいと願っていた故の覚悟の自決でした。
三島由紀夫
三島由紀夫

これはこれで考えさせられる事件ですが、私がふと気になったのは、11月25日という日付です。
これは言うまでもなくフレディの命日11月24日の翌日。
しかし考えてみると、11月24日というのはイギリス時間ですから、日本とは時差があります。
フレディが亡くなった時間は、午後7時12分前で、ジム・ハットンはこの時間から自分の腕時計を動かさなくなったと証言しています。
ということは、フレディの命日は日本時間の11月25日ということになります!

三島由紀夫とフレディは、同じ45才の11月25日に亡くなったのです!
これは一体どういうことなのでしょう?
45才で亡くなった人は沢山いますし、11月25日に亡くなった人も沢山います。
でも45才の11月25日に亡くなったという人は、とても少なく、どのくらいの確率になるのでしょうか?

三島由紀夫とフレディの共通点は、他にもあります。
2人共バイセクシュアルだったこと、ボディビルで筋肉を鍛えていたこと、猫好きだったことなど。
そしてフレディは16才でザンジバル革命という不合理な暴力を経験しましたが、三島も16才の時に太平洋戦争が始まっています。
三島は生来虚弱な体質で、いよいよ出征の時になって気管支炎で高熱があったため入隊にはなりませんでした。
多くの友人が戦死した中、生き残った自分を責めた三島は、戦後25年間は余生であったと言っています。
戦後25年間に多くの作品を残し、文壇、映画界、演劇などで活躍しましたが、なぜか幻想の世界のようで虚しかったらしい。
一方フレディは1970年から25年間クイーンという虚構の中で活躍しました。

三島由紀夫とフレディの共通点は、何を意味するのでしょうか?
1925年生まれの三島と、1946年生まれのフレディに接点はありませんでした。
三島が自決した1970年は、クイーンデビューの年です。
三島は海外でも有名な作家ですから、当然翻訳もあり、三島切腹のニュースは世界を駆け巡ったことでしょう。
何しろ現代の「ハラキリ」ですから、世界が仰天したことは間違いありません。
1975年の初来日の前から日本が好きだったというフレディですから、当然興味を持ったことでしょう。
1970年8月に、ニューヨークタイムズが三島由紀夫の大特集を組み、武士道など日本の伝統を復活させた人として紹介しました。
時代の最先端に敏感だったフレディが目にした可能性もあります。
とにかく、三島の死を衝撃を持って受け止めたフレディの深層意識に、三島の型共鳴が起こったとは考えられないでしょうか?
フレディが三島のようになりたいと思ったわけではないでしょうけれど、余りにも深く心に刺さることがあると、無意識のうちにそれを再現してしまうということは考えられます。
フレディご乱心

三島はなぜ、45才で自決したのでしょうか?
大石内蔵助は45才で切腹、
大塩平八郎は45才で自決しています。
また45才は、昭和天皇が現人神から人間宣言をした年齢であり、三島は同じ年齢で人間となった天皇の身代わりになって死ぬことで「神」を復活させようとしたのではないかとする説があります。
11月25日は三島が尊敬していた吉田松陰が刑死した日でもあります。

三島がボディビルを行なった理由とは。
三島は生来虚弱で、身長も163センチだったため、身体に対するコンプレックスがあり、その反動としてボディビルを行なっていました。
たちまち筋肉隆々の身体を手に入れることができたのですが、それは「死んだ時に貧相な体だったら恥ずかしいから」だと言っています。筋肉を鍛えるのは死への準備でした。
フレディが筋肉を鍛えたのは、ハードゲイ社会からの影響だと思われますが、ハードゲイは1970年代後半からの流行だったので、三島との接点はありません。
でもカミユを愛読するなど、文学好きだったフレディが三島を知って、三島がバイセクシュアルのボディビルダーだと知ったなら、その影響を受けた可能性はあります。
フレディは五輪書を読むなど、相当な日本文化通でした。衆道(男色)について論じた「葉隠」も当然読んだでしょう。
そして現代の武士道を世界に示した三島に魅かれたのかもしれません。

三島由紀夫は真性の同性愛ではなく、ゲイバーに通っていたことはあったけれど、それは取材のためだったとも言われます。
三島は結婚して、2人の子供を持ちました。
初期の作品「仮面の告白」や「禁色」は同性愛を扱っており、近親相姦やSMなど、あらゆる愛情形態に興味を持っていました。
三島家の書生だった福島二郎は、三島と同性愛関係だったことを自伝的な小説に書きましたが、これは三島の死後に書かれたものであり、実際にはどこまでが事実だったのかは測りかねます。
ただ、三島のお気に入りだった美輪明宏については、相当のご執心だったようで、2人の関係は周囲でも公然の恋人だったようです。
美輪明宏は「恋愛関係ではなかった」と言っています。
美和明弘
美輪明宏

美輪明宏は三島由紀夫と親しかった人物で、フレディとも交友がありました。
つまりここにフレディと三島をつなぐ接点があるのです。
美輪明宏は10代の頃、大変な美少年で、ゲイバーで働いているところへ、三島が通ってきていました。それ以来、10年以上の交友関係がありました。
三輪の歌をきいた三島は「君は大物になる」と言って、三輪のレコードデビューの後押しをしました。
フレディは三輪から、三島の話をきいて感銘を受けたのかもしれません。

実際にフレディは、日本滞在でのボディガードを務めた伊丹氏に、お礼として日本刀を贈ったことがあります。
日本刀はベネディクトの日本文化論のタイトルにもなった「菊と刀」のように、日本精神の象徴であり、武士道の魂です。
お礼に日本刀を贈るということは、フレディ本人も所持していたということでしょう。
もちろん三島も持っていた日本刀です。
(それにしても日本刀は100万円単位の値段ですから、お礼に贈るというのはすごい!)

三輪は霊感があるので、三島には軍人の霊が憑依していると言いました。
それは磯部浅一という軍人で、二・二六事件で決起した将校らと行動を共にし、後に軍法会議で死刑判決を受けて刑死した人の霊だというのです。それをきいた三島も肯定していました。
霊の憑依ということがあるかどうかわかりませんが、これも「型共鳴」と考えれば、軍人の精神に三島が共鳴を起こしたとすることもできます。
三島は磯部浅一の「獄中日記」を高く評価していました。

また三島は、江藤小三郎という陸上自衛艦の影響を受けたとされています。
三島が自決する前年、江藤は混沌とした日本社会を救うため「覚醒書」を残して、国会議事堂前で焼身自殺を遂げた人物です。
このように三島も磯部浅一や江藤小三郎の影響を受け、フレディも三島の影響を受けたのかもしれず、そしてそれをつなぐ三輪明宏のような人物がいたり、人々が共鳴しあって歴史や文化が作り上げられていく有り様が、「いと をかしく」思われるのです。
それにしても、いくらフレディが三島の影響を受けたとしても、病死だったフレディが45才の11月25日に命日を合わせられるわけはないので、本当に不思議なことだと思われます。

三島は戦争中の死に美学を見出し、戦後の虚構を作り出してきました。
そして自決は現実と虚構の重なるところで、生涯と作品を一致させたとする説があります。
三島の死は「文学的な政治の」の極致であり、人生そのものを作品とした壮大なトリックであったのです!

そう、そこでやっと私はフレディと三島由紀夫の共通点がわかったのです!
この2人は、やはりトリックスターなのです!
フレディがトリックスターだというのは、私の持論です。
トリックスターとは、神話や伝承の中で、神や自然界の秩序を破り、いたずら好きだが、文化を発展させる者のこと。
善と悪、破壊と生産、賢者と愚者などの二面性を持っています。

三島はエリートの家に生れながら自由に生き、人に軽蔑されることを目指していました。
三島が作品の中で描き、自らも没入した自虐趣味と性的倒錯と死。
それが忌まわしいものだからこそ崇高なのだということを、彼は体現し続けました。
三島は社会に毒を投げ込み、今だに私たちを翻弄し続けているのです。
背徳者として後ろ指を指されることを演じ続けた三島由紀夫こそ、20世紀のトリックスターなのです!


長くなってすみません。
私が「三島由紀夫vs東大全共闘」を見たのは、実は東大生の中に知り合いがいたからなのです。
当時、東大で随一の論客と言われた芥正彦がその人です。
映画の中で、学生だった芥正彦が赤ちゃんを抱いて、三島由紀夫と渡り合っていました。
二人とも異常に頭が良いので、その論戦は一般人には理解しがたい観念的なものでした。
二人は会話をしているのですが、お互いに目を合わせません。
そして三島が日本を超えることがないとわかると、芥は「退屈だから帰る」と言って、本当に帰ってしまいます。
これは三島に対して、あまりにも失礼な行為ではありませんか。自分たちが三島を招聘したのですから。

この論戦から10年以上経って、私は芥正彦の劇団の仕事を手伝ったことがありました。
迎賓館の近くにあった劇団の裏手にはグランドピアノの残骸があり、それは別れた奥さんのものだったということでした。
芥は芸名で、Actorから来ているという。30代の彼は長髪で、意気軒昂な座長でした。
映画の芥氏は73才になっていましたが、話し方は全く変わっておらず、「今も自分の言葉を喋っているから」学生運動に「敗北はしていない」とのことです。ロックンローラーみたいですね。
73才といえば、芥氏は1946年生まれ、フレディと同じです。フレディも生きていればこんな感じなのかなあと。
そして芥氏が離婚後に交際していた女優の中島葵さんは、1991年に45才で亡くなっているのです。これもフレディと同じ。
どうしてフレディと同じ人が色々といるのか、めまいがしそうです・・・

最後に、医療用N95マスクを付けてみて、これがいかに苦しいものであるかがわかりました。
細かい粒子を遮断する性能があるので、息苦しいのです。
そして皮膚に密着させる必要があるため、ゴムの紐がきつくて頭が痛くなるのです。
いま病院で新型コロナの対応に当たっている医療関係者の皆さんが一日中これをつけているなんて、本当に辛いことだと思います!
息苦しいうえに、未知の病原体を相手にしているのですから、身体的にも精神的にもダメージを受けてしまうのでは?!
いま病院で診療に当たって下さっている方たちに感謝し、尊敬します。
本当にありがとうございます!!










『黒の服飾史』ヨーロッパの色彩感覚

ヨーロッパの色彩感覚について、驚くべきことがわかりました!
日本に比べて、ヨーロッパの色彩は「渋い」とか「シック」な感じがしませんか?
(「シック」とは、上品で洗練されているという意味)
日本の繁華街は様々な色が氾濫していて、いかにもアジアですが、ヨーロッパに行くと街並みの色が統一されていて、落ち着いた雰囲気を湛えています。
それはヨーロッパの色彩感覚が優れているからではなくて、実は「色に禁欲的」であるからだったのです!

ヨーロッパ中世において、多彩な色使いは、芸人や楽師や道化など、社会から疎外された人々の衣服の定番でした。
気晴らしや娯楽を提供する彼らは、社会の序列から排除された人々であり、彼らの派手な色使いは危険視されました。
道化服の典型は、赤と黄と緑をボーター柄やダイヤ柄に並べたもので、楽器を演奏する楽師も同様でした。

さらに中世では、多色の縞柄が娼婦のしるしとして使われており、カラフルな縞柄は売春と結びつけられる色の観念となりました。
赤や黄色、緑、青などの華やかな色は、道化師や娼婦のような被差別者の色であったのです!

フレディは典型的な道化の衣裳を着ていましたが、ヨーロッパにおいて、これは非常に目立つ色彩であり、突飛で下品な扮装であることが歴然としていたわけです。
クイーンのメンバーで、他にこのような衣裳を着ている人はいません。
フレディが初めてタイツ姿で現れた時、ロジャーは「勇気があるなあ」と思ったそうですね。
ロンドンに移住して民族的な差別を受けたフレディの、これは無言の抗議であり、挑戦であったのでしょう。
仮面のフレディ
これはダイヤ柄ではなかったけれど、似たようなものでしょう。

ヨーロッパ人は少ない色数で色を統一しようとします。
ところが日本は色に寛容な文化であり、季節の色を楽しむ文化です。
日本人は自然の色を着るという発想を持っていますが、キリスト教文化圏では自然は神の創造物であり、自然の色も神の創造物なので、自然の色を身につけることは神への冒涜になってしまいます。
ヨーロッパで自然の色を愛好するのは、キリスト教ではないケルト民族だそうです。

日本人は木々の緑を愛好し、秋の紅葉を楽しみますが、キリスト教圏では色を塗り替えることは悪魔の仕業であり、いずれ色が変わる緑は欺瞞の色とされました。
日本人には想像がつかない感覚ですね。
そういえばヨーロッパには赤いモミジはありませんね。
自然の色を愛し、自然に同化して暮らす日本人とは違い、色を警戒してきたヨーロッパ人は、今なお色に厳しく向き合っているのです。

ヨーロッパ人にとっては、色は堕落への恐怖を呼び起こすものであり、古代ギリシャ以来、哲学者や芸術家や美術史家たちが「色は文化の堕落である」という偏見を抱き続けているというのです。
色は「世俗的で罪深いもの」であり、「快楽への欲望」を表しているとして戒められてきました。

19世紀イギリスのバチェラーによると、「色は危険なもの」であり、
「女性、東洋人、原始人、子ども、賎民、異常者、病人」など社会的弱者に結びつけて貶められました。
美術において、デッサンは男性的で精神的なものだが、色彩は女性的でプリミティブなものであり、野蛮人、黒人、アラビア人、インド人に好まれるとされました。
19世紀の男たちにとって、色は未開発・非文明のしるしであり、色は感情的な女にふさわしいと主張されたのです。

20世紀になっても、色は東洋と結びつき、たとえばディアギレフのバレエ団の色彩豊かな衣裳は、アラビアやエジプト、インド、ロシアなどの異国情緒をもたらし、鮮やかな色は東洋や官能と結びつけられる女性のものでした。

このようなヨーロッパにおいて、赤や黄色の派手な衣裳を身につけたフレディの登場は、世の品行方正な紳士淑女や、禁欲的な人たちから見れば、とんでもない悪魔、男娼、ペテン師、破壊者に見えたのではないでしょうか?
縞柄パンツ

イギリスの音楽評論家たちは、フレディに対して終生辛辣だったそうですが、それはフレディが英国人の軽蔑するインド・アフリカからの移民であり、ヨーロッパとは違う色彩感覚を持っていたことも原因の一つなのではないでしょうか?
フレディは赤や黄色の洋服が好きでしたし、派手な柄のシャツも着ています。
今までは私も何気なく見ていましたが、これをヨーロッパ人の目に置き換えてみると、とんでもないことなんですよね。
赤や黄色や派手な色柄シャツは、ヨーロッパ人が着るものではなく、東洋の未開な部族や、頭が悪い女や、身分の低い芸人などが着るものなのですから、フレディはそれをわかって敢えて着ていたのでしょうか? それとも知らずに着ていたのでしょうか?
(そういえばフレディは東洋出身のガーリーな芸人なのだから、これはものすごい反撃ですよね!)

それを考えてみると、ここにフレディの深い孤独が浮かび上がってくるのです。
ザンジバル革命で故郷を追われ、ロンドンへやって来たフレディは、そこで移民として差別を受け、自分のアイデンティティを考えさせられることになります。
やがて白人のガールフレンドも出来、白人メンバーとバンドを組み、白人社会に溶け込んだかに見えましたが、彼は決して白人の中に埋没することはありませんでした。
白人のように地味な色合いの服を着て、目立たないようにすることなどなかったのです。
(地味なフレディって、フレディじゃないですよね)
やはり彼は東洋人の色彩感覚を持ち、それを敢えて主張したために、白人社会の中で孤立することになってしまいました。
家族のようなバンドメンバーがいるのだから、孤独ではなかったのでは? と思っていましたが、英国生まれの白人の中で、自分一人だけが故郷を持たない東洋人であることが、どんなに淋しいものであるか、やっとわかるようになってきました。

白黒フレディ
初期の頃、フレディは白黒を好んでいました。
白黒はもちろん二元性を表していますが、ヨーロッパにおいて黒は人間の罪の色であり、メランコリーを意味しました。
16世紀のヨーロッパで黒い服が定着しましたが、これは12世紀ドイツの聖ヒルデガルドがメランコリーを原罪と結びつけたことに端を発するとされます。
プロテスタントが黒い服を好んだのは、原罪によって堕落した人間が、メランコリーの黒を衣服とするべきとされたからでした。
メランコリーは精神的な病でしたが、創造的な制作を促すこともあります。

プロテスタントは赤や黄色、オレンジ、緑などを嫌います。
とくに赤は権力の色であり、ローマ・カトリックの色なので排除されました。赤は贅沢と罪と狂気のしるしとされます。
プロテスタントでは、謙虚で敬虔なモノトーンが好まれ、暗色系の衣服が多く、ステンドグラスもありません。
そもそも衣服とは、アダムとイブが犯した罪を想起させるので、罪と恥のしるしなのです。
繰り返しますが、ヨーロッパ人は、色を堕落と見る感性を持っています。

イギリスのイングランド国教会は、カトリックではないのでプロテスタントになります。
プロテスタントであると断定できないのは、ドイツのように宗教改革によって改定されたものではなく、ヘンリー八世が次々と妃を取り替えるために離婚したかったので、カトリックを離脱したに過ぎないためです。
ヘンリー八世については昔、リック・ウェイクマンの「ヘンリー八世と6人の妻」を聴いて勉強しました。
これね。
ヘンリー八世

イギリスで産業革命が起こり、近代産業社会が始まると、黒を好ましいとするプロテスタントの色彩論を引き継ぎました。
近代ヨーロッパで資本主義を発展させる原動力のひとつが、プロテスタントのカルヴァン主義でした。
黒が資本主義の色になったのです。
当時、生産されるようになった車や万年筆、タイプライターなど、すべてが黒でした。
そしてピアノも!
ピアノはなぜ黒いのかの答えがここにあります。
ピアノが量産されるようになる前は、茶色い木材の色でしたが、工場で作られるようになって、黒く塗られるようになったのです。

19世紀のロンドンで、ダンディズムが生まれ、黒と白のコントラストこそダンディの着こなしとされました。
このあたりは20世紀にも残っていたかもしれません。

19世紀において、男性は黒服であり、女性は色彩をまとうようになりました。
女性は男性の持ち物なので、夫の財力を表す装いをしなければなりませんでした。
文明が発展すると男は黒になり、女は色を着るようになると考えられました。
女性は感情的でブリミティブであり、原初的な一部族のような存在とされたのです。

黒は近代社会の表象であり、文明の証であり、矜持のしるしでした。宗教的謙譲と人間的誇りを表します。
20世紀のル・コルビジェも、色は「素朴な民族、農夫、野蛮人」にふさわしいとして、白い建造物を作り続けました。
上野の西洋美術館を設計した人が、そんなことを考えていたなんて!


黒はプロテスタントの罪の意識から、近代社会の文明の色として受け継がれ、労働者の服の色にもなり、20世紀には「最もエレガンスを表現できると同時に、最も過激になりうる色でもある」としてファッション界を席巻しました。
黒はそもそもメランコリーの色であり、死の色でした。そのため修道服となり、喪服となり、道徳的な服になります。
近代社会ではヨーロッパ文明の知の色となり、男たちが着る服の色となり、20世紀にはエレガンスを示す色となりました。
「最も過激になるうる色」なので、ハードロックやパンクには黒が圧倒的に多い。
ハードロック

そして白は純粋や無垢、純潔、清浄というイメージから広く愛好され、かつては喪服も白でした。
白は原初性や自然と結びつくため、古代趣味や田園趣味の表現に用いられ、時代の流行に取り入れられて来ました。
黒と白の意味は、時代と場所によって様々ですが、私は両者とも「全てを含む色」「全てが充満する色」と感じます。
人によっては「全てを拒絶する色」とも感じられるかもしれません。
そして黒と白は道化の色でもあります。

とにかく、ヨーロッパ人は色に対してストイックな感覚を持っていること。
それはプロテスタントの罪の意識に由来し、近代資本主義の男性優位社会に受け継がれてきたものであることがわかると、また少しヨーロッパが理解できたような気がします。
それにしてもフレディはプロテスタント系のイギリスで窮屈だったでしょうね〜。
だからニューヨークや東京へ来て、羽をのばしていたのでしょう。
そもそもイギリスでロックが飛躍的に発展したのは、社会の締め付けが厳しいので、その反動だという話を現地できいたことがあります。
そして他の民族と混交することで、文化は発展していきます。
世界は今鎖国状態ですが、また自由な交流が行われるようになる日を楽しみにしています。

参考書籍
『黒の服飾史』 河出書房新社 / 徳井淑子著














ブライアンのお宅拝見

本日、5月に予定していたイベントの中止を決定しました。
これは全国規模のイベントなので、地域を縮小したり、考えられる限りの感染症対策をして、何とか実施できるようギリギリまで調整していたのですが、現在も感染拡大が止まらない状況をみて、やむなく中止の決断をせざるを得なくなりました。
悔しくて涙が出ました。
これまで準備を続けてきたスタッフや参加者の皆さんには本当に申し訳ないと思います。

私は人の出入りが多い事務所を持っているので、自分で外出を自粛しています。
見たい映画もあるのですが、今は我慢なので辛いところ。
Stay Home ですね!

そんなわけで、You Tubeでブライアンのお宅を拝見しました。
外見は古いですが、緑の広いお庭があり、邸内にプライベートスタジオを備えています。
これなら家にいても充分楽しめそうで、音楽も作れますね。
ブライアンの庭

気になったのはコレ。
「Freddi`s Piano」について話しています。
これはフレディのピアノなのでしょうか。
フレディのピアノがブライアンの家で生きているのなら、とても嬉しいことですね。
「ブライアンのhome and Studio」という動画です。
フレディのピアノについて

邸内のプライベートスタジオ
さすがに立派です。
ブライアンのスタジオ

でも最近はケンジントンで工事が多く、地下室を拡張する人がいるため、騒音に耐えられないので郊外へ引っ越そうと考えているそうですね。


プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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