デビッド・ボウイとフレディについて。
グラムロックの先駆者として登場したデビッド・ボウイは、アーチストとしての才能と、音楽ビジネスをうまく融合させて成功し、「メジャーなカルトヒーロー」と呼ばれるようになりました。
ひとつのコンセプトを作り上げても、次々と新しいスタイルへ脱皮を繰り返し、生涯を通じて前進的な創作活動を続けました。
ボウイから影響を受けたミュージシャンは多く、カルチャークラブやスパンダーバレエ、デュランデュランなどがいます。
フレディとボウイは盟友だったといわれ、お互いに影響を与えあったことでしょう。
ボウイはフレディより1才年下の1947年生まれで、デビュー当時、舞踊家のリンゼイ・ケンプにダンスやマイムを習っていました。
リンゼイ・ケンプのもとでコメディア・デラルテを学びますが、コメディア・デラルテとはイタリアで16世紀に始まった即興の仮面劇で、その登場人物の中にアルレッキーノ(道化師)がいます。
ボウイはそこで自分が世界に対して見せるペルソナの制作に熱中していました。
フレディも自分が演じる「道化師」というペルソナや、マイムの習得について、強い影響を受けたと思われます。

リンゼイ・ケンプ
リンゼイ・ケンプは日本文化に強い興味を持ち、能や歌舞伎の研究をしていました。
ケンプからの影響で、ボウイは歌舞伎の様式や女形の化粧に興味を持ち、ステージに取り入れることを試みました。
とくに歌舞伎の衣装の「早変わり」を、最初にステージに取り入れた欧米人であるとされます。
日本の着物や袴に似た衣装を身につけることを好み、日本好きが昂じて一時期、京都に住んでいたこともありました。
1973年や1976年には、山本寛斎がボウイの衣装をデザインしています。
フレディがステージで着物を着用したことも、決して突飛なことではなく、このような時代の流れの中で行われたことと言えます。
ボウイはもともとチベット仏教に興味を持っており、僧侶になることも考えていました。
チベット難民救済活動の団体にも属していました。
しかしリンゼイ・ケンプとの出会いにより、僧侶ではなく音楽へ進むことを決意します。
フレディもボウイも、西欧のキリスト教ではなく、アジアの宗教をバックグラウンドに持っていたのですね。
ちなみに、リンゼイ・ケンプはゲイを公表しています。
1972年、ボウイは「ジギー・スターダスト」を発表します。
これは火星からやって来た宇宙人のロック・スターの成功から没落までの物語で、この作品によりボウイはグラム・ロックの代表としての地位を確立しました。
ジギーは妖艶なバイセクシャルという設定で、ボウイは地球で一番美しい男と呼ばれていました。
ボウイはは1973年、ハマースミスで「ジギー・スターダスト」の公演を行なった後、ジギーを演じることをやめました。

ボウイは火星からやって来たロック・スターで、フレディは水星(マーキュリー)です。
ここで思い出すのが、「ライアー」の歌詞です。
「Liar from Mars to Mercury」というのがありますよね。
「火星から水星へ」というのは、ボウイとのつながりを表しているのでしょうか?

ロックは地球を超えて、宇宙への広がりがあって面白いですね。
(クラシックにも、ホルストの「惑星」がありますが)
もちろんブライアンも、いつも宇宙のことを考えている宇宙人でしょう。(宇宙に生きている人という意味)
ブライアンの博士論文は、黄道に関するものだそうですが、黄道とは天球上の太陽の通り道のこと。
ブライアンが応援している探査機ニューホライズンズは冥王星を超え、現在カイパーベルトを探査中です。
ボイジャーも太陽系を越えて、他の恒星系へ向かっています。
私たちも太陽系以遠まで意識を広げたいものです。
(ブライアンの20年ぶりの新曲「ニュー・ホライズンズ」は、1919年1月1日にリリース)
ボウイの異母兄は精神を病んでおり、1985年に自殺しました。
大変なショックを受けたボウイは、それ以後、弱いものにはとても優しくなったという。
ボウイ自身も、スターであり続ける重圧やドラッグの影響から、精神的に不安定になることもありましたが、ぎりぎりの状態まで自分を追いつめては創作活動に励み、自分の道を歩み続けました。
本当に1960年代〜1980年代にかけて、イギリスで開花した才能たちの輝きは凄まじいばかりでした!
当時の最先端だったロックに、最高の才能たちが集まった時代だったのでしょう。
1990年代以降、音楽業界のあり方が変わってきました。
文化が衰退すると、その文明は滅びるといわれます。
新しい文化を創っていくのは誰か?
新しい才能を期待しています。
ちなみに、デビッド・ボウイの伝記を翻訳したMさんは友人です!
グラムロックの先駆者として登場したデビッド・ボウイは、アーチストとしての才能と、音楽ビジネスをうまく融合させて成功し、「メジャーなカルトヒーロー」と呼ばれるようになりました。
ひとつのコンセプトを作り上げても、次々と新しいスタイルへ脱皮を繰り返し、生涯を通じて前進的な創作活動を続けました。
ボウイから影響を受けたミュージシャンは多く、カルチャークラブやスパンダーバレエ、デュランデュランなどがいます。
フレディとボウイは盟友だったといわれ、お互いに影響を与えあったことでしょう。
ボウイはフレディより1才年下の1947年生まれで、デビュー当時、舞踊家のリンゼイ・ケンプにダンスやマイムを習っていました。
リンゼイ・ケンプのもとでコメディア・デラルテを学びますが、コメディア・デラルテとはイタリアで16世紀に始まった即興の仮面劇で、その登場人物の中にアルレッキーノ(道化師)がいます。
ボウイはそこで自分が世界に対して見せるペルソナの制作に熱中していました。
フレディも自分が演じる「道化師」というペルソナや、マイムの習得について、強い影響を受けたと思われます。

リンゼイ・ケンプ
リンゼイ・ケンプは日本文化に強い興味を持ち、能や歌舞伎の研究をしていました。
ケンプからの影響で、ボウイは歌舞伎の様式や女形の化粧に興味を持ち、ステージに取り入れることを試みました。
とくに歌舞伎の衣装の「早変わり」を、最初にステージに取り入れた欧米人であるとされます。
日本の着物や袴に似た衣装を身につけることを好み、日本好きが昂じて一時期、京都に住んでいたこともありました。
1973年や1976年には、山本寛斎がボウイの衣装をデザインしています。
フレディがステージで着物を着用したことも、決して突飛なことではなく、このような時代の流れの中で行われたことと言えます。
ボウイはもともとチベット仏教に興味を持っており、僧侶になることも考えていました。
チベット難民救済活動の団体にも属していました。
しかしリンゼイ・ケンプとの出会いにより、僧侶ではなく音楽へ進むことを決意します。
フレディもボウイも、西欧のキリスト教ではなく、アジアの宗教をバックグラウンドに持っていたのですね。
ちなみに、リンゼイ・ケンプはゲイを公表しています。
1972年、ボウイは「ジギー・スターダスト」を発表します。
これは火星からやって来た宇宙人のロック・スターの成功から没落までの物語で、この作品によりボウイはグラム・ロックの代表としての地位を確立しました。
ジギーは妖艶なバイセクシャルという設定で、ボウイは地球で一番美しい男と呼ばれていました。
ボウイはは1973年、ハマースミスで「ジギー・スターダスト」の公演を行なった後、ジギーを演じることをやめました。

ボウイは火星からやって来たロック・スターで、フレディは水星(マーキュリー)です。
ここで思い出すのが、「ライアー」の歌詞です。
「Liar from Mars to Mercury」というのがありますよね。
「火星から水星へ」というのは、ボウイとのつながりを表しているのでしょうか?

ロックは地球を超えて、宇宙への広がりがあって面白いですね。
(クラシックにも、ホルストの「惑星」がありますが)
もちろんブライアンも、いつも宇宙のことを考えている宇宙人でしょう。(宇宙に生きている人という意味)
ブライアンの博士論文は、黄道に関するものだそうですが、黄道とは天球上の太陽の通り道のこと。
ブライアンが応援している探査機ニューホライズンズは冥王星を超え、現在カイパーベルトを探査中です。
ボイジャーも太陽系を越えて、他の恒星系へ向かっています。
私たちも太陽系以遠まで意識を広げたいものです。
(ブライアンの20年ぶりの新曲「ニュー・ホライズンズ」は、1919年1月1日にリリース)
ボウイの異母兄は精神を病んでおり、1985年に自殺しました。
大変なショックを受けたボウイは、それ以後、弱いものにはとても優しくなったという。
ボウイ自身も、スターであり続ける重圧やドラッグの影響から、精神的に不安定になることもありましたが、ぎりぎりの状態まで自分を追いつめては創作活動に励み、自分の道を歩み続けました。
本当に1960年代〜1980年代にかけて、イギリスで開花した才能たちの輝きは凄まじいばかりでした!
当時の最先端だったロックに、最高の才能たちが集まった時代だったのでしょう。
1990年代以降、音楽業界のあり方が変わってきました。
文化が衰退すると、その文明は滅びるといわれます。
新しい文化を創っていくのは誰か?
新しい才能を期待しています。
ちなみに、デビッド・ボウイの伝記を翻訳したMさんは友人です!
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