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デビッド・ボウイとフレディ「火星から水星へ」

デビッド・ボウイとフレディについて。
グラムロックの先駆者として登場したデビッド・ボウイは、アーチストとしての才能と、音楽ビジネスをうまく融合させて成功し、「メジャーなカルトヒーロー」と呼ばれるようになりました。
ひとつのコンセプトを作り上げても、次々と新しいスタイルへ脱皮を繰り返し、生涯を通じて前進的な創作活動を続けました。
ボウイから影響を受けたミュージシャンは多く、カルチャークラブやスパンダーバレエ、デュランデュランなどがいます。

フレディとボウイは盟友だったといわれ、お互いに影響を与えあったことでしょう。
ボウイはフレディより1才年下の1947年生まれで、デビュー当時、舞踊家のリンゼイ・ケンプにダンスやマイムを習っていました。
リンゼイ・ケンプのもとでコメディア・デラルテを学びますが、コメディア・デラルテとはイタリアで16世紀に始まった即興の仮面劇で、その登場人物の中にアルレッキーノ(道化師)がいます。
ボウイはそこで自分が世界に対して見せるペルソナの制作に熱中していました。
フレディも自分が演じる「道化師」というペルソナや、マイムの習得について、強い影響を受けたと思われます。
リンゼイ・ケンプ
リンゼイ・ケンプ

リンゼイ・ケンプは日本文化に強い興味を持ち、能や歌舞伎の研究をしていました。
ケンプからの影響で、ボウイは歌舞伎の様式や女形の化粧に興味を持ち、ステージに取り入れることを試みました。
とくに歌舞伎の衣装の「早変わり」を、最初にステージに取り入れた欧米人であるとされます。
日本の着物や袴に似た衣装を身につけることを好み、日本好きが昂じて一時期、京都に住んでいたこともありました。
1973年や1976年には、山本寛斎がボウイの衣装をデザインしています。
フレディがステージで着物を着用したことも、決して突飛なことではなく、このような時代の流れの中で行われたことと言えます。

ボウイはもともとチベット仏教に興味を持っており、僧侶になることも考えていました。
チベット難民救済活動の団体にも属していました。
しかしリンゼイ・ケンプとの出会いにより、僧侶ではなく音楽へ進むことを決意します。
フレディもボウイも、西欧のキリスト教ではなく、アジアの宗教をバックグラウンドに持っていたのですね。
ちなみに、リンゼイ・ケンプはゲイを公表しています。

1972年、ボウイは「ジギー・スターダスト」を発表します。
これは火星からやって来た宇宙人のロック・スターの成功から没落までの物語で、この作品によりボウイはグラム・ロックの代表としての地位を確立しました。
ジギーは妖艶なバイセクシャルという設定で、ボウイは地球で一番美しい男と呼ばれていました。
ボウイはは1973年、ハマースミスで「ジギー・スターダスト」の公演を行なった後、ジギーを演じることをやめました。
デビッド・ボウイ

ボウイは火星からやって来たロック・スターで、フレディは水星(マーキュリー)です。
ここで思い出すのが、「ライアー」の歌詞です。
「Liar from Mars to Mercury」というのがありますよね。
火星から水星へ」というのは、ボウイとのつながりを表しているのでしょうか?
火星から水星へ

ロックは地球を超えて、宇宙への広がりがあって面白いですね。
(クラシックにも、ホルストの「惑星」がありますが)
もちろんブライアンも、いつも宇宙のことを考えている宇宙人でしょう。(宇宙に生きている人という意味)
ブライアンの博士論文は、黄道に関するものだそうですが、黄道とは天球上の太陽の通り道のこと。
ブライアンが応援している探査機ニューホライズンズは冥王星を超え、現在カイパーベルトを探査中です。
ボイジャーも太陽系を越えて、他の恒星系へ向かっています。
私たちも太陽系以遠まで意識を広げたいものです。
(ブライアンの20年ぶりの新曲「ニュー・ホライズンズ」は、1919年1月1日にリリース)

ボウイの異母兄は精神を病んでおり、1985年に自殺しました。
大変なショックを受けたボウイは、それ以後、弱いものにはとても優しくなったという。
ボウイ自身も、スターであり続ける重圧やドラッグの影響から、精神的に不安定になることもありましたが、ぎりぎりの状態まで自分を追いつめては創作活動に励み、自分の道を歩み続けました。
本当に1960年代〜1980年代にかけて、イギリスで開花した才能たちの輝きは凄まじいばかりでした!
当時の最先端だったロックに、最高の才能たちが集まった時代だったのでしょう。
1990年代以降、音楽業界のあり方が変わってきました。
文化が衰退すると、その文明は滅びるといわれます。
新しい文化を創っていくのは誰か?
新しい才能を期待しています。

ちなみに、デビッド・ボウイの伝記を翻訳したMさんは友人です!



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「翔んで埼玉」

飛んで埼玉

テレビで「翔んで埼玉」を見ました。
埼玉がそんなにすごい所だったとは知りませんでした!
たまたま最近、さいたまスーパーアリーナに行ってきたばかりなので、たまげました。
魔夜峰央の原作は1982年なので、まだ「たまアリ」はなかったですからね。
「たまアリ」は2000年開業です。
1982年といえば、クイーンの「ホット・スペース」発売年だなと、ついクイーン・スケールと照合してしまいます。
でも1982年はクイーンが来日して、西武球場でライブを行なった年!
西武球場は所沢市ですから、立派な埼玉です。
クイーンファンにとっては、埼玉は僻地ではなく、聖地ではありませんか!

ブライアンやアダムが「トーキョー」と言っていた時に、「いやここは埼玉だから」とツッコミを入れたかった人もいると思いますが、まあそこはあまりこだわらなくてもいいんじゃないでしょうか?

「翔んで埼玉」では、埼玉人かどうか見分けるために、草加せんべいの踏み絵を強いられたり、千葉の常磐線がヌーの大群で停止したり、群馬のジャングルに翼竜が飛んでいたり、随所にパロディーの笑いがありました。

「埼玉解放戦線」のリーダー「埼玉デューク」(京本政樹)は伝説の埼玉県人で、従者がキツネのお面を被っていました。
まさかブライアンはこの映画を見たんじゃないでしょうね?

『道化の民俗学』道化のルーツはヘルメスにあり

山口昌男の『道化の民俗学』において、道化師アルレッキーノとヘルメス(マーキュリー)の結びつきについて、詳しい説明がなされています。
道化師が舞台上の役柄としてだけではなく、神話的思考においてヘルメス(マーキュリー)と交感するものを持っていたとすれば、両者の結びつきは偶然を越えたものとなります。
道化師とは、人間の神話的想像力の本質的な表現形態の一つの現われとして舞台に定着したものなので、いっそうヘルメスに近づくことになります。

▶︎ヘルメスの持つ特性は以下のとおりです。
・小にして大、幼にして成熟という相反するものの合一。
・盗み、トリックによる秩序の撹乱。
・至る所に姿を現わす迅速性。
・新しい組み合わせによる未知のものの創出。(亀の甲羅と牛の腸から竪琴を発明)
・旅行者、伝令、先達として異なる世界をつなぐこと。
・交換により異質のもののコミュニケーションを成立させる。
・常に動くこと。新しい局面を拓くこと。失敗を恐れぬこと、それを笑いに転化させること。

これらを纏めると、大きく次の2項目になる。
◯異なるものや対立するものを統一すること
◯動くことと、新たなものの創始、生成。
ヘルメスファッション

◎やはりこれらは、フレディの行動によく現われていると思いませんか?
フレディはアフリカに生まれ、インドで育ち、イギリスから世界へ飛び出して行き、世界の文化を自分の音楽の中に纏め上げていきました。
そして常に活発に行動し、新しい人生を開拓し、新しい音楽を創造していきました。
まるでヘルメスを地で行っているとしか思えません。
それもそのはず、マーキュリー(ヘルメス)ですからね。

▶︎またヘルメスは智者として、竪琴や笛の他に、アルファベット、数、天文学、音楽の発明者でもあります。
そして夢と眠りの神であり、人間の霊魂を冥界へ導く先達の役目を持っています。

◎死んだ時に、フレディに冥界へ案内してもらいたいものですね。

▶︎ヘルメスは死と生を結びつけるものであり、飛翔能力と歌唱能力があり、導者的性格があり、シャーマンの性質を持っています。
シャーマンは歌い踊り、人々の病を癒し、冥界へ連れ去られた魂を連れ戻します。

◎フレディは歌とパフォーマンスにより、人々に癒しとエネルギーを与えています。

▶︎幼児の頃のヘルメスは両性具有であり、カドケウスの2匹の蛇は、両性具有とともに自由な転換という象徴が働いています。

◎フレディがバイセクシュアルになったのは偶然だったのか、必然だったのか?

▶︎ヘルメスは闇と光、冥界と此岸の世界、死と誕生、男性と女性、幼さと成熟、いたずらっぽさと厳粛性、狂気と正気のどちらでもなく、どちらでもあるという、それらの対立が消滅する瞬間を源泉とする意識を持っています。

◎ゾロアスター教の二元論とも通じるものがありますが、ヘルメスは二項対立を超えています。

▶︎「オルフェウスの宇宙卵」は半分が白、半分が黒であり、ここから天と地が出現しました。
白い半分は天であり、女性的・素材的力、黒い半分は地となり、男性的・非物質的な力となりました。

ヘルメスは半分白く、半分黒い帽子を被っています。

◎フレディの初期の白黒の衣裳や、クイーン2のホワイトサイド・ブラックサイドは、オルフェウスの宇宙卵や、ヘルメスの帽子から来ているのではないでしょうか?
フレディ白黒タイツ

▶︎ヘルメスは相当のいたずら者(トリックスター)で、神々の間の道化的存在です。
ヘルメスは境界内と境界外、日常と祝祭空間、秩序とアナーキー、意味と無意味、上と下、生と死、文化と自然などの対立が意識の内で解消する瞬間のカオスのなかで、始原性のヘルメスは道化師アルレッキーノと出遭うのです。

トリックスター的性格が、ヘルメスと道化師では共通してつながっているわけですね。

▶︎道化師は言葉の遊戯、パロディーを行なうが、彼は言葉から観念を剥奪し、ラテン語・イタリア語・フランス語などのツギハギ言葉を作り出します。

◎フレディは韻を踏んだ歌詞を作っていましたが、あまり言葉には意味はないとしています。
「キラークイーン」にはフランス語を混ぜたり、「ボヘミアンラプソディ」には色々な神や悪魔、人物の名前が出てきますし、きわめつけは多言語の「ムスタファ」ですね。

▶︎道化師は、しばしば女装する。時にはマイムによって、男と女の二人の人間を同時に演じることもあります。
道化師とヘルメスは、その両性具有性によって結びついています。

◎フレディが女装を得意とすることは言うまでもありません!

▶︎プラトンは、人間はもともと両性具有だったとしています。
古代の太母神も両性であり、天使学における天使も両性とされます。
ギリシャの密儀で行なわれる男色行為は、神秘的・宗教的意味を持っていました。

◎だからフレディは、わざと男色に踏み込んだような気もするんですよね。

▶︎道化師が持つ二面性、両義性は、単なるルネサンスの古典神話の復活を超えて、神話的思考そのものにおいて、ヘルメスに対応しているのです。

◎フレディは、ヘルメスと道化が持つ二面性を体現していたのです!
男と女、高貴と低劣、正常と異常、新しいものと古いもの、道徳と不道徳、秩序と混沌、強さと弱さ、成功と失敗、そして偽王の戴冠と凋落・・・
それらの全てが消滅するところに、本当のフレディは存在する。
本当のフレディ

▶︎道化師は、文化の中で疎外された部分を「阿呆」「道化」という仮面のもとに表現する。
つまり彼は世の(文化の)穢れを一身に引き受けるスケープコートとしての機能をも帯びているのです。

◎フレディはロンドンで、移民として差別を受け、疎外されながらも、音楽の中に自己を没入させていった。
しかしマスコミからは常に監視され、辛辣な扱いを受けていました。
世間からは同性愛者の変人として、奇異の目で見られていたかもしれません。
本当は神々の英雄ヘルメスの使者だったのにね。

▶︎道化師は、いつも恋のとりこになっているが、なかなかうまくいかない。
彼は子供のように簡単に、悲しんだり、喜び戯れたりする。
彼の悲しみは、喜びと同様にいつも喜劇的である。
道化師の基本的特質は、純粋遊戯性

◎これも恋多き人だったフレディそのものではありませんか。
そして「遊戯」とは「Game」ですから、フレディは「ザ・ゲーム」で、全ては遊戯なんだよ! と言っているわけですね。

▶︎道化師とは、おどけた狂気じみた神である。
海中に現れては消え、跳ね返り、たわむれるイルカを思わせる。彼はいつも変幻自在で、捉えどころがない。
イルカに乗って飛翔する翼の生えた幼児こそが、道化師=ヘルメスである。(原文通りではなく、纏めています)

◎そうか、フレディは「イルカに乗って飛翔する翼の生えた幼児」なのかもしれませんね!
しかし、このように見てくると、あまりにもフレディの生き方は、道化師=マーキュリー(ヘルメス)にそっくりだと思われませんか?
まるで台本通りに進んでいるようです。
フレディは相当ヘルメスや道化について勉強したに違いありません。
でもそれを自分の人生の台本にしようとするとは、どうしてそのような決意がなされたのでしょうか?
クイーン初期

ファルーク・バルサラがマーキュリーを名乗るようになったのは、バンド名をクイーンに改めた時期と同じ、1970年頃です。
ロンドンへやって来たのが1964年で、それから6年後のことですが、その間フレディは学校を卒業し、バンド活動をしながら古着屋をやったり、ヒースロー空港で働いたりしていた時期です。
映画「ボヘミアンラプソディ」にもありましたが、空港で「パキ」と馬鹿にされたりしていた苦しい時期で、お金もなかなか手に入らなかったことでしょう。
そのような頃に、バンド名や自分の芸名を考えるためには、必死で色々な資料を漁り、図書館に通ったりしたのではないでしょうか?
自分の子供の名前を考える時のようなものですが、なにしろ本人のバンドの成功がかかっているわけですから、本当に真剣に考えぬいたことでしょう。
その時に、フレディの心に刺さったのが「マーキュリー」「道化師」というキーワードだったのではないでしょうか?
これだ! これこそが自分の生きる道だと。
とくに道化が「文化の中で疎外された部分」というところに共感したのかもしれない。
そしてフレディは、自分の人生に「マーキュリー=道化師」という台本を据えたのだ。
フレディ23才の時です。
この台本は、王と同じぐらいに、時には王を上回るほどの成功をもたらしますが、その後に偽の戴冠が行なわれ、全てを失うことになっているのですから、壮絶な人生と言うほかはありません・・・

ところで道化とは神話的原型であり、あらゆる民族が道化の神話を持っています。
アフリカでは「エシュ」と呼ばれるトリックスターがあり、インドでは「クリシュナ」がそれに当たります。
フレディはアフリカやインドでも、道化について見知っていたのかもしれません。
西洋では演劇の中に道化師の伝統があり、研究もされているので、フレディの道化性を理解する人もいるかもしれません。
日本ではあまり馴染みのない道化師ですが、実は日本にも歴史上道化の役割を果たしてきた神や芸能者がいます。
歌舞伎の原型となった猿若狂言などに、道化の役割が認められ、またそのあたりも調べてみたいと思っています。
道化とは恐るべき存在ですが、また愛すべき存在でもあり、大変な魅力があることは間違いありません。

フレディを見て、カッコイイと喜ぶ人もいる。
またフレディの中に道化の本質を見る人もいる。
クイーンの音楽の楽しさの中に埋没して眠る人もいる。
またフレディが仕掛けた道化の謎かけに気づき、目覚める人もいる。

この世界は重層的になっていて、自分が選んだ世界を経験することになる。
自分が選んだ道を進んでいき、この世界を脱することになるだろう。
道化は案内人として四つ辻に立っている。

『道化の民俗学』に見るフレディの使命と運命

フレディの正体が道化師であり、トリックスターであることは先述しましたが、文化人類学者の山口昌男の『道化の民俗学』を読んで、とても面白かったので、ご紹介したいと思います。
この本は、たぶん40年ぐらい前に読んだことがあるのですが、ほとんど忘れていましたし、当時はまさかフレディと結びつけて考えることはなかったので、今回再読してみて、フレディの理解がますます深まり、夢中になって読んでしまいました。

▶︎まず道化師についてですが、一般に道化師とは、面白おかしいことをするエンターテイナーである思われています。
しかし実は道化師とは、「日常生活の破壊者」であり、「日常性を越えた世界を指向し、そこでの真の実力者なのである」という。
道化師には、私たちを地上ではないところへ連れて行き、「存在と仮象のあいだ」の中間地帯へ連れていく役割がある。
そして道化師は、私たちを世界の始原的な地点へ連れて行き、人間はそこで真の「世界」との関わりを回復し、蘇るのだ。

◎これこそが道化師の役割であり、フレディが担ってきた使命なのです。
フレディはなぜ道化師に着眼し、自らの使命として負う覚悟をしたのでしょうか?
それは「マーキュリー」という名前を名乗った時から始まります。

フレディは真の道化師でした!
日常性を超えたところで実力を発揮し、私たちを世界の始原へ連れて行き、人間を蘇らせていたのです!
こんなことができるのは超人、あるいは半神半人でしょう。
真の道化師

▶︎道化師は、世界が愚行の塊であることを知っており、何物にも縛られず、すべてを笑いの種にしてしまいます。
道化師は半獣神悪魔を思わせるところがあります。妖精的悪魔ともいわれます。

◎フレディは妖精王や悪魔に興味を持っており、それらを歌にしています。
自ら半獣神の扮装をして歌っているPVもあり、フレディは明らかに道化師についての知識を持っていたいたことがわかります。
山口昌男の『道化の民俗学』は1969年に発表されたものですが、この著書は1969年以前のヨーロッパの様々な文献が元になっており、フレディは日本人よりも早く、道化について学ぶことができたと思われます。

▶︎シェイクスピアの「あらし」に出てくるエアリアル(火と空気の精霊)は、時間や空間が存在しない偏在性を持っているが、これは道化師にも共通しており、さらにはヘルメス神の特性とも通じている。道化師と精霊は、悪魔性を介して重なっている。

◎ここでヘルメスまで出てきたので、私は驚嘆しました!
道化師のルーツは、ヘルメス(マーキュリー)まで繋がっていたのです!
フレディはマーキュリーを名乗った時から、自身を道化師であると定義づけていたのです。
ヘルメス(マーキュリー)〜半獣神〜悪魔〜精霊〜道化師と、繋がっていたのです!
これで初期のフレディの趣味が全て解明できますし、生涯にわたって追求した道化師の系譜が明らかになりました。
それにしても、どうしてフレディはここまで徹底して「マーキュリー=道化師」にこだわったのでしょうね?
いつかこの謎が解ける時が来るでしょうか?

▶︎道化師は、イタリアではアルレッキーノ、フランスではアルルカン、イギリスではハーレークインと言います。
HellequinのHellは地獄であり、quinは古代ゲルマンのkynnに対応し、「魔王」に近くなり、「地獄の王」というイメージが作られる。

◎イギリスのHarlequinに含まれるquinは、Queenに近く、フレディがバンド名にQueenを提案したのは、ハーレークインから来ているのではないでしょうか?
ハーレークインとは、「地獄の女王」に近く、つまり「ブラッククイーン」のことではありませんか?
ブラッククイーンの行進は、皆を地獄へ連れていくのですよね。
これも、ひとつの謎解きができました。
ブラッククイーン
ふふふ、ばれたか

▶︎道化師は「棒」を持っています。これはファロスの象徴ともされますが、ヘルメスの「カドケウスの杖」から来ています。これがフレディのマイクスタンドへと繋がります。
大きな杖を持った道化師は、豊饒祭で「死と誕生」のパターンを表します。

▶︎食卓のテーマについては、食卓が生の昂揚と、昂揚した次の瞬間の運命の急転を意味しています。
饗宴とは、神々との交感の場であり、非日常性に関わるもの。
フレディがよく友人を招いて食事会を開いていたことが思い起こされます。

▶︎道化師には「聖なる」イメージがある。
道化師を通して得られる「聖なる体験」は、人間の内なる根源的な体験となる。

▶︎カーニバルでは、道化師による「偽の王の戴冠と、王位剥奪」が行なわれる。
「戴冠--剥奪」とは、転換・再生の必然性と共に「創造性」を現わし、あらゆる体制と秩序、権力とヒエラルキーが裏返しにされる儀式である。
道化師の衣服は裏返しにされたボロであり、戴冠のはじめから冠が奪い取られることは見えている。
(フレディは破れたような白いシャツを着ていましたね)
これがカーニバルのシンボルであり、誕生は死を、死は誕生を含んでいる。
この剥奪の儀式において、カーニバルの持つ「変化と更新」が実行され、「創造的死の像」が鮮やかに現われる。
王の戴冠

◎私はこの件りを読んで戦慄しました!
1986年に行われたクイーンの最後の「マジックツアー」で、フレディはステージの最後に王の戴冠を行ないます。
でもそれは「グレートプリテンダー」でも歌われているごとく、「道化の冠」「贋の冠」なのです。
ウエンブリー公演のDVDを見たところ、アンコールの「We are the Chanpion」が終わるところで、フレディが王冠とマントで登場し、音楽はゴッドセイブ・ザクイーンになります。
ですから見たところ、王の装束はチャンピオンを表しているのか、または英国女王に敬意を表しているのか、自分たちクイーンを象徴しているのか?と思わせられます。
しかし、ウエンブリーのライブが行われたのは1986年7月ですから、フレディは自分の病気について、うすうすは感じていたはず。当時はまだ病気の治療法がなかったため、みんな検査はなかなか受けなかったという。
病気が判明するのが1987年春ですから、フレディ道化師は、贋の戴冠からほどなくして王位を剥奪されたと言えるのではありませんか?
フレディはなぜ王冠とマントの衣裳を作ったのでしょう?
ただ自分の好みで着てみたかったのでしょうか?
それとも道化師の「戴冠と剥奪」による運命の急転を予感しており、「死と再生の儀式」を行なったのでしょうか?
私はどうにも後者のように思えてならないのです。
フレディは自分の死を予感して、「偽王の戴冠」を行なったのです!
そう思うと、ウエンブリーのDVDは涙なくしては見られなくなります。
フレディの衣裳には、こんな深い意味があったとは!!
フレディは私たちに多くの暗号を残していました。
それを少しずつ解読しております。

山口昌男の『道化の民俗学』では、道化とヘルメスの共通点について、詳しく書かれています。
あまり長くなってしまいますので、それはまた後日に。


CD「グレイティスト・ヒッツ・インジャパン」

どうも世間ではQAL公演の興奮が冷めやらず、様々な余韻に酔いしれているようでございます。
公演の録画がYouTubeにアップされており、個人の撮影なのに画質・音質が良くて驚かされます。
中には4Kの動画もあるので、時代の変化に感心しつつ、つい見てしまうので、時間が経過してしまい困りものです。

クイーンの「グレイテイスト・ヒッツ・インジャパン」について。
グレイテイストヒッツ・インジャパン
何と言ってもこのCDジャケットのデザインがいいですね!
さすがプロのデザイナーは洗練されています。
これはQAL来日の前に、日本人が好きな一曲を投票し、日本人のベストアルバムが作られたものです。
本当にクイーン・プロダクツというのか何だかわからないけれど、商魂たくましく、ありとあらゆる手を使って売り込んできますね。
だから渋谷陽一に怒られるのにね。

このCDのための投票が行なわれた時、私も素早く投票しました。
最も好きなクイーンの一曲。
迷わずクリックしたのは「マーチ・オブザ・ブラッククイーン」です。
本当は一瞬迷ったのは「ネヴァーモア」でしたが、作曲の労力を考えると、やはり「プラッククイーン」でした。
これは有名な人気曲というわけではないので、ベスト12曲に入るとは思っていなかったのですが、蓋を開けてみると、あにはからんやベスト9位に入っていたのでした!
意外と日本人好みだったのですね。

日本人の人気投票ベスト12は以下の通りです。
1. 愛にすべてを
2. ドント・ストップ・ミー・ナウ
3. 手をとりあって
4. 永遠の翼
5. キラー・クイーン
6. ショウ・マスト・ゴー・オン
7. ボヘミアン・ラプソディ
8. 39
9. マーチ・オブ・ブラック・クイーン
10. 懐かしのラヴァー・ボーイ
11. 炎のロックン・ロール
12. RADIO GA GA

この順位を見てみると、日本人の好みは70年代が多いということがわかります。
つまりフレディのヒゲなし時代ですね。
80年以降のヒゲ時代は、6番ショウ・マスト・ゴーオンと、12番ラジオ•ガガのみです。
この2曲は最近クイーンのファンになった若い人たちによる選曲ではないでしょうか?
やはりオールドファンはクイーンの若い時代が好きなようです。

作曲者別に見てみると、
フレディ6曲
ブライアン4曲、
ロジャーとジョン1曲ずつとなっています。
作曲数からして、妥当な曲数のような気がします。
ちょっと気になるのは、12位のラジオ•ガガ(ロジャー作曲)ですが、もしこの曲が入っていないと、ロジャーの曲はゼロになってしまいます。
ロジャー来日直前に、ロジャー作曲ゼロのCDを出すわけにはいかない。
それでロジャーの曲も1曲入れたのではないか、そんな気もします。
もし私が制作サイドだったら、ロジャーのためにそうしますね。
13位はラブ・オブ・マイライフ、14位はアイ・ワズ・ボーン・トゥラブユーです。

意外だったのは、8位の「39」です。
この曲はそんなに人気があるのですね。
ステージでは4人が並んで歌い、賑やかな曲だったので、愛されているのでしょうか。

などと言いつつ、私はこのCDを聴いていませんが、これは売れているのでしょうか。

「マーチオプ・ブラッククイーン」はボヘミアンラプソディ以上に、フレディの最高傑作だと思いますが、発売当時のことを思い出したのでエピソードをひとつ。
当時高校生だった私は、「マーチオプザ・ブラッククイーン」が入っている「クイーン2」をなぜか学校に持って行った。
そしてクラスメイトにアルバムジャケットを見せていると、その友人は「この人が好きなの?」と、ロジャーを指差した。
ロジャーは超絶に可愛かったですからね!
私が違うと言うと、友人は「じゃぁこの人?」と、ブライアンを指差した。
私がそれも違うと言うと、「そうかぁ、じゃぁこの人なのね」と、ジョンを指差した。
私が首を横に振ると、友人は凍りついたように無言になり、そのまま後ずさりすると、どこかに立ち去ってしまったのだ。
私は心の中で叫んだ。「どうして?どうしてフレディを指差してくれないの? お願いだからフレディを指差して!」
という私の心の叫びは、誰にも聞き届けられることはなかった・・・
ホワイトクイーン2
まあねえ、いま見ると、無理もないかなと。

んで、さいたまスーパーアリーナへ行ったついでに、ウェンブリーのライブのDVDを買ってきたので、いま見ています。
今まであまりライブのDVDを見ていなくて、持っているのはハマースミスとレインボーだけなので、ファンとしては不良で申し訳ありません。
ウェンブリーは1986年なので、38才のヒゲフレディの勇姿が見られます。
最後のクイーンツァーですが、まだ若い頃の面影があってホッとしました。
私はあまりテレビを見なくて、DVDプレイヤーも持っていないので、PCで再生しています。
ウェンブリーのDVDは2011年製なのですが、なんと現在使用中のMacで再生できず、色々と再生方法を模索しました。
そしてひらめいたのが、古いOSならば再生できるかも!? ということで、古いPCで試してみるとこれがすんなりと再生できました。
DVDには良く見ると、「パソコン搭載のDVD-ROMプレイヤーでの動作は保証しておりません」と、ちっちゃく書かれているではありませんか!
こんなちっちゃいのは気が付きませんよ!
ウェンブリーをお求めの際には、お気をつけ下さい!
しかし今時DVDプレイヤーを持っていない人なんて、私だけか!?

ウェンブリーのライブを見たかったのは、最後の「王冠とマント」の場面を確認したかったから。
この衣裳を確認して、私はまたまた重大なことに気が付きました。
フレディは本当に超人的にすごい人だ! いや人間を超えています。
そのことについて、また続きを書きます。
何とか書くための時間を作らなくては。




プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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