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西洋占星術でフレディを解読

イギリスでは、西洋占星術は日本よりも盛んです。
占星術の本場といっても良いでしょう。
「英国占星術協会」があり、ロンドンには占星術の専門店もあります。

フレディは占星術について、インタビューでは「信じていない」と言っていました。
(インタビューの字幕では「天文学」となっていましたが、正しくは Astrology 占星術もしくは占星学です。)

ところが実際には、自分の太陽星座「おとめ座」のルーラー(支配星)である水星を、自分の終生の名前にしたのですから、信じていないわけはないでしょう。
水星=マーキュリーです。

フレディは当初、名前をマーキュリーにする前は、プルートー(冥王星)にしようかと思っていたそうです。
プルートーはマーキュリーよりも絶大なパワーを持っています。
占星術に対する知識がなかったとは思えません。
もしプルートーにしていたら、フレディはもっと過激で、もっと破滅的な人生を歩んだことでしょう。

ちなみに、冥王星は現在、惑星から格下げされていますが、ブライアンは天文学者として、冥王星は惑星の方が相応しいと述べています。私も同意します。ブライアン、ありがとう!

ピーター・ヒンスの本によると、フレディはツアー中に、新聞に載っている星占いを見て、自分の星座の欄を読み上げたり、他の人の星座の欄も読んであげたりしていたそうです。
これは占星術ではなくて、星占いですから、あまり詳しい知識はなかったと思われます。

フレディの占星術チャートをもとに、主なところを解析します。
フレディの生まれ時間がわからないので、細かいことはわかりません。
(ネットに何種類かの生まれ時間が出ていますが、いずれもあまり信頼できないので、時間不明とします)

フレディの占星術解読
水のエレメントが無い
 宇宙は「火地風水」という4つのエレメント(元素)から成り立っています。
誰でもこの4つの組み合わせを持っているのですが、中にはどれかのエレメントが欠けている人がいます。
フレディは「水」が欠乏しています。
水は、人間の感覚、感情、共感などを表すので、水がない人は、他人の感情に共感することが苦手です。
自分の感情がないわけではなく、自分の感情は豊富なのですが、他人の感情に同化することはありません。
これは家族や親しい人から見ると、冷たい人と思われるかもしれません。

本人は、無意識に水の欠乏を感じます。
すると足りないものを補充しようとして、とても水が豊富な人のような行動をとることがあります。
自分が持っていないものを他人が持っていることを感じると、それが危機意識となり、生存本能に直結します。
ときに強い劣等感となり、それを克服するために必死に頑張ることになります。
それでやりすぎ感が目立つこともありますが、どこかピントがずれていると思われたりします。

人は誰でも、自分にないものを求めます。
フレディはいつも強く愛を求め、愛の歌を歌いました。
すごく水が豊富な人のように見えて、じつは自分に足りないものを求めていたのですね。

愛情や共感への強い必要性を覚えるので、多くの人と感情的なつながりを求め、
大きな理想や博愛精神を要する仕事を望みます。
これがスタジアムロックになったのですね。

太陽ノーアスペクト
フレディの太陽にはアスペクト(他の天体との角度)がありません。
孤立した太陽です。
太陽は自分の自我、人生を表しますが、他の天体との関係を持っていないと、自分の表現方法がわかりません。
フレディは金星が強く、品位の高い(ディグニティ)金星が、火星・木星とコンジャンクションしているため、金星を使って仕事をし、自己表現を行なっていました。
金星は音楽、美術、金銭、快楽などを表しています。
しかし太陽には出口がないので、金星との間に隔たりがあり、本当の自分と、金星の自分との間にズレを感じています。

また、太陽を押し出していく対象をもたないような形なので、方向性が自分に向かい、自分自身をテーマにする人もいます。
つまり、自分を必要以上に押し出して、目立とうとするのです。その場合は周囲から浮いた自己主張の表現になります。

太陽にアスペクトがないと、人の常識的な考えがわからず、人の感情もよく理解できなくなります。
自信が持てない人もいます。
流れに乗ることによって人生が開けますが、付き合う相手によって、自分も変わります。
相手の望んでいることを言ってあげたりして、対等な人間関係が築けなくなりがちです。
人から利用されたり、軽く扱われたりすることも。
周りの人に振り回されるので、目的が変わりやすい。

太陽ノーアスペクトは、孤高の生き方に憧れます。
またその反面、過剰なほどに自己を押し出すことがあります。
太陽は主体性を表すので、過剰になると暴走します。
0か100かの生き方になります。
他人と状況に影響されやすいので、思わぬ展開から大ブレイクすることがあります。
周りから担ぎ出されます。
どこからでも人生を再生できます。
恥ずかしいぐらい自己主張が派手になる人もいます。

また太陽ノーアスペクトは、父親との関係が薄いことも表し、
自分の男性性をうまく発揮できないので、ゲイになりやすいとも言われます。

太陽のサビアンシンボル
太陽おとめ座13度 「政治運動を制圧する強い手

この度数は、カリスマ的な指導力や、支配力、リーダーの素質があります。
強い意志で努力する人、精神的に強い人です。
人を惹きつける話し方で、人から信頼され、頼りにされます。
管理能力に優れ、しっかりしています。

カオス(混沌)をコスモス(秩序)に変える力を持っています。
ざわざわした集団や、反抗的な人々に対して、強くけん制し、落ち着かせることができます。
人々に影響を与えるような、類まれな指導力を持っています。

これって、フレディがスタジアムで「エ〜オ」している時の姿、そのままですよね。
なんと占星術の通りになっていたとは。

★次に人生の流れを見ます。
1964年 
出生の太陽と、経過の冥王星の合。 65年に出生の太陽と、経過の天王星の合。
強制的な変化、破壊的なことが起こります。
この時、ザンジバルで革命が起こり、フレディ一家は難民となり、ロンドンへ移住します。

1975年 
出生の海王星に、進行の太陽と、経過の冥王星が合。
クイーン2や、シアーハートアタック、オペラ座の夜の頃です。
フレディは神話や宗教の世界、神秘的なことや芸術などにのめりこんでいます。
この時期に出会う人を美化し、神格化します。

1976年 
出生の太陽と、進行の冥王星の合。進行の太陽と、経過の冥王星の合。
決定的な変化が起こります。驚異的な成功をもたらします。
華麗なるレースの頃で、突然タイツ姿になります。
7年 世界に捧ぐ、78年 ジャズの頃にレザースタイルとなる。

1979年 
出生の火星と、経過の冥王星の合。
生命力と性欲が最大となる。大胆な行動に出る。仕事に熱中する。
レザースタイルで火星を目指すロケットになり、空が赤く燃えていた頃。
ドントストップミーナウのことね。
ただし冥王星は未知のウィルスも含み、この頃HIVに感染したと思われる。
80年、ザ・ゲームでついにヒゲスタイルになる。

1983年 
出生の金星と経過の冥王星の合
恋人を深く愛する。83年というと、ウィニー・キルヒベルガーのことか。
82年 ホットスペース、14年 ワークスで、恋愛街道をひた走っていた頃。
またこの頃は、出生の太陽と、進行の土星の合や、出生の金星と、経過の土星の合もあり、
失恋したり、孤独を感じていた。
85年に「Mr.バッドガイ」
85年〜88年には最もマッチョとなる。
85年からガーデンロッジに住み始める。

1987年頃 
出生の月と、経過の天王星の合。
(出生時間不明なので、月の度数を特定できない)
生活や健康に大きな変化がある。この時エイズ発症。
89年 ザ・ミラクル。

1991年  
「イニュエンドウ」
11月24日 出生の太陽と経過の木星の合。出生の金星・木星と、進行の太陽の合。
これは大変幸運な星の組み合わせで、愛情やお金に恵まれます。
結婚適齢期の人は結婚します。または不動産などを手に入れます。
フレディはとても幸せな満ち足りた気持ちの中で、この世を去りました。
それまでの闘病では苦痛なこともあったけれど、死によって肉体から開放されました。
フレディにとっては、死は喜ばしい祝福でした!
星を読むことによって、それがわかって良かったです!
おめでとうフレディ! 

〔まとめ〕
こうしてみると、フレディは星の影響を強く受けていて、星の通りに生きた、じつに素直な人だったことがわかります。
普通の人は、家族や仕事の人間関係のしがらみがあり、あまり自由には生きられないものですが、フレディは徹底したリベラリストで個人の自由に生きることができたので、星の影響もまた鮮明に現れることになったのです。
とくに1964年〜65年の、ザンジバル革命による移住や、
1975年〜76年の、クイーンの驚異的な成功、
1979年の、過剰な行動力による病気感染、
1987年の病気発症、
1991年の幸せな大往生が、あまりに鮮明に現れているので驚きました。
フレディは最大限に星を使役し、星を生ききったのだと思います。

フレディ27歳
27才のフレディ。この頃が一番好き。未来への希望に溢れているから。


       
       




       
       
       


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正負の法則とは

美輪明宏が提唱する「正負の法則」というのがあります。
「正負の法則」とは、簡単に言うと「いいことがあれば悪いことが起こる。この世の中はそのような陰と陽のバランスで成り立っている」というものです。
たとえば「昼と夜」「北と南」「男と女」「光と影」のように、雨の日があれば必ず晴れの日がある、と美輪は言います。

光が強ければ、影もまた深くなります。
大成功したスターは、その後に数奇な運命をたどることがあります。
どんな人でも人生は良いことと悪いことがプラスマイナス・ゼロになっていると言うのです。
確かにフレディはそれに当てはまっているかもしれません。
しかし地震や戦争に巻き込まれるなど、自分の力ではどうすることもできないこともあり、全ての人が当てはまっているとは思えない場合があります。

良いことと悪いことというのは、たとえば一枚の紙の表と裏のようなもので、本来は同じものの両側なのではないでしょうか?
一人の人間を前から見れば顔が見えるし、後ろから見れば背中が見えますが、どちらが良いとか悪いということはありません。

良いことと悪い事というのは、捉え方ではないでしょうか?
たとえば駐車違反や一時停止違反で警察に捕まった時、それを悪いことと思わないで、「これはもっと大きな事故にならないように、運転に気をつけろということだな」と受け取れば、それは良いことになるのです。

フレディも病気になるまでは、刺激を求めて奔放な生活をしていましたが、病気がわかってからはガーデンロッジで落ち着いた生活を送ることができるようになって良かったというようなことを言っていました。
病気というのは、しばしば転機となり、気づきを与えてくれます。

映画監督の大林宣彦も、がんになってから毎日あらゆることに生命の輝きを見ることができるようになったと言っています。
たとえ悪いことが起きたとしても、それを良い意味にとらえていけば、人生には悪いことというのは無くなり、良いことだけになります。
毎日が良いことの連続になります。

フレディも早く亡くなったことは残念でしたが、そのことによって人々の心に強く印象付けられ、きっと意味があることだったのでしょう。
フレディ対面

ジョン・レノンの39回目の命日に。

フレディは鬼門に凶相の池を作ってしまった

フレディが住んでいたガーデンロッジの写真がある。
これはかなり上方から撮影していますが、どうやって撮ったのか? ドローンかな?
ガーデンロッジ上から

私は実際にガーデンロッジの前まで行ったことがあるのですが、
まず初めに気がついたのは、この家が北側を向いて建っていることでした。
私たち中国〜日本系の考え方では、家というのは北を背にして南向きに建てるのが基本です。
それがガーデンロッジは逆に南を背にして北を向いており、従って雰囲気が暗いのです。
南イタリアなど、陽光が強すぎる地域では、太陽光を避けることもあるでしょうけれど、ここは北緯51度のロンドンです。
1月の日の出から日没までは、8時間程度しかありません。
これが第1の謎です。

第2の謎は、画面左下に黒く見える大きな池です。
この池を見ると、私は今でもぞっとします。
なぜこんなところに池を作ったのか?
正確に測ったわけではありませんが、この池は建物から見て東北の方角にあります。
東北は鬼門と言われ、清浄に保たなければならない場所です。
そもそも個人宅の庭に池を作るものではないと言われています。
池を作ると湿気が多くなり、虫が発生したり、澱んだりすると、住人の健康に悪影響を与えます。
とくに鬼門にある池は大変な凶相であるとされています。

敵を滅ぼすときは、黙って相手の鬼門に池を掘れ、と言われるぐらいです。
フレディは自ら墓穴を掘ってしまいました。

鬼門に池があると、住人が病気になりやすく、経済的にも良くない影響があり、家運が衰退するとされています。
皇室に仕えていた陰陽師の土御門派では、鬼門に池があると次のようなことがあると伝承されています。

夭寿(若くして死ぬという意味)、変死、破財、損失、不忠、不孝、縁談の破れ、女難、剣難、奴僕育たず、出奔、乱心、淋症、痔漏、疳症、足腰の病(洛地準則)

なんと、鬼門に池があると、その家の主人が若くして死ぬか、変死するというのです!

この池は1986年の4月〜10月にかけて作られましたが、フレディのエイズが判明したのは1987年の春でした。
だから、もしこの池さえ作らなければ、フレディはもっと長く生きたのにと思わずにはいられないのです。
池を作りたいと思ったのはフレディ本人ですから、他の誰のせいでもありません。
でもフレディか、他の誰かが「鬼門の池」の知識を持っていたら、こんなことにはならなかったのに!

庭に池を作るならば、東南にするか、建物から50メートル離すか、小さい池にした方が良いそうなのですが、
この池は余りにも大きくて、全長10メートルもあるのです。
どうしても池の影響から逃れるわけにはいきません。

フレディは自ら庭の東北に池を作り、命を縮めてしまった。
でもそれは、フレディが早く魂の故郷へ帰る必要があったからなのだろうか?
早死にフレディ

フレディは池を作った時に「充実した人生を送ってきたから、もし明日死んだとしても悔いはないよ。探していた居場所をようやく得たというところかな。自宅のすばらしい日本庭園に・・・最近鯉を入れたのさ。すごく気に入っている」と言っていました。
自宅に楽園を作り上げたフレディですが、それは天国へ通じていたのかもしれません。
フレディの日本庭園
フレディ邸の日本庭園

中村哲医師追悼

2019年12月4日に、アフガニスタンで灌漑事業や医療活動に取り組んできた、中村哲医師が殺害されました。
中村哲さんはアフガニスタンの和平のためには、貧困の解決が不可欠だとし、アフガニスタンの最も貧しい人たちのために尽くし、半生を捧げてきました。
彼は日本の用水路の技術を研究し、アフガニスタンで2003年から工事を指揮し、7年がかりで25キロに及ぶ荒地に用水路を開きました。
用水路が通ったことで農地がよみがえり、難民や兵士になるしかなかった住民らが農業で生活できるようになり、戦乱と干ばつに苦しむ現地の状況は、劇的に改善されてきました。
用水路で潤った土地は約16500ヘクタール。約60万人が恩恵を受けています。
国際協力機構が2015年に行なった調査では、住民の8割以上が「治安が良くなった」と回答しました。

中村医師は、アフガニスタン東部で農業支援などに取り組むNGO「ペシャワール会」の代表でした。
私は10数年前からペシャワール会の会員で、何もお手伝いはできないけれど、毎年会費だけは払い、会報を受け取っています。
中村医師殺害の記事を新聞で読み、私にとってはジョン・レノン殺害よりも衝撃だったので、涙でかすんで文字が読めなくなりました。
中村医師の崇高な精神と、勇気ある実践に敬意を表し、哀悼の意を捧げたいと思います。
中村哲医師

中村医師やスーパーボランティアの尾畑春夫さんは、間違いなく地球人卒業だと思います。
合掌。
本当にお疲れさまでした!!
(尾畑さんはまだご活躍中ですが)

「神の道化」ニジンスキーはフレディの理想の人・その2

フレディは1979年に、英国ロイヤルバレエ団の誘いを受け、短期間でバレエの特訓をし、ついにバレエ団の舞台に立ちました。
バレエ好きのフレディにとって、これはどんなにか嬉しかったことでしょう!
踊りながら「ボヘミアン・ラプソディ」を歌うのですが、なんと逆さ吊りにされたまま歌うシーンもありました。
まあヨガもやっているから、逆立ちには慣れているのかな。
これは私が最も好きなフレディの写真のうちの一枚。
フレディがすごく幸せそうだから。
フレディのバレエ


ニジンスキーの他に、もう一人の重要なバレエダンサーがいます。
ルドルフ・ヌレエフ(1938〜1993)。
ヌレエフという名前は、アラビア語の「ヌーリー(光の)」をロシア風に変えたもので、親族は中央アジア系のタタール人だという。
2019年にヌレエフの映画「ホワイトクロウ」が公開されましたが、まだで見ていないので、ぜひ見たいと思っています。
ヌレエフ

シベリア鉄道の中で生まれたヌレエフは、17才でロシアの名門校ワガノワ・バレエ学院に入り、ソリストとしてマリインスキー・バレエに入団。ニジンスキーの再来と言われました。
1961年にイギリスへ亡命し、ロイヤルバレエ団でマーゴ・フォンテインとペアを組み、伝説のパートナーシップと言われました。
ヌレエフ2
バレエでは半裸は当たり前。
フレディだけではないですよ。

フレディがロンドンへやって来た1964年頃には、ヌレエフはウィーンへ拠点を移してしまうのですが、同時代を生きていたヌレエフは、フレディの憧れの的だったと思います。
ネットでは、フレディとヌレエフの交際が噂されたり、一緒に踊ったことがあると書かれているものもありますが、裏付けは取れていません。
二人の交際については否定的な意見が多いようですが、全く可能性がないわけではなく、もし二人が絶対に隠していたのならば、その事実が明らかになることはないでしょう。

フレディが亡くなって2年後、1993年にヌレエフもまたエイズで亡くなりました。54才でした。
ニジンスキー、ヌレエフ、フレディ・・・有り余る才能のある人は、あまりにも神に愛されているのでしょうか?


1984年になって、クイーンの「自由への旅立ち(I Want to Break Free)」のPVの中で、フレディはニジンスキーの「牧神の午後」の衣装をまといます。
牧神の午後

このモーモータイツもお気に入りだったのですね。堂々たるものです。
モーモータイツ

1985年の「Living on My Own」のPVでも、ニジンスキーの白黒ダイヤ柄タイツを着用しています。
フレディにとってニジンスキーは、人生の道標だったのではないでしょうか?

フレディはクラシック音楽やオペラやバレエも好きでした。
そんなロックミュージシャンていますか?
私もフレディと一緒にオペラやバレエを観に行きたかったな。
でもフレディは男娼を連れてきて、にやりと笑うかもね。
やれやれ。
背広のフレディ
それが何か?

ちなみに、フレディのお辞儀はレヴェランスと言い、シェイクスピアなどヨーロッパの古典演劇で、劇中の人物が挨拶したり、演劇が終わった時に役者が観客に挨拶をする時のものだそうです。
バレエではないようですが、バレエをやっている人から見ると、フレディの手の動きは、確かにバレエを練習した人の動きになっているそうです。

2020年3月に、パリ・オペラ座バレエ団が来るので、チケットを買いました。
4月のベジャールのチケットも、抽選申し込みをしています。
5月の「バレエ・フォー・ライフ」も楽しみですね。

「神の道化」ニジンスキーはフレディの理想の人・その1

フレディのバレエ好きは有名ですが、とくにニジンスキーに心酔していました。
1976年のインタビューで、フレディはバレエと「舞台でのプレゼンテーションはすごく近いものがあるんだ。」
「僕はバレエという芸術に夢中で、だからこそニジンスキーの衣装を成功させたいと思っているし、これまで以上にアーティスティックな手法で自分たちの音楽を伝えようとしているんだ」と語っています。
1970年代の後半には、ロンドンではパンクの嵐が吹き荒れていたというのに、なんとフレディはバレエに熱中していたのですから全くの埒外です。
フレディは「世の中にバレエを普及するんだ」と言っていたので、バレエ界にとっては大変な恩人です!

フレディが敬愛したニジンスキー(1890年頃〜1950年)は、ポーランド人の両親のもと、ロシアで生まれました。
ニジンスキーは、自らを「神の道化」と呼び、「神を喜ばせるために踊る」と言いましたが、彼をなくしては20世紀のバレエも、コンテンポラリーダンスも、暗黒舞踏もなかっただろうと言われるほどの真の天才でした!
ニジンスキー1
宙を舞うニジンスキー

ニジンスキーは10才でマリインスキー劇場の付属舞踊学校に入り、18才でマリインスキー劇場の主役に抜擢されました。
マリインスキーは世界最高峰の劇場、及び舞踊学校です。
しかし才能溢れるニジンスキーの活躍期間は約10年という短いものでした。

ニジンスキーは芸術プロデューサーのディアギレフと出会い、ディアギレフが結成した「バレエ・リュス」というバレエ団で活躍します。
「バレエ・リュス」は新しいスタイルのバレエを生み出し続けました。
ディアギレフとニジンスキーは同性愛の関係にあり、ニジンスキーはバイセクシュアルでした。
バイセクシュアルは、バレエ界では珍しいものではありません。
同性愛者のディアギレフは裕福な地方貴族の出身でしたが、彼の出産から間もなく母親が死亡し、愛人を一流の芸術に触れさせて教育するという方針を持っていました。
ディアギレフなくしてはまた、後のニジンスキーも存在しなかったのです。
ニジンスキー2
ニジンスキーはその中性的な外見で人気を博していました

フレディは交際相手として、レコード会社の重役や、マネージャーなどを選んでいましたが、これはディアギレフのような存在を求めていたのでしょうか?
自らをニジンスキーに例え、自分を高め、育ててくれる人を望んでいたのかもしれません。

ニジンスキーはバレエの時代を革新した天才でしたが、残されているのは写真のみで、映像は存在しないため、まさに「伝説」となっています。
写真を見ても、その跳躍力はすさまじく、一緒に踊っていたアンナ・パブロワは、彼が「空中で静止していた」と言っています。
フレディが「自分は伝説になるんだ!」と言った時、その念頭にはニジンスキーの姿があったのではないでしょうか?

ニジンスキーの妻(バイセクシュアルなので妻がいた)の言葉です。
「彼は全生涯と魂とその天才を人類のためにそそぎこみ、観客を高め、世界に芸術と美と喜びを与えようとした。」
フレディはこのようなニジンスキーを自分の理想としていたのではないでしょうか?
ニジンスキーは「神の道化」で、道化は手に木劍を持っています。
フレディは手にマイクスタンドを持っていました。

フレディのステージ衣装、ダイヤ柄のタイツ(?)は、道化師の衣装です。
しかし道化師のダイヤ柄はカラフルなもので、白黒のものはありません。
フレディのオレンジ色のダイヤ柄衣装は、伝統的な道化師に似ています。
一方、白黒のダイヤ柄は、ニジンスキーを描いたデザイン画に、同様のものを見ることができます。
フレディはニジンスキーの衣装から、自分の衣装を製作したのです。
ニジンスキーのダイヤ柄
ニジンスキーの白黒ダイヤ柄衣装

フレディの白黒ダイヤ柄
これはご存知フレディの白黒ダイヤ柄。
フレディは突然奇抜な衣装を発案したのではなく、「ニジンスキーの衣装」として作ったのだった。
フレディがそんなに奇天烈な人ではなくて良かったですね。

フレディのオレンジのダイヤ柄
こちらのカラフルな方が道化師の伝統的な衣装

ニジンスキーはポーランド人ですが、西洋的ではない顔立ちのため、あだ名は「日本人」と呼ばれていました。
本人も日本に対しては特別な気持ちを持っており、「日本風のバレエ」ほ考えようとしていました。
これはフレディの日本趣味に影響を与えていないでしょうか?

ニジンスキーは10年ほど活躍して、バレエ界に革新を起こして後、残念なことに精神に異常をきたし、それから30年間は狂気のうちに過ごしました。
このニジンスキーの悲劇を、フレディはどのように捉えていたのでしょうか?





もしフレディが生まれ変わったら

<もしもフレディが、シリーズ6>
もしフレディが生まれ変わったら。

これは色々な可能性が考えられるでしょう。
歌手だったり、画家だったり、バレエダンサーだったり・・・。
でもイチオシなのはこれなんです。

フレディの言葉。
「長生きできるとは思っていない。それに、長生きしたいとも思わない。70歳まで生きたいなんて絶対に思わないな。きっと退屈だもの。それよりもずっと前に、この世を去っていると思うよ。みんなの前からいなくなってる。そしてどこかで新たな人生を歩んでる―ザクロの木を育てながらね。」

これはたぶん病気がわかってからの言葉だと思うが、
「ザクロの木を育てている」というのは意外な発言です。
ザクロは日本にもありますが、ペルシャ原産で、ペルシャのザグロス山脈が語源になっているという。
日本には平安時代の923年に渡来して、薬用として大切にされました。
ざくろ

紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシャでは、ゾロアスター教の礼拝時に、信者がザクロジュースとバラ水を飲んだことが記録されています。
古代ギリシャの医学書や、パピルスに書かれたエジプトの医学書、中国の漢方書、インドの最古の医学書「アユルヴェーダ」にも、ザクロの効果が書かれています。
ザクロの効能には、むくみの解消、高血圧の予防、動脈硬化の予防、改善抗酸化・抗炎症作用、記憶力の向上などがあるとされています。

古代ユダヤには「神々がザクロを好んだ」という神話があり、ソロモン王は、3000年前にザクロの果樹園を開きました。
ペルシャでは王家がザクロの栽培を独占し、「王家の果実」「生命の果実」と呼びました。
ペルシャ医学では、ザクロは汚れた血を浄化してくれる「天国の果実」であると考えられています。
病に蝕まれたフレディが、ザクロによって体内を浄化したいと考えたのではないかと思うと、やはり悲しくなります。

ザクロは中近東原産ですが、ヨーロッパでもよく食べられており、ヒースロー空港で食べたフルーツサラダとヨーグルトにもザクロが入っていました。
ヒースロー空港のザクロ

私が生まれ育った家には井戸があり、井戸の側にザクロの木がありました。
そこに野良猫が住み着いていたので、私の記憶の中ではザクロと井戸と猫がセットになっています。
そのザクロを取って食べていましたが、日本のザクロは酸っぱくて種が固いのです。
ロンドンで食べたザクロは甘かったので、品種が違うようです。
ペルシャのザクロは日本と違い、酸っぱくないそうです。

日本にもザクロがあることに、フレディも驚いたことでしょう。
なんと古伊万里の大きな壺の蓋に、ザクロがついたものもあります。

エデンの園でイブが食べた果実はザクロだという話もあります。
楽園/天国を意味する「パラダイス」は、メディア語の「パリダイサ」から来ており、この語がアケメネス朝ペルシャ経由でギリシャに入って、「バラダィソス」となりました。
これが紀元前3世紀に、エデンの園を指す言葉となり、新約聖書では「天国」を意味することにもなりました。

「天国」(バラダイス)は、語源をたどっていくと「庭園」に行き着きます。
「庭」とは、天国を地上に写し取ったものなのです。

ペルシャにはザクロの果樹園があります。
フレディはそこでザクロの木を育てているのでしょうか。
その果樹園とは「楽園」です。
よかったね、フレディ。
by 「楽園のペリ」
ザクロの木

フレディは「この世を去って」から「どこかで新しい人生を歩んでいる」「ザクロの木を育てながら」と言っています。
ということは、ザクロを育てながら、新しく何かをやっているのでしょうね!
また〜何をやっているのかな?
たくらむフレディ
夢の続きを企むフレディ


 

お金持ちは幸せなのか?

お金持ちは幸せなのでしょうか?
フレディはお金持ちでしたが、「自分は世界で一番孤独なんだ」とか、「自分には家族がいないから幸せになれないんだ!」とか、「すごく惨めになるのは、僕がお金持ちだからだ」なんて言っていました。
お金持ちは幸せそうに見えますが、そうではないのでしょうか?

お金がないのも困りますが、あまりあり過ぎても大変らしい。
人々はお金持ちになりたくて、一生懸命お金持ちを目指します。
そして年収が増えるにつれ、幸せ度は増すのですが、最も幸せを感じる収入とは、年に750万〜1000万円ぐらいとされていて、それ以上増えても、あまり幸せ度は変わらないという。
病院経営を拡大した医師によると、細々とやっていた頃の方が幸せだったと家族みんなが言っているとか。

株式投資で何十億と儲けている人の話では、
収入が増えると、常に株の動きが気になり、お金のことばかり考えるようになってしまった、
税金が高くなり、重圧を感じる、
仕事に対するモチベーションが低くなってしまった、
周囲の人がお金を目当てに寄ってくる、
家族や友人から借金を申し込まれる、
子供がうまく育つか心配、
などと悩みが増えてしまったそうです。
お金持ちにはお金持ちの悩みがあるのですね。

フレディの場合は、お金のことばかり考えるということはないけれど、税金対策でよく外国へ出なければならなかったり、友人にお金を無心されたり(ピーター・ストレイカーとか)、私生活をマスコミに売られたり(ポール・プレンター)していました。
お金持ちであることより、有名人であるために、常にマスコミに狙われてスキャンダルを撒き散らされたりすることの方が大変だったのではないかと思われます。

「お金があればあるほど惨めになるんだ」というフレディの気持ちは、一般人にはよくわかりませんが、
お金でいくらモノを買っても、決して人間は幸せにはなりません。
モノを買っても、人間はすぐにそれに慣れてしまい、また別のモノが欲しくなり、際限がありません。
ある女作家は、着物や宝石を沢山集めたけれど、全く幸せにはならなかったと言っています。
誕生日にクルーザーを買ってもらった子供がいますが、友達の船にはヘリポートが付いているので、今度はそれが欲しくなったと言っています。
フレディは自分の誕生日パーティーに8000万円使ったり、日本に来て1億円ぐらい買い物をしたけれど、それだけでは幸せにならなかったのでしょう。
とにかくフレディは気に入ったものがあると、やたらと買い占めていましたが、「欲しいものが手に入っても、何も感じなかったこともある」と言っています。幸せを感じていないのです。
フレディのパーティー

ロジャーは、はっきりと「金持ちであることや成功することは、幸せとは全く関係がない」と言い切っています。
これはフレディの「家族がいないから幸せになれないんだ」発言に関係しているようです。
つまり、いくらお金があっても、心の満足がなければ幸せではないということですね。
フレディとロジャー
フレディは般若なの?

それでは、モノではなく、「愛こそすべて」なのでしょうか?
フレディは生涯、愛を求めて彷徨しました。
自分の愛はデンジャラスなものとして、それを歌にし、自分の愛が安全ではつまらないだろ?と言っています。
自ら愛を破壊するところもあったようですが、それでは愛さえあれば、人間は幸せなのでしょうか?
映画やポップソングでは、やたらと愛を賛美しますが、人間にとって愛が最高の価値あるものなのでしょうか?
人間の愛は移ろいやすいものであり、有限なものではないでしょうか?
(中には死を超えて続く愛もあると思いますが)

フレディの愛には、なぜかお金が付きまといます。
男娼をお金で買ったこともあるし、恋人には高級品をプレゼントしていたし、メアリーやジム・ハットンには給料を払っていました。
フレディが愛を分け与えることと、お金をあげることは、とても近いことだったようです。

愛されることを欲するならば、自ら愛することしかない、これは真の法則だと思います。

チャップリンは、「人生に必要なものは勇気と想像力と、少しのお金だ」と言いました。
人間にはお金だけでなく、愛情も必要だし、やりがいのある仕事があればもっと幸せになります。
自分が好きな仕事をして、周りの人と共に成長して行かれれば、こんなに幸せなことはないでしょう。

人間に必要なもの、それは「四大元素」という考えがあります。
「四大元素」とは「火地風水」のことで、古代ギリシャ・ローマ、イスラム世界、19世紀のヨーロッパなどで伝播し、インドにも似た考えがあります。
「火」は人間のパワー、意欲、意志、情熱など
「地」は物質。土地やお金。形あるもの。
「風」は知性、知識、情報、コミュニケーションなど。
「水」は感情、愛情、共感、感受性。

これらが揃って、人間はバランスのとれた存在となり、完成された人間へ近づくことができます。
お金持ちになると、「地」に偏ってしまい、重くなってしまうのかもしれません。
あまり「水」が過多になると、「Too Much Love Will Kill You」になってしまうし。
「風」が多いと、勉強ばかりしていたファウスト博士ですね。
「火」が多すぎると猪突猛進型になります。
私たちはこの4つを少しずつ増やしながら成長しているのです。
4つが揃った時、新しい扉が開かれます。






フレディが最後に買ったティソの絵

1991年、フレディは最後の絵を買いました。
1836年生まれのフランスの画家、ジェームズ・ティソの絵です。
ティソは普仏戦争を経てパリ・コミューンに参加した後、ロンドンへ渡り、多くの作品を制作しました。
10年後にパリへ戻り、風俗画が成功し、流行画家となります。
しかし死後は次第に忘れられた存在となり、また近年になって評価が高まっています。

ティソの絵を見て、私は驚きました。
今までにこのブログで取り上げたテーマが多いのです。
たとえば「公園のファウストとマルガレーテ」
ファウストは悪魔と契約して若さを手に入れ、マルガレーテと関係を結びますが、やがて悲劇となり・・・マルガレーテは天国へ。
「永遠にして女性的なるものが、われらを引く上げてくれる」という言葉で幕を閉じます。
フレディは「伝説になる!」と決意し、最後に「マザーラブ」へ辿り着きました。
ファウストとマルガレーテ

放蕩息子の帰還
人生の真の目的を忘れ、放蕩の限りを尽くした息子を温かく迎える父親。
人間の魂の遍歴を表しています。
フレディも放蕩をしたけれど、最後はガーデンロッジで満足な暮らしをしました。
ティソ放蕩息子の帰還

「花瓶を持つ日本の女性」
日本の陶磁器については昨日書いたばかりでした。
ティソは日本の美術品を最も早く収集し始めた西洋人でもあります。
日本の美術を西洋へ紹介した人です。
1868年のパリ万博で、日本代表として来ていた徳川明武公(徳川慶喜の弟)の肖像画を描いています。
フレディもティソの絵から、日本の美術に興味を持ったのかもしれません。
フレディは伊万里焼きのコレクターになりました。
花瓶を持つ日本の女性

そして注目なのは、この「浴室のラ・ジャポネーズ
このモデルは体格が良く、明らかに日本人ではありません。
何か日本に対する誤解があるように思いますが、これが西洋から見た(想像した)日本なのでしょう。
ジャポニスムについては、以前にこのブログでも取り上げました。
浴室のラ・ジャポネーズ
この絵がフレディのステージ衣装に影響を与えていないでしょうか?
1975年の日本ツアーで買ってきた着物で、その年のクリスマスにハマースミスで行なったコンサートのアンコール中、ストリップを演じたあの着物です。
フレディの着物
これは花嫁衣装でしょう。
日本人が見ると、とんでもない映像ですが。
これがこうなって。
フレディのストリップ
あれ? ハマースミスでは、着物の下は白いシャツだったかな?
それじゃこれはどこ?

とにかくティソは、ジャポニスムについてフレディに強い影響を与えたと考えられます。
そしてフレディが最後に買った絵が、このティソでした。
よほど好きだったのでしょう。
ジム・ハットンの本によると、クリスティーズで見つけたティソの絵は、ティソの愛人キャスリーン・ニュートンの肖像画で、ボンネットをかぶり、左手を頬に当てているという。
実物は確認できませんでしたが、このような絵でしょうか。
ティソのボンネット
フレディはキャスリーンの絵に16万ポンドを出したそうです。
16万ポンドは今のレートで2250万円!
1991年春のポンドは240円ぐらいだっので、何と3800万円!
それほど気に入ったのですね。
でもジム・ハットンは、その絵は不幸の絵だったと言っています。
なぜなら絵の中のキャスリーンは不治の病にかかっていて、この絵が完成した後まもなく亡くなったからです。
これが「肘掛け椅子のキャスリーン・ニュートン」
肘掛け椅子のキャスリーン・ニュートン

フレディはおそらく若い頃からティソの絵を見て、ジャポニスムの影響を受け、ステージ衣装にも着物を取り入れていました。
そして最後に買ったのもティソの絵。
女性の肖像画でした。
フレディはその女性から何を感じたのでしょうか?
最後の録音「マザーラブ」を歌った頃です。
ゲーテの「永遠にして女性的なるものが、われらを引き上げてくれる」ことを思ったのでしょうか。






フレディが愛した伊万里焼はヨーロッパを席巻した高級品質磁器

フレディは伊万里焼きのコレクターでした。
伊万里焼きは、日本が世界に誇る焼き物です。

伊万里焼は、豊臣秀吉が朝鮮出兵を行なった際に、朝鮮から多くの陶工を日本へ連れ帰り、佐賀県の有田で磁器を作らせたことによって始まります。

陶器と磁器の違いについては、陶器の材料は土ですが、磁器の材料は石の粉であり、石の粉に粘りを与えるために粘土を混ぜて使います。陶器を叩くと鈍い音がしますが、磁器を叩くと金属的な明るい音がします。

中国では紀元前から磁器の製造が始まっていましたが、日本では中世までの焼き物は陶器であり、磁器は輸入品に限られていました。日本で初めて磁器が作られたのは17世紀の有田です。

「有田焼き」と「伊万里焼き」についてですが、佐賀県の有田地域で作られた磁器は、品質の高さが海外に知れ渡り、伊万里港から輸出されるようになったため、「有田焼き」「波佐見焼」「鍋島焼」などが「伊万里焼き」と呼ばれるようになりました。
つまり「有田焼き」と「伊万里焼き」は同じものです。

「有田焼き」は普段使いの普及品から、皇室献上の特級品までがあり、私たちの家庭にもごくありふれたものとして使用されています。ですから外国人が「伊万里焼き」を珍重することに不思議な感覚を抱いてしまいますが、「伊万里焼き」には現代の焼き物と、江戸時代に作られた「古伊万里」の2種類があります。骨董品として貴重なのは、この「古伊万里」です。
古伊万里
フレディが好きなのは、この手の「古伊万里」でしょう。

古伊万里金襴
これは古伊万里様式の金襴手と呼ばれるもの。秀吉が好きそう。

17世紀後半になってから、オランダ東インド会社によりヨーロッパー持ち込まれた「柿右衛門様式」と言われる有田焼きは、ハプスブルグ家やブルボン家、ハノーバー家の大貴族たちの間で絶大な人気を誇ってきました。
ヨーロッパ磁器界トップに君臨しているマイセンは、ドイツ(ザクセン王国)のアウグスト王が、日本のように優れた磁器を作るように命じたことから始まりました。
柿右衛門様式
柿右衛門様式

私もヨーロッパの名窯のティーカップを少々コレクションしていますが、いろいろと手に取ってみて、やはり日本の磁器の方が品質が優れていることを実感しました。
日本の磁器がヨーロッパの王侯貴族に与えた影響は絶大だったのです!
とくに古伊万里はオールド・イマリとして、世界中に熱烈になコレクターが存在します。
そすがフレディは目が高いですね!
フレディが愛した伊万里焼とは、オールド・イマリのことと思われます。
きっとヨーロッパのお城や邸宅で、日本のオールド・イマリを目にしたのでしょう。
古伊万里皿
古伊万里皿

オールド・イマリは骨董品なので値が高く、なかなか庶民には手の届かないものですが、
有田では毎年5月の連休と、秋にも陶磁器の市が開かれ、沢山の人出で賑わいます。
そこでは手頃な値段の掘り出し物などもありますから、見物に行くと面白いですよ!
私もアリタ=イマリが好きなので、市の時ではありませんが、3回ほど有田へ行ったことがあります。
有田には沢山の製造元があり、窯の煙突があちこちに見られます。
その光景は日本ではないような、今でも朝鮮の雰囲気が残された不思議な界隈となっています。
有田市

創業325年を誇る有田の「香蘭社」は、デパートの食器売り場でもよく見かけるので、身近に眺めることができます。
1894年に香蘭社から分かれた「深川製磁」は、1900年のパリ万国博で金賞を受賞し、皇室にも献上品を贈っています。

日本の磁器の特徴は、「白い」こと!
その抜けるような白く滑らかな輝きは、ヨーロッパの王侯貴族たちの賛嘆の的となりました。
焼成温度が高いので、薄く軽く、硬度が高いのも特徴です。
やはり世界を回っても、これほど上質な美品にはなかなかお目にかかれないので、私も「深川製磁」のものなどを愛用しています。
しかしオールド・イマリは、フレディのような富豪じゃないと・・・!

ちなみに、フレディが使用していた「ノリタケ」は、有田=イマリではなく、1904年創業の名古屋の陶磁器メーカーです。
生産量は世界最大級で、明治から戦前にかけて欧米へ大量に輸出されました。
ノリタケは欧米で絶大な人気を博し、戦前までのものは「オールドノリタケ」として、世界の陶磁器愛好家がコレクションしています。
アールデコを基調としたデザインが大量に作られた時期もあり、アールデコが好きなフレディとしては、外せないアイテムだったことでしょう。
ノリタケの子会社に「大倉陶園」があり、高級磁器を皇室などに収めています。
フレディのノリタケ
フレディのノリタケ。どうして裸で飲んでるの?

フレディは日本びいきでしたが、とりわけ好きだったのは伊万里をはじめ日本の美術工芸と、日本庭園など「日本の美」でした。
また、あまり本を読まないフレディが「五輪書」を読むなど、「日本の精神」に興味がありました。
欧米の文化人、知識人たちは日本文化を良く知っており、高く評価しています。
案外、日本人である私たちの方が日本文化を良く知らず、軽視している面があるので、私たちももっと日本文化を大切にしていきたいものだと思います。





ジム・ハットンの数奇な運命と「無償の愛」

無償の愛について。

フレディは愛を求め、愛を歌いましたが、人間の感情的な愛は有限のものです。
それに対して、限りのない愛、見返りを求めない愛は「無償の愛」。
母親が子供に注ぐ愛は、無償の愛だと言われます。
条件付きの愛ではないので、ありのままで100パーセント受け入れられる愛のこと。
無償の愛は、いくら分け与えても全く減らない愛でもあります。

フレディはきっとそのような愛を求めていたのでしょう。
ママを吊し上げたり(タイ・ユアマザー・ダウン)、殺人を告白したり(ボヘミアン・ラプソディー)しながら、最後に行き着いたのは「マザー・ラブ」母なる愛でした。
歌詞の中にあるママは、現実の母親に重ねた大いなる「母なるもの」でしょうし、太古の女神だったのかもしれません。
「母の中に帰りたい」というのは、生まれる前の世界、静かなやすらぎの世界に戻りたいという願望でしょう。
母とは、大地母神やグレートマザー、またはガイア(地球)のことかもしれません。

フレディの一生の中には、周囲に興味深い人物が多々見受けられます。
ジム・ハットンもその一人で、数奇な運命を辿った人物ではあります。
ジム・ハットンがフレディと共に過ごした6年ぐらいのうち、4年半は闘病生活だったわけですから、病気の憂いのない時期は思いのほか短かかったことになります。
とくに最後の頃は看病に明け暮れる毎日で、最愛の人が病気に蝕まれていく様を見続けなくてはならない、まことに辛い日々でした。

ジム・ハットンとフレディの関係は平穏なものではなく、常に他の恋人の影もちらつくし、影どころではなくフレディが恋人を家に連れてくるし、痴話喧嘩はするわ、フレディに「出て行け!」と言われたこともあるし、裏切り者の嫌疑をかけられたこともある。
それでも別れなかったのは、ひとえにジムの人徳のなせるわざ。
私だったら、とっくに別れてます、ハイ。(情けない・・・)
フレディはジムに喧嘩をふっかけて、愛情を試していたのですね。
フレディはジムと「戦っていた」と言っていましたが、恋人と戦わないでね!
ジム・ハットン

そしてジムという人間が、とりわけ光り輝いて感じられるのは、フレディが病気を告白した時。
フレディが「きみは自由に出て行っていいんだよ、ドアは開いているから」と言うと、ジムは「出ていくなんてことはない。ずっときみの側にいるよ」と言います。
これってすごくないですか!?
当時、エイズは治療法がなく、死に至る病として恐れられていました。
もし自分の恋人や配偶者がそのような病になったら、あなたならどうしますか?
当時は病院でも、医療関係者が感染を恐れて、治療から逃げることもあった時代です。
自分にも感染の恐れがあり、死ぬかもしれないというのに、ジムはフレディの側にいることを選んだのです。
これこそが自分よりも相手の幸せを願う「無償の愛」なのです!
ジムは「無償の愛」を実践したことで、精神的に大きく成長したことでしょう。

ジムは案の定、病気に感染していましたが、そのことを1年ぐらいフレディには隠していました。
それはもし事実を伝えれば、フレディが感染させたことで自分を責めるだろうから、彼を苦しめたくなかったため。
そこまで気配りができるというのは、相当に人間が出来ていると思うし、本当にフレディを愛していたのでしょう。
ガーデンロッジでは、まさに愛と死のメロディーが奏でられていたのです。
ジムとフレディ

フレディの死により、ジムは悲哀のどん底に突き落とされ、孤独の淵をさまよいました。
この時もジムの寂寥を癒してくれたのは、2匹の猫だったといいます。

そして数年後、とてつもない僥倖がジムのもとに訪れます。
エイズの治療薬が開発されたのです。
フレディの死を看取ったジムは、自分も同じように衰えて死ぬことを覚悟していたはずですが、ここで予想だにしなかった逆転ホームランが起こり、文字通り起死回生を果たしました。
きっとジムはこの幸運を神に感謝し、フレディには救いの手が届かなかったことを無念に思ったことでしょう。
それから10年以上を生き延びたジムは、故郷のアイルランドへ戻り、フレディの思い出とともに穏やかな人生を送ったようです。
人生において、これほどの幸福と衝撃と悲哀と安堵と諦念を感じた人というのも珍しいのではないでしょうか。


話は変わって、スペインの作曲家で、グラナドスという人がいます。
彼は愛妻家で、1916年のアメリカ演奏旅行にも妻を帯同していました。
演奏旅行は成功し、船で帰路に着いたのですが、ロンドン経由で英仏海峡を航行中に、ドイツ潜水艦による魚雷攻撃を受け、夫妻はその犠牲になってしまいました。
この時、グラナドスは救命ボートに救い上げられるところだったのに、波間に溺れる妻を見て、助けるために海に飛び込み、そのまま二人はもつれ合うように暗い海の中へ消えていったという。
グラナドスは48才でした。
グラナドス

自分の身の安全を顧みず、妻を助けるために海に飛び込み、命を落としたグラナドス。
結果的には妻を助けることはできませんでしたが、これも「無償の愛」だと思います。

もしあなたの恋人や配偶者が海で溺れていたら、あなたは海に飛び込みますか?
または子供やペットだったら飛び込みますか?

「無償の愛」とは、仏教では「慈悲の心」と言われます。
慈とはいつくしみ、悲とは同情、あわれみです。
要するに、人にはなるべく優しくしましょう! ということですね。

「無償の愛」とは、宇宙にあふれる生命エネルギーのことでもあります。
このエネルギーに触れると、活力と幸福感が得られ、周りの人たちにも放射することができるようになります。
私たちは本来は孤独ではないし、満たされた存在です。
ただそれを思い出しさえすればいいのですけどね。


プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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