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「ボヘミアン・ラプソディ」爆音上映


ボラプ

「ボヘミアン・ラプソディ」の爆音上映を見ました。
最初は音が大きくて、耐えられるのか私の心臓? と思いましたが、すぐに慣れてしまい、ライブ感覚で楽しめました。
演奏シーンになると音の振動まで伝わるので、心地よい感触が得られます。
ボラプは映画館で3回、飛行機の中で1回見たので、5回目でした。
思えばちょうど1年前に、初めてボラプを見たのでしたね。
その時は本当に俳優たちがクイーンに似ているなあと感心し、ライブエイドのシーンに感動しました。
それから1年、フレディのことを調べてきたので、ずいぶん周辺事情もわかるようになり、ジョン・リードやジム・ピーチ、ポール・プレンターなどもはっきりと識別できるようになりました。
フレディがピアノから離れる時、にマイクを渡すピーター・ヒンスの姿も確認しました。
はじめは主な登場人物の姿ばかり見ていましたが、今回は何しろ5回目なので、画面の背景なども隅々まで見られて、余裕で鑑賞することができました。

で、結論なのですが、(あくまで5回目の結論ですが)
やはり最後のフレディ自身の映像が、ずば抜けて圧巻です!
あのDon`t stop me now がカラー映像だとすると、他の場面は全て白黒なんじゃないかと思うぐらい違っていました。
動物行動学の竹内久美子氏によると、「あの何かにとりつかれたかのような、狂気とパッションのほとばしりをいったい誰が表現できるだろうか?」とのことで、フレディのオーラは、どんな俳優でも再現不可能だと思い知らされたそうです。まさに同感です。

フレディの映像は、全身に音楽とリズムがみなぎり、ほとばしり出ている姿が強烈です。
フレディがいかに音楽の神に愛されていたかがわかり、涙が滲みました。
フレディ=音楽なのです!!
フレディ レザー


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フレディマーキュリー天才の伝説

天才とは何だろうか?
天才とは、人の努力では至らないほどのレベルの才能を備えた人のこと。
極めて独自性のある業績を残した人や、それが歴史や社会に影響を及ぼすに至った人物を指す。

たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンスを代表する芸術家であり、「万能の天才」と言われました。
人類史上最高の画家とも言われますし、人類史上最も多才であるとされます。
音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など様々な分野に秀で、高い業績を残しました。
見た目にも美形だったそうです。天才と美形は関係ありませんが、いちおう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ

つまり歴史上、ある時代において、画期的な業績を残し、人類史の進化に貢献した人物が天才といえるでしょう。

また、天才と狂気は紙一重と言われ、天才には変わった人や病的な人が多い。
2015年に、芸術的創造性と精神疾患が共通する遺伝子で発現するとする研究結果が、イギリスの科学誌に発表されました。
(私はこの説の信憑性については不分明であり、支持するものではありません)

たとえばモーツァルトは音楽の一時代を築いた天才だが、型破りな人物で、ひどく熱中するか、あるいは怠惰であるかのどちらかで、その中間はなかったという。
彼の弟子の話によると、モーツァルトはレッスンの途中で急に飛び上がり、椅子やテーブルをピョンピョン飛び越えて、猫の鳴き真似をしてから、とんぼ返りをすることもあったという。(あまりの奇天烈さに笑!)
モーツァルトにはかなりの収入があったが、ギャンブル好きだったため、頻繁に借金をしていた。
衝動的で落ち着きがなく、ギャンブルが好きだったモーツァルトは、ADHDの特性を持っていたと考えられている。
モーツァルト

それではフレディは?
フレディは独自性があるようでいて、実は調べてみると、かなり時代に合わせていたことがわかります。
若い頃ロン毛だったのは、当時のロックミュージシャンが皆長髪だったからですし、途中からヒゲスタイルになったのは、当時のゲイの人たちの間でヒゲスタイルが流行していたからですよね。
クイーンの音楽は、ロックの歴史の中では、「ハードロック」「グラムロック」「ヘビメタ」「パンク」のようなジャンルには当てはまらず、何かのジャンルを代表するわけではなく、時代を切り開いたということもありませんでした。
クイーンの後に、クイーン・ロックの道が続くことはありませんでした。
1975年の初来日の頃はロックの「あだ花」(咲いても実を結ばない花。狂い咲き)とされていましたし、今でもその感は否めないのでは?

2018年の映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開以来、フレディの神格化が進行しているので、フレディのおかげで男性同性愛者が理解されるきっかけになったとか、エイズに警鐘を鳴らしたと思っている人もいるかもしれません。
しかし男性同性愛は紀元前の古代ギリシャにもあったし、もっと言えば人類の起源以来ありましたし、イギリスで最も有名な男性同性愛者はオスカー・ワイルド(1854〜1900年)とされていて、人類史に名が残る男性同性愛者は非常に多数にのぼります。
レオナルド・ダ・ヴィンチも同性愛者です。
エイズについては、1980年代から私たちも知っていましたし、1980年代にエイズによって命を落としたアーティストは累々といて、あまりにも悲惨な時代の記憶となっています。
男性同性愛とエイズについては、また別項に書きます。

フレディの神格化については、プロモーションが実に巧妙なのです。
「ボヘミアン・ラプソディ」で第3次クイーンブームを巻き起こして以来、たゆむことなく次々とイベントや商品を繰り出してきます。
その企画力とパワーには脱帽しますよ。まったくどこまでフレディを利用しようとしているんだか!
でもそのおかげで若い世代にもフレディの永遠の翼が広がっていくのだから、ありがたいことなのですけれど。
天才フレディ
私は天才というより、伝説なのだ!

フレディが時代を変革するほどの天才だったのかどうかは、もっと後の時代にならなければわからないかもしれません。
でも精神医学者のクレッチマーによると、天才とは「積極的な価値感情を広い範囲の人々に永続的に、しかも稀に見るほど強く呼び起こすことの出来る人物」なので、やはりフレディは天才なのだろうと思います。
私たちにとってはフレディが真正の天才なのか、そうではないのかなんて、どうでもいいことで、今日もフレディの声が聴ければそれでいいんですよね!

この短い歌がとってもいいので聴いてみてください!
Have a nice day, bye bye〜と明るく歌っています。朝出かける前に聴くといいですよ!
https://twitter.com/ready_freddie04/status/1112124863513190400



フレディだから仕方がないと言われる破天荒

フレディは破天荒な生き方だったのだろうか?
破天荒とは、今までに誰もやったことのないような、前代未聞という意味です。
フレディは変わっている?
フレディのやることは、フレディだから仕方がないとは良く言われること。

芸術家には破天荒な人が多い。
たとえばエコール・ド・パリの画家たちは破滅的な人が多く、自殺したパスキン、アルコール中毒のユトリロの他、モディリアーニは極貧の中、アルコールと麻薬に耽り、35才で亡くなってしまいました。更にモディリアーニの死後の2日後に、第2子を身ごもっていたジャンヌも自殺してしまうという悲劇が続きます。
モディリアーニの妻ジャンヌ
モディリアーニの妻ジャンヌ

フレディが尊敬していたパガニーニ(ヴァイオリン、作曲)は、「悪魔に魂を売った」と言われる天才芸術家です。イケメンで才能にあふれ、女たらしでギャンブル好きのヤク中でした。

作曲家のアルベニスは、幼少の頃から神童として演奏していましたが、ボヘミアン的な性格のため、8才で家出して放浪していました。12 才で船に密航して南米キューバやチリで演奏していたという破天荒な性格です。
フレディは8才でインドの寄宿学校に入れられましたが、アルベニスは8才で自ら出奔したのですから驚異的です!
しかも12才で勝手に南米ツアーをやっていたのですから、これはクイーンの上をいっているのでは!?

画家のゴッホは、もともと人と会うのが苦手な性格で、素行が問題となり解雇されたりしていました。複数の精神疾患を抱えていたといわれます。生きることが重荷だった彼はアルコール依存になりました。
ゴーギャンとの関係には、友情を超えた強い愛情があり、彼との共同生活が破綻した時に、ゴッホは自らの左耳を切り落とします。その耳を持って娼館へ行き、「この大事なものを取っておいてくれ」と言いました。この件で、ゴッホは精神病院に収容されてしまいます。27才から絵を描き始め、10年間で膨大な画業を成し遂げましたが、生前は評価されることがなく、37才でピストル自殺を遂げました。
ゴッホの場合は精神疾患もあり、フレディよりもはるかに壮絶な人生ですね。
左耳を切った自画像

作家のフランソワーズ・サガンは、あまりにも極端な、刹那的な生き方をしました。
スピード狂で自動車事故を起こし、それでも運転をやめなかったり、ギャンブルに明け暮れ、アルコールやドラッグに浸り、数え切れないほどの情事を繰り返しました。やがて精神を病み、晩年には生活苦の中、健康を害してしまいます。69才で心疾患のためなくなりました。「生きたいように生きる」とは言え、ハイリスク・ハイリターンの生き様でした。

芸術家の奇行や破滅については枚挙にいとまがなく、本当にいくらでも極端な例が出てきます。
概してクリエイティブな人は精神の病や、発達障害であることが多く、そのためにストレスに弱いので、アルコールなどの依存症になりやすいのです。
フレディもクリエイティブで、強い集中力を持ち、完璧主義で気に入らないとすぐに怒る、また一度聴いただけの音楽をすぐにピアノで弾けるなど、発達障害の傾向があります。そしてセンシティブなので傷つきやすく、恋愛依存や買い物依存になったというのは、まったく公式通りなのです。
芸術家たちのすさまじい破天荒さに比べれば、フレディはまだそれほどでもなく、どちらかというと普通に感じられてしまいます。
フレディの精神構造は、クリエイティブな人なら共通している過敏な繊細さと集中力を備え、そのために傷つきやすく疲れやすいので、アルコールやドラッグで紛らわしたり、恋愛や買い物に依存していたのですね。
フレディはそうやってバランスをとりながら、音楽活動を生涯やり続けたのですから、破滅型ではなく立派な人生を送りました。
フレディがんばりました
がんばりました。

日本が世界に誇るアーティストの葛飾北斎は、生涯に画号を30回も変えました。
興味の対象が変わるごとに画風を変え、画号も変えたのです。
75才頃には「画狂老人」と称していました。
フレディも若い頃は度々衣装やヘアスタイルを変えていましたが、30回も変えていないし、名前も変えていませんね!
 北斎は生涯に93回転居しました。1日に3回引っ越したこともあります。
フレディはそんなに引っ越したことはありませんね。
 北斎は90才で没しましたが、最後まで情熱的に描き続け、「あと5年の命があれば、真正の画工になれるだろう」と言い残しました。
凄いとしか言いようのない北斎の生き様に感服します!
たとえ変人でも、このように最後まで生き切った芸術家も存在するのですね。
北斎のような巨人の前では、さすがのフレディもカワイイかも。
北斎の大波
北斎の「Big Wave」は海外でも大人気です。



ピーター・ヒンス『クイーンの真実』

クイーンの真実
ピーター・ヒンスの『クイーンの真実』を読みました。
ラッティことピーター・ヒンスは、長い間クイーンのローディーをつとめた人物です。
とくにフレディとジョンのアシスタントを担当し、フレディがピアノから歌へ移動する時にマイクを渡す人といえば、すぐに彼だとわかりますよね。
ローディは楽器の手入れ、運搬、設置から雑用まで何でもこなしますが、ヒンスはチーフとしてクイーンから信頼されていました。
1973年から1986年までローディでしたから、クイーンの活動の殆どを共に過ごしたことになります。
しかもステージ上の爆音の至近距離にいたのですから、聴力は大丈夫かなと心配になります。
1973年頃に20才だったので、1953年頃の生まれで、フレデイより7才下になりますね。

ヒンスは労働者階級の生まれですが、ロックとアメリカに憧れてローディーの世界に飛び込みます。
ローディーは激しい肉体労働で、重い機材を手で運んだり、トラックに詰め込んだり、空港の税関を通すために長時間待たされたりして、寝不足の過酷な仕事が続きます。
私も他のチームで、トラックの詰め込み作業を見たことがありますが、機材が動かないように、パズルのように隙間を埋めていく技には、本当に感嘆しました!
雇い主のクイーンは飛行機のファーストクラスで移動し、ホテルはスイートルームですが、ローディーはツアーバスの3段ベッドで身を縮めて寝なければなりません。きつい仕事で疲れた体に、汗で汚れた服と、外国での胃腸の不調など、目を覆いたくなるような惨状もあったのですね。
とくに南米で銃声が飛び交ったり、見知らぬ男たちに囲まれて最早これが最後かと思ったり、飛行機が嵐に遭い、大変な乱高下を繰り返したりと、文字通り命がけのツアー行脚だったのでした!

バンドのツアーは珍道中に決まってはいますが、これほど派手にどエライことになっていたとは!
ローディーたちは苦労の連続でしたが、賃金は安く、あまりクイーンから感謝されることもなかったそうです。
クイーンのおかげで世界中を旅行して歩き、酒やドラッグ、そして女の子にもそうとうモテたヒンスですが、次第に彼の心はクイーンから離れ、写真家への道を歩み始めます。
クイーンのステージの裏には、ローディーの作業や照明、音響、会場スタッフ、そしてマネージャーやレコード会社など、じつに様々な人たちが関わっていたのですね!
「フレディ・マーキュリー」という虚像は、みんなで寄ってたかって作り上げたものでもあるわけです。
そしてあまりに肥大した「フレディ・マーキュリー」像に、当のフレディも次第に疲弊していったのかもしれません。

ヒンスは長期にわたってフレディのごく近くにいて、信頼関係があったのですが、あまりフレディの言葉は記録されていないので、会話は少なかったのかもしれません。
フレディはステージ以外では寡黙な方でしたし、一人になることは殆どなく、常に誰かと一緒にいたわけですし。
フレディがロンドンからミュンヘンに来る時、フレディは一人で来られないので、ヒンスがお供をしたこともあったそうです。
ということは、ヒンスはフレディと二人で過ごしたこともあったわけですから、会話もあったはず。それなのにフレディの言葉は何も記されていないので、ヒンスはフレディへの忠誠心から、故意に隠していることがあるのかもしれませんね。

クイーンの側にいたヒンスの記録は、ステージや撮影の裏話がこぼれ出て面白いところがあります。
たとえば、「We will Rock You」のPV撮影は、ロジャーの家の庭で行なわれたものですが、当時はまだ契約したばかりで、家が引き渡されていなかったので、トイレを使わせてもらえなかったとか。 冬で寒かったので、フレディが手袋を所望したが、探してもなかったので、ヒンスが自分のローディー用の手袋を渡したところ、フレディは喜んで着用したので、PVの中でフレディが使用している手袋はヒンスのもの。
また、「You are my Best Friend」のPVでは、フレディがマイクに捕まってだらけた様子なので、酔っ払っているのかと思っていたのですが、あれは実はとても暑い日で、さらにロウソクを沢山つけたので更に暑くなり、クイーンはみんな倒れそうになっていたとのこと。フレディは倒れそうなのでマイクに捕まり、必死に歌っていたのですね! なんて健気なのでしょう。
他にも、ステージに投げ込まれた生卵でブライアンが滑って転んだとか、面白い話が沢山載っています。

ヒンスは「ラッティ」と呼ばれていましたが、ラッティとは「ねずみ」のこと。「ねずみちゃん」ですね。
ヒンスは若くて痩せていて、こまねずみのように良く働いたので、こう呼ばれたのでしょう。
でもちょっと見下した言い方ですよね、ねずみちゃんとは。
ヒンスは会計士や弁護士など中流の人は、自分より上の人だと思っていたそうです。
実際にはクイーンの会計士がお金をごまかしたので、上ではないことがわかったそうですが。
イギリスは階級社会なので、ヒンスが自分は下だと思うなんて、悲しくなってしまいます。
強欲で悪徳な中流人よりも、ヒンスはよほど立派な人間ですよ!
クイーンを離れてから、ヒンスは写真家として自立したので、もともとアートの才能があったのでしょう。
最近ではYouTubeで現在の彼の姿を見ることができます。
クイーンの周辺の、色々な人の生き方を知ることができて面白いですね。

フレディが好きなルネ・ラリック

ルネ・ラリックはフランスのガラス工芸家、宝飾デザイナーです。(1860〜1945)
アール・ヌーヴォーからアールデコの両時代にかけて活躍した稀な作家です。
日本でも目黒の「東京都庭園美術館」にラリックのガラス装飾が使われています。
ルネ横長


フレディはルネ・ラリックの作品を好んでいて、ロンドンのお店に足を運んではガーデンロッジに持ち帰っていました。
日本公演で世話になる日本人へのお土産にも持参していました。(この作品ではありません)
ルネ2

日本でも人気があり、私も京都で展覧会を見たことがありますし、最近でも「不思議のアリス展」にすばらしいラリック作品が出品されていました。(この写真は当該作品ではありません)
ルネ3

バラのモチーフがよく使われます。
すてきなランプですね。
ラリックのバラ

これぞラリック!
私もラリックが好きなので、このブログを書いているうちに、とうとう小さなラリックを買ってしまいました。
あ〜あ、何のためにブログを書いているんだろう?
これぞラリック

猫の置物もあります。
これはたぶんジム・ハットンがフレディに贈ったものと同じです。
フレディはプレゼントを貰うのもあげるのも大好きだったのですね。
ラリック猫


フレディが好きなアールデコ

ロンドンでデザインを学んだフレディは、ジョージ王朝時代の邸宅に住んでいましたが、ビーダーマイヤーアールデコの家具や装飾が好きだったそうです。
ジョージ王朝時代後半のデザイン様式は、イギリスではリージェンシースタイルと呼ばれ、ドイツではビーダーマイヤースタイルと名付けられました。
19世紀前半の時代、古代ローマ・ギリシャや、古代エジプトのデザインの影響を受けてまいす。
イギリスのリージェンシースタイルでは、中国のシノワズリーや、インドのムガール様式も取り入れられました。
ドイツ・オーストリアで中産階級が力を得て、装飾が少なく実用的なデザインが流行したものがビーターマイヤーです。
イギリスの家具は、植民地から送られるマホガニーやローズウッドのような高級な木材で作られていましたが、ビーダーマイヤーの家具は自国産の木材を使い、自然の色を強調しています。
ビーダーマイヤー様式
ビーダーマイヤーのインテリア

ビーダーマイヤーはその後、バウハウスやアールデコへ受け継がれていきました。
アールデコは1910年代から1930年代にかけてヨーロッパで流行したデザインで、電気や機械が広まった近代的生活に合わせた機能的、現代的なフォルムが特徴です。
富裕層向けの一点制作が中心だったアールヌーボーに対して、アールデコは一般向けの大量生産も行ないました。
アールデコ1

フレディはニューヨークに所有していたマンションのインテリアを、アールデコに統一していたそうです。
いかにもフレディが好きそうですよね。
アールデコ2
ほんとにフレディに似合いますよ!
モントルーのダックハウスもこんな感じだったと思います。

このような貝の形のソファもアールデコのデザインなのですね。
フレディはこんな貝のソファーとベッド、キャビネットなどを揃えて、メアリーに送ってあげたそうです。ロマンチックですね!
貝のソファ


メアリーといえば、メアリーがつとめていたBIBAが入っていたビルがこれです。
BIBAのビル
1920年代のアールデコスタイルとして名高い建物で、レリーフがとてもきれいだそうです。
BIBAは、1960年〜1970年代のファッションの象徴でした。
世界中から買い物に訪れる人気店でしたが、1970年代半ばの不況により閉店しました。
当時の顧客名簿には、フレディやルー・リード、デヴィツド・ボウイなどが名を連ね、伝説のブランドとなっています。
フレディはここでアールデコの装飾に触れていたので、アールデコが好きになったのかもしれませんね。


実は日本でもアールデコの建築を見ることができます。
目黒の「東京都庭園美術館」や、銀座のビアホール「ライオン」、上野の東京国立博物館本館などです。
「東京庭園美術館」は本当に美しい邸宅で、往年の貴族の暮らしを体感することができます。
東京都庭園美術館

玄関にはルネ・ラリックのガラスの装飾があります。
ルネ・ラリックはフレディも愛好していたガラス工芸家ですね。
庭園美術館のルネ・ラリック

意外と身近なところにもアールデコを見ることができます。








もしもフレディに前世があったなら

<もしもフレディーが、シリーズ5>
▶︎もしフレディに前世があったなら

フレディに前世があったとしたら、どのような人生だったでしょうか?
そもそも人間に生まれ変わりがあるのかという問題がありますが、私は人間や生物の生命は、死を超えて絶えることなく続いていると考えています。
でもそれはAさんがBさんに生まれ変わったというような単純な考えではなく、Aさんが過去のBさんと強い関連があるという風に捉えると良いのではないかと思っています。

そして過去生というのは、現在生と似ているか、正反対である場合が多いとされています。
過去生から継続して同じようなテーマに取り組んでいるか、あるいは過去に足りなかった面を補充するために、正反対の人生を選択している可能性があります。
そのようにフレディの過去生を考えてみると・・・

1) 吟遊詩人だった。
吟遊詩人

吟遊詩人とは、歌や詩を作り、各地を旅しながら歌う人のこと。
中世フランスのトルバドールや、中世ドイツのミンネジンガーは、「アーサー王伝説」や「ニーベルンゲンの歌」を歌い広めました。
アイルランドのケルトでは、バードと呼ばれます。
またジョングルールは旅芸人であり、大衆的な歌で民衆を楽しませました。
日本の琵琶法師も「平家物語」を歌い伝えました。

フレディも世界を旅しながら、愛の歌を歌い続けた現代の吟遊詩人といえますね。


2)カストラートだった。
カストラート

カストラートとは、1550年頃からイタリアで一般化された、ボーイソプラノを保つために去勢された男性歌手のこと。
最も有名なカストラートは、18世紀イタリアのファリネリで、3オクターブ半の声域を持つ彼が歌うオペラでは、上流階級の女性たちが次々と失神したという。
カストラートの収入は莫大なものとなり、優雅な生活を享受したが、男性としては一生禁欲せざるを得なかった。
その時の欠乏感が、後にフレディの放蕩を呼んだのではないか?


3)ペルシャの王子だった。
ペルシャの王子 アニメ

ペルシャの王子だったため、気位が高く、高価なものを好む。
この絵は「アルスラーン戦記」より。中近東を舞台にした物語ですね。
王子とはいえ、国政や戦争には興味がなく、詩や音楽、美術を愛好していた。


4)ゾロアスター教の司祭だった。
ゾロアスター教の司祭

敬虔なゾロアスター教の司祭として、清貧で禁欲的な生活を送った。
その反動で、フレディは派手で贅沢、退廃的になる。


5)インドのマハラジャの王子だった。
インドの王子

インドのマハラジャの放蕩息子だった。
(この写真の人のことではありません)


6)修道院の孤児だった。
修道院のオルガン

8才で孤児になった少年が修道院に入ったが、彼には音楽の才能があり、よくオルガンの練習をしていた。
ところが彼は成人する前に病で亡くなってしまった。
フレディとして生まれ変わると、前世で練習したオルガンの技術が才能として宿り、あまり練習しなくてもフレディはすぐにピアノを弾くことができた。
前世で孤児だったため、孤独な気持ちが強く、フレディは生涯愛を求め続けたのであった。


7)高級娼婦(女性)だった。
高級娼婦

キラークイーンですね、ダーリン。
オペラや文学にも高級娼婦はよく登場します。


8)ペルシャ猫だった。
ペルシャ猫


というのは冗談ですが。
というか、この「もしも」シリーズは冗談ですからね!
私は1番と2番の可能性が高いと思います。
人の一生は有限です。
一度の人生で全てを成しとげることはできません。
それで何回も生まれ変わっては、自分の目的を達成していくのかもしれません。
フレディは今回の生で多くの目的に到達し、また多くのことを学んだのでしょう。
彼は今回の人生に満足しているでしょうか?
また次の人生に挑戦することがあるのでしょうか?



フレディの夢

フレディの夢を見たことがありますか?
私が見た夢では、フレディがベティちゃんのTシャツを着ていました。

ベティちゃん

ステージの合間らしく、ステージの裏でフレディに会い、
白いテーブルを挟んで、向かい合わせに座りました。
フレディは少し疲れた様子で、目の上にくっきりと黒いアイラインを引いていました。
私は1975年の初来日にも行きました、あなたのファンですと、しどろもどろに言いました。
フレディは少しはにかんだように微笑みました。
何か飲み物をほしいようだったので、まだステージがあるのに強いお酒はいけないと思い、
ビールを渡しました。
という夢でした。
夢でもフレディに会えて嬉しかったです!


▶︎もういちどは夢というか、起きる直前に夢うつつで見たフレディなのですが、
黒い大きな箱の中で、右上に座り「いつもここにいたんだよ」と言いました。
白いサテンのシャツと、白いパンツ姿でした。
その時、私はハッと悟りました。
そうか、フレディはコクマーにいたんだ!
コクマーとは、カバラの「生命の木」のセフィラのひとつで、右上に位置しています。
2番のところです。

生命の木

コクマーは宇宙の積極原理とされ、能動性、意志の力を意味し、爆発的なパワーを持っています。
原初の男性原理とされ、刺激を与える力を持ち、ここから下位の(7番)のネツァクまで降ろされると具体的な芸術となります。
人間たちは10番マルクトにいます。
コクマーは、太陽系の惑星に当てはめると天王星です。
天王星は独立と革新、自由と解放を表します。古いものを壊して新しいものを創り出す力を持っています。

そうか!
フレディはいつもコクマーにいて、人間たちに働きかけていたんだね!
というか、彼はコクマーが強い人だったのかもしれない。
そして人間たちのコクマーを刺激しているのだろう。ネツァクを使って。
フレディは独立と革新、自由と解放の人。
常識にとらわれず、古いものを壊して、新しいものを創り出している。

いつも右上にいるフレディ、私には忘れられない強烈なインパクトです!


正倉院展のペルシャ文様

正倉院展

東京国立博物館で開催中の「正倉院展」へ行ってきました。
やはり圧巻なのは「五弦の琵琶」!
五弦は世界で唯一つ現存する実物です。
1200年前の8世紀に中国(唐)で作られたものですが、今でも美しい艶があり、螺鈿の装飾は息を呑む豪華さです。
このようなすばらしい絶品を見ると、人間はだんだん退化しているのではないかとさえ思えます。
上の写真の右端が琵琶です。

琵琶はインド伝来とされていますが、さらに遡るとペルシャに琵琶の先祖となる楽器がありました。
ササン朝ペルシャの遺跡から発掘された工芸品の浮き彫りなどに、琵琶の形をした楽器がしばしば見られます。
糸倉が後ろに曲がり、バチを持って弾奏され、「バルバット」と呼ばれました。
これが4弦の琵琶やウード、リュートの先祖になります。
つまりギターの先祖ですよ、ブライアン!
これがペルシャから中国へ伝わり、日本の正倉院までやって来ました。
西へ伝播したものがリュートになり、ギターになります。
正倉院の琵琶は、現存する世界最古の琵琶です。
夜光貝による螺鈿の装飾が、あまりにも美しい!
琵琶の装飾

「正倉院展」で最も興味を引かれるのは、ササン朝ペルシャで作られたガラス器や、由来のデザインです。
いちばん上の写真の、中央左寄りにある白っぽいガラス器は、ササン朝ペルシャで作られた実物です。
これは後期の展示なので、私が行った時は残念ながらまだ展示されていませんでした。
行かれる方はぜひ見に行ってください!
ササン朝ぺルシャとは、226年から651年までのペルシャ王朝で、ゾロアスター教が国教でした。
つまりフレディの先祖が、まだペルシャにいた頃の時代で、その時に作られたガラス器が正倉院に伝わり、いま私たちがそれを目にすることができるというわけなのです!
もしかしたら本当にフレディの先祖が作ったものかもしれないではありませんか?!
フレディはアートスクールでデザインを専攻したのですから、ありえない話ではありません。
そんなことを空想しながら見てみると、楽しさが倍増します!

私は中学校の美術の教科書で、このガラス器を見て以来、忘れられない印象が強く残っています。
いずれ奈良の正倉院へ見に行きたいと思います。
他にもササン朝ベルシャで作られたものではないけれど、ササン朝ペルシャのデザインで作られたものがいくつかあったので、私の目は爛々と光り、涎も出そうになったのでした。

ところでペルシャの文様といえば、ペルシャ絨毯ですね。
最古のペルシャ絨毯はアケメネス朝ペルシャで作られたとされます。
アケメネス朝ペルシャは、紀元前550年から紀元前330年までの王朝で、代々の王はゾロアスター教を信仰していました。
壮大なペルセポリスを造営するなど繁栄していましたが、マケドニアのアレクサンダー大王の攻撃により滅亡しました。
ペルシャ絨毯は高価なので高嶺の花だったのですが、やっと最近小さなペルシャ絨毯を手に入れ、ヨガマットにしています。
ペルシャ絨毯でヨガを行なうと、じつに気分爽快ですよ!
ペルシャ絨毯
ペルシャ絨毯は、世界のセレブのご用達なので、フレデイ邸にも敷き詰められていたのでしょうか?

奈良の正倉院は、シルクロードの終着点と言われます。
日本の着物には、ペルシャ文様がよく見受けられます。
じつは日本人には身近なペルシャ文様なのですね。
着物のペルシャ文様

それにしても、「正倉院展」に行って、
琵琶だ、ペルシャ起源だ、ギターの先祖だ、ブライアンだとか、
ササン朝ペルシャのガラス器だ、ゾロアスター教だ、フレディだとか、
ペルシャ絨毯はアケメネス朝ペルシャだ、ゾロアスター教だ、フレディだとか、
いちいち思っている私っていったい・・・





プラネタリア/ クイーンの「ヘブン」

有楽町マリオンにある「プラネタリア」で、クイーンの「ヘブン」をやっと見ました。
7月から上映していたというのに、なかなか見る機会がなく、10月に予約を入れたところ台風に見舞われて、電車が不通になり、たどり着くことができませんでした。以前なら、電車が止まったなら自分で運転して行ったものですが、さすがにそれはちょっと危険かなと。
プラネタリア ヘブン

ネットで席を予約するとカード決済のみなので、もう現金で入場することはできない時代になったのかと思っていましたが、到着してみると窓口に人間がいるのでびっくり。そしてお金も使えることがわかって2度びっくりでした。何をびくびくしているんだ私。
ブラネタリア入り口

クイーンの「ヘブン」の入り口には、なつかしい面々がお出迎えしてくれます。
こんな時代もあったんだなあ。みんな若い。
看板息子達

こんなパーソナルな3Dシアターもあって、面白そうだった。
3Dシアター

ドーム内に入ると、こんな感じになっていて、上映中はもちろん撮影禁止。
ドーム内

そして「ヘブン」が始まった。
私はチェア席を予約していたが、クッション席の人たちは仰向けになって鑑賞するので、天井を見るためにはそれもgoodなのではないかと思う。
ネットではあまり「ヘブン」の感想を書いている人がいないので、きっとあまり面白くないんだろうなと思っていました。
で、見てみると、やはりCGの技術がすごい。
一面のスクリーンではなく、36度のドームに投影するので、実際にその場所に入り込んだかのような臨場感があります。
海の波が打ち付けたり、空から隕石が落ちてきたり、それはどエライ迫力です!
空中飛行のシーンなどは本当にクラクラするので、めまいがする人もいると思う。
パンフレットを読むと、「クラクラして気分が悪くなった人は、目をつぶって下さい」とある。
なるほど、目をつぶればいいのか。

私は個人的には「who wants to live forever?」の映像が良かったな。
永遠性を感じさせるリングと、人間の生命の限界を表すリングが合体するイメージ。

CGは良くできているけれど、惜しいのは全体のイメージが暗いこと。
宇宙が暗いのは仕方がないけれど、山や海、大自然の描写が暗いのです。
日本の自然はもっと美しいぞ! イギリスの風景は暗いのかなと思いつつ、最後のクレジットを見ると、制作はミュンヘンのスタジオになっていました。そうかあ、ドイツの映画も暗いからなあ。
日本のCGスタッフが作ったら、きっともっと美しいものができるに違いない。
見終わった時に爽快感が得られるといいのにね。

クイーンのPVがところどころに挿入されているのですが、当然のことながら新しい映像はないので、クイーンファンなら見慣れたものばかりです。
クイーンの映像を見るというよりは、最新のCGを楽しむと思った方が良いかもね。
音質については、あまり期待しないでください、と言っておこう。

CGについては、1982年の映画「トロン」から、もう長いこと見慣れているので、次は早くホログラムが見たいなあ。
「トロン」といえば、あの頃、池袋のサンシャイン60が1978年に開業して、レーザー光線のショー「レザリアム」をやっていたので、何回も見に行ったっけ。そう、当時は「レザリアム」と「トミー」と「トロン」だったな。サンシャイン水族館のゴマフアザラシも可愛かった。
「トミー」は1975年に公開されたザ・フーの映画。面白くて何回も見に行き、音楽をカセットで録音していたよ。
1975年には「ロッキーホラーショー」の日本初上陸もあり、もちろん見に行きました。
まあ「トミー」や「ロッキーホラーショー」のインパクトはすごかったので、思い出話になってしまってスマン。

早くホログラムのフレディがステージで歌っているところが見たいですね!








「新月」40周年コンサートを祝して!

日本のプログレッシブロックバンドの最高峰と言われる「新月」が、ファーストアルバムを発売してから40年を記念するコンサートが開かれたので、川崎のクラブチッタへ行ってきました。
このバンドは40年前からの知り合いなのですが、ボーカルの北山真氏が変わっていなくて凄い!
近くで見るとメイクしていますが、遠目ではまるで20代の頃のようです。
彼は山岳クライマーでもあるので、鍛え抜かれた身体の持ち主なのでしょう。
40年前に芝のABCホールで開かれたデビューコンサートを、昨日のことのように思い出しました。
新月ファーストアルバム

作曲の花本彰氏も変わらずに冷徹にシンセやメロトロン!を操っていて、さらに貫禄が加わっています。
彼は芸術学部出身なので、基礎がしっかりしている人の強みがあります。
ぜひ今後も新作を期待したいです!

ギターの津田治彦氏は、なんだか丸みを帯びていますが、名曲「朝の向こう側」では40年前と変わらない歌声を聴かせてくれました。
幕間に流されたHALかベラドンナの時の演奏も懐かしく流麗でした。

新月、チッタ

コンサート会場は、往年の新月ファンで一杯で、とくに男性が多く、40年の歳月を感じさせる年齢の方が多く見受けられました。
日本のプログレファンがこんなに大勢いたとは、うれしい驚きです!
開演前に客電が落ちると、すぐさま観客からの拍手とコールが起こり、バンドを呼び出します。
はじめに楽器セクションが持ち場に着くと、後から銀色のマントに身を包んだボーカルの北山真が、天井からゆっくりと降りて来ました。
そして新月のお馴染みのナンバーから、新作「静かの海」収録曲まで、次々と鮮やかな演奏を繰り出したのです。
私も新月の曲はほとんど知っているし、「静かの海」も買ったので、新月マニアなのかもしれませんね。
静かの海
「静かの海」(北山真/花本彰)

新月の曲を40年も断続的に聴いてくると、やはりこちらの聴く年齢によって、聴き方が変わってきます。
はじめは夢中で聴いていた20代、そして中年になると、なんだか若い頃の音楽が聴けなくなったりする時期もありますが、さらに還暦も過ぎると、バンドを続けてくれるだけで有難く、何でもOKでハッピーになってしまいます。
また10年後の、デビュー50周年を目指して、ぜひがんばってほしいと思います!

「新月」は初期から、照明や映像を取り入れて、演劇出身のボーカルの衣装やアクトにも凝っていました。
今回も40年前とは違った衣装や映像で、さらに表現が豊かになり、聴衆の心を揺さぶるものになっていました。

私が注目したのは、ステージに一貫するコンセプトです。
はじめはボーカルが、天井からゆっくりと降りて来ます。
そして地上で人間の諸相を演じ、味わい、表現をし尽くすと、また最後にゆっくりと天井へ上がって行きました。
これはちょうど私が最近書いていた、ヘルメス思想に通底するものです。
ヘルメス思想では、人間は神の世界から地上へ降りて来て、色々な経験を通して成長し、また神の世界へ上昇していく(進化していく)とされています。
ヘルメスとはマーキュリーのことなので、フレディもその流れに逆らうことはできないと書いたところでした。
このように同じものを体験することをシンクロニシティーと言います。
心に強く感じたことには、シンクロニシティーが起こります。
やっぱりね、と私はにやにやしながら会場を後にしたのでした。


おまけ。
帰ってから、捨てられた猫の保護活動をしているお坊さんのブログを見ていたら、こんな言葉がありました。

「私たちはあの世から来て、またあの世に帰る。
死とは別れではなく、来たところに帰る。という仏さまの教えです。」

これもシンクロニシティーかにゃ。


プロムス・ジャパン・ファーストナイト

プロムス ファーストナイト

イギリスで行われている世界最大の音楽祭「プロムス」が、初めて日本に上陸しました。
8月にロンドンで聴いたBBCオーケストラがやってくるので、早速ファーストナイトコンサートへ行ってきました。
渋谷のオーチャードホールです。

ロンドンで聴いた時は円形のロイヤルアルバートホールだったので、音が柔らかく上に立ち上るような感じだったのですが、日本のホールは音が前へ飛ぶように設計されているので、とても鮮やかな生き生きとした音色で、まるで違うオーケストラのように感じられました。
「プロムス」はプロムナードコンサートの略ですが、毎年でロンドンで2ヶ月にわたって繰り広げられ、最後のラストナイトは日本でいえば紅白歌合戦のような国民的行事として盛り上がります。
そしてラストナイトの最後では、英国国歌「ゴッドセイブ・ザクイーン」をみんな起立して歌います。
ですから、クイーンがコンサートの最後に「ゴッドセイブ・ザ・クイーン」を流すのは、プロムスを踏襲しているのだと思います。
クイーンが特別に変わったことをやっているのではなく、大衆のアイドルとして皆に受け入れられやすいことをやっているのでしょう。

ロンドンのラストナイトに招待された歌手は、衣装に色々な国の国旗をつけて歌ったりします。
フレディが大きな国旗を広げてステージを歩いたのも、ここからヒントを得たのではないかと思います。
フレディの国旗

フレディの「えーお」にも前身があり、1960年代に似たようなステージと客席の掛け合いがありました。
フレディの発明というわけではなかったのです。
フレディは1950年代、1960年代の音楽を聴きこんでいましたし、もっと遡って古い映画やボードヴィルなどを好んでいました。
ボードヴィルとは、17世紀末にパリで始まった演劇形式で、1900年頃のサイレント映画に取り入れられました。
こんなに古い時代のボードヴイルについて、私も全く知りませんでしたし、50年代・60年代の音楽についても、日本とイギリスでは情報量に圧倒的な差があったはずです。
フレディが慣れ親しんだ音楽の中から、自分の音楽をするすると紡ぎ出して来たわけですが、私たちはその背景となる音楽をあまり知らないので、その多彩な表現に驚かされるのです。
45年前ぐらいに初めてクイーンを聴いた時、「ポップだなあ、どうしてこんなにポップなのかなあ?」と思いましたが、その背後には欧米の膨大なポップミュージック世界が横たわっていたのですね。

フレディのステージは暑くて危険がいっぱい!

<フレディなぜなぜシリーズ9>
▶︎なぜフレディはステージで脱ぐのか?

その答えはズバリ、「暑いからでしょう!」
何ともストレートな答えですみません。
だって本当にステージは暑いんですよ。
私も昨日はステージで動き回っていて、汗だくになってしまいました。
(私は歌っているのではありません)

ステージには照明が当たっているので暑いのですね。
フレディには12本のスポットライトが当たっていたそうですから、暑いうえに、めちゃ眩しかったでしょう。
ステージは暑くて喉が乾くので、いつも彼らは飲み物を用意していましたね。
小林幸子はステージのライトで、着物が焼けてしまい、変色したと言っていました。
これだけ強いライトでは、お肌にも良くありませんね。
ステージでは電気器材から妙に生暖かい風が吹き、埃が舞っているので、コンタクトレンズをした目にはゴミが入り、悲惨なことになります。セットリストは貼り付けておかなければ、どこかへ飛んで行ってしまいます。

それでフレディは動き回っているので、暑くて脱ぐのでしょうけれど、脱ぐと観衆から「お〜」というどよめきが起こり、脱げばみんなが喜ぶんだな、という感触を覚えたのでしょう。
私もステージで一枚脱いだことがありますが、みんなお〜と喜んでいました。(裸にはなっていません)
それでフレディは聴衆サービスのため、いつも脱ぐようになったのでしょう。
ステージで脱ぐフレディ

脱いでみると、フレディは童心に返ったようで、嬉しかったのではないでしょうか?
ザンジバルの夕日を思い出したり、灼熱のインドの青春時代、あの海岸の素足の感触などが次々と脳裏に蘇り、そしてとうとう短パン一枚になってしまったのでは?
西洋では室内でさえ素足になることは、はしたないこととされますから、まして公衆の面前で素足になるのは勇気のいることです。
あいつは普通じゃない、ストリッパーか男娼か、喜劇役者か野蛮人かと言われてもやむを得ません。
紳士の国イギリスでは「異形のもの」と扱われても仕方がありません。
でも私たちアジア人は、素足の気持ち良さをを知っていますから、フレディの素足は全然OKですよね!
浜辺のフレディ
この珍しい写真は、どこかの浜辺でしょうか?
これから泳ぐところなのか、野生児フレディみたいですね。

それから、ステージには危険がいっぱいです。
電気器材が多いので感電することがあり、最近でもフランスやアルゼンチンで、歌手がマイクの感電により死亡しています。
ギターアンプの感電事故もあります。
ステージから転落して怪我をするアーティストも多数いますし、シルク・ド・ソレイユの団員が演技中にステージ上に落下して死亡したこともありました。
ステージ上の機材が倒れて怪我をしたり、ファンが死亡したこともありました。
極端なところでは、ライブ中にテロが起こり、銃撃されることもあります。

そこまでではなくても、ステージと袖、舞台裏は暗いので、足元がよく見えないところに、ケーブルが渦を巻いていたり、段差があって転んだりします。
私も舞台練習で派手に転んだことがありますし、本番では保険をかけますので、クイーンのメンバーも高い保険に入っていたことでしょう。ブライアンのギターにも高い楽器保険をかけているでしょうね。
1984年にフレディがステージで怪我をしたところ。
この時は一人で歩けないほどでした。
フレディの怪我

1970年代の若い頃にも、フレディがステージで転んだと言って不機嫌になっていることがありました。
暑くて埃だらけで危険がいっぱいのステージで、過酷なステージアクトと歌唱を行ない、旅から旅のホテル暮らしを続けたクイーンにも苦労があったことですし、「脱がなきゃやってらんないよ!」ってことにもなるでしょう。
そして完璧主義のフレディにとって、緊張のステージが終わると打ち上げだ、パーティーだ、飲むぞ、騒ぐぞ! となるのは必然の流れだったのでしょう。
お疲れ様でした、フレディ!




ヘルメス思想の系譜に連なるフレディ

マーキュリー=ヘルメスまで来たので、ついでに「ヘルメス思想」まで行ってみましょう。
「ヘルメス思想」とは、紀元前3世紀〜紀元後3世紀頃にエジプト(アレキサンドリア)で導師ヘルメス・トリスメギストスが弟子に教えるという形で書かれた「ヘルメス文書」に示された内容を指しています。
ヘルメス(マーキュリー)は、死者を冥界に導く役割を持った神であり、ヘルメス思想の祖として敬われています。
(フレディがそれを知っていたかどうかは不明です)

ヘルメス・トリスメギストスは、生涯に36525冊の本を書いたとされ、宇宙の構造、医学、化学、哲学、法律、芸術、数学、音楽などの、あらゆる知識を人間に授けました。
「ヘルメス文書」の中にある「エメラルド・タブレット」には、ヘルメス思想の根本的なことが書かれています。
上のものは下のものの如く、下のものは上のものの如く」という、大宇宙と小宇宙の照応についてや、
全は一、一は全」という「反対の一致」が説かれています。
エメラルド・タブレット

ヘルメス思想は、西洋の知識人に再発見されてルネサンスを起こし、近代科学を生み出す原動力の一つとなり、科学や化学、天文学の基礎となりました。
さらにヨーロッパの思想や哲学、文学、芸術にも影響を与えました。
レオナルド・ダ・ヴィンチの思考にも影響を与え、ボッティチェリもヘルメスを知恵の象徴として描いています。
コペルニクスの地動説、ライプニッツの微積分、ケプラーの楕円軌道など、多くのものがヘルメス思想から生まれました。

ヘルメス思想で重要なのは、本来は光の存在である人間が物質界に下降し、そこで認識を得て再び天界へ帰るという往復運動です。
その往復運動は直線的なものではなく、ときに後退に見える運動も経ながら、より高い存在を目指していく螺旋運動となります。
ヘルメスが持っている「カドケウスの杖」に絡みついている2匹の蛇は、上昇と下降の螺旋の動きを意味しています。
2匹の蛇はカドケウスの杖のシンボルであり、上昇と下降というヘルメス学の中心概念を表しています。
(フレディのマイクスタンドと、絡みつくマイクコードを思い出してください)
フレディのマイクコート゜
なんかもうフレディ自体が蛇みたいですね。蛇は「智恵」の象徴。

また、ヘルメスによれば、「神は天上界の原像を基にして、その模造を地上界に流出した」ということなので、地上の物質を手掛かりにして、再び天上界へ到達することが可能なはずです。
なぜなら「上なるものは下なるものに一致し、下なるものは上なるものに対応する」からです。
これが「引き寄せの法則」の元にもなっています。

ヘルメス思想においては、人間と神は本質的に同一です。
そのことを「認識(グノーシス)」すれば、人間を神のレベルまで高めることができるとされます。
人間を「神化する」ことが目的です。
このように古代思想においては、「認識」こそが最も重要であり、知性のはたらきを重視しましたが、キリスト教ではその部分を隠してしまい、「愛」が最も大切であるとしました。
そのために、現在の欧米の映画や音楽は、盛んに「愛こそ全て」と歌い、愛が氾濫していますが、本来は「知と愛」のバランスが大切なのではないでしょうか? ヘルマン・ヘッセの「知と愛」のように。

ヘルメス思想では、人間が天界から地上へ下降し、また再び上昇する「運動」にこそ価値があるとするので、下降における堕落にも積極的な意義があるとします。これはキリスト教にはない考えです。
フレディがパーティー三昧をしても、コカインを摂取しても、愛欲に耽っても、それらも全て意義があることであり、深く下降するものこそが、後に高く上がることができるのかもしれません。
たとえば一般人が「1」下降した後に、「1」上昇するとしたら、フレディは「10」下降した後に「10」上昇したのではないでしょうか?
深く下降して、強く底を蹴れば、その浮力は強くなり、勢いで高く上昇することができます。
フレディは意図的にそれを利用したのではないかと、思ったりしてしまいます。
フレディ、パーティー
遊びながら進化しているのさ!

キリスト教では、神は絶対的な存在であり、人間とは全く別物とされます。
人間は死すべきものであり、生まれながらに原罪を負い、死後は裁きに合うことになっています。
ところがヘルメス思想では、神と人間は本質的に同一であり、同じ一者の異なる現れに過ぎません。
「全は一であり、一は全である」からです。
そして、下のものと上のもの、小宇宙と大宇宙が本質的に同一であり、互いに照応し合っていると考えられています。

ここで思い出していただきたいのは、これまでに書いてきた「真珠の歌」「放蕩息子の帰還」、ダンテの「神曲」、ゲーテの「ファウスト」です。これらは皆、天界から地上や冥界へ下った人間が、天上界を思い出して上昇を始め、最後に天へ帰還するという物語でした、
つまり全てヘルメス思想を継承したものだったのです!
ヨーロッパではキリスト教の裏で、ヘルメス思想が長きに渡り、底流を作っていることが明白です。
フレディがそれを認識していたかどうかはわかりませんが、マーキュリー=ヘルメスを名乗った以上、この流れに加わることを拒否はできません。無意識にせよ、ヘルメスの流れに乗っていたのでしょう。
フレディはヘルメス神の伝令役です。
彼が伝えたかったのは「愛」なのかもしれませんが、「認識(グノーシス)」もどうぞお忘れなく!
 
プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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