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リベラルな生き方を貫いたフレディ

フレディはリベラルな生き方を貫いた人ですが、リベラルについて考えてみます。
リベラル」とは自由な社会を目指す運動のことで、リベラリズムは「自由主義」、リバティは政治的な自由を意味します。
自由主義は18世紀の啓蒙思想から始まり、18世紀半ばにはイギリスで産業革命が起こります。
産業革命は、科学技術の革命であり、知識革命でもありました。

産業革命後の18世紀半ばから20世紀初頭までが「前期近代」で、科学技術による豊かさの追求が行われました。
ヨーロッパ列強は植民地を次々と広げ、富を蓄積していきました。
日本も帝国主義となり、朝鮮半島と台湾を植民地化します。
2度の世界大変を経て、米ソは大量の核兵器を保有したことで、もはや大国間の戦争は不可能になりました。
そこで国家の存在意義は、領土の拡張から経済成長へと移行し、国民の豊かさがもたらされるようになりました。
これが「後期近代」であり、「福祉国家の誕生」です。

第二次世界大戦後の豊かさを背景に、人々の価値観は大きく変わりました。
それが「私の人生は私が自由に選択する」です。
中世や近世はもちろん、日本では戦前まで「人生を選択する」などということは不可能でした。
長男は家業を継ぎ、次男は家を出て働き、女の子は親が決めた相手と結婚するに決まっていたのです。
ところが1960年代になると、自分で職業を選び、好きな相手と結婚し、自由に生きることができるようになったのです。
これは人類史上かつてなかった巨大な変化なのです!

社会が自由化されていくと、1960年代末のアメリカで、ベトナム反戦運動、公民権運動、そしてフラワームーブメントが起こりました。
フラワームーブメントとは、セックス・ドラッグ・ロックンロールのヒッピーカルチャーのことを指します。
若者は旧来の常識的な生き方を嫌い、自由で革新的な文化を作り出しました。
リベラリズムとは、もともと宗教や権威からの自由を求める思想だったので、60年代アメリカのカウンターカルチャーは、それを更に推し進めたものと考えられます。
女性の権利も躍進し、それまでは男性の「所有物」だった女性に、選挙権と財産権が認められ、ついにフェミニズム運動となって広がりました。
自由なフレディ

現代の社会は、リベラル化が進んでいます。
リベラルな社会は、人種や民族、国籍、性別、宗教、年齢、障害の有無などによる差別を認めません。
それらは本人の意思や努力では変えられないものだからです。
だからリベラルは、人種差別(アパルトヘイト)を許されない悪とし、ゲイ解放運動に賛同します。
すべての人が「自己実現」の権利を持つと考えるからです。
リベラルはLGBT同性婚を支持します。
それは「異性を愛するのも同性を愛するのも個人の自由で、誰と結婚しようとあなたの勝手」と考えるからです。

1960年代のアメリカでは、誰にでも平等に自己実現の権利があり、それと同時に自己責任があるという考え方が広まりました。
それが「自己啓発」として発展し、「自分探し」をする人々が増えました。
そしてついに「人に迷惑をかけなければ何をやってもいい」という人々が現われましたが、果たしてそうでしょうか?
自由平等な社会で、国籍や国境を越え、宗教や性別も越えて、好きなようにフリーセックスに興じた人たちがエイズの洗礼を受けたのは何故なのでしょうか? 

アメリカでは1981年に保守派のレーガンが大統領になると、「リベラルは敗北した」と言われました。
しかしリベラルは敗北せず、ニューエイジ思想に漬かったヒッピーだったジョブスが、シリコンバレーのヒーローとなりました。
今のシリコンバレーは1960年代のヒッピーカルチャーを引き継いでおり、ヒッピー的なライフスタイルを取り入れた若い富裕層が「ブルジョア・ボヘミアン」と呼ばれています。
彼らはカジュアルな服装で、フリーエージェントとして好きな仕事をし、自然を愛し、テクノロジーによる「より良い未来」を信じています。
(橘玲氏の資料による)

こうした時代の流れの中で、フレディの生き方と功績を見直してみましょう。
フレディの生き方は、徹底したリベラルです。
人種や民族、国籍、宗教、性別、年齢を超える生き方をし、ゲイ解放のアイコンとなりました。
古い宗教に捉われず、革新的な音楽で世界中の人々を魅了し、ロックスターとなりました。
ロックは反権力、反戦平和を求める音楽で、リベラルの象徴とも言える若者文化の最先端でした。
フレディも「自分の人生は自分で決める」と言っていますが、これこそがリベラルの真髄です。
リベラルな社会では、豊かさにより自由を得た人々が自己実現を目指します。
フレディは最大限に「自己実現」を果たした人となりました。
フレディは私たちに、自分が何を成すべきかという問いかけを投げてきます。
リベラルを追求したフレディは、リベラルに敗れたけれど、そのことによってきっと私たちに何かを教えようとしているのでしょう。
リベラルなフレディ

現代の社会は、「知識社会化」「リベラル化」「グローバル化」が進んでいます。
テクノロジーの発達によって、豊かな「知識社会」になると、優秀な頭脳を持つ人に有利な世の中になり、知識による格差が生まれるようになりましたが、
一人一人の自由な意思によって自己実現を目指すようになり、社会はますます「リベラル化」が加速します。
進化したテクノロジーにより、国境を越えた人・モノ・カネの移動が可能になり、世界が「グローバル化」しています。

クイーンは1970年代から、すでにグローバルな活動をしていましたが、インターネットの登場により、近年ではますますグローバルな販売網が発展しています。
もうすぐCDを買う人はいなくなるかもしれないので、最後のCD大売り出しをやっているかのようです。
(すでにミュージシャンがCDを製作して販売する方法は無くなりつつあります)

現在は、最先端のテクノロジーを開発する少数の知識層(シリコンバレーの起業家など)に、莫大な富が集中していますが、
これから2045年ぐらいにシンギュラリティに到達すると予測されています。
シンギュラリティとは、簡単に言えば人工知能が人間の知能を超える特異点のこと。
これは第4次産業革命ともいわれて注目を集めています。
これから単純な作業や労働は、機械にとって代わられていきますが、人工知能は人間を凌駕してしまうのでしょうか?

かつては力の強いものが勝利し、沢山の獲物を取れる人が尊敬される時代がありました。
それからは財力や知力がものを言う時代になり、現在は学校で頭に知識を詰め込み、高い学力を身につけたものが有利な就職先を獲得できて、安定した収入を得られる世の中になっています。
ところがこれからは知識を記憶することは機械の方が得意なので、人間が知識を蓄積する必要はなくなり、このままの学校教育では大学を出ても就職先が見つからないことになってしまいます。
それで現在、世界中の教育者たちは、子供達に何を、どのように教えたら良いのか困惑し、苦悩しているのです。

楽観的な見方もあります。
齊藤元章氏によると、単純な労働は機械に任せれば、自由になった時間で人間は創造活動に邁進することが可能になり、その結果、各個人の創作はネット上に集合地として蓄積され、現在の芸術を越えた、はるかに独創的なものや、新しい価値観が創り出される可能性があるとしています。

2045年問題の彼方、人類はどうなっているのか、私はもう生きていないだろうけれど、私も未来のことを考えています。
今の人間の知性が最高の価値を持たなくなった世界。
それは左脳だけの知性だけではなく、右脳も活性化した知性であり、感性と創造性が豊かに発揮されながら、人間は新しい知性へと発展していくのではないでしょうか。
新しい知性とは、かつて失われた知性を取り戻すことなのかもしれません。

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長谷部宏の写真展

フレディの命日なので、銀座のリコーイメージングスクエアで開かれている、長谷部宏さんの写真展へ足を運びました。
さほど広くはないスペースに、多くのミュージシャンの写真が飾られ、かなりの人出がありました。
やはりフレディの命日だからでしょうか?
おそらく第1期のクイーンファンと思われる、おばさま方が見受けられました。さすがフレディ!
クイーンの写真は4枚ほどで多くはないのですが、ツェッペリンやジェフ・ベック、エルトン・ジョン、ルー・リード、デヴィッド・ボウイなどの興味深い写真が沢山ありました。
会期は12月15日までです。
長谷部宏1

長谷部宏2

長谷部宏3

夜の銀座


ペルシャ料理の店 BolBol

フレディの命日の今日、なぜか高円寺のペルシャ料理の店に行ってきました。
高円寺北口を出て左へまっすく行くと、左の雑居ビルの中にあるBolBol ボルボルです。
店内にはペルシャの伝統音楽が流れています。
ボルボル店内

ゲイメという、羊肉とレンズ豆とジャガイモのトマトソース煮込みをいただきました。
今日はジャガイモではなくナスでしたが、それもまたOKです。
レモン汁を入れて飲むスープもおいしかったです。
私は中近東の料理が好きなので、懐かしい味でした。
ゲイメ

食後にザクロジュースとペルシャンティーを飲みました。
このザクロジュースは、ちょっと苦味があり、お茶はシナモンなど香辛料が入っていました。
ザクロジュース

奥で料理をしている方は、面差しがフレディに似ていました。
やっぱりフレディはインド人ではなく、ペルシャ人なんだと確信しました!
嘘だと思う人は、ボルボルに行ってみてくださいね!
フレディの両親は、インドに帰化したペルシャ人なのでしょう。国籍はイギリスみたいですが。
お店の壁にはアフラ=マズダー(ゾロアスター教の最高神)が描かれていました。
ボルボル店内2

ボルボルでは、民族音楽の演奏やベリーダンスも見ることができます。
ベリーダンスは中近東のダンスで、紀元前からの長い歴史を持っています。
ベリーダンスはボードヴィルに影響を与え、マタ・ハリもヴォードヴィルでベリーダンスを披露していました。
フレディはボードヴィルが好きでしたが、無意識にせよ、ペルシャのベリーダンスに郷愁を感じていたのかもしれません。
ベリーダンサー
ベリーダンサー(ボルボルとは関係ありません)



フレディ28回目の命日

今年もまたやって来ましたね、1124が。
フレディ28回目の命日です。
あれから28年も、私たちは生きて来たのですね。
フレディは2001年の911も、世界中のテロ事件も、イラク政権崩壊も、福島原発事故も、最近の気候変動も知らないのだから、もし知ったら何と言うでしょうね?
インターネットも知らなかったかもしれないし、スマホも見たことがないですね。
フレディはビデオデッキの操作方法も知らなかったし、車のドアをロックするやり方も知らなかったので、スマホは相当ハードルが高いでしょう。
YouTubeでクイーンの全ての曲を聴くことができるなんて、びっくり仰天でしょうね!

ロンドンの11/24の気温は12度〜9度です。
28年前の今日も、次第に寒くなってきた頃だったのでしょう。
ロンドンは緯度が高い割には、近海に暖流が流れているせいで暖かいですが。

クイーン白黒
あんなに元気で、人一倍輝いていたフレディが、一番先にいなくなるなんて、誰が予測し得たでしょう?
初期では、むしろブライアンの方が体が弱くて、よく体調を崩していたというのに。

でもこの写真は異質です。
何か将来を暗示するような気がします。
まるで経帷子のような白い衣服を着て、、骨壷のようなものを手にしています。
(経帷子きょうかたびらとは、日本人がお棺に入るときに着せる着物のこと)
経帷子のフレディ

この衣装は何だろうと思っていましたが、実はコレ、セカンドアルバムのジャケット衣装でした。
この時に、フレディだけ上の不思議な写真を撮ったのですね。なぜ?
セカンドアルバムのジャケット

これまでにフレディの出自を明らかにし、文化的・宗教的背景を探り、
ザンジバル革命で深い心の傷を負ったまま難民となったことがわかりました。
ロンドンでは移民としての差別を受け、性的にもマイノリティーだったための苦悩がありましたが、
そのハンディをバネにして、世界的な成功を勝ち取りました。
心理的には、子供の頃に親と離れて寂しい思いをしたために、愛情不足(愛着障害)があり、
生涯を通じて愛を求め続けました。
並外れた音楽的才能を持ち、優れた美的感覚がありますが、神経は過敏でセンシティブです。
孤独で弱い人間であったからこそ、強さと偉大さを求め、ついにはロックの伝説となりました。

フレディがエイズを宣告された時は41才ぐらいの人生半ばですから、その衝撃はいかばかりだったことでしょう!
人生の折り返し地点に来て、もう戻る道はないのだと知った時・・・
私はその時のフレディの気持ちが少しはわかるのです。
なぜなら私も、がんになったことがあり、入院手術の経験があるからです。
その時は私ももう助からないかもしれないと思い、一挙に周囲の世界が遠のき、色を失いました。
私が愛着する全てのモノや生き物に別れを告げなければならないこと、とりわけ愛する地球と別れることが悲しく、一人でこの世を去ることに寂しさを感じました。
がんは進行度と悪性度によって治癒率が違いますが、幸い私の場合は生存率の高いケースだったため、一命を取り留めて今日に至っています。
手術後に生き返ってからは、全てのことが有り難く、幸せと感謝に満ちた日々を送っています。
朝日が昇るのも有難く、息が吸えるのも有難く、足があって歩けるのも有難く、この世の当たり前だと思っていたことが奇跡のように有難いことだと気付いてからは、全てに幸せと感謝を感じるようになったのです。
フレディもきっと最後の4年間は意義深い時間を過ごしたことでしょう。
そして流星のように、手の届かないところへ行ってしまうなんて!

フレディは本当に様々な写真が流出していますが、私のフレディのイメージは、やはりこんな感じです。
フレディはパーティーピーポーでしたが、それは寂しくて、弱い人間だから。
世界一孤独で寂しがり屋のフレディは、世界一力強く愛と勝利を歌い、人々はそこに神の業を見ました。
フレディはヘルメス(マーキュリー)の使者であり、人々はフレディを見ると、人間を超えたものを感じるのです。
人間がそこから来たことを思い起こさせる、フレディはメディウム(霊媒)なのです。(芸能者は皆そうです)
フレディはもう今ではきっと浄化されて美しい光になっていることでしょう。
どうかフレディに暖かい安らぎを!
フレディのイメージ





エイズ=生物兵器説

エイズについて。

エイズの起源はどこにあるのであろうか?
エドワード・フーバーによると、エイズの起源についての調査を10年間にわたって行なった結果、1950年代にアフリカで行なわれた経口ポリオワクチンが原因であるという結論に至ったと述べています。

また、ロバート・ストレッカー博士は、アメリカで1970年代末と1980年代初期に行なわれた、B型肝炎ワクチンの試験接種で感染が始まったと言っています。

一般には、アフリカのミドリザルが、他の猿を食べた時に「サル免疫不全ウィルス」に感染し、そのサルを食べた人間にも感染したとされていますが、人間がサルを食べたのでしょうか?
ウィルス学者のノーバート・ラポザは「中央アフリカのザイールで働いていたハイチ人が、1977年までに国へ戻った。ハイチでゲイの国際会議が開かれた時、そこでセックスや麻薬によってウィルスが広がり、ニューヨークやカリフォリニアに持ち込まれた」としていますが、ゲイである皮膚科医のアラン・キャントウェル・Jrは、ハイチでゲイの国際会議が開かれたことはない、と断言しています。

1988年に、日本の分子生物学者が、ミドリザルとエイズウィルスの間には、遺伝子工学上の関連性はないという結論に達しました。
エイズの原因はミドリザルだと公式に発表されると、私たちはそれを鵜呑みにして信じてしまいますが、果たしてそうなのでしょうか?
だいたいミドリザルって何? 緑色なの?
写真を見てみたら、普通の茶色いサルでした。
エイズの起源はわかっていない、ということですね。

アメリカでは1979年にエイズの最初の事例があり、1984年にエイズウィルスが発見されました。
医師たちは未知の恐ろしい病気に立ち向かい、エイズ患者はゲイに多く、ゲイの半分はB型肝炎のウィルスに感染していることを突き止めました。
B型肝炎は性感染症であり、疫学上、一般大衆にとっても危険であったので、B型肝炎撲滅のためにワクチンが開発されました。
1978年11月からB型肝炎ワクチンの試験が始まり、まず1000人以上のゲイが接種を受けました。
すると、1979年1月から紫色の皮膚障害が現れ始め、それから30ヶ月の間に、免疫不全とカポジ肉腫が広がっていったのです。
(1978年11月以前にボランティアで接種を受けた人もいました)

血液サンプルの調査によると、1978年以前には、アメリカにエイズは存在しませんでした。
1978年の試験接種以後に、エイズウィルスが入ってきたのです。
「ドント・ストップ・ミー・ナウ」 1978年
「愛という名の欲望」  1979年
「獄へ道連れ」   1980年
危ない時期ですね。
フレディは1980年代の初めに、ニューヨークに住んでいました。
この時期に感染したのだろうと言われています。
ニューヨークのゲイ・コミュニティーにいれば、B型肝炎についても情報が入っていたことでしょう。
用心深いフレディのことですから、自らワクチン接種に出向いた可能性もあるのではないでしょうか?

1983年には、エイズ患者の93パーセントが、B型肝炎の血液検査で陽性でした。
医師たちは、B型肝炎ワクチンの中にエイズウィルスが混入しているのではないかと恐れました。
ワクチンの接種を受けた212人のうち、1981年には20パーセント以上が、1982年には30パーセントが、そして1984年までには40パーセントもの人たちがHIV陽性になっていました。

エイズがハイチからアメリカに入ったのではなく、ミドリザルが起源ではないとすれば、一体どこからウィルスは来たのでしょうか?
医師のアラン・キャントウェル・Jrは、B型肝炎ワクチンがエイズの原因だと考え、このワクチンを作ったのは国立保健研究所とメルク社であり、この両者は軍隊の生物兵器研究施設と結びつくとしています。
つまりエイズウィルスは、生物兵器であったとする驚くべき説を述べています。
彼は著書の中で、エイズ蔓延の背景には、動物実験や遺伝子工学、生物兵器研究所といった巨大なテクノロジーの利害が関わっていたという疑惑を明らかにしたのです。
エイズの始まりには、根強いゲイ差別と人種差別が潜んでいました。
(アラン・キャントウェル・Jr『エイズの陰謀』)
これまでにエイズで命を落とした人は3600万人のぼります。

ただ、このエイズウィルス生物兵器説で疑問に思うのは、その潜伏期間の短さです。
1979年11月に接種して、1980年はじめから症状が現れるのでは早すぎます。
実際には1979年11月の半年ぐらい前からボランティアで接種した人がいたとのことで、
エイズの潜伏期間は6ヶ月〜15年ぐらいとされるので、あり得ない話ではないのですが。

現在ではエイズの進行を抑える薬が開発されていますが、フレディの頃にはまだ特効薬はなく、AZTという薬剤のみが使われていました。AZTは病気を治癒させるものではなく、延命効果があるとされていましたが、副作用も強いものがありました。
エイズではないのに誤ってAZTを処方された人の報告によると、頭痛、高血圧、絶え間ない脚の痛み(抹消神経障害)に悩まされたということです。
これはフレディをも苦しめた副作用ですから、本当にあと5年フレディが生きていてくれれば、と思わずにはいられません!

1980年代〜1990年代にかけて、エイズで死亡した人たちには、歌手・俳優・映画監督・フィギュアスケート選手・バレエダンサー・ピアニスト・画家・作家・哲学者など、芸術家やアーティストが多くありました。
俳優のロック・ハドソンは、自らの病を初めてカミングアウトした人として有名です。
バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフは、フレディと恋人関係にあったとする説もあり、そうではないという説もあります。一緒に踊ったという記述もありましたが、裏は取れていません。フレディから見ると偉大な憧れのダンサーだったと思います。
アイザック・アシモフ(SF作家)やデレク・ジャーマン(映画監督)、ミシェル・フーコー(哲学者)、キース・ヘリング(画家)など、驚くべき人物たちが並びます。
本当に惜しい人たちが亡くなってしまいました。

性感染症で亡くなった人たちというと、エイズの前には梅毒が流行していました。
シューベルトはわずか31才で死亡。
シューマンは梅毒で神経が侵され、精神病院で亡くなりました。
ゴッホとロートレックは、梅毒による神経症状がひどかったと伝えられます。
ニーチェは脳梅毒が悪化した10年間に精神が亢進し、多くの著作を残しました。
画家のマネは16才の時にブラジルで感染した梅毒が進行し、壊疽になった左足を切断しましたが、予後が悪く、ほどなく亡くなりました。

人間の歴史とは一体何なのか考えさせられてしまいます。
亡くなった方達に感謝と祈りを捧げたいと思います。







同性愛は人類の歴史と共に

男性同性愛について。

同性愛は紀元前から盛んに行われており、紀元前1万年〜紀元前5000年頃、現在のヨーロッパに当たる地域では、同性愛が広く受け入れられていました。
シチリア島で発見された岩の壁画には、二人一組の男性が多く描かれています。

紀元前2400年頃にエジプト王室に仕えた二人の男性は、具体的な人物像が判明している最古の同性カップルと言われます。
二人の名前を合わせると、「生と死の結びつき」という意味になります。
この二人を描いた壁画では、妻が描かれる位置に、男性が描かれています。

古代ギリシャでは「少年愛」が盛んに行なわれ、アテナイでは暗黙に認められた市民の「義務」であり、スパルタでは男性市民にとって、法文化された「義務」に他なりませんでした。
古代ギリシャでは、知性があり戦士として優れた肉体を持ち、指導力と徳がある「男子市民」が、それらの卓越性を若い青年や少年に授けることが「少年愛」でした。
ソクラテスは多くの青年を口説き落とすことで有名でした。
プラトンも古代ギリシャの上流市民の常として、美少年アステールを愛しました。

古代ローマでは「少年愛」は制度化されていませんでしたが、
皇帝ネロは、16才ぐらいの絶世の美少年スポルスを見つけると、去勢して女装させ、自分の三番目の妃に据えました。
皇帝ハドリアヌスは、美青年アンティノウスを愛しましたが、アンティノウスは原因不明のまま自ら命を絶ってしまいました。

一転して、ユダヤ教ではトーラーに同性愛を罪悪と明記しており、それを受け継いだキリスト教でも同性愛は宗教的禁忌としました。
暗い中世を過ごした後、ルネッサンスになるとレオナルド・ダ・ヴィンチは美少年のジャコモを弟子にして愛し、聖ヨハネのモデルにもなりました。モナリザのモデルも、ジャコモだとする説があります。
明らかに同性愛だったカラヴァッジォの絵には、少年愛の嗜好がうかがえます。
イングランドでは、シェイクスピアが青年の美しさを賛美し、熱烈な恋情を作中の青年に寄せています。
快楽と苦痛
レオナルド・ダ・ヴィンチの「快楽と苦痛」
レオナルドと少年が一体となっている。

アラブにおいても少年愛が存在したと考えられ、詩人は酒席で美少年と同性愛を堪能したことをうたっています。
ペルシャでも少年愛が公然と存在したとされています。

日本は男色に寛容な国ですが、「続日本紀」には天武天皇の孫が、喪中に男色行為にふけっていたので廃太子にされた記述があります。
中世においては、女を排除した武士や寺院では、男色は一般的なものでした。
将軍や大名たちは、制度化された少年愛を実行していました。
足利義満と世阿弥の関係は有名です。
戦国武将は臣下と同性愛の関係を持つことが多く、武田信玄も小姓との関係があり、織田信長と森蘭丸・前田利家との関係も有名です。

江戸時代には男色は「衆道」と呼ばれ、男色専門の美少年を揃えた「陰間茶屋」が栄えました。
徳川家光も男色家として知られており、大勢の近衆・小姓を寵愛しました。
徳川綱吉も多数の美童を小姓として持っていました。

明治以降も江戸時代の流れを汲んで、衆道は続き、西郷隆盛も美少年が好きでした。
(日本では同性愛者を迫害したり逮捕するような歴史はなく、表立った差別もありませんでした。
そのため抑圧に反対するゲイ解放運動も活発ではありません。)

つまり、キリスト教(ユダヤ教、イスラム教を含む)以外では、ほとんど男色を禁じておらず、有史以来の古今東西、人間の常として男色は連綿として行われてきたのです。
それは自然な行為なので、咎め立てをしても仕方がないのです。
聖セバスチャン
モロー「聖セバスチャンの殉教」 ゲイのアイコンとなりました。

なぜ同性愛になるのか。
その原因はわかっておらず、脳の機能説や環境ホルモン説、妊娠中の母親のストレス説などがあります。
たとえば戦争中に妊娠した母親の子供は同性愛になる確率が高くなるという説がありますが、「なぜ同性愛になるのか」という設問自自体が、「なぜ異性愛になるのか」という問題と同じで、意味をなさないのかもしれません。

わかっていることは、人間の性は男性と女性だけではなく、女性的な男性もいれば、男性的な女性もいます。
男性と女性の間は、きれいに2分割できるものではなく、男らしい男→女らしい男→男らしい女→女らしい女の間には無限の段階があるということです。
最近の調査によると、男性同性愛の人は男性ホルモンと共に女性ホルモンも多く、それを母親から受け継いでるということがわかってきました。
女性ホルモンの多い家系から、男性同性愛者は生まれるらしい。
ということは、男性同性愛者は女性らしさも兼ね備えているので、感受性が鋭く、美や芸術を愛好し、アーティスティックな活動をする人も多くなります。

歴史上の同性愛者からは、多くの芸術家やアーティストを輩出しています。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、シェイクスピア、チャイコフスキー、オスカー・ワイルド、サマセット・モーム、川端康成、三島由紀夫、ジェームズ・ディーン、ローレンス・オリヴィエ、マーロン・ブランドなど、枚挙にいとまがありません。

西洋の精神医学では、同性愛が精神疾患のリストから消えたのは1990年のことでしたが、それがあまりに最近のことなので呆れてしまいます。
同性愛は今後とも、途切れることなく継続することは間違いありません。
同性愛を不気味に思うような人がいるとすれば、ぜひ同性愛の歴史や、芸術家のリストに目を通していただきたいと思います。

ただ、現代の男性同性愛者の行動には驚くべきものがあります。
1980年以前にアメリカで行なわれた調査によると、
過去1年間に「性交渉を目的に出歩いたことがあるかどうか?」という質問には、ほとんど全ての男性同性愛者がYesであり、
過去一年間に関係を持った相手の数は、50人以上が25パーセント、20人〜50人が25パーセント、7〜19人は30%となり、
なんとこれまでに経験した相手の数は、100人以上が75パーセント、1000人以上が27パーセントだったのです!

フレディの恋人が10人ぐらいいたとしても、ピカソの恋人も9人いましたし、芸術家としては普通かもしれません。
それにしてもフレディのラブアフェアが何十人、何百人となると、あまりに過剰ではないかと叩かれもしました。
Too much love will kill you とブライアンも書きましたが、それをまたフレディ本人が歌っているというのが何ともはや・・・
ところがアメリカの同性愛者の調査によると、100人以上は75パーセントなので、フレディも普通だったということになります。
しかも4人に1人以上が1000人超えというのですから、べつにフレディが特別だったわけではないことがわかります。
(72才のミック・ジャガーは、最近45才年下のバレリーナとの間に子供をもうけましたが、彼はこれまでに4000人以上の女性と付き合ったと言っています!)
幸せなフレディ
幸せなフレディ

男性同性愛については、知り合いもいますし、何ら異を唱えるつもりはありませんが、それにしても数をこなせばいいというものではないので、どうか古代ギリシャのアレーテー(徳)を重んじる精神的な愛の美学をもふまえて、御身を大切にしていただければと思います。

フレディの過度な依存癖

依存症について。
依存症には、アルコール・ドラッグ・ギャンブル・セックス・買い物などがありますが、依存症になると、脳が刺激と報酬を求めてエスカレートしていきます。
アルコールやドラッグを摂取すると、ドーパミンが分泌されます。
快楽物質が放出されると、中枢神経が興奮し、それが快感と喜びにつながります。
繰り返されると、脳が報酬を求める回路ができあがります。

依存症は「こころの病気」とされ、ストレスや虚しさや寂しさを、酔いや高揚感によって「自己治療」していると考えられます。
沢尻エリカのニュースを見ても、こころの病気なんだろうなと思います。

子供の頃に、きびしすぎるしつけや過保護、過干渉であると「人から見捨てられたらどうしよう」という不安を抱くようになり、自己肯定感が低くなります。
挫折した時に不安や空虚感が内面に広がり、自己評価が下がります。
すると反対に、自己愛を肥大化させて、自分をより立派に見せようとして、なりふりかまわない努力をしたり、いつも他人の賞賛を求めるようになります。他人からの批判には激怒します。
自己評価が低いのにプライドが高いという、矛盾した不安定な心を持ち、安定感や充足感がなくなります。
それで虚しさを埋めてくれる何かに依存するようになります。

フレディの場合は、セックス依存と買い物依存がありました。
セックス依存は、不安やストレス、虚しさから逃れるため、快感によって「自己治療」しようとする行動です。
がまんできない感情を麻痺させるために、性的な行動をとります。
解決できない感情的な痛みがあり、そこから気をそらしたいから依存症に発展します。
ストレスや不安、孤独に耐え切れず、退屈を紛らわそうとします。
背景には必ずトラウマがあり、子供の頃にショックなことがあったのに対処しなかったり、自尊心が傷つくことがあったはずです。
そして、まさにDon`t stop me now! やめたいのにやめられない状態になったのでしょう。
やめたいのにやめられない

フレディの主な恋人たち。
◯メアリー・オースティン  1970〜1976
◯デビット・ミンス     1975〜1978 メアリーと別れるきっかけになった人。
 フレディは「You take my breath away」と「Good Old Fashioned Lover Boy」を彼のために作った。
 「You take・・・」がミンスのことだったとは驚き。フレディは彼を地球の果てまで追いかけると言っている。
◯ジョー・ファネリ      1978〜1979   
    別れた後、フレディがファネリをアメリカから呼び寄せる。
    フレディが亡くなるまで、ガーデンロッジで一緒に暮らした。
◯トニー・バスティン     1979〜1980
◯ピーター・モーガン       〜1981    数週間のみ
◯ヴィンス
◯ビル・リード         1982
    リードはフレディに暴力をふるい、フレディの腕が血まみれになったので、
   ピーター・フリーストーンが運転して病院へ連れて行った。
◯ウィニー・キルヒベルガー 1983〜1985
  フレディはウィニーを深く愛したが、ウィニーのボーイフレンドのことで悩んでいた。
  ウィニーは英語を少ししか話さなかった。
◯ジム・ハットン        1985〜1991

その他にも女優のバーバラがいるし、男娼を買ったこともあり、軽い付き合いの男性が何十人か、何百人かいました。
バーバラによると、「名声のせいで彼は世界一孤独な人だった。孤独のせいで過度な遊びに走ったのよ。フレディは何でも極端だった。恐ろしい代償を支払うことになった。こんなつもりではなかったはず。でも望みはかなった。不死を望んで、不死を手に入れたのよ。」
フレディの恋人たちは、多くがエイズに感染し、ジョー・ファネリ、トニー・バスティン、ビル・リード、ウィニー・キルヒベルガーは共にエイズで若くして亡くなりました。ポール・プレンターも同様です。
ミックロックと
写真家のミック・ロックは恋人ではないと思うが?

買い物依存は、男性の場合、車や骨董品、腕時計や愛人ヘのプレゼントで散財しやすい。
原因はストレスと考えられ、真面目で責任感が強く、周りに辛い顔を見せられないので、プレゼントを振舞おうとします。
劣等感が強く、虚栄心が強い人がなりやすい。(フレディのことではなく、一般論です)
自分に自信がなく、孤独を抱えている人が、寂しさを埋めるために買い物をする。
自分の価値を買い物によって高めようとします。

買い物依存とはいえ、フレディの場合はお金持ちなので、買いすぎて困るということもないし、社会的な問題は起きていないので、病気というほどではないと思います。単なる気晴らしだったのでしょう。

フレディの依存癖について書きましたが、これは決して彼を非難するためではなく、フレディがそのような状況にありながら音楽活動を続けたことを賞賛したいのです。むしろ孤独でぎりぎりの状況に自分を追い込んで、それを創作の原動力にしていたのかもしれません。
氷の刃の上を歩いていた壮絶な精神のフレディ!
フレディに永遠の安息を与え給え!
                             

不安型愛着障害で解き明かすフレディの恋愛

愛着障害」という観点から、フレディの行動と恋愛について、解き明かしてみます。
愛着障害とは、生まれて2年目までに形成される普通の母間の愛情が、うまく形成されていないことから起こる心理的な問題のことを指します。
愛着は母親との関係だけでなく、全ての対人関係の土台となります。
一歳半の時の愛着パターンは、大人になってからも7割の人で、同じ傾向が認められます。

愛着が重要なのは、愛着のパターンが生涯にわたって、その人の情緒的、認知的、行動的、社会的発達に影響を及ぼすからであり、愛着の土台が不安定であると、発達にも影響が出ることになります。
安定した愛着を土台として、子供は様々なことを学び、吸収し、成長していきます。

愛着には、4つのタイプがあります。
安定型愛着スタイル
対人関係において絆が安定しています。
安定型の人は、安定した愛情の元で育っているので、自分が愛着し信頼している人が、自分をいつまでも愛し続けてくれることを当然のように確信しています。
人の反応を肯定的に捉え、自分を否定しているとか、軽蔑しているなどと誤解することはありません。

回避型愛着スタイル
距離を置いた対人関係を好みます。
親しい関係や情緒的な共有を重荷に感じやすく、親密さを回避しようとします。
縛られることを嫌い、人に依存せず、自分も人に依存せず自立します。
他人に迷惑をかけず自己責任を重視します。

不安型愛着スタイル
人に気を使ってばかりいて、相手の反応が悪いと、嫌われているのではないかと不安になる。
人に受け入れられているかどうか、人に嫌われていないかどうかに関心がある。
愛されたい、認められたいという気持ちが非常に強く、対人関係では愛情や思いやりを重視する。
拒絶されたり、見捨てられることに対して、極めて敏感で、少しでも冷たくされると、激しく不安になります。

恐れ・回避型愛着スタイル
愛着回避と愛着不安が両方とも強い場合、人と仲良くしたいと思うが、親密になることで強いストレスを感じたり傷ついてしまう。
人を信じたいけれど信じられないというジレンマ。

愛着障害は、大人のおよそ3割が抱えていると言われています。
7割の人は安定型ということになりますが、果たしてそうでしょうか?
愛着障害は、以前は愛情飢餓と呼ばれていたもので、子供の頃の愛情不足による心理状態のことです。
心の中に寂しさを抱えた人というのは、案外3割よりも多いように思うのですが、いかがでしょうか?

フレディの場合は、1歳半までの母親との関係がどうであったかはわかりませんが、8才で両親と離れて全寮制の学校に入ったため、心の中に大きな寂しさがありました。
学校に入っている間に、家族との心理的な距離が離れてしまったようなことを言っていました。
子供の頃から自立心が養われたというのは、本人の弁です。
フレディには、愛情に飢えている人の特徴が見られます。
強いメイク
強いメイクのフレディ

愛情に飢えている人は、人からの愛情を試します。
本当に愛されているのかどうか、わざと嫌われるようなことをして確認します。
他人に親の役割を重ね合わせ、無条件で愛情を注いでくれることを求めています。
フレディはずいぶんジム・ハットンの愛情を試していました。何度も出て行けと言ったり、別れると言ったり、ジムの友達がフレディの物を盗んだと疑ったり、ジムがフレディのプライベートをマスコミに流していると疑ったりしていました。

愛情に飢えている人は、何かあるとすぐに感情を暴走させやすい。
人から愛情を受け取る安心感をあまり経験していないため、常に孤独や不安を感じている。
心が満たされない状態であることが多く、冷静な精神状態を保つことが難しい。
ジム・ハットンがフレディと出会った頃、フレディは成功して大金持ちだったけれど、何か不安そうだったとジムは書いています。
フレディは何か気に入らないことがあると、すぐに怒るのですが、それは自分が大切にされていないと感じるからではないか。
ピーター・ヒンスも、フレディにはオーラがあるが、一緒にいてリラックスすることはなかったと書いています。

愛情に飢えている人は、誰かにわかってもらいたいと常に思っています。
自分が一番にならないと気が済まず、人から大切にされたいと強く思っています。
自分からは相手にまっすぐ心を開く方法を知らず、なかなか人と心を通わせることができません。
フレディは、自分の周りに壁を作り、人が入って来られないようにしていると言っていました。
誰にも自分のことはわからないと言っていましたが、それは本当は「わかってほしい」という意味だったのではないでしょうか?

愛情に飢えている人は、人からの評価によって、自信が極端にアップ・ダウンします。
内心では自分のことを好きだと思えないことが多く、自信が持てません。
人と比べてすぐに劣等感を感じ、何かと悩んでしまいます。
東郷かおる子さんが「フレディは不憫な性格で、自分のことが好きだけど、好きじゃなかった」と言っていました。
フレディはプライドが高かったけれど、マスコミのバッシングには傷つき、自分の歯並びなどに劣等感を持っていました。
自分が好きじゃない

子供時代に甘えや我儘が全く許されなかった人は、人よりも早く自立し、強い自立心がありますが、他人の甘えや弱さを許さない厳しさや冷たさを持つようになります。
子供時代に十分な愛情を受けた人は、甘えていた子供から、甘えさせることのできる大人(他者を見守りながら育てようとする大人の態度)へと向かって伸びやすくなります。
フレディの場合は、全く甘えられなかったかどうかはわかりませんが、両親から過保護に可愛がられたり、またある時は親の意に沿わないと、強く拒否されるといった極端な育ち方をした可能性があり、不安定な愛情の持ち方になったのではないかと考えられます。

愛情に飢えている人は、両親から思うような愛情が得られなかったので、そのかわりに恋人に甘えようとしますが、甘えさせてもらえないと、すぐに浮気に走ります。「さみしかったから」という理由です。
他に自分の理想のの人がいるはず、と探します。
同時進行で付き合ったり、セフレを作ったりして、自分の満たされない穴を埋めています。
孤独に弱く、一人でいられません。
他人の都合を考えず、夜中に電話したり、頻繁に連絡をとろうとします。
すぐに「好き」と言いますが、それはこんなに好きなのだから、同じように自分のことを好きでいてね、という意味です。
見捨てられたくないための愛情表現です。

この「愛情に飢えている人」というのは、愛着障害の不安型と良く似ています。
不安型は愛されたい気持ちが強く、見捨てられ不安があるので、愛情の対象と密着して安心を手に入れようとします。
すぐに恋愛モードになりやすく、仕事上の関係が恋愛に発展しやすい。
そう、フレディの恋愛関係で不思議だったのは、仕事関係の人物を恋人にするケースが多いことなのですが、これがその理由だったのです。フレディはレコード会社の上役や、マネージャーと恋愛関係になりましたが、それって仕事がやりにくいんじゃないの?というのが私の素朴な疑問だったのです。
フレディにとっては、仕事がやりにくいどころか、仕事関係をより強固なものにしたいという願望があったのかもしれません。

不安型の人は、相手から愛されたいという願望だけではなく、相手を理想化したり、相手と合体したいという無意識の願望があります。
なるほど、フレディは自分の恋愛体験から、多くの優れたラブソングを書きましたが、そのすばらしい歌のきっかけとなった元カレの写真を見ると、どうしてこの人のことがあんなに美しい歌になるの?という疑問が湧いたりするのも、相手を理想化していたからなのかもしれません。

不安型の人は、べったりとした依存関係を好みます。
親密になればなるほど、相手を自分の一部のように思い込んでしまいます。
見捨てられ不安が強いので、相手の愛情を確かめる行為も強くなります。
猜疑心や嫉妬心が強く、相手の行動を縛ったり、監視したりすることもあります。
フレディは自分では夜遊びをしているのに、ジム・ハットンが友達と飲みに行った時は大変怒って、別れ話にもなりました。
またガーデンロッジの全ての住人の居場所を知らないと気が済みませんでした。

不安型の人にとっては、自分が愛されているかどうかが非常に大きなウエイトを占めています。
パートナーから愛されていると感じると、自分は価値のある存在だと思えますが、パートナーから素っ気なくされたり、否定的なことを言われたりすると、急に自信がなくなり、落ち込んでしまいます。
自分を大切にしてくれる相手に対しては、自分も同じだけの愛情を返そうとします。
パートナーの愛情と献身を確かめるために、セックスに積極的になります。
フレディは2年ぐらいで、次々に恋人を変えていきましたが、その理由がわかるような気がします。
恋人を失う度に落ち込んで泣いていたというのも頷けます。
メアリーがいかにフレディを大切にしていたかもわかりますし、フレディはメアリーの愛情に最大限に応えたのでしょう。
愛の歌

フレディは子供の頃に親と離れて寂しい思いをしたために、愛情不足となり、不安定な愛着のタイプになったと思われます。
そのために生涯、愛を求め続け、愛の歌を作り、歌いました。
不安定型だったために恋人とのトラブルが頻発し、恋愛遍歴を繰り返しましたが、それが原動力となって創作活動に打ち込みました。
ジム・ハットンの愛情も試し続けましたが、その試練に耐えたジムにより、最後は暖かく見守られつつ世を去りました。
ジムがフレディに「なぜ自分を選んだのか}」ときくと、「きみは僕を勝ち取ったんだよ!」と言ったそうです。
フレディは最後にベッドから起き上がれなくなった時にも、ジムに「僕を愛してる?」ときいていたそうです。
愛を求め続けたフレディは、最後まで愛されて、そして今でも多くの人に愛され続けています!

私は不安型ではないので、ラブソングは苦手なのですが、フレディのためにはがんばって聴きます。
フレディに愛を!






ハイ・センセーション・シーキング

精神疾患や発達障害ではなく、生まれ持っての特性として、HSPというタイプがあります。
HSPは、ハイリー・センシティブ・パーソンの略で、「人いちばい繊細な人」という意味です
これは90年代のはじめ、繊細な人についての研究をはじめたエレイン・アーロン(Elaine Aron)博士によって付けられた「人の気質」を表す名称です。
アーロン博士によると、人口の約20%の人はHSPだといいます。また、人に限らず他の100種類以上の動物に同じ気質が見られることから、「繊細さ」は生き物すべての生存本能「生き残るための戦略のひとつ」であると考えられています。
でも、こうした気質を持つ人は職場や家庭など生活の中で気疲れしやすく、生きづらいと感じることがあります。

HSPの特徴は4つあり、4つの全てに当てはまる人がHSPになります。

【Depth of processing】考え方が複雑で、深く考えてから行動する
◯一を聞いて、十のことを想像し、考えられる
◯調べ物をはじめると深く掘り下げ、その知識の広さを周りに驚かれる
◯お世辞や嘲笑をすぐに見抜いてしまう
◯物事を始めるまでにあれこれ考え、時間がかかる
◯その場限りの快楽よりも、生き方や哲学的なものごとに興味があり、浅い人間や話しが嫌い

【Overstimulation】刺激に敏感で疲れやすい
◯人混みや大きな音が苦手
◯友達との時間は楽しいものの、気疲れしやすく帰宅すると、どっと疲れている
◯映画や音楽、本などの芸術作品に感動して泣く
◯人の些細な言葉に傷つき、いつまでも忘れられない
◯些細なことに過剰なほど驚いてしまう

【Empathy and emotional responsiveness】人の気持ちに振り回されやすく、共感しやすい
◯人が怒られていると自分のことのように感じ、傷ついたり、お腹が痛くなったりする
◯悲しい映画や本などの登場人物に感情移入し、号泣する
◯人のちょっとした仕草、目線、声音などに敏感で、機嫌や思っていることがわかる
◯言葉を話せない幼児や動物の気持ちも察することができる

【Sensitivity to subtleties】あらゆる感覚がするどい
◯冷蔵庫の機械音や時計の音が気になってしまう
◯強い光や日光のまぶしさなどが苦手
◯近くにいる人の口臭やタバコの臭いで気分が悪くなる
◯カフェインや添加物に敏感に反応してしまう
◯肌着のタグなどチクチクする素材が我慢できないほど気になる
◯第六感がはたらき、よく当たる

さて、敏感で感受性の強いHSPの中にも、外交的なタイプと、内向的なタイプがあります。
外交的なタイプは、HSS(High Sensation Seeking ハイ・センセーション・シーキング)といって、刺激を追い求めるのが好きな人になります。
 HSSの特徴です。
・好奇心旺盛で新しもの好き
・冒険好き、刺激を求める
・退屈さを嫌う
 HSP全体の中では、内向的なHSPタイプが7割、外交的なHSSタイプが3割くらいだといわれています。
 一見、HSPとHSSは対照的なように見えますが、その両面を併せ持つ人もいます。大人では対外的にはHSSの面を出すけれども、ひとりになると本来のHSPに戻ります。

HSPとHSSを併せ持つ人は、全体の6パーセントと言われます。
両方を持っていると、人の心を理解しやすく、人を引っ張っていく力があるので、リーダーシップがある人物になります。
しかしHSSで新しい刺激や冒険を求めると、HSPの繊細さで疲れてしまうので、めんどうくさい性格であるとも言えます。
また、HSSは新しい刺激を得ることで創造的になるので、天才や傑出した人物の特徴の一つとされています。

ここでフレディのことを思い出してみましょう。
フレディはロックやポップスなど新しい音楽が好きで、新しい映画もよく見ていました。
仕事で海外を飛び回り、珍しい土地を旅行することも好きでしたが、旅行が好きなのはHSSの特性です。
賑やかなことが好きで、冒険が好きなので、次々と新しい恋人を求めていきました。
そして何よりも「退屈を嫌う」人でしたね。
とても良くHSSの特徴に合致しています。
明るいフレディ
明るく積極的なフレディ

また一方、フレディは外見的には明るく華やかな人物に見られていましたが、実はそれは外面だけで、本人は「内面は全く正反対なんだ」と言っていました。
もともとシャイで内気な性格だったことが知られています。
大人になってからも、知らない人に自分から話しかけることはありませんでしたし、一人で外出することもできず、必ず誰かと一緒に行動していました。
アートスクールで美術を学び、美しい絵画や音楽、バレエやオペラを愛するなど、繊細な感受性を持っていました。
住居のガーデンロッジは、美しいインテリアや絵画、骨董品で飾っていました。
映画を見ては涙を流したり、対人関係でもトラブルがあると泣いたり怒ったりしていました。
 このような性格は、HSPハイリー・センシティブ・パーソン「人いちばい繊細な人」であると考えられます。
気難しいフレディ
ちょっと気難しいフレディ

つまりフレディの生まれつきの気質は、HSPハイリー・センシティブ・パーソンであり、その中の外交的なHSSハイ・センセーション・シーキングなのではないかと思われます。
非常に繊細で傷つきやすいのに、とても行動的で新しい刺激を求め、退屈を嫌うという、矛盾した性格なのです。
そのために人生で生きづらさを感じ、気疲れしやすく、人とは違うので孤独も感じやすかったことでしょう。
HSPとHSSを併せ持つ人は、外ではHSSとして積極的に振舞いますが、家に戻ると静かなHSPになります。

このブログを書き始めた頃は、フレディの性格はまだよくわかっていませんでしたが、今はだいぶ謎が解けてきました。
フレディの性格は
◯発達障害の傾向があり、中でも音楽の特別な才能があるサヴァン症候群に似ている。
◯気質としては、HSPハイリー・センシティブ・パーソンで「人いちばい繊細な人」でありながら、HSSハイ・センセーション・シーキングであるらしい。
◯心理面では愛着障害がある。(これはまた後述します)
◯同性愛者である。
このような組み合わせで形成されていることがわかってきました。
だいぶフレディという人が良くわかったきましたよ!
フレディは「誰も自分を理解することはできないし、自分の中に入ることはできない」と言っていましたが、だいぶ理解できてきましたよ、ふふふ。

人を拒絶するフレディ
フレディが舌を出している写真が時々ありますが、これは人を拒絶するポーズ


それにしても、フレディの性格を解き明かしているうちに、自分にも似た部分があることに気づいて愕然としました。
フレディという稀有の天才に迫っているつもりでいて、結局は自分を突き詰めていたなんて!
(私は同性愛ではないし、天才でもありません、念のため)
世の中のフレディファンの皆さんは、きっとどこか自分と似たところがあるのでしょうね、フレディの中に。


天才と発達障害/フレディのサヴァン症候群?

天才たちの能力が、何らかの発達障害や精神疾患と結びついていることは珍しくないと言われる。(精神医学の岩波明による)
今までの天才的な芸術家や科学者に、発達障害が伴っていることは良くあるケースだ。
むしろ発達障害の特性が、創造性を生み出したように思えることもあるという。

私見では、ほとんどの音楽家は発達障害であると思う。
それでなければ、あれほどの音楽を創造し、演奏することはできないのだ。
だから発達障害の「障害」という言葉が、妥当ではないのではないだろうか。

モーツァルトがADHDらしいということは、前項で触れた通りだし、ベートーヴェンはアスペルガー症候群だったとされています。
ベートーヴェンは人付き合いが苦手で、異常な潔癖症、また物事にこだわりが強く、コーヒー豆は必ず60粒数えて入れていました。
アスペルがー症候群だと言われている人は、他にアインシュタイン、アンデルセン、イチロー、井深大、エジソン、織田信長、ガウディ、ガリレオ、カント、ガンディー、キルケゴール、ビル・ゲイツ、ジョプス、ダーウィン、ゴッホ、ディズニー、ニュートン、野口英世、マイケル・ジャクソン、ミケランジェロ、三島由紀夫、宮沢賢治、ルイス・キャロル、レオナルド・ダ・ヴィンチなど、豪華なメンバーが並んでいます。
ベートーヴェン

アスペルガー症候群では、ある特定の分野に異常な集中力を持ち、新しい分野を切り開くこともあり、創造性を発揮する天才がいます。
最近では、スウェーデンのグレタという16才の少女が、地球温暖化に対して勇気ある告発を行ないましたが、彼女もまたアスペルガーであり、母親はプロのオペラ歌手です。

ADHDの有名人としては、長嶋茂雄、黒柳徹子などが知られており、ビル・ゲイツやジョブス、レオナルド・ダ・ヴィンチはADHDとされることもあります。
ADHDは多動で、気が散りやすいが好奇心が強く、行動的で好きなことには熱中します。
ADHDの中には、独創的なヒラメキがあり、実際に実現する能力のある天才が現れることがあり、「天才病」とも言われます。

知的障害や発達障害があるもののうち、ある特定の分野に限って、優れた能力を発揮するものを「サヴァン症候群」と言います。
「サヴァン症候群」では、並外れた暗算ができたり、書籍や電話帳などを暗唱することができたり、また「音楽を一度聞いただけで再現できる」という能力もあります。
これこそ、フレディが持っている能力です。
フレディは発達障害の特性を持っており、「サヴァン症候群」だったのかもしれません。エルトン・ジョンも。

このように明らかに発達障害は天才と結びついているので、「障害」という名称は相応しくないように思います。

何でもすぐ弾けるフレディ
フレディ ピアノ 歌



「ボヘミアン・ラプソディ」爆音上映


ボラプ

「ボヘミアン・ラプソディ」の爆音上映を見ました。
最初は音が大きくて、耐えられるのか私の心臓? と思いましたが、すぐに慣れてしまい、ライブ感覚で楽しめました。
演奏シーンになると音の振動まで伝わるので、心地よい感触が得られます。
ボラプは映画館で3回、飛行機の中で1回見たので、5回目でした。
思えばちょうど1年前に、初めてボラプを見たのでしたね。
その時は本当に俳優たちがクイーンに似ているなあと感心し、ライブエイドのシーンに感動しました。
それから1年、フレディのことを調べてきたので、ずいぶん周辺事情もわかるようになり、ジョン・リードやジム・ピーチ、ポール・プレンターなどもはっきりと識別できるようになりました。
フレディがピアノから離れる時、にマイクを渡すピーター・ヒンスの姿も確認しました。
はじめは主な登場人物の姿ばかり見ていましたが、今回は何しろ5回目なので、画面の背景なども隅々まで見られて、余裕で鑑賞することができました。

で、結論なのですが、(あくまで5回目の結論ですが)
やはり最後のフレディ自身の映像が、ずば抜けて圧巻です!
あのDon`t stop me now がカラー映像だとすると、他の場面は全て白黒なんじゃないかと思うぐらい違っていました。
動物行動学の竹内久美子氏によると、「あの何かにとりつかれたかのような、狂気とパッションのほとばしりをいったい誰が表現できるだろうか?」とのことで、フレディのオーラは、どんな俳優でも再現不可能だと思い知らされたそうです。まさに同感です。

フレディの映像は、全身に音楽とリズムがみなぎり、ほとばしり出ている姿が強烈です。
フレディがいかに音楽の神に愛されていたかがわかり、涙が滲みました。
フレディ=音楽なのです!!
フレディ レザー


フレディマーキュリー天才の伝説

天才とは何だろうか?
天才とは、人の努力では至らないほどのレベルの才能を備えた人のこと。
極めて独自性のある業績を残した人や、それが歴史や社会に影響を及ぼすに至った人物を指す。

たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンスを代表する芸術家であり、「万能の天才」と言われました。
人類史上最高の画家とも言われますし、人類史上最も多才であるとされます。
音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など様々な分野に秀で、高い業績を残しました。
見た目にも美形だったそうです。天才と美形は関係ありませんが、いちおう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ

つまり歴史上、ある時代において、画期的な業績を残し、人類史の進化に貢献した人物が天才といえるでしょう。

また、天才と狂気は紙一重と言われ、天才には変わった人や病的な人が多い。
2015年に、芸術的創造性と精神疾患が共通する遺伝子で発現するとする研究結果が、イギリスの科学誌に発表されました。
(私はこの説の信憑性については不分明であり、支持するものではありません)

たとえばモーツァルトは音楽の一時代を築いた天才だが、型破りな人物で、ひどく熱中するか、あるいは怠惰であるかのどちらかで、その中間はなかったという。
彼の弟子の話によると、モーツァルトはレッスンの途中で急に飛び上がり、椅子やテーブルをピョンピョン飛び越えて、猫の鳴き真似をしてから、とんぼ返りをすることもあったという。(あまりの奇天烈さに笑!)
モーツァルトにはかなりの収入があったが、ギャンブル好きだったため、頻繁に借金をしていた。
衝動的で落ち着きがなく、ギャンブルが好きだったモーツァルトは、ADHDの特性を持っていたと考えられている。
モーツァルト

それではフレディは?
フレディは独自性があるようでいて、実は調べてみると、かなり時代に合わせていたことがわかります。
若い頃ロン毛だったのは、当時のロックミュージシャンが皆長髪だったからですし、途中からヒゲスタイルになったのは、当時のゲイの人たちの間でヒゲスタイルが流行していたからですよね。
クイーンの音楽は、ロックの歴史の中では、「ハードロック」「グラムロック」「ヘビメタ」「パンク」のようなジャンルには当てはまらず、何かのジャンルを代表するわけではなく、時代を切り開いたということもありませんでした。
クイーンの後に、クイーン・ロックの道が続くことはありませんでした。
1975年の初来日の頃はロックの「あだ花」(咲いても実を結ばない花。狂い咲き)とされていましたし、今でもその感は否めないのでは?

2018年の映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開以来、フレディの神格化が進行しているので、フレディのおかげで男性同性愛者が理解されるきっかけになったとか、エイズに警鐘を鳴らしたと思っている人もいるかもしれません。
しかし男性同性愛は紀元前の古代ギリシャにもあったし、もっと言えば人類の起源以来ありましたし、イギリスで最も有名な男性同性愛者はオスカー・ワイルド(1854〜1900年)とされていて、人類史に名が残る男性同性愛者は非常に多数にのぼります。
レオナルド・ダ・ヴィンチも同性愛者です。
エイズについては、1980年代から私たちも知っていましたし、1980年代にエイズによって命を落としたアーティストは累々といて、あまりにも悲惨な時代の記憶となっています。
男性同性愛とエイズについては、また別項に書きます。

フレディの神格化については、プロモーションが実に巧妙なのです。
「ボヘミアン・ラプソディ」で第3次クイーンブームを巻き起こして以来、たゆむことなく次々とイベントや商品を繰り出してきます。
その企画力とパワーには脱帽しますよ。まったくどこまでフレディを利用しようとしているんだか!
でもそのおかげで若い世代にもフレディの永遠の翼が広がっていくのだから、ありがたいことなのですけれど。
天才フレディ
私は天才というより、伝説なのだ!

フレディが時代を変革するほどの天才だったのかどうかは、もっと後の時代にならなければわからないかもしれません。
でも精神医学者のクレッチマーによると、天才とは「積極的な価値感情を広い範囲の人々に永続的に、しかも稀に見るほど強く呼び起こすことの出来る人物」なので、やはりフレディは天才なのだろうと思います。
私たちにとってはフレディが真正の天才なのか、そうではないのかなんて、どうでもいいことで、今日もフレディの声が聴ければそれでいいんですよね!

この短い歌がとってもいいので聴いてみてください!
Have a nice day, bye bye〜と明るく歌っています。朝出かける前に聴くといいですよ!
https://twitter.com/ready_freddie04/status/1112124863513190400



フレディだから仕方がないと言われる破天荒

フレディは破天荒な生き方だったのだろうか?
破天荒とは、今までに誰もやったことのないような、前代未聞という意味です。
フレディは変わっている?
フレディのやることは、フレディだから仕方がないとは良く言われること。

芸術家には破天荒な人が多い。
たとえばエコール・ド・パリの画家たちは破滅的な人が多く、自殺したパスキン、アルコール中毒のユトリロの他、モディリアーニは極貧の中、アルコールと麻薬に耽り、35才で亡くなってしまいました。更にモディリアーニの死後の2日後に、第2子を身ごもっていたジャンヌも自殺してしまうという悲劇が続きます。
モディリアーニの妻ジャンヌ
モディリアーニの妻ジャンヌ

フレディが尊敬していたパガニーニ(ヴァイオリン、作曲)は、「悪魔に魂を売った」と言われる天才芸術家です。イケメンで才能にあふれ、女たらしでギャンブル好きのヤク中でした。

作曲家のアルベニスは、幼少の頃から神童として演奏していましたが、ボヘミアン的な性格のため、8才で家出して放浪していました。12 才で船に密航して南米キューバやチリで演奏していたという破天荒な性格です。
フレディは8才でインドの寄宿学校に入れられましたが、アルベニスは8才で自ら出奔したのですから驚異的です!
しかも12才で勝手に南米ツアーをやっていたのですから、これはクイーンの上をいっているのでは!?

画家のゴッホは、もともと人と会うのが苦手な性格で、素行が問題となり解雇されたりしていました。複数の精神疾患を抱えていたといわれます。生きることが重荷だった彼はアルコール依存になりました。
ゴーギャンとの関係には、友情を超えた強い愛情があり、彼との共同生活が破綻した時に、ゴッホは自らの左耳を切り落とします。その耳を持って娼館へ行き、「この大事なものを取っておいてくれ」と言いました。この件で、ゴッホは精神病院に収容されてしまいます。27才から絵を描き始め、10年間で膨大な画業を成し遂げましたが、生前は評価されることがなく、37才でピストル自殺を遂げました。
ゴッホの場合は精神疾患もあり、フレディよりもはるかに壮絶な人生ですね。
左耳を切った自画像

作家のフランソワーズ・サガンは、あまりにも極端な、刹那的な生き方をしました。
スピード狂で自動車事故を起こし、それでも運転をやめなかったり、ギャンブルに明け暮れ、アルコールやドラッグに浸り、数え切れないほどの情事を繰り返しました。やがて精神を病み、晩年には生活苦の中、健康を害してしまいます。69才で心疾患のためなくなりました。「生きたいように生きる」とは言え、ハイリスク・ハイリターンの生き様でした。

芸術家の奇行や破滅については枚挙にいとまがなく、本当にいくらでも極端な例が出てきます。
概してクリエイティブな人は精神の病や、発達障害であることが多く、そのためにストレスに弱いので、アルコールなどの依存症になりやすいのです。
フレディもクリエイティブで、強い集中力を持ち、完璧主義で気に入らないとすぐに怒る、また一度聴いただけの音楽をすぐにピアノで弾けるなど、発達障害の傾向があります。そしてセンシティブなので傷つきやすく、恋愛依存や買い物依存になったというのは、まったく公式通りなのです。
芸術家たちのすさまじい破天荒さに比べれば、フレディはまだそれほどでもなく、どちらかというと普通に感じられてしまいます。
フレディの精神構造は、クリエイティブな人なら共通している過敏な繊細さと集中力を備え、そのために傷つきやすく疲れやすいので、アルコールやドラッグで紛らわしたり、恋愛や買い物に依存していたのですね。
フレディはそうやってバランスをとりながら、音楽活動を生涯やり続けたのですから、破滅型ではなく立派な人生を送りました。
フレディがんばりました
がんばりました。

日本が世界に誇るアーティストの葛飾北斎は、生涯に画号を30回も変えました。
興味の対象が変わるごとに画風を変え、画号も変えたのです。
75才頃には「画狂老人」と称していました。
フレディも若い頃は度々衣装やヘアスタイルを変えていましたが、30回も変えていないし、名前も変えていませんね!
 北斎は生涯に93回転居しました。1日に3回引っ越したこともあります。
フレディはそんなに引っ越したことはありませんね。
 北斎は90才で没しましたが、最後まで情熱的に描き続け、「あと5年の命があれば、真正の画工になれるだろう」と言い残しました。
凄いとしか言いようのない北斎の生き様に感服します!
たとえ変人でも、このように最後まで生き切った芸術家も存在するのですね。
北斎のような巨人の前では、さすがのフレディもカワイイかも。
北斎の大波
北斎の「Big Wave」は海外でも大人気です。



ピーター・ヒンス『クイーンの真実』

クイーンの真実
ピーター・ヒンスの『クイーンの真実』を読みました。
ラッティことピーター・ヒンスは、長い間クイーンのローディーをつとめた人物です。
とくにフレディとジョンのアシスタントを担当し、フレディがピアノから歌へ移動する時にマイクを渡す人といえば、すぐに彼だとわかりますよね。
ローディは楽器の手入れ、運搬、設置から雑用まで何でもこなしますが、ヒンスはチーフとしてクイーンから信頼されていました。
1973年から1986年までローディでしたから、クイーンの活動の殆どを共に過ごしたことになります。
しかもステージ上の爆音の至近距離にいたのですから、聴力は大丈夫かなと心配になります。
1973年頃に20才だったので、1953年頃の生まれで、フレデイより7才下になりますね。

ヒンスは労働者階級の生まれですが、ロックとアメリカに憧れてローディーの世界に飛び込みます。
ローディーは激しい肉体労働で、重い機材を手で運んだり、トラックに詰め込んだり、空港の税関を通すために長時間待たされたりして、寝不足の過酷な仕事が続きます。
私も他のチームで、トラックの詰め込み作業を見たことがありますが、機材が動かないように、パズルのように隙間を埋めていく技には、本当に感嘆しました!
雇い主のクイーンは飛行機のファーストクラスで移動し、ホテルはスイートルームですが、ローディーはツアーバスの3段ベッドで身を縮めて寝なければなりません。きつい仕事で疲れた体に、汗で汚れた服と、外国での胃腸の不調など、目を覆いたくなるような惨状もあったのですね。
とくに南米で銃声が飛び交ったり、見知らぬ男たちに囲まれて最早これが最後かと思ったり、飛行機が嵐に遭い、大変な乱高下を繰り返したりと、文字通り命がけのツアー行脚だったのでした!

バンドのツアーは珍道中に決まってはいますが、これほど派手にどエライことになっていたとは!
ローディーたちは苦労の連続でしたが、賃金は安く、あまりクイーンから感謝されることもなかったそうです。
クイーンのおかげで世界中を旅行して歩き、酒やドラッグ、そして女の子にもそうとうモテたヒンスですが、次第に彼の心はクイーンから離れ、写真家への道を歩み始めます。
クイーンのステージの裏には、ローディーの作業や照明、音響、会場スタッフ、そしてマネージャーやレコード会社など、じつに様々な人たちが関わっていたのですね!
「フレディ・マーキュリー」という虚像は、みんなで寄ってたかって作り上げたものでもあるわけです。
そしてあまりに肥大した「フレディ・マーキュリー」像に、当のフレディも次第に疲弊していったのかもしれません。

ヒンスは長期にわたってフレディのごく近くにいて、信頼関係があったのですが、あまりフレディの言葉は記録されていないので、会話は少なかったのかもしれません。
フレディはステージ以外では寡黙な方でしたし、一人になることは殆どなく、常に誰かと一緒にいたわけですし。
フレディがロンドンからミュンヘンに来る時、フレディは一人で来られないので、ヒンスがお供をしたこともあったそうです。
ということは、ヒンスはフレディと二人で過ごしたこともあったわけですから、会話もあったはず。それなのにフレディの言葉は何も記されていないので、ヒンスはフレディへの忠誠心から、故意に隠していることがあるのかもしれませんね。

クイーンの側にいたヒンスの記録は、ステージや撮影の裏話がこぼれ出て面白いところがあります。
たとえば、「We will Rock You」のPV撮影は、ロジャーの家の庭で行なわれたものですが、当時はまだ契約したばかりで、家が引き渡されていなかったので、トイレを使わせてもらえなかったとか。 冬で寒かったので、フレディが手袋を所望したが、探してもなかったので、ヒンスが自分のローディー用の手袋を渡したところ、フレディは喜んで着用したので、PVの中でフレディが使用している手袋はヒンスのもの。
また、「You are my Best Friend」のPVでは、フレディがマイクに捕まってだらけた様子なので、酔っ払っているのかと思っていたのですが、あれは実はとても暑い日で、さらにロウソクを沢山つけたので更に暑くなり、クイーンはみんな倒れそうになっていたとのこと。フレディは倒れそうなのでマイクに捕まり、必死に歌っていたのですね! なんて健気なのでしょう。
他にも、ステージに投げ込まれた生卵でブライアンが滑って転んだとか、面白い話が沢山載っています。

ヒンスは「ラッティ」と呼ばれていましたが、ラッティとは「ねずみ」のこと。「ねずみちゃん」ですね。
ヒンスは若くて痩せていて、こまねずみのように良く働いたので、こう呼ばれたのでしょう。
でもちょっと見下した言い方ですよね、ねずみちゃんとは。
ヒンスは会計士や弁護士など中流の人は、自分より上の人だと思っていたそうです。
実際にはクイーンの会計士がお金をごまかしたので、上ではないことがわかったそうですが。
イギリスは階級社会なので、ヒンスが自分は下だと思うなんて、悲しくなってしまいます。
強欲で悪徳な中流人よりも、ヒンスはよほど立派な人間ですよ!
クイーンを離れてから、ヒンスは写真家として自立したので、もともとアートの才能があったのでしょう。
最近ではYouTubeで現在の彼の姿を見ることができます。
クイーンの周辺の、色々な人の生き方を知ることができて面白いですね。

フレディが好きなルネ・ラリック

ルネ・ラリックはフランスのガラス工芸家、宝飾デザイナーです。(1860〜1945)
アール・ヌーヴォーからアールデコの両時代にかけて活躍した稀な作家です。
日本でも目黒の「東京都庭園美術館」にラリックのガラス装飾が使われています。
ルネ横長


フレディはルネ・ラリックの作品を好んでいて、ロンドンのお店に足を運んではガーデンロッジに持ち帰っていました。
日本公演で世話になる日本人へのお土産にも持参していました。(この作品ではありません)
ルネ2

日本でも人気があり、私も京都で展覧会を見たことがありますし、最近でも「不思議のアリス展」にすばらしいラリック作品が出品されていました。(この写真は当該作品ではありません)
ルネ3

バラのモチーフがよく使われます。
すてきなランプですね。
ラリックのバラ

これぞラリック!
私もラリックが好きなので、このブログを書いているうちに、とうとう小さなラリックを買ってしまいました。
あ〜あ、何のためにブログを書いているんだろう?
これぞラリック

猫の置物もあります。
これはたぶんジム・ハットンがフレディに贈ったものと同じです。
フレディはプレゼントを貰うのもあげるのも大好きだったのですね。
ラリック猫


フレディが好きなアールデコ

ロンドンでデザインを学んだフレディは、ジョージ王朝時代の邸宅に住んでいましたが、ビーダーマイヤーアールデコの家具や装飾が好きだったそうです。
ジョージ王朝時代後半のデザイン様式は、イギリスではリージェンシースタイルと呼ばれ、ドイツではビーダーマイヤースタイルと名付けられました。
19世紀前半の時代、古代ローマ・ギリシャや、古代エジプトのデザインの影響を受けてまいす。
イギリスのリージェンシースタイルでは、中国のシノワズリーや、インドのムガール様式も取り入れられました。
ドイツ・オーストリアで中産階級が力を得て、装飾が少なく実用的なデザインが流行したものがビーターマイヤーです。
イギリスの家具は、植民地から送られるマホガニーやローズウッドのような高級な木材で作られていましたが、ビーダーマイヤーの家具は自国産の木材を使い、自然の色を強調しています。
ビーダーマイヤー様式
ビーダーマイヤーのインテリア

ビーダーマイヤーはその後、バウハウスやアールデコへ受け継がれていきました。
アールデコは1910年代から1930年代にかけてヨーロッパで流行したデザインで、電気や機械が広まった近代的生活に合わせた機能的、現代的なフォルムが特徴です。
富裕層向けの一点制作が中心だったアールヌーボーに対して、アールデコは一般向けの大量生産も行ないました。
アールデコ1

フレディはニューヨークに所有していたマンションのインテリアを、アールデコに統一していたそうです。
いかにもフレディが好きそうですよね。

ほんとにフレディに似合いますよ!
モントルーのダックハウスもこんな感じだったと思います。

このような貝の形のソファもアールデコのデザインなのですね。
フレディはこんな貝のソファーとベッド、キャビネットなどを揃えて、メアリーに送ってあげたそうです。ロマンチックですね!
貝のソファ


メアリーといえば、メアリーがつとめていたBIBAが入っていたビルがこれです。
BIBAのビル
1920年代のアールデコスタイルとして名高い建物で、レリーフがとてもきれいだそうです。
BIBAは、1960年〜1970年代のファッションの象徴でした。
世界中から買い物に訪れる人気店でしたが、1970年代半ばの不況により閉店しました。
当時の顧客名簿には、フレディやルー・リード、デヴィツド・ボウイなどが名を連ね、伝説のブランドとなっています。
フレディはここでアールデコの装飾に触れていたので、アールデコが好きになったのかもしれませんね。


実は日本でもアールデコの建築を見ることができます。
目黒の「東京都庭園美術館」や、銀座のビアホール「ライオン」、上野の東京国立博物館本館などです。
「東京庭園美術館」は本当に美しい邸宅で、往年の貴族の暮らしを体感することができます。
東京都庭園美術館

玄関にはルネ・ラリックのガラスの装飾があります。
ルネ・ラリックはフレディも愛好していたガラス工芸家ですね。
庭園美術館のルネ・ラリック

意外と身近なところにもアールデコを見ることができます。








もしもフレディに前世があったなら

<もしもフレディーが、シリーズ5>
▶︎もしフレディに前世があったなら

フレディに前世があったとしたら、どのような人生だったでしょうか?
そもそも人間に生まれ変わりがあるのかという問題がありますが、私は人間や生物の生命は、死を超えて絶えることなく続いていると考えています。
でもそれはAさんがBさんに生まれ変わったというような単純な考えではなく、Aさんが過去のBさんと強い関連があるという風に捉えると良いのではないかと思っています。

そして過去生というのは、現在生と似ているか、正反対である場合が多いとされています。
過去生から継続して同じようなテーマに取り組んでいるか、あるいは過去に足りなかった面を補充するために、正反対の人生を選択している可能性があります。
そのようにフレディの過去生を考えてみると・・・

1) 吟遊詩人だった。
吟遊詩人

吟遊詩人とは、歌や詩を作り、各地を旅しながら歌う人のこと。
中世フランスのトルバドールや、中世ドイツのミンネジンガーは、「アーサー王伝説」や「ニーベルンゲンの歌」を歌い広めました。
アイルランドのケルトでは、バードと呼ばれます。
またジョングルールは旅芸人であり、大衆的な歌で民衆を楽しませました。
日本の琵琶法師も「平家物語」を歌い伝えました。

フレディも世界を旅しながら、愛の歌を歌い続けた現代の吟遊詩人といえますね。


2)カストラートだった。
カストラート

カストラートとは、1550年頃からイタリアで一般化された、ボーイソプラノを保つために去勢された男性歌手のこと。
最も有名なカストラートは、18世紀イタリアのファリネリで、3オクターブ半の声域を持つ彼が歌うオペラでは、上流階級の女性たちが次々と失神したという。
カストラートの収入は莫大なものとなり、優雅な生活を享受したが、男性としては一生禁欲せざるを得なかった。
その時の欠乏感が、後にフレディの放蕩を呼んだのではないか?


3)ペルシャの王子だった。
ペルシャの王子 アニメ

ペルシャの王子だったため、気位が高く、高価なものを好む。
この絵は「アルスラーン戦記」より。中近東を舞台にした物語ですね。
王子とはいえ、国政や戦争には興味がなく、詩や音楽、美術を愛好していた。


4)ゾロアスター教の司祭だった。
ゾロアスター教の司祭

敬虔なゾロアスター教の司祭として、清貧で禁欲的な生活を送った。
その反動で、フレディは派手で贅沢、退廃的になる。


5)インドのマハラジャの王子だった。
インドの王子

インドのマハラジャの放蕩息子だった。
(この写真の人のことではありません)


6)修道院の孤児だった。
修道院のオルガン

8才で孤児になった少年が修道院に入ったが、彼には音楽の才能があり、よくオルガンの練習をしていた。
ところが彼は成人する前に病で亡くなってしまった。
フレディとして生まれ変わると、前世で練習したオルガンの技術が才能として宿り、あまり練習しなくてもフレディはすぐにピアノを弾くことができた。
前世で孤児だったため、孤独な気持ちが強く、フレディは生涯愛を求め続けたのであった。


7)高級娼婦(女性)だった。
高級娼婦

キラークイーンですね、ダーリン。
オペラや文学にも高級娼婦はよく登場します。


8)ペルシャ猫だった。
ペルシャ猫


というのは冗談ですが。
というか、この「もしも」シリーズは冗談ですからね!
私は1番と2番の可能性が高いと思います。
人の一生は有限です。
一度の人生で全てを成しとげることはできません。
それで何回も生まれ変わっては、自分の目的を達成していくのかもしれません。
フレディは今回の生で多くの目的に到達し、また多くのことを学んだのでしょう。
彼は今回の人生に満足しているでしょうか?
また次の人生に挑戦することがあるのでしょうか?



フレディの夢

フレディの夢を見たことがありますか?
私が見た夢では、フレディがベティちゃんのTシャツを着ていました。

ベティちゃん

ステージの合間らしく、ステージの裏でフレディに会い、
白いテーブルを挟んで、向かい合わせに座りました。
フレディは少し疲れた様子で、目の上にくっきりと黒いアイラインを引いていました。
私は1975年の初来日にも行きました、あなたのファンですと、しどろもどろに言いました。
フレディは少しはにかんだように微笑みました。
何か飲み物をほしいようだったので、まだステージがあるのに強いお酒はいけないと思い、
ビールを渡しました。
という夢でした。
夢でもフレディに会えて嬉しかったです!


▶︎もういちどは夢というか、起きる直前に夢うつつで見たフレディなのですが、
黒い大きな箱の中で、右上に座り「いつもここにいたんだよ」と言いました。
白いサテンのシャツと、白いパンツ姿でした。
その時、私はハッと悟りました。
そうか、フレディはコクマーにいたんだ!
コクマーとは、カバラの「生命の木」のセフィラのひとつで、右上に位置しています。
2番のところです。

生命の木

コクマーは宇宙の積極原理とされ、能動性、意志の力を意味し、爆発的なパワーを持っています。
原初の男性原理とされ、刺激を与える力を持ち、ここから下位の(7番)のネツァクまで降ろされると具体的な芸術となります。
人間たちは10番マルクトにいます。
コクマーは、太陽系の惑星に当てはめると天王星です。
天王星は独立と革新、自由と解放を表します。古いものを壊して新しいものを創り出す力を持っています。

そうか!
フレディはいつもコクマーにいて、人間たちに働きかけていたんだね!
というか、彼はコクマーが強い人だったのかもしれない。
そして人間たちのコクマーを刺激しているのだろう。ネツァクを使って。
フレディは独立と革新、自由と解放の人。
常識にとらわれず、古いものを壊して、新しいものを創り出している。

いつも右上にいるフレディ、私には忘れられない強烈なインパクトです!


正倉院展のペルシャ文様

正倉院展

東京国立博物館で開催中の「正倉院展」へ行ってきました。
やはり圧巻なのは「五弦の琵琶」!
五弦は世界で唯一つ現存する実物です。
1200年前の8世紀に中国(唐)で作られたものですが、今でも美しい艶があり、螺鈿の装飾は息を呑む豪華さです。
このようなすばらしい絶品を見ると、人間はだんだん退化しているのではないかとさえ思えます。
上の写真の右端が琵琶です。

琵琶はインド伝来とされていますが、さらに遡るとペルシャに琵琶の先祖となる楽器がありました。
ササン朝ペルシャの遺跡から発掘された工芸品の浮き彫りなどに、琵琶の形をした楽器がしばしば見られます。
糸倉が後ろに曲がり、バチを持って弾奏され、「バルバット」と呼ばれました。
これが4弦の琵琶やウード、リュートの先祖になります。
つまりギターの先祖ですよ、ブライアン!
これがペルシャから中国へ伝わり、日本の正倉院までやって来ました。
西へ伝播したものがリュートになり、ギターになります。
正倉院の琵琶は、現存する世界最古の琵琶です。
夜光貝による螺鈿の装飾が、あまりにも美しい!
琵琶の装飾

「正倉院展」で最も興味を引かれるのは、ササン朝ペルシャで作られたガラス器や、由来のデザインです。
いちばん上の写真の、中央左寄りにある白っぽいガラス器は、ササン朝ペルシャで作られた実物です。
これは後期の展示なので、私が行った時は残念ながらまだ展示されていませんでした。
行かれる方はぜひ見に行ってください!
ササン朝ぺルシャとは、226年から651年までのペルシャ王朝で、ゾロアスター教が国教でした。
つまりフレディの先祖が、まだペルシャにいた頃の時代で、その時に作られたガラス器が正倉院に伝わり、いま私たちがそれを目にすることができるというわけなのです!
もしかしたら本当にフレディの先祖が作ったものかもしれないではありませんか?!
フレディはアートスクールでデザインを専攻したのですから、ありえない話ではありません。
そんなことを空想しながら見てみると、楽しさが倍増します!

私は中学校の美術の教科書で、このガラス器を見て以来、忘れられない印象が強く残っています。
いずれ奈良の正倉院へ見に行きたいと思います。
他にもササン朝ベルシャで作られたものではないけれど、ササン朝ペルシャのデザインで作られたものがいくつかあったので、私の目は爛々と光り、涎も出そうになったのでした。

ところでペルシャの文様といえば、ペルシャ絨毯ですね。
最古のペルシャ絨毯はアケメネス朝ペルシャで作られたとされます。
アケメネス朝ペルシャは、紀元前550年から紀元前330年までの王朝で、代々の王はゾロアスター教を信仰していました。
壮大なペルセポリスを造営するなど繁栄していましたが、マケドニアのアレクサンダー大王の攻撃により滅亡しました。
ペルシャ絨毯は高価なので高嶺の花だったのですが、やっと最近小さなペルシャ絨毯を手に入れ、ヨガマットにしています。
ペルシャ絨毯でヨガを行なうと、じつに気分爽快ですよ!
ペルシャ絨毯
ペルシャ絨毯は、世界のセレブのご用達なので、フレデイ邸にも敷き詰められていたのでしょうか?

奈良の正倉院は、シルクロードの終着点と言われます。
日本の着物には、ペルシャ文様がよく見受けられます。
じつは日本人には身近なペルシャ文様なのですね。
着物のペルシャ文様

それにしても、「正倉院展」に行って、
琵琶だ、ペルシャ起源だ、ギターの先祖だ、ブライアンだとか、
ササン朝ペルシャのガラス器だ、ゾロアスター教だ、フレディだとか、
ペルシャ絨毯はアケメネス朝ペルシャだ、ゾロアスター教だ、フレディだとか、
いちいち思っている私っていったい・・・





プラネタリア/ クイーンの「ヘブン」

有楽町マリオンにある「プラネタリア」で、クイーンの「ヘブン」をやっと見ました。
7月から上映していたというのに、なかなか見る機会がなく、10月に予約を入れたところ台風に見舞われて、電車が不通になり、たどり着くことができませんでした。以前なら、電車が止まったなら自分で運転して行ったものですが、さすがにそれはちょっと危険かなと。
プラネタリア ヘブン

ネットで席を予約するとカード決済のみなので、もう現金で入場することはできない時代になったのかと思っていましたが、到着してみると窓口に人間がいるのでびっくり。そしてお金も使えることがわかって2度びっくりでした。何をびくびくしているんだ私。
ブラネタリア入り口

クイーンの「ヘブン」の入り口には、なつかしい面々がお出迎えしてくれます。
こんな時代もあったんだなあ。みんな若い。
看板息子達

こんなパーソナルな3Dシアターもあって、面白そうだった。
3Dシアター

ドーム内に入ると、こんな感じになっていて、上映中はもちろん撮影禁止。
ドーム内

そして「ヘブン」が始まった。
私はチェア席を予約していたが、クッション席の人たちは仰向けになって鑑賞するので、天井を見るためにはそれもgoodなのではないかと思う。
ネットではあまり「ヘブン」の感想を書いている人がいないので、きっとあまり面白くないんだろうなと思っていました。
で、見てみると、やはりCGの技術がすごい。
一面のスクリーンではなく、36度のドームに投影するので、実際にその場所に入り込んだかのような臨場感があります。
海の波が打ち付けたり、空から隕石が落ちてきたり、それはどエライ迫力です!
空中飛行のシーンなどは本当にクラクラするので、めまいがする人もいると思う。
パンフレットを読むと、「クラクラして気分が悪くなった人は、目をつぶって下さい」とある。
なるほど、目をつぶればいいのか。

私は個人的には「who wants to live forever?」の映像が良かったな。
永遠性を感じさせるリングと、人間の生命の限界を表すリングが合体するイメージ。

CGは良くできているけれど、惜しいのは全体のイメージが暗いこと。
宇宙が暗いのは仕方がないけれど、山や海、大自然の描写が暗いのです。
日本の自然はもっと美しいぞ! イギリスの風景は暗いのかなと思いつつ、最後のクレジットを見ると、制作はミュンヘンのスタジオになっていました。そうかあ、ドイツの映画も暗いからなあ。
日本のCGスタッフが作ったら、きっともっと美しいものができるに違いない。
見終わった時に爽快感が得られるといいのにね。

クイーンのPVがところどころに挿入されているのですが、当然のことながら新しい映像はないので、クイーンファンなら見慣れたものばかりです。
クイーンの映像を見るというよりは、最新のCGを楽しむと思った方が良いかもね。
音質については、あまり期待しないでください、と言っておこう。

CGについては、1982年の映画「トロン」から、もう長いこと見慣れているので、次は早くホログラムが見たいなあ。
「トロン」といえば、あの頃、池袋のサンシャイン60が1978年に開業して、レーザー光線のショー「レザリアム」をやっていたので、何回も見に行ったっけ。そう、当時は「レザリアム」と「トミー」と「トロン」だったな。サンシャイン水族館のゴマフアザラシも可愛かった。
「トミー」は1975年に公開されたザ・フーの映画。面白くて何回も見に行き、音楽をカセットで録音していたよ。
1975年には「ロッキーホラーショー」の日本初上陸もあり、もちろん見に行きました。
まあ「トミー」や「ロッキーホラーショー」のインパクトはすごかったので、思い出話になってしまってスマン。

早くホログラムのフレディがステージで歌っているところが見たいですね!








「新月」40周年コンサートを祝して!

日本のプログレッシブロックバンドの最高峰と言われる「新月」が、ファーストアルバムを発売してから40年を記念するコンサートが開かれたので、川崎のクラブチッタへ行ってきました。
このバンドは40年前からの知り合いなのですが、ボーカルの北山真氏が変わっていなくて凄い!
近くで見るとメイクしていますが、遠目ではまるで20代の頃のようです。
彼は山岳クライマーでもあるので、鍛え抜かれた身体の持ち主なのでしょう。
40年前に芝のABCホールで開かれたデビューコンサートを、昨日のことのように思い出しました。
新月ファーストアルバム

作曲の花本彰氏も変わらずに冷徹にシンセやメロトロン!を操っていて、さらに貫禄が加わっています。
彼は芸術学部出身なので、基礎がしっかりしている人の強みがあります。
ぜひ今後も新作を期待したいです!

ギターの津田治彦氏は、なんだか丸みを帯びていますが、名曲「朝の向こう側」では40年前と変わらない歌声を聴かせてくれました。
幕間に流されたHALかベラドンナの時の演奏も懐かしく流麗でした。

新月、チッタ

コンサート会場は、往年の新月ファンで一杯で、とくに男性が多く、40年の歳月を感じさせる年齢の方が多く見受けられました。
日本のプログレファンがこんなに大勢いたとは、うれしい驚きです!
開演前に客電が落ちると、すぐさま観客からの拍手とコールが起こり、バンドを呼び出します。
はじめに楽器セクションが持ち場に着くと、後から銀色のマントに身を包んだボーカルの北山真が、天井からゆっくりと降りて来ました。
そして新月のお馴染みのナンバーから、新作「静かの海」収録曲まで、次々と鮮やかな演奏を繰り出したのです。
私も新月の曲はほとんど知っているし、「静かの海」も買ったので、新月マニアなのかもしれませんね。
静かの海
「静かの海」(北山真/花本彰)

新月の曲を40年も断続的に聴いてくると、やはりこちらの聴く年齢によって、聴き方が変わってきます。
はじめは夢中で聴いていた20代、そして中年になると、なんだか若い頃の音楽が聴けなくなったりする時期もありますが、さらに還暦も過ぎると、バンドを続けてくれるだけで有難く、何でもOKでハッピーになってしまいます。
また10年後の、デビュー50周年を目指して、ぜひがんばってほしいと思います!

「新月」は初期から、照明や映像を取り入れて、演劇出身のボーカルの衣装やアクトにも凝っていました。
今回も40年前とは違った衣装や映像で、さらに表現が豊かになり、聴衆の心を揺さぶるものになっていました。

私が注目したのは、ステージに一貫するコンセプトです。
はじめはボーカルが、天井からゆっくりと降りて来ます。
そして地上で人間の諸相を演じ、味わい、表現をし尽くすと、また最後にゆっくりと天井へ上がって行きました。
これはちょうど私が最近書いていた、ヘルメス思想に通底するものです。
ヘルメス思想では、人間は神の世界から地上へ降りて来て、色々な経験を通して成長し、また神の世界へ上昇していく(進化していく)とされています。
ヘルメスとはマーキュリーのことなので、フレディもその流れに逆らうことはできないと書いたところでした。
このように同じものを体験することをシンクロニシティーと言います。
心に強く感じたことには、シンクロニシティーが起こります。
やっぱりね、と私はにやにやしながら会場を後にしたのでした。


おまけ。
帰ってから、捨てられた猫の保護活動をしているお坊さんのブログを見ていたら、こんな言葉がありました。

「私たちはあの世から来て、またあの世に帰る。
死とは別れではなく、来たところに帰る。という仏さまの教えです。」

これもシンクロニシティーかにゃ。


プロムス・ジャパン・ファーストナイト

プロムス ファーストナイト

イギリスで行われている世界最大の音楽祭「プロムス」が、初めて日本に上陸しました。
8月にロンドンで聴いたBBCオーケストラがやってくるので、早速ファーストナイトコンサートへ行ってきました。
渋谷のオーチャードホールです。

ロンドンで聴いた時は円形のロイヤルアルバートホールだったので、音が柔らかく上に立ち上るような感じだったのですが、日本のホールは音が前へ飛ぶように設計されているので、とても鮮やかな生き生きとした音色で、まるで違うオーケストラのように感じられました。
「プロムス」はプロムナードコンサートの略ですが、毎年でロンドンで2ヶ月にわたって繰り広げられ、最後のラストナイトは日本でいえば紅白歌合戦のような国民的行事として盛り上がります。
そしてラストナイトの最後では、英国国歌「ゴッドセイブ・ザクイーン」をみんな起立して歌います。
ですから、クイーンがコンサートの最後に「ゴッドセイブ・ザ・クイーン」を流すのは、プロムスを踏襲しているのだと思います。
クイーンが特別に変わったことをやっているのではなく、大衆のアイドルとして皆に受け入れられやすいことをやっているのでしょう。

ロンドンのラストナイトに招待された歌手は、衣装に色々な国の国旗をつけて歌ったりします。
フレディが大きな国旗を広げてステージを歩いたのも、ここからヒントを得たのではないかと思います。
フレディの国旗

フレディの「えーお」にも前身があり、1960年代に似たようなステージと客席の掛け合いがありました。
フレディの発明というわけではなかったのです。
フレディは1950年代、1960年代の音楽を聴きこんでいましたし、もっと遡って古い映画やボードヴィルなどを好んでいました。
ボードヴィルとは、17世紀末にパリで始まった演劇形式で、1900年頃のサイレント映画に取り入れられました。
こんなに古い時代のボードヴイルについて、私も全く知りませんでしたし、50年代・60年代の音楽についても、日本とイギリスでは情報量に圧倒的な差があったはずです。
フレディが慣れ親しんだ音楽の中から、自分の音楽をするすると紡ぎ出して来たわけですが、私たちはその背景となる音楽をあまり知らないので、その多彩な表現に驚かされるのです。
45年前ぐらいに初めてクイーンを聴いた時、「ポップだなあ、どうしてこんなにポップなのかなあ?」と思いましたが、その背後には欧米の膨大なポップミュージック世界が横たわっていたのですね。

フレディのステージは暑くて危険がいっぱい!

<フレディなぜなぜシリーズ9>
▶︎なぜフレディはステージで脱ぐのか?

その答えはズバリ、「暑いからでしょう!」
何ともストレートな答えですみません。
だって本当にステージは暑いんですよ。
私も昨日はステージで動き回っていて、汗だくになってしまいました。
(私は歌っているのではありません)

ステージには照明が当たっているので暑いのですね。
フレディには12本のスポットライトが当たっていたそうですから、暑いうえに、めちゃ眩しかったでしょう。
ステージは暑くて喉が乾くので、いつも彼らは飲み物を用意していましたね。
小林幸子はステージのライトで、着物が焼けてしまい、変色したと言っていました。
これだけ強いライトでは、お肌にも良くありませんね。
ステージでは電気器材から妙に生暖かい風が吹き、埃が舞っているので、コンタクトレンズをした目にはゴミが入り、悲惨なことになります。セットリストは貼り付けておかなければ、どこかへ飛んで行ってしまいます。

それでフレディは動き回っているので、暑くて脱ぐのでしょうけれど、脱ぐと観衆から「お〜」というどよめきが起こり、脱げばみんなが喜ぶんだな、という感触を覚えたのでしょう。
私もステージで一枚脱いだことがありますが、みんなお〜と喜んでいました。(裸にはなっていません)
それでフレディは聴衆サービスのため、いつも脱ぐようになったのでしょう。
ステージで脱ぐフレディ

脱いでみると、フレディは童心に返ったようで、嬉しかったのではないでしょうか?
ザンジバルの夕日を思い出したり、灼熱のインドの青春時代、あの海岸の素足の感触などが次々と脳裏に蘇り、そしてとうとう短パン一枚になってしまったのでは?
西洋では室内でさえ素足になることは、はしたないこととされますから、まして公衆の面前で素足になるのは勇気のいることです。
あいつは普通じゃない、ストリッパーか男娼か、喜劇役者か野蛮人かと言われてもやむを得ません。
紳士の国イギリスでは「異形のもの」と扱われても仕方がありません。
でも私たちアジア人は、素足の気持ち良さをを知っていますから、フレディの素足は全然OKですよね!
浜辺のフレディ
この珍しい写真は、どこかの浜辺でしょうか?
これから泳ぐところなのか、野生児フレディみたいですね。

それから、ステージには危険がいっぱいです。
電気器材が多いので感電することがあり、最近でもフランスやアルゼンチンで、歌手がマイクの感電により死亡しています。
ギターアンプの感電事故もあります。
ステージから転落して怪我をするアーティストも多数いますし、シルク・ド・ソレイユの団員が演技中にステージ上に落下して死亡したこともありました。
ステージ上の機材が倒れて怪我をしたり、ファンが死亡したこともありました。
極端なところでは、ライブ中にテロが起こり、銃撃されることもあります。

そこまでではなくても、ステージと袖、舞台裏は暗いので、足元がよく見えないところに、ケーブルが渦を巻いていたり、段差があって転んだりします。
私も舞台練習で派手に転んだことがありますし、本番では保険をかけますので、クイーンのメンバーも高い保険に入っていたことでしょう。ブライアンのギターにも高い楽器保険をかけているでしょうね。
1984年にフレディがステージで怪我をしたところ。
この時は一人で歩けないほどでした。
フレディの怪我

1970年代の若い頃にも、フレディがステージで転んだと言って不機嫌になっていることがありました。
暑くて埃だらけで危険がいっぱいのステージで、過酷なステージアクトと歌唱を行ない、旅から旅のホテル暮らしを続けたクイーンにも苦労があったことですし、「脱がなきゃやってらんないよ!」ってことにもなるでしょう。
そして完璧主義のフレディにとって、緊張のステージが終わると打ち上げだ、パーティーだ、飲むぞ、騒ぐぞ! となるのは必然の流れだったのでしょう。
お疲れ様でした、フレディ!




ヘルメス思想の系譜に連なるフレディ

マーキュリー=ヘルメスまで来たので、ついでに「ヘルメス思想」まで行ってみましょう。
「ヘルメス思想」とは、紀元前3世紀〜紀元後3世紀頃にエジプト(アレキサンドリア)で導師ヘルメス・トリスメギストスが弟子に教えるという形で書かれた「ヘルメス文書」に示された内容を指しています。
ヘルメス(マーキュリー)は、死者を冥界に導く役割を持った神であり、ヘルメス思想の祖として敬われています。
(フレディがそれを知っていたかどうかは不明です)

ヘルメス・トリスメギストスは、生涯に36525冊の本を書いたとされ、宇宙の構造、医学、化学、哲学、法律、芸術、数学、音楽などの、あらゆる知識を人間に授けました。
「ヘルメス文書」の中にある「エメラルド・タブレット」には、ヘルメス思想の根本的なことが書かれています。
上のものは下のものの如く、下のものは上のものの如く」という、大宇宙と小宇宙の照応についてや、
全は一、一は全」という「反対の一致」が説かれています。
エメラルド・タブレット

ヘルメス思想は、西洋の知識人に再発見されてルネサンスを起こし、近代科学を生み出す原動力の一つとなり、科学や化学、天文学の基礎となりました。
さらにヨーロッパの思想や哲学、文学、芸術にも影響を与えました。
レオナルド・ダ・ヴィンチの思考にも影響を与え、ボッティチェリもヘルメスを知恵の象徴として描いています。
コペルニクスの地動説、ライプニッツの微積分、ケプラーの楕円軌道など、多くのものがヘルメス思想から生まれました。

ヘルメス思想で重要なのは、本来は光の存在である人間が物質界に下降し、そこで認識を得て再び天界へ帰るという往復運動です。
その往復運動は直線的なものではなく、ときに後退に見える運動も経ながら、より高い存在を目指していく螺旋運動となります。
ヘルメスが持っている「カドケウスの杖」に絡みついている2匹の蛇は、上昇と下降の螺旋の動きを意味しています。
2匹の蛇はカドケウスの杖のシンボルであり、上昇と下降というヘルメス学の中心概念を表しています。
(フレディのマイクスタンドと、絡みつくマイクコードを思い出してください)
フレディのマイクコート゜
なんかもうフレディ自体が蛇みたいですね。蛇は「智恵」の象徴。

また、ヘルメスによれば、「神は天上界の原像を基にして、その模造を地上界に流出した」ということなので、地上の物質を手掛かりにして、再び天上界へ到達することが可能なはずです。
なぜなら「上なるものは下なるものに一致し、下なるものは上なるものに対応する」からです。
これが「引き寄せの法則」の元にもなっています。

ヘルメス思想においては、人間と神は本質的に同一です。
そのことを「認識(グノーシス)」すれば、人間を神のレベルまで高めることができるとされます。
人間を「神化する」ことが目的です。
このように古代思想においては、「認識」こそが最も重要であり、知性のはたらきを重視しましたが、キリスト教ではその部分を隠してしまい、「愛」が最も大切であるとしました。
そのために、現在の欧米の映画や音楽は、盛んに「愛こそ全て」と歌い、愛が氾濫していますが、本来は「知と愛」のバランスが大切なのではないでしょうか? ヘルマン・ヘッセの「知と愛」のように。

ヘルメス思想では、人間が天界から地上へ下降し、また再び上昇する「運動」にこそ価値があるとするので、下降における堕落にも積極的な意義があるとします。これはキリスト教にはない考えです。
フレディがパーティー三昧をしても、コカインを摂取しても、愛欲に耽っても、それらも全て意義があることであり、深く下降するものこそが、後に高く上がることができるのかもしれません。
たとえば一般人が「1」下降した後に、「1」上昇するとしたら、フレディは「10」下降した後に「10」上昇したのではないでしょうか?
深く下降して、強く底を蹴れば、その浮力は強くなり、勢いで高く上昇することができます。
フレディは意図的にそれを利用したのではないかと、思ったりしてしまいます。
フレディ、パーティー
遊びながら進化しているのさ!

キリスト教では、神は絶対的な存在であり、人間とは全く別物とされます。
人間は死すべきものであり、生まれながらに原罪を負い、死後は裁きに合うことになっています。
ところがヘルメス思想では、神と人間は本質的に同一であり、同じ一者の異なる現れに過ぎません。
「全は一であり、一は全である」からです。
そして、下のものと上のもの、小宇宙と大宇宙が本質的に同一であり、互いに照応し合っていると考えられています。

ここで思い出していただきたいのは、これまでに書いてきた「真珠の歌」「放蕩息子の帰還」、ダンテの「神曲」、ゲーテの「ファウスト」です。これらは皆、天界から地上や冥界へ下った人間が、天上界を思い出して上昇を始め、最後に天へ帰還するという物語でした、
つまり全てヘルメス思想を継承したものだったのです!
ヨーロッパではキリスト教の裏で、ヘルメス思想が長きに渡り、底流を作っていることが明白です。
フレディがそれを認識していたかどうかはわかりませんが、マーキュリー=ヘルメスを名乗った以上、この流れに加わることを拒否はできません。無意識にせよ、ヘルメスの流れに乗っていたのでしょう。
フレディはヘルメス神の伝令役です。
彼が伝えたかったのは「愛」なのかもしれませんが、「認識(グノーシス)」もどうぞお忘れなく!
 
プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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