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マーキュリー=ヘルメスの「カドケウスの杖」

マーキュリーはローマのメルクリウスであり、ギリシャのヘルメスと同一視されます。
フレディはなぜ自分の名前にマーキュリーを選んだのでしょうか?
マーキュリー=ヘルメスは、オリンポス12神の1人で、様々な性格を持つ多面的な神です。

◯神々の伝令、とくにゼウスの遣いです。

◯旅人、商人の守護神。

◯雄弁、境界、体育技能、発明、策略の神。

◯夢と眠りの神であり、死者の旅路の案内人。

音楽の神。竪琴、笛、アルファベット、天文学、度量衡などを発明し、火の起こし方を発見した知恵者。

◯プロメテウスと共に、ギリシャ神話のトリックスター的存在。

やはり音楽の神であるところが、フレディの守護神として最適なのですね。
天文学の神でもあるので、ブライアンの守護神でもあります。

マーキュリー=ヘルメスの姿は、羽の生えた帽子を被り、羽の生えたサンダルを履いています。
このサンダルを履いていると、どんな鳥よりも速く空を飛ぶことができます。
何となくフレディに似ていませんか?
ヘルメス1

フレディが初期の頃に着ていた、袖と足元に羽のある「マーキュリースーツ」は、このヘルメスを写したものですね。
マーキュリースーツ

マーキュリー=ヘルメスは、2匹の蛇が絡みついた、羽のある杖を持っています。
カドケウスの杖」です。
2匹の蛇は「知恵」を表しています。
この杖は、眠っている人を目覚めさせ、目覚めている人を眠りにいざなうと伝えられています。死にゆく人に用いれば穏やかになり、死せる人に用いれば生き返るという魔法の杖なのです。
また、このデザインはギリシャ・ローマより古くから伝わり、紀元前2000年のシュメールの粘土板にも描かれているそうです。

ヘルメスの杖

フレディはいつも短くしたマイクスタンドを持っていましたが、それは明らかに「カドケウスの杖」を意識したものでしょう。
ヘルメスも左手に杖を持っていましたが、フレディもよく左手でマイクを持っています。
普通、右利きの人は、右手でマイクを持ちませんか?
フレディはこの杖で、みんなを眠らせたり目覚めさせたり、穏やかにしたり生き返らせたりと、魔法にかけていたのでは!?
フレディも甦るといいですね。
それにしても不思議なマイクの持ち方ですね。「フレディ持ち」
フレディのマイク

フレディはいつも有線のマイクを使っていました。
彼はステージを激しく動き回るので、マイクのコードが邪魔なのではないかと思っていましたが、実はこのコードは「カドケウスの杖」の「」なのではないでしょうか?
フレディはマイクのコードを握ったり、鞭のように振ったり、輪を描くように回したりしていました。
彼はマイクコードの「蛇」からパワーを得ていたのではないでしょうか?

マーキュリー=ヘルメスは、冥界・地上界・天界を自由に往来することができ、神々の命令を伝える役目を負っていました。
ヘルメスの姿は、多くの絵画や彫刻として表されてきました。
これはイーブリン・ド・モーガンの「ヘルメス」1870年頃
イーブリン・ド・モーガンのヘルメス

ユングによれば、マーキュリーは「始めであり、終わりに位置する」「原初の両性具有存在ヘルマフロディートスである」
「いちどは二つに分かれて兄ー妹の形をとるが、最後に統合されて一つになる」
「冷たいけれど同時に火と燃え、毒であると同時に妙薬でもあり」「諸対立を一つに結びつける合一の象徴なのである」とされています。
フレディは男と女の間を行ったり来たりしましたが、最後には統合されたのでしょうか。
フレディは差別と被差別、権力と無力、強者と弱者、多数派と少数派などの間で苦しみながら乗り越えました。
ユングは権力の反対語は「愛」だと言っています。
フレディも終生愛を求め続けましたが、一番大切なものは愛でしょうか?
私の考えは少し違いますので、それはまた追って書くことにします。

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メリナ・メルクーリの波乱の人生

フレディは周りの人たちに女性名のニックネームをつけていましたが、自分のことはメリーナと呼んでいました。
これはギリシャの女優、メリナ・メルクーリから取っています。
メリナ・メルクーリ1

メリナ・メルクーリ3

メリナ・メルクーリは1920年生まれで、映画女優として活躍しました。
映画「日曜はダメよ」の中では港町の娼婦を演じ、歌も歌っています。
この映画により、カンヌ国際映画祭で女優賞受賞、アカデミー主題歌賞受賞、アカデミー主演女優賞にノミネートされました。

ところが1967年にギリシャで軍事クーデターが起こり、軍事独裁政権が誕生すると、メリナは反政府運動に身を投じます。
1970年代には反政府活動のために国籍を剥奪され、財産も没収されて、ギリシャに帰国することもできなくなりました。
1977年には映画界を引退し、本格的に政治家への道を歩みます。
軍事政権の崩壊後にはギリシャに戻り、1981年にパパンドレウ政権下で女性初の文化庁長官になりました。
メリナ・メルクーリ2
「日曜はダメよ」を監督したジュールズ・ダッシンと1966年に結婚しました。

メリナの大臣時代の業績としては、イギリスの大英博物館にギリシャのパルテノン・フリーズの返還を求める運動を行ったことがありますが、パルテノン・フリーズは未だに返還されていません。

メリナ・メルクーリのMercouriとは、もちろん英語ではMarcuryのことでしょう。
フレディはメリナからこの名前を拝借したのか、それともたまたま同じ名前だったので親近感を抱いたのでしょうか?
フレディがいつからメリーナと名乗るようになったのか定かではありませんが、
メリナは1967年から政治活動を始めるので、その姿勢に共感したのでしょうか?
1970年代にはギリシャから追放されていたので、フレディは応援していたのでしょうか?
フレディもザンジバル革命で難民になった経験があるので、国外追放されたメリナに共感するところがあったのでしょう。
軍事政権の圧政から、自由を取り戻すために戦ったメリナ・メルクーリ。
フレディも自由への戦いを生き抜いた人生だったのかもしれません。




フレディの作曲の秘密

<フレディなぜなぜシリーズ8>
▶︎フレディは何故あんなにすばらしい作曲ができたのか?

フレディの作曲方法が知りたいと思っているのですが、まだあまり情報がありません。
そんなら書くなって? はい、スイマセン。

フレディは楽譜が読めないと言っているので、当然ながら楽譜は書いていません。
音楽教育を受けた人が作曲する場合は、5線譜に音符とコードを書いていきますが、そのような方法ではなかったのです。
ではどのように作曲していたのでしょうか?
ピアノを弾きながら作っていましたが、録音することもなく、曲は全て頭の中にあったようです。

ブライアンの証言です。
《フレディ・マーキュリーの曲作りについてメイは、「デモテープはなかった。全てはフレディの頭の中と、彼がメモを書きとめた何枚もの小さな紙切れに書いてあったんだ。だから私が文字通りノート(音符)を示し、彼がAフラット、Cシャープ、Dフラットと付けていったのさ」と回想した。》

8月にモントルーのクイーンの元マウンテンスタジオへ行った時、フレディ自筆の歌詞がありましたが、このような小さな紙や、ノートの紙片に書かれていました。
歌詞にコードが添えられたものが1枚だけありました。
フレディの歌詞の紙

楽譜は書かずに作曲していたとは驚異的です!
そしてフレディはいつも先に音楽を作り、後から歌詞をつけていたと言います。
これも驚きなのですが、普通は先に歌詞があり、その言葉の内容に合った音楽を付けていくのではないでしょうか?
つまりフレディは、まず様々なタイプの音楽の曲を作りたかったので、音楽が先行であり、歌詞は付け加えられたものだったのです。
曲作りにおいて、音楽よりも歌詞をつくることにフレディは苦労していたと、ロジャーも証言しています。
フレディが伝えたいことは歌詞よりも音楽だった!
道理でクイーンの歌詞は、ごく私的なものが多く、あまり深い内容のものは少ないのではないでしょうか。

フレディは歌とピアノだけではなく、ギターやベースのフレーズも作っており、プラッククイーンやボヘミアンラプソディの制作には膨大な時間がかかったといいます。
スタジオ使用にはお金がかかりますから、それだけ長時間スタジオが借りられるというのも凄いところです。
スタジオに入ってから曲想を練ることもあったので、クラシック歌手のモンセラート・カバリエのような、楽譜さえあればすぐに完璧に歌える人種とは、録音方法が違っていたのですね。

フレディは1回聴いただけの音楽を、すぐにピアノで再現できるという能力の持ち主でした。
そして合唱の部分では、楽譜がなくても全てのパートを歌うことができたそうです。(イギリスは合唱王国と言われています)
これもすごい能力ですが、他にも合唱指揮者などにはこの能力があり、たとえばバッハの指揮者のカール・リヒターは、何百という曲の8声部の合唱とオーケストラの全てのパートを記憶していました。
モーツァルトは、バチカンのシスティナ礼拝堂で一度だけ聴いた8声部の合唱曲を記憶してしまい、後で楽譜に書きました。

モーツァルトといえば、彼は曲が生まれる瞬間について、このように書いています。
「すべてこれが、邪魔の入らぬ限り、私の魂を燃え立たせる。主題はひとりでに膨らみ、順序だてられて構想ができ、そして長い曲であっても、私の頭の中でほとんど全部完成する。私は瞬時に全体を見渡すことができる。」
はじめに完成していて、後は書くだけだったのですから、まさに天才ですね!

フレディの場合は、はじめに頭の中で完成していることもあれば、スタジオに入ってから色々と練り上げることもありました。
他のメンバーのアイディアと統合していくこともあれば、歌うだけ歌った後の処理はメンバーに任せることもありました。
録音については、先に楽器パートを録音してから、最後に歌を入れることを好みました。
フレディ作曲

アルバム2〜3枚目の初期の頃は「ソングライティングの勉強をしているんだ」と言っていましたから、常にスキルを磨き続けていたのですね。偉いなぁ。
曲作りというのは、初めのアイディアが大切ですが、それを構成して最後まで完成させるのは大変な作業です。
またクイーンは様々なジャンルの音楽を取り入れていますから、何々風の曲を作るという時に、編曲家の手を借りている可能性はあります。確証はありませんが。アレンジャーという職業があるのですから、それなりの需要があるわけですね。
書籍を作る時にも、編集者やゴーストライターが活躍していますが、音楽の世界でも同様です。

いずれにせよフレディは天才です!
あまりに太陽の近くまで飛びすぎてしまったけれど。








フレディのピアノの秘密

<フレディなぜなぜシリーズ7>
▶︎フレディはなぜピアノが上手いのか?

◯フレディはピアノの教育を受けているので、基礎的な技術をきちんと身につけています。
アルペジオやトリルもきれいで、レガート奏法もお手のもの。
7才から9才までピアノのレッスンに通い、「古典、実用、理論のグレード4をやったけど、それを諦めてから、基本的に耳でピアノを弾いた。全然読めなかったから。」とのこと。
フレディは楽譜が読めるようにならなかった。これは教授法が悪かったためなのか?
もし読めるようになっていたら、どうなっていただろうか?などと考えてしまいます。

その後、ロンドンへ行ってから、アートスクールへ入る前によくピアノの練習をしていました。
その頃、フレディは新しい友人たちと、よくブルース系の演奏を聴きに行っていましたが、その中には無名時代のロッド・スチュワートもいました。(フレディは友達を作るのが上手ですね)
ところが日曜日の夕方になると、コンサート会場からフレディがすっといなくなることがありました。それはピアノの練習をするという母親との約束を守るためでした。

◯耳コピーが得意。
フレディは小学生の頃から、ラジオから流れる曲をすぐにピアノで再現することができました。
これは発達障害の特徴ともされますが、フレディの頃には発達障害なんていう言葉はなかったし、それを言うなら音楽家はほとんどみんな発達障害ですから、全然気にすることはありません。

◯影響を受けたピアニスト
インド時代には、リトル・リチャードやファッツ・ドミノが好きでした。
この二人の音楽活動に、大きく影響を受けたと考えられます。
リトル・リチャードは1932年生まれのロックンロールの創始者の一人で、歌手・作曲家・ピアニストです。今も存命しています。
リトル・リチャード

ファッツ・ドミノもロックンロールの創始者の一人で、歌手・作曲家・ピアニスト、そして同性愛者でした。
ファッツ・ドミノ

◯ブギウギが好き
インド時代にはブギウギをマスターして、バンドで演奏していました。
ジェームズ・P・ジョンソン、パイントップ・スミス、ファッツ・ウォーラーなどが好きでした。
ブギウギとは、ブルースの歴史の中で生まれたピアノの演奏スタイルで、左手がブルース風のベースラインを弾き、右手がそれに乗せてアドリブのメロディーを弾きます。その原点は、ジャズの原点でもあるニューオーリンズ発祥のラグタイムにあります。

日本で有名なブギウギ・プレイヤーに、兄弟ピアニストのレ・フレールがいます。
レ・フレールの斎藤守也さんが、ブギウギの習得のために楽譜「左手のための伴奏形エチュード」を出版しました。

◯クラシックが好き
ショパンやラフマニノフが好きでした。ロマンチックですね〜

◯ジャズの影響
フレディはジャズシンガーのエラ・フィッツジェラルドからスキャットの唱法を学んだと言うので、その伴奏ピアノとしてオスカー・ピーターソンなど、往年の名プレイヤーの演奏を聴いていたはずです。

▶︎フレディのピアノには、このようにクラシック・ジャズ・ロックンロール・ブギウギなどが混在しており、それらが総合されて生み出されたのがフレディのピアノなのですね!
クラシックから、ロックのコード奏法、左手のベースライン、オクタープ奏法、アルペジオなど縦横無尽で、ワルツになったりオペラ風になったりと、軽やかに駆け抜けます。
楽譜は読めないけれど、耳コピーは完璧でした!
そして驚異的なのは、ピアノを弾きながら歌っていること!
あの複雑なリズムをとりながら歌えるというのは、ものすごい才能の持ち主ですね!

▶︎フレディの使用ピアノ
フレディはべヒシュタインが好きでした。
世界の三大高級ピアノとされるのは、スタインウェイ・ベーゼンドルファー・ベヒシュタインです。
スタインウェイはアメリカ。ベーゼンドルファーはオーストリア。ベヒシュタインはドイツです。
日本にはアメリカのスタインウェイが多いのですが、ヨーロッパでは伝統的にドイツのベヒシュタインが最高とされていたようです。
ベヒシュタインの工場は、1885年〜第二次世界大戦まではロンドンにもあったので、ロンドンでベヒシュタインを見かけることがあります。
クイーンがレコーディングしていたトライデントスタジオにも、ベヒシュタインがあり、ボヘミアンラプソディーもこのピアノで録音されました。「オペラ座の夜」には、使用ピアノとして、ベヒシュタインとクレジットされています。
トライデントスタジオでは、ビートルズの「ヘイジュード」や、ホワイトアルバムのほとんどの曲がベヒシュタインで録音され、エルトンジョンやデヴィット・ボウイも演奏しました。
イエスのリック・ウェイクマンも、トライデントスタジオのハウスピアニストだったので、このベヒシュタインを弾いていたわけですね。

フレディはオデオン座の公演にも、白いベヒシュタインをレンタルして持って行きました。
これがそのピアノではないかと思います。
白いピアノ

フレディは自宅にもベヒシュタインを持っていました。
これが自宅なのかどうか不明ですが、このピアノは小ぶりですが、中国風の象嵌があり、大変高級なものですね。
象嵌のピアノ

フレディがどこかでベーゼンドルファーを弾いているところも見かけました。
ツアーではいつもスタインウェイのフルコンサートグランドを運んで使っていました。
さすがに高級なピアノばかり弾いていますね。
もうひとつ、イタリアにファツィオリという高級ピアノがあります。
(高級というのは品質が良く、音色が良いという意味で、小さいグランドピアノでも1000万円ぐらいになります。)
フレディがこのファツィオリを録音に使ったことがあるので、最近になってファツィオリの音源が発売され、「マーキュリー」と名付けられています。

これはどこかのスタジオ?
ピアノの上にシンセサイザーを載せています。
ピアノとシンセ


▶︎日本でベヒシュタインを弾いてみたい人は、輸入総代理店のベヒシュタイン・ジャパンのサイトをご覧ください。
https://www.bechstein.co.jp




フレディの声の秘密

<フレディなぜなぜシリーズ6>
▶︎フレディはどうしてあんなに素晴らしい歌が歌えるのでしょう?
私たちはどうしてこんなにフレディの歌に魅了されるのでしょうか?

◯低い声から高い声まで、4オクタープの声域を誇る。
これは男性と女性を合わせた、バスからソプラノまでの声域なので驚異的です!

◯細かいヴィブラートがかけられる。
わざとらしい大げさなヴィブラートではなく、繊細な表現ができる。
この点、60年代のフレディはまだ細かいヴィブラートができなくて、大げさなヴィブラートをかけており、ロジャーと知り合った頃「気持ち悪い」と言われたので、それから奮起してものすごい自己研鑽を積んだのではないかと思われます。

◯音程が良い。
ポルタメントで舐めるように歌った後、瞬間的にバキッと高音に当てることができる。
音程についても、60年代ではまだ不安定でしたが、クイーンのデビューまでには驚異的に改善されています。
フレディはわずか2〜3年で、非常な刻苦勉励をしたと思われます。
これほど短期間に自己を改造できる人間は稀だと思います。
こんなことが可能なんだという標本じゃなかった、お手本のような人間です。

◯声の響きが良い。
声が鼻腔や軟口蓋に、きれいに共鳴しています。
いわゆるミックスボイスとなり、上顎から頭へ抜ける声になります。
これはプロの歌手は必ず身につけている唱法です。
フレディは柔らかいミックスボイスや、強いミックスボイスを自在に操ることができます。

◯多彩な発声を操ることができる。
強い地声、普通の地声、ウィスパー、様々なミックスボイス、ファルセット、シャウト、オペラ風まで、万能に歌いこなすことができる、圧倒的な歌唱力を持っています。
まさに「七色の声を持つ男」。
たとえば、ドント・ストップミー・ナウの冒頭の数小節の中で、「地声で少し空気まじりの柔らかめの声〜エッジのきいた輪郭のくっきりした地声〜急にファルセットを美しく歌った直後に地声に戻る」という芸当をやってのけています。
並大抵のことではありません。
ドントストップミーナウ

◯息の流れが良い。
フレディの特徴は、息の圧力が強く、特有の鳴りがあること。
息の流れを自在にコントロールして、美しいフレーズを歌うことができます。

◯声帯のコントロールが完璧。
声帯を強く閉鎖してコントロールすることができます。
息で声帯を押し切るシャウト系の発音もできます。
声帯の軽やかなガラガラ感もあります。

◯ファルセットがきれい。
高音を綺麗にきかせたいところや、抜きのところでファルセットを使います。

◯倍音が多い。
美しい響きを生み出します。
キラークイーン

とまあ、実にすばらしい歌唱法のオンパレードです。
総合して、フレディは音量に関係なく、共鳴や音色をコントロールすることができる、プロ中のプロです!
とくに私が驚嘆するのは、その多彩な表現力で、言葉のひとつひとつに深く鮮明な表情が込められています。
まさに「歌と共にある、一人の歌手」ですね!

そのような表現力が培われたのは、やはり彼の人生経験と人生観によるものでしょう。
「人の歩んできた道が歌になる」と言われます。
フレディの歌には、どれをとっても深い思いが込められています。
それは力強いけれども繊細で、気品があるかと思えば妖艶になる、不思議なフレディの魅力となっています。

クィーン初期のフレディは、繊細な歌い回しも得意にしていましたが、80年代に入ってスタジアムで公演するようになると、当然のことながら歌い方も変わってきます。
100人のホールと1000人のホールでは歌い方は変わりますから、ましてや10万人のスタジアムでは満場の聴衆に声を届けるためには絶唱系の歌唱になりやすいでしょう。喉を痛めることもあるでしょう。
スタジアムで歌うというのは、クイーン側の要望だったのか、プロモート側の野望だったのかわかりませんが、おそらく後者でしょうが、バンドも変質せざるを得ませんでした。
スタジアムで繊細な歌を歌うことはできませんから、それを封印することは、クイーンが得た成功の代わりの代償といえるのではないでしょうか。

もしもフレディが今も生きていたら

<もしもフレディーが、シリーズ4>
▶︎もしもフレディが今も生きていたら・・・

◯イケてるジイさんになったでしょう。
写真がないのが残念!

◯結婚したでしょう。
イギリスでは2014年に同性婚が合法化されました。

◯クイーンをやめてプロデューサーになる。
Fマーキュリー・レーベルを作って、若手ミュージシャンを育てる。

◯クイーンをやめて政界に進出。その人気から英国首相になる。
女王が首相になるとは、これいかに?
キラークイーンを国歌に制定。ドラッグを解禁する。
移民を保護し、LGBTを国会で重用する。
ゾロアスター教を国教に定める。
やがて国境を無くし、世界は一つの連邦となり、戦争はなくなる。
人々は楽しく幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。

◯引退して画家になる。
これはフレディ自身が語ったことですが、いいですねコレ!
フレディがオークションに絵を出し、鋭くアートの本質を問いかけて画壇を揺るがす。
絵の中にポップアート、現代アート、日本画、浮世絵などを取り入れて新しい絵画のジャンルを作り、絵画の革命を起こすフレディ画伯。

◯ロックオペラを作曲したのではないかしら(母親談)
フレディは子供の頃からクラシックやオペラが好きだったので、ミュージカルやロックオペラを作る。
ロックオペラ「ネヴァーボーリング」がウエストエンドでロングラン公演。やがて世界で上演される。
公演にはバレエも含まれ、フレディもタイツで踊っている。

◯引退して猫と暮らす。
フレディとティファニー
だって猫が好きなんだもん。

真珠のうた

「放蕩息子の帰還」の原型は、グノーシスの「真珠のうた」に求められます。
「真珠のうた」は、原始キリスト教とインドの関わりを示す「トマス行伝」に収められており、「トマス行伝」は紀元前250年頃の作とされていますが、「真珠のうた」の歴史は更に遡るものと考えられます。

「真珠の歌」では、ある王子が光の国から地上の人間世界へ下り、人間の中にある光を持ち帰ろうとしますが、楽しい人間界で暮らすうちにその使命を忘れ、眠り込んでしまいます。
そこへ父王から手紙が届き、王子は目覚めて竜から真珠を奪い、故郷の光の国へ帰ります。
王子は父の家で天の衣服をまとい、人間の原型を回復し、取り戻した真珠によって真の自己となります。

この物語は、元は天にいた光の存在である人間が、人間界に降りて暮らすうちに、本来の自己を見失っているけれども、やがては自分の中の光に気づいて、天へ戻っていく過程を描いています。
宇宙の究極的存在と、人間の本来的自己は本質において一つであるという認識を伝えています。
「放蕩息子」が父親のもとを離れて放蕩三昧をして、後に父親の元へ戻る話と全く同じ筋になっています。
それをダンテが「神曲」で精密に描き出し、ゲーテのファウストに影響を与えていったのですね。
つまり「真珠の歌」→「放蕩息子の帰還」→ダンテの「神曲」→ゲーテの「ファウスト」ですね。

また、ダンテの「神曲」に影響を与えたものとして、中世ペルシャのササン朝のゾロアスター教の異界巡りの書「アルダー・ヴィラーフの書」(9世紀)があります。

真珠の歌」の概要を記します。

 わたしは東方の国の王子であった。父母は、わたしの輝く衣服を脱がせ、魂に契約の言葉を書き込み、わたしが、エジプトへ降り、荒々しい蛇の住む大海の中にある真珠を持ち帰るなら、光の衣服と上衣を着て王国の世継ぎとなると告げた。わたしはエジプトへ降り、蛇の側に宿った。わたしはエジプトの衣をまとい食物を食べたので、自分が王子であることも真珠のことも忘れて深い眠りに落ちた。東方の父と諸王は、鷲の姿で手紙を運ばせた。それは言葉となってわたしを目覚めさせ、わたしの魂が求めていたことと一致した。わたしは、東方の父王と母の女王の名を唱えて、真珠を奪い、穢れた衣服を脱いで故郷の光である東方へ帰った。父の家に残した衣服はわたしと同じになり、自分の全体を見出して、わたしは一つになった。わたしは王者の上着をまとい父の輝きを拝した。

少し説明を加えます。
・「蛇」または「竜」とは、悪の原理であり、この原初の竜は、欲情によって天使をも堕落させました。
・「大海」とは、死すべき人間たちが沈み込んだ闇のこと。
・「エジプト」とは、無知と物質の「この世」を表します。
・「エジプトの衣」とは、肉体のこと。
・「手紙」は、この世に送られた主の心であり、下界に眠る人間の魂に向かって呼びかける声を意味します。
・「天の衣服」とは、「認識(グノーシス)の衣服」であり、これによって人間は原型的なイデアを回復します。
・「真珠」とは、すべての人間に内在する魂、つまり「真の自己」のこと。


私は20年ぐらい前に、ある市の助成を受けて、「真珠の歌」を舞台化しました。
音楽、演劇、インド舞踊、現代舞踊、映像を組み合わせたステージで、王子が竜と戦うシーンでは、キング・クリムゾンの「RED」を使いました。竜は舞踏家が演じた素晴らしいものでした。
王子が光の国に帰還するところでは、バーバーの「弦楽のためのアダージオ」を使いました。
私は演出は専門外なので大変でしたが、とても思い出深い作品になっています。
他の舞台では、アフリカンダンスを使ったり、私もエジプトの預言者になったりしました。笑

フレディは光の国からやって来て、音楽で人々を感動させ、励ましましたが、放蕩息子も演じました。自分の生の限界を知った時に、真珠を見つけることができたでしょうか。今はまた光の国への道を歩んでいるでしょうか。
フレディは光の国から来た王子だと思いますが、私たちもみんな同じなんですよね。
チェッックのフレディ






放蕩息子の帰還

フレディについて、「悪魔学」「ファウスト博士」「神曲」と来ると、次に思い浮かぶのは「放蕩息子の帰還」なのです。
「放蕩息子の帰還」はキリスト教の話ですが、ルーツはもっと古い昔にあります。

「放蕩息子の帰還」の物語。
⭐︎ある人に、二人の息子がいました。
弟が父親に財産を分けて欲しいというので、分けてやると、弟は家を出て遠いところへ行き、そこで放蕩に身を持ち崩して財産を使い果たし、食べるものにも困るようになってしまいました。

⭐︎そこで弟は父親を思い出し、父のところへ帰ることにしました。
弟は父親から息子と呼ばれる資格はないと思っていましたが、家に帰ると父親は大喜びをして弟を抱きしめ、最上の着物を着せて、指輪を嵌め、履物を履かせ、ごちそうを食べさせました。
「もう死んだと思っていた息子が生き返り、いなくなっていたのに見つかったから」と父親は喜びました。

⭐︎すると兄は驚いて、自分は今まで父親にずっと仕えてきたのに、どうして放蕩の限りを尽くした弟ばかりを歓待するのか、不平を言いました。
父親は兄に「あなたはいつも一緒にいるし、私のものは全部あなたのものだ。しかし、あなたの弟は死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当たり前である」と言いました。

▶︎この放蕩息子は、イスラエル民族の姿であるとも言われますし、ユダヤ人にとっての異邦人である私たちを指しているとも言われます。私たちは放蕩息子のように神から離れ、自分の欲望のままに生きてきました。

▶︎父親は、息子たちの人生を自分で選ぶ自由を与えています。
気前よく財産を分けてやり、息子が遠くにあれば、息子の帰りを待ちわび、息子が帰ってくると彼の罪をとがめることなく、最高のもてなしと共に、大喜びで自分の息子として迎え入れます。

▶︎父親が表す神は、人々に自分の人生を選ぶ自由を与えていますが、その結果は自分が刈り取ることになります。

▶︎兄息子は、父親と共に住んでいても、彼の心には平安も喜びも感謝もありませんでした。
兄は自分を正しい人だと思っていましたが、偽善と強欲に陥ってしまっていたのです。

「お父さん、ごめんなさい」「よしよし、フレ坊や」
放蕩息子の帰還

私はキリスト教徒ではではありませんし、いかなる宗教や団体にも属していません。
ただ西洋文化の理解のために、聖書の話を引用しています。
これは聖書に載っている話ですが、もともとは古代オリエントの伝承に由来しています。

「放蕩息子の帰還」といえば、どうしてもフレディを思い浮かべてしまいます。
フレディは父親の元へ帰ることはありませんでしたが、亡くなってから天の主の元へ還ったことでしょう。
ゾロアスター教ならばアフラ・マズダーですね。
フレディはアフラ・マズダーから沢山の財産を貰い、遠い地球へ旅をして来ました。
財産とは、音楽の才能や、恵まれた容姿、身体能力、知力、感性などですね。
そして自分の選択で放蕩をするうちに、財産を無駄遣いしてしまいました。
財産とは、自分の本質や存在という意味もあり、自分自身を傷つけてしまったことになります。
自分で蒔いた種は自分で刈り取ることになり、人生の半ばでこの世を去りましたが、それもメイド イン ヘブン(生まれる前に決められたこと)だったのかもしれません。
フレディは地上で楽しく遊んでいるうちに、自分の目的を忘れ、享楽的になってしまいましたが、病気がわかってからは自己の人生の目標をしっかりと定め、音楽家の人生を全うしました。
亡くなった後は、ちょっと地獄で遊んだりしながら、天のアフラ・マズダーを目指して山を登っているでしょうか。
天の神の元へ戻れば、きっと神は大喜びでフレディを迎え、ご馳走をして、ご褒美をくれることでしょう。
遠い地球まで行って、本当に良くがんばった、多くの人を楽しませたな、と言って。

「放蕩息子の帰還」は、ディアギレフの依頼により、プロコフィエフがバレエ音楽を作曲し、1929年に初演されました。
1980年代にはバシリニコフによって再演され、熊川哲也も踊っています。
熊川哲也は、1989年に英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団、同年17才でソリストになりました。1993年にはプリンシパルになります。
バレエが好きなフレディも、熊川哲也のバレエを見たでしょうか。

プロコフィエフのバレエ音楽「放蕩息子」
プロコフテエフ 放蕩息子




ダンテの「神曲」

1985年のフレディのソロアルバムに「メイド イン ヘブン」が入っています。
「メイド イン ヘブン」とは「天の配剤」という意味で、何かフレディの運命が決められていたかのような曲になっていますが、実はまだ病気のことなど全く知らなかった時期に作られた曲なのです。
これは良い曲だと思いますが、オフィシャルPVを見ると、フレディが赤いマントの怪人になって(ごめん、天地創造の神様なのかな)、地面には苦しそうな人間たちがのたうち回り、フレディは新しい地球の再生を成し遂げます。
このPVを見た時、やだこんな気持ちの悪い地獄は見たくないわ、ほんとにもうフレディは地獄が好きなんだから、と思いました。
ところが後で、このPVはダンテの「神曲」を表していると知り、俄然興味が湧きました。
この赤いタスキとマントの怪人ですね!
赤いマントの怪人
PVはこちらへどうぞ。
https://mewbo.jp › song › video › freddie-mercury-made-in-heaven

ダンテは1265年、イタリアのフィレンツェに生まれた詩人・哲学者・政治家で、1307年から1321年にかけて「神曲」を書きました。
「神曲」は3部に分かれており、「地獄編」「煉獄編」「天国編」となっています。
「神曲」が発表されて以来、西洋では基礎教養としてこの世界観がベースにあったので、沢山の芸術家がこの作品をもとに創作を行ないました。とくに西洋美術を鑑賞するためには欠かせない存在になっているので、アートスクール出身のフレディも、もちろん神曲を知っており、この芸術家の系譜に連なったわけですね。

フレディが好きな「地獄編」。
ここは9つのエリアに分かれており、生前に犯した罪によって、その罰が決まっており、歴史上の人物たちが配されています。
この世界は、一番上の世界が一番広く、そこから下へ降りるに従ってだんだん狭くなっていき、全体には漏斗のような形になっています。
ボッティチェルリが描いた地獄の9階層
ボッティチェルリの地獄

まず、地獄の門には、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という銘板があります。
そしてアケローン川が流れており、冥府の渡し守カロンが、亡者を船に乗せて地獄へ連れて行きます。
地獄は三つの邪悪「放縦」「悪意」「獣性」を基本として、それぞれが更に細分化された「邪淫」「貪欲」「暴力」「欺瞞」などの罪に応じて、亡者が各々のエリアに振り分けられていきます。
ダンテが尊敬していた恩師のラティーニは男色だったため、地獄の住人として登場します。

地獄の最も重い罪は「裏切り」で、一番下に裏切り者たちの輪があり、その中心にいるのが大魔王のルシフェルです!
ルシフェルはもともと神に仕える最も崇高な天使でしたが、神に反逆したことで地上に落とされた堕天使です。
ルシフェルが地上に落とされた衝撃で開いた穴が地獄になりました。
フレディが友人の裏切り行為を最も嫌ったのは、ここから来ているのかもしれません。

次に「煉獄」とは、
天国には行かれないけれど地獄に行くほどでもないという中間の世界で、罪を清めることによって天国へ入ることができるようになります。これはカトリックの考え方です。
煉獄には7つの罪があり、「高慢」「嫉妬」「怒り」「怠惰」「貪欲」「大食」「色欲」を清めていくことが必要です。

そして「天国」では、
「月光天」「水星天」「金星天」「太陽天」「火星天」「木星天」「土星天」という7つの天の上に、「恒星天」「原動天」「至高天」という3つの天があり、全部で10の天界から成っています。
ダンテは永遠に愛する乙女ベアトリーチェに案内され、知恵ある魂や聖人たちに会い、ついには天使たちの群れの中で、一瞬だけ神の姿を見るのです。

天国のイメージ
天国のイメージ

最後の行には「(神は)太陽やその他の星を動かす愛である」と結ばれています。

ダンテの「神曲」は、ダンテ個人の創作ではなく、紀元前以来の人類の知恵の統合されたものです。
「天国編」は、古代バビロニア以来の宇宙観そのもので、これが古代ギリシャに受け継がれました。
「地獄編」は、キリスト教の教父たちが聖書を編纂しながら、悪魔学の研究をするうちに作り上げたものでしょう。
それらにはゾロアスター教の影響もあるので、フレディには興味深いものだったことでしょう。

ダンテは生涯をかけてベアトリーチェを愛しました。
同い年の彼女とは9才の時に知り合い、18才で再会すると、彼は激しい恋に落ちました。
しかし実際に付き合うことはなく、お互いに違う相手と結婚し、ベアトリーチェは24才の若さで亡くなってしまいます。
その時、彼は半狂乱に陥ったといいます。(他の女性と結婚しているのに)
そして生涯をかけてベアトリーチェを、詩の中に永遠の存在として賛美していくことを誓いました。
「神曲」では、ベアトリーチェは天国にいてダンテを助ける永遠の乙女として描かれています。

シェフェール作 ベアトリーチェ 1846年
ベアトリーチェ

ゲーテの「ファウスト」も、もちろんこの「神曲」を下敷きとして書かれていることがわかります。
「ファウスト」のグレートヒェンの原型は、神曲のベアトリーチェだったのです。

「ファウスト」には、「永遠に女性なるもの、我らを引きて昇らしむ」という言葉があります。
 行動的で闘争的な「男性原理」に対する、安らぎと調和を志向する「女性原理」の働きを述べたものと言われます。
フレディ最後の「マザーラブ」を彷彿とさせますね。

そしてフレディにとってのベアトリーチェは、あのメアリーだったのでしょう。





悪魔との契約「ファウスト博士」

西洋には「悪魔との契約」という概念があります。
悪魔と契約すれば、自分の力では獲得できなかったこの世での成功、権力、財力、快楽などを手にいれることができます。
その代わり、契約期間が過ぎれば、悪魔に魂を奪われることになります。
悪魔と契約をしたとされる人物で、最も有名なのは「ファウスト博士」でしょう。

16世紀のドイツに生まれたファウスト博士は、とても利発で神学を学び、神学博士になりました。
でも思い上がったところがあり、聖書をないがしろにして、天地の奥深くまで極めようとして、悪魔を呼び出しました。
ここで呼び出された悪魔メフィストフェレスとの間に24年間の契約を結び、ファウストは悪魔の力によって、あらゆる享楽的なことを体験しました。
悪魔、天使、地獄、天体の運行、神による天地創造などの知識を手に入れ、実際に地獄や星の世界も旅をしました。
ところが24年の契約期限の日が来ると、ファウストが住んでいた建物が大きく揺れ、ファウストが「助けてくれ!」と叫びました。
翌朝、みなが見に行くと、ファウストの身体はバラバラになっていました。

ドラクロワが描いたファウスト
ドラクロワのファウスト

この話に興味を持ち、生涯かけて「ファウスト」を書き上げたのが、ゲーテです。
ゲーテの「ファウスト」では、ファウストが悪魔と出会い、死後に魂を受け渡すことを条件に、現世でのあらゆる快楽や悲哀を体験させるという契約を結びます。
ファウストは純真なグレートヒェンと恋をし、子供もできますが、邪魔な母親を毒殺し、彼女の兄も決闘の末に殺してしまいます。
彼女は赤子殺しの罪で逮捕され、悲しい別れとなります。
様々な野望を果たしたファウストですが、最後に死ぬ時に、魂を取りに来たメフィストフェレスの意に反して、グレートヒェンの天上での祈りによって救済されます。

ゲーテをもとにしてオペラ「ファウスト」を作曲したのが、フランスのグノーです。
9月に英国ロイヤルオペラの東京公演「ファウスト」を見ました。
8月にロンドンへ行った時は、オペラのシーズンではなかったのですが、東京で見ることができたのです。
主演の歌手はイタリア人で、とてもすばらしい歌に感動しました!
ストーリーは、男性がどんなに悪いことをしても、最後には純粋な女性の祈りによって救われるというのは、ちょっと甘いんじゃないの?と思いますが。

グノーの「ファウスト」は、設定が19世紀のフランスになっているので、「地獄」という名前のキャバレーが出てきます。
これを見てフレディは「地獄って楽しそうだな」と思ったのでは?

イギリスのロイヤルオペラは、世界5大オペラの一つに数えられており、(他は、ウィーン国立歌劇場、ミラノのスカラ座、パリのオペラ座・ニューヨークのメトロポリタン歌劇場です) 1732年にコヴェントガーデンに建てられてから、長い歴史を持っています。
英国ロイヤルオペラ

この世界最高のオペラハウスへ、オペラやバレエを見るために、フレディは17才から通ったに違いありません。
おそらく「ファウスト」も見たことでしょう。
学生は安く見ることができるので、あまりお金がなくても充分楽しむことができます。
このすばらしいオペラハウスがあるロンドンに住んでいたのですから、私は心底フレディが羨ましい!

これがフレディの愛した夢の世界
ロイヤルオペラハウス

フレディはゾロアスターの悪魔や、キリスト教の悪魔を知っていた。
悪魔との契約をしたファウスト博士も一般に知られています。
フレディは若いころ、悪魔学の勉強をしていた。
・・・ということは、フレディも悪魔と契約して、世の中のあらゆる富と成功と快楽を手に入れたいと思ったでしょうか?
もしかして本当に契約したのでしょうか? 
ま、まさか、そんなことは絶対に考えたくない!
でも世の中のあらゆる富と成功と快楽を手にいれたことは事実ですね。

ファウストは悪魔と契約をしてから24年で、体がバラバラになって死にました。
フレディは1970年にクイーンを結成してから21年で亡くなりました。
まさか「伝説になる」という契約をしたんじゃないでしょうね?!
彼は亡くなる何年か前から、時々大変何かに脅えていたと、ジム・ハットンが書いています。
それは何かの幻影に苦しめられていたのでしょうか?
たとえば悪魔が来るような?
でもそれは幻影にすぎません。
なぜなら日本には悪魔はいないから。
悪魔は人間の集団意識が作り出した影なので、日本に来ればいないのです。
フレディあくま

1960年代から1970年代の英米ののロックシーンでは、悪魔的なバンドがいくつも活躍していました。
たとえばブラック・サバスはそのまんまですし、ジミー・ペイジもアレスター・クロウリーに傾倒して黒魔術に熱中していたとされますし、キッスも地獄からの使者ですよね。
ですから悪魔に興味を持つことは、それほど不思議なことではないのですが、あまりのめり込まない方が良いことは確かですね。
(そういえば、ジミー・ペイジもフレディと同様にアート・スクール出身なのですね)

それから、フレディが尊敬するヴァイオリニストで作曲家のパガニーニは、余りにもヴァイオリンが超絶的に上手いので、「パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ」と噂されていました。
この話にもフレディは魅了されたのかもしれませんね。

手塚治虫も「ネオ・ファウスト」を描きましたが、未完に終わり、絶筆となりました。
ファウストの物語は、多くの人を魅了してやまないのですね。








「悪魔学」について

フレディが70年代のインタビューで、「いまデモノロジーの勉強をしているんだ!」と、目をキラキラさせながら嬉しそうに言っていました。
demonologyとは「悪魔学」のことで、字幕では「悪魔教」となっていましたが、それは間違いで、宗教ではありません。
「悪魔学」とは、悪魔に対する考察、研究のことですね。

こんなにかわいい顔をして、悪魔学の勉強をしていたフレディ。
フレディ 悪魔学

若いうちは死に憧れたり、悪に惹かれたりするのは良くあることだと思いますが、「悪魔学」とは何でしょう?
じつは日本には、もともと悪魔は存在せず、明治維新後に西洋から入ってきたものなので、日本人には馴染みが薄いものです。
日本にいたのは「」や「狐つき」なので、ベビーメタルのファンは狐のフィンガーサインで応援するのですね。

悪魔が日本にいなかったとはいえ、私たちが西洋文化を理解しようとするならば、悪魔の理解は必須になります。
西洋文化の理解のためには、ギリシャ神話とキリスト教の理解が必要とされますが、次に重要なのは悪魔学ですね。

「ボへミアンラプソディ」にも悪魔ベルゼブブの名前が出てきます。
Beelzebub has a devil put aside for me 「ベルゼブブが僕を始末するために、悪魔を一匹用意しているんだ」
ん? 悪魔とベルゼブブは違うのか?

それでは悪魔について、ひもといてみましょう。
まず、悪魔はどのように生まれたのでしょうか?
ユダヤ教・キリスト教のような一神教の世界では、神は完全に善なるものでなければならず、するとどうしてもこの世の悪について説明する必要がありました。そのために、神に敵対する悪の根源としての悪魔が生まれたのです。
ユダヤ教・キリスト教の悪魔は、サタン、デヴィル、デーモン等と呼ばれます。
the Devil は悪魔の中で最高の地位にある魔王。
ボヘミアンラプソディの a devil は、その配下の小悪魔になります。

ベルゼブブとは「ハエの王」という意味で、新約聖書ではサタンと同一視されている悪魔の頭(かしら)です。
もとは旧約聖書で、カナン人の「至高の王」という名前の神だったのですが、ヘブライ人にとっては「異教の神」だっので、嘲笑的に「蠅の王」と言い換えたものです。

これが「蠅の王」ですが、これってそのまんまですね。
蠅の王

余談ですが、フレディが映画「レイダース 失われたアーク」を見た時に、男の口にハエが入るところを見て、腹がよじれるほど笑ったというのです。
これは男が「蠅の王」を食らったという意味にとらえたからだったのでしょうか?
口の中にベルゼブブが入ったらコワイですよね〜
そういえばハエと人間の遺伝子が混じる「ハエ男」という映画もありましたが、これもメタファーだったのか。そうか〜今頃わかった!

ところでユダヤ教・キリスト教では、本来は全能なる神で全てが説明されるはずなのに、神とは別に悪の原理である悪魔が存在します。
これはユダヤ教・キリスト教が二元的性格を持っているということであり、それは実はゾロアスター教の影響だったのです!
ゾロアスター教の最高神は善なるアフラ・マズダーですが、この神は全能の絶対的支配者ではなく、はじめから善に敵対するアーリマン(アンラ・マンユ)という悪魔が存在していました。アーリマンは絶対的な悪の原理です。
アフラ・マズダーとアーリマンの争いは、宇宙が存在する前から始まっていて、アーリマンは完璧だった世界に戦争・憎悪・病気・貧困・死をもたらしました。それから、この世界では善と悪の過酷な戦いが繰り返されることになったのです。
フレディはベルゼブブの前に、アーリマンを知っていました。アーリマンからベルゼブブが生まれたことを知っていたのです。

アーリマンのイメージ。かわいい
アーリマンのイメージ

他に有名な悪魔として「ルシファー」がいます。
ルシファーは「光をもたらす者」という意味で、実は野望のために破滅したバビロニア王として、旧約聖書に一度だけ登場するのですが、2世紀〜5世紀にかけて天界にいたルシファーが落ちて悪魔になったという伝説が出来上がりました。
ルシファーは善なる天使だったのですが、自分こそ最高だと考える傲慢の罪によって堕天したと考えられました。
堕天使ルシファーはサタンとなってしまったのです。
ルシファー

さて、一神教の世界では様々な悪魔が誕生しましたが、キリスト教では4世紀頃になって、新約聖書を正典としてまとめる必要が生じました。それはキリスト教と敵対するグノーシス主義の影響を排除するために、明確な神学を打ち立てる必要があったからです。
その神学の一部として、悪魔学が成立したので、もともと悪魔学とは神学であったのです。

グノーシス主義では、物質でできたこの世界は悪の世界であり、デミウルゴスという悪神が造ったとされます。
地上にいる人間はデミウルゴスの配下に支配されていますが、キリストが現れたことにより、デミウルゴスではなく真実の善なる神が存在することに気づきました。
人間はデミウルゴスが作った肉体に閉じ込められていますが、その中には真実の神が発した火花があります。
大切なのは真実の神の火花を、物質から解放することであり、そのために必要なことがグノーシス(知識)を得ることなのです。

3世紀にアフリカに生まれた教父ラクタンティウスによると、宇宙に善と悪の原理があるように、神は人間にも善悪の原理を与えました。それは魂と肉体です。魂は神を求めますが、肉体は悪魔に属します。
だから悪魔は食欲・性欲・富・権力・名声など、肉体の欲望を利用して、人間を開くへ導こうとします。
人間は、一方は天国へ、一方は地獄へ通じる道の分岐点にいるのです。

フレディも若いころ、善悪の問題について考え、これから自分の人生を切り開くに当たり、富や名声などを求めて、悪魔に魅力を感じたのかもしれません。
20代の時のステージのMCで、指に大きなガラスの指輪をはめて「これは本物のダイヤモンドだ! 悪魔からのプレゼントだよ!」と言っていましたよね。
「マーチ オブ ブラッククイーン」も黒い女王に従って、みんなで地獄へ行こう〜という歌でしたから、どうも若い頃は地獄や悪魔が好きだったようですね。
私はフレディは好きですが、一緒に地獄には行きません。フレディ、ちょっと地獄に行ってきて、それでまた帰ってきてね。
フレディの悪魔学への傾倒は、ゾロアスター教の家系や、キリスト教社会への若者らしい抵抗だったのではないでしょうか?








「表現の不自由展」再開

「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展」が再開されました。
韓国の「少女像」などが展示されていたため、一部の人から展覧会の中止を求める抗議の声が相次ぎ、安全上の理由から中止されていたものです。
韓国の「少女像」は、反日目的のものではなく、少女の隣に座れるようになっており、平和への願いを込めて制作されたもの。

「表現の不自由展」とは、もともと各地の公共施設で展示が不許可になった作品を集めて、なぜ不許可になったかの理由と共に展示していました。
それは日本において、次第に言論と表現の自由が脅かされているのではないかという危機感から企画されたもので、「慰安婦」問題、植民地支配、憲法9条、政権批判など、最近の公共施設ではタブーとされやすいテーマの作品を集めたものでした。

いちど不許可になったものを、また公共施設で展示するというのも大胆な企画ですが、その企画内容を知らなかった名古屋市長も困ったものですね。
行政のトップの方は、表現の自由を守る立場にあるはずです。

この展覧会が中止に追い込まれた頃、私はある市の副市長や美術館長、文化会館長たちに、表現の自由について質問したのですが、その時には全ての館長さんたちが「表現の自由を守る」と答えて下さったので、頼もしく思いました。

クイーンも82年の「ボディランゲージ」や、85年の「リヴィング オン マイ オウン」のPVが余りに退廃的なので、放送禁止になったことがありましたね。
「ボディランゲージ」はかなり表現がボカされているし、「リヴィング・・・」は登場人物が少なくて、それほど派手なパーティーには思えなかったのですが、最近公開されたバージョンでは未見のカットがかなり復活しています。

リビング オンマイ オウン

この頃、フレディは盛んに孤独だ、孤独だ、世界一孤独なんだと言っていますが、
クイーンのメンバーはいるし、最愛のメアリーはいるし、近くに家族も住んでいるし、なんでそんなに孤独なんでしょうね?
ダイヤ柄のタイツを穿いているので、またしても自分は道化師だと思っています。
ただ、周囲を見ると、テーブルの上に椅子が逆さまに乗せられていて、これはパーティーが終わって片付けている場面です。
この「宴の後」というのは寂しいものなんですよね。
パーティーが華やかであればあるほど、その後の静寂は重く、闇は深くなります。
一般人ならば、忘年会が終わって家へ帰れば、ヤレヤレとなりますが、フレディが派手なパーティーを開いた後に、一人暮らしの家へ帰れば、そりゃ冷たい孤独を感じることでしょう。落差が大きいのですよね。
音楽業界は華やかな世界ですし、振れ幅が大きい人ですからね、フレディは。

表現の自由についてでした。
表現の自由は守られてほしいですが、何でもかんでも可能というわけではなく、たとえばチャイルドポルノなどは厳重に罰せられるべきでしょう。
他人が作ったものをパクって、それでお金を儲けようというのも良くありません。

とにかく、なるべく表現は自由であってほしいと思います!!




ロンドンのクイーンツアーなら「アートローグ」

ロンドンの「アートローグ」のご紹介です。
アートローグをご紹介します。
アートローグは、ロンドンを拠点として日英文化の交流を行なっており、
個人旅行でイギリスへ行く人に「文化の旅」を企画し、日本語で案内するサービスを提供しています。
イギリスの歴史の旅や、ミュージアムの案内、そしてブリティッシュロックの聖地巡りなど、様々なコースが用意されていますし、個人の要望に沿ってコースを組み立てていただくことも可能です。
何を隠そう私も8月にロンドンで、クイーンやロックシーンの跡地などを案内していただいたのです。
ロンドン在住の方でなければわからないパブや細い路地などを攻略し、とてもコアな旅行となること請け合いです。
案内して下さったアートローグ主宰の吉荒夕記さんは、ロンドン大学の美学部にて博士号を取得された博物館学の専門家です!
先日ご紹介した『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』の著者でもあります。
イギリスの歴史や文化、ロック、ストリートアートなどに興味がある方は、ぜひアートローグのサイトをご覧ください。
そしてどうぞ実際にロンドンを訪れて、ディープなアートの世界に浸っていただけますように!

ArtLogue
www.artlogue.net

FACEBOOK: https://www.facebook.com/artlogue.net
Email: yyoshiara@artlogue.net
Mobile: +44 (0)77 1267 2946

クイーンの個人コースはこちら。
https://www.artlogue.net/culture-tour-rock-queen/
クイーンの個人コース


アートローグでは、個人旅行の案内だけではなく、
ミュージアムやクリエイティブ産業に携わる個人/法人向けに、イギリスにおける調査代行や、日英の文化事業をつなぐ交流コンサルタント、同行通訳等のサポートを提供しています。

吉荒さんご本人の言葉です。
「観光ブックには載っていない、ロンドンの面白さを、ロックから、アートから、建築から、歴史から、ブラタモリのように地形から。。。(笑)
日本のみなさんに知っていただければこんな嬉しことはありません。」

どうぞよろしくお願いいたします!

フレディはなぜメアリーが好きなのか?

<フレディなぜなぜシリーズ・その5>

フレディはなぜメアリーが好きになったのか?
それはフレディが好きなライザ・ミネリに、メアリーが似ているからではないでしょうか?
フレディとメアリー

ライザ・ミネリ
ライザ・ミネリ

フレディはメアリーに出会った時に「あっ、ライザ・ミネリだ!」と思ったのではないでしょうか?
2人とも目が離れていて、似ています。

メアリーというのは稀有な人生を生きた人ですね。
まだ生きているので、まさに生ける伝説です。
メアリーはロンドン南部のバタシーに生まれましたが、バタシーといえば、ロックファンならば知らない人はいない、ピンクフロイドの「アニマルズ」のジャケット写真、この発電所があるところです。
ピンクフロテド アニマルず

「アニマルズ」は、動物を使って人間社会を批判するもので、資本家は豚になぞらえられています。
ジャケット写真の撮影のために、ビニールに空気の入ったピンクの豚を飛ばしたのですが、風で飛んで行ってしまい、ヒースロー空港のフライトは停止するわ、イギリス空軍が探索に乗り出したという曰く付きのものです。

当時のロンドンの治安は「北は安全、南は危険」とされていました。
バタシーはロンドンの南にありますが、最近では再開発が進み、安全な地域になりつつあるそうです。
この発電所も残念ながら2014年に取り壊され、新しいショッピングモールになってしまったそうです。

メアリーは経済成長のために、資本家によって大気が汚染された、この町で生まれました。
両親は聾唖者で家は貧しく、メアリーは15才から働きに出たので、高等教育を受けることはできませんでした。
そしてBIBAの店員をしていた18才の時に、フレディと出会うのです。

メアリーの際立つところは、フレディとの恋人関係を解消してからも、親友としての関係を続けたところでしょう。
彼女はフレディの数多くの恋人たちが現れては消えるのを傍観し、時には複数の恋人たちと同席していました。
そのようなハーレム状態を受け入れられるというのは、自分に絶対の自信があったからなのでしょうか?
それとも有名でお金持ちになった元カレから離れられなかったのでしょうか?

フレディはメアリーと婚約までしたのに結婚しなかったことで、彼女に対して強い罪悪感を持っていました。
婚約破棄など、それほど珍しいことではないので、なぜそれほどまでに強い罪悪感を持ったのか不思議です。
婚約解消のかわりに、フレディはメアリーに家を買ってあげ、自分の秘書として雇い、給料を支払っていました。
そしてフレディが病気になると、自分がいなくなってもメアリーが暮らしていけるように、小さな会社を作ってあげました。
そのうえ莫大な財産の半分を残し、印税も入るようにしてあげたのです。
メアリーは貧しい家の娘から、大邸宅の女主人になりました!
まさに現代のシンデレラストーリーです!

フレディはなぜそこまでメアリーを優遇したのでしょうか?
メアリーは貧しい育ちだったので、お金や物を大切にし、謙虚で誠実な人柄だったようです。
高い教育も受けられず、手に職もなかったので、一人では生きていけない、か弱い女性だったので、守ってあげたかったのでしょうか?
メアリーは両親とは手話で話し、会話をすることができなかったので、寂しい思いをしていたので、同じような孤独を抱えたフレディとは共通するものがあり、お互いを必要とするようになりました。
2人の写真を見ると、フレディの方が強く彼女を求めているような気がします。

メアリーの言葉です。「私は周りからどんなに嫉妬されても気にせず、謙虚にして、決してフレディを裏切らなかった。」
これが全てを物語っているように思います。

ライザ・ミネリ似のメアリー、
そしてもう一人、面差しが似ている人がいます。
フレディのお母さんもちょっと目が離れていますね。
これぞmother love 母の愛ですね!
フレディの母

フレディの学歴

ロックミュージシャンにゃ学歴なんか関係ねえよ!
確かにその通りで、それを言っちゃあおしまいなんですが、イギリスの教育制度と若者のロック文化は関係があるので、ちょっとそのことについて。
1960年代のイギリスでは、国民の生活水準が高くなって中流階層が増え、子供のに高等教育を授けることが可能になってきました。
1963年の「ロビンズ報告」によって、高等教育機関の拡大が行われ、新しい大学が7校発足し、1968年には大学が44校なになっていました。

イギリスは日本とは異なり、1967年の18才人口のうち、大学へ進んだ者はわずか6.3パーセントでした。
イギリスの大学とは、まさに選び抜かれたエリートの集まる場所だったのです!
一般に「ロック」といえば、貧しい労働者階級の若者が憧れるアメリカンドリームのようなイメージだったのですが、クイーンのメンバーたちは大卒というエリートでありながら、大衆文化のロックを選んだのです。
クイーンというバンドの特徴は、メンバー全員が高学歴だというところにもあり、私も当初はそこに興味を持った覚えがあります。

イギリスでは、大学とカレッジ、高等教育機関上級コースの学生たちには奨学金があり、全体の90パーセントの学生が奨学金を受けています。その奨学金は後で返済する必要がありません。ここが日本との大きな違いですね。日本も見習いたいところ。

奨学金の額についてですが、1971年頃は1ポンド860円!で、自宅ではない学生は1978年〜1989年で、年間1315ポンド貰うことができました。これは年間113万円で、なんと失業手当の5倍もの高さだったのです。その奨学金目当てに大学を目指す若者も増えたそうです。
(現在は1ポンド130円ですから、なんと当時は6.6倍!! とてもイギリス旅行なんてムリですね。)
ロジャーは歯科医を目指していましたが、1年ほどで退学し、ロックバンドの活動をしながら古着屋を営んでいましたが、それでは生活が苦しかったため、奨学金目当てで別のカレッジへ入学しました。

一般に欧米の若者は実家を出る年齢が若く、ロンドンでは16才で親元から独立するのが当たり前だそうですが、これは奨学金という背景もあって可能になることでもあるわけですね。

クイーンのメンバーも学生になり、奨学金を貰いながら、ブライアンは家庭教師のアルバイトもしていましたが、比較的自由になる時間を持つことができたために、音楽活動に邁進することができたのです。
また大学では、コンサートを行なったり、グループのメンバーを募集したり、仲間同士で情報交換をしたりするための、恰好の場所を提供していたのです。

クイーンが初めてコンサーを行なったインペリアル・カレッジの教室
インペリアル・カレッジ教室

インペリアル・カレッジの外壁には「1970年7月18日 ここで初めてクイーンが公的演奏をした」という銘板があります。
インペリアル・カレッジの銘板

クイーンのメンバーは全員が学位を持つインテリバンドなのですが、これはイギリスの高等教育制度のおかげで生み出された若者文化の賜物と言えるのです。
それに伴い、クイーンのファンたちも高等教育を目指し、大学という恵まれた環境で楽しい時間を過ごしたいと思うようになっていきました。当時はこのような「クイーン効果」もあったのですね。

フレディは美術が得意だったので、アートスクールへの進学を志望しましたが、入学にはアートの1科目でAレベルが必要なため、予備校のようなところでAレベルを獲得、1966年にイーリング・カレッジ・オブ・アートのグラフィックデザインコースに入学しました。

イーリング・アート時代のフレディ。1968年
イーリング・アート時代のフレディ

アートスクールとは、高等教育の中で継続教育機関上級コースに属しており、大学と同じ価値を持っているが、大学よりは進学がしやすい条件になっていました。
アートスクール出身のロックミュージシャンは他にも少なくないのですが、ミュージシャンがアートスクールを好んだ理由には、アメリカの最先端のアートの情報が入ってくることが挙げられます。
とくに「サイケデリック」を視覚化したポップ・アートは、イギリスのミュージシャンに大きな影響を与えました。
イギリスのロックが世界中に影響を与えるようになった原動力は、ここに一因があったのです!
アートスクールの入学は難しくなく、入れば奨学金が貰え、そこでは海外の新しいムーブメントの情報が入る。
そしてアートが好きな学生ボヘミアンたちが集まる場所となり、学生たちは自由な時間を得て、ロックを芸術的な音楽ととらえ、自己表現の手段として創造するようになりました。

フレディがアートスクールで学んだことは美術だけではなく、当時の最先端の若者文化を取り入れて創造することでした。クイーンの中ではただ一人の芸術系ですが、クイーンの中でアーティストであるフレディが果たした役割は絶大だったと思われます。
クイーンは高等教育の恩恵と、アートスクールの経験を持っている、60年代・70年代の若者文化の象徴のようなバンドなのでした!
若いクイーン

若者文化は時代とともに、様々な差異を作り出していきます。
クイーンの後にはパンクが現れますが、パンクなどから見るとクイーンは時代遅れの仰々しいバンドだったので、1984年にリヴァプールやロンドンで、スキンヘッズに襲われたことがありました。彼らの言い分は「毛皮やサテンで着飾ったり」「レザーやベルベット、アクセサリーまでつけてギンギラギンのファッショッン」をした奴らが許せないとのことです。
時代の推移の中で、クイーンにも多大な苦労があり、それを乗り越えてきた長命バンドの存在は威風堂々ですね。





「バンクシー 壊れかけた世界に愛を」

バンクシーをご存じですか?
バンクシーは、1970年代にイギリスの港町ブリストルに生まれ、ラジカルに平和へのメッセージを送るストリートアーチストとして、様々な活動をしてきました。ストリートアートとは、路上にあるアートのこと。
ある時はテート・ブリテン美術館や、大英博物館、ルーブル美術館など、超有名美術館に勝手に自分の作品を展示する「ゲリラ展示」を行ったり、
ある時は動物園の檻の中に勝手に侵入し、不本意に監禁状態で過ごす動物たちを代弁する絵を、動物舎の壁に描いたり、
またある時はディズニーランドを風刺したらしい「ディスマランド」というテーマパークを作り上げる、大規模な企画を実施しました。

バンクシーがストリートアートで訴えているテーマは、監視カメラに囲まれた監視社会、セレブを追い回す異常なメディア、環境問題、難民問題、貧困などの社会問題であり、ディズニーランドに象徴される商業主義と、現代の大量消費社会への批判なのです。

 バンクシー 武器貿易に反対
バンクシー 武器貿易に反対

バンクシーの「メトロポリタン警察に歓迎されるバスキアの肖像」という作品があります。
2017年にロンドンで、バスキアの回顧展が開かれた時のものです。
バンクシーの先駆者には、ニューヨークのアンディ・ウォーホルやバスキアがいます。
バスキアは1960年生まれの黒人(アフリカ系移民)で、高等教育を受けることなく、路上でグラフィティ(壁に文字を描くアート)を始めました。
バスキアの作品は、自分の体験の他、植民地主義や人種差別、社会格差などの社会的なテーマを批判的に表現したものが多かった。
その才能はアンディ・ウォーホルに認められ、アメリカの美術界の若きプリンスになったのですが、交友関係の悪化や社会的プレッシャーから鬱病となり、ヘロイン中毒の果てにオーバードーズで亡くなりました。27才の死でしたから、バスキアも「27クラブ」だったのです!

バンクシーの作品では、グラフィティやストリートアートが未だにアートとして認められず、公的な美術館で展示されないことに批判的で、バスキアだけが例外的にもてはやされることを疑問視しているようです。
美術界では、美術館やオークションで扱われる作品だけが正統的なアートであり、そのような文化施設だけがアートを定義づけることができる。そのような美術界のあり方を、バンクシーは皮肉をこめて批判しています。
 何がアートとして美術館やオークションハウスで扱われるのか、それを決めるのは一体誰なのかという問いを、バンクシーは突きつけて来ます。
 イギリスで最も古い美術教育施設のロイヤル・アカデミー・オブ・アーツでは、毎年「夏の展覧会」が開かれて、誰でも応募することができるのですが、この展覧会の審査員であるアカデミー会員だけが「アート」とは何かを決めることができ、美術市場をコントロールすることができるのです!
バンクシーはこの展覧会に偽名を使って応募したところ落選しましたが、アカデミーの審査員からの依頼があり、同じ作品をバンクシー名で出品したところ、合格して展示されたというのですから、まるで笑い話ですね。

日本でバンクシーが有名になったのは、2018年にロンドンの老舗オークション、サザビーズで起こった事件からでしょう。
バンクシーの作品は、ハート型の風船と少女を描いたもので、なんと1億5000万円で落札されたのですが、落札された瞬間に絵が下方へ動き出し、シュレッダーで裁断されたように短冊状になってしまったのです。この事件はニュースとなって世界中に広がりました。
 ここで思い出したのはフレディのことです。ああやっとフレディにつながった。
フレディは3枚目の「シアハートアタック」までは売れていたのに、あまりお金が入らない契約になっていました。そしていよいよボヘミアン・ラプソディのヒットにより大金を掴むと、真っ先に駆けつけたところがオークションハウスだったというのです。
美術が大好きなフレディは、自分で稼いだお金でやっと好きな絵を買うことができるようになって、どんなに嬉しかったことでしょう!
オークションハウスや展覧会場に来る人たちは、高学歴・高収入の白人が多く、ストリートアートがある町では移民・低学歴・低所得の人が多いという。
バンクシーはその両方を股にかけて活動しているところに社会的な意味がある。
フレディは白人ではない移民だけれど、高学歴・高所得なので、両方に跨っていますね。
バンクシー サザビー

美術館・博物館の歴史というのは意外に短くて、始まりはあのナポレオンですから1800年頃のこと。
世界から分捕ってきた芸術品を、一般の人々に公開するために創ったのがルーブル美術館でした。
西洋では白人男性が制作した作品だけがアートとして歴史に残り、美術館に収められてきました。
19世紀に印象派の画家たちがもてはやした日本の浮世絵も、美術館ではなく博物館に展示するのが西洋の常識でした。
そのような常識に対して、バンクシーやバスキアは「アートとは何か?」という問いを鋭く突きつけてきます。
バスキアは20世紀になって初めて誕生した黒人アーティストです。
マルセル・デュシャンの衝撃的な「泉」という作品などを経て、やっと1990年頃から西洋では一般市民に開かれたミュージアムにしようという動きが見られるようになりました。

2016年、バンクシーはイスラエルのパレスチナ側にあるベツレヘムに、世界一眺めの悪いホテル「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」を造りました。ここにはイスラエル政府が築いたバレスチナ自治区を分断する「壁」があります。
この壁には沢山のストリートアートが描かれており、ホテルの部屋からもその絵を眺めることができます。
イスラエルから圧迫されたパレスチナ人は、抗議のために度々自爆テロを起こしてきました。この壁はパレスチナ人によるイスラエル市民への自爆テロを防ぐために作られたとされますが、いまだパレスチナ問題の解決には至っていません。
第一次大戦後に、パレスチナはイギリスの委任統治下にありましたが、バンクシーはイギリスが自国の都合を優先させた不正外交を行なったことが、現在のパレスチナ問題の根底にあることを知って、このホテルを作るに至ったのでしょう。
このホテルには誰でも泊まることができます。

フランスの哲学者ボードリヤールは、ディズニーランドを批判し、それが消費への欲望やファンタジーの魔法で大衆の目をくらまし、戦争や人権問題はもとより、格差社会・環境問題・貧困などの現実に目を向けないようにさせていると警告している。
私たちは大量消費に浮かれた社会、仮想空間に酔いしれた社会、その構成員の一人一人なのだ。
さらにバンクシーは、私たちが実は社会問題の被害者だけではなく、加害者でもあることに気づかせてくれる。
「これは我々の問題なんだ」と一人一人に訴えているのだ。
 壁は国家、宗教、民族、アートの世界など、さまざまなところに存在するが、作ったのは人間だ。
そしてその壁を突き破ることができるのも、違いを受け入れ、他者を思いやる人の心だけだと、バンクシーは言っているようだ。
バンクシーはパワフルに、シンプルに訴えかけてくる。ショッキングな戦術を使うこともあり、メディアやアート界を巧みに利用しながら。
バンクシーは現代の社会を悲観してはいない。ユーモアに裏打ちされた活動を展開している。
バンクシー クリスマスプレゼント

さて、長々と書いてしまいましたが、これはほとんど吉荒夕記さんの著書「バンクシー 壊れかけた世界に愛を」を要約したものです。
9月に出たばかりの新刊で、面白いので電車の中で一気に読んでしまいました。
ロックファンの私たちがバンクシーに興味を持つのは、バンクシーの活動が60年代のロック・ムーブメントと似ているからではないかと思います。
もともとロックとは、反体制・反権力的な音楽で、反戦や平和へのメッセージを訴えるものでした。
それが70年代になると、ロックは爆発的に売れる「金の成る木」になってしまい、当初のメッセージは失われてしまいました。
クイーンも次第にエンターテインメントになってしまったので、狭義ではロックということはできず、ポップロックといったところでしょう。
ただしクイーンのファーストアルバム・セカンドアルバムは純粋に音楽を追求しているので、私はクイーンの初期派です。
でもフレディは何をやってもいいけどね。全部肯定しています。(もうだめだこりゃ)

最後に、バンクシーの著者・吉荒夕記さんに心より感謝を申し上げます。
実は吉荒さんは、8月にロンドンへ行った時に、クイーン関連の場所を案内していただいた方なのです!
吉荒さんは美術館・博物館学がご専門ですが、ロックにも詳しい方で、とても楽しい旅行になりました。
そのおかげで今もロンドン熱が冷めやらず、こうしてブログを書いているというわけなのでした。
ああまたロンドンに行きたいなあ。

追加情報 : バンクシーが10月1日に、ロンドンで突如、店舗を開店したそうです。
        最低10ポンド(1300円)で買える作品もあるとか。
        ロンドンって本当に面白いですね。
バンクシーの店







もしフレディが女性だったら

もしもフレディが、シリーズ3
▶︎もしフレディが女性だったらば・・・

フレディが女に生まれていたら
◯男装の麗人になったでしょう!
燕尾服につけヒゲで華麗なタップダンスを踊り、宝塚のスターじゃなかった、ハリウッドのスターになるでしょう。

◯バスからソプラノまで4オクターブの声域を誇る女性シンガーになる。
男女両方の声が出せる特異な歌手。
多重録音すれば混声合唱もできる。

◯ロジャー・テイラー、ピーター・ストレイカーと共に3ボーカルパフォーマンスグループを作る。
グループ名は「地獄の3人娘」
ヒット曲は「さすらいのディベルティメント」「王様殺し」「あんたのために生まれたのよ」「猫は命」など。
女装3人

◯女性と結婚する。
男性とも付き合ったが、やはり女性との付き合いが多く、ついに女性と結婚。
LGBTの活動に参加し、そのアイコンとなる。

▶︎などと言って、フレディを茶化しているわけではなく、私は両性具有は最高だと思っています。
もともと人間は男女両性体だったとプラトンは言っています。
プラトンの「饗宴」に、「エロス」の項があり、アリストパネスに、次のように語らせています。

「 世人はエロースの威力を全く理解していない、エロースは人間の最大の友、助力者、苦悩の医者である。
原始時代の人間は男と女と男女(両性具有)の三種があり、それらはいずれも背中合わせで二体一身(男男、女女、男女)だった。
彼らは力も気概も強く神々に挑戦したので、ゼウスによって半分に切られ、顔の向きも反対にされた、その切断面の絞り痕(あと)がヘソである。
こうして半身としての我々人間は互いに求め合うようになり、そのかつての完全体に対する憧憬と追求がエロースと呼ばれているものである。
したがって、この神に従っていれば、本来の自分に戻れる最良の愛人を見出すことができる。」

ということは、両性具有体だけではなく、男男体、女女体もあったのですね。
男男体だった人が、失われた半身を求めて、男色になるのでしょうか?
この「失われた半身」のことを、最近では「ソウルメイト」と呼んでいるのだと思います。
自分が不完全だから、失われた性を求めるのですね。
自分の中で両性が確立されれば、私たちは完全な両性具有=アンドロギュノスになります。
日本の天照大神は両性具有とされる伝承もありますし、西洋の悪魔も見かけは男性や女性であっても、実は両性具有とされます。
ニーチェは自己を超えるために両性具有に憧れました。
バタイユは「エロスとは、失われた連続性に対する郷愁だ」と言っています。

フレディは男性的なところと女性的なところを持っており、女性になりたかったわけではないけれど、バート・レイノルズのような男性的な人に魅かれましたね。
ショービジネス界の過酷さや、世間からのバッシングなどのストレスを一人で耐えるには余りに繊細で、頼れる人が欲しかったのでしょう。
フレディの中に男女両性を見る時、私たちはプラトンの言う、太古の昔の男女両性体を思い出しているのかもしれません。



フレディのアイデンティティ

フレディのアイデンティティは何だったのだろうか?
まず、アイデンティティとは「自己の存在証明」のことであり、「自分とは何か」「自分らしさ」を意味します。
「アイデンティティが確立している」とは、「自分とは一体何者なのか、どういう存在なのか?」がわかっている状態を指します。
時間や場所によって変わらない、連続する自己のこととされます。
アイデンティティは他者や社会の中で作られるので、「帰属意識」という意味も含まれています。

アイデンティティが確立する青年期に、フレディはザンジバル革命に遭い、天地がひっくり返る衝撃を受けました。
そしてロンドンへ移住してからは、民族的差別も経験します。
ラミ・マレックも移民の2世として生まれ、自分のアイデンティティについて悩んだと言っていますが、フレディは移民の当事者ですよね。
イギリス国籍でありながら、イギリス人ではないし、(イギリス人とは主にイングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、北アイルランド人のこと)、
ペルシャ人のルーツを持ちながら、ペルシャ語は話せないし(7世紀頃インドに移民したパールシーは、ペルシャ語を使うことを禁じられていた)、
自分は一体何者なのか、若い頃は悩んだことでしょう。
宗教的にはキリスト教・ユダヤ教・イスラム教よりも古い由緒のあるゾロアスター教なのに、周囲の人はほとんど理解がなく、変わった宗教と見られるでしょうし、
それに加えて、男性のジェンダーには馴染めなかった。(ジェンダーとは、社会的文化的な男らしさ、女らしさのこと)
これでは自分のアイデンティティが混乱するのも当たり前ですよね。

フレディは2〜3年ごとに服装や髪型を変えていましたが、これはアイデンティティが変化している印。
服装がよく変わる人は、心の中がどんどん変わっていき、確固たる信念や意志が持てないことを現しています。
髪型がよく変わる人は、飽きっぽい性格で情緒不安定と言われます。
でもヒゲスタイルになってからは変化していないので、内面が安定したことがわかります。
そう、フレディって、とてもわかりやすい人なのですね。

フレディのアイデンティティ
◯ロックミュージシャン
これは文句無し! 「とても価値のあることだった」と歌っていますね。
作詞・作曲も後世に残るものとなりました。

◯シンガー
ジム・ハットンと出会った頃、「自分はシンガーだ」と言ったそうです。
まさに「人生と歌を愛した男」ですね!

◯クイーンのフロントマン
最大の誇りでしょう。

◯アーティスト
美大出身ですから。

◯伝説
駆け出しの頃から「自分はポッブスターではなく、伝説になる」と言っていた。
人間は皆、自分が思った通りの人間になる。
伝説とは、フレディ自身が思いついたことなのか、それとも誰かに唆されたことなのかは、まだ疑問が残ります。

◯ペルシャ人
「フレディはパールシーであることを誇りにしていた」(母親談 / テレグラム紙)
「彼はインド人ではなくペルシャ人だと思っていた」(義弟のロジャー談)

◯英国人
女王陛下を敬愛していた。やはり愛国心はあったと思います。

◯イギリスの国籍は6つの区分があり、そのうちの2つがこれなのですが、どちらかに当てはまるでしょう。
どちらかというとBOCでしょうか。
でもフレディは、これはあまり気に入らなかったかもしれませんね。
・BOTC:British Overseas Territories citizen - イギリス海外領土市民。イギリスの海外領土出身者。
・BOC:British Overseas Citizen - イギリス海外市民
ギリシャ西岸の諸島・インド・パキスタン・マレーシアなどの旧植民地出身者のうち特殊な歴史的経緯のある者。

◯ロンドン市民
これはけっこう気に入っていたかもしれませんね。

◯英語話者
インターナショナルですね。

◯バルサラ家の長男
家族とは8才の時に離れているので、かなり寂しい思いをしたし、ゾロアスター教が男色を認めないので、親との確執があったでしょう。長男という意識は薄いかもしれません。

◯カシミラの兄
妹はかわいかったでしょう。
カシミラさんは「変わった兄だった」と言っていますが。

◯バイセクシュアル
バイかゲイかはよくわかりませんが、バーバラはエイズにならなかったので、性的にはゲイかもしれません。むずかしい。

◯娘たちの母親
恋人たちをドーターと呼んで、自分はマザーだと言っていた。
フレディ一家のゴッドマザーですね。

◯猫のお母さん
猫たちを溺愛しました。猫は子供だったのでしょう。

◯独身者
イギリスでは2014年に、同性婚が合法化されました。

◯プリテンダー
孤独を隠して、楽しいフリをしていたのか?
いや天才は孤独なんだから仕方がないでしょう、フレデイ?

◯道化師
若い頃は道化師の衣裳を着ていたし(ダイヤ柄)、「グレートプリテンダー」にもクラウンが出てくるので、かなり一貫して自分は道化師だと感じていたようですね。道化師はコメディアンであり、人を楽しませる役割に徹していたのですね。
道化師1
これも道化師ですか? これが何の衣裳か知っている方は情報ください。

◯男娼
インタビューで自分は「musical prostitute」だと言っていました。おかげで難しい言葉を覚えました。
prostituteとは売春婦、男娼。
自分は才能や能力をお金のために使っているという意味です。これはキツイ自嘲ですね。

◯孤独
よく自分はlonly lonlyなんだと言っているし、「世界一孤独な男なんだよ」と言ってたけど、そんなことを世界中に言いふらしているぐらいだし、周りには人が一杯いて、そんなに孤独に見えないんですけど。
最後の数年間は、親しい人と一緒に暮らして、落ち着くことができて良かったですね。

 こうして考えてみると、ずいぶん沢山のアイデンティティがあったのですね。
きっと他にもまだあると思います。
フレディも若い頃は悩みながら、だんだんアイデンティティを確立していったのですね。
いかがですか? 皆さんはアイデンティティが確立していますか?






プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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