FC2ブログ

永遠のフレディ

フレディのマンションの近く、テリテ駅の前にエリザベートの像がありました。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后で、シシィの愛称で知られています。
シシィもレマン湖が好きで、テリテから背後の山頂へ登り、グランドホテル(現在廃業)に滞在していました。
1898年の9月9日、シシィはモントルーからジュネーブへ船旅を楽しみ、翌10日にジュネーブで刺殺されてしまいました。
シシィはウィーン宮廷の堅苦しさに馴染めませんでしたが、今でも世界の多くの人に愛されています。
エリザベートの像

レマン湖の東端、モントルーからバスで15分ぐらいのところに「シヨン城」があります。
12世紀からこの地に建設が始まり、フランス・イタリアとの交通の要衝として関所のような役割を果たしました。
シヨン城の城主だったサヴォワ家は、イタリアとフランス・フランス領スイス一帯のサヴォワ地方を治め、
ヨーロッパ屈指の名家とされています。
16世紀にこの城に幽閉された宗教改革者ボニヴァルをうたった「シヨンの囚人」は、イギリスの詩人バイロンによるものです。
バイロンは数多くの女性と退廃的な生活を送り、ギリシャの独立戦争に身を投じる決心をしましたが、1824年にギリシャで熱病にかかり、わずか36才で生涯を閉じました。
シヨン城

シヨン城からモントルーへ戻り、かなり歩き回ったので、ホテルで休憩。
昼間からワインを飲みながら、優雅なランチです。普段は絶対にできないことなので。
それにしても日本人は全然見かけないし、まして一人で来ている人はいない。
周りはヨーロッパや中東や中国のお金持ちの家族連ればかりです。
ランチのワイン

そろそろ旅も終りです。
モントルーでフレディは湖を眺め、マウンテンスタジオで録音し、優雅な生活を楽しみました。
よく泊まっていたフェアーモント・バレスホテネルのスイートルームは一泊20万円以上だし、ダックハウスのインテリアも凝っているし、新しいマンションはペントハウスです。
フレディはこの世で最高の生活を楽しむことができた。
恋愛関係では色々あったが、最後に優しいジム・ハットンと出会い、静かな生活を始めた矢先の病気発覚が人生の誤算だった。
それでも最後まで、力の限り歌を歌い続けたフレディ。
人生の苦楽を味わい尽くし、自分のやるべきことをやりきって、今は本当に星になったフレディ。
フレディ像2

1978年の「ジャズ」から、1991年の「イニュエンドウ」までをモントルーで録音し、いつもここから新しい世界へ向かって飛び出していったクイーン。
そしてとうとうフレディは新しい別世界へ旅立ってしまったけれど、私がモントルーへ来て、わかったことがある。
それはフレディは常に存在する、フレディは永遠だということ!
永遠のフレディが、いつも私たちと共にいる。
ありがとう、フレディ!
モントルーのデッキ






スポンサーサイト



湖の白鳥、テリテのマンション

レマン湖は全長73kmの三日月型の湖で、中央ヨーロッパではハンガリーのバラトン湖に次いで2番目の大きさを誇る。
湖岸を走る電車が1時間以上かかるのだから、本当に長い!
日本にはこんなに長い湖があったかしらと思ったが、琵琶湖は長さ63.49kmでかなり健闘している。
レマン湖は細長いので面積は580平方キロだが、琵琶湖は670平方キロなので、なんと琵琶湖の勝ちなのだった。
それにしてもレマン湖の景観は美しい。
山と湖の景観なら日本にも沢山あるが、やはりスイスの山と湖は雄大で清々しい。
実際にスイスへ来て、なるほどと思うことがあるが、この大きな湖はその果てしない大きさから海を連想させる。
アフリカの海辺で育ったフレディは、レマン湖を見て無意識にしろ、遥かなるアフリカを想起したのではないだろうか?
実際にレマン湖には、寄せては返す小さな波があり、水に手を浸してみると真水のようなサラサラではなく、温泉のようにペタペタした触感だ。たくさんの魚や鳥たちを育むレマン湖は、まさに生命力を蓄えた母なる湖、母なる海ではないか!
母なるレマン湖

湖には今もフレディが好きだった白鳥がいる。
これぞ「白鳥の湖」ですね。(チャイコフスキーのバレエ音楽)
周りには鴨がいる。フレディは「a Winter‘s Tale」で seagull と歌っているが、シーガルはカモメで、鴨はduckですよね。
きっとカモメもいるのでしょう。
レマン湖の白鳥

湖岸にはずっと遊歩道が設置され、歩道に沿って美しい花も植えられている。
この歩道がなぜか妙に懐かしくて、学校へ通った道なのか、家路をたどるpath小道なのか、そんな暖かいほのぼのとした記憶が甦るような気がして不思議だった。
美しい湖を眺めながら歩いていると、1時間ぐらい歩いても全く疲れなかった。
湖岸の遊歩道

モントルーからバスで2駅のところにテリテTeritetという町があり、電車のTeritet駅もあります。
そこから歩いて湖岸へ向かい、湖岸の歩道を右折して少し行くと、右側にこのラ・トゥーエルというマンションがあります。
フレディが晩年に住んでいた、あるいは住もうとして楽しく内装を考えていたのが最上階のペントハウスです。
ペントハウスは最上階に一戸だけ造られる高級な部屋で、眺望も良く、プライベートも守られます。
ここならマウンテン・スタジオも近いので、フレディがここに住めたらどんなに良かったことでしょう!
テリテのら・トゥーエル

レマン湖に来てみて、フレディがこよなく愛した土地ということが良くわかりました。
本当に地上の楽園ですね。
レマン湖の眺め







コントロール・ルーム

マウンテン・スタジオのコントロールルームは、元のまま残されているので、とても興味がありました。
行ってみると、とても狭い!
使われていた当時の写真を見ると、ミキサー卓の前に椅子が3脚あり、3人ぐらいでちょうど良い感じです。
演奏するブースは上の階にあり、モニターで見ていたことがわかります。
プライベートスタジオだから、隠れ家みたいに小じんまりとしていたのですね。
しかしここで長期にわたって、長時間こもっていたんだなあ。
スタジオというのは密閉されていて窓はないし、空気も良くないし、あまり身動きもままならない空間で、かなりのストレスがあります。
この狭い部屋で、個性が強い人間がぶつかり合うのですからね。
それにスタジオではタバコを吸う人が多い。
ある朝、ブライアンがスタジオへやって来ると、スタジオ内がタバコ臭く、うっとなってしまった。
それを見たフレディが、その時以来キッパリとタバコを止めたという話がありますね。

ロンドンには大きなスタジオがありますが、やはり日本のスタジオはすごくお金をかけているそうです。
日本は、どこの地方都市に行っても、立派なホールがあり、すばらしいスタインウェイのピアノがありますが、
こんな国は世界で日本だけです。

クイーンが使用していた24チャンネルのレコーダー。
なつかしいアナログ時代です!
80年代はクイーンもこれで録音していたんだなあと感無量です。
24チャンネルのレコーダー

これも懐かしい卓だ。
ところが近寄ってみると、赤いフェーダーところ以外は、なんと写真でした!
え〜これが見たくて、はるばる日本からやって来たのに、写真とは!
ネットで見た時はわからなかったので、これにはがっかりしてしまいました。
仕方が無いので、写真の卓を撫でました。
ミキサー卓

この赤いフェーダーは、実際に動かして音量を変化させることができるのですが、
やってみると実際の卓による、指に吸い付くような感覚がない。
やはりこれはレプリカなのだった。
右から3番目がVocalで、フレディの声を大きくすることができます。
赤いフェーダー

コントロール・ルームの床に、金色の銘板があり、ここがフレディが立って歌った場所だそうです。
最後の頃、フレディは上のブースに行かず、ここで歌っていた。
ここに本当にフレディがいたんだなあ、という実感が襲って来ます。
畏れ多くて、この円盤の上に乗ることはできませんでした。(乗るものではないか?)
フレディが立った銘板

コントロール・ルームの全容。
右奥の床に、フレディ立ち位置の銘板があります。
コントロールルーム全容





フレディの衣裳

はい、お待ちかねのフレディの衣裳です。
これを目にした時は、レプリカじゃないかと思ったのですが、正真正銘の本物だそうです。
フレディやブライアンが着用したものです。
よく今まで保存されていましたね。

これがあの「白鷺ルック」です!
これは1975年に武道館で見たものですから、44年後に再び目の当たりにすることができて感無量です。
フレディの白鷺は少し布地に経年が感じられ、44年の歳月が過ぎ去ったことを思い知らされます。
フレディの動きが激しかったためか、繕いの跡があり、背中のくるみボタンはいくつかちぎれて無くなっています。
曲の合間に急いで着替えるために、ボタンを外すのももどかしく、引きちぎれてしまったのだろうと想像されます。
白鷺ルック

それに対してブライアンの衣裳は、とてもきれいで新しいものに見えます。
これは生地の違いなのか、ブライアンが丁寧に着用していたのか?
ブライアンの衣裳

オレンジのダイヤ柄があった。
これは色違いの布を縫い合わせたもの。
注目したのは、足先までオレンジの布に覆われていること。全てオールインワンなのだ。
やはりこれはレオタードとタイツが合体したものなのだろうか。
それにしても細い!
オレンジのダイヤ柄

ダイヤ柄の足先

この白いジャケットは革製で、黒いイナズマを縫い付けてあります。
ボトムスは薄いニットのような生地で、タイツに近いものだった。
動きやすさは抜群でセクシー。
ジャケット同様に、黒いイナズマを縫い付けてあります。
やはり近くで見ないとわからないものだなあ。
白地に黒い稲妻


フレディの自筆歌詞

マウンテン・スタジオ記念館に入って、まず私の目が釘付けになったのは、
フレディの自筆の歌詞を書いた紙でした。
やはり印刷物より、実際の筆跡を見ると、その人物が生々しく迫って来ますね。
フレディの筆跡は、のびのびとして勢いがあり、味のある文字だと思います。

「I`m going slightly mad 」です。
まだ力強い筆跡です。
アイム ゴーイング スライトリー マッド自筆

モンセラート・カバリエとは、ここで「バルセロナ」を録音しています。
珍しくコード進行が書いてある。フレディは五線譜は書いていないようですね。
フレディの作曲の形跡がわかるものを見たいのですが。
バルセロナ

「ラブ・キルズ」の歌詞。
面白いのは、ミュンヘンのヒルトンホテルの備え付けメモ用紙に書かれていること。
思いついた時に、手当たり次第に、その辺にある紙に書いていたのでしょうか。
ラブ・キルズ自筆

「ワン・ビジョン」の歌詞。
これも何かのメモ用紙に書かれています。
赤い文字はロジャーの筆跡。
だんだん誰の字か、わかるようになってきた自分がこわい。
ワン・ビジョン自筆

「ウィンター・テイル」ですね。
最後の頃なので、文字に力がないように感じます。
ウィンター・テール自筆

マウンテン・スタジオ

モントルーに着いて、早速クイーンが所有していた旧マウンテン・スタジオへ出かけました。
今回の旅行の第一の目的は、ここを訪れることでした。
私はスタジオ・ミュージシャンの経験があるので、とくにスタジオには興味があります。

このカジノの2階に、マウンテン・スタジオが残されていて、記念館になっています。
マウンテン・スタジオはクイーンだけでなく、1978年から1993年にかけて、デビッド・ボウイやローリング・ストーンズ、イエス、イギー・ポップなどがレコーディングしている由緒ある場所です。
マウンテン・スタジオ外観

今は「クイーン ザ スタジオ エクスペリエンス」と呼ばれています。
夜10時まで開いています。
スタジオ・エクスペリエンス

建物の外壁は当時のままなので、訪れたファンが沢山書き込みをしています。
自由に書き込んで良いそうです。
スタジオ・エクスペリエンスの外壁

とくにこの出入り口は当時使用されていたもので、クイーンもここから出入りしていたので、
ファンによる凄まじい書き込みがあります。
ロンドンのガーデンロッジには書けなくなっているので、何か書きたい人はここに書きましょう!
スタジオ・エクスペリエンスの出入り口

中に入るとまずカジノがあります。
日本語のパンフレットもあるので、それをいただいて1フラン入れます。
カジノ




モントルーのフレディ・マーキュリー像

ロンドンからスイスのモントルーへ移動。
ヒースローからジュネーブ空港までは1時間半ぐらいで、日本の国内線の感覚でした。
ずっと低空を飛んでいるので、地上の風景もよく見えます。
あまりに近いので驚きましたが、スイスの人にとっては「どこでも1時間ぐらいで行けるので、スイスはヨーロッパの中心」だそうです。

ジュネーブからモントルーまで、レマン湖の北側の湖岸に沿って、電車で移動。
眺めも良いし、1等を予約していたので、じつに快適な旅でした。
当たり前ですが、スイスに入るとフランス語になり、とつぜん駅のパンもおいしくなります。

モントルーで降りて、湖岸まで歩くと、ついにフレディの像と対面しました!
フレディ、ここにいたんだねえ。
外国人の観光客が、思い思いに写真を撮っています。
フレディの像1

湖は澄んでいて、とてもきれいです。
向こう岸は、フレディがよく宿泊していたフェアーモント・パレスホテルや、ダックハウスがあるクララン方面です。
レマン湖

夕方になると、またこんなに美しい背景をバックに、フレディが佇んでいます。
フレディの像2

ここは本当にフレディが愛したモントルーなのだ。
フレディは1979年に初めて録音のために訪れてから、ここが大変に気に入り、
またここならマスコミに追いかけられずに落ち着いて録音できることがわかり、
クイーンのマウンテンスタジオを購入しました。

ここで疑問に思うことは、なぜマスコミはモントルーまで来ないのか?ということ。
だって、ロンドンからジュネーブまでは1時間半。そしてジュネープからモントルーまで電車で1時間ちょっとなので、
マスコミは簡単に来られる距離です。
レマン湖畔には有名人の別荘が多く、チャップリンやオードリー・ヘプバーン、ココ・シャネルなどが滞在していました。
レマン湖では、マスコミは有名人を追ってはならないという暗黙の協定でもあるのでしょうか?
バリでは、パパラッチがダイアナ妃を追いかけまわしていたのだから、レマン湖は特別な土地なのでしょうね。

クイーンがマウンテンスタジオを購入し、フレディも家を買ったといわれていますが、
現地で調べた人の情報によると、フレディはモントルーで家を買ったことはなく、借りていたそうです。
最後のCD「メイド・イン・ヘブン」に使われた写真の「ダックハウス」は、現在は湖側からしか見られないそうなので、見学は断念しました。
フレディ・マーキュリーの像3


現地に行ってみるとわかることは色々ありますが、
フレディが最後にモントルーを訪れてから、ロンドンに戻ったのは、亡くなる3週間前です。
亡くなる3週間前に飛行機や電車に乗って、ロンドンへ帰るのは相当困難なことで、ほとんど不可能に思えました。
そこで調べてみると、フレディはモントルーやイビサへ行くときは、小型のジェット機をチャーターしていたとのこと。
なるほど、それなら移動は可能ですね!
それにしてもジェット機をチャーターするとは、ファーストクラスよりもすごいですね!






ハロッズなど

ハロッズは高級デパートなので、外観も重厚だ。
ハロッズ

内部もゴージャスで、いかにもフレディが好きそうな感じ。
ハロッズ内部

ハロッズといえば、1階の香水売り場で、フレディが大量の香水を買おうとしたところ、
アメリカン・エクスプレスの使用限度を越えていたため、デパート側は丁重に断ろうとしたが、
フレディは頑としてそんなことは受け入れず、「私はフレディ・マーキュリーだ!」とのたまったそうだ。
困り果てたジム・ハットンたちが何とかお金を出し合って、フレディはめでたく香水を手に入れることができました。
何ともフレディらしい話だが、アメックスの使用限度を越えるとは、いったいどれだけ買い物をしたのだろう?
フレディの買い物好きについては、また別稿に譲ります。

V&Aこと、ヴィクトリア&アルバート博物館には多様なジャンルの展示物がありますが、
パフォーマンスのコーナーにミュージシャンの衣装があるというので行ってみました。
現在はクイーンの衣装はありませんでしたが、これはジミー・ペイジの衣装。
若い頃は細かったのですね。
ジミー・ペイジの衣装

これは王立音楽院です。
クラシックのプロを養成する世界的な音楽大学です。
エルトン・ジョンやリック・ウェイクマンはここの出身。
フレディもここの近くで (はっきりした場所がわからず済みません) オペラの歌のレッスンを受けたそうです。
王立音楽院

とにかくロンドンでは、街の至る所にミュージシャンの所縁の場所があり、
フレディの足跡が残されています。
本当にクイーンが闊歩していた街なんですね。あ、まだ2人いますね。
フレディがここにいたと思うと懐かしい感じがしますし、もういないという寂しさもあります。
ただひとつ残念だったのは、フレディの住んでいたガーデンロッジが公開されていないことです。
最もフレディを直に感じることのできる聖地ですからね。
まだ没後30年弱ですから、100年か200年経ったら公開されるかもしれません。
でもその頃には、実際の雰囲気が薄れてしまうのではないでしょうか。
だいたい、私はもう生きていないし。
今のところメアリーが住んでいて非公開にしているというのは、
やはりガーデンロッジの庭にフレディの遺灰を埋葬したからではないでしょうか?
庭の桜の樹の下に埋葬したという噂がありますね。
遺灰が土に帰るまで、メアリーがしっかりと守っているのでしょうか。
ところが、遺骨が土に帰るまでにどのくらいかかるのか調べてみたところ、
なんと数百年から1000年ぐらいかかるとのこと。ひえ〜〜〜そんなにかかるなんて!
遺骨を粉骨機という機械でパウダーにすると、数十年で土に返るらしい。
そうかー、なかなか土には帰れないものなんですね。
それにしてもフレディのお墓がないので、お墓まいりができないところが淋しいです。


トライデントスタジオ

 ロンドンの中心街にあるSOHO、ここに伝説のトライデントスタジオがあります。
数々の有名バンドがここでアルバムを録音した、ブリティッシュロックの聖地です。
この細い通りを通って、かつての若者は広い世界を目指したのだ。
あのリック・ウェイクマンはここのハウス・ピアニストをやっていて、数多のセッションに参加して録音している。
当時はベヒシュタインという高級ピアノがあったのだが、ピアノについてはまた別稿に詳しく書くつもりです。
トライデントスタジオ


ここで録音したアーティストは、ビートルズやジージーズ、カーリー・サイモン、デビッド・ボウイ、キッス、ルー・リード、ピーター・ガブリエル(ジェネシス)、ローリング・ストーンズ、ティナ・ターナー、T-レックスなどの錚々たるメンバーだ。
クイーンはこのスタジオが空いている夜中などに録音をさせてもらい、ファーストアルバムを制作した。
クイーンが世に出たのは、先見の明があったトライデントスタジオの経営者と、彼らを最初に認めた日本のファンのおかげだと言われています。
青いブレートには、デビット・ボウイの名前が刻まれています。
トライデントスタジオの扉

戦慄の王女

近くにはギターのお店も軒を連ねています。
日本でも見慣れているフェンダーもあります。
ギターのお店

すぐ近くにパブがあり、ぜったいにクイーンたちも立ち寄ったり、ミーティングをしていたはずのお店がありました。
私が座った席にクイーンも座っていたかもしれません。
写真がなくて残念。 店内にはジミヘンの写真などがありました。

そして表通りに出ると、マーキーの扉がありました。
現在は残念ながら閉店していますが、言わずと知れた有名なライブハウス。
若いミュージシャンはまずここに出演することがステイタスであり、ここからハマースミスへと発展していった。
伝説のマーキーを拝むことができて感激です。
マーキー








ハマースミス

フレディの家があるアールズコートから、地下鉄で2駅乗るとハマースミスだ。近い!
ここにかの有名なハマースミス・オデオンがある。
ハマースミス・オデオン

今はハマースミスではなくて、Eventim Apolloという名前になっているが、1932年開設の老舗で、キャパはスタンディングで5000人、
イギリスのロック界にとっては名だたる有名バンドのほとんどが出演した最高のホールと言われている。つまり聖地なのだ。
もちろんクイーンのDVDは1975年にここで収録されたもの。
当時はここに出演するだけでも大出世だったのだが、クイーンはここから世界へ羽ばたいていった。
ハマースミス・オデオンDVD

ハマースミス・オデオンに出演したのは他に、
ルイ・アームストロング、カウント・ベイシーらアメリカのジャズの大スターたち、
ビートルズは38回も公演、エリック・クラプトンのヤードバーズ、イエス、ELP、
日本からは坂本龍一のYMO、またケイト・ブッシュなんかも出演している。
というか、有名なバンドはほとんど出演しています。
このホールに地下鉄で行けるところにスターたちが住んでいるというところが、ロンドンって凄いですね!

ハマースミス駅の近くにはテムズ河が流れていて、ハマースミス橋があります。
この橋がきれいなので見たかった。用もないのに、わざわざ歩いて橋を渡りました。
ハマースミス橋

そして川添いに古いパブが何軒かあり、その中のひとつが、クイーンの映画で使われたパブです。なんと17世紀からあるという。
ここでランチを食べました。手前がソーセージとマッシュポテト。向こう側がフィッシュアンドチップスです。
いや全部食べたわけではありませんが、なかなかおいしかったです。
フィッシュアンドチップスはフレディも好きで、時々買いに行かせては、包み紙から食べていたそうです。必ず猫たちのために6個余分にに買ってきて、衣を取り除いて食べさせていたとか。
ハンバーガーはウェンディーズだけを食べたそうです。
川添いのパブ

ソーセージアンドマッシュポテト



ジミー・ペイジの家

ついでにジミー・ペイジの家へ行ってみました。
おとぎの国みたいな館ですね。
ちょうど郵便配達が来たところだったので、現在も居住中だと思われます。
フレディとはわりと近所だったのだ。
近くのコンビニで出会ったりしていたのだろうか?
おっと、イギリスにはコンビニはない。Coop(生協)はあるけど。
ジミー・ペイジの家

ケンジントンの住宅

赤いバスに乗って移動。いかにもロンドンという赤いバスに乗れて嬉しい。なにしろロンドンは初めてなのだw
ケンジントン・ハイストリートを行く。
フレディはバスの一番前の見晴らしの良い席が好きだったそうだ。
赤いバス

途中でフレディとロジャーが古着屋をやっていた跡地や、メアリーが勤めていたBIBA(バイバ)の跡地を通過しました。
古着屋の二人は、ケンジントン・マーケットや近くのパブでは有名だったそうです。イケメンだから?
そりゃあこんな古着屋があったら、行きたくなりますよね。
それにしてもフレディとロジャーはすごく仲が良かったのに、ロジャーは絶対フレディと一緒の部屋では寝なかったというのは何故だろう?
古着屋

ケンジントンの静かな住宅地を歩くと、フレディとメアリーが初めて出会ったパブの跡地や、若きクイーンの4人が住んでいたアパート、フレディとジム・ハットンが住んでいたマンションなどがありました。
ジム・ハットンと住んでいたマンション
これはジムと住んでいたマンション。立派な邸宅です。

ケンジントンのアパート
これはフレディがメアリーと住んでいたところだと思います。
アパートとはいえ素敵です。
クイーンの青春が詰まっています。

いずれも今は他の人が住んでいるので、外からさっと眺めるだけです。
静かな住宅地で、日本でいえば青山のようなところ。
静かな住宅街

アールズコートは赤坂みたいかな。
クイーンは若い頃から良い土地に住んでいたのですね。
そして仕事場やバンド活動の場まで近い! バスに乗って近場で動いていたので効率的。さすがです。

ロイヤルアルバートホール

インペリアルカレッジからハイドパークの方向へ行くと、ロイヤルアルバートホールがあります。
1871年に建設されてから150年の間、コンサートやスポーツなどが行われている、収容人数7000人ぐらいの巨大なホールです。
丸い形をしているので、飛行機から見ても、すぐにロイヤルアルバートホールだとわかります。
ロイヤルアルバートホール

フレディの生前、クイーンがここで演奏することはありませんでしたが、フレディは何度もここへ通ったことでしょう。
そして1985年にフレディとジェーン・シーモアが登場したファッションエイドは、ここで行なわれました。
ファッションエイドの後のパーティーで、フレディとジェーンは結婚式の衣装のままだったので、アメリカ人観光客が「ジェーン・シーモアの新しい夫はフレディ・マーキュリーなのか!?」と驚愕したというのは、ほほえましいエピソードですね。
ファッションエイド

ピートルズは1967年にここで演奏しています。
クイーンはフレディの死後に、ここで演奏したので、フレディはきっと一緒にステージに立ちたかったでしょうね!
ホールの内部は、やっぱり丸い。
ロイヤルアルバートの中


ホールの場内です。夏の音楽祭が行われていたので、コンサートを聴きました。1階アリーナは立ち見です。
ヨーロッパでは、コンサートの前後によく食べる。聴くだけではなく、食べたり人と話すことを楽しんでいます。
人々は音楽を大切にし、生活の中に溶け込んでいます。
ロイヤルアルバートの場内


インペリアル・カレッジ

ブライアン・メイが通っていたインペリアル・カレッジです。ロジャーも通っていたらしい。
インペリアル・カレッジ

クイーンが初めて演奏を行なった場所です。
おそらく教室です。あの頃きみたちは若かった。そして私も若かった。
学生時代に、ある大学でバンドの練習をしていたことを思い出します。
インペリアル・カレッジの教室

クイーンはこのホールでも演奏しました。
インペリアル・カレッジのホール

面白いのは学内にバーがあること。
もしこのバーを無くしたりしたら、暴動が起こるだろうとのことです。
学内のバー

大学の外壁に付けられたプレート。「1970年6月18日、クイーンがここで初めて公的な演奏をした」と書いてあります。
インペリアルカレッジは、もちろんレベルの高い大学なのですが、もっと上にケンブリッジとオックスフォードがあるので、最高というわけではないようです。でもブライアンとロジャーが優秀であることは間違いありません!
50年近く前に、ここで初めてクイーンが演奏したというのは感無量ですね。
クイーンのプレート


ガーデンロッジ

ローガンプレイス

ガーデンロッジ2

これがフレディの住んでいたローガンプレイスのガーデンロッジだ!
アールズコートからほど近く、わかりやすい場所だった。
かつてはフレディの友人たちが賑やかに出入りしたり、マスコミが大勢押しかけたりしたであろうが、行ってみると今は閑散として抜け殻のような静かな佇まいであった。パーティは終わったのだ。
塀は高くて人を寄せ付けないが、実際に自分の目で見ると意外に小ぶりで、もっと豪壮な邸宅を想像していたわりには、落ち着いた適度な大きさの館であった。
ポール・マッカートニーの家も大きくはないそうで、ロックスターは意外とそれほどすごい贅沢ではなかったようだ。
マリー・アントワネットほどではなくて、ちょっと安心!?
もともとロンドンの貴族の家はみんな小さくて、田舎に広大な領地を持っているそうです。
ガーデンロッジ3

家の前には誰もいませんでしたが、ガーデンロッジの出入り口には、バラの花束と手紙が置かれていました。
でもフレディは正面の出入り口は使わずに、隣の白い小さな家を買い取って自宅とつなぎ、白い家(おそらくミューズと呼ばれる)から出入りしていたそうです。ガレージも白い家にあり、ロジャーの車がここから出てきたという記述もどこかで見かけました。
ミューズは、地図上では「フレディのスタジオ」と書かれているものもあり、道がコの字型になっているので、容易に地図で見つけることができます。
ミューズ

中の建物は2階の部分が少し見えるだけですが、おそらくあの2階がフレディの寝室で、毎朝そこの窓から、庭仕事をしているジム・ハットンへ「おーい」と呼びかけていたのでしょう。それは幸せな楽園だった時代のガーデンロッジですね。
ところがフレディが死に瀕すると、この塀の前にマスコミが押しかけてフレディの死を捉えようと犇めき合い、彼は静かに死ぬこともできなかった。フレディが死んだ後は、ジムやジョー・ファネリも追い出され、猫に会いたかった傷心のジムが何度もこの塀に通ってきたという悲しみの場所・・・こんなところに私はとても長居することはできず、ほんの2・3分で、足早に立ち去ったのであった。
このガーデンプレイスで、フレディは生と死を闘ったのだ。
ガーデンロッジ1


その後、わかったことを追記しておきます。
英語のUtubeを見ていたら、「メアリーは50年間、ガーデンロッジを売ることはできない」という情報がありました。
そして50年後に「ガーデンロッジは組織のものになる」とのこと。in to organization
組織とは、クイーンの会社なのか、フェニックス・トラストなのか、はたまた国家なのか、ナショナル・トラストなのかわかりませんが、
やはりこのような邸宅は文化財として保護されるのでしょうね。
フレディ没後50年といえば2041年、もうブライアンもロジャーもいないだろう。
いやロジャーが生きていたら92才、生きていておくれ。
もう私もいないだろう。
だから若者よ、どうか2041年になってガーデンロッジが個人の所有を離れたら、その行方を見守ってほしい。
クイーンの記念館になる可能性もあるから、楽しみにしていてほしい。

それにしてもフレディの墓はないが、ガーデンロッジの庭に遺灰が埋められたという噂はある。
遺骨を粉砕して粉にしてあれば、土に返るまで50年ぐらいといわれるから、やはりメアリーは遺灰が土に返るまでガーデンロッジを守っているのではないだろうか?

フレディは自分の死後、ジムやジョー・ファネリが、メアリーと一緒にガーデンロッジに住めるように約束していたという。
どうしてメアリーは約束を破ったのだろう。
ガーデンロッジに出入りする人数が増えると、内部の秘密が外に漏れやすくなるからなのか?
今となってはもうわからないけれど。
フレディの情報は色々と多くてありがたいけれど、メアリーに関してはあまり情報がないので謎ですね。



アールズコートの通り

フレディ好きが昂じて、ついにロンドンとモントルーへ行ってきました。
ロンドンはフレディが住んでいたガーデンロッジや、レコーディングスタジオなど、
スイスのモントルーはクイーンが所有していたマウンテンスタジオの跡地が記念館になり、フレディがこよなく愛した地として、彼が住んでいたマンションなどがあります。
成田からロンドンに着くのは夕方なので、早速ロンドンの街を見物するべく外へ繰り出しました。
ホテルはフレディの家からほど近いアールズコートに取ったので、まずアールズコートの通りを散策。
建物は建設からどれも100年以上経っており、古いレンガの落ち着いた町並みです。
アールズコートの通り

100年以上にわたり蓄積された人々の営みによるものなのか、町には食べ物などの臭いが漂っています。
でも現地の人には臭いはわからないそうです。慣れてしまうので。
アールズコートの通りにはとても素敵なパブやレストランが並び、フレディたちもよく来ていたお店があるはずです。
アールズコートのレストラン

なぜか懐かしい感じがする町で、こんな所なら暫くずっと居たい! と思いました。
通り沿いにフレディの絵を掲げているお店もあります。
フレディの絵があるパブ
これでしょ。
フレディ黄色ジャケット


地下鉄のアールズコート駅。日本の地下鉄はロンドンの地下鉄を真似て作ったそうで、駅も日本より古い。
フレディは若い頃はバスに乗っていたそうで、この駅を利用したかどうかはわからないが、ジム・ハットンはこの駅からサヴォイ・ホテルの理容室に通っていた。
地下鉄アールズコートの駅

フレディは不思議

 フレディ・マーキュリーは不思議な人物だ。
強い人間のようだが、はかない印象もある。複雑なようでいて、ストレートでもある。
高貴な趣味もあるが、乱脈な行動もとる。いったい天使なのか悪魔なのか?
私は1975年のクイーン初来日の時に、武道館で生の彼らを目撃した。
とくにフレディは絶えず動き回って、聴衆に訴え続けていたように記憶する。
一番好きなのはフレディの声、それに容姿も魅惑的だし(とくに若い頃)、優れた音楽の才能を尊敬している。
エイズで亡くなるという、本人に取っても誤算の航跡をとってしまったが、私は彼を全面的に支持する。
彼の謎と魅力を解き明かすべく、入手可能な書籍や画像を漁ってみた。
そしてかなりフレディという人間の理解に迫ることができたと思っている。
それをこれから少しずつ書いてみたい。
フレディ1
えっ書くの? 変なことは書かないでね。(フレディ)
プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
訪問者
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR