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リチャード・ダッド フェアリー・フェローの世界

Jackie誌のクイーン特集 1976年によると、
フレディは作曲のインスピレーションを得るために、よくテイトギャラリーにリチャード・ダッドの絵を見に行っていたという。
リチャード・ダッドは、19世紀のイギリスの画家で、妖精やシェイクスピアの世界を描いたことで有名です。
20才でロイヤル・アカデミー美術学校に入り、「眠るティターニア」と「パック」が評価されました。

「眠るティターニア」 ルーブル美術館
眠るティターニア

「パック」
パック

しかし24才で中東を旅行していた時に、「自分はオシリスの使者だ」と言い始め、悪いものがついている人間を殺さなければならないという妄想に取り付かれて凶暴になってゆき、ついに「父親の中にいる悪魔を殺す」ために、父親をナイフで殺害してしまいました。
そのため精神病院に収容され、じつに40年以上にわたって最後まで病院で過ごすことになりました。

「お伽の木こりの入神の一撃」The Fairy-Feller’s Master Stroke
お伽のきこり
フレディはこの絵をもとに「フェアリ・フェラーの神技」を作曲しました。
この画面を埋め尽くす緻密な画法は、明らかに強迫的であり、画家の心理をあらわしています。
54センチ×40センチの小さな画面の中に、虫眼鏡を使って書き込まれています。
「妖精の木こりが放つ神技の一撃」という意味です。
妖精の木こりがヘーゼルの実を斧で割ろうとしており、魔女の女王ティターニアと妖精王オべロンもいます。
一説によると、この絵の人物たちの時間は凍りついたように止まっていますが、木こりがヘーゼルの実を割った時に再び時間が動き出し、自由の身になると考えられています。

リチャード・ダッドは、この絵について細かい説明文を残していました。
フレディが書いた歌詞は、かなりの部分がダッドの文章からそのまま引用されています。
今ではダッドの説明文をネットで探すことができますが(英語で)、1970年代にこれを探し出したフレディの情報収集力はすごいものだったと思います。
しかしこの絵を音楽化するというのもすごい試みで、しかもよくぞこれほどの音楽化が成功したものという、お気に入りの一曲です!

リチャード・ダッドは精神病院に収容されましたが、病院の中で絵を描くことができたので、生活の心配をすることなく画業に打ち込むことができました。
フレディはダッドやニジンスキーのように、人生の大半を精神病院で過ごした天才に惹かれるところがありましたが、フレディが狂気に陥ることはなくて良かったですね。まあ精神の均衡を保つために、倒れるまで買い物をしたり、同性愛に耽ったりしていたのでしょう。

「この黄色い砂浜に来て」
この黄色い砂浜に来て
シェイクスピアの「テンペスト」に着想を得て描かれたもの。
たしかに幻想的で神秘的な魅惑があります。
フレディもフェアリーフェローだったのかもしれません。

テイトギャラリーにある「彷徨える音楽家」
彷徨える音楽家
フレディは間違いなくこの絵を見ていました。

7月1日からEUは日本からの渡航も許可するようですが、テイトギャラリーに行かれる人は、ぜひダッドを見てみてください。
あっ、イギリスはEUではなかったか。





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「牧神の午後」はどうして牛なんですか?

クイーンの「ブレイクフリー」のPVは、メンバーが全員女装をしていることで有名ですが、その中にフレディによるバレエ「牧神の午後への前奏曲」が含まれています。
「牧神の午後への前奏曲」は、マラルメの詩「半獣神の午後」を元に、ドビュッシーが作曲したもので、それをロシアのバレエ団「バレエ・リュス」のニジンスキーが振り付けました。
ニジンスキーの「牧神の午後」は、古代ギリシャの美術からインスピレーションを受けたもので、ダンサーは常に横を向き、平面的な動きが連続する特異な振り付けになっています。
ニジンスキーの牧神は、最後に性的な動きがあからさまであったため、当時は賛否両論の大論争を巻き起こしました。

ニジンスキーの牧神

フレディはニジンスキーを大変尊敬していたため、ニジンスキーと同じ衣装で、冒頭の同じ振り付けを演じました。
フレディのダンス

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は、紛れもなくすばらしい傑作なのですが、
私はニジンスキーさんとフレディさんに問いたいのです。

どうして牛なんですか?

だって牧神、あるいは半獣神というのは、コレなんですから。
牧神パーン

牧神パーンは、下半身が山羊で、二本の角を生やしている姿です。
パーンは、なんとヘルメスの子供で、世界のあらゆるところに到達できるとされ、「全て」を意味する接頭語「パン」の語源になりました。パンデミックのパンですね。
ヘルメス(マーキュリー)はパーンの誕生を喜んで、神々の元へ運ぶと、神々はみな喜びました。
そこで「全ての神々を喜ばせる」という名前を得たといわれます。

牧神パーンは、原初の両性存在の神パネースと同じものとみなされ、「宇宙全ての神」であるとされますが、
また2本の角を持つ姿がサタンの姿として描かれるようにもなりました。
全宇宙の神でもあり、悪魔の原型でもある、宇宙最強の牧神パーンですね!

パーンは、パニックの語源でもあります。
新型コロナでパニックにならずに、落ち着いて行動しましょう!

白黒まだらの牛はホルスタイン種で、19世紀に人間が在来種を改良したものです。
牧神パーンの衣装にするというのは、大いなる誤解だと思うのです。
ニジンスキーやフレディは家畜ではなく、もっと野生的でパワフルな偉人ですよね!

フレディも尊敬していたヌレエフによる「牧神の午後」の動画があります。
ヌレエフはフレディと同時代人ですが、やはりエイズで亡くなりました。
ヌレエフの牧神←クリックで閲覧できます

それからこの「天才たちが作り出した牧神の午後」も秀逸です。
ニジンスキーの牧神は、舞踊譜が残されていたため、同じ振り付けを再現することができるのですが、これが現代バレエの原点となり、その後に様々なバージョンが作り出されて今日に至っています。
天才たちが作り出した牧神の午後←クリックで閲覧できます







「ボヘミアンラプソディ」に隠された真実に驚愕!

「ボヘミアンラプソディ」は、今までとくに好きではなく、「ママ〜人を殺しちゃったよ〜」という曲が、どうしてすごく人気があるのかわかりませんでした。
氷川きよしの日本語版では、言葉の意味がダイレクトに伝わって来るので、英語圏の人にはこのように聞こえているんだなということがわかり、感心しましたが、やはり言葉の内容は辛く悲しく、悲劇的な歌ですよね。

ところが最近、「ボヘミアンラプソディ」を解析した素晴らしいYouTubeを見つけました。
ボヘミアンラプソディ オペラパートはどのように作られたのか?」という動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=4uTu0m71eb4

制作者の「風野ひとし」氏によると、彼は「ボヘミアンラプソディ」は、カミユの「異邦人」を元にしているという説を採っています。
フレディは若い頃、カミユを愛読していました。
「異邦人」といえば、「今日、ママンが死んだ」という書き出しで始まる、不条理文学の代表です。
私も若い頃に読みました。
主人公のムルソーは、友人のトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまいます。
ムルソーは逮捕され、裁判にかけられて殺人の動機を問われると、「太陽が眩しかったから」と答えます。
死刑を宣告されたムルソーは、執行の時に人々から罵声を浴びせられることを最後の希望とします。

「ボヘミアンラプソディ」は、異性愛者としての自分を葬り、同性愛者として生きる決意を表明した歌だという説が一般的なようですが、フレディがそのように認めたわけではなく、私もカミユの「異邦人」を元にしている説の方がしっくり来ます。
なぜならフレディは17才でロンドンに来てから、強烈に自分を「異邦人」として感じていただろうし、そのことで悩み苦しんでいたため、カミユを愛読していたと考えられるからです。
「異邦人」は英語で strangerで、「知らない人」「よそ者」という意味もあります。

カミユはアルジェリア生まれのフランス人で、貧しい家庭に育ちました。
フレディにとって、共にアフリカの植民地生まれということも共感ポイントだったのではないでしょうか。
カミユ(1913〜1960)は、1957年にノーベル文学賞を受賞しましたが、46才で交通事故により、この世を去っており、彼の死にはKGBによる他殺説もあります。(ソビエト全体主義を非難したため)
カミユ
アルベール・カミユ

カミユの言う不条理とは、明晰な理性で世界に対峙する時に現れる不合理性のことであり、そのような不条理を見つめ続ける態度が「反抗」と呼ばれます。
そして人間性を脅かすものに対する反抗の態度が、人々の間で連帯を生むとされます。
カミユの作品「ペスト」において、疫病に襲われた人々の様子が描かれ、「反抗」の態度によって連帯を生み出すことが示唆されているようなので、今まさに疫病に脅かされている私たちが読むべき本なのだと思います。

カミュの文学は、病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、全体主義など、人間を襲う不条理な暴力との戦いをテーマにしました。
不条理との戦いにおいて、カミユはキリスト教も左翼思想も拒否し、超越的価値に依存することなく、あくまでも人間的地平にとどまって生の意味を探し求めました。
彼は「父」としての「神」を拒否しました。
フレディも16才で「ザンジバル革命」という不条理な暴力を経験し、人間の生きる意味を探し求めるうちに、カミユに共鳴したものと思います。

「ボヘミアンラプソディ オペラパートはいかに作られたのか」の制作者、風野ひとし氏は、この曲はカミユと同様にフレディも無神論者として生きることの決意の表明だと考えていますが、フレディが無神論者であったかどうかは定かではありません。

さて、前置きが長くなってしまいました。
その「オペラパートはいかに作られたのか」についてですが、これが実に良く解明されていて、本当に目からウロコでした!
風野ひとし氏の30分の動画を食い入るように見つめ、2回も見てしまいました。

これはまず、風野氏が2018年11月に、クイーンのレアな音源を入手されたことから始まります。
それから半年に渡り、風野氏はこの音源を徹底的に研究され、それを編集してYouTubeにアップされたのです。
詳しくはその動画をご覧いただきたいのですが、その内容をご紹介します。

クイーンのレアな音源とは、何十年も前から「24トラック・マスター・テープ音源」と称して、一部のファンの間で流布していたものが、近年実際に「24トラック・マスター・テープ音源」の実物が発見されたそうです。
ところが風野氏が入手したテープは18トラックしかなく、不思議に思った氏がテープの解析を行なったところ、実は18トラックの方が本物で、24トラックは別物であったというミステリーに発展します。
24トラックシート
これがフレディ手書きの24トラックシート
近年発見された「24トラック・マスター・テープ」の箱の中に入ってたレアなもの。
24トラックのそれぞれに、ボーカル、ピアノ、ギターなどの何が録音されているか、全て書き込まれています。
また上段のフレディによる落書きも楽しいですね。

風野氏が入手した18トラック・テープの解析により、「ボヘミアン・ラプソディ」の制作方法が明らかになりました。
私はこの動画を見ていて、実は私も20代の頃、音楽スタジオで仕事をしていたことがあるので、フレディの制作方法が手に取るようにわかりました!
私も当時のスタジオのことが思い出され、楽しいけれど苦しいスタジオ現場の様子をまざまざと追体験するハメになったのです。

スタジオでの音楽制作には、時間の観念がありません。
夕方にスタジオ入りしてから、夜中も通して仕事を行ない、明け方になると睡魔との戦いに敗れて、スタジオのソファに倒れて仮眠するような毎日でした。
朝になって帰宅し、昼間は別の仕事に出かけて、夕方になるとまたスタジオへ、という過酷な日々ですから、スタジオのエンジニアたちも「これほどキツイ仕事が他にあるものか」と言っていました。
若かったからできたことで、私もそう長くは続けられませんでした。
坂本龍一も、毎日徹夜の録音により 「45才ぐらいで体がボロボロになった」と言っていましたね。

それで、フレディの録音方法なのですが、当時はアナログテープで多重録音ができるようになった時代でした。
18トラックの機材ならば、18種類の音源を1トラックずつ録音していき、重ねて再生することができます。
これにより、フレディは一人で合唱ができるようになりました。
このようにして「ボヘミアンラプソディ」の冒頭の合唱は、フレディの声だけで作られたのです。
フレディ録音

当時の録音技法として、「ピンポン録音」というのがあります。
これは私たちも良くやっていたのですが、18トラックのうち、フレディが13トラックぐらいに自分の声を録音していますので、残りのトラックが少なくなってしまいます。ところがクイーンはギターやベース、ドラムも多くのトラックを使って録音しています。
トラックが足りなくなると、たとえば4つのトラックを一つにまとめて、別のトラックに入れます。
また別の4つのトラックをまとめて、他のトラックに入れます。
このような作業を「ピンポン録音」と言い、これを繰り返していくと、最終的にボーカルを2つのトラックに纏めることができます。

こう言うと簡単なようですが、実はフレデイは13のトラックにソロを収録して、それらをミックスした音を土台として、さらに新しい音声を次々と重ねていって、多人数で歌ったかのような大合唱を作り上げていたのです!
これをアナログテープの時代にやっていたわけですから、テープをツギハギするために、カットされたテープがスダレのようにスタジオに張り巡らされていたようです。まさに気が遠くなるような作業ですね。

フレディのソロと、フレディ・ロジャー・ブライアンの3人による合唱が、多くのトラックから2本のトラックに纏められ、最終的に24トラック・マスター・テープに纏められたとされています。
よくYouTubeでは、4人がマイクの前で歌っている動画などがありますが、実際のスタジオはそのような、のどかなものではなく、一人ずつブースの中で際限なく繰り返しをさせられる無間地獄のようにものであったと思われます。
撮影用のビデオは、それなりに編集されて作られたものなので、あまり現実とは思わないほうがいいですね。
フレディ スタジオ きれい
このスタジオ写真は撮影用なので、きれいな服に着替えています。
実際は普通のTシャツで、汗臭くて、頭もモジャモジャで、無精髭も生えていたかもしれません。

それでやっと、オペラパートの作り方なのですが、これを解明された風野さんはすごいです!
私は今まで、なぜこれがオペラなのかわかりませんでした。
でも風野氏のおかげで、やっとその意味がわかったのです! (ポラプが発表されてから44年も経っている)

風野氏によると、オペラパートにおいて、音声の録音には3種類の手法が採られています。
フレディのソロと、「ピンポン録音」と、普通の多重録音です。
そして、この3種類にそれぞれの声の役割が与えられているのです。

A フレディのソロ・・・とにかく前に進もうとする青年 (行こうとしている所は断頭台)
B ピンポン録音・・・絶対に行かせてはならないとする人
C 多重録音・・・彼をこのまま行かせようとする人

この三者が組み合わさって、青年を行かせるのか行かせないのか、劇的なドラマが構成されていきます。
フレディは、細かく煩雑な録音作業を長時間に渡って続けたのですが、その録音方法は決して気まぐれなものではなく、実は綿密に考え抜かれたものだったのです!
私も今まで、このようにボラプを聞いたことはなかったので、本当に驚きました。

このフレディのアイディアは、実際にオペラからきているとされます。(風野説)
オペラには独唱(アリア)と、重唱(デュエット)と、合唱があります。
ここからフレディはボラプのオペラパートを考え出したのではないかとする説には、私も頷くことができます。
やはりオペラパートは、オペラから来ていたのでした。

歌詞の内容について、フレディは特に意味はないとし、「人間関係についてだよ」としか言っていません。
ブライアンやロジャーも意味はわからないと言っていますが、クイーンのメンバーの関係は配偶者よりも近いものであり、兄弟みたいなものだとブライアンも言っています。
フレディが無意味なものを作るはずはありませんし、ブライアンやロジャーも意味を知っていたことでしょう。
宗教的な配慮から、意味を公言することはできなかったのではないかというのが風野説です。
ブライアンは「フレディは予測不能な人だった。でも兄弟みたいなものだから、予測はできた」と意味不明なことを言っていますが、何かを隠しているのでは?という疑念も湧きます。

録音の手順としては、最初にフレディのピアノが全編に渡って録音され、それがガイドとなって、その上に様々なパートが重ねられていったであろうとのことで、これも納得できます。
ピアノの次にペース、そしてドラムが録音されていきます。
ただ、フレディの信じ難いところは、楽譜を書いていないという点です。
誰か作曲家がボラプを楽譜に書いて、それをミュージシャンが演奏するのならば、これは簡単に録音が終わります。
ところがフレディが書いていたのは沢山のメモ用紙のようなもので、これを組み合わせて曲を作り上げるとなると、それこそ気が遠くなるような作業となります。
フレディはもともとデザインの勉強をしていたので、おそらく音楽をデザイン的に捉えて、組み立てていたのではないかと思われます。

スタジオの作業では、実際に録音機材を扱うのはオペレーター(エンジニア)です。
他のYouTube動画でも、フレディがコンソール(ミキサー卓)の前に座って、フレディが制作しているかのようなビデオもありますが、これも外部向けの画像に過ぎず、実際にはエンジニアのお世話になっていたことは間違いありません。
たとえば「ピンポン録音」についても、このような録音方法があることをフレディに教えたのはエンジニアでしょうし、そのミックス作業もエンジニアの手によるものです。
スタジオの音楽制作とは、はじめの音入れ作業よりも、その後のミックスダウンの方が、はるかに時間がかかり、僅かなノイズも逃さないように綿密に行われるので、音入れが終わったミュージシャンは、その後ひたすら聴く作業となり、待ち時間が長くなり、忍耐しているうちに寝落ちする、ということになるのです。
コンソールの前のフレディ
コンソールの前のフレディ
隣にエンジニアがいる筈です。

スタジオでの音楽制作は、ミュージシャンとエンジニアの共同制作です。
エンジニアの技術と才能により、同じ音源でも仕上がりは大きく異なってきます。
ボラプはフレディの作詞・作曲となっていますが、クイーンのメンバーをはじめ、多くのエンジニアが関わり、共同制作されているわけですから、もっとエンジニアの名前をクレジットしたりして、尊重してあげてもいいのではないかと思います。

さらに、「ボへミアンラプソディ」の歌詞の内容についてですが、
風野氏は、これはカミユの「異邦人」を題材としたものであり、ある死刑囚の物語で、最後は断頭台へ登っていくのだと考えています。
オペラパートで、死刑台へ向かおうとする青年を止めようとする人と、行かせようとする人がいましたが、イスラムの神が強く彼を行かせようとします。
これはフレディの先祖がイスラム教に圧迫されて、ペルシャからインドへ逃れたことを指しているのでしょうか。
フレディの魂は700年ぐらいにわたり、ボヘミアンになっているのかも。

オペラパートが終わり、ロックパートになると、これは主人公が独房から出て処刑台へ向かう時だという解釈です。(風野氏)
いわゆるグリーンマイルの歩行ですね。
「お前は行くべきではない」と手を差し伸べたかに見えた声が、突然「さあ、前に行こう」と豹変し、青年はハッと我に返ります。
とたんに広場の方から、青年を待ちわびる群衆の怒号がきこえてきて、現実世界へ引き戻されます。
終わり近くに、ギターの3連音符が上っていくところがありますが、あれが断頭台への階段で、その後に処刑と、死による解放が起こります。なるほど、斬新な解釈ですね。

それにしても、「ボヘミアン・ラプソディ」という限りなく悲痛な歌が、これほどまでに多くの人間の賛同を得るということは、世の中の人たちもどんなにか悲痛を抱えているかということの証しでもあります。
映画以降のフレディ人気は、現在のヨーロッパの移民たちにとって、フレディは「移民の星」であるから、とする説もあります。

「異邦人」のムルソーは、「太陽が眩しかったから」殺人を犯し、その罪を甘んじて受け入れて、死に向かいます。
これはフレディが病を得てから、自分がしたことは自分の責任だとして、病気を受け入れていた態度に通じるものがあります。
つまり若き日のフレディがムルソーに重ね合わせた自分が、やがて現実のこととしてフレディ自身の身に顕現してくるという不可思議な運命の巡り合わせに、私たちは身を震わせるしかないのです。フレディへ、合掌。


これは「ワンビジョン」のスタジオ録音風景ですが、やはりどうもプロモーション用のような気がします。
https://www.youtube.com/watch?v=XssPitrqOXM&list=RDXssPitrqOXM&index=1





デビッド・ボウイとフレディ「火星から水星へ」

デビッド・ボウイとフレディについて。
グラムロックの先駆者として登場したデビッド・ボウイは、アーチストとしての才能と、音楽ビジネスをうまく融合させて成功し、「メジャーなカルトヒーロー」と呼ばれるようになりました。
ひとつのコンセプトを作り上げても、次々と新しいスタイルへ脱皮を繰り返し、生涯を通じて前進的な創作活動を続けました。
ボウイから影響を受けたミュージシャンは多く、カルチャークラブやスパンダーバレエ、デュランデュランなどがいます。

フレディとボウイは盟友だったといわれ、お互いに影響を与えあったことでしょう。
ボウイはフレディより1才年下の1947年生まれで、デビュー当時、舞踊家のリンゼイ・ケンプにダンスやマイムを習っていました。
リンゼイ・ケンプのもとでコメディア・デラルテを学びますが、コメディア・デラルテとはイタリアで16世紀に始まった即興の仮面劇で、その登場人物の中にアルレッキーノ(道化師)がいます。
ボウイはそこで自分が世界に対して見せるペルソナの制作に熱中していました。
フレディも自分が演じる「道化師」というペルソナや、マイムの習得について、強い影響を受けたと思われます。
リンゼイ・ケンプ
リンゼイ・ケンプ

リンゼイ・ケンプは日本文化に強い興味を持ち、能や歌舞伎の研究をしていました。
ケンプからの影響で、ボウイは歌舞伎の様式や女形の化粧に興味を持ち、ステージに取り入れることを試みました。
とくに歌舞伎の衣装の「早変わり」を、最初にステージに取り入れた欧米人であるとされます。
日本の着物や袴に似た衣装を身につけることを好み、日本好きが昂じて一時期、京都に住んでいたこともありました。
1973年や1976年には、山本寛斎がボウイの衣装をデザインしています。
フレディがステージで着物を着用したことも、決して突飛なことではなく、このような時代の流れの中で行われたことと言えます。

ボウイはもともとチベット仏教に興味を持っており、僧侶になることも考えていました。
チベット難民救済活動の団体にも属していました。
しかしリンゼイ・ケンプとの出会いにより、僧侶ではなく音楽へ進むことを決意します。
フレディもボウイも、西欧のキリスト教ではなく、アジアの宗教をバックグラウンドに持っていたのですね。
ちなみに、リンゼイ・ケンプはゲイを公表しています。

1972年、ボウイは「ジギー・スターダスト」を発表します。
これは火星からやって来た宇宙人のロック・スターの成功から没落までの物語で、この作品によりボウイはグラム・ロックの代表としての地位を確立しました。
ジギーは妖艶なバイセクシャルという設定で、ボウイは地球で一番美しい男と呼ばれていました。
ボウイはは1973年、ハマースミスで「ジギー・スターダスト」の公演を行なった後、ジギーを演じることをやめました。
デビッド・ボウイ

ボウイは火星からやって来たロック・スターで、フレディは水星(マーキュリー)です。
ここで思い出すのが、「ライアー」の歌詞です。
「Liar from Mars to Mercury」というのがありますよね。
火星から水星へ」というのは、ボウイとのつながりを表しているのでしょうか?
火星から水星へ

ロックは地球を超えて、宇宙への広がりがあって面白いですね。
(クラシックにも、ホルストの「惑星」がありますが)
もちろんブライアンも、いつも宇宙のことを考えている宇宙人でしょう。(宇宙に生きている人という意味)
ブライアンの博士論文は、黄道に関するものだそうですが、黄道とは天球上の太陽の通り道のこと。
ブライアンが応援している探査機ニューホライズンズは冥王星を超え、現在カイパーベルトを探査中です。
ボイジャーも太陽系を越えて、他の恒星系へ向かっています。
私たちも太陽系以遠まで意識を広げたいものです。
(ブライアンの20年ぶりの新曲「ニュー・ホライズンズ」は、1919年1月1日にリリース)

ボウイの異母兄は精神を病んでおり、1985年に自殺しました。
大変なショックを受けたボウイは、それ以後、弱いものにはとても優しくなったという。
ボウイ自身も、スターであり続ける重圧やドラッグの影響から、精神的に不安定になることもありましたが、ぎりぎりの状態まで自分を追いつめては創作活動に励み、自分の道を歩み続けました。
本当に1960年代〜1980年代にかけて、イギリスで開花した才能たちの輝きは凄まじいばかりでした!
当時の最先端だったロックに、最高の才能たちが集まった時代だったのでしょう。
1990年代以降、音楽業界のあり方が変わってきました。
文化が衰退すると、その文明は滅びるといわれます。
新しい文化を創っていくのは誰か?
新しい才能を期待しています。

ちなみに、デビッド・ボウイの伝記を翻訳したMさんは友人です!



フレディは「道化」で「英雄」のトリックスターだ!!

「フレディは道化師である」という結論を書きましたが、実はその上にもう一段奥の結論があります。
それは「フレディはトリックスターである」という最終結論です!

トリックスター とは、神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者のこと。
善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である。(Wikipediaより)

トリックスターは文化人類学や神話学で扱われる類型で、ユングも元型論に加えました。
トリックスターは光と闇の二面性を持ち、境界を突破して、これまで安定していた世界を破壊します。
そして神のように振る舞うこともあれば、突然に失墜することもあります。

日本のスサノオノミコトや孫悟空、またギリシャ神話のヘルメス(マーキュリー)もトリックスターと考えられています。
フレディはマーキュリーを名乗って以来、トリックスターとなることが運命付けられていたのかもしれません。
ヘルメス トリックスター

トリックスターは価値の転倒を行ない、天と地を結ぶ。
道化役を担い、王にもなるが没落する。
古い世界を破壊して波乱を起こすが、文化の発展を促す「文化英雄」とされることが多い。

フレディもお坊ちゃん育ちなのに、やたらとバッドガイになりたがり、しょっちゅうファックとかビッチと言っている。
フレディを「高貴で気高いあばずれ」と形容した人がいます。あばずれはビッチですね。

トリックスターは創造し、破壊する。贈与するが自分も受け取る。人を騙すが、自分も騙される存在。
彼は何も欲しない。彼は押さえつけられない衝動からのように、常にやむなく振舞っている。
彼は善も悪も何も知らないが、両方に対して責任がある。
道徳的、あるいは社会的な価値は持たず、情欲と貪欲に左右されているが、その行動を通じて、すべての価値が生まれてくる。
 
とてもよくフレディに似ているような気がする。

トリックスターは、「狡猾」「粗暴」「悪知恵」「愚かさ」などの特性を備え、決して道徳的に褒められる存在ではありません。
でも、その「道化性」ゆえに、境界を越えて幅広く行動するという特性をもち「英雄的偉業」を成し遂げることがあるのです。
やはり道化師なのですね。

ユングの『トリックスター』より
「彼は救世主の先駆者であり、救世主のように神であり、人間であり、動物である。彼は人間以下でも以上でもあり半神半獣的存在であり、彼の主な驚くべき特徴は、無意識である。そのため、彼は彼の(明らかに人間の)仲間から見棄てられるが、それは仲間の意識水準からの落ち込みを示唆しているのであろう。」

ユングによれば、トリックスターとは「救世主の先駆者」であり、「愚か者」と「道化」としての側面もありながら、「英雄性」 も併せ持っています。
トリックスターの大きな特徴は、ひとつのキャラクターの中に「道化性」と「英雄性」という相反する要素をもった両義性にあると言えます。
フレディにとても良く当てはまりますね。
フレディ トリックスター

「愚か者」といえば思い出すのは、タロットカードのゼロ番「愚者」のカード。
「愚者」The Foolは、道化師の衣装を身につけ、棒を持って旅をしている。
頭には王冠を被っているので、かつては高貴な存在で権力があり、天上との交信の能力を持っていたことを表している。
つまり「愚者」は愚かであると同時に優れており、何も持っていないが全てを知っている人物。
かつては全てを持っていたが、今は全てを放棄して自由になった人。
これはトリックスターの「価値の転倒」と似ています。

「愚か者」は、この世の価値が転倒していることを示唆しています。
これはプラトンの「洞窟の比喩」にも語られています。
洞窟に住む縛られた人々が見ているのは、実体の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。
同じように、私たちが現実に見ているのものは、イデアの「影」に過ぎないと、ブラトンは言っています。
私たちが考える世の中の成功や富や名声は、実体の「影」に過ぎないものであり、本当の「実体」は私たちの背後にあります。
それを私たちに気づかせるために、道化師やトリックスターたちは暗躍しているのです!

トリックスターとは、神話の世界や、文化人類学の研究対象の中にいるのではなく、現実の人間として存在するということをフレディは教えてくれました。
私たちは20世紀のトリックスターを実際に目撃したのです!

トリックスターを目撃
見たにゃ。


8月から4ヶ月にわたって書いてきましたが、一応の結論に達したので、ここで一区切りにしたいと思います。
また何かあれば書きます。
1月26日のクイーンのコンサートには行きます。
44年ぶりにブライアンとロジャーに会えるなんて!

それでは皆さま良いお年を!



プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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