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「ドラァグ・クイーン」フレディの性自認は?

ドラァグクイーンとは何か? 調べてみました。
フレディのおかげで、初めて知ることは多い。

これはグレートプリテンダーのコーラスで、ウ〜ウウ〜ウと言っているフレディとロジャーと、ピーター・ストレイカー。
この3人はコーラスガールなのかと思っていたのですが、そうではなく「ドラァグクイーン」なのですね。
ドラァグクイーン

ドラァグクイーンとは、派手な女装をした人のことで、男性が理想とする女性像を過剰に演出したものとされます。
もともとサブカルチャーとしてのゲイの文化の中から生まれたものなので、ドラァグクイーンの中にはゲイやバイセクシュアルの人が多くいます。
dragは、ドレスの裾を引きずることから来ています。
パソコン操作の「ドラッグ アンド ドロップ」の、ドラッグと同じことですが、薬物のドラッグと区別するために、「ドラァグ」と表記するようです。

ドラァグクイーンは、パフォーマンスとしての女装で、女性のパロディのようなものなので、トランスジェンダーの人が女性と見られるために女性の衣服を身につけることとは違います。
ドラァグクイーンは、パフォーマンスまたは仕事としてしており、多くの場合、男性自認を持つ男性なので、パフォーマンスや仕事以外では男性の服装をしています。
ドラァグクイーンの男性たちは、女性になることを望んでいるわけではありません。

日本のドラァグクイーンには、マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブ、ブルボンヌなどがいます。

こうして見ると、性の多様性というのは本当に複雑で、とてもLGBTQだけでは分けられないことがわかります。
性の分類法は色々ありますが、たとえば 「身体の性」「服装」「好きになる相手の性」「自認する性」の4つで分類する方法があります。
ストレートの男性では、この4つが「男」「男」「女」「男」となりますが、4つとも全て「男」という人もいます。
マツコ・デラックスは「男」「女」「女」「男」であるようです。
假屋崎省吾は「男」「男」「男」「女」であるようです。
はるな愛は「男」「女」「男」「女」であるようです。
それではフレディはどうなのでしょうか?
「男」「男たまに女装」「男ときに女」「男+女」といったところでしょうか?
フレディの性自認はどちらだったのでしょうね?
本人にもわからなかったのかもしれません。

なお、母親が妊娠中の胎児の性別決定についてですが、
ストレスのない正常な環境では、やや男児が多くなりますが、妊婦が受胎期にストレスが多いと、子宮が酸性化して女児が増えるといわれます。
フレディが誕生した1946年9月は、第二次世界大戦終結から1年後ですから、戦争直後の混乱期に受胎しています。
戦争中に生まれた子供は同性愛者が多くなるといわれますが、フレディも母親のストレスの影響を受けたのかもしれません。
そして、世の中に存在する多様な性は、母親のストレスの度合いによって、様々に変化しているのかもしれません。

 


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フレディの「ハードゲイ」時代について

ハードゲイについて。書くのはむずかしい。
よくわからないから。
それでもちょっと書いてみる。

男性同性愛については、まったく問題ないと思うし、ぜんぜん気にならない。
古代ギリシャでは、市民の義務として行なわれていたわけだし、世界史の至る所で、日本でも歴史上連綿と行われてきた当たり前の行為である。
同性同士で愛し合うのは、それはそれでオメデタイことだし、末長く幸せになってほしい。
けれど、ハードゲイというのはちょっと違うようだ。

ハードゲイは和製英語なので、世界では通じない言葉だ。
海外では「レザー サブカルチャー」と呼ばれている文化様式のこと。
もとは1970年代後半から、ニューヨークで起こったゲイのムーブメントで、
筋肉を鍛えた肉体を誇り、SMなど過激な表現を行ない、旧来の硬派な男性性の言動をとる人たちがいた。
とくに黒い革に、銀色の鎖や鋲を付けた服装を好んだ。

フレディはアメリカで、この「レザー サブカルチャー」の洗礼をもろに受け、感化されたわけですね。
クイーンのメンバーが西海岸を好んだのに対し、フレディだけがニューヨークに住まいを持っていた。
レザーフレディ

アメリカでは、黒い革の服だけでなく、ブルージーンズに白いTシャツやタンクトップといった、黒・白・青の三色が好まれた。
それに軍隊仕様の個人認識票やブーツ、鍵や錠前型のアクセサリー、モヒカンやスキンヘッドの髪型、タトゥーなどのファッションが世界の若者へ広がっていった。
つまり、フレディのライブエイドの服装も、じつはハードゲイだったのである!
私はあのジーンズとタンクトップは、アフリカ飢餓のチャリティーなので、なるべく質素な衣装にしたのかと思っていたのだが、そんなものではなかったのだ!
フレディは自分のゲイという趣味嗜好、そして生き方を、芸風にまで浸透させていた。(これってシャレ?)
ライブエイドのゲイ

ハードゲイは、第二次世界大戦後のアメリカで、社会に迎合しない反抗的な男性性のあり方に共感する同性愛者たちが、ファッションや行動様式を通じて、同性愛者のアイデンティティーとして確立したもの。
これが『Leather subculture(レザー・サブカルチャー)』と呼ばれている。
フレディも同じ戦後生まれの世代で、社会から差別を受けた経験があり、社会に対する反発意識で共感したのだろう。
レザーのステージ
でもフレディの場合、黒いレザーの上下で決めていても、足元にはバレエシューズを履いていたりして、ハイカルチャーとの混交があって面白い。やはりハードゲイには成りきれなかったのだろうか?

日本にはハードゲイは根付いていない。
もともと日本には男性同性愛を禁忌とするところはなかったので、反抗する必要もなかったのかもしれない。
フレディは、ゾロアスター教で同性愛が禁じられているため、ずいぶん苦しんだようだが、ゾロアスター教の聖典アヴェスターは開祖ゾロアスターが書いたものではなく、アケメネス朝期に大部分が失われ、ササン朝期に復元されたものなので、後世のかなりの加筆訂正があると思われる。根本的な教義以外のところは、あまり気にしなくていいのだ。

アメリカのハードゲイは、あまりに過激になってしまい、問題もあった。
SMについては、私も詳らかではないが、フレディが1982年頃に付き合っていたビル・リードはフレディに暴力をふるい、フレディに外傷を負わせた。これはあまりに過激な行為だったのではないか?
そして男性同性愛は、両者の男性ホルモン(テストステロン)が高く、あまりに積極的になるので、交渉相手の人数が増えて行く。アメリカのアンケートで、これまでに付き合った人数が1000人以上いるというが27パーセントもいた。
これはどうみても「Too Much Love」では?
古代ギリシャの少年を教育する同性愛からは、ずいぶんかけ離れていると思うので、賛同できない。

ハードゲイの人たちは群れているので、きっと心が寂しい人たち
映画「ボヘミアンラプソディ」で、フレディがミュンヘンで飲み過ぎて倒れているところへメアリーが来て、それからポール・プレンターがどやどやと若者たちを連れて来るシーンがあった。あの皮ジャンの若者たちがハードゲイの連中だ。
ポール・プレンターも北アイルランドでマイノリティーのカトリックであり、カトリックで禁じられたゲイであったことから、ハードゲイにのめり込むことになったのではないか。

フレディも17才まで過ごしたアフリカとインドを捨て、ロンドンで「故郷喪失者」となり、世界を旅して仕事をするボヘミアンとなったため、心の中には常に寂しさと虚しさがあり、どこかに帰属したいという気持ちが強かったのだろう。
そこで出会ったハードゲイの世界に、たちまち魅了されてしまったと考えられる。
故郷喪失者にとって、最後のよりどころとなるのは自分の身体だ。
身体を鍛えて頑丈にしようとするのも当然だろう。
信じられるものは身体感覚だけという極端な捉え方もあり得る。

また、自分が生育した家庭が機能不全の場合、どこか他に父親や母親を求めてさまよい、新興宗教などに入ってしまうことがある。
心が寂しいと、誤って宗教団体を家族と同様に感じてしまうのだ。
フレディもハードゲイの仲間たちと一緒にいると、家族と同じような安心が得られたのかもしれない。
(フレディの家族は敬虔なゾロアスター教徒なので、同性愛は認められない)

1970年代のゲイ解放運動が生んだ産物として、おびただしい数のゲイ専用サウナ(バスハウス)やクラブがあった。
当時流行していた主張に、古い性行動の限界を突破することは、ひとつの政治的行為であり、抑圧された社会的規範から自由になったという証明なのだというものがある。
こうした主張に便乗した商売が隆盛し、性を商品化した結果、不特定多数と活発に交際していた彼らの間では、性感染症が激増していった。そこに登場したのがエイズである。
自由を謳歌していたフレディも、これには太刀打ちができなかった。

男性同性愛というと、普通はオネエとかオカマを想像してしまうと思うが、それとは違うハードゲイという世界があるのだ。
体を鍛えたマッチョでヒゲを蓄えた男同士の恋愛というか関係は、想像するのも難しいというか、想像不能である。
(ヒゲも強い男性性の象徴)
フレディはもともと線が細くて、女らしい仕草もあったので、ますます不可解である。
人間て複雑ですね。
フレディは太陽がノーアスペクトなので、付き合う相手によって生き方や外見も変わっていく。(占星術解読の項目を参照して下さい)
ハードゲイに憧れて、自分も逞しくなろうとしたが、やはり成りきれなかったフレディは、「グレート プリテンダー」でヒゲを剃り落した。
それからオペラ歌手と共演し、若い頃から好きだったハイカルチャーの世界との融合をはかる。
私にはその方が本来のフレディと思える。
自身の病気を知り、人生の限界を知った時、本来の自分のあり方に目覚めたのだ。

フレディの太陽ノーアスペクトは、父親との関係が薄いことも表しており、父親のような強い男性に憧れたという面がある。
父親のような男性に頼りたかったフレディは、男性の恋人にもたれかかっている幸せそうな写真がある。
太陽ノーアスペクトの男性は、自分がどのような男性になれば良いかわからないという面もある。
フレディが男性同性愛者として、どのように生きるのかアイデンティティーを確立するまでは大変だっただろう。

グレートブリテンダーの歌詞では、
「今にも消えそうな心に、宝飾の王冠を乗せて
煌びやかに見せよう
君がまだ、僕のそばにいると、自分に思い込ませて」
と言っているので、ハードゲイの世界では本当に愛する人を見つけられなかったのだろう。

そして出会ったジム・ハットンは、やたらと色々な人と付き合うようなハードゲイではなかった。
やはりフレディにはハードゲイは似合わない、と私は思うよ。

ちなみに、ハードゲイのコスチュームやアクセサリーは、ヘヴィメタルやパンクのファッションにも似ている。
しかしヘヴィメタやパンクのファッションは、アメリカよりもヨーロッパの軍服などに近いものが多く、ヨーロッパ伝統の馬具や拷問道具などから来ているため、「レザー サブカルチャー」ではないとされる。

フレディのレザージャケットは、ハードゲイの黒から、他の色が配色されるようになり、
フレディの皮ジャン

さらにバックルジャケットへと進化してゆく。
バックルジャケット

フレディはレザージャケットの下には、タイツのような伸縮性のある薄手のボトムスを着用していた。(モントルーの旧マウンテンスタジオで確認した)
これはバレエ愛好の時代を思わせるものであり、全くハードゲイではないので、やはりフレディは真のハードゲイではなく、様々な文化様式の混合だと思われる。
ロックとポップと「レザー サブカルチャー」とハイカルチャーのハイブリッドなのかもね。

エイズ=生物兵器説

エイズについて。

エイズの起源はどこにあるのであろうか?
エドワード・フーバーによると、エイズの起源についての調査を10年間にわたって行なった結果、1950年代にアフリカで行なわれた経口ポリオワクチンが原因であるという結論に至ったと述べています。

また、ロバート・ストレッカー博士は、アメリカで1970年代末と1980年代初期に行なわれた、B型肝炎ワクチンの試験接種で感染が始まったと言っています。

一般には、アフリカのミドリザルが、他の猿を食べた時に「サル免疫不全ウィルス」に感染し、そのサルを食べた人間にも感染したとされていますが、人間がサルを食べたのでしょうか?
ウィルス学者のノーバート・ラポザは「中央アフリカのザイールで働いていたハイチ人が、1977年までに国へ戻った。ハイチでゲイの国際会議が開かれた時、そこでセックスや麻薬によってウィルスが広がり、ニューヨークやカリフォリニアに持ち込まれた」としていますが、ゲイである皮膚科医のアラン・キャントウェル・Jrは、ハイチでゲイの国際会議が開かれたことはない、と断言しています。

1988年に、日本の分子生物学者が、ミドリザルとエイズウィルスの間には、遺伝子工学上の関連性はないという結論に達しました。
エイズの原因はミドリザルだと公式に発表されると、私たちはそれを鵜呑みにして信じてしまいますが、果たしてそうなのでしょうか?
だいたいミドリザルって何? 緑色なの?
写真を見てみたら、普通の茶色いサルでした。
エイズの起源はわかっていない、ということですね。

アメリカでは1979年にエイズの最初の事例があり、1984年にエイズウィルスが発見されました。
医師たちは未知の恐ろしい病気に立ち向かい、エイズ患者はゲイに多く、ゲイの半分はB型肝炎のウィルスに感染していることを突き止めました。
B型肝炎は性感染症であり、疫学上、一般大衆にとっても危険であったので、B型肝炎撲滅のためにワクチンが開発されました。
1978年11月からB型肝炎ワクチンの試験が始まり、まず1000人以上のゲイが接種を受けました。
すると、1979年1月から紫色の皮膚障害が現れ始め、それから30ヶ月の間に、免疫不全とカポジ肉腫が広がっていったのです。
(1978年11月以前にボランティアで接種を受けた人もいました)

血液サンプルの調査によると、1978年以前には、アメリカにエイズは存在しませんでした。
1978年の試験接種以後に、エイズウィルスが入ってきたのです。
「ドント・ストップ・ミー・ナウ」 1978年
「愛という名の欲望」  1979年
「獄へ道連れ」   1980年
危ない時期ですね。
フレディは1980年代の初めに、ニューヨークに住んでいました。
この時期に感染したのだろうと言われています。
ニューヨークのゲイ・コミュニティーにいれば、B型肝炎についても情報が入っていたことでしょう。
用心深いフレディのことですから、自らワクチン接種に出向いた可能性もあるのではないでしょうか?

1983年には、エイズ患者の93パーセントが、B型肝炎の血液検査で陽性でした。
医師たちは、B型肝炎ワクチンの中にエイズウィルスが混入しているのではないかと恐れました。
ワクチンの接種を受けた212人のうち、1981年には20パーセント以上が、1982年には30パーセントが、そして1984年までには40パーセントもの人たちがHIV陽性になっていました。

エイズがハイチからアメリカに入ったのではなく、ミドリザルが起源ではないとすれば、一体どこからウィルスは来たのでしょうか?
医師のアラン・キャントウェル・Jrは、B型肝炎ワクチンがエイズの原因だと考え、このワクチンを作ったのは国立保健研究所とメルク社であり、この両者は軍隊の生物兵器研究施設と結びつくとしています。
つまりエイズウィルスは、生物兵器であったとする驚くべき説を述べています。
彼は著書の中で、エイズ蔓延の背景には、動物実験や遺伝子工学、生物兵器研究所といった巨大なテクノロジーの利害が関わっていたという疑惑を明らかにしたのです。
エイズの始まりには、根強いゲイ差別と人種差別が潜んでいました。
(アラン・キャントウェル・Jr『エイズの陰謀』)
これまでにエイズで命を落とした人は3600万人のぼります。

ただ、このエイズウィルス生物兵器説で疑問に思うのは、その潜伏期間の短さです。
1979年11月に接種して、1980年はじめから症状が現れるのでは早すぎます。
実際には1979年11月の半年ぐらい前からボランティアで接種した人がいたとのことで、
エイズの潜伏期間は6ヶ月〜15年ぐらいとされるので、あり得ない話ではないのですが。

現在ではエイズの進行を抑える薬が開発されていますが、フレディの頃にはまだ特効薬はなく、AZTという薬剤のみが使われていました。AZTは病気を治癒させるものではなく、延命効果があるとされていましたが、副作用も強いものがありました。
エイズではないのに誤ってAZTを処方された人の報告によると、頭痛、高血圧、絶え間ない脚の痛み(抹消神経障害)に悩まされたということです。
これはフレディをも苦しめた副作用ですから、本当にあと5年フレディが生きていてくれれば、と思わずにはいられません!

1980年代〜1990年代にかけて、エイズで死亡した人たちには、歌手・俳優・映画監督・フィギュアスケート選手・バレエダンサー・ピアニスト・画家・作家・哲学者など、芸術家やアーティストが多くありました。
俳優のロック・ハドソンは、自らの病を初めてカミングアウトした人として有名です。
バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフは、フレディと恋人関係にあったとする説もあり、そうではないという説もあります。一緒に踊ったという記述もありましたが、裏は取れていません。フレディから見ると偉大な憧れのダンサーだったと思います。
アイザック・アシモフ(SF作家)やデレク・ジャーマン(映画監督)、ミシェル・フーコー(哲学者)、キース・ヘリング(画家)など、驚くべき人物たちが並びます。
本当に惜しい人たちが亡くなってしまいました。

性感染症で亡くなった人たちというと、エイズの前には梅毒が流行していました。
シューベルトはわずか31才で死亡。
シューマンは梅毒で神経が侵され、精神病院で亡くなりました。
ゴッホとロートレックは、梅毒による神経症状がひどかったと伝えられます。
ニーチェは脳梅毒が悪化した10年間に精神が亢進し、多くの著作を残しました。
画家のマネは16才の時にブラジルで感染した梅毒が進行し、壊疽になった左足を切断しましたが、予後が悪く、ほどなく亡くなりました。

人間の歴史とは一体何なのか考えさせられてしまいます。
亡くなった方達に感謝と祈りを捧げたいと思います。







同性愛は人類の歴史と共に

男性同性愛について。

同性愛は紀元前から盛んに行われており、紀元前1万年〜紀元前5000年頃、現在のヨーロッパに当たる地域では、同性愛が広く受け入れられていました。
シチリア島で発見された岩の壁画には、二人一組の男性が多く描かれています。

紀元前2400年頃にエジプト王室に仕えた二人の男性は、具体的な人物像が判明している最古の同性カップルと言われます。
二人の名前を合わせると、「生と死の結びつき」という意味になります。
この二人を描いた壁画では、妻が描かれる位置に、男性が描かれています。

古代ギリシャでは「少年愛」が盛んに行なわれ、アテナイでは暗黙に認められた市民の「義務」であり、スパルタでは男性市民にとって、法文化された「義務」に他なりませんでした。
古代ギリシャでは、知性があり戦士として優れた肉体を持ち、指導力と徳がある「男子市民」が、それらの卓越性を若い青年や少年に授けることが「少年愛」でした。
ソクラテスは多くの青年を口説き落とすことで有名でした。
プラトンも古代ギリシャの上流市民の常として、美少年アステールを愛しました。

古代ローマでは「少年愛」は制度化されていませんでしたが、
皇帝ネロは、16才ぐらいの絶世の美少年スポルスを見つけると、去勢して女装させ、自分の三番目の妃に据えました。
皇帝ハドリアヌスは、美青年アンティノウスを愛しましたが、アンティノウスは原因不明のまま自ら命を絶ってしまいました。

一転して、ユダヤ教ではトーラーに同性愛を罪悪と明記しており、それを受け継いだキリスト教でも同性愛は宗教的禁忌としました。
暗い中世を過ごした後、ルネッサンスになるとレオナルド・ダ・ヴィンチは美少年のジャコモを弟子にして愛し、聖ヨハネのモデルにもなりました。モナリザのモデルも、ジャコモだとする説があります。
明らかに同性愛だったカラヴァッジォの絵には、少年愛の嗜好がうかがえます。
イングランドでは、シェイクスピアが青年の美しさを賛美し、熱烈な恋情を作中の青年に寄せています。
快楽と苦痛
レオナルド・ダ・ヴィンチの「快楽と苦痛」
レオナルドと少年が一体となっている。

アラブにおいても少年愛が存在したと考えられ、詩人は酒席で美少年と同性愛を堪能したことをうたっています。
ペルシャでも少年愛が公然と存在したとされています。

日本は男色に寛容な国ですが、「続日本紀」には天武天皇の孫が、喪中に男色行為にふけっていたので廃太子にされた記述があります。
中世においては、女を排除した武士や寺院では、男色は一般的なものでした。
将軍や大名たちは、制度化された少年愛を実行していました。
足利義満と世阿弥の関係は有名です。
戦国武将は臣下と同性愛の関係を持つことが多く、武田信玄も小姓との関係があり、織田信長と森蘭丸・前田利家との関係も有名です。

江戸時代には男色は「衆道」と呼ばれ、男色専門の美少年を揃えた「陰間茶屋」が栄えました。
徳川家光も男色家として知られており、大勢の近衆・小姓を寵愛しました。
徳川綱吉も多数の美童を小姓として持っていました。

明治以降も江戸時代の流れを汲んで、衆道は続き、西郷隆盛も美少年が好きでした。
(日本では同性愛者を迫害したり逮捕するような歴史はなく、表立った差別もありませんでした。
そのため抑圧に反対するゲイ解放運動も活発ではありません。)

つまり、キリスト教(ユダヤ教、イスラム教を含む)以外では、ほとんど男色を禁じておらず、有史以来の古今東西、人間の常として男色は連綿として行われてきたのです。
それは自然な行為なので、咎め立てをしても仕方がないのです。
聖セバスチャン
モロー「聖セバスチャンの殉教」 ゲイのアイコンとなりました。

なぜ同性愛になるのか。
その原因はわかっておらず、脳の機能説や環境ホルモン説、妊娠中の母親のストレス説などがあります。
たとえば戦争中に妊娠した母親の子供は同性愛になる確率が高くなるという説がありますが、「なぜ同性愛になるのか」という設問自自体が、「なぜ異性愛になるのか」という問題と同じで、意味をなさないのかもしれません。

わかっていることは、人間の性は男性と女性だけではなく、女性的な男性もいれば、男性的な女性もいます。
男性と女性の間は、きれいに2分割できるものではなく、男らしい男→女らしい男→男らしい女→女らしい女の間には無限の段階があるということです。
最近の調査によると、男性同性愛の人は男性ホルモンと共に女性ホルモンも多く、それを母親から受け継いでるということがわかってきました。
女性ホルモンの多い家系から、男性同性愛者は生まれるらしい。
ということは、男性同性愛者は女性らしさも兼ね備えているので、感受性が鋭く、美や芸術を愛好し、アーティスティックな活動をする人も多くなります。

歴史上の同性愛者からは、多くの芸術家やアーティストを輩出しています。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、シェイクスピア、チャイコフスキー、オスカー・ワイルド、サマセット・モーム、川端康成、三島由紀夫、ジェームズ・ディーン、ローレンス・オリヴィエ、マーロン・ブランドなど、枚挙にいとまがありません。

西洋の精神医学では、同性愛が精神疾患のリストから消えたのは1990年のことでしたが、それがあまりに最近のことなので呆れてしまいます。
同性愛は今後とも、途切れることなく継続することは間違いありません。
同性愛を不気味に思うような人がいるとすれば、ぜひ同性愛の歴史や、芸術家のリストに目を通していただきたいと思います。

ただ、現代の男性同性愛者の行動には驚くべきものがあります。
1980年以前にアメリカで行なわれた調査によると、
過去1年間に「性交渉を目的に出歩いたことがあるかどうか?」という質問には、ほとんど全ての男性同性愛者がYesであり、
過去一年間に関係を持った相手の数は、50人以上が25パーセント、20人〜50人が25パーセント、7〜19人は30%となり、
なんとこれまでに経験した相手の数は、100人以上が75パーセント、1000人以上が27パーセントだったのです!

フレディの恋人が10人ぐらいいたとしても、ピカソの恋人も9人いましたし、芸術家としては普通かもしれません。
それにしてもフレディのラブアフェアが何十人、何百人となると、あまりに過剰ではないかと叩かれもしました。
Too much love will kill you とブライアンも書きましたが、それをまたフレディ本人が歌っているというのが何ともはや・・・
ところがアメリカの同性愛者の調査によると、100人以上は75パーセントなので、フレディも普通だったということになります。
しかも4人に1人以上が1000人超えというのですから、べつにフレディが特別だったわけではないことがわかります。
(72才のミック・ジャガーは、最近45才年下のバレリーナとの間に子供をもうけましたが、彼はこれまでに4000人以上の女性と付き合ったと言っています!)
幸せなフレディ
幸せなフレディ

男性同性愛については、知り合いもいますし、何ら異を唱えるつもりはありませんが、それにしても数をこなせばいいというものではないので、どうか古代ギリシャのアレーテー(徳)を重んじる精神的な愛の美学をもふまえて、御身を大切にしていただければと思います。

ロンドンのLGBTとフレディ

プロムス

LGBTについては、また改めて書こうと思うのですが、ロンドンからの情報が入ったので、まずそれを。
ロンドンでは夏に「プロムス」という音楽祭が開かれます。
プロムスとは、プロムナードコンサートの略で、ぶらぶら歩きながら聴けるコンサートという意味です。
会期は2ヶ月に及び、100年以上の歴史を持つ、世界最大の音楽祭です。
私も8月にロイヤルアルバートホールでプロムスを聴いたのですが、この9月14日に最終日を迎えました。
最後のコンサートは Last Night of the Proms という特別なプログラムで、日本でいうと紅白歌合戦のような国民的行事になっています。
そのコンサートの最後には、「ルール・ブリタニア」やエルガーの「威風堂々」が演奏され、客席ではイギリスの国旗を振って応援します。そして「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」の時にはみんな起立します。
ところが今年は初めてギリス国旗ではなく、七色のレインボーフラッグだったそうで、これはLGBTを表しています。
性の違いは2種類ではなく、七色のような違いがあることを認めようという応援だったのです!
これをフレディが知ったら、嬉しかったのではないでしょうか?!
そもそも、フレディたちがLGBTを隠さなくなったことで、一般の人にも理解が広まってきたので、現在のように理解が進んできたのですよね。フレディのおかげで、幸せな同性カップルが誕生するようになったと言ってもよいのではないでしょうか。

ヨーロッパのキリスト教社会では、同性愛は犯罪とされていて、なんと処刑の対象になっていました。
イギリスでも処刑の歴史があり、最後の処刑が行われたのは1836年のことでした。
1863年には同性愛者の死刑は禁止され、「反自然的な行為」は10年以上の懲役または終身刑となります。
イギリスで同性愛が犯罪ではなくなったのは、なんと1967年になってからでした! (イングランドとウェールズ)
フレディがロンドンに来たのは1964年ですから、当時はまだ犯罪とされていた時代だったのですね!

その後、2005年になると、同性でもほとんど結婚と同じ権利を持つことができる「シビル・パートナーシップ」が導入されます。
そしてついに、2013年に同性間の結婚を認める法案が成立、翌2014年に施行されました。
これをフレディが知ったら、どんなに喜んだことでしょう!
2018年にはエリザベス女王の親戚、マウントバッテン卿が同性と結婚しました。

世の中からあらゆる差別がなくなるように願っています。

プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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