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『黒の服飾史』ヨーロッパの色彩感覚

ヨーロッパの色彩感覚について、驚くべきことがわかりました!
日本に比べて、ヨーロッパの色彩は「渋い」とか「シック」な感じがしませんか?
(「シック」とは、上品で洗練されているという意味)
日本の繁華街は様々な色が氾濫していて、いかにもアジアですが、ヨーロッパに行くと街並みの色が統一されていて、落ち着いた雰囲気を湛えています。
それはヨーロッパの色彩感覚が優れているからではなくて、実は「色に禁欲的」であるからだったのです!

ヨーロッパ中世において、多彩な色使いは、芸人や楽師や道化など、社会から疎外された人々の衣服の定番でした。
気晴らしや娯楽を提供する彼らは、社会の序列から排除された人々であり、彼らの派手な色使いは危険視されました。
道化服の典型は、赤と黄と緑をボーター柄やダイヤ柄に並べたもので、楽器を演奏する楽師も同様でした。

さらに中世では、多色の縞柄が娼婦のしるしとして使われており、カラフルな縞柄は売春と結びつけられる色の観念となりました。
赤や黄色、緑、青などの華やかな色は、道化師や娼婦のような被差別者の色であったのです!

フレディは典型的な道化の衣裳を着ていましたが、ヨーロッパにおいて、これは非常に目立つ色彩であり、突飛で下品な扮装であることが歴然としていたわけです。
クイーンのメンバーで、他にこのような衣裳を着ている人はいません。
フレディが初めてタイツ姿で現れた時、ロジャーは「勇気があるなあ」と思ったそうですね。
ロンドンに移住して民族的な差別を受けたフレディの、これは無言の抗議であり、挑戦であったのでしょう。
仮面のフレディ
これはダイヤ柄ではなかったけれど、似たようなものでしょう。

ヨーロッパ人は少ない色数で色を統一しようとします。
ところが日本は色に寛容な文化であり、季節の色を楽しむ文化です。
日本人は自然の色を着るという発想を持っていますが、キリスト教文化圏では自然は神の創造物であり、自然の色も神の創造物なので、自然の色を身につけることは神への冒涜になってしまいます。
ヨーロッパで自然の色を愛好するのは、キリスト教ではないケルト民族だそうです。

日本人は木々の緑を愛好し、秋の紅葉を楽しみますが、キリスト教圏では色を塗り替えることは悪魔の仕業であり、いずれ色が変わる緑は欺瞞の色とされました。
日本人には想像がつかない感覚ですね。
そういえばヨーロッパには赤いモミジはありませんね。
自然の色を愛し、自然に同化して暮らす日本人とは違い、色を警戒してきたヨーロッパ人は、今なお色に厳しく向き合っているのです。

ヨーロッパ人にとっては、色は堕落への恐怖を呼び起こすものであり、古代ギリシャ以来、哲学者や芸術家や美術史家たちが「色は文化の堕落である」という偏見を抱き続けているというのです。
色は「世俗的で罪深いもの」であり、「快楽への欲望」を表しているとして戒められてきました。

19世紀イギリスのバチェラーによると、「色は危険なもの」であり、
「女性、東洋人、原始人、子ども、賎民、異常者、病人」など社会的弱者に結びつけて貶められました。
美術において、デッサンは男性的で精神的なものだが、色彩は女性的でプリミティブなものであり、野蛮人、黒人、アラビア人、インド人に好まれるとされました。
19世紀の男たちにとって、色は未開発・非文明のしるしであり、色は感情的な女にふさわしいと主張されたのです。

20世紀になっても、色は東洋と結びつき、たとえばディアギレフのバレエ団の色彩豊かな衣裳は、アラビアやエジプト、インド、ロシアなどの異国情緒をもたらし、鮮やかな色は東洋や官能と結びつけられる女性のものでした。

このようなヨーロッパにおいて、赤や黄色の派手な衣裳を身につけたフレディの登場は、世の品行方正な紳士淑女や、禁欲的な人たちから見れば、とんでもない悪魔、男娼、ペテン師、破壊者に見えたのではないでしょうか?
縞柄パンツ

イギリスの音楽評論家たちは、フレディに対して終生辛辣だったそうですが、それはフレディが英国人の軽蔑するインド・アフリカからの移民であり、ヨーロッパとは違う色彩感覚を持っていたことも原因の一つなのではないでしょうか?
フレディは赤や黄色の洋服が好きでしたし、派手な柄のシャツも着ています。
今までは私も何気なく見ていましたが、これをヨーロッパ人の目に置き換えてみると、とんでもないことなんですよね。
赤や黄色や派手な色柄シャツは、ヨーロッパ人が着るものではなく、東洋の未開な部族や、頭が悪い女や、身分の低い芸人などが着るものなのですから、フレディはそれをわかって敢えて着ていたのでしょうか? それとも知らずに着ていたのでしょうか?
(そういえばフレディは東洋出身のガーリーな芸人なのだから、これはものすごい反撃ですよね!)

それを考えてみると、ここにフレディの深い孤独が浮かび上がってくるのです。
ザンジバル革命で故郷を追われ、ロンドンへやって来たフレディは、そこで移民として差別を受け、自分のアイデンティティを考えさせられることになります。
やがて白人のガールフレンドも出来、白人メンバーとバンドを組み、白人社会に溶け込んだかに見えましたが、彼は決して白人の中に埋没することはありませんでした。
白人のように地味な色合いの服を着て、目立たないようにすることなどなかったのです。
(地味なフレディって、フレディじゃないですよね)
やはり彼は東洋人の色彩感覚を持ち、それを敢えて主張したために、白人社会の中で孤立することになってしまいました。
家族のようなバンドメンバーがいるのだから、孤独ではなかったのでは? と思っていましたが、英国生まれの白人の中で、自分一人だけが故郷を持たない東洋人であることが、どんなに淋しいものであるか、やっとわかるようになってきました。

白黒フレディ
初期の頃、フレディは白黒を好んでいました。
白黒はもちろん二元性を表していますが、ヨーロッパにおいて黒は人間の罪の色であり、メランコリーを意味しました。
16世紀のヨーロッパで黒い服が定着しましたが、これは12世紀ドイツの聖ヒルデガルドがメランコリーを原罪と結びつけたことに端を発するとされます。
プロテスタントが黒い服を好んだのは、原罪によって堕落した人間が、メランコリーの黒を衣服とするべきとされたからでした。
メランコリーは精神的な病でしたが、創造的な制作を促すこともあります。

プロテスタントは赤や黄色、オレンジ、緑などを嫌います。
とくに赤は権力の色であり、ローマ・カトリックの色なので排除されました。赤は贅沢と罪と狂気のしるしとされます。
プロテスタントでは、謙虚で敬虔なモノトーンが好まれ、暗色系の衣服が多く、ステンドグラスもありません。
そもそも衣服とは、アダムとイブが犯した罪を想起させるので、罪と恥のしるしなのです。
繰り返しますが、ヨーロッパ人は、色を堕落と見る感性を持っています。

イギリスのイングランド国教会は、カトリックではないのでプロテスタントになります。
プロテスタントであると断定できないのは、ドイツのように宗教改革によって改定されたものではなく、ヘンリー八世が次々と妃を取り替えるために離婚したかったので、カトリックを離脱したに過ぎないためです。
ヘンリー八世については昔、リック・ウェイクマンの「ヘンリー八世と6人の妻」を聴いて勉強しました。
これね。
ヘンリー八世

イギリスで産業革命が起こり、近代産業社会が始まると、黒を好ましいとするプロテスタントの色彩論を引き継ぎました。
近代ヨーロッパで資本主義を発展させる原動力のひとつが、プロテスタントのカルヴァン主義でした。
黒が資本主義の色になったのです。
当時、生産されるようになった車や万年筆、タイプライターなど、すべてが黒でした。
そしてピアノも!
ピアノはなぜ黒いのかの答えがここにあります。
ピアノが量産されるようになる前は、茶色い木材の色でしたが、工場で作られるようになって、黒く塗られるようになったのです。

19世紀のロンドンで、ダンディズムが生まれ、黒と白のコントラストこそダンディの着こなしとされました。
このあたりは20世紀にも残っていたかもしれません。

19世紀において、男性は黒服であり、女性は色彩をまとうようになりました。
女性は男性の持ち物なので、夫の財力を表す装いをしなければなりませんでした。
文明が発展すると男は黒になり、女は色を着るようになると考えられました。
女性は感情的でブリミティブであり、原初的な一部族のような存在とされたのです。

黒は近代社会の表象であり、文明の証であり、矜持のしるしでした。宗教的謙譲と人間的誇りを表します。
20世紀のル・コルビジェも、色は「素朴な民族、農夫、野蛮人」にふさわしいとして、白い建造物を作り続けました。
上野の西洋美術館を設計した人が、そんなことを考えていたなんて!


黒はプロテスタントの罪の意識から、近代社会の文明の色として受け継がれ、労働者の服の色にもなり、20世紀には「最もエレガンスを表現できると同時に、最も過激になりうる色でもある」としてファッション界を席巻しました。
黒はそもそもメランコリーの色であり、死の色でした。そのため修道服となり、喪服となり、道徳的な服になります。
近代社会ではヨーロッパ文明の知の色となり、男たちが着る服の色となり、20世紀にはエレガンスを示す色となりました。
「最も過激になるうる色」なので、ハードロックやパンクには黒が圧倒的に多い。
ハードロック

そして白は純粋や無垢、純潔、清浄というイメージから広く愛好され、かつては喪服も白でした。
白は原初性や自然と結びつくため、古代趣味や田園趣味の表現に用いられ、時代の流行に取り入れられて来ました。
黒と白の意味は、時代と場所によって様々ですが、私は両者とも「全てを含む色」「全てが充満する色」と感じます。
人によっては「全てを拒絶する色」とも感じられるかもしれません。
そして黒と白は道化の色でもあります。

とにかく、ヨーロッパ人は色に対してストイックな感覚を持っていること。
それはプロテスタントの罪の意識に由来し、近代資本主義の男性優位社会に受け継がれてきたものであることがわかると、また少しヨーロッパが理解できたような気がします。
それにしてもフレディはプロテスタント系のイギリスで窮屈だったでしょうね〜。
だからニューヨークや東京へ来て、羽をのばしていたのでしょう。
そもそもイギリスでロックが飛躍的に発展したのは、社会の締め付けが厳しいので、その反動だという話を現地できいたことがあります。
そして他の民族と混交することで、文化は発展していきます。
世界は今鎖国状態ですが、また自由な交流が行われるようになる日を楽しみにしています。

参考書籍
『黒の服飾史』 河出書房新社 / 徳井淑子著














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「77年アールズコート」「75年アメリカンツアー」「2020年さいたまスーパーアリーナ」

最近、視聴したDVDとCDです。

▶︎77年ロンドンのアールズコートのDVD
アールズコートのDVD

オレンジのダイヤ柄のフレディです。
これはフレディファン必携の一枚でしょう!
アンコールで銀色になり、エルトン・ジョンの「サタデー(Saturday Night Alright For Fighting)」を弾き語りしています。

▶︎75年アメリカンツアーのCD
75年アメリカンツアー

クイーン最古のブートレッグとされる伝説の録音です。
1975年3月29日サンタモニカ公演のオーディエンス録音ですから、4月の初来日の直前の演奏になります。
フレディ28才の歌声はのびのびしていて、これぞ私たちが知っていたフレディの声なんです!
フレディのコアなファンにはお薦めの一枚です!

ところで「ブートレッグ」とは、「海賊盤」のことですが、海賊盤とは何かを調べてみると、「法律上の権利を無視して無断で発売または流通される非合法商品」のこととあります。
そうか〜、海賊盤とは「非正規品」のことだと思っていたのですが、なんと「非合法商品」だったのですね!
しかも「海賊盤」には3種類あり、「ブートレッグ」の他に「パイレート盤」と「カウンターフィット盤」があるという。
そんなに色々とあったとは!
「ブートレッグ」は、アーティストの未発表音源や、ライブのオーディエンス録音、海外TVやラジオの無断製品化など。
「パイレート盤」は、正規盤をコピーしたり編集したりしてベストアルバムなどに仕立てたもの。
「カウンターフィット盤」は、正規盤をコピーして、正規盤に似せた複製品。だそうです。

海賊盤についての、ほろ苦い思い出があります。
77年1月にクイーンの「華麗なるレース」が発売された時、私は新宿のディスクユニオンへ買いに行きました。
そして「華麗なるレース」のジャケットを見つけてレジへ持っていくと、レジのお兄さんから「これは海賊盤ですよ」と言われました。
しかし当時まだ10代だった私は「海賊盤」の意味がわからず、何かアヤシイものなのかなと思いつつ、そのまま買ってしまいました。
家で聴いてみると、ライブ盤で音質が良くなかったので、あまりそのレコードを聴くことはありませんでした。(レコードですよ!)
だから海賊盤とは、ライブ盤のことかな、ぐらいに思っていたのです。
ところが、ここで私は重大なミスを犯してしまいました!
「華麗なるレース」の海外ライブ盤には「手をとりあって」が入っていなかったのです!
私がはじめて「手をとりあって」を聴いたのは、何と2019年のこと、つい最近です。
はじめて「手をとりあって」を聴いた時、わけもなく涙が流れてしまいました。
ブライアンもいい曲を書くなあ。
今まで「手をとりあって」を知らなかったなんて、クイーンファンとしては大失態ですよね。
海賊盤は難しいのです。

▶︎2020年さいたまスーパーアリーナ
2020さいたまスーパーアリーナ

もうさいたまのDVDが出ているのかと思って買ったのですが、これもブートレッグでした。
オーディエンス録音で、固定の1カメラなので、記録用と思った方がよく、あまり鑑賞に耐えるものではありません。
実際にさいたまアリーナへ行った方にとっては、自分の経験を思い出すための助けになるでしょう。
ステージの装置がほとんど見えないので、全体の様子がわからず、寂しいステージに見えます。
とくに「39」を一人で歌うブライアンの姿が寂しい。あれは4人で並んで歌う曲なのに。
それでもライブでは気がつかなかったことがわかり、面白いこともあります。
たとえば、はじめの「Now I`m here」でアダムが登場した時、「フレディ〜!」と叫んでいる人がいてコケました。
この人は最後の方でも「フレディ〜」と叫んでいます。男性です。
「セブンシーズ オブライ」のピアノが、フレディの激しく叩きつけるタッチとは違います。
「手をとりあって」でブライアンは低声部を歌っており、オーディエンスと重唱になっていたのですね。
会場で歌っている人は女声が多いけれども、私の隣の男性は上手に歌っていました。
「Who wants to Live for ever」のアダムの歌唱力がすばらしい!
など、私はあるコンクールの審査員をやっているので、ついチェックを入れてメモしてしまう癖があるのです。
すいません、許してください。

日本公演は正規盤が発売されるといいですね。
舞台センターの脇にカメラがあったので、録画はされていると思われますが、舞台上にカメラはなかったですね。
ステージの録音・録画は難しいので、やはりプロの技はすごいものがあります。
フレディの頃より現在の方が音質・画質とも飛躍的に良くなっているというのに、やはりフレディの存在感はすごかったという再確認にもなりました。
感染症の外出自粛のお供にCD・DVDを!

それにしても、2ヶ月前には自由にコンサートに行かれたなんて、夢のような世界ですね!



「ハイドパーク 76年」と 「ヒューストン 77年」のDVD

東京は桜が開花しましたが、新型コロナは音楽界に甚大な影響を及ぼしています。
3月中は殆どのコンサートは中止または延期となり、公共ホールは閉鎖状態で、舞台関係の仕事(音響、照明、舞台設営など)は途絶えてしまいました。
演奏家、ミュージシャンにとっても、コンサートが消滅し、ツアーもままならない状態で、困惑が広がっています。
音楽事務所もチケットの払い戻しや、契約の違約金支払いなどで苦境に立たされています。
このような事態が早く終息に向かうよう、心から願ってやみません。

思えば1月26日のQALは、辛うじて開催可能だったわけですね。
あれ以来、旅行や外食に行けず、コンサートや美術館にも行けず、その分浮いた時間で、家の内外の掃除をしたり、庭のバラに肥料をやったり、猫と遊んだり、免疫を落とさないために食事をしっかり作って食べたり、という生活で、なんだかとてもヘルシーになっています。もしかして、これは理想的な生活なのかも?
私たちが普段いかに恵まれた生活を送っているかという、生活の見直しにもなりますね。

コンサートに行かれないので、クイーンのDVDを見たりしています。
74年のレインボーと、75年のハマースミスは持っていたので、
次に81年のモントリオールと、82年のオンファィアー、85年のウェンブリーを見ました。
そして次第にレアな世界へ入って行き、76年のハイドパークに手を出しました。

ハイドパーク

これは元の録画が古いので、画像は荒く、音声も歪む時があります。
でもフレディの姿ははっきりと捉えられており、問題はありません。
クイーンが10万人以上のオーディエンスの前で演奏したのは、おそらくこれが初めてだったのでしょう。
ブライアンも、あの時は緊張したと言っています。
初めの方でコーラスが合っていなかったりすることもありますが、それも愛嬌です。
フレディ30才ですから、他のメンバーは皆20台!

とくにフレディの白いレオタードと化粧の妖艶な姿が見られます。
この白いレオタードは、フレディの衣裳の中で最も危険と言われたもので、(脱げそうになるので)一見の価値があります。
白いレオタード

この姿で「You Take My Breath Away」を歌うのですが、この時が初ライブとなり、ソロなので緊張していますが、その深い表現力は圧巻です。これはポピュラー音楽史上に残る名演だと思います。
そのような表現を可能にしたのは、フレディの実体験から来ているためなのですが、この時フレディは既にデビッド・ミンスと別離しており、その悲恋を歌ったものなのですね。
かわいそうにねえ。(すでに親心のような心境)
「Love of My Life」と「You Take My Breath Away」は、デビッド・ミンスに捧げた作品だと言われています。

フレディは、その人生で数多くのラバーズを持ちましたが、最も愛していたのは誰か?
私は、このデビッド・ミンスではないかと思うのです。
デビッド・ミンスはエレクトラレコードの経営陣の一人で、メアリーと一緒に暮らしていた75年から付き合い始め、一時は同棲もしていました。

デビット・ミンスと、なかよしの頃
デビッド・ミンスとフレディ

Love of My Life」の歌詞に、次のようなところがあります。

When I grow older
(いつか年をとったら)
I will be there at your side to remind you
(君のそばにゆくから思い出しておくれ)
How I still love you I still love you
(いつまでもどんなに君を愛しているか)

年をとったら、また側にいるとは、なんという執念だろうと思いますが、実際にはフレディは年をとることはなかったことを思うと、悲しみを誘います。

You Take My Breath Away」はもっとすごい。
だからいかないで
ひとりぼっちにして行かないで
時々たまらなく孤独を感じる
どこに行っても見つけるよ
君の後ろを片時も離れない
この世界の果てでも
不眠不休で君を探すよ (キリオさん訳)

彼がどこに行っても探し出し、彼の後ろに背後霊にようにくっついて、眠らないで休まずに地の果てまで探すとは、ものすごい執念ですね!
ends of the earth は「地の果て」でしょうけれど、「地球が終わるまで」だったらすごいですね。
ここまで言わせるデビッド・ミンスも大したものですが、やはり初めての同性愛の相手だったからでしょうか。
そして「Love of My Life」は、最後のライブまで歌っていたわけですから、その度に彼を思い出していたのではないでしょうか?
フレディには多くのラバーズがいましたが、本当はとても純情で一途だったのではないかという話です。

次に77年のヒューストンのライブを見ました。
ヒューストン

これは音声は良いのですが、画像が鮮明ではありません。
なぜかステージが暗いのです。
クイーン専用の照明機材ではなく、現場の照明を使っているので、ライトの数が少なく、スポットも客席側からは当たらないので、撮影状態が良くありません。
ステージにおいて、いかに照明が大切かということの逆説的証明になっています。照明の証明ね。
とくにフレディがピアノの前に座っている時は、暗くて顔がぼやけて亡霊のようになっています。
全体的に、はっきり見えずにフラストレーションがたまってしまうので、あまりお勧めできませんが、「幽霊でもいいからフレディに会いたい!」という人には、お勧めいたします。

このDVDを買ったのは、白黒ダイヤ柄のフレディが見たかったからなので、ダイヤ柄が見たい人にはおすすめです。
ダイヤ柄の時代には日本公演はなかったことですし、ダイヤ柄の動くフレディを見ると感動です!
道化師を演じるフレディが全開ですから!
白黒ダイヤの道化師









「ゴーイン・バック」若い頃に見えていた真実

世界的に新型コロナ禍に見舞われておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
この事態を教訓としつつ、私たちの生活基盤が更に強固なものになるように、しっかりと対策をしながら乗り越えていきたいと思っています。
私の仕事もかなり影響を受けており、半分は休業しています。
本日は、あるイベントに出演予定だったものが中止となり、思いがけない時間ができたので、このようにブログを書くに至っております。
私は自営業で「Living on my Own」なので、このような災厄は脅威ですが、「We are the Chanpion」でがんばりたいと思います。(Chanpionは闘士という意味)
皆様もどうぞ御身を大切にお過ごし下さいませ。

最近、フレディのソロCD「Lover of Life Singar of Songs」を聴きました。
2006年製作で、音質が良いです!
21世紀のアレンジもあり、進化形態になっていますが、フレディは気に入るかな? きっと面白がるでしょうね。
ラバーオブライフ

最も印象に残ったのは「ゴーイングバック」。
「I can hear Music」は聴いたことがあったのですが、ゴーイングバックのフルバージョンは初めて聴きました。
フレディの最も初期の録音で、23才ぐらい? まだ緊張感が伝わってきて初々しいです。
ゴーイングバックhttps://www.youtube.com/watch?v=68p5xYBCVzA

この曲は、未完に終わったフレディ最後の録音「マザーラブ」のラストに重ねられていますが、この選曲は誰によるものなのでしょう?ブライアンかな。最後の録音を、最初の録音につなげるという発想は素晴らしいですね。
終わりが始まりに接続することによって、フレディの人生と音楽は円環となり、ウロボロスとなりました。
ウロボロスとは、自分の尾を飲み込む蛇の形で、死と再生、無限性、永続性、完全性などを表します。
円環は循環性を表しますが、ニーチェの永劫回帰では、永遠に同じことが繰り返される悪夢となるので、螺旋的に変容していきたいものです。
若フレディ

「ゴーイン・バック」は、1964年のダスティ・スプリングフィールドのヒット曲のカバーです。

■ ゴーイン・バック

もう一度戻ろう
幼かったころ 学んだことへ
戻ってみよう
まだ若く 真実が見えていたあの日へ

今 わたしには
時間つぶしのゲームは ない
塗り絵の絵本もない
クリスマス・ベルも鳴らない
若い心のまま年をとるのは悪くないけど
もう人生のゲームを勝つことはできない

思い出すのは
友に手を差し伸べるのを恥じなかった日々
今 わたしの手には
貸しきれないほどのおもちゃ
そして お船を見守っている
もう、それだけじゃいけないの
毎日がきっと
わたしの魔法のじゅうたん
恐れとだって隠れんぼで遊べるようになった
ただただ過ぎる日々を送るだけでなく

みんなが探る
本当の真実
わたしが見たいのは
過去のままの世界
今は ほんの少し自由がなくなってしまっただけ
捕まえられるなら どうぞ
わたしは戻る

(勝山かおる訳)




『道化の民俗学』道化のルーツはヘルメスにあり

山口昌男の『道化の民俗学』において、道化師アルレッキーノとヘルメス(マーキュリー)の結びつきについて、詳しい説明がなされています。
道化師が舞台上の役柄としてだけではなく、神話的思考においてヘルメス(マーキュリー)と交感するものを持っていたとすれば、両者の結びつきは偶然を越えたものとなります。
道化師とは、人間の神話的想像力の本質的な表現形態の一つの現われとして舞台に定着したものなので、いっそうヘルメスに近づくことになります。

▶︎ヘルメスの持つ特性は以下のとおりです。
・小にして大、幼にして成熟という相反するものの合一。
・盗み、トリックによる秩序の撹乱。
・至る所に姿を現わす迅速性。
・新しい組み合わせによる未知のものの創出。(亀の甲羅と牛の腸から竪琴を発明)
・旅行者、伝令、先達として異なる世界をつなぐこと。
・交換により異質のもののコミュニケーションを成立させる。
・常に動くこと。新しい局面を拓くこと。失敗を恐れぬこと、それを笑いに転化させること。

これらを纏めると、大きく次の2項目になる。
◯異なるものや対立するものを統一すること
◯動くことと、新たなものの創始、生成。
ヘルメスファッション

◎やはりこれらは、フレディの行動によく現われていると思いませんか?
フレディはアフリカに生まれ、インドで育ち、イギリスから世界へ飛び出して行き、世界の文化を自分の音楽の中に纏め上げていきました。
そして常に活発に行動し、新しい人生を開拓し、新しい音楽を創造していきました。
まるでヘルメスを地で行っているとしか思えません。
それもそのはず、マーキュリー(ヘルメス)ですからね。

▶︎またヘルメスは智者として、竪琴や笛の他に、アルファベット、数、天文学、音楽の発明者でもあります。
そして夢と眠りの神であり、人間の霊魂を冥界へ導く先達の役目を持っています。

◎死んだ時に、フレディに冥界へ案内してもらいたいものですね。

▶︎ヘルメスは死と生を結びつけるものであり、飛翔能力と歌唱能力があり、導者的性格があり、シャーマンの性質を持っています。
シャーマンは歌い踊り、人々の病を癒し、冥界へ連れ去られた魂を連れ戻します。

◎フレディは歌とパフォーマンスにより、人々に癒しとエネルギーを与えています。

▶︎幼児の頃のヘルメスは両性具有であり、カドケウスの2匹の蛇は、両性具有とともに自由な転換という象徴が働いています。

◎フレディがバイセクシュアルになったのは偶然だったのか、必然だったのか?

▶︎ヘルメスは闇と光、冥界と此岸の世界、死と誕生、男性と女性、幼さと成熟、いたずらっぽさと厳粛性、狂気と正気のどちらでもなく、どちらでもあるという、それらの対立が消滅する瞬間を源泉とする意識を持っています。

◎ゾロアスター教の二元論とも通じるものがありますが、ヘルメスは二項対立を超えています。

▶︎「オルフェウスの宇宙卵」は半分が白、半分が黒であり、ここから天と地が出現しました。
白い半分は天であり、女性的・素材的力、黒い半分は地となり、男性的・非物質的な力となりました。

ヘルメスは半分白く、半分黒い帽子を被っています。

◎フレディの初期の白黒の衣裳や、クイーン2のホワイトサイド・ブラックサイドは、オルフェウスの宇宙卵や、ヘルメスの帽子から来ているのではないでしょうか?
フレディ白黒タイツ

▶︎ヘルメスは相当のいたずら者(トリックスター)で、神々の間の道化的存在です。
ヘルメスは境界内と境界外、日常と祝祭空間、秩序とアナーキー、意味と無意味、上と下、生と死、文化と自然などの対立が意識の内で解消する瞬間のカオスのなかで、始原性のヘルメスは道化師アルレッキーノと出遭うのです。

トリックスター的性格が、ヘルメスと道化師では共通してつながっているわけですね。

▶︎道化師は言葉の遊戯、パロディーを行なうが、彼は言葉から観念を剥奪し、ラテン語・イタリア語・フランス語などのツギハギ言葉を作り出します。

◎フレディは韻を踏んだ歌詞を作っていましたが、あまり言葉には意味はないとしています。
「キラークイーン」にはフランス語を混ぜたり、「ボヘミアンラプソディ」には色々な神や悪魔、人物の名前が出てきますし、きわめつけは多言語の「ムスタファ」ですね。

▶︎道化師は、しばしば女装する。時にはマイムによって、男と女の二人の人間を同時に演じることもあります。
道化師とヘルメスは、その両性具有性によって結びついています。

◎フレディが女装を得意とすることは言うまでもありません!

▶︎プラトンは、人間はもともと両性具有だったとしています。
古代の太母神も両性であり、天使学における天使も両性とされます。
ギリシャの密儀で行なわれる男色行為は、神秘的・宗教的意味を持っていました。

◎だからフレディは、わざと男色に踏み込んだような気もするんですよね。

▶︎道化師が持つ二面性、両義性は、単なるルネサンスの古典神話の復活を超えて、神話的思考そのものにおいて、ヘルメスに対応しているのです。

◎フレディは、ヘルメスと道化が持つ二面性を体現していたのです!
男と女、高貴と低劣、正常と異常、新しいものと古いもの、道徳と不道徳、秩序と混沌、強さと弱さ、成功と失敗、そして偽王の戴冠と凋落・・・
それらの全てが消滅するところに、本当のフレディは存在する。
本当のフレディ

▶︎道化師は、文化の中で疎外された部分を「阿呆」「道化」という仮面のもとに表現する。
つまり彼は世の(文化の)穢れを一身に引き受けるスケープコートとしての機能をも帯びているのです。

◎フレディはロンドンで、移民として差別を受け、疎外されながらも、音楽の中に自己を没入させていった。
しかしマスコミからは常に監視され、辛辣な扱いを受けていました。
世間からは同性愛者の変人として、奇異の目で見られていたかもしれません。
本当は神々の英雄ヘルメスの使者だったのにね。

▶︎道化師は、いつも恋のとりこになっているが、なかなかうまくいかない。
彼は子供のように簡単に、悲しんだり、喜び戯れたりする。
彼の悲しみは、喜びと同様にいつも喜劇的である。
道化師の基本的特質は、純粋遊戯性

◎これも恋多き人だったフレディそのものではありませんか。
そして「遊戯」とは「Game」ですから、フレディは「ザ・ゲーム」で、全ては遊戯なんだよ! と言っているわけですね。

▶︎道化師とは、おどけた狂気じみた神である。
海中に現れては消え、跳ね返り、たわむれるイルカを思わせる。彼はいつも変幻自在で、捉えどころがない。
イルカに乗って飛翔する翼の生えた幼児こそが、道化師=ヘルメスである。(原文通りではなく、纏めています)

◎そうか、フレディは「イルカに乗って飛翔する翼の生えた幼児」なのかもしれませんね!
しかし、このように見てくると、あまりにもフレディの生き方は、道化師=マーキュリー(ヘルメス)にそっくりだと思われませんか?
まるで台本通りに進んでいるようです。
フレディは相当ヘルメスや道化について勉強したに違いありません。
でもそれを自分の人生の台本にしようとするとは、どうしてそのような決意がなされたのでしょうか?
クイーン初期

ファルーク・バルサラがマーキュリーを名乗るようになったのは、バンド名をクイーンに改めた時期と同じ、1970年頃です。
ロンドンへやって来たのが1964年で、それから6年後のことですが、その間フレディは学校を卒業し、バンド活動をしながら古着屋をやったり、ヒースロー空港で働いたりしていた時期です。
映画「ボヘミアンラプソディ」にもありましたが、空港で「パキ」と馬鹿にされたりしていた苦しい時期で、お金もなかなか手に入らなかったことでしょう。
そのような頃に、バンド名や自分の芸名を考えるためには、必死で色々な資料を漁り、図書館に通ったりしたのではないでしょうか?
自分の子供の名前を考える時のようなものですが、なにしろ本人のバンドの成功がかかっているわけですから、本当に真剣に考えぬいたことでしょう。
その時に、フレディの心に刺さったのが「マーキュリー」「道化師」というキーワードだったのではないでしょうか?
これだ! これこそが自分の生きる道だと。
とくに道化が「文化の中で疎外された部分」というところに共感したのかもしれない。
そしてフレディは、自分の人生に「マーキュリー=道化師」という台本を据えたのだ。
フレディ23才の時です。
この台本は、王と同じぐらいに、時には王を上回るほどの成功をもたらしますが、その後に偽の戴冠が行なわれ、全てを失うことになっているのですから、壮絶な人生と言うほかはありません・・・

ところで道化とは神話的原型であり、あらゆる民族が道化の神話を持っています。
アフリカでは「エシュ」と呼ばれるトリックスターがあり、インドでは「クリシュナ」がそれに当たります。
フレディはアフリカやインドでも、道化について見知っていたのかもしれません。
西洋では演劇の中に道化師の伝統があり、研究もされているので、フレディの道化性を理解する人もいるかもしれません。
日本ではあまり馴染みのない道化師ですが、実は日本にも歴史上道化の役割を果たしてきた神や芸能者がいます。
歌舞伎の原型となった猿若狂言などに、道化の役割が認められ、またそのあたりも調べてみたいと思っています。
道化とは恐るべき存在ですが、また愛すべき存在でもあり、大変な魅力があることは間違いありません。

フレディを見て、カッコイイと喜ぶ人もいる。
またフレディの中に道化の本質を見る人もいる。
クイーンの音楽の楽しさの中に埋没して眠る人もいる。
またフレディが仕掛けた道化の謎かけに気づき、目覚める人もいる。

この世界は重層的になっていて、自分が選んだ世界を経験することになる。
自分が選んだ道を進んでいき、この世界を脱することになるだろう。
道化は案内人として四つ辻に立っている。

プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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