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「戦場のメリークリスマス」

ふと思い立ち、「戦場のメリークリスマス」のDVDを見ました。じつに37年ぶりです!
「戦メリ」は大島渚監督で、デビッド・ボウイや坂本龍一、北野武、内田裕也などが出演しています。1983年作。
戦めり

ストーリーは1942年、ジャワ(インドネシア)の日本軍俘虜収容所で、所長のヨノイ大尉(坂本龍一)と、英国軍人俘虜のセリアズ少佐(デビッド・ボウイ)が出会い、互いに魅かれ合うが、過酷な戦争のさなか、二人は引き裂かれてしまいます。
デビッド・ボウイは35才ぐらい、坂本龍一30才ぐらい、若きアーティストが美しく、戦争の悲惨さを引き立てます。
デビッド・ボウイのオッド・アイが美しい。
オッド・アイとは、日本語では「虹彩異色症」と称し、左右の目の色が違うこと。ボウイは右目がブルー、左目がヘーゼル(淡い褐色)です。猫でいうと「金目銀目」ですね。猫では時たま見かけますが、人間のオッド・アイをしげしげと見たのは初めてでした。
フレディが「ファッション・エイド」で共演した女優のジェーン・シーモアもオッドアイでした。
オッドアイ

戦争映画としては、戦闘シーンはないのですが、俘虜収容所の過酷な状況が描かれ、男ばかりの世界なので、兵士同士のホモセクシュアルな関係も包み隠さず表現されています。(ただし、露見すると処刑されてしまいます)
ボウイと坂本は、敵味方を越え、人種、国籍、文化の違いを越えて魅かれ合うこともあるのだという証明になっています。
ボウイは極限的な状況において、我が身を捨てて坂本を抱擁しますが、坂本は軍人として自分の気持ちを露わにすることはありません。
(ボウイはセリアズ、坂本はヨノイなのですが、どうしてもボウイと坂本にしか見えず、ボウイが殴られると「ボウイを殴るな〜〜!」と思ってしまいます)

セリアズのボウイは、「兵士の中の兵士」と言われ、仲間からの信頼も厚く、最後は俘虜のリーダーを助けるために、己の命を差し出してしまいます。
ヨノイの坂本は、日本の帝国軍人らしく、ストイックで剛直な精神を持ち、規律正しく軍と国家のために尽くし、自己鍛錬を怠らず、俘虜には厳しく当たります。
ハラ軍曹の北野武も、粗野な性格ではありながら、純朴で善良な日本人を体現しています。
つまり登場人物がみな「純粋」で「正直」なのですが、それゆえに戦争に対しても忠実に尽くしてしまうところが哀しい。
37年前に見た時は、戦争の残酷さが印象に残りましたが、今回見てみると、純粋な人間の悲しさが心に沁みました。
37年前の初回バージョンでは、流血も生々しかったのですが、DVDでは血が流れないので、残酷さが軽減しているのかもしれません。
私たちも戦争の時代に生を受けていたらどうなっていたか? 純粋であればあるほど、戦争の犠牲になりやすいのではないでしょうか?
ボウイも坂本も皆、戦後生まれであり、ミュージシャンであるというのに、よく軍人の演技ができるものだと感心します。
ヨノイ

坂本龍一が帝国軍人として、「八紘一宇」の額を掲げ、剣道の稽古に励み、武士道の精神に邁進する姿や、北野武が死んだ兵士のために読経する声は、映画が公開された海外諸国の観衆に対して、日本人の姿を印象付けたことでしょう。
ハラキリの場面は何度も出てきますし、坂本は日本刀を振り回しています。
この映画は日本と英国、ニュージーランド(ロケ地)の共同制作なので、多くの外国で上映されました。
坂本が扮するヨノイは、「2.26事件の時に満州にいたので、決起に参加できなかったため死に遅れた」人物という設定で、三島由紀夫の姿が二重写しになっています。1983年公開ですから、1975年の三島の自決がまだ世界でも記憶に新しい時代です。
(ちなみに自決とは、「後世の人間に対して、恨みを言い残す行為」だそうです)

つまり何が言いたいかというと、フレディもこの映画を見たはずだということです。
フレディにとっては、友人のボウイが出ているし、ホモセクシュアルも扱っているらしいし、日本文化に興味があるし、三島由紀夫の自決の記憶もあるし、それじゃ見てみようか、ということにならない訳がないじゃないですか。
そしてこの映画の日本人像から、日本人のイメージを受け取ったことでしょうが、実際に日本へ来てみると、こんな日本人はどこにいるんだろう?と思ったのではないでしょうか。
1983年公開の「戦メリ」を見たことが、1986年来日の爆買いツアーにつながった可能もあるのではないか?と思います。
フレディが日本のボディガードに日本刀を贈った話は有名ですが、これも坂本龍一が振り回す真剣の影響を受けたのではないか?というのは考えすぎでしょうか?
ゴーインバック

じつは私は子供の頃、坂本龍一と接近遭遇したことがありました。
坂本くんは父の教え子だったので、千葉の海の保養所にいた時に、父に挨拶に来てくれたのです。
「坂本です!」と言った坂本くんの声は憶えています。私は小学生だったので、彼は全然覚えていないでしょう。
家も近かったので、中学校も同じでした。学年は違いますが。
「戦メリ」で坂本氏は英語を話していますが、あの英語の基礎を教えたのは私の父なのです、というのは自慢しすぎですが。
あの坂本くんが、本当にすばらしく成長されたことを嬉しく思います!

大島渚が起用するキャストの選定は、1に素人、2に歌うたいだそうですが、デビッド・ボウイはリンゼイ・ケンプに師事してパントマイムを習得していたので、役者としても慣れたものです。
一方の坂本は、やはり演技は生硬なものの、音楽はすばらしく、「戦メリ」の音楽は彼の最高傑作なのではないでしょうか?
彼のライブを見たことがありますが、戦メリのテーマをピアノで思い入れたっぷりに演奏していました。
そしてもう一曲、ボウイの弟がボーイソプラノで歌う歌が最高に美しい! 「Ride Ride Ride」
私はこの曲の楽譜を見て驚嘆したことがあります。
この曲があるからこそ、映画「戦メリ」は単なる戦争映画ではなく、人間精神の純粋さ、崇高さを伝えることに成功したのです!
坂本龍一は、日本が世界に誇る音楽家だと思います。

「戦メリ」のキャストについては、はじめはロバート・レッドフォードと沢田研二の案もあったそうです。
この二人の戦メリも見てみたかったですね。
ロバート・レッドフォードは、台本を読んで「なぜこの場面で日本人が死ぬのかわからない。これでは観衆の理解を得られないだろう」と言って断ったそうですが、日本には「恥の文化」というものがあり、日本の武士や軍人は恥のために死ぬということを知らなかったのですね。映画というのは、自国の知っている文化だけを扱うのではなく、他国の知らない文化についても理解しようとするものではないのでしょうか?

戦争を知らない若い世代には、いちど「戦メリ」を見ることをおすすめします。
戦争は絶対に繰り返してはならないと思います!


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ベジャールの「バレエ・フォーライフ」

モーリス・べジャールの「バレエ・フォーライフ」をDVDで見ました。
本当は5月の東京公演に行く筈だったのですが、中止になってしまい(9月に振替の予定あり)、仕方なくDVD鑑賞となりました。
ベジャールはバレエ界の巨匠で、20世紀の多くの新しいバレエの振り付けをしている革新的芸術家です。
そのベジャールが70年代からフレディの大ファンだったと告白しているのは驚きです。
ベジャールの本拠地はローザンヌですから、クイーンのスタジオがあったモントルーとの距離は30kmという近所だったうえ、ベジャールもモントルーに別荘を持っていたので、フレディが見ていた「メイド・イン・ヘブン」の写真風景と同じものをベジャールも見ていたことがきっかけとなりました。
バレエフォーライフ

「バレエ・フォーライフ」は、クイーンとモーツァルトの音楽により構成されています。
ベジャールによる、若くしてこの世を去ったアーティストへのオマージュとなっています。
モーツァルトはフレディよりも若く、35才でしたし、もう一人、ベジャールにとって大切なバレエダンサーのジョルジュ・ドンも1992年に45才で亡くなっていたのです!
ジョルジュ・ドンは、ベジャールのバレエ団のトップダンサーであり、映画「愛と哀しみのボレロ」ラストで、ボレロを踊ったことで有名ですが、フレディと同じ年齢で、同じ病で世を去りました。

1980年代から1990年代にかけて、多くの才能あるアーティストが、エイズにより生命を絶たれました。
バレエ界にもエイズが蔓延していると言われ、ヌレエフやジョルジュ・ドン、その他多くのダンサーが亡くなったことで、ベジャールも深い悲しみに襲われ、「バレエ・フォーライフ」で彼らへの追悼と、エイズとの闘いを誓いました。

ベジャールがクイーンを聴き込んで研究し、選曲したのがライブ演奏であり、ブライアンの即興ギターソロも使われています。
何よりも印象的だったのは、フレディの声の迫力と、ベジャールのクイーン解釈の深さです。
人間の「生と死」そして「愛」を、ベジャールは鮮烈に描き出しました。
ニジンスキーが創始した20世紀バレエと、20世紀ロック音楽の頂点の融合を観ることができます。

とりわけ美しかったのは「ユーテイク・ブレス・アウェイ」の女性ソロと、「アイワズ・ボーン・トゥラブユー」の女性ソロ。
男性にもすばらしいダンサーがいて、世界最高峰のバレエが堪能できます。
衣装はベルサーチという豪華なステージですが、ベルサーチも1997年に殺害されてしまいました。

とても興味深かったのは、2017年のメイキング映像です。
モーリス・ベジャールの貴重な記録でもあり、「バレエ・フォーライフ」をローザンヌで初演した後、パリ公演の時に「ショーマスト・ゴーオン」をブライアンとロジャーとジョンが演奏した部分は感動モノです! この時、ボーカルはなんとエルトン・ジョンが熱唱しました。そしてこの演奏がジョンの最後のライブとなりました。
ジョンはこの演奏がとても辛かったのですが、それはきっとフレディの死が強く思い起こされてしまうからでしょう。ジョンは「もう限界だ」と言っています。辛いよね、ジョン。

メイキングの最後で、ベジャールはそれでも「Life goes on」だと言っていて、それがテーマなのですね。
そして芸術監督が「フレディはベジャールを通じてバレエを広めたんだ」と言ったくだりで、私は涙してしまいました。(なんだか私はこのブログで何回も泣いているような気がする)
「バレエをもっと世の中に広めたいんだ」と言っていたフレディの遺志が、今も生き続けているのですから、フレディ良かったね!
バレエは知らないけれど、クイーンの音楽だから見に来たという人たちが、バレエを好きになるといいですね!
やったねフレディ!
やったね、フレディ!

「バレエ・フォーライフ」で描かれる「生と死」において、やはり死は黒く恐ろしいもの、辛く悲しいものとされていますが、私は全くそのようには考えていません。
生と死は、紙の裏表のように一体のものであり、地続きになっていると捉えます。
生きている時に、強い意志を持って何かを創造していたような人は、死後も変わらず存在し続けるでしょう。
私たちの道のりは、死をもって終わるのではなく、死後はまた別の形で成長を続けていくことになるでしょう。
肉体の死へ向かう苦痛は取り去るべきですが、死の瞬間に精神は解放され、より大きな世界へ羽ばたいていくことを楽しみにしています。
なんたってフレディもいるしね!

『黒の服飾史』ヨーロッパの色彩感覚

ヨーロッパの色彩感覚について、驚くべきことがわかりました!
日本に比べて、ヨーロッパの色彩は「渋い」とか「シック」な感じがしませんか?
(「シック」とは、上品で洗練されているという意味)
日本の繁華街は様々な色が氾濫していて、いかにもアジアですが、ヨーロッパに行くと街並みの色が統一されていて、落ち着いた雰囲気を湛えています。
それはヨーロッパの色彩感覚が優れているからではなくて、実は「色に禁欲的」であるからだったのです!

ヨーロッパ中世において、多彩な色使いは、芸人や楽師や道化など、社会から疎外された人々の衣服の定番でした。
気晴らしや娯楽を提供する彼らは、社会の序列から排除された人々であり、彼らの派手な色使いは危険視されました。
道化服の典型は、赤と黄と緑をボーター柄やダイヤ柄に並べたもので、楽器を演奏する楽師も同様でした。

さらに中世では、多色の縞柄が娼婦のしるしとして使われており、カラフルな縞柄は売春と結びつけられる色の観念となりました。
赤や黄色、緑、青などの華やかな色は、道化師や娼婦のような被差別者の色であったのです!

フレディは典型的な道化の衣裳を着ていましたが、ヨーロッパにおいて、これは非常に目立つ色彩であり、突飛で下品な扮装であることが歴然としていたわけです。
クイーンのメンバーで、他にこのような衣裳を着ている人はいません。
フレディが初めてタイツ姿で現れた時、ロジャーは「勇気があるなあ」と思ったそうですね。
ロンドンに移住して民族的な差別を受けたフレディの、これは無言の抗議であり、挑戦であったのでしょう。
仮面のフレディ
これはダイヤ柄ではなかったけれど、似たようなものでしょう。

ヨーロッパ人は少ない色数で色を統一しようとします。
ところが日本は色に寛容な文化であり、季節の色を楽しむ文化です。
日本人は自然の色を着るという発想を持っていますが、キリスト教文化圏では自然は神の創造物であり、自然の色も神の創造物なので、自然の色を身につけることは神への冒涜になってしまいます。
ヨーロッパで自然の色を愛好するのは、キリスト教ではないケルト民族だそうです。

日本人は木々の緑を愛好し、秋の紅葉を楽しみますが、キリスト教圏では色を塗り替えることは悪魔の仕業であり、いずれ色が変わる緑は欺瞞の色とされました。
日本人には想像がつかない感覚ですね。
そういえばヨーロッパには赤いモミジはありませんね。
自然の色を愛し、自然に同化して暮らす日本人とは違い、色を警戒してきたヨーロッパ人は、今なお色に厳しく向き合っているのです。

ヨーロッパ人にとっては、色は堕落への恐怖を呼び起こすものであり、古代ギリシャ以来、哲学者や芸術家や美術史家たちが「色は文化の堕落である」という偏見を抱き続けているというのです。
色は「世俗的で罪深いもの」であり、「快楽への欲望」を表しているとして戒められてきました。

19世紀イギリスのバチェラーによると、「色は危険なもの」であり、
「女性、東洋人、原始人、子ども、賎民、異常者、病人」など社会的弱者に結びつけて貶められました。
美術において、デッサンは男性的で精神的なものだが、色彩は女性的でプリミティブなものであり、野蛮人、黒人、アラビア人、インド人に好まれるとされました。
19世紀の男たちにとって、色は未開発・非文明のしるしであり、色は感情的な女にふさわしいと主張されたのです。

20世紀になっても、色は東洋と結びつき、たとえばディアギレフのバレエ団の色彩豊かな衣裳は、アラビアやエジプト、インド、ロシアなどの異国情緒をもたらし、鮮やかな色は東洋や官能と結びつけられる女性のものでした。

このようなヨーロッパにおいて、赤や黄色の派手な衣裳を身につけたフレディの登場は、世の品行方正な紳士淑女や、禁欲的な人たちから見れば、とんでもない悪魔、男娼、ペテン師、破壊者に見えたのではないでしょうか?
縞柄パンツ

イギリスの音楽評論家たちは、フレディに対して終生辛辣だったそうですが、それはフレディが英国人の軽蔑するインド・アフリカからの移民であり、ヨーロッパとは違う色彩感覚を持っていたことも原因の一つなのではないでしょうか?
フレディは赤や黄色の洋服が好きでしたし、派手な柄のシャツも着ています。
今までは私も何気なく見ていましたが、これをヨーロッパ人の目に置き換えてみると、とんでもないことなんですよね。
赤や黄色や派手な色柄シャツは、ヨーロッパ人が着るものではなく、東洋の未開な部族や、頭が悪い女や、身分の低い芸人などが着るものなのですから、フレディはそれをわかって敢えて着ていたのでしょうか? それとも知らずに着ていたのでしょうか?
(そういえばフレディは東洋出身のガーリーな芸人なのだから、これはものすごい反撃ですよね!)

それを考えてみると、ここにフレディの深い孤独が浮かび上がってくるのです。
ザンジバル革命で故郷を追われ、ロンドンへやって来たフレディは、そこで移民として差別を受け、自分のアイデンティティを考えさせられることになります。
やがて白人のガールフレンドも出来、白人メンバーとバンドを組み、白人社会に溶け込んだかに見えましたが、彼は決して白人の中に埋没することはありませんでした。
白人のように地味な色合いの服を着て、目立たないようにすることなどなかったのです。
(地味なフレディって、フレディじゃないですよね)
やはり彼は東洋人の色彩感覚を持ち、それを敢えて主張したために、白人社会の中で孤立することになってしまいました。
家族のようなバンドメンバーがいるのだから、孤独ではなかったのでは? と思っていましたが、英国生まれの白人の中で、自分一人だけが故郷を持たない東洋人であることが、どんなに淋しいものであるか、やっとわかるようになってきました。

白黒フレディ
初期の頃、フレディは白黒を好んでいました。
白黒はもちろん二元性を表していますが、ヨーロッパにおいて黒は人間の罪の色であり、メランコリーを意味しました。
16世紀のヨーロッパで黒い服が定着しましたが、これは12世紀ドイツの聖ヒルデガルドがメランコリーを原罪と結びつけたことに端を発するとされます。
プロテスタントが黒い服を好んだのは、原罪によって堕落した人間が、メランコリーの黒を衣服とするべきとされたからでした。
メランコリーは精神的な病でしたが、創造的な制作を促すこともあります。

プロテスタントは赤や黄色、オレンジ、緑などを嫌います。
とくに赤は権力の色であり、ローマ・カトリックの色なので排除されました。赤は贅沢と罪と狂気のしるしとされます。
プロテスタントでは、謙虚で敬虔なモノトーンが好まれ、暗色系の衣服が多く、ステンドグラスもありません。
そもそも衣服とは、アダムとイブが犯した罪を想起させるので、罪と恥のしるしなのです。
繰り返しますが、ヨーロッパ人は、色を堕落と見る感性を持っています。

イギリスのイングランド国教会は、カトリックではないのでプロテスタントになります。
プロテスタントであると断定できないのは、ドイツのように宗教改革によって改定されたものではなく、ヘンリー八世が次々と妃を取り替えるために離婚したかったので、カトリックを離脱したに過ぎないためです。
ヘンリー八世については昔、リック・ウェイクマンの「ヘンリー八世と6人の妻」を聴いて勉強しました。
これね。
ヘンリー八世

イギリスで産業革命が起こり、近代産業社会が始まると、黒を好ましいとするプロテスタントの色彩論を引き継ぎました。
近代ヨーロッパで資本主義を発展させる原動力のひとつが、プロテスタントのカルヴァン主義でした。
黒が資本主義の色になったのです。
当時、生産されるようになった車や万年筆、タイプライターなど、すべてが黒でした。
そしてピアノも!
ピアノはなぜ黒いのかの答えがここにあります。
ピアノが量産されるようになる前は、茶色い木材の色でしたが、工場で作られるようになって、黒く塗られるようになったのです。

19世紀のロンドンで、ダンディズムが生まれ、黒と白のコントラストこそダンディの着こなしとされました。
このあたりは20世紀にも残っていたかもしれません。

19世紀において、男性は黒服であり、女性は色彩をまとうようになりました。
女性は男性の持ち物なので、夫の財力を表す装いをしなければなりませんでした。
文明が発展すると男は黒になり、女は色を着るようになると考えられました。
女性は感情的でブリミティブであり、原初的な一部族のような存在とされたのです。

黒は近代社会の表象であり、文明の証であり、矜持のしるしでした。宗教的謙譲と人間的誇りを表します。
20世紀のル・コルビジェも、色は「素朴な民族、農夫、野蛮人」にふさわしいとして、白い建造物を作り続けました。
上野の西洋美術館を設計した人が、そんなことを考えていたなんて!


黒はプロテスタントの罪の意識から、近代社会の文明の色として受け継がれ、労働者の服の色にもなり、20世紀には「最もエレガンスを表現できると同時に、最も過激になりうる色でもある」としてファッション界を席巻しました。
黒はそもそもメランコリーの色であり、死の色でした。そのため修道服となり、喪服となり、道徳的な服になります。
近代社会ではヨーロッパ文明の知の色となり、男たちが着る服の色となり、20世紀にはエレガンスを示す色となりました。
「最も過激になるうる色」なので、ハードロックやパンクには黒が圧倒的に多い。
ハードロック

そして白は純粋や無垢、純潔、清浄というイメージから広く愛好され、かつては喪服も白でした。
白は原初性や自然と結びつくため、古代趣味や田園趣味の表現に用いられ、時代の流行に取り入れられて来ました。
黒と白の意味は、時代と場所によって様々ですが、私は両者とも「全てを含む色」「全てが充満する色」と感じます。
人によっては「全てを拒絶する色」とも感じられるかもしれません。
そして黒と白は道化の色でもあります。

とにかく、ヨーロッパ人は色に対してストイックな感覚を持っていること。
それはプロテスタントの罪の意識に由来し、近代資本主義の男性優位社会に受け継がれてきたものであることがわかると、また少しヨーロッパが理解できたような気がします。
それにしてもフレディはプロテスタント系のイギリスで窮屈だったでしょうね〜。
だからニューヨークや東京へ来て、羽をのばしていたのでしょう。
そもそもイギリスでロックが飛躍的に発展したのは、社会の締め付けが厳しいので、その反動だという話を現地できいたことがあります。
そして他の民族と混交することで、文化は発展していきます。
世界は今鎖国状態ですが、また自由な交流が行われるようになる日を楽しみにしています。

参考書籍
『黒の服飾史』 河出書房新社 / 徳井淑子著














「77年アールズコート」「75年アメリカンツアー」「2020年さいたまスーパーアリーナ」

最近、視聴したDVDとCDです。

▶︎77年ロンドンのアールズコートのDVD
アールズコートのDVD

オレンジのダイヤ柄のフレディです。
これはフレディファン必携の一枚でしょう!
アンコールで銀色になり、エルトン・ジョンの「サタデー(Saturday Night Alright For Fighting)」を弾き語りしています。

▶︎75年アメリカンツアーのCD
75年アメリカンツアー

クイーン最古のブートレッグとされる伝説の録音です。
1975年3月29日サンタモニカ公演のオーディエンス録音ですから、4月の初来日の直前の演奏になります。
フレディ28才の歌声はのびのびしていて、これぞ私たちが知っていたフレディの声なんです!
フレディのコアなファンにはお薦めの一枚です!

ところで「ブートレッグ」とは、「海賊盤」のことですが、海賊盤とは何かを調べてみると、「法律上の権利を無視して無断で発売または流通される非合法商品」のこととあります。
そうか〜、海賊盤とは「非正規品」のことだと思っていたのですが、なんと「非合法商品」だったのですね!
しかも「海賊盤」には3種類あり、「ブートレッグ」の他に「パイレート盤」と「カウンターフィット盤」があるという。
そんなに色々とあったとは!
「ブートレッグ」は、アーティストの未発表音源や、ライブのオーディエンス録音、海外TVやラジオの無断製品化など。
「パイレート盤」は、正規盤をコピーしたり編集したりしてベストアルバムなどに仕立てたもの。
「カウンターフィット盤」は、正規盤をコピーして、正規盤に似せた複製品。だそうです。

海賊盤についての、ほろ苦い思い出があります。
77年1月にクイーンの「華麗なるレース」が発売された時、私は新宿のディスクユニオンへ買いに行きました。
そして「華麗なるレース」のジャケットを見つけてレジへ持っていくと、レジのお兄さんから「これは海賊盤ですよ」と言われました。
しかし当時まだ10代だった私は「海賊盤」の意味がわからず、何かアヤシイものなのかなと思いつつ、そのまま買ってしまいました。
家で聴いてみると、ライブ盤で音質が良くなかったので、あまりそのレコードを聴くことはありませんでした。(レコードですよ!)
だから海賊盤とは、ライブ盤のことかな、ぐらいに思っていたのです。
ところが、ここで私は重大なミスを犯してしまいました!
「華麗なるレース」の海外ライブ盤には「手をとりあって」が入っていなかったのです!
私がはじめて「手をとりあって」を聴いたのは、何と2019年のこと、つい最近です。
はじめて「手をとりあって」を聴いた時、わけもなく涙が流れてしまいました。
ブライアンもいい曲を書くなあ。
今まで「手をとりあって」を知らなかったなんて、クイーンファンとしては大失態ですよね。
海賊盤は難しいのです。

▶︎2020年さいたまスーパーアリーナ
2020さいたまスーパーアリーナ

もうさいたまのDVDが出ているのかと思って買ったのですが、これもブートレッグでした。
オーディエンス録音で、固定の1カメラなので、記録用と思った方がよく、あまり鑑賞に耐えるものではありません。
実際にさいたまアリーナへ行った方にとっては、自分の経験を思い出すための助けになるでしょう。
ステージの装置がほとんど見えないので、全体の様子がわからず、寂しいステージに見えます。
とくに「39」を一人で歌うブライアンの姿が寂しい。あれは4人で並んで歌う曲なのに。
それでもライブでは気がつかなかったことがわかり、面白いこともあります。
たとえば、はじめの「Now I`m here」でアダムが登場した時、「フレディ〜!」と叫んでいる人がいてコケました。
この人は最後の方でも「フレディ〜」と叫んでいます。男性です。
「セブンシーズ オブライ」のピアノが、フレディの激しく叩きつけるタッチとは違います。
「手をとりあって」でブライアンは低声部を歌っており、オーディエンスと重唱になっていたのですね。
会場で歌っている人は女声が多いけれども、私の隣の男性は上手に歌っていました。
「Who wants to Live for ever」のアダムの歌唱力がすばらしい!
など、私はあるコンクールの審査員をやっているので、ついチェックを入れてメモしてしまう癖があるのです。
すいません、許してください。

日本公演は正規盤が発売されるといいですね。
舞台センターの脇にカメラがあったので、録画はされていると思われますが、舞台上にカメラはなかったですね。
ステージの録音・録画は難しいので、やはりプロの技はすごいものがあります。
フレディの頃より現在の方が音質・画質とも飛躍的に良くなっているというのに、やはりフレディの存在感はすごかったという再確認にもなりました。
感染症の外出自粛のお供にCD・DVDを!

それにしても、2ヶ月前には自由にコンサートに行かれたなんて、夢のような世界ですね!



「ハイドパーク 76年」と 「ヒューストン 77年」のDVD

東京は桜が開花しましたが、新型コロナは音楽界に甚大な影響を及ぼしています。
3月中は殆どのコンサートは中止または延期となり、公共ホールは閉鎖状態で、舞台関係の仕事(音響、照明、舞台設営など)は途絶えてしまいました。
演奏家、ミュージシャンにとっても、コンサートが消滅し、ツアーもままならない状態で、困惑が広がっています。
音楽事務所もチケットの払い戻しや、契約の違約金支払いなどで苦境に立たされています。
このような事態が早く終息に向かうよう、心から願ってやみません。

思えば1月26日のQALは、辛うじて開催可能だったわけですね。
あれ以来、旅行や外食に行けず、コンサートや美術館にも行けず、その分浮いた時間で、家の内外の掃除をしたり、庭のバラに肥料をやったり、猫と遊んだり、免疫を落とさないために食事をしっかり作って食べたり、という生活で、なんだかとてもヘルシーになっています。もしかして、これは理想的な生活なのかも?
私たちが普段いかに恵まれた生活を送っているかという、生活の見直しにもなりますね。

コンサートに行かれないので、クイーンのDVDを見たりしています。
74年のレインボーと、75年のハマースミスは持っていたので、
次に81年のモントリオールと、82年のオンファィアー、85年のウェンブリーを見ました。
そして次第にレアな世界へ入って行き、76年のハイドパークに手を出しました。

ハイドパーク

これは元の録画が古いので、画像は荒く、音声も歪む時があります。
でもフレディの姿ははっきりと捉えられており、問題はありません。
クイーンが10万人以上のオーディエンスの前で演奏したのは、おそらくこれが初めてだったのでしょう。
ブライアンも、あの時は緊張したと言っています。
初めの方でコーラスが合っていなかったりすることもありますが、それも愛嬌です。
フレディ30才ですから、他のメンバーは皆20台!

とくにフレディの白いレオタードと化粧の妖艶な姿が見られます。
この白いレオタードは、フレディの衣裳の中で最も危険と言われたもので、(脱げそうになるので)一見の価値があります。
白いレオタード

この姿で「You Take My Breath Away」を歌うのですが、この時が初ライブとなり、ソロなので緊張していますが、その深い表現力は圧巻です。これはポピュラー音楽史上に残る名演だと思います。
そのような表現を可能にしたのは、フレディの実体験から来ているためなのですが、この時フレディは既にデビッド・ミンスと別離しており、その悲恋を歌ったものなのですね。
かわいそうにねえ。(すでに親心のような心境)
「Love of My Life」と「You Take My Breath Away」は、デビッド・ミンスに捧げた作品だと言われています。

フレディは、その人生で数多くのラバーズを持ちましたが、最も愛していたのは誰か?
私は、このデビッド・ミンスではないかと思うのです。
デビッド・ミンスはエレクトラレコードの経営陣の一人で、メアリーと一緒に暮らしていた75年から付き合い始め、一時は同棲もしていました。

デビット・ミンスと、なかよしの頃
デビッド・ミンスとフレディ

Love of My Life」の歌詞に、次のようなところがあります。

When I grow older
(いつか年をとったら)
I will be there at your side to remind you
(君のそばにゆくから思い出しておくれ)
How I still love you I still love you
(いつまでもどんなに君を愛しているか)

年をとったら、また側にいるとは、なんという執念だろうと思いますが、実際にはフレディは年をとることはなかったことを思うと、悲しみを誘います。

You Take My Breath Away」はもっとすごい。
だからいかないで
ひとりぼっちにして行かないで
時々たまらなく孤独を感じる
どこに行っても見つけるよ
君の後ろを片時も離れない
この世界の果てでも
不眠不休で君を探すよ (キリオさん訳)

彼がどこに行っても探し出し、彼の後ろに背後霊にようにくっついて、眠らないで休まずに地の果てまで探すとは、ものすごい執念ですね!
ends of the earth は「地の果て」でしょうけれど、「地球が終わるまで」だったらすごいですね。
ここまで言わせるデビッド・ミンスも大したものですが、やはり初めての同性愛の相手だったからでしょうか。
そして「Love of My Life」は、最後のライブまで歌っていたわけですから、その度に彼を思い出していたのではないでしょうか?
フレディには多くのラバーズがいましたが、本当はとても純情で一途だったのではないかという話です。

次に77年のヒューストンのライブを見ました。
ヒューストン

これは音声は良いのですが、画像が鮮明ではありません。
なぜかステージが暗いのです。
クイーン専用の照明機材ではなく、現場の照明を使っているので、ライトの数が少なく、スポットも客席側からは当たらないので、撮影状態が良くありません。
ステージにおいて、いかに照明が大切かということの逆説的証明になっています。照明の証明ね。
とくにフレディがピアノの前に座っている時は、暗くて顔がぼやけて亡霊のようになっています。
全体的に、はっきり見えずにフラストレーションがたまってしまうので、あまりお勧めできませんが、「幽霊でもいいからフレディに会いたい!」という人には、お勧めいたします。

このDVDを買ったのは、白黒ダイヤ柄のフレディが見たかったからなので、ダイヤ柄が見たい人にはおすすめです。
ダイヤ柄の時代には日本公演はなかったことですし、ダイヤ柄の動くフレディを見ると感動です!
道化師を演じるフレディが全開ですから!
白黒ダイヤの道化師









プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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