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永遠のフレディ

フレディのマンションの近く、テリテ駅の前にエリザベートの像がありました。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后で、シシィの愛称で知られています。
シシィもレマン湖が好きで、テリテから背後の山頂へ登り、グランドホテル(現在廃業)に滞在していました。
1898年の9月9日、シシィはモントルーからジュネーブへ船旅を楽しみ、翌10日にジュネーブで刺殺されてしまいました。
シシィはウィーン宮廷の堅苦しさに馴染めませんでしたが、今でも世界の多くの人に愛されています。
エリザベートの像

レマン湖の東端、モントルーからバスで15分ぐらいのところに「シヨン城」があります。
12世紀からこの地に建設が始まり、フランス・イタリアとの交通の要衝として関所のような役割を果たしました。
シヨン城の城主だったサヴォワ家は、イタリアとフランス・フランス領スイス一帯のサヴォワ地方を治め、
ヨーロッパ屈指の名家とされています。
16世紀にこの城に幽閉された宗教改革者ボニヴァルをうたった「シヨンの囚人」は、イギリスの詩人バイロンによるものです。
バイロンは数多くの女性と退廃的な生活を送り、ギリシャの独立戦争に身を投じる決心をしましたが、1824年にギリシャで熱病にかかり、わずか36才で生涯を閉じました。
シヨン城

シヨン城からモントルーへ戻り、かなり歩き回ったので、ホテルで休憩。
昼間からワインを飲みながら、優雅なランチです。普段は絶対にできないことなので。
それにしても日本人は全然見かけないし、まして一人で来ている人はいない。
周りはヨーロッパや中東や中国のお金持ちの家族連ればかりです。
ランチのワイン

そろそろ旅も終りです。
モントルーでフレディは湖を眺め、マウンテンスタジオで録音し、優雅な生活を楽しみました。
よく泊まっていたフェアーモント・バレスホテネルのスイートルームは一泊20万円以上だし、ダックハウスのインテリアも凝っているし、新しいマンションはペントハウスです。
フレディはこの世で最高の生活を楽しむことができた。
恋愛関係では色々あったが、最後に優しいジム・ハットンと出会い、静かな生活を始めた矢先の病気発覚が人生の誤算だった。
それでも最後まで、力の限り歌を歌い続けたフレディ。
人生の苦楽を味わい尽くし、自分のやるべきことをやりきって、今は本当に星になったフレディ。
フレディ像2

1978年の「ジャズ」から、1991年の「イニュエンドウ」までをモントルーで録音し、いつもここから新しい世界へ向かって飛び出していったクイーン。
そしてとうとうフレディは新しい別世界へ旅立ってしまったけれど、私がモントルーへ来て、わかったことがある。
それはフレディは常に存在する、フレディは永遠だということ!
永遠のフレディが、いつも私たちと共にいる。
ありがとう、フレディ!
モントルーのデッキ






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湖の白鳥、テリテのマンション

レマン湖は全長73kmの三日月型の湖で、中央ヨーロッパではハンガリーのバラトン湖に次いで2番目の大きさを誇る。
湖岸を走る電車が1時間以上かかるのだから、本当に長い!
日本にはこんなに長い湖があったかしらと思ったが、琵琶湖は長さ63.49kmでかなり健闘している。
レマン湖は細長いので面積は580平方キロだが、琵琶湖は670平方キロなので、なんと琵琶湖の勝ちなのだった。
それにしてもレマン湖の景観は美しい。
山と湖の景観なら日本にも沢山あるが、やはりスイスの山と湖は雄大で清々しい。
実際にスイスへ来て、なるほどと思うことがあるが、この大きな湖はその果てしない大きさから海を連想させる。
アフリカの海辺で育ったフレディは、レマン湖を見て無意識にしろ、遥かなるアフリカを想起したのではないだろうか?
実際にレマン湖には、寄せては返す小さな波があり、水に手を浸してみると真水のようなサラサラではなく、温泉のようにペタペタした触感だ。たくさんの魚や鳥たちを育むレマン湖は、まさに生命力を蓄えた母なる湖、母なる海ではないか!
母なるレマン湖

湖には今もフレディが好きだった白鳥がいる。
これぞ「白鳥の湖」ですね。(チャイコフスキーのバレエ音楽)
周りには鴨がいる。フレディは「a Winter‘s Tale」で seagull と歌っているが、シーガルはカモメで、鴨はduckですよね。
きっとカモメもいるのでしょう。
レマン湖の白鳥

湖岸にはずっと遊歩道が設置され、歩道に沿って美しい花も植えられている。
この歩道がなぜか妙に懐かしくて、学校へ通った道なのか、家路をたどるpath小道なのか、そんな暖かいほのぼのとした記憶が甦るような気がして不思議だった。
美しい湖を眺めながら歩いていると、1時間ぐらい歩いても全く疲れなかった。
湖岸の遊歩道

モントルーからバスで2駅のところにテリテTeritetという町があり、電車のTeritet駅もあります。
そこから歩いて湖岸へ向かい、湖岸の歩道を右折して少し行くと、右側にこのラ・トゥーエルというマンションがあります。
フレディが晩年に住んでいた、あるいは住もうとして楽しく内装を考えていたのが最上階のペントハウスです。
ペントハウスは最上階に一戸だけ造られる高級な部屋で、眺望も良く、プライベートも守られます。
ここならマウンテン・スタジオも近いので、フレディがここに住めたらどんなに良かったことでしょう!
テリテのら・トゥーエル

レマン湖に来てみて、フレディがこよなく愛した土地ということが良くわかりました。
本当に地上の楽園ですね。
レマン湖の眺め







コントロール・ルーム

マウンテン・スタジオのコントロールルームは、元のまま残されているので、とても興味がありました。
行ってみると、とても狭い!
使われていた当時の写真を見ると、ミキサー卓の前に椅子が3脚あり、3人ぐらいでちょうど良い感じです。
演奏するブースは上の階にあり、モニターで見ていたことがわかります。
プライベートスタジオだから、隠れ家みたいに小じんまりとしていたのですね。
しかしここで長期にわたって、長時間こもっていたんだなあ。
スタジオというのは密閉されていて窓はないし、空気も良くないし、あまり身動きもままならない空間で、かなりのストレスがあります。
この狭い部屋で、個性が強い人間がぶつかり合うのですからね。
それにスタジオではタバコを吸う人が多い。
ある朝、ブライアンがスタジオへやって来ると、スタジオ内がタバコ臭く、うっとなってしまった。
それを見たフレディが、その時以来キッパリとタバコを止めたという話がありますね。

ロンドンには大きなスタジオがありますが、やはり日本のスタジオはすごくお金をかけているそうです。
日本は、どこの地方都市に行っても、立派なホールがあり、すばらしいスタインウェイのピアノがありますが、
こんな国は世界で日本だけです。

クイーンが使用していた24チャンネルのレコーダー。
なつかしいアナログ時代です!
80年代はクイーンもこれで録音していたんだなあと感無量です。
24チャンネルのレコーダー

これも懐かしい卓だ。
ところが近寄ってみると、赤いフェーダーところ以外は、なんと写真でした!
え〜これが見たくて、はるばる日本からやって来たのに、写真とは!
ネットで見た時はわからなかったので、これにはがっかりしてしまいました。
仕方が無いので、写真の卓を撫でました。
ミキサー卓

この赤いフェーダーは、実際に動かして音量を変化させることができるのですが、
やってみると実際の卓による、指に吸い付くような感覚がない。
やはりこれはレプリカなのだった。
右から3番目がVocalで、フレディの声を大きくすることができます。
赤いフェーダー

コントロール・ルームの床に、金色の銘板があり、ここがフレディが立って歌った場所だそうです。
最後の頃、フレディは上のブースに行かず、ここで歌っていた。
ここに本当にフレディがいたんだなあ、という実感が襲って来ます。
畏れ多くて、この円盤の上に乗ることはできませんでした。(乗るものではないか?)
フレディが立った銘板

コントロール・ルームの全容。
右奥の床に、フレディ立ち位置の銘板があります。
コントロールルーム全容





フレディの衣裳

はい、お待ちかねのフレディの衣裳です。
これを目にした時は、レプリカじゃないかと思ったのですが、正真正銘の本物だそうです。
フレディやブライアンが着用したものです。
よく今まで保存されていましたね。

これがあの「白鷺ルック」です!
これは1975年に武道館で見たものですから、44年後に再び目の当たりにすることができて感無量です。
フレディの白鷺は少し布地に経年が感じられ、44年の歳月が過ぎ去ったことを思い知らされます。
フレディの動きが激しかったためか、繕いの跡があり、背中のくるみボタンはいくつかちぎれて無くなっています。
曲の合間に急いで着替えるために、ボタンを外すのももどかしく、引きちぎれてしまったのだろうと想像されます。
白鷺ルック

それに対してブライアンの衣裳は、とてもきれいで新しいものに見えます。
これは生地の違いなのか、ブライアンが丁寧に着用していたのか?
ブライアンの衣裳

オレンジのダイヤ柄があった。
これは色違いの布を縫い合わせたもの。
注目したのは、足先までオレンジの布に覆われていること。全てオールインワンなのだ。
やはりこれはレオタードとタイツが合体したものなのだろうか。
それにしても細い!
オレンジのダイヤ柄

ダイヤ柄の足先

この白いジャケットは革製で、黒いイナズマを縫い付けてあります。
ボトムスは薄いニットのような生地で、タイツに近いものだった。
動きやすさは抜群でセクシー。
ジャケット同様に、黒いイナズマを縫い付けてあります。
やはり近くで見ないとわからないものだなあ。
白地に黒い稲妻


フレディの自筆歌詞

マウンテン・スタジオ記念館に入って、まず私の目が釘付けになったのは、
フレディの自筆の歌詞を書いた紙でした。
やはり印刷物より、実際の筆跡を見ると、その人物が生々しく迫って来ますね。
フレディの筆跡は、のびのびとして勢いがあり、味のある文字だと思います。

「I`m going slightly mad 」です。
まだ力強い筆跡です。
アイム ゴーイング スライトリー マッド自筆

モンセラート・カバリエとは、ここで「バルセロナ」を録音しています。
珍しくコード進行が書いてある。フレディは五線譜は書いていないようですね。
フレディの作曲の形跡がわかるものを見たいのですが。
バルセロナ

「ラブ・キルズ」の歌詞。
面白いのは、ミュンヘンのヒルトンホテルの備え付けメモ用紙に書かれていること。
思いついた時に、手当たり次第に、その辺にある紙に書いていたのでしょうか。
ラブ・キルズ自筆

「ワン・ビジョン」の歌詞。
これも何かのメモ用紙に書かれています。
赤い文字はロジャーの筆跡。
だんだん誰の字か、わかるようになってきた自分がこわい。
ワン・ビジョン自筆

「ウィンター・テイル」ですね。
最後の頃なので、文字に力がないように感じます。
ウィンター・テール自筆
プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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