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フレディが愛好したアスプレイの香り

さいたまスーパーアリーナの、クイーンのコンサートへ行った時、その前にクイーン展へ行こうと目論み、日本橋の高島屋へ立ち寄りました。
ところがその時、入場待ちは長蛇の列となり、待ち時間は3時間とのことだったので、あっさりとクイーン展は諦め、「東京がだめなら横浜があるさ」「横浜もだめなら名古屋もあるし」と自分を慰めたのでした。
しかし私は簡単に高島屋を去ることはなかった。
8階のクイーン展を諦めると、早速2階の「アスプレイ」へ移動。
「アスプレイ」とは、フレディが「カルティエとアスプレイが好き」と言っていた、あのアスプレイなのである!
しかも、クイーン展と違って、誰もお客さんがいない!
アスプレイは、ロンドンが本店の、英国王室御用達のブランドで、日本では日本橋高島屋と大阪の2店舗しかないのだが、それは製造の数が少ないので、店舗が増やせないからだという。
アイテムはハンドバッグやアクセサリーの他、シャンプーやソープなどがあり、リッツ・カールトンのアメニティーはアスプレイのシャンプーセットになっている。
私はオーデコロンをチョイス。甘いけれどスッキリした香りで、寝具にかけるのもおすすめです。
この香りはシャンプーやソープも共通のもので、フレディが愛好したもの。
ネットで買うこともできます。
アスプレイのオーデコロン

さいたまスーパーアリーナから帰ってくると、なぜか無性にフレディの声が聴きたくなり、ネットで適当に選んだライブを見てしまったことを告白します。
1985年の日本公演を記録したNHKのヤングミュージックショーでした。
ヤングミュージックショーといえば、この番組を制作したプロデューサーの波多野氏を、昔知っていました。
波多野氏は日本にロックを広めた伝道師です。
私も渋谷のNHKで仕事をすることがあったので面識があり、カルチャークラブのコンサート等に招待していただきました。
ただ波多野氏は、クイーンはあまり好きではありませんでした。
彼の実弟は、渋谷のライブハウス「ラ・ママ」を経営しています。

さいたまスーパーアリーナの翌日、スマホで録ったプライアンのギターソロを聴いていたところ、意外と音質が良くて驚きましたが、うちの猫が寄ってきて、PCにスリスリしていました。
なんと、猫も喜ぶブライアン博士のギター!!
ふつう猫は、ロックは嫌いなので、驚異的な現象です!
猫もよろこぶ
こんな感じで、ご満悦。
じつは私もフレディと同じ、大の猫好きなのです!
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エンターテイメントと3S政策について

フレディはエンターテイナーである。
エンターテイメントとは娯楽のことであり、スポーツやコンサート、舞台演劇などを指します。
スポーツが娯楽に入っているというのも驚きですが、エンターテイメントの範囲は広く、歌やダンスからマジック、お笑い、映画、アニメ、テレビのバラエティ番組、音楽番組、TVドラマ、演劇、サーカス、ゲーム、遊園地、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット、プラモデル、小説、漫画、ギャンブルなど、実に様々なジャンルに渡って、私たちの生活に浸透しています。

ところで「3S政策」のことはご存じでしょうか?
3S政策とは、「Screen(スクリーン=映画鑑賞)、Sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、Sex(セックス=性産業)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民化政策である」とされています。(Wikipedeaより)
これはアメリカの日本占領中に行われた政策とされていますが、見たところ、戦後もずっと続いていると思われます。
他には韓国で行われたとされますが、欧米の若者たちも全く同じ3Sに侵されているように見えます。

この政策により、日本では性風俗が開放され、映画やエンターテインメントが興隆し、プロ野球が国民的娯楽となりました。
3Sに目を向けさせることにより、民衆が感じている社会生活上の様々な不安や、政治への関心を逸らさせて、大衆を自由に思うがままに操作し得るとされます。簡単に言えば「ガス抜き」政策のこと。
これにより日本は「一億総白痴化した」と言われます。

3Sのうち、スクリーン(映画)により、悪者が退治され、正義が勝つシーンを見せられれば、世の中への不満が解消される疑似体験となって、社会悪に対する不満が薄れ、社会に隷属させることができると考えられました。
スクリーンには映画の他、テレビやビデオも含まれ、今ではUtubeも大活躍です。
テレビの音楽番組やMTVをはじめとするミュージックビデオも、もちろん若者を洗脳する装置として機能します。
洗脳の目的とは、政治や経済から民衆の目を逸らさせることです。

3Sのスクリーン鑑賞、スポーツ観戦、セックス産業と、エンターテイメントは殆ど重なっており、同じものだと言えます。
エンターテイメントには映画、音楽、スポーツ、性産業も含まれています。

フレディは音楽産業のエンターテイナーです。
彼は決して政治的な発言をすることはなく、「政治のことは専門家に任せておけばいいよ」と言っていました。
この発言は、多くの若者に影響を与えることでしょう。
日本でも、選挙には行かない、選挙に行っても仕方がないと言う若者はよく見かけます。
フレディは音楽産業のスターとして、図らずも3S政策の先導者としての役割をも担ってしまったのです。
これはフレディが意図したものとは思えず、結果的にそうなってしまったのかもしれません。
フレディ、エンターテイナー

フレディは音楽を愛し、ただひたすらに音楽をやりたかった。
そして音楽に政治は持ち込まず、切り離していました。
一方、フレディがミュージシャンとして活躍するための場所を提供する側があり、レコード会社やマネージメントを行なう音楽産業サイドでは、フレディに対してどのような要求または誘導を行ったのかはわかりません。
フレディは自分の恋愛体験を歌にして歌いたかった。
それは3S政策側としては願ってもないことで、3Sとしては、民衆の男性にはセックスを与え、女性には恋愛の夢を与えることで、人間が考える頭を奪うことが目的だったからです。
フレディは飛んで火に入る夏の虫だったのかもしれません。
フレディ自体、音楽産業の中でドラッグやセックスが自由になり、3Sに洗脳された被害者であり、同時に3Sのスターとなって人々に影響を与える存在になったのかもしれません。

そのように考えると恐ろしいことですが、これは何も隠された秘密ではなく、普通にWikipediaに載っていますので、誰の目にも明らかなものであり、周囲の状況を見渡してみれば、いかに3Sが浸透しているかを確認することができます。
ちなみにインターネットやUtubeも愚民化の道具なので、どうぞ気をつけてください。

そうした事実があるにしても、音楽は音楽!
誰かの思惑には関係なく音楽のスピリットは存在し、私たちは貴い音楽を宝物として持っています。
誰にも侵されることのない神聖なる音楽空間を胸に、私たちは生きていこう!


榛原の和紙

フレディが日本へ来た時、日本橋の和紙のお店へ行き、和紙を買って帰って自宅の壁に貼ったという。
日本橋には和紙のお店がいくつかありますが、老舗として最も有名なのは「榛原」(はいばら)です。
これは江戸っ子ならば知らない人はいない。
京都の「鳩居堂」と並ぶ名店です。
私も江戸っ子の端くれですし、友人が歌舞伎座で下座音楽をやっていて、榛原の文具をくれたことがあるので、私も榛原の便箋や小物を使っています。
榛原の商品はオンラインで購入することもできます。
https://haibara-shop.jp

榛原の和紙
榛原の和紙1

榛原の和紙2

榛原の和紙3

フレディは一体どんな和紙を壁に貼っていたのでしょうね?

「如来になったフレディ」

武田仁という仏画家がいます。
どのような仏画なのか見てみました。
仏画1

このように細い線でシンプルに描く方なので、いわゆる仏画のイメージとは違いますが、とてもきれいな線で、やわらかい印象です。
仏像たちがやさしく「大丈夫だよ」と言っているような気がします。
この仏画家が、フレディの絵を描いているのです!
武田氏はグラフィック・デザイナー出身なので、フレディと通じるものがあるのでは?

武田氏のサイトから引用します。
「何度目かの来日公演の際、日本のお土産にとプロモーターからプレゼントされた武田仁の画集と版画に感動したフレディは「タケダに会いたい」と切望した。1986年、ジャパンツアーで来日したフレディは武田との対面を果たし、その席で「いつか自分のポートレートを描いてくれないか」と依頼した。武田は快諾し、完成次第手渡す約束をする。

 しかし、ほどなくフレディは病没してしまった。受け取り手がいなくなった絵をどうするべきか、クイーンのマネージャー、ジム・ビーチ氏と相談した結果、フレディの母へ贈ることとなった。作品はかなりの大きさが有った為、破損しないように輸送するには相応の費用がかかった。だが、レコード会社を通じて募金を呼びかけたところ、またたく間に費用が集まり、作品は無事、フレディの母のもとへと届けられた。贈った絵(如来になったフレディ)はドミニオン・シアターのフレディ・マーキュリー展示室とお母さんの自宅に飾られている。」

如来になったフレディ」は、この絵ではないかと思います。
如来になったフレディ

「如来になったフレディ」の絵では、如来と共にフレディが描かれています。
如来には薬師如来、阿弥陀如来、大日如来などがありますが、この絵は阿弥陀如来であると思われます。
阿弥陀如来と大日如来は、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーを起源とするという説があります。
阿弥陀仏の救済的性格は、ゾロアスター教の影響と言われます。
大乗仏教そのものがゾロアスター教の影響を受けており、阿弥陀如来に関する経典は北西インドで成立したものです。
ゾロアスター教研究の岡田明憲氏は、「浄土」という概念もゾロアスター教から来ており、そこにゾロアスター教の終末における世界の浄化の影響があるとしています。
そんなことを知ったら、フレディもさぞ驚いたことでしょうね。
つまり上の絵は、フレディとアフラ・マズダーが一緒にいる絵とも言えるのですから。

これは阿修羅か、千手観音か?
阿修羅か千手観音か

武田仁の経歴では、1981年に銀座の画廊「月光荘」で個展を開き、オーナーの中村曜子は恩人であるとしています。
中村曜子は、ピアニストの中村紘子の母親で、大変な経営手腕があり、政財界に広く人脈を持っていました。
しかし、1985年にレオナルド・ダ・ヴィンチの贋作を21億5000万円で売り込もうとした「月光荘事件」を起こし、国際的なスキャンダルとなりました。
その贋作をイタリアから無断で持ち出したことが、イタリアの文化財保護法に抵触するとして、ミラノ検察庁が捜査を行ない、1988年にミラノ検察庁に起訴されました。
1989年には、ゴルフ場会社の役員から預かったルノワールの『花束』を1億4500万円で売却し、その代金を横領した容疑で東京地検に書類送検されました。

中村曜子は1992年に亡くなりましたが、武田仁が墓参りに行ったところ、その墓は木柱一本だったそうです。

武田仁は、1981年、1983年、1985年にも月光荘で個展を開いています。
1985年は「月光荘事件」が起きた年ですから、何とも微妙です。
武田氏は月光荘の後、ベルギーのブリュッセルやニューヨークでも個展を開いており、欧米では知る人ぞ知るという仏画家になりました。
日本人が見ると不思議な絵ですが、外国人には人気があるようです。

フレディの絵をプリントしたTシャツもあります。
武田フレディ





アイルランドに平和を!

フレディの最後の恋人だったジム・ハットンは、アイルランドの出身です。
ライブエイドの立役者だったボブ・ゲルドフもアイルランド人で、フレディのマネージャーで恋人だったポール・プレンターは北アイルランド出身です。
アイルランドは長らくイギリスの支配下にあり、イギリスから過酷な扱いを受けてきたので、今でもアイルランド人はイギリスを良く思っていないようです。
今でもアイルランドの人に対して、イギリスと比較するようなことや、北アイルランド問題を話題にすることは避けた方が良いそうです。
ジム・ハットンはロンドンに来て、フレディと同棲するようになりましたが、イギリスに対しては複雑な思いがあったのではないでしょうか。
そんなアイルランドについて、ちょっとおさらいしてみます。
ジムとフレディ

⭐︎アイルランドといえばケルト文化!
紀元前265年ごろより、ヨーロッパからケルト人の渡来が始まりました。
ケルト人は高い文化を持っていましたが、集権的な政治形態ではなく、富の蓄財もしなかったため、次第にキリスト教に追いやられてしまいます。
しかしケルトの伝統はヨーロッパで長く息づき、ブリティッシュロックにも影響を与えました。
キングクリムゾンの「リザード」のジャケットにはケルト文様の凝ったデザインが一面に描かれており、「ディシプリン」のジャケットには、ケルトの結び目細工をもとにしたデザインが使われています。
ケルト系のミュージシャンでは、エンヤが有名です。
現在のアイルランドには「アイリッシュ・パンク」や「ケルトロック」もあるそうです。

映画「タイタニック」でも見られたアイリッシュダンスは、ケルト音楽と共に踊ります。(リバーダンスともいう)
リバーダンスは上半身を動かさずに下半身でリズムを刻むダンスですが、これは16世紀にイギリスからゲール語を禁止され、踊ることも禁止されたため、外から窓を通して見られた時に、上半身が動かないように、下半身だけで踊るようになったため。アイルランドの言葉と踊りを禁止するとは、イギリスもひどいことをするものですね。
アイリッシュダンスの伝統は、キリスト教以前からあったものです。
フレディの先祖も、ペルシャからインドへやってきた時、インドではゾロアスター教の布教とペルシャ語の使用を禁じられました。
二人とも同じような経験をした先祖を持っているので、共鳴するところがあったのか。

⭐︎アイルランドの歴史
8世紀末頃からノルマン人(ヴァイキング)の侵入が始まり、
1171年、アイルランドの豪族たちがイングランドのヘンリー2世の支配下に置かれます。
1541年、イングランドのヘンリー8世がアイルランド王を名乗り、本格的な支配が始まる。

1649年、クロムウェルがアイルランド占領のために侵攻し、大量の土地が没収され、多くの市民、老若男女が殺害されました。
一般市民の犠牲者は、病気や飢饉によるものを含めて20万人にのぼる。
生き残った政治犯は、1万2千人が西インド諸島を中心に奴隷として売られました。
クロムウェルの侵略は残忍極まりないものだったので、今でもアイルランドで最も嫌われているイギリス人になっています。
クロムウェルによりアイルランドは事実上の植民地となり、これ以後正式な移民が始まりました。

1801年、グレートブリテン王国とアイルランド王国が合併する。実質的にはイギリスによるアイルランド併合。

1840年代後半、ジャガイモの不作が数年続き、大飢饉が発生する。
この飢饉により、800万だった人口が2割も減り、生き残った人もアメリカへ移住するものが続出し、1911年には人口440万人にまで減少してしまい、現在に至るまでその人口は回復していません。
この時、イギリスは飢餓のアイルランドを助けるどころか、イギリスへの小麦の供出を強制し続けたので餓死者は100万人となり、アイルランド人のイギリスへの恨みは強く募ることとなった。
アイルランドではジャガイモが常食で、当時の小麦は高価なものであり、貧しい農民の口に入るようなものではなかった。

ジム・ハットンもジャガイモが好きなので、フレディがジムの誕生日に、10種類以上のジャガイモ料理を用意したという暖かいエピソードがあります。
フレディはイギリス植民地の支配層出身で、ジムはイギリスの支配を受けた国の出身。
お互いに生粋のイギリス人ではなかったので、ロンドンで生きるうえでは通じるものがあったのかもしれないが、世界はなんて複雑なのだろう。
やはり何かこの二人は偶然出会ったのではないような気がする。
ジムとフレディ2

1919年-1921年、アイルランド独立戦争
1922年、アイルランド自由国が成立、イギリスの自治領となる。ただし北部アルスターの6州は、北アイルランドとしてイギリスに留まる。これがアイルランド内戦へと発展する。

歴史的にイギリス(イングランド)への植民地支配の恨みが強く、今でも一部の住民の間では反英感情が強いとされます。
アイルランドは、イギリスから受けた虐殺や抑圧の歴史を持っていますが、イギリスに対して謝罪や賠償を求めることはなく、他国で告げ口外交をすることもなく、かといってイギリスとの友好を打ち出すわけでもありません。
ただイギリスと対等の関係であることを望んでいます。

アイルランドは、2011年の東日本大震災の時、自国が経済危機にあったにも関わらず、日本赤十字社に対して100万ユーロを寄付してくれました。
アイルランドの人は素朴で暖かく、鷹揚な人柄のようです。「何とかなるさ」と思っている。
イギリスは残酷で、アイルランド人を沢山殺しました。イギリス好きの人にとっては残念な歴史ですね。

⭐︎IRAについて
IRAとは、アイルランド共和軍のことであり、アイルランド独立戦争(対英テロ闘争)を行なってきたアイルランドの武装組織です。
IRAの目的は、アイルランド自由国成立後は、北部6州と南部26州(共和国)とを統一すること、つまり北アイルランドをイギリスから分離させて全アイルランドを統一することにあります。
IRA設立の背景には、17世紀にオリバー・クロムウェルが行なったアイルランド侵攻において、プロテスタントによるカトリック弾圧から続いてきた「アイルランド人に対する抑圧」があります。

1970年から1990年代にかけての「北アイルランド闘争」時代には、北アイルランドだけではなくイギリス本土でも爆弾テロが行われました。この頃のテロの記憶は私たちにも生々しく、映画にもなっています。
1994年にIRAは停戦を宣言。
1998年にベルファスト合意が成立、アイルランドは国民投票で、北アイルランドの領有権主張を放棄しました。
2000年、IRAは武装解除を表明。
2005年、IRAが武装闘争の終結を宣言しました。

しかし、ベルファスト合意に反対して散発的な行動を起こしているグループもあり、
2020年のブレグジットによって、アイルランドと北アイルランドの国境管理が再開されれば、過激なグループの闘争が再燃するのではないかという懸念もあるという。
ブレグジットとは、2019年12月12日にイギリスで行なわれた総選挙により決定した、イギリスがEUから離脱することを指す。
EUからの離脱について、ブライアン・メイは「世界が融合ではなく、分断に向かうのは悲しいことだ」と述べています。


⭐︎アイルランドの文学について
まずケルト神話として残る神話・英雄伝説を扱う口承文学が栄えました。
その後のアイルランドの文学にはアイルランド語で書かれたものと、英語で書かれたアングロ・アイリッシュ文学があります。
イギリスの植民地時代、連合王国時代にはアイルランド出身の小説家によって、多くの優れた小説が英語で書かれました。
この中には、『ガリヴァー旅行記』のジョナサン・スウィフト、『ドリアン・グレイの肖像』、『サロメ』のオスカー・ワイルドなどがいます。
ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』などの著作で、20世紀の欧米文学に大きな影響を与えました。
アイルランド出身のノーベル文学賞の受賞者として、W・B・イェーツ(1923年)、ジョージ・バーナード・ショー(1925年)、サミュエル・ベケット(1969年)、詩人のシェイマス・ヒーニー(1995年)がいます。
アイルランドには多くの優れた文学者がおり、世界に影響を与えています。

ケルトからの伝統を受け継ぎ、奥深い文化を生み出してきたアイルランド。
最近ではアイリッシュハープを弾く人も増えています。
アイルランドに行ってみたいなあ。



プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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