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国境を越えた「ENDLESS REIN」

あけましておめでとうございます!
クイーンのYoutubeチャンネルに、紅白でブライアンとロジャーが参加したYOSHIKIの映像が投稿されました。
Yoshiki

LAの海辺でピアノを弾くYOSHIKIと、ロンドンのコロナ下でお馴染みのリビングルームからブライアンのギター、歌で参加のロジャーと、サラ・ブライトマン、そして東京のホールではベビーメタルやLISAなどが同時にコラボするという豪華な「ENDLESS RAIN」でした。
3カ国同時中継で、音楽は国境を越えてつながります。
上空から見れば、地球に国境はありません。
海を背景に、透明なピアノで奏でる美しく夢幻的な「ENDLESS RAIN」でした。
フレディが歌うのも聴いてみたかったですね。
すべての憎しみと悲しみを洗い流す永遠の雨が、心の傷を溶かし、洗い清めますように。
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みゅうオンライン「ブリティッシュロック 伝説のチャンピオンの軌跡をしのぶ」

今は海外旅行に行かれませんが、オンラインの海外旅行案内があります。
みゅう オンラインの「ブリティッシュロック 伝説のチャンピオンの軌跡をしのぶ」に参加してみました。
ロンドン在住の Tetsu Tajikaさんが、画像と動画で、フレディゆかりの地を案内してくれました。
実際に各地を訪れるわけではないのですが、考えてみれば1時間ぐらいの間に各地を移動することはできないわけですから、ロンドンと生で繋がっているだけでも楽しい経験です。
おりしもロンドンはロックダウン下なのですから、それでも開催していただけて感謝です!
オンラインツアーの参加者は46名でした。

・まず最初はウェンブリースタジアムで、ウェンブリーまでの行き方を、地下鉄路線図で教えてくれます。
言わずと知れたライブエイドの開催地ですが、フレディの追悼コンサートもここだったのですね。そしてもちろんサッカーの聖地です。
それがなんと今は解体工事中だとのこと!
1923年建設なので老朽化したためですが、近代建築というのは寿命が短いですね。
日本の法隆寺は、築1400年の木造建築ですからね!
現在のスタジアムは上部にアーチがありましたが、2002年の改築まで、つまりフレディの頃には、入り口正面に2本の立派な柱が立っていたことを写真で紹介してくれました。なかなかレアな情報ですね。
現在はもうアーチも撤去されています。
こんなことなら昨年英国へ行った時に、ウェンブリーに行っておけば良かったなあなどと思ったりして。
ウェンブリースタジアム

・次はハマースミス・オデオン。ロック・コンサートの聖地です。
クイーンが1975年、世界へはばたく直前のクリスマスに、ここでコンサートを行ないました。
今はDVDで、このコンサートを見ることができます。

・次にハマースミス・オデオン近くのパブ「ラトランド・アームス」。19世紀半ばから続くパブです。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」のロケで使われました。
テムズ河沿いのテラス席の背景に、緑のハマースミス橋が見える景色が好きです。

・それからメトロポリス・スタジオ。
フレディがよく作曲に没頭していたスタジオで、「ヘッドロング」のMVにも使われ、最後のアルバム「イニュエンドウ」が録音されました。

・ハードロックカフェ1号店
世界中のハードロックカフェはここから始まった!
店内ではないが、フレディが所有していたアンティークの中国製椅子があります。

・いよいよガーデンロッジ!
フレディのお城だったけれども、ここに住んでいたのはわずか6年ぐらいで、しかもそのうち4年は闘病生活だったことが悲しい。

・そこから北へ徒歩10分ぐらいで、スタッフォード・テラス。
フレディが実家を出て、はじめて一人暮らしをしたところです。
今は他の方が住んでいますが、はじめての一人暮らしにしては立派なアパートに見えます。

・さらに北上してリチャード・ヤングのフォトギャラリー。
リチャードはクイーンの数々の名作写真を撮影しました。

・そしてノッティングヒルの「ザ・チャンピオン」というパブ。これは初めて見ました。
ここでよくたむろしていたフレディは、店名から「We are the Chanpions」を発案したというのです。
マーキュリーラウンジもある、フレディゆかりの隠れ家ですね。
ザ・チャンピオン

・サウスケンジントンへ移動して、レストラン「Shezan」
フレディが好きだったインディアン&パキスタニ レストランです。
アールズコートかと思っていたら、サウスケンジントンだったのですね。行ってみたいなあ。
ネットでは、フレディはインドで暮らしていたことを隠していて、話したがらなかったとされていますが、そんなことはありません。
よく友人たちとここへ来ていましたし、好きな食べ物は「インド料理」と言っていたのですから、べつに隠していたわけではなく、マスコミがあまりにもインドやアフリカのことをききたがり、「やはり暑くてヤシの木があるんですか?」と何度も言われて嫌になったと漏らしていますよね。
なんだかインド料理が食べたくなりますね〜
シェゼン

・最後はロック・フィールド・スタジオ。「ボヘミアンラプソディ」を含む「シアーハートアタック」が録音されたスタジオです。
なんとウェールズにある、元農場なのですね。広大な敷地があり、大自然の中に立地しています。
ベーゼンドルファー・ピアノがあり、フレディが「ボヘミアンラプソディ」で弾いていたピアノのようです。
屋根の上に風見鶏ならぬ「風見馬」があり、フレディはそれが風で揺れ動く様を見て、ポラプの最後のフレーズ Anywey the wind blowsを考えついたそうです。
3枚目のアルバムで、まだクイーンにはお金が入らず、なんと週給3000円ぐらいだったとか。
ロジャーはスタジオまで来るための交通費が工面できなかったので、借金をしてやっと辿り着いたというエピソードもあり、あのロジャーにもそんな時代があったとは・・・という感慨がよぎります。

 スタジオには当時の録音機材がそのまま残されており、まさに前世紀の遺物です! 未だにそんなものがあったとは!
デジタル化した現在では、全く使われていないものばかりです。
さすが古いものを大切にする英国なのだなあと感心しきり。
 そしてクイーン以外にも数々のミュージシャンがここで録音し、世界へ巣立って行きました。
そんな若い才能たちが花開いた場所であることを思うと、やはり心が震えます。
行ってみたいですね、ロックフォードスタジオ!

だから、オンラインツアーというのは、このようにツアーの良いところを小出しに見せて、いずれ本当の海外旅行に行きたいように誘惑するつもりなのですね!
まだコロナは続きそうなので、オンラインでオペラやバレエ、ミュージカルなどを見たいと思います!

とりあえず、メリークリスマス! YA!
サンタをムチ打っているように見えるけど?
メリークリスマスのフレディ





フレッドペリーのポロシャツ

フレディが着ているポロシャツは「フレッドペリー」なんですね。
フレッドペリーは英国のテニスプレイヤーで、ファッションリーダーでもあったので、1952年にブランドを創業しました。
1960年代にはロンドンの「モッズ」ファッションに欠かせないアイテムとして人気を集めました。
以来、英国発ファッションの定番として、広く世界で愛されています。
スポーツ関係だけではなく、アーティストや俳優にも愛用されています。

フレッドペリーのポロシャツ

名前が同じだからというわけではないでしょう。
英国紳士(?)としてお似合いです。
フレディは白いポロも持っています。
フレディのフレディペリー

というわけで、私も買っちゃいましたよ。
フレディペリーじゃなかった、フレッドベリーの黒のポロシャツ!





ミュシャの「モエ エ シャンドン」

ミュシャの続きです。
ミュシャは「モエ エ シャンドン」のポスターを描いていました。
この女性の自信ありげな表情は、マリーアントワネットに見えないこともない。
フレディもこのポスターを目にしたことがあるのでは?
「モエ エ シャンドン」は「キラークイーン」によって知名度が上がり、クイーンは「モエ エ シャンドン」をケースで贈られていました。
私たちも80年代のバブル期に飲んだことがあります。

モエ エ シャンドン

ミュシャは女優サラ・ベルナールのポスター画で一躍有名になりました。
フレディも往年の名女優が好きですね。

フレディの女優目線
女優目線

ミュシャの「Qスタイル」

ミュシャはチェコ出身で、パリで活躍したグラフィックデザイナー、イラストレーター、画家ですが(1860〜1939)、ミュシャの作品には「Qスタイル」というものが多く使われています。
これは画面の中心にいる人物の背後に円形が描かれ、その下部が人物の衣装によって流れることにより、「Q」の形状を表すために名付けられたものです。

つまりこのようになります。
ミュシャのQスタイル

この「Qスタイル」を見て、すぐに思い浮かぶのは、クイーンのロゴです。
クイーンのロゴ

QueenのQが「Qスタイル」になっています。
(ミュシャのQスタイルも、下部が右へ流れるものが多い)

ミュシャはアールヌーボー(19世紀末〜20世紀はじめ)の代表ですが、1963年にロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館において、英国ではじめての本格的な回顧展が開かれたことにより、ロンドンでミュシャのリバイバルブームが起こっていました。
これに即座に反応したのが、ロンドンやサンフランシスコの若者文化(音楽・ファッション・ビジュアルアーツ)の人たちです。
当時、ベトナム戦争や核戦争の危機が高まる中、ロンドンやアメリカ西海岸では既存の体制に反抗するカウンターカルチャーが起こっていましたが、ミュシャが描く流麗で耽美的な花やファンタジーの世界は、平和を求める若者たちの感性と共通するものがありました。
カウンターカルチャーは、ベルエポック(パリが繁栄した時代)の中に、自分たちと共通するものを見出したのです。

1964年にロンドンへやって来たフレディは、そのような時代の空気をいち早く敏感に感じとり、吸収していったことでしょう。
当時美大でファッションやグラフィックデザインを学んでいたフレディが、ミュシャの存在を知らないはずはありません。
69年頃に新しいバンド名を考えていた時、彼の脳裏にミュシャの「Qスタイル」が思い浮かばなかったでしょうか?
そしてクイーンのロゴに、「Qスタイル」の名残が感じられないでしょうか?
フレディ初期の、ファンタジー世界への傾倒も、平和を求める時代の影響があったのかもしれません。

フレディー コーヒー

1960年代後半以後、ミュシャの描く女性像や装飾、曲線表現にインスパイアされた、サイケデリック・ロックのポスターやレコード・ジャケットが続々と登場します。
ジミ・ヘンドリックスやローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどのジャケットやポスターにアールヌーボー=ミュシャの影響が強く認められます。

こんなイエスの見慣れたジャケットにもミュシャの影響があったんですねえ。
イエス

そして1964年、ロンドンにオープンしたブティック「BIBA」は、当時の最先端のファッションリーダーとしてモダン・テイストから始まり、ロンドンのサイケデリア・ファッションを先導し、1920年代のノスタルジック・テイストへ行き着きました。
BIBAの看板は、明らかにアールヌーボーのデザインです。
BIBAはマリー・クワントよりも懐古的と言われ、フレディの懐古趣味とも符合しています。
最近のファッション界でボヘミアン調、ヴィクトリア調などが流行していますが、そうしたスタイルの源泉がBIBAなのです!

60年代に蘇ったミュシャ様式は、アメリカのコミックスや、日本の少女漫画にも影響を及ぼしました。
水野英子、山岸凉子、松苗あけみ、天野喜孝などにその流麗な描写が受け継がれています。
ミュシャの影響は今日まで続いているのですから、恐るべしミュシャ!!ですね。

これなどはまさに「Qスタイル」(山岸凉子「日出ずる処の天子」)
山岸凉子




プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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