ネットで、ガンダーラの仏像がフレディに似ていると言う人がいました。
なるほど。

ガンダーラ!
とても気になります。
ガンダーラは、現在のアフガニスタン東部から、パキスタン北西部にかけて、紀元前6世紀から存在した古代王国。
アフガニスタンとパキスタンの国境は、欧亜列強によって人工的に引かれたものであり、ガンダーラ一帯はペシャワール渓谷として知られています。
ペルシャと中央アジアの重要な交通路にあったため、国際的な商業都市として栄えました。
ガンダーラは、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシャの領土となったり、
紀元前4世紀にはインドのマウリヤ朝によって支配されました。
つまり、フレディのルーツであるペルシャとインドの両方に跨る地域であるということになります。
紀元前185年ごろ、ガンダーラはイラン系のバクトリアに征服されますが、
ゾロアスターはバクトリア人だったという伝説があり、アケメネス朝時代にはバクトリアの首都バクトラ(現アフガニスタン)がゾロアスター教の中心地の一つだったことが明らかになっています。
フレディ・バルサラ家の宗教のルーツは、ガンダーラにあったということになります!
紀元前90年、パルティアがイラン東部を支配下に置きます。
パルティアのアルケサス朝の王たちはゾロアスター教徒であり、ガンダーラのギリシャ人たちを一掃します。
ここからガンダーラ美術が始まり、ギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様式を取り入れた仏教美術が生み出されました。
インドで生まれた仏教は、当初は偶像崇拝を否定していましたが、ガンダーラでギリシャ文明と出会い、はじめて仏像が生まれました。
1世紀〜3世紀、イラン系のクシャナ王朝で、ガンダーラは黄金期を迎え、多くの仏塔や仏寺が建立されました。
パルティア美術はササーン朝ペルシャによって破壊されましたが、ドゥラ・エウロポスの壁画やミトラ教の神殿に残されています。
(筆者は、ドゥラ・エウロポスの壁画を実見しています)
日本にも伝えられた仏像の中に毘沙門天がありますが、鳳凰がついた冠をかぶった像があり、その起源はギリシャ神話のヘルメス(マーキュリー)であるという説があります。
フレディは、マーキュリーという名前をギリシャ神話からとったのでしょうけれど、マーキュリー像はガンダーラにも存在していたのです!
ガンダーラは、ペルシャに隣接する地域で、かつてはペルシャ帝国の一部だったこともあり、宗教のルーツとしても有力な地域ですから、フレディとはとても縁が深い場所だと思われます。

現在のアフガニスタンという国名は、ペルシャ語で「パシュトゥーン人の国」という意味です。
パシュトゥーン人の住む地域が、欧亜列強によってパキスタンとアフガニスタンに分断されたのです。
パシュトゥーン人はイラン系民族で、紀元前2世紀に北方からイラン高原に侵入しました。
イランのサハヴィー朝(イスラム教)や、インドのムガール帝国の支配を受けました。
18世紀にサハヴィー朝に対して反乱を起こし、後にカンダハールでアフガニスタン国家の起源となるドゥッラニー朝を建国します。
アフガニスタンの「カンダハール」という地名は、ガンダーラに由来するといわれます。
タリバン政権崩壊後に指導者となったカルザイ大統領もパシュトゥーン人です。
パシュトゥーン人のザヒル・シャー前アフガニスタン国王が、フレディに似ていると思うのですが。

これはフレディがガンダーラのパシュトゥーン人の血を引いているのではないかという仮説です。
ガンダーラならばインドに近いので、フレディの先祖がインドへ逃れた経路が容易になります。
が、まったく検証の術はありません。
ガンダーラは、ペシャワル渓谷のことですが、
ペシャワルといえば、昨年ペシャワル地域で医療と灌漑を行なっていて、銃撃により殺害された中村哲医師のことが、すぐに思い浮かびます。
中村医師の日本での支援団体の名称は「ペシャワル会」で、私も支援会員になっています。
中村医師は1946年9月15日生まれで、フレディとは10日違うだけです。
ガンダーラ〜ペシャワル〜ペルシャ〜インド〜バクトリア〜パルティア〜ゾロアスター〜フレディ〜中村医師
ガンダーラの仏像を見て、これらが一瞬でつながり、私はわけもなくハラハラと落涙しました。
人間の歴史や関係というのは奇蹟のように連鎖しているのですね。
私たちが新型コロナの脅威に晒されている今、少しはフレディの気持ちがわかるかもしれません。
治療法のない、未知のウィルスに脅かされているのですから。
でも、ペシャワルの砂漠に水路を開いて、60万人もの命を救った中村医師のことを思うと、私たちも負けずにがんばらなくては、と思うのです!
なるほど。

ガンダーラ!
とても気になります。
ガンダーラは、現在のアフガニスタン東部から、パキスタン北西部にかけて、紀元前6世紀から存在した古代王国。
アフガニスタンとパキスタンの国境は、欧亜列強によって人工的に引かれたものであり、ガンダーラ一帯はペシャワール渓谷として知られています。
ペルシャと中央アジアの重要な交通路にあったため、国際的な商業都市として栄えました。
ガンダーラは、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシャの領土となったり、
紀元前4世紀にはインドのマウリヤ朝によって支配されました。
つまり、フレディのルーツであるペルシャとインドの両方に跨る地域であるということになります。
紀元前185年ごろ、ガンダーラはイラン系のバクトリアに征服されますが、
ゾロアスターはバクトリア人だったという伝説があり、アケメネス朝時代にはバクトリアの首都バクトラ(現アフガニスタン)がゾロアスター教の中心地の一つだったことが明らかになっています。
フレディ・バルサラ家の宗教のルーツは、ガンダーラにあったということになります!
紀元前90年、パルティアがイラン東部を支配下に置きます。
パルティアのアルケサス朝の王たちはゾロアスター教徒であり、ガンダーラのギリシャ人たちを一掃します。
ここからガンダーラ美術が始まり、ギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様式を取り入れた仏教美術が生み出されました。
インドで生まれた仏教は、当初は偶像崇拝を否定していましたが、ガンダーラでギリシャ文明と出会い、はじめて仏像が生まれました。
1世紀〜3世紀、イラン系のクシャナ王朝で、ガンダーラは黄金期を迎え、多くの仏塔や仏寺が建立されました。
パルティア美術はササーン朝ペルシャによって破壊されましたが、ドゥラ・エウロポスの壁画やミトラ教の神殿に残されています。
(筆者は、ドゥラ・エウロポスの壁画を実見しています)
日本にも伝えられた仏像の中に毘沙門天がありますが、鳳凰がついた冠をかぶった像があり、その起源はギリシャ神話のヘルメス(マーキュリー)であるという説があります。
フレディは、マーキュリーという名前をギリシャ神話からとったのでしょうけれど、マーキュリー像はガンダーラにも存在していたのです!
ガンダーラは、ペルシャに隣接する地域で、かつてはペルシャ帝国の一部だったこともあり、宗教のルーツとしても有力な地域ですから、フレディとはとても縁が深い場所だと思われます。

現在のアフガニスタンという国名は、ペルシャ語で「パシュトゥーン人の国」という意味です。
パシュトゥーン人の住む地域が、欧亜列強によってパキスタンとアフガニスタンに分断されたのです。
パシュトゥーン人はイラン系民族で、紀元前2世紀に北方からイラン高原に侵入しました。
イランのサハヴィー朝(イスラム教)や、インドのムガール帝国の支配を受けました。
18世紀にサハヴィー朝に対して反乱を起こし、後にカンダハールでアフガニスタン国家の起源となるドゥッラニー朝を建国します。
アフガニスタンの「カンダハール」という地名は、ガンダーラに由来するといわれます。
タリバン政権崩壊後に指導者となったカルザイ大統領もパシュトゥーン人です。
パシュトゥーン人のザヒル・シャー前アフガニスタン国王が、フレディに似ていると思うのですが。

これはフレディがガンダーラのパシュトゥーン人の血を引いているのではないかという仮説です。
ガンダーラならばインドに近いので、フレディの先祖がインドへ逃れた経路が容易になります。
が、まったく検証の術はありません。
ガンダーラは、ペシャワル渓谷のことですが、
ペシャワルといえば、昨年ペシャワル地域で医療と灌漑を行なっていて、銃撃により殺害された中村哲医師のことが、すぐに思い浮かびます。
中村医師の日本での支援団体の名称は「ペシャワル会」で、私も支援会員になっています。
中村医師は1946年9月15日生まれで、フレディとは10日違うだけです。
ガンダーラ〜ペシャワル〜ペルシャ〜インド〜バクトリア〜パルティア〜ゾロアスター〜フレディ〜中村医師
ガンダーラの仏像を見て、これらが一瞬でつながり、私はわけもなくハラハラと落涙しました。
人間の歴史や関係というのは奇蹟のように連鎖しているのですね。
私たちが新型コロナの脅威に晒されている今、少しはフレディの気持ちがわかるかもしれません。
治療法のない、未知のウィルスに脅かされているのですから。
でも、ペシャワルの砂漠に水路を開いて、60万人もの命を救った中村医師のことを思うと、私たちも負けずにがんばらなくては、と思うのです!
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