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ミュシャの「モエ エ シャンドン」

ミュシャの続きです。
ミュシャは「モエ エ シャンドン」のポスターを描いていました。
この女性の自信ありげな表情は、マリーアントワネットに見えないこともない。
フレディもこのポスターを目にしたことがあるのでは?
「モエ エ シャンドン」は「キラークイーン」によって知名度が上がり、クイーンは「モエ エ シャンドン」をケースで贈られていました。
私たちも80年代のバブル期に飲んだことがあります。

モエ エ シャンドン

ミュシャは女優サラ・ベルナールのポスター画で一躍有名になりました。
フレディも往年の名女優が好きですね。

フレディの女優目線
女優目線

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ミュシャの「Qスタイル」

ミュシャはチェコ出身で、パリで活躍したグラフィックデザイナー、イラストレーター、画家ですが(1860〜1939)、ミュシャの作品には「Qスタイル」というものが多く使われています。
これは画面の中心にいる人物の背後に円形が描かれ、その下部が人物の衣装によって流れることにより、「Q」の形状を表すために名付けられたものです。

つまりこのようになります。
ミュシャのQスタイル

この「Qスタイル」を見て、すぐに思い浮かぶのは、クイーンのロゴです。
クイーンのロゴ

QueenのQが「Qスタイル」になっています。
(ミュシャのQスタイルも、下部が右へ流れるものが多い)

ミュシャはアールヌーボー(19世紀末〜20世紀はじめ)の代表ですが、1963年にロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館において、英国ではじめての本格的な回顧展が開かれたことにより、ロンドンでミュシャのリバイバルブームが起こっていました。
これに即座に反応したのが、ロンドンやサンフランシスコの若者文化(音楽・ファッション・ビジュアルアーツ)の人たちです。
当時、ベトナム戦争や核戦争の危機が高まる中、ロンドンやアメリカ西海岸では既存の体制に反抗するカウンターカルチャーが起こっていましたが、ミュシャが描く流麗で耽美的な花やファンタジーの世界は、平和を求める若者たちの感性と共通するものがありました。
カウンターカルチャーは、ベルエポック(パリが繁栄した時代)の中に、自分たちと共通するものを見出したのです。

1964年にロンドンへやって来たフレディは、そのような時代の空気をいち早く敏感に感じとり、吸収していったことでしょう。
当時美大でファッションやグラフィックデザインを学んでいたフレディが、ミュシャの存在を知らないはずはありません。
69年頃に新しいバンド名を考えていた時、彼の脳裏にミュシャの「Qスタイル」が思い浮かばなかったでしょうか?
そしてクイーンのロゴに、「Qスタイル」の名残が感じられないでしょうか?
フレディ初期の、ファンタジー世界への傾倒も、平和を求める時代の影響があったのかもしれません。

フレディー コーヒー

1960年代後半以後、ミュシャの描く女性像や装飾、曲線表現にインスパイアされた、サイケデリック・ロックのポスターやレコード・ジャケットが続々と登場します。
ジミ・ヘンドリックスやローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどのジャケットやポスターにアールヌーボー=ミュシャの影響が強く認められます。

こんなイエスの見慣れたジャケットにもミュシャの影響があったんですねえ。
イエス

そして1964年、ロンドンにオープンしたブティック「BIBA」は、当時の最先端のファッションリーダーとしてモダン・テイストから始まり、ロンドンのサイケデリア・ファッションを先導し、1920年代のノスタルジック・テイストへ行き着きました。
BIBAの看板は、明らかにアールヌーボーのデザインです。
BIBAはマリー・クワントよりも懐古的と言われ、フレディの懐古趣味とも符合しています。
最近のファッション界でボヘミアン調、ヴィクトリア調などが流行していますが、そうしたスタイルの源泉がBIBAなのです!

60年代に蘇ったミュシャ様式は、アメリカのコミックスや、日本の少女漫画にも影響を及ぼしました。
水野英子、山岸凉子、松苗あけみ、天野喜孝などにその流麗な描写が受け継がれています。
ミュシャの影響は今日まで続いているのですから、恐るべしミュシャ!!ですね。

これなどはまさに「Qスタイル」(山岸凉子「日出ずる処の天子」)
山岸凉子




ビートルズは陰謀か?

ビートルズは人工的に作られたバンド(音楽)だという説がある。
これはいわゆる陰謀論とされており、私も確信を持っているわけではありません。
都市伝説の類なのかもしれず、ネットでも散見できますので、興味のある人は調べてみてください。
アビイロード

ビートルズがデビューしたのは1962年ですが、当時世界の若者の間では反体制的な学生運動の嵐が吹きまくっていました。
1960年代はアメリカ、フランス、西ドイツ、そして日本でも学生の自治の運動から、反戦、公民権など政治や思想的主張の運動が広がり、さらに社会の体制や価値観の否定をも主張するようになって、スチューデント・パワーとして、社会的に大きな力を持つようになりました。
それを脅威に感じた体制側の何者かが、若者たちのパワーを削ぐために仕掛けたのがビートルズと、その音楽だというのです。
ロックは大音響で聴きますから、耳が麻痺したようになり、頭がぼ〜っとします。
そこへビートルズの音楽の中に仕掛けられたサブリミナルメッセージが刷り込まれ、若者たちが洗脳されていくというのです。
サブリミナルメッセージには、悪魔的なことや性的なこと、薬物の摂取をすすめることなどが含まれています。
確かにビートルズのメンバーは薬物を使用したようで、それを真似る若者たちが増えました。
体制に反発してヒッピーとなり、社会からドロップアウトしてしまった人たちもいます。

日本でも1960年の安保闘争は、学生と警察側の熾烈な戦いになったと伝わっています。
ビートルズが来日した1966年、若者たちはビートルズに熱狂しましたが、この来日は日米の支配層が、学生の安保闘争を潰す目的で仕組んだとする説があります。
政治から若者たちの目を反らせるために、ビートルズの人気を利用したというのです。
また、ビートルズ公演に大掛かりな警備体制を敷いたことで、警察の有事の際の予行演習をしたという側面もあったらしい。
実際に、私が記憶する1970年の安保闘争は、あまり盛り上がりがなく終わったのですが、それは果たしてビートルズ効果だったのでしょうか?

ビートルズは、世界の若者たちを音楽・薬物・フリーセックスによって、政治的に麻痺させ、体制迎合的に洗脳するという目的のために仕掛けられたものであるとする説を証明することはできませんが、政治に無関心な若者を量産したことは事実です。
私が気になるのは、ビートルズ以後の世代の人たちに、「政治なんて興味がない」「選挙なんか行っても、何も変わらないよ」という人が多いことです。
そうやって全てを投げてしまっても良いものなのでしょうか?
今日は都知事選でしたね。

要するに、ロックは「愚民化政策」のために作られたものというわけです。
もともと「3S政策」というのがあるわけですから、その一環と言えなくもない話。
(「3S政策」とは、スポーツ・スクリーン・セックスという娯楽による愚民化政策のこと。エンタメも娯楽になります。)
もし3Sやエンタメがなかったとすると、人々の間に不満が溜まり、それが社会や政治に向けられる可能性がある。
だからガス抜きのためにエンタメが人々に与えられているというのは、紛れもない事実でしょう。
肝心なのは、それを知ったうえでエンタメを楽しむのならば良いのではないか?ということ。
エンタメに夢中になって依存したり、人生を明け渡したりしてはいけない、自分の主体性を大事にしたいと思います。

「愚民化政策」のために利用されたバンドは、ビートルズをはじめローリング・ストーンズや、マイケル・ジャクソンの名が挙げられていますが、果たしてクイーンはどうだったのでしょう?
クイーンに関する陰謀論は、ネットでは発見することはできませんが、今に至るまでの巧妙で莫大な宣伝力・販売力をみると、答えは自ずと導かれるものと思います。(クイーンのある歌詞の中にヒントはあります)
フレディは自分の歌にはメッセージ性はないとして、とくに政治的なメッセージの歌は避け、エンタメに徹していました。
これはザンジバル革命によるトラウマが原因ではないかと考えていましたが、べつの側面もあるかもしれません。
まーきーにて
マーキーにて

とつぜんこんな話を持ち出したのは、最近、栗本慎一郎の『パンツを脱いだサル』を読んだところ、なんとビートルズの陰謀論に一章が割かれていたからなのです。
栗本慎一郎は衆議院議員をつとめたこともある経済人類学者で、大学教授です。
1981年発行の『パンツをはいたサル』が面白かった記憶があるので、その続編となる『パンツを脱いだサル』を読んでみたのです。
なんだかこの1981年頃というのは、面白い音楽や本や映画が多かったような気がします。
クイーンを聴くと、当時のことが色々と思い出されてしまうのかもしれません。

栗本慎一郎は、普通の学問からははみ出したようなことも研究する、頭の柔らかい学者ではないかと思うのですが、ビートルズの陰謀論を肯定しているのですね。
それは栗本氏の実体験から来ているのですが、1960年代は若者たちの怒りや不安が政治行動に向かおうとしており、栗本氏も学生運動の渦中にあったのだけれど、ビートルズが出現して以来、学生の興味は政治から離れてしまったという。
栗本氏によると、ビートルズのメッセージとは、
「家族も政治形態も、すべてイリュージョンにすぎなくて、体制的な道徳も下らないが、その改革にうつつを抜かすのもナンセンスだからやめなさい。もちろん、革命も・・・」というものだという。
このビートルズのメッセージは、すべての政治的メッセージを「ダサく」見せる効果を持っていたのです。
そしてロックに夢中になる若者が増えると、本来は反体制側の戦力になるべき若い兵士が戦線離脱していきました。
人々の不満や怒りが、つかの間のロックで解消されてしまうのです。
つまり「ビートルズは政治的メッセージだった」と、栗本氏は言っています。
このメッセージは、ビートルズの歌の中に巧妙に埋め込まれたサブリミナル的仕掛けや、良く考えられた感情的誘導によって広められたのですが、それはリバプール出身の4人には到底できないことだと栗本氏は考えました。
仕掛け人は、間違いなく情報操作のプロだと、栗本氏は断言しています。
それでは誰がこれを仕掛けた張本人なのか?
それは1963年のケネディ暗殺にもつながってきます。興味がある人は、どうぞ調べてみてください。

果たしてビートルズの陰謀論は都市伝説なのか、それとも事実なのか?
それはそれぞれに考えていただくとして、私が陰謀論の中で絶対に否定したい部分があります。
それは「ビートルズの音楽は、アドルノが作った」とする箇所です。
アドルノは、ドイツの哲学者・社会学者・音楽評論家で、作曲もしました。
アドルノの音楽の師はシェーンベルクの系統で、20世紀の現代音楽の12音技法を学びました。
これはいわゆる「現代音楽」ですから、ビートルズのコード進行による音楽とは似ても似つかぬもの。
カタブツのアドルノには、ビートルズの音楽を作曲するセンスはないと思います。
それにアドルノはヨーロッパの芸術音楽のみを擁護しており、ポピュラー音楽を嫌って批判しており、とくにジャズを軽蔑しています。
そのアドルノがロックを作るとは到底考えられません。
作曲はしていないと思いますが、人間心理の研究をしていたため、音楽制作に関して何か助言をした可能性はあり得ます。
つまりビートルズには楽曲制作のチームがいて、アドルノが心理操作の方法を教えたのかもしれない、ということですね。
なかなか結論は出ませんが、エンタメ業界も奥が深いというか、手強いですよ!
アドルの
握手をしている右の人物がアドルノ









リチャード・ダッド フェアリー・フェローの世界

Jackie誌のクイーン特集 1976年によると、
フレディは作曲のインスピレーションを得るために、よくテイトギャラリーにリチャード・ダッドの絵を見に行っていたという。
リチャード・ダッドは、19世紀のイギリスの画家で、妖精やシェイクスピアの世界を描いたことで有名です。
20才でロイヤル・アカデミー美術学校に入り、「眠るティターニア」と「パック」が評価されました。

「眠るティターニア」 ルーブル美術館
眠るティターニア

「パック」
パック

しかし24才で中東を旅行していた時に、「自分はオシリスの使者だ」と言い始め、悪いものがついている人間を殺さなければならないという妄想に取り付かれて凶暴になってゆき、ついに「父親の中にいる悪魔を殺す」ために、父親をナイフで殺害してしまいました。
そのため精神病院に収容され、じつに40年以上にわたって最後まで病院で過ごすことになりました。

「お伽の木こりの入神の一撃」The Fairy-Feller’s Master Stroke
お伽のきこり
フレディはこの絵をもとに「フェアリ・フェラーの神技」を作曲しました。
この画面を埋め尽くす緻密な画法は、明らかに強迫的であり、画家の心理をあらわしています。
54センチ×40センチの小さな画面の中に、虫眼鏡を使って書き込まれています。
「妖精の木こりが放つ神技の一撃」という意味です。
妖精の木こりがヘーゼルの実を斧で割ろうとしており、魔女の女王ティターニアと妖精王オべロンもいます。
一説によると、この絵の人物たちの時間は凍りついたように止まっていますが、木こりがヘーゼルの実を割った時に再び時間が動き出し、自由の身になると考えられています。

リチャード・ダッドは、この絵について細かい説明文を残していました。
フレディが書いた歌詞は、かなりの部分がダッドの文章からそのまま引用されています。
今ではダッドの説明文をネットで探すことができますが(英語で)、1970年代にこれを探し出したフレディの情報収集力はすごいものだったと思います。
しかしこの絵を音楽化するというのもすごい試みで、しかもよくぞこれほどの音楽化が成功したものという、お気に入りの一曲です!

リチャード・ダッドは精神病院に収容されましたが、病院の中で絵を描くことができたので、生活の心配をすることなく画業に打ち込むことができました。
フレディはダッドやニジンスキーのように、人生の大半を精神病院で過ごした天才に惹かれるところがありましたが、フレディが狂気に陥ることはなくて良かったですね。まあ精神の均衡を保つために、倒れるまで買い物をしたり、同性愛に耽ったりしていたのでしょう。

「この黄色い砂浜に来て」
この黄色い砂浜に来て
シェイクスピアの「テンペスト」に着想を得て描かれたもの。
たしかに幻想的で神秘的な魅惑があります。
フレディもフェアリーフェローだったのかもしれません。

テイトギャラリーにある「彷徨える音楽家」
彷徨える音楽家
フレディは間違いなくこの絵を見ていました。

7月1日からEUは日本からの渡航も許可するようですが、テイトギャラリーに行かれる人は、ぜひダッドを見てみてください。
あっ、イギリスはEUではなかったか。





Jackie誌クイーン特集1976

Jackie誌クイーン特集 1976年
当時のイギリスの女の子たちもこのような記事を読んでいたのだなあというのが面白い。
日本語訳がこちらに載っています。
https://note.com/renrensoh/m/mb

ジャッキー

プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

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