FC2ブログ

「ボヘミアン・ラプソディ」爆音上映


ボラプ

「ボヘミアン・ラプソディ」の爆音上映を見ました。
最初は音が大きくて、耐えられるのか私の心臓? と思いましたが、すぐに慣れてしまい、ライブ感覚で楽しめました。
演奏シーンになると音の振動まで伝わるので、心地よい感触が得られます。
ボラプは映画館で3回、飛行機の中で1回見たので、5回目でした。
思えばちょうど1年前に、初めてボラプを見たのでしたね。
その時は本当に俳優たちがクイーンに似ているなあと感心し、ライブエイドのシーンに感動しました。
それから1年、フレディのことを調べてきたので、ずいぶん周辺事情もわかるようになり、ジョン・リードやジム・ピーチ、ポール・プレンターなどもはっきりと識別できるようになりました。
フレディがピアノから離れる時、にマイクを渡すピーター・ヒンスの姿も確認しました。
はじめは主な登場人物の姿ばかり見ていましたが、今回は何しろ5回目なので、画面の背景なども隅々まで見られて、余裕で鑑賞することができました。

で、結論なのですが、(あくまで5回目の結論ですが)
やはり最後のフレディ自身の映像が、ずば抜けて圧巻です!
あのDon`t stop me now がカラー映像だとすると、他の場面は全て白黒なんじゃないかと思うぐらい違っていました。
動物行動学の竹内久美子氏によると、「あの何かにとりつかれたかのような、狂気とパッションのほとばしりをいったい誰が表現できるだろうか?」とのことで、フレディのオーラは、どんな俳優でも再現不可能だと思い知らされたそうです。まさに同感です。

フレディの映像は、全身に音楽とリズムがみなぎり、ほとばしり出ている姿が強烈です。
フレディがいかに音楽の神に愛されていたかがわかり、涙が滲みました。
フレディ=音楽なのです!!
フレディ レザー


スポンサーサイト



フレディマーキュリー天才の伝説

天才とは何だろうか?
天才とは、人の努力では至らないほどのレベルの才能を備えた人のこと。
極めて独自性のある業績を残した人や、それが歴史や社会に影響を及ぼすに至った人物を指す。

たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンスを代表する芸術家であり、「万能の天才」と言われました。
人類史上最高の画家とも言われますし、人類史上最も多才であるとされます。
音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など様々な分野に秀で、高い業績を残しました。
見た目にも美形だったそうです。天才と美形は関係ありませんが、いちおう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ

つまり歴史上、ある時代において、画期的な業績を残し、人類史の進化に貢献した人物が天才といえるでしょう。

また、天才と狂気は紙一重と言われ、天才には変わった人や病的な人が多い。
2015年に、芸術的創造性と精神疾患が共通する遺伝子で発現するとする研究結果が、イギリスの科学誌に発表されました。
(私はこの説の信憑性については不分明であり、支持するものではありません)

たとえばモーツァルトは音楽の一時代を築いた天才だが、型破りな人物で、ひどく熱中するか、あるいは怠惰であるかのどちらかで、その中間はなかったという。
彼の弟子の話によると、モーツァルトはレッスンの途中で急に飛び上がり、椅子やテーブルをピョンピョン飛び越えて、猫の鳴き真似をしてから、とんぼ返りをすることもあったという。(あまりの奇天烈さに笑!)
モーツァルトにはかなりの収入があったが、ギャンブル好きだったため、頻繁に借金をしていた。
衝動的で落ち着きがなく、ギャンブルが好きだったモーツァルトは、ADHDの特性を持っていたと考えられている。
モーツァルト

それではフレディは?
フレディは独自性があるようでいて、実は調べてみると、かなり時代に合わせていたことがわかります。
若い頃ロン毛だったのは、当時のロックミュージシャンが皆長髪だったからですし、途中からヒゲスタイルになったのは、当時のゲイの人たちの間でヒゲスタイルが流行していたからですよね。
クイーンの音楽は、ロックの歴史の中では、「ハードロック」「グラムロック」「ヘビメタ」「パンク」のようなジャンルには当てはまらず、何かのジャンルを代表するわけではなく、時代を切り開いたということもありませんでした。
クイーンの後に、クイーン・ロックの道が続くことはありませんでした。
1975年の初来日の頃はロックの「あだ花」(咲いても実を結ばない花。狂い咲き)とされていましたし、今でもその感は否めないのでは?

2018年の映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開以来、フレディの神格化が進行しているので、フレディのおかげで男性同性愛者が理解されるきっかけになったとか、エイズに警鐘を鳴らしたと思っている人もいるかもしれません。
しかし男性同性愛は紀元前の古代ギリシャにもあったし、もっと言えば人類の起源以来ありましたし、イギリスで最も有名な男性同性愛者はオスカー・ワイルド(1854〜1900年)とされていて、人類史に名が残る男性同性愛者は非常に多数にのぼります。
レオナルド・ダ・ヴィンチも同性愛者です。
エイズについては、1980年代から私たちも知っていましたし、1980年代にエイズによって命を落としたアーティストは累々といて、あまりにも悲惨な時代の記憶となっています。
男性同性愛とエイズについては、また別項に書きます。

フレディの神格化については、プロモーションが実に巧妙なのです。
「ボヘミアン・ラプソディ」で第3次クイーンブームを巻き起こして以来、たゆむことなく次々とイベントや商品を繰り出してきます。
その企画力とパワーには脱帽しますよ。まったくどこまでフレディを利用しようとしているんだか!
でもそのおかげで若い世代にもフレディの永遠の翼が広がっていくのだから、ありがたいことなのですけれど。
天才フレディ
私は天才というより、伝説なのだ!

フレディが時代を変革するほどの天才だったのかどうかは、もっと後の時代にならなければわからないかもしれません。
でも精神医学者のクレッチマーによると、天才とは「積極的な価値感情を広い範囲の人々に永続的に、しかも稀に見るほど強く呼び起こすことの出来る人物」なので、やはりフレディは天才なのだろうと思います。
私たちにとってはフレディが真正の天才なのか、そうではないのかなんて、どうでもいいことで、今日もフレディの声が聴ければそれでいいんですよね!

この短い歌がとってもいいので聴いてみてください!
Have a nice day, bye bye〜と明るく歌っています。朝出かける前に聴くといいですよ!
https://twitter.com/ready_freddie04/status/1112124863513190400



フレディだから仕方がないと言われる破天荒

フレディは破天荒な生き方だったのだろうか?
破天荒とは、今までに誰もやったことのないような、前代未聞という意味です。
フレディは変わっている?
フレディのやることは、フレディだから仕方がないとは良く言われること。

芸術家には破天荒な人が多い。
たとえばエコール・ド・パリの画家たちは破滅的な人が多く、自殺したパスキン、アルコール中毒のユトリロの他、モディリアーニは極貧の中、アルコールと麻薬に耽り、35才で亡くなってしまいました。更にモディリアーニの死後の2日後に、第2子を身ごもっていたジャンヌも自殺してしまうという悲劇が続きます。
モディリアーニの妻ジャンヌ
モディリアーニの妻ジャンヌ

フレディが尊敬していたパガニーニ(ヴァイオリン、作曲)は、「悪魔に魂を売った」と言われる天才芸術家です。イケメンで才能にあふれ、女たらしでギャンブル好きのヤク中でした。

作曲家のアルベニスは、幼少の頃から神童として演奏していましたが、ボヘミアン的な性格のため、8才で家出して放浪していました。12 才で船に密航して南米キューバやチリで演奏していたという破天荒な性格です。
フレディは8才でインドの寄宿学校に入れられましたが、アルベニスは8才で自ら出奔したのですから驚異的です!
しかも12才で勝手に南米ツアーをやっていたのですから、これはクイーンの上をいっているのでは!?

画家のゴッホは、もともと人と会うのが苦手な性格で、素行が問題となり解雇されたりしていました。複数の精神疾患を抱えていたといわれます。生きることが重荷だった彼はアルコール依存になりました。
ゴーギャンとの関係には、友情を超えた強い愛情があり、彼との共同生活が破綻した時に、ゴッホは自らの左耳を切り落とします。その耳を持って娼館へ行き、「この大事なものを取っておいてくれ」と言いました。この件で、ゴッホは精神病院に収容されてしまいます。27才から絵を描き始め、10年間で膨大な画業を成し遂げましたが、生前は評価されることがなく、37才でピストル自殺を遂げました。
ゴッホの場合は精神疾患もあり、フレディよりもはるかに壮絶な人生ですね。
左耳を切った自画像

作家のフランソワーズ・サガンは、あまりにも極端な、刹那的な生き方をしました。
スピード狂で自動車事故を起こし、それでも運転をやめなかったり、ギャンブルに明け暮れ、アルコールやドラッグに浸り、数え切れないほどの情事を繰り返しました。やがて精神を病み、晩年には生活苦の中、健康を害してしまいます。69才で心疾患のためなくなりました。「生きたいように生きる」とは言え、ハイリスク・ハイリターンの生き様でした。

芸術家の奇行や破滅については枚挙にいとまがなく、本当にいくらでも極端な例が出てきます。
概してクリエイティブな人は精神の病や、発達障害であることが多く、そのためにストレスに弱いので、アルコールなどの依存症になりやすいのです。
フレディもクリエイティブで、強い集中力を持ち、完璧主義で気に入らないとすぐに怒る、また一度聴いただけの音楽をすぐにピアノで弾けるなど、発達障害の傾向があります。そしてセンシティブなので傷つきやすく、恋愛依存や買い物依存になったというのは、まったく公式通りなのです。
芸術家たちのすさまじい破天荒さに比べれば、フレディはまだそれほどでもなく、どちらかというと普通に感じられてしまいます。
フレディの精神構造は、クリエイティブな人なら共通している過敏な繊細さと集中力を備え、そのために傷つきやすく疲れやすいので、アルコールやドラッグで紛らわしたり、恋愛や買い物に依存していたのですね。
フレディはそうやってバランスをとりながら、音楽活動を生涯やり続けたのですから、破滅型ではなく立派な人生を送りました。
フレディがんばりました
がんばりました。

日本が世界に誇るアーティストの葛飾北斎は、生涯に画号を30回も変えました。
興味の対象が変わるごとに画風を変え、画号も変えたのです。
75才頃には「画狂老人」と称していました。
フレディも若い頃は度々衣装やヘアスタイルを変えていましたが、30回も変えていないし、名前も変えていませんね!
 北斎は生涯に93回転居しました。1日に3回引っ越したこともあります。
フレディはそんなに引っ越したことはありませんね。
 北斎は90才で没しましたが、最後まで情熱的に描き続け、「あと5年の命があれば、真正の画工になれるだろう」と言い残しました。
凄いとしか言いようのない北斎の生き様に感服します!
たとえ変人でも、このように最後まで生き切った芸術家も存在するのですね。
北斎のような巨人の前では、さすがのフレディもカワイイかも。
北斎の大波
北斎の「Big Wave」は海外でも大人気です。



ピーター・ヒンス『クイーンの真実』

クイーンの真実
ピーター・ヒンスの『クイーンの真実』を読みました。
ラッティことピーター・ヒンスは、長い間クイーンのローディーをつとめた人物です。
とくにフレディとジョンのアシスタントを担当し、フレディがピアノから歌へ移動する時にマイクを渡す人といえば、すぐに彼だとわかりますよね。
ローディは楽器の手入れ、運搬、設置から雑用まで何でもこなしますが、ヒンスはチーフとしてクイーンから信頼されていました。
1973年から1986年までローディでしたから、クイーンの活動の殆どを共に過ごしたことになります。
しかもステージ上の爆音の至近距離にいたのですから、聴力は大丈夫かなと心配になります。
1973年頃に20才だったので、1953年頃の生まれで、フレデイより7才下になりますね。

ヒンスは労働者階級の生まれですが、ロックとアメリカに憧れてローディーの世界に飛び込みます。
ローディーは激しい肉体労働で、重い機材を手で運んだり、トラックに詰め込んだり、空港の税関を通すために長時間待たされたりして、寝不足の過酷な仕事が続きます。
私も他のチームで、トラックの詰め込み作業を見たことがありますが、機材が動かないように、パズルのように隙間を埋めていく技には、本当に感嘆しました!
雇い主のクイーンは飛行機のファーストクラスで移動し、ホテルはスイートルームですが、ローディーはツアーバスの3段ベッドで身を縮めて寝なければなりません。きつい仕事で疲れた体に、汗で汚れた服と、外国での胃腸の不調など、目を覆いたくなるような惨状もあったのですね。
とくに南米で銃声が飛び交ったり、見知らぬ男たちに囲まれて最早これが最後かと思ったり、飛行機が嵐に遭い、大変な乱高下を繰り返したりと、文字通り命がけのツアー行脚だったのでした!

バンドのツアーは珍道中に決まってはいますが、これほど派手にどエライことになっていたとは!
ローディーたちは苦労の連続でしたが、賃金は安く、あまりクイーンから感謝されることもなかったそうです。
クイーンのおかげで世界中を旅行して歩き、酒やドラッグ、そして女の子にもそうとうモテたヒンスですが、次第に彼の心はクイーンから離れ、写真家への道を歩み始めます。
クイーンのステージの裏には、ローディーの作業や照明、音響、会場スタッフ、そしてマネージャーやレコード会社など、じつに様々な人たちが関わっていたのですね!
「フレディ・マーキュリー」という虚像は、みんなで寄ってたかって作り上げたものでもあるわけです。
そしてあまりに肥大した「フレディ・マーキュリー」像に、当のフレディも次第に疲弊していったのかもしれません。

ヒンスは長期にわたってフレディのごく近くにいて、信頼関係があったのですが、あまりフレディの言葉は記録されていないので、会話は少なかったのかもしれません。
フレディはステージ以外では寡黙な方でしたし、一人になることは殆どなく、常に誰かと一緒にいたわけですし。
フレディがロンドンからミュンヘンに来る時、フレディは一人で来られないので、ヒンスがお供をしたこともあったそうです。
ということは、ヒンスはフレディと二人で過ごしたこともあったわけですから、会話もあったはず。それなのにフレディの言葉は何も記されていないので、ヒンスはフレディへの忠誠心から、故意に隠していることがあるのかもしれませんね。

クイーンの側にいたヒンスの記録は、ステージや撮影の裏話がこぼれ出て面白いところがあります。
たとえば、「We will Rock You」のPV撮影は、ロジャーの家の庭で行なわれたものですが、当時はまだ契約したばかりで、家が引き渡されていなかったので、トイレを使わせてもらえなかったとか。 冬で寒かったので、フレディが手袋を所望したが、探してもなかったので、ヒンスが自分のローディー用の手袋を渡したところ、フレディは喜んで着用したので、PVの中でフレディが使用している手袋はヒンスのもの。
また、「You are my Best Friend」のPVでは、フレディがマイクに捕まってだらけた様子なので、酔っ払っているのかと思っていたのですが、あれは実はとても暑い日で、さらにロウソクを沢山つけたので更に暑くなり、クイーンはみんな倒れそうになっていたとのこと。フレディは倒れそうなのでマイクに捕まり、必死に歌っていたのですね! なんて健気なのでしょう。
他にも、ステージに投げ込まれた生卵でブライアンが滑って転んだとか、面白い話が沢山載っています。

ヒンスは「ラッティ」と呼ばれていましたが、ラッティとは「ねずみ」のこと。「ねずみちゃん」ですね。
ヒンスは若くて痩せていて、こまねずみのように良く働いたので、こう呼ばれたのでしょう。
でもちょっと見下した言い方ですよね、ねずみちゃんとは。
ヒンスは会計士や弁護士など中流の人は、自分より上の人だと思っていたそうです。
実際にはクイーンの会計士がお金をごまかしたので、上ではないことがわかったそうですが。
イギリスは階級社会なので、ヒンスが自分は下だと思うなんて、悲しくなってしまいます。
強欲で悪徳な中流人よりも、ヒンスはよほど立派な人間ですよ!
クイーンを離れてから、ヒンスは写真家として自立したので、もともとアートの才能があったのでしょう。
最近ではYouTubeで現在の彼の姿を見ることができます。
クイーンの周辺の、色々な人の生き方を知ることができて面白いですね。

フレディが好きなルネ・ラリック

ルネ・ラリックはフランスのガラス工芸家、宝飾デザイナーです。(1860〜1945)
アール・ヌーヴォーからアールデコの両時代にかけて活躍した稀な作家です。
日本でも目黒の「東京都庭園美術館」にラリックのガラス装飾が使われています。
ルネ横長


フレディはルネ・ラリックの作品を好んでいて、ロンドンのお店に足を運んではガーデンロッジに持ち帰っていました。
日本公演で世話になる日本人へのお土産にも持参していました。(この作品ではありません)
ルネ2

日本でも人気があり、私も京都で展覧会を見たことがありますし、最近でも「不思議のアリス展」にすばらしいラリック作品が出品されていました。(この写真は当該作品ではありません)
ルネ3

バラのモチーフがよく使われます。
すてきなランプですね。
ラリックのバラ

これぞラリック!
私もラリックが好きなので、このブログを書いているうちに、とうとう小さなラリックを買ってしまいました。
あ〜あ、何のためにブログを書いているんだろう?
これぞラリック

猫の置物もあります。
これはたぶんジム・ハットンがフレディに贈ったものと同じです。
フレディはプレゼントを貰うのもあげるのも大好きだったのですね。
ラリック猫


プロフィール

楽園のペリ

Author:楽園のペリ
1975年、初来日の武道館でクイーンを体験、フレディのファンになる。長らくクイーンのことは忘れていたが、映画を見て思い出し、フレディについて研究するうち、ついにロンドンのガーデンロッジや、モントルーのクイーンスタジオまで行ってきました!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
訪問者
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR